影武者華琳様   作:柚子餅

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49.『張遼、曹操の命により陳留を発つのこと』

 

 先の戦で敵軍から離反し、拓実たちに助力してくれた張遼、彼女の部下である徐晃が手勢を率いて曹操軍の夜営地に合流する。

 『藤の花』の旗を掲げた以上は言わずとも知れるだろうと説き勧めに向かわせた詠に『董白』の存在を打ち明ける許可を与えてやれば、張遼はあっさりと曹操軍に降った。主君であった月が宦官なりに討たれていたなら弔いに一戦でもして、その後は戦場で一目見て気に入った関羽が属する劉備軍にでも加えてもらおうかと漠然と考えていたらしいのだが、月と詠が存命とあっては捨て置けないとのこと。どうやら詠から聞いていた通り、義理人情に厚い性格のようだ。

 主君となる華琳に扮した拓実も面通しを行ったが、張遼は胸にサラシを巻いてその上から着物を肩に掛け、髪は纏め上げて邪魔にならないようにしている二十歳ほどの女性であった。背の丈超える偃月刀を軽々と扱い、見るからに武客という風貌である。

 曹操軍傘下に入るにあたり、張遼は自ら陣頭に立って洛陽までの宦官軍残党の露払いをすると申し出てきた。主君は月であったが、形の上では宦官軍からの降将であるから先頭に立って自ら拓実たちに背を晒すということである。もし不審を覚えたならば遠慮なしに背後から斬れという意思表示であり、見た印象に違わず張遼は実直な武芸者であった。また、ついでとばかりに同輩であった呂布についてを訪ねてみたが、虎牢関から退却して洛陽で月と詠が連れ去られたのを知るなりその場で別れたらしく、どこに姿をくらませているかまでは見当がつかないとのことである。

 そうして一通り真面目な話が終われば、張遼は途端に砕けた様子となる。姉御とでも呼ばれていそうなきっぷのいい性格が本来の張遼であるのだろう。世間話の中で張遼の口調が関西弁であったので出身地を訊ねてみたが、同じく関西弁の真桜と同郷という訳ではないらしい。大陸での方言はどういう位置づけがされているのだろうか。表面上では普通に受け答えをしながらも、拓実はそんなことに頭を悩ませていた。

 

 そして張遼から一刻ほど遅れて、宦官軍の本隊に追われていた曹仁の部隊が合流する。撤退戦では曹仁自ら陣頭指揮に立っていたらしく、拓実が労いに向かえば衣服や鎧に土汚れや返り血を残したままであった。ほぼ不眠の中で随分と神経をすり減らしていたようで、拓実が『洛陽にいた華琳』を名乗り、落ち延びていた華琳の保護を終えていることを伝えると緊張の糸が切れたらしくその場で気を失ってしまった。彼女に付き従っていた一千に満たない兵たちも負傷兵が多く、そうでない者も過度に困憊している様子であったので、見張りなどは本隊で受け持つ旨を伝えて彼らには休息を許すこととした。

 

 

 

 宦官軍の撃退より五日を要し、曹操軍は洛陽へと到着した。拓実たちが出発してから九日が経過しており、洛陽に滞在していた諸侯も唯一備蓄に余裕を残していた劉備軍のみとなっている。洛陽の民も半数ほどは支援を受けて周辺の邑への移住を開始しているが、しかし運良く略奪から逃れられた者や、寄る辺のない子供や老人は未だ洛陽に残ったままのようだ。

 先に逃れていった華琳らは既に洛陽に到着しており、討伐に赴いていた拓実が曹孟徳として振舞っていたものだから華琳は荀攸の姿に扮して怪我の療養をしていた。領地である陳留へ向けての出発に合わせて入れ替わるとのことなので、洛陽に(とど)まる間は引き続き拓実が『曹孟徳』を演じることになった。

 

 拓実が洛陽に戻って一番に驚いたのは、行方をくらませていた呂布の姿が劉備軍の中にあったことだ。

 劉備にその仔細を尋ねてみれば、洛陽まで撤退した呂布は参謀役である陳宮の勧めにより五十ほどの手勢と共に洛陽周辺の寒村を転々としながら隠れていたとのこと。洛陽の諸侯が撤退しないことには、別の土地に落ち延びるのも困難と判断したようだ。

