影武者華琳様   作:柚子餅

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50.『劉岱、青州黄巾党と接触するのこと』

 

 (エン)州を横断して州境に到着した拓実と霞は、そのまま越境して青州西部の平原国に入った。黄巾党の偵察任務を帯びた二人の目的地は、更にその先にある青州中央――黄巾の活動が活発と噂されている斉国である。

 そこまでの通り道となる平原国はその名が表すように平野が広がる地域であった。これといった特色がなく産出されるのは農作物ぐらいだというのに、略奪が横行し治安の悪化が続いている為か拓実や霞の目の前には手入れのされていない荒れ果てた田畑や痩けた土地が広がるばかりである。

 

「霞さぁん、美味しい食べ物って、どこなのぉ……?」

「こない有り様やったら望み薄やろなぁ。一応残ってるのがいるかも知れへんし、覗いてみるかぁ。拓実はそっからそっち頼むわ」

「うー、わかりましたぁ」

「ま、変なのがおるようなら下手に手出しせんと、ウチに声掛けーや。すぐすっ飛んでいったるから」

「だ、大丈夫ですよ! ……たぶん」

 

 邑から出てきた筵売りとその友人の用心棒という設定であるから、二人が連れているのは馬に荷車などではなく安価なロバが一頭だけ。当然ながら積める荷にも限りがあるのだが、それ以前に食糧や荷物を積み過ぎても一介の行商人にしては裕福に過ぎるということで、小道具として持ち込む筵や草鞋などを実際に売って現地調達するようにと言われていた。

 そういった理由もあってロバに積んである食糧は鹿肉の塩漬けなど日持ちする保存食や少量の米、そして雑穀ばかりで、それらを使うなら近場で調達した野草と一緒に煮込む塩気のみの簡素な(かゆ)になる。これでも保存食をそのままかじろうとする霞を止めて、拓実が手持ちの材料で作った料理だというのだからどうしようもない。もし道中に新鮮で美味しい料理にありつきたいのであれば、自分で狩るなり採るなりして食材を調達するか、あるいは人や店などから購入するしかない。

 (エン)州を旅する間は良かった。見つけた邑では何らかの食材を購入ないし物々交換することが出来たし、街道を進んでいれば別の行商人とすれ違うこともあった。それが州境に差し掛かろうとしてからのここ数日は人通りが極端に減っていて、たまの機会も持つものも持たずに這々の体で逃げ出そうとしている農民や、そうでなければ野盗の類ばかりである。逆に、拓実たちが僅かばかりでも食糧を譲ってやらねば途中で行き倒れていただろう者もいた。

 

「誰かいませんかー? えっと、勝手にお邪魔しちゃいますよー? ……ひっ!?」

 

 青州に入ったなら少しは違うものかと考えていたが、しかし見つかるのは朽ち果てた廃村ばかり。その内の一つに誰かいないかと手分けして歩いて回れば、見つかるのは刀傷を残して白骨化したいくつかの人骨だけであった。家屋の中は荒らされていたので、おそらくだが賊に襲われ抵抗したばかりに殺されたのであろう。

 他の村民は作物を作った先から奪われて、生活が成り立たず余所へと逃げ出していったのか。陳留には余所から流れ着いた移民も多くいたから、中にはこの辺り出身の者もいたのかもしれない。

 

「あっかんなー。やっぱ人っ子一人おらんし、食えそうなモンも見当たらん。拓実の方はどないやった?」

「……あ、霞さん」

 

 二手に分かれて探索を行っていたが、幾ばくもしないうちに霞が待ち合わせ場所である邑の入り口に戻ってくる。拓実もまた早々に割り当てられていた区分を探し終え、邑の入り口にぽつんと突っ立っていた。然程に大きくはない邑であるが、それ以上に住居の体をなしている家屋が少なすぎた。期待してなかったからか然程気落ちした様子もない霞とは違って、拓実はずっと表情を曇らせている。

 

「何にも。たぶん、みんな野盗とかに持って行かれちゃったんだと思います」

「そか。ま、華琳が頑張っとるからか(エン)州はどこもそれなりには豊かやけども、余所やったらこんなんちっとも珍しゅうないで」

「……そう、そうだったんですか……」

「なんや、んなことも知らんかったんか? 拓実はええとこの箱入りなんやな」

 

 とんだ世間知らずだと霞には若干呆れられてしまったが、拓実自身、己の無知さに愕然としていた。突然大陸の荒野で目覚めることになってからここに至るまで、拓実は数えるほどしか(エン)州の外に出たことがなかった。普段生活をしていた荀攸は居城の執務室に籠もりきりであったし、もう一役の許定は警備隊であるからその行動範囲は街の中で完結してしまっている。そしてその陳留の街は移民を受け入れられるぐらいに栄えていたし、衣食住に困ることはなかった。拓実は恵まれた環境で過ごしているうちに、いつしかそれを当然のものと考えていたのだ。

 黄巾党の征伐で劉備軍と共に各地を転戦していた時期、そして先の反董卓連合軍での洛陽遠征は州外のことでその限りではなかったが、その時も将の一人として行軍の中にあったから不便はなかった。酷く荒廃していた洛陽にしても宦官たちの悪政と略奪があったという話だったから、そこが特別に荒れ果てているものだと思い込んでいた。

 けれども、拓実も陳留に居ながらに話には聞いていたのだ。旅人や行商からイナゴに作物をやられてどこそこの邑がなくなっただとか、あの商屋の丁稚は口減らしに陳留に奉公に出てきただとか、世間話の中にもそういった話は聞こえていた。知ろうと思えば大陸の状況を知る機会はいくらもあったのに、拓実はこうして己の目にするまで知った振りをして、他人事として意識から外して何も見ていなかったのだ。

 

「どないした?」

「私、自分が恥ずかしいんです。苦しんでいる人たちがいたのに、それを知っていたのに、自分のことしか考えてこなかったんだなって……」

 

 立ち止まり、朽ちかかった民家を遠目にじっと眺めていると、霞から声がかかる。言葉こそ返したが拓実は未だに後悔の中にいた。

 これまでの拓実の行動の指針は、全て己の利に因るものであった。華琳の演技をする上で思考をなぞり、彼女が作り上げようとしている平和な世を見てみたいと考えたことは嘘ではない。でもそれは、拓実が日本へと帰る方法を探すという上で都合が良かったということが大部分を占めている。

 訳も分からず身分すら証明できなかったあの頃ならいざ知らず、あれから数年が経っている。華琳に課せられた重責を果たせるよう毎日をがむしゃらに生きてきたけれど、きっと虐げられる人々がちゃんと視界に入っていたなら、もっと弱者の為に動けた筈なのだ。

 

「そう言うけどな、拓実はこれまでも遊んどった訳やないんやろ?」

「ですけど、でももっと私にも出来たことがあるんじゃないかって……」

「見ず知らずの難民に食糧を分けてやっとる時も思っとったけど、誰相手でも放っておけんってか、博愛の精神が強いっちゅうのかねぇ。ウチはそないな甘い奴嫌いやないけどな、これまでよう真っ直ぐやってこれたもんや」

「……私が?」

 

 そのように評する霞に対して、拓実は思いも寄らない言葉が飛び出たことに驚き目を見開いていた。混乱により思わず、性格の一部が剥がれかける。

 拓実が博愛主義者であるだなんて、そんなことはきっとない。いや、この時代の一般的な常識と比べてということなら考えが甘い方であるとも言われるかもしれないが、だとしても庇護すべき人とそうでない者の区別はしていた筈だった。『南雲拓実』を基盤としたならおかしいのは今の拓実で、間違っているのはこの考えだ。こんな自問自答はとうの昔に乗り越えていた。

 

 拓実は己のエゴイズムを良しとして覚悟している。目的のためにならば、他者に犠牲があろうとも立ち止まったりはしないと決意している。華琳に敵対する者を倒し彼らの目指す未来を摘み取ったのも、領民を害していた賊を殺してきたのも、無理矢理にでも決意という名の背骨を通しておいたから。華琳の生き様を辿り、考え方に共感し、憧れたからだ。

 華琳の下に生きる弱者を救う。華琳に味方する者、志を同じくして属する者に助力もする。けれど、拓実の手が届くのは周囲――華琳の治める土地に住まう者までだ。その手を遠く届かせたいのであれば、あるいは領地の外にある者をも救いたいのであれば、華琳に大陸を統一してもらう他にない。華琳の庇護の下にある者ならば拓実の手は届く。己の領分を理解しているからこそ、拓実は華琳の大陸統一の役に立つべく少しでも強くなろうとしているのである。

 

 そして、青州の民は華琳の領民ではない。拓実の手の及ぶ土地でなければ、預かり知る者たちでもない。救ける義理がなければ拓実は見捨てる。その行為が人道的に正しいものではないとしても見捨てられる。助けられない己の力不足を悔むし後悔もするけれど、そうすると決めている。