 しかしそうこうしているうちに食糧が尽きて、さてどうするかというところで二百を優に超える黄巾党の集団が洛陽で火事場泥棒を働こうとするのに遭遇。ちょうどいいとばかりに荷車を強襲してやって逆に食糧を奪ってやろうとしたとのことである。

 同じく周辺の警戒を怠っていなかった劉備軍もまた黄巾党を迎撃に討って出ていて、図らずも挟撃となった為にこれといった被害も出なかったのだが、黄巾党も食糧不足であったらしく荷車などどこにもない。そして一時的に共闘した折に会話の機会があり、物資に余裕のあった劉備軍に食を賄ってもらうことを対価として一党揃って配下に加わったという経緯であるらしい。

 

 駄目で元々、断られるのを覚悟で呂布に声を掛けられないものかと華琳に相談した拓実だったが、既に秋蘭を介して引き抜きを持ちかけていたようである。しかしどうにも呂布は物欲や権力欲に乏しく、給金や将としての待遇などで遇しようとも色の良い返答はなかったとのことだった。加入したばかりとはいえ劉備の配下である為に、断られた時を考えると『董白』を交渉の材料にする訳にもいかない。縁がなかったといえばそれまでだが、密かに呂布を召し抱えられないものかと考えていた拓実はどうしても渋面を作ってしまう。

 それというのも彼女が史実の呂布とは違い、野望に満ち溢れた反逆者ではないと感じていたからだ。物欲や権力欲に(なび)かず、月の肉親を人質にとった宦官に激憤して詠に助力するなど、心根は常人より余程真っ直ぐであると言える。しかして関羽に趙雲、夏侯惇・曹仁、孫策に甘寧、文醜・顔良らを同時に相手取るその武力は、演義での呂布にも劣らぬどころか優っている節がある。拓実にとって喉から手が出るほどに欲しい人材であることは間違いなく、それだけに惜しいと思うのは止められない。

 

 ――拓実の目的とは、華琳の手による大陸の統一である。それは言い換えたなら三国志の時代に生きながらして、三国時代を歴史から消し去ることに他ならない。

 いつかにも拓実は考えを巡らせていたが、統一に必要であるとしたのは敵勢力に抵抗の選択肢を与えないほどの圧倒的な国力と戦力である。それだけの力の差があれば、歴史において負ける筈であった戦にも勝ちの目が出るだろうと拓実なりに考えてのことだ。

 その為に拓実に出来るのは、この時代にない知識で国を富ませ、三国志で曹操が得られなかった有力な武将や知識人を配下に置くことであった。結果として華琳のしているような人材収集こそが、拓実の目的を成就させる手段となっているのだ。

 現状、拓実の人材収集はほとんど成せていない。多少前倒しされているとはいえ賈駆や張遼は歴史においては元より曹操配下。出来ることなら呂布や高順を配下に迎えられないかと考えていたが、どうにも彼女らとは縁がないようである。唯一の変化としては董卓であった月が華琳に降ったことであるが、暴君の汚名を被せられた董卓一族の偽名を名乗る以上、表立った活躍は難しいことだろう。どうにも前途多難であった。

 そんな事情があるだけに、劉備が袁紹から譲り受けた物資によって長期間洛陽に滞在し、困窮していた呂布と居合わせたことに思うところがあった。あまり余る物資の対価には元手のかかっていない上、兵数にして五十程度の兵糧で呂布を手に入れてしまった劉備に幸運というだけでは片付けられない何かを拓実は感じている。

 

 

 

 漢の都である洛陽に滞在している間に劉協は即位式を執り行い、正式に帝となった。最中(さなか)に洛陽の荒廃をその目にした劉協は、陳留に身を寄せるに否とは言わなかった。

 また即位式の後には、洛陽の守護と復興支援を行っていた働きにより劉備が帝となった劉協との拝謁を賜った。出自を中山靖王の末裔と聞き及んでいた劉協より王家と祖先を同じくする者として支えてくれるようにと言葉を投げかけられ、宝剣以外に劉王家の末裔たる証を持たなかった劉備はいたく感激した様子である。