 ――そんな考えに対して、今は言いようのない抵抗を覚えている。力が及ばないとしても何か別の方法を模索するべきではないか、微力ながらも何か出来る事があるのではないかと他ならぬ拓実へと訴えかけている。おそらく『この拓実』にとっては受け入れがたい考え方なのであろう。そうした物事の捉え方に差異があったと、拓実自身が気づけなかったのだ。

 

「ま、前に拓実が名乗っとった荀攸とかいう時は損得勘定ばっか考えてそうな感じやったから意外やけどな。そいや今は違う名前やったっけ? 確か劉備と同じやから、劉ナンチャラやったと思たけど」

「名乗っ……!?」

 

 己の中の不和と葛藤していた拓実は、唐突に現実に引き戻された。看過できない発言が飛び出て、急いで辺りをきょろきょろと見回す。住民を探していた拓実たちにとって幸か不幸かわからないが、先ほどまでと変わらず見渡す限りに人影はない。

 ほっと溜息を吐いた拓実は、眉根を寄せて霞を見上げる。その瞳には、珍しく非難の色があった。

 

「あの、霞さん? 違う名前とか、名乗ってたとか言うのやめてくださいね? 荀攸さんは別口から青州に入ってて、私は沛国(はいこく)出身の劉岱(りゅうたい)っていうただの筵売りなんですから」

「あー、せやった劉岱! 劉岱やった!」

 

 拓実が小走りで寄っていっては漏れ聞こえないように手で覆いを作って内緒話するようにしているのに、当の霞が気にした様子もなく手を打ち鳴らして普通の声量で話すものだからまったくの徒労となってしまっている。

 反射的にまた人影を探しかけたが、既のところで今しがたに見回して誰も居なかったことを思い出し、少しピリピリし過ぎているのかもしれないと拓実は強張っていた顔を揉みほぐす。

 

「そうですよ。名前の『岱』にだってちゃんと由来もあるんです。(エン)州は東部にある霊峰泰山に(ちな)んでつけられてまして、字の公山にもかかってるんですけど……」

「なんやもう、ややこしい設定やなぁ」

「ですから、設定とか言うのもダメなんですってば!」

「へぇへぇ、わかっとる。心配性やなぁ。ウチかて人前ではこないなこと言わんて、安心しいや」

「むぅー……!」

 

 道中での話しぶりから薄々考えてはいたが、どうも霞が『華琳の影武者』という機密に対して軽く捉えているように思えて仕方がない。良くも悪くも細かいことを気にしない性分なのだろうが、言動が楽観的に過ぎて見ていてどうも不安になる。

 機密を厳守するようにと言いつけられている拓実としては、出発前に華琳より霞が選出された理由は聞いていたが今回ばかりは人選を誤ったのではないかと疑ってかかってしまう。

 

 官軍に所属していた頃より神速の用兵と名が売れていたとはいえ、曹操陣営においては新入りである霞が機密の塊である拓実の護衛任務に遣わされた理由は、(ひとえ)にその人柄にあった。義理堅く、人情に厚く、一度身内となった者は捨て置けない。そんな詠からの評価に加え、宦官という一癖二癖もある敵に囲まれて猜疑心が強くなっていただろう彼女に重用されていたというだけでも信用に値する人物であると華琳により判断されたのである。また武の技量も申し分なく、先の遠征で新たに加わったばかりである為に曹操の配下になったという情報が他所に出回っていないということが決定打となり、こうして拓実と霞の二人旅となった訳であった。

 では何故その霞ばかりが機密に対してこのような態度なのかといえば、打ち明けた面子の中で彼女一人だけが華琳を己の主君に足るとは認めていないからだ。同時期に加入した詠であっても、敬意まではなくとも『曹操』が上に立つ者として有能であって、彼女という存在が失われた時にはこの陣営が瓦解するものと理解している。対して霞が華琳に降ったのはあくまでも月と詠がいるからというもので、華琳であるから臣下として忠義を誓った訳ではない。現状ではただの雇用主という認識なのであろう。

 霞は曹操陣営にとって華琳が文字通りの中核であると把握しておらず、王になるべくしての人物と未だ知らない。おそらくは影武者である拓実も華琳の身代わり程度としてしか考えておらず、然程には重要であると思っていないのだろう。こればかりは華琳と共に過ごしてその人となりを知るまでは理解されないことであり、拓実が旅先でどう説明しようとも改善される余地がない。とかく拓実は、他の人の前では公言しないと言う霞の言葉を信じる他になかった。