 反して、同じく劉備一団の象徴でありながら劉協に一切触れられることがなかったものに北郷一刀の存在がある。最早名ばかりとはいえ、大陸の統治者として劉協はどうあろうとも『天の御遣い』の存在を認める訳にはいかない。民草の間で伝わる天の御遣いの伝承とは荒廃した世を正す為に現れるというものである。彼が公に劉協に忠誠を誓うのであれば劉王家を助く為に遣わされたとして受け入れることもできるが、劉協から動いては擦り寄っていくと見做されかねない。すなわち現状ではその存在自体が漢王朝の統治を否定するものであり、王家の正当性を失わせる存在であるのだ。本来であれば彼を象徴としていた劉備もろともを朝敵と定めて処刑を命じておかしくない。それを意図的に無視し見逃してやることで、帝奪還に尽力した劉備への忠誠に報いることとしたのであろう。

 それら即位式や劉備の拝謁に際し、諸般を取り計らったのは拓実であった。即位は漢の都洛陽に滞在している間に行うべきと進言し、正式に劉協の命を受けて段取りを図った。帝に拝謁する劉備には桂花に仕込まれた拝謁の作法を直々に教えてやった。華琳に言われるがまま行ったことであったが、これには帝の庇護者が曹孟徳であるのだと知らしめる意図があったようである。

 

 洛陽での用事を済ませた数日後、兵を充分に休ませた拓実たちは領地である(エン)州への帰還を決めた。華琳も療養に専念していた甲斐あってか無事に怪我は完治したようで、拓実は出発に際して『曹操』を華琳に引き継ぎ、代わって荀攸となって怪我の療養をすることになる。

 曹操軍の帰還を告げられていた劉備は事前に余剰となっている支援物資の配給を終えており、華琳たちの出発に合わせ同道したいと申し出ていた。帝より直接に助力を乞われたことを理由に、帝の庇護する華琳を支えることで共に漢王朝を盛り立てていきたいとのことである。

 これは言い換えてしまえば曹操に降るのではなく、あくまで劉備の主君は帝であって、同じ漢の臣として帝の意向を汲み取り天下に号令する華琳に助力するというものであった。帝への忠節を重んじているようであるが、その反面で華琳の功績の尻馬に乗る形であり、取りようによっては都合のいい物言いである。だが、此度の遠征で兵力の大半を失っていた華琳はこれを承諾。劉備一党を客将として迎え入れることになる。

 

 

 

 

「曹操さん、改めてになりますけどこれからよろしくお願いします!」

「ええ。劉備らには頼らせてもらうことになるわね」

「そんな、色々とお世話になっちゃってるのは私たちですもん。私に出来ることなら言ってくださいね!」

「そう言ってもらえると我らとしても心強いわ」

 

 陳留にある居城の大広間では、曹操陣営の主だった武官や内政官と共に劉備一党もまた歓待を受けていた。

 そこで行われている祝宴は盛り上がっているが、それはこの場に限らない。華琳が堂々の凱旋を果たしたことで、陳留城下もまた沸き立っていた。帝である劉協の奉迎式典より連日、遠征の成功を祝って領民や行商人、旅人たちにも酒や料理が振る舞われ、街を挙げて大々的な祝宴が行われているのである。

 これには帝に対し華琳の威勢を見せるに加え、周囲の諸侯に帝の所在を知らしめる意図があった。各地を行き来する旅人や商人を介し、半月を待たずして曹操が帝を保護したことは大陸中に知れ渡ることだろう。

 

「とはいえ、当面は軍備増強と足場固めが課題となるのだけれど」

 

 帝を擁立し、劉備を陣営に迎え入れた曹操軍は領地へ堂々の帰還を果たして一見は順風満帆のように思える。だが大陸の情勢から見ると、これまでにない窮地に立たされている状態であった。

 北部に袁紹、南部に袁術と、反董卓連合軍に数万の兵を動員していた二強に挟まれているのだ。対して宦官軍との戦で損耗した曹操軍は、新たに加わった張遼隊・劉備一党を頭数に入れても戦に動員できる兵は万に届かない。