 

「ほな、ここにおっても何もあらへんし、さっさと次の邑目指して出発するかぁ」

「あの、霞さん! 出発する前にちょっとだけ時間もらってもいいですか?」

 

 言いながらも手荷物をまとめ、杭に括りつけられたロバの首縄を解こうとする霞を拓実が慌てて引き留める。

 

「あん? 別に構わへんけど、厠か? はよ済ましーや」

「ちっ、違います! その、あの人たち、このまま野ざらしは可哀想ですから、せめてお墓だけでも作ってあげたいんです」

「は、そーいうことか。……しゃーない、そないな奴嫌いやないって言うたのはウチや。二人でやれば半刻で終わるやろうし、一人で待っとってもやることないしさっさと終わらそか」

「ありがとうございます!」

 

 口では気が乗らない風に言いつつも、霞は腕まくりすると転がっていた杭を手に率先して穴を掘り始めた。彼女としても弔おうとすることを否定する気持ちはなかったのだろう。

 ――二人が埋葬しようとする者たちは、それこそ拓実にとって縁もゆかりも無い。素の拓実や許定であれば殺され無残に打ち捨てられていることを気の毒に思ったことだろう、遺体の前で黙祷したかもしれない。荀攸ならば目的達成を優先し、霞と同様そのままに立ち去ることだろう。

 今の拓実にとって当然の行動がこういう形であっただけだ。劉岱である以上拓実はそれに抗えないし、自身を動かそうとする意志に無理に反すれば『劉岱』という人格の軸が折れる。そうなったら最後、拓実は二度と劉岱を演じることが出来なくなるかもしれない。

 

 

 

 それから数日後には平原国を抜けることができたが、その道程に獣が棲息していそうな深い森はなく、ところどころまばらに木々が立つだけだった。青州の中心に向かうにつれ寒村などは見つかるようになったものの、立ち寄った邑は作物は自給分しか賄えないないほど貧しく、人の食べ物を求めて民家に忍び込んできたネズミをも食糧としているほどだ。農業用水にと引いたであろう水路や井戸、小川などは見つかるから水の確保だけは困らないが、そこでもこれといって食材となりそうなものは見つからなかった。

 結局、平原国を抜けるまで二人は保存食の世話にばかりなっていた。しかし、それだって風化しかかった廃村や日々の食事にも困窮している寒村を見てきた拓実には食べられるだけでも上等に思える。拓実の胸の内からは、旅に出たばかりの頃のような不満が出てくることはなかった。

 

「霞さん霞さん! 食材、分けてもらえましたよ! じゃーん、そんなに量はないけど、野うさぎの腿肉と粟!」

「おおお! うっし、やったな拓実! これで代わり映えしない飯ともおさらばや!」

「ううっ、私なりに頑張って味付け変えたりしていたんだけど……」

「いやいや、拓実には感謝しとるってホンマ。ウチは炙るかごった煮しか出来ひんしな」

 

 そして青州は二つ目の国、済南に入ってのようやく真っ当な食糧調達である。この邑には昨夜に辿り着き近場の民家の納屋を借りて一泊させてもらっていたのだが、明るくなってみれば人も賑わっているそれなり栄えた邑だった。積んできた食糧も底が見えていたので、新たな食材を手に入れられたことで二人の表情は一層明るい。

 

「聞いてみたらもう少し南に行けば街があって、その辺りなら川魚も穫れるみたいです。今から向かえば夜には着きそうですよ」

「魚かぁ。最近は塩漬け肉ばっかりやったからそれもええなー。なんにせよ目的地が河南やから渡河せんことには辿り着けんし」

「河があるんだったら行水も出来ますよね!? いくら濡らした布で体を拭いてても、流石に汗の臭いが……」

「そんなら行水よりもあっつい風呂や! 酒でもやりながらゆっくり浸かりたいなぁ、ええなぁ……」

 

 食材をロバの背に積み、言葉を交わしながらも二人は引き寄せられていくように南へ向けて進路を取る。

 長らく二人きりで旅をしていたこともあって、拓実もだいぶ霞とは打ち解けていた。料理が苦手という霞の代わりに、拓実が限られた食材でそれなりに食べられる物を作っていたというのもあるのだろう。

 旅の途中、水場を見つけては体を布で拭いて清めていたが、霞が手の届かない背中を拭いてやると言ってくれるぐらいには親しくなっている。また霞なりのコミュニケーションの一環なのか、ふざけて拓実に抱きついては後ろから胸を触られたりもしたのだがどうやらあんまりに平坦過ぎて笑えなかったらしく、以後拓実の胸部に関しては腫れ物を扱うようにされていたりもする。

 

「しっかし、黄巾賊の奴らが荒らしまわっとるなんて話やったけど、中心部の方は思いの外治安ええなぁ」

「ですよねぇ。ここ数日は野盗の数も減ってますし」

 

 青州に入ってから二人は幾度か野盗や追い剥ぎに襲われていたが、それら全てを霞が撃退していた。荒くれ者といった風貌のそれら野盗らは申し訳ない程度に黄色の布を身につけていたが、黄巾賊を騙って箔をつけていただけで無関係なようであった。農家の出であった彼らは最初は食い詰めてということだったが、今となっては皆他人から命を奪うことに抵抗すら覚えない、ただの悪党に身をやつしていた。

 そして平原国を抜けてから数日経った現在では野盗は減少しており、襲われたとしても黄巾を身につけている者はとんと見なくなった。黄巾党に支配されていると事前に聞いていただけに、それがどうにも拓実には解せないでいた。

 

「よお! お姉ちゃんたち二人旅かい?」

「客を探してるってんなら俺たちが買ってやろうか?」

 

 四方山話をしながら先の邑から数里ほど歩いたところで、後方から馬を駆った男たち五人が拓実たちに声を掛けてきた。にやにやと下卑た笑みを浮かべた男たちは拓実と霞の前に回りこむようにして立ち塞がる。

 霞がつまらなさそうに、その後ろでは拓実がきょとんとした様子で男たちを眺める。

 

「はぁ、言うとった矢先からこれかい。こないな手合も久々やなぁ」

「あ、でも霞さん、お客さんだって言ってますよ! えっと、ちょっと待って下さいね。売り物でしたら筵と草鞋がありますけど、どっちを……」

「アホ! やつら、どう見たって真っ当な客やないやろ」

 

 霞に言われて見てみれば、五人の男たちは腕などに黄色の布を巻きつけている。拓実たちがそんなやり取りをしている間にも馬から降りた男たちはじりじりと近寄って、逃げ道を塞ぐように取り囲もうとしている。

 

「ひっでえなぁ、姉ちゃん。人を見た目で決めつけちゃならねえよ」

「ほー、そんなら草鞋でも買うてってくれるんか? 全員分まとめ買いするってんなら特別にまけたってもええけどな」

 

 霞はそう言って、男たちに向け飛竜偃月刀を構えてみせる。警戒心を緩めない霞に、男たちは鼻白んだ。

 

「なあ。面倒臭えし、いいからさっさと攫っちまおうぜ。やるこたぁ変わらねえんだしよぉ」

「ほれ、お前さんの連れはそう言っとるで。御託並べとらんとさっさとかかってこんかい」

「ちっ! 五人を相手にいい度胸じゃねえか! ちっと痛い目見ねぇとわからねえみたいだな!」

 

 ここに至っては男たちも害意を隠そうとしない。それぞれ腰に佩いた刃物を抜き放って、霞へと向ける。

 

「拓実、巻き込まれんように離れとき」

「あ、はい。わかりました……。あの、霞さん、気をつけてくださいね?」

「はっ。こんな三下相手に何を気ィつければええのかわからんわ」

 

 多勢に無勢という状況だというのに、霞は不敵にもにいと笑みを浮かべてみせた。

 霞の実力はこの旅の中で幾度か目にして知っている。まだその強さの底は見えないが、春蘭や秋蘭を相手にしても一方的にはならずいい勝負が出来るのは間違いない。であれば、五人程度であれば敗れることはないのだろうが、だからといって何事か不測の事態があって怪我をしないとも限らない。ロバを引いてもたもたその場から離れた拓実は、すぐ側の枯れ木に身を寄せ心配そうに霞を見守り始めた。

 

「おいてめえら、女相手に何をしてやがる! 女性には優しくしなさいって地和(ちいほう)ちゃんが言ってただろが!」

 

 そうしたところ、遠くから新たに複数の馬蹄の音が響く。拓実たちが進もうとしていた先――先の五人の男たちの後方から、更に八人の黄巾を頭に巻いた男たちが馬を駆ってきた。