 帝の保護を待たず反董卓連合軍の解散を決めたことは、今となっては総大将である袁紹にとっての負い目になっている。その彼女にとって独力で帝を奪還した華琳の存在は目障りこの上ないことだろう。仮にも諸侯の居合わせる中で総大将に行動を許可され、多大な犠牲を払って帝を奪還してみせた華琳に手出しをするなど道義的には考えられないことなのだが、常識に収まらないのが袁家の二人である。どういった判断をしたとしても彼女たちに限ってはおかしくないのだ。

 

「……そうのんびりしている訳にもいかないのよね」

 

 そして華琳が同様に懸念しているのは長安を根城にしている宦官の動向である。現在、帝を傀儡として権力を行使していた彼ら宦官は、劉協を奪還されたことにより大勢に影響を及ぼす力を失っている。宦官は軍事面に関して董卓軍に依存していた部分があった。董卓を失脚させたところでその配下を自兵力として組み込むつもりだったのだろうが反董卓連合の発足によってそれはならず、残っていた将兵も曹操軍との戦で多くを失っている。一時期は数万からなる官軍を影から操っていた宦官は今や数千ほどの兵力しか持たない。

 今この瞬間、政治・軍事において武器を失った宦官を粛清するにまたとない機会であった。むしろこの機を逃せば宦官らは態勢悪しと見て市井の中に雲隠れしかねない。けれども曹操軍は曹操軍で派兵を許す状況ではない。曹操軍の保有兵数もまた数千程度であり、領地には練兵中の新兵しかおらず精強というには程遠いのだ。そこで無理にでも遠征をしようものなら、領地の隣接している袁紹や袁術に(エン)州を奪われかねない。

 宦官が諸悪の根元であったという認識は洛陽にしばらく滞在していた劉備に公孫賛、馬超らも同様に持っている。だが劉備は一千程度の小勢でありながらさらには華琳に同行しており、公孫賛は兵を動員するには長安から遠く、馬超は領主ではない為に決定権を持たない。仮に粛清に動いたとしても初動は大きく遅れることだろう。流石の華琳であろうとも手元に駒がなくては動きようがない。

 

「んー……」

「劉備? どうかした?」

「えーっと、陳留に到着してから荀攸さんの姿を見てないので、今日は出席していないのかなーと……」

 

 ふと、劉備が食事の手を止めてきょろきょろと宴会場を見渡していたので問いかけてみればそんな答えが返ってきた。

 武官文官に問わず華琳配下の者が出席しているこの祝宴であったが、確かに軍師や文官の面々が集う卓にも荀攸の姿は見つからない。そちらを意識すれば、荀攸に懐いているらしい諸葛亮や鳳統も時折誰かを探す素振りを見せては落ち着かない様子でいるのが華琳には見て取れた。

 

「……あの子に何か用事でもあったのかしら?」

「いえ、今回の遠征でも荀攸さんに本当にお世話になっちゃいましたから、せめてご挨拶とお礼だけでもと思ったんですけど」

 

 それを聞いた華琳は拍子抜けした様子で椅子の腕置きに体重を預ける。陳留に帰還してから時折、劉備が荀攸のことを気にかけていたのには気づいていた。その存在自体が機密の塊といって差し支えない拓実を探していたとあっては、華琳としても警戒せざるを得なかったのである。

 更には、洛陽の復興する『曹操』の役割を任せている間に、拓実が公孫賛や馬超、中でも特に劉備とは友誼を結んでいたようであり、久方ぶりに華琳が『曹操』に戻った際には自分に対し気安く接する劉備に戸惑っていたことも警戒に拍車をかけていた。

 

「残念ながら、今はいないわ。怪我の完治に時間がかかりそうだったから、療養も兼ねて余所にやっているのよ」

「その、療養ってことは帰郷でもされてるんですか?」

「いいえ、行き先は故郷ではないわ。……そうね、そろそろ青州に入った頃ではないかしら」

「ええっ、青州!?」

 

 背をのけぞらせ、大げさなまでに驚いてみせる劉備に対しても曹操の微笑は崩れない。それどころか、より笑みを深くしている。

 華琳は目の前の劉備の驚きようを見て、数日前に同じように驚いた者を見る機会があったことを思い出していたのだ。反応や仕草はほぼ同じ。こうして実物を見ればなるほど見事に真似てはいたが、決定的な差異としてはその者には劉備のように背をのけぞらせて主張するものを持たなかったことか。

 

「青州って、今一番黄巾党の勢いがすごいところだって、すごい噂になってるところじゃないですか!」

 

 そうしてすごいすごいと語彙が乏しくなってしまった劉備だが無理も無い。華琳たちが陳留に帰還して、居城に残した文官らから報告を聞いたところでまず挙げられたのが南東にある寿春で起こった騒動と、この青州黄巾党の動向であった。陳留から見て目と鼻の先ともいえるところで、十万を優に超える暴徒が活動していることが知れているのだ。

 (エン)州北東に隣接している青州。彼の地にも朝廷から遣わされた刺史はいたが、蜂起した黄巾党を抑える能力を持たなかった為に追い出され、今や無法地帯と化している地域であった。この時節、勢力拡大を伺う近隣の諸侯にとって領主不在の青州は絶好の土地である。本来なら彼らに切り取られるようにして鎮圧・占領されるところであるのだが、それがされていないのは黄巾党の勢いが凄まじくて誰も彼もが手を出しかねているからだ。

 

「領内でないとはいえ、隣接している以上はこちらに徒党を組んで雪崩れ込む可能性もある。捨て置くわけにもいかないわ。そういった理由があって黄巾党がどこに目を向けて動いているのか調査に向かわせたのよ。ともかく、あの子はしばらくここへ戻らないわ」

「はぁ、そうなんですかぁ……残念だなぁ。でも、治安も良くないって聞いていますけど、荀攸さん大丈夫なんでしょうか?」

 

 劉備の懸念も尤も。件の黄巾党は野盗や山賊とはいくらか毛並みが違うとはいえ、結局は暴徒の集まりである。そんな者たちが領主を追い出し、我が物顔で堂々と闊歩しているのに治安がいい筈もない。

 まして、拓実の右手の骨折はまだ完治していない。安静にせず働かせていたのが祟ったか当初の見立てより治りが遅れているようであった。指に引っ掛けることは出来ても右手だけでは物を掴めない。そんな状態では、いざ襲われた時に自衛すら儘ならないことだろう。

 当然、華琳とてそんなことは把握している。それを押しての派遣である。今しばらくの間だけでも、荀攸を手元に置いておけない理由があるのだ。

 

「もちろん、優秀な護衛だってつけているわ。まぁ、あの子のことだから上手くやるでしょう」

 

 そうして華琳は目を伏せ、くすりと笑う。それが良いか悪いかはわからないが、また何事かを起こしてくるだろう予感があった。

 

 

 

 

 その頃、話題の人物はといえば、道端に州境を表す石碑を見つけてにこにこと笑顔を浮かべていた。小柄な体躯でちょこちょこと歩を進める度、浅葱色の外套の下に着込んでいる桃色のベストと白のブラウス、短めの紅色のスカートが見え隠れしている。

 

「ほら、ほら。(しあ)さん見てくださーい! ようやく青州に到着ですよ!」

「あー、ホンマにようやくや。陳留は(エン)州西部の端っこの方にあるから、青州へはまるきり逆方向やもんなぁ。ここまで来るのに州を横断してもうたし……」

 

 左右を耳の上で二つ結びにして、後ろは背中まで伸びた髪を揺らして元気に先を歩く拓実に対し、緩んだ様子なのは張遼――霞である。肩に飛龍偃月刀を担いだまま二人分の荷を括り付けたロバを引き、ぼんやりと視線を遠くに向けて気のない返事をする。

 これまでは多少なり荷車なりの車輪の通行を考えて整備されていた街道を進んでいたが、二人がこれから進む先は人の頭大の石が転がっていたり足が取られそうな穴が空いたりしている上、人気がなくどうも寂れているように見えてしょうがない。