 

「あん? 何だ地和ってのは。てめえら、お仲間か?」

「地和ちゃんを知らないだと……黄布を身につけてっけど、まーた俺らの名前を騙った奴だな」

「あんだとぉ? 何だか知らねえがてめえらも同じ穴の狢だろうが!」

「俺たちもてめえらみたいな奴と一緒にされて迷惑してんだ! おう、こいつらやっちまうぞ!」

 

 拓実たちを放って、後から来た男たちと先の五人の間で剣呑な雰囲気になっていく。喧嘩を売られた形になった五人は、元より獲物としてしか見ていなかった霞のことなどはもう眼中にないようだった。

 

「なんや、仲間割れかい。せっかく久々に暴れられると思っとったのになー」

 

 すっかり蚊帳の外に置かれてしまった霞は飛竜偃月刀を肩に担いで少し離れた拓実の元へのんびり歩いてくる。そうこうしている間にも黄巾の男たち八人が棍棒などを構えて五人側に襲い掛かっていた。

 霞も勝手に盛り上がっている中に乱入するつもりはないようで、その場にしゃがみ込むやつまらなさそうに乱闘の様子を眺め始めた。

 

 

 

「くそがっ! 覚えとけよ!」

「てめえらこそ次に見かけたらふんじばってやるから覚悟しとけ!」

 

 数分ほど成り行きを見守っていた拓実たちだったが、程なくして五人側の男たちが悪態をつきながら逃げ出していった。数の差もあるのだろうが、個々で見ても八人の男たちの方が実力は一枚上手であったようだ。多少の手傷を負っている者もいたが、残った男たちに深手を負った者はいない。

 ぼんやりと興味なさげに眺めていた霞だったが、その表情はいつしか笑みへと変わっていた。武人の性か、相手がそれなりにでも手強いとわかるとどうも喜んでしまうようである。

 

「さて、ようやっと終わったか。ほんなら残ったあんたらがウチの相手か?」

 

 その場に残されたのは黄色の布をバンダナのように頭に巻いた八人の男と、霞と拓実。ようやく自分の番が来たかと武器を構え直した霞に、男たちは焦った様子で首を横に振る。

 

「いや、そんなつもりはねえ。安心してくれ。何しろ俺には決めた相手、地和ちゃんがいる!」

「あん?」

 

 先頭の男が己の胸を親指で指し、声高らかに告げる。霞は言っている意味が理解出来なかったらしく首を傾げた。

 

「俺は天和(てんほう)ちゃん!」

人和(れんほう)ちゃん!」

「地和ちゃん!」

「てめえ、ふざけんな! 地和ちゃんは俺のだ!」

「バカヤロウ! 誰がてめえのだ、みんなの地和ちゃんだろうが!」

 

 後ろにいた男たちが手を挙げて負けじと続き、勝手に仲間割れを始めて掴みかかっている男たち。すっかり拍子抜けしてしまったのは霞である。

 

「ちょちょちょ、待ちーや。あんたら、黄巾賊なんやろ? 青州じゃ好き勝手暴れまわっとるって話聞いとったんやけど?」

「ああ、他の勝手に名乗ってる奴らはな。そう呼ばれてるってだけで俺らも黄巾賊って名乗ってる訳じゃねえ。けどな、あいつらと俺らは違う。女性は敬わないと地和ちゃんに嫌われちまう」

「天和ちゃんが他人に親切に出来る男の人は格好いいって言ってたからな! 困ってることがあるなら俺に言ってくれ! そして天和ちゃんに俺の見事な親切っぷりを宣伝してくれ!」

「俺は、みんな仲良くしてるのを眺める人和ちゃんが、薄く笑ってくれてる。それだけで、幸せなんだ」

 

 ……どうやら、この男たちは心の底からその三人の喜ぶ姿が見たいが為に行動し、結果としてなのだろうが治安維持をして回っているようである。先程の手並みを見れば、そこらのゴロツキにはそう負けたりはしないだろう。

 あんまりにあけすけに自分たちが天和・地和・人和なる三人を好きか語り始めているものだから、嘘をついている様子も見られなければ拓実たちを(かどわ)かそうという意図もまったく見えてこない。

 