 

「にしても、なぁんだってウチらばっかり二人でこないなとこを歩いてんのやろ。わからんなぁ」

「何だって楽しまないと損ですよぉ。気分を変えちゃえばちょっとした旅行みたいなものですって。青州は海に面してるし、美味しい食べ物だってあるかもしれませんし。ね? 元気出していきましょう!」

「そない言うても、ウチらがこうして歩いとる間も陳留の奴らは美味い飯にタダ酒かっ食らっとるんやろ? それにウチ、劉備たちが同行するっちゅうことやから暇見て関羽と手合わせしたろかと思っとったのになー」

「だってだって、華琳さんから頼まれたお仕事なんですからしょうがないですよう……。私がいくら言ったって聞いてくれないんですもん」

 

 そう。曹操に降った霞は、同じく降将となっていた詠と『董白』、そして劉備軍に加わっていた呂布たちを見つけたものの互いに存命であったことを喜ぶ間もなく、華琳より任務を命じられ出発を余儀なくされていたのである。その内容というのが青州に潜入する、この霞の目の前でしなしな萎れている拓実に同行し単身で護衛することであった。

 霞は武家の出であり、幼少より武芸を磨きに磨いた結果として軍人となり、そして上役に見出されて将となった。そんな生粋の武人であるからして荒事が起こるであろうその任務自体はむしろ望むところであるのだが、霞がこうして荒野をえっちらおっちらと移動している間にも同僚たちが宴会で飲み食いしているというのがどうにも気を重くさせていた。

 

「そもそもなぁ、わからんといえばこの目の前のが一番訳わからへん」

「えっと、背中のこれのことですか? 私が(むしろ)売りで、霞さんが同じ村出身の武芸者らしいです。編み方も街のおばちゃんから教わってますから、商品について訊かれたら私に任せてもらえば大丈夫ですよ!」

 

 背負った筵の束と十足ほどの手作りの草履を霞に見せ、ふん、と鼻息を荒くした拓実は両手で握りこぶしを作った。

 

「せやなくて、あんたや。あんた」

「え? ああー……華琳さんが言うには、明るくて社交性があって、面と向かえば警戒心を覚えにくくて、平凡に見えて人を惹きつける求心力もあって。あと、間違っても敵将に一騎討ちを仕掛けたりしない人間だそうですけど」

「ちゃう。ウチが言うとるのはアンタ――拓実っちゅう人間のこと。出発前と性格変わりすぎやろって話や」

 

 出発時の姿――荀攸と名乗っていた文官を思い出してみるが、やはり霞は目の前の拓実とは同じ人間として重ならずにいた。確かに事情を知った上で注意してみれば、顔つきやら体格やら、あるいは声色こそ変えているものの声質やらの大元が同一と気づくことが出来る。逆に霞が事情を知った上でも同一人物だと見做せないでいるのは、その内面や仕草、ちょっとした癖までががらりと別人のように変わってしまっているからである。

 

「うーん、そう言われても……。私についてなら、陳留に帰った日に華琳さんより説明があったと思うんですけど……」

「それはウチも聞いとったけどな、いくら何にしても限度があるやろ」

 

 陳留に帰還を果たしたその日。隊長以上の役職にある武官全員は謁見の間に集められていた。そうして華琳より直々に、此度の遠征では策の一環として体躯の近い荀攸を他の諸侯への目眩ましとして本陣に置き、また華琳本人が姿を隠す必要があった時には荀攸に扮していたと知らされていた。それはあくまでも荀攸を身代わりに立てていたというだけの話であり、影武者の運用を知らせた訳ではなかった。

 そして、歩卒たちにも宦官軍追討の際に曹操が二人存在していたことは事実として知られていた為、説明を受けた将らを通して一時的に主君の身代わりとなる人物を立てていたとだけ告知されている。

 

 本当の意味での拓実の正体を明かした相手は、華琳と影武者である拓実の両方と応対していた曹仁と曹洪。そして汜水関攻略で面識があったことから荀攸の姿を探し、洛陽滞在中に華琳が扮していた荀攸と接触しようとしていた牛金。さらに新たに加わった詠と霞の合計五名である。

 以前からの陣営に所属していた三名はともかくとして、華琳には(はかりごと)があったらしく霞へ打ち明けることは早々に決めていたようなのだが、残る詠に関しては華琳の想定にもないことであった。それというのも、帰還の道中に『曹操』に戻った華琳と詠は時間潰しも兼ねて軍略について弁を交わしていたのだが、幾ばくもしないうちに「もう一人の方のアンタに改めて真名を預けるって約束しているのだけど、どこにいるの?」などと華琳に対して訊ねていたのだ。

 確信を持って判別されている以上、隠し通す訳にもいかずということで彼女にも影武者である拓実が紹介されることになったのである。しかしながら、普段は別人として振る舞っていることまでは流石の詠にも察することが出来なかった様子で、すぐ目の前にいた荀攸の正体を明かされるやアホ面を晒して文字通りに絶句するという一幕があった。

 

「賈駆っちに聞いたら、ウチが初めて会うた時の華琳はアンタだって言うやんか。今のその格好とも、荀攸ってのとも似ても似つかんし……」

「だ、だめー! しーっ! しーっ! それは秘密なんですから、あんまり大きな声で言っちゃダメなんです!」

「あんなぁ、そう言っとるそっちが大声出してどないすんねん」

「はっ!? 誰も聞いてない、よね?」

「こないなとこ、そう人も通らんから安心しいやって」

 

 拓実はきょろきょろと周囲を見回して、見渡す限りには誰も居ないことを確認してほっと胸を撫で下ろしている。そうもあからさまに警戒しようものなら、本当に監視がいたら何かしら勘付かせてしまうだろうに。抜けているというのか、俗に天然と呼ばれるだろう振る舞いである。

 呆れ返った風に笑って指摘してやってから、遅れて霞ははっと普通に応対していた自分に気がついた。知り合って間もなく影武者の話を聞かされた為、拓実に対してどうにも信用がならない胡散臭い印象を抱いていた。霞はともかく真っ直ぐで、実直な人間を好む。そういう意味で偽りばかりの拓実は霞の好む人物像から程遠い存在に思えたのだ。

 ――その筈なのに、気がつけばこうしてその信用ならない相手と談笑しているのである。これは拓実の人柄なのか、それとも華琳が言うところの他人に警戒されにくく求心力のある『誰か』の人徳が為せるものなのだろうか、そんなことを考える。事情を知っていた霞でさえこの有り様であるなら、知らぬ者が見れば見たそのままの人物として映ることだろう。

 

「ははっ! 拓実はおもろい奴やなぁ」

「え? えっ? 何か霞さんに笑われちゃうようなことしましたっけ、私?」

「ええからええから、ほな行くで! こないなとこで道草食っとったら日が暮れてまうわ!」

「あ! 霞さん、私一人だけ置いてかないでくださいよー!」

 

 立ち止まっては頬に人差し指を当てて宙を眺める拓実。眉根を寄せてうんうん唸り、自分の言動を思い返しているようだった。霞が先を歩いて追い越してやると、小さな体でぱたぱたと鈍臭く追ってくる。その姿は同じ女の身でありながら愛嬌があって、見ていて飽きない。

 生業ともいえる武芸以外となれば酒と娯楽とを好む霞である。こうまで突き抜けたところを見せられると警戒よりも興味が勝ることとなる。それは珍妙な動物を観察するような心持ちであったが、少なくともこれから先の道中、退屈することはないであろうと沈んでいた気を取り直していた。

 

 

 

 

 

 

 

 ――劉協が帝となっての数ヶ月。反董卓連合軍の遠征が成功を皮切りとして、大陸では大きく情勢が動いていた。

 

 連合軍の遠征後、いの一番に動きを見せていたのは寿春を本拠とする袁術であった。糧食不足により洛陽から即時に撤退していった彼女は、漢王朝は既に廃れたものとして、なんと自身を皇帝であるとして名乗りを上げていた。