「なぁ、嬢ちゃんたち。とりあえずこっちへ向かってたってことは行き先は済南なんだろ? 俺たちも警邏は終わって帰るところだしな、よかったら連れて行ってやるぜ」

「えーっと、どうしましょう霞さん」

「……ま、案内してくれるってんなら甘えとこか」

「男ばっかの奴らを警戒するのも当然だからな、俺らは先を歩くから後ろからついてきてくれ」

 

 男たちのもはや信仰といっていい考えは霞にはどうにも理解し難いらしく、訝しんでいる。それでも同道を許可したということは、もしこの八人に騙され不意を突かれて襲われたとしても霞一人で撃退出来るということなのだろう。

 一気に十人もの大所帯となった一行であったが、道すがらに聞いてみれば彼らは非公認の親衛隊を名乗っているらしい。

 

「あのー。その天和さんとかってとっても素敵な人みたいですけど、どういった方なんですか?」

「俺にとっちゃ世間で言われてる男なんかよりよっぽど天の御遣い様よ! 歌声は天女のそれ! その愛くるしい笑顔! 絶世の美女とはきっと天和ちゃんのことだぜ!」

「人和ちゃんたちは、姉妹三人で俺たちに、素敵な歌と踊りを届けてくれてる。俺達は、彼女たちの追っかけである証として、黄色の布を巻いているだけだ」

 

 そうして更にいくつかの話を聞いた限りでは、『本物の黄巾党』であろう彼らが心酔している天和・地和・人和とは、拓実の知る張三姉妹である可能性が高い。それでなくとも黄巾党に関連し、歌と踊りで興行を行っている三人の女性など、黄巾党の蜂起と共に活動の規模を広げていた旅芸人の張三姉妹ぐらいしか思い当たらない。

 孫策に討ち取られたとされた黄巾党の首魁、張角・張宝・張梁。しかし実際に討たれたのはむくつけき男三人であった。当然ながら華琳らが真の首魁と定めている張三姉妹の行方はこれまで知れなかった訳であったが、拓実の考えが正しければ青州に隠れ潜んでいたということになる。

 

「へぇー、すごいんですねぇ。ねぇ、霞さん霞さん! 天和さんたちの興行、一度見てみたいですね!」

「お、おう……。せやな?」

「おっ、地和ちゃんたちに興味あるのかい? 多少値は張っちまうが、二つぐらいならまだ次の公演の席を用意出来るぜ?」

「うー、私たち貧乏二人旅なので、ちょっと厳しいかなぁ」

「そいつは残念だ。そういや、嬢ちゃんは行商人だよな? 儲かってんのかい?」

「もう! 儲かってたら公演だって観に行けますもん。霞さん風にいったらボチボチなんです。お客さんがいなくちゃどうしようもなくて」

「まぁなぁ。さっきみてえな奴らがうろついてるこのご時世じゃ行商ってのも難しいよな」

「……拓実のやつ、何でもう初対面の奴らと打ち解けてんねん」

 

 和気藹々と会話する拓実の隣で、すっかり疲れた様子で霞は肩を落とした。霞もまた今回の黄巾党の動向を探る任務を受けるにあたり、華琳たちが掴んでいる張三姉妹についての説明を受けている。

 黄巾党の本当の指導者であろう張三姉妹の目的を探るには、彼ら取り巻きから情報を得た方がいいだろう。霞なりに不自然にならないように話を聞き出せないものかと考えていたのだが、いつの間にか拓実はもう以前から知り合いだったかのように会話している。

 

「てっ!?」

 

 と、突然に前を歩いていたうちの男一人が急に足を滑らせて尻もちをついた。その後ろを歩いていた拓実の目の前にはぽつんと雪駄のような履物が残されている。

 どうやら怪我はしていなさそうだったが、男は尻もちをついたまま立ち上がらずに座り込んでいる。

 

「あの、大丈夫ですか?」

「ああ、悪い。……ち、さっきので紐が切れてやがったのか」

 

 拓実が地面に落ちている履物を拾って持って行ってやると、受け取った男は手元の履物を確かめて渋面を作った。

 

「お前、金ないとか言っていつまでも買い換えないからだろ」

「しかたねえだろ! 地和ちゃんがよく見える真ん前の席は高いんだからよ!」

「それなら仕方ないな」

「仕方ない。我慢するしかない」

「だろ!?」

 

 そんな男たちの会話を聞いていた霞は何が仕方ないのかわからずに頭を悩ませていた様子だったが、しばらくして「あー、ウチにとっての酒みたいなもんか」と一人ごちていたのでどうやら納得したらしい。