 血族であり次代の帝と目されていた劉弁が命を落とし、劉協も行方知れずとして扱われていたのを聞いて同じく亡くなったと早合点したか、袁術はどこで手に入れたのか王朝伝来の玉璽の所有を理由に自らを帝として『仲』の建国を宣言したのである。

 その僅か数日後には曹操が劉協を保護し、また帝に即位したことが大々的に宣伝され始めることになったのだが、だったとしても袁術が一度口にしたことはなかったことにはならない。漢王朝の国軍が瓦解してもはや力を持たず、首都洛陽が陥落してしまっている現状では帝など名ばかりの象徴でしかないとして皇帝を自称し続けている。袁術はめげずに周囲の諸侯から自らの賛同・擁立者を集めようと働きかけていたようだが、正統な後継者である劉協が存命であればそのような者が出てくる筈もない。

 それどころか彼女の客将であり先の連合軍で多大な活躍を見せていた孫策ら一党が、劉王家が健在であるのに帝を僭称している袁術は逆賊に他ならないとして、漢王朝の忠臣として蜂起。袁術は北上してくる孫策の侵攻を止められず、結果としてその領地を大きく減らすことになっている。

 

 劉弁の逝去、そして劉協が曹操によって保護されたのは数日の差はあれほぼ同時期のことである。劉弁の逝去を知れた諜報能力があれば、当然ながら劉協の存命をも掴んでいておかしくない。何者かが意図して仕向けなければ袁術の得る情報がそんなにも偏ることはないのだが、そうすることによって利を得たのはいったい誰であるのか。仕掛けを見抜いたらしい華琳は、孫策の蜂起と快進撃を聞いてただ微笑むだけであった。

 

 

 そして、同じく早々に領地に帰還していった冀州は袁紹。現大陸で最大勢力であろう彼女が次に狙うのは北に位置する公孫賛か、南に隣接する曹操か、あるいは空き地となっている東の青州か。華琳をしても短絡過ぎて予測しきれない相手である為に、その動向を掴むまでは祝宴の場にありながらも気を揉んでいた様子を見せていた。

 果たして彼女の目は、まさかの宦官らが立て篭もる長安に向いていた。連合軍から逸早く領地に戻っていた袁紹は、数万の兵を率いて華琳や劉備と入れ違いになるように洛陽・長安へ取って返していた。そうして間もなく行われた長安での一戦は正に多勢に無勢。宦官軍の数千の兵は瞬く間に壊滅し、宦官は一人残らず捕らえられ、そしてその全員が斬刑に処されたとのことである。

 後に帝に向け華琳の元に届いた書によると、逆賊の董卓に与していた宦官はそれと同罪であり、董卓に比する反逆者であるからの誅伐であった旨が記されており、それらを除くと己がどれほど強く強大で美しいのかが延々と書き連ねてある。反董卓連合軍総大将としての責任を果たし、曹操にこそ出し抜かれたものの帝の確然たる敵を討ってその面目を立てたのだから、帝の庇護者としてふさわしいのは家格・名実ともに自分であると名乗り出る為の理由作りであったようだ。

 言ってしまえば宦官に証拠もない罪を被せて討ち果たし、自らを飾り立てた形であったが、奇しくも董卓を隠れ蓑として漢王朝を腐敗させていた本当の黒幕を打倒していたことになる。罪の所在がどうあれ冤罪を被せる気でいた為に、有無を言わさず宦官を皆殺しにしてしまった彼女は今後も自身の成した功績に気づくことはないだろう。

 

 

 華琳を出し抜き帝に取り入ろうとする袁紹と、のらりくらりとかわして時間を稼いで体勢を立て直したい華琳は水面下で牽制し合うこととなり、袁紹に比する大勢力を誇った袁術は建国宣言を境に配下であった孫策によって取って代わられようとしている。青州を含む一部地方では黄巾党の勢力が未だ猛威を振るっており、また諸侯が治める地においても領地拡大を狙っての戦が頻発している。

 後の歴史に刻まれたように、世の中をこれ以上ないほどに混乱させたと思われた黄巾の乱はその後の戦乱の始まりに過ぎなかった。大陸は今、群雄が割拠する乱世と呼ばれるにふさわしい乱れた様相を呈している。

 

 

 


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