 拓実が男の持っている壊れた履物を覗いてみれば、前緒は無事だが足を引っ掛ける横緒の部分が真ん中あたりで千切れている。少なくともこのままでは履けそうにない有り様である。

 

「これ、千切れちゃったのって止め紐だけですよね? だったら紐を付け替えれば直せますから、良ければ私がやりましょうか?」

「いや俺、直してもらおうにも金持ってねえし……」

「流石に商品にするのに作った草鞋はあげられませんけど、紐の付け替えぐらいだったらお金は気にしないでください。それに、さっきはみなさんに助けてもらっちゃいましたし。はい、ちょっと貸してくださいね」

 

 拓実はにっこりと笑顔で履き古した履物を受け取ると、荷物から紐状に編んだ麦藁を取り出し、慣れた手つきで鼻緒を取り外して履物の修理を始めた。

 飯の種になるものだからと旅の間も暇があれば藁を石で叩いて柔らかくし、商品の草履や筵を新しく作っていたからこの手の細工は慣れたものだ。そうして二つ結びにした髪を左右に揺らしながら鼻歌まじりに作業をして、数分ほどで紐を付け替えると男へと差し出した。

 

「はい、どうぞ。応急処置しただけで全体的にへたってきちゃってますから、できれば近いうちに新しいの買ってくださいね?」

「おお! ありがとな嬢ちゃん。いや、見事なもんだ」

「そんな! 私たちもお世話になっちゃってるんですから気にしないでください!」

 

 両手を胸の前で振ってから、拓実はにっこりと笑って立ち上がった男を見上げる。拓実よりも頭一つ半ほど背の高い男は、うっと詰まった様子でのけぞった。

 

「……な、なぁ。名前、名前を訊いてもいいかい?」

「はい? えっと私は劉岱。字は公山と言います」

「公山ちゃんか。うん、良い名前だな。うん……良い名前だ」

 

 履物を直してもらった男は、何やら様子がおかしい。それまでははっきりとしたぶっきらぼうな口調だったのに、もごもごとした要領の得ないものになってしまっている。

 

「女の子の手作りかぁ……地和ちゃん一筋の筈の俺がちょっとだけうらやましいと思っちまった」

「ああ。ちくしょう、あいつばかりいい目を見てやがるな」

「えっ!? あー、その。でも、商品はあげられないから……えっと、そうだ! 繕い物とかなら私でも出来ますから、もしあったら持ってきてもらえれば……」

『おおーっ!』

 

 言った途端に、他の男たちがわらわらと拓実に群がってきた。背の低い拓実は男たちに囲まれるとすっかり見えなくなってしまう。

 

「男やもめばっかりだからな、すげえ助かるぜ」

「この前の公演で一張羅がほつれちまってたんだけど、直してもらってもいいか?」

「着物は新調したばっかで、繕い物なんか下着ぐらいしかねーぞ!」

「流石に下着はやめとけ」

「なぁなぁ、代わりに頭巾に『れんほー命』って入れてもらってもいいか?」

「え? え? いえ、大丈夫ですよ。あ、はい、もちろん!」

 

 他の七人とも繕い物の約束をして、ようやく開放された拓実はほっと胸を撫で下ろす。七人分の繕い物となるとけっこうな手間なのだが、それでもみんなが喜んでくれているのがわかったので拓実も嬉しくなってしまう。

 面倒事を背負い込みながらもにこにことしている拓実に、霞が「奇特なやっちゃなぁ」なんて呆れの含んだ声を掛けてくるけれど、それも気にはならない。拓実は劉岱の思うまま、やりたいようにやっているからだ。

 

「おい……人和ちゃんが言ってた話、この子ならいけんじゃねえか?」

「ああ、俺もこの子なら大丈夫だと思うぜ」

「どう考えても公山ちゃんはぴったりだろ」

「へ?」

 

 そんな拓実を見て、男たちは顔を寄せあってぼそぼそと何事かを相談し始めた。男たちが拓実を指して話し込み始めたものだから、拓実は遠巻きに見られたまま訳も分からずにきょとんとした顔になる。

 しばらくして結論が出たのか、まとめ役らしい男が神妙な顔で拓実の真ん前に立った。思わず、何を言われるものかと拓実も背筋を伸ばしてしまう。

 

「なぁ嬢ちゃんたち。どうやら商売の方も芳しくないようだし、もし済南にしばらく逗まるってんなら、天和ちゃんたちの付き人をやってみねえか?」

 

 

 

 

 


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