影武者華琳様   作:柚子餅

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40.『連合軍、洛陽を制圧するのこと』

 

 堅牢と名高い虎牢関を圧倒的に有利な条件で防衛していたというのに突如本拠である洛陽へ撤退していった董卓軍。連合軍はそれを追う形で、進路に立ち塞がる関所を一つまた一つと攻略していく。

 汜水関と虎牢関の難関二つを制覇した連合の士気は高く、残る関所自体が然程の物ではなかったこともあってその様は正に鎧袖一触。加えて、本来ならば逃げるばかりの董卓軍とは違い、連合軍は関所を攻略し突破をする度に負傷した兵の編成などで一時的にとはいえ足を止めざるをえない。止めざるをえない、その筈であったのだが連合軍はどんどんと董卓軍に肉薄していた。

 

 ここで恐るべきは華琳でも孫策でも、また連合でも一目を置かれ始めている劉備でもない。反董卓連合軍・総大将の袁紹である。

 関所を確保した諸侯の軍が負傷兵による再編成をしている間に、袁紹軍だけはもう次を目指して進軍を始めている。袁紹の指揮下にある兵たちは主君の言う『雄雄しく、勇ましく、華麗に前進』を遂行すべくただただ忠実に突き進むのである。

 反董卓連合軍の中でも平均以上の錬度を持つ袁紹軍ではあるが、鍛えに鍛えた曹操軍や諜報活動や工作に強い孫策軍のような特筆する強みはない。ただ他にない何かというなら、無茶な主君の命令にも唯々諾々と従う忠誠心がある。

 迷いがないだけにその行動も無駄が無い。歩兵の行軍速度で勝る曹操軍や騎兵運用に長けている馬超軍・公孫賛軍の兵士たちであっても袁紹軍に続くのが精々であり、他の諸侯などは置いていかれないようにするのに苦労している様子である。

 口にすれば突撃一辺倒である袁紹の命令は、凡策にも劣る。しかしこの一心不乱に成し遂げようとする袁紹軍の勢いを目にしては、ただ一言で愚策であると切って捨てることはできない。いつか華琳が言っていたように、袁紹は華琳や劉備が持つものとはまた違った稀なカリスマ性を持っているようであった。

 

 

 そうして袁紹軍による突撃戦法が行われている十日足らずの間、それに続く曹操軍は戦働きする余地も無い。

 お陰で、怪我を負っていた拓実も荷車の上ではあったが療養できた。捻挫していた左足と右肘は動かしても痛みを感じないところまで回復している。歩く走る、馬に乗るぐらいならもう問題がない。

 流石に右手甲の骨に入ったヒビは完治に程遠いために布と木の棒とで固定されていて、右手が使えずに日常生活に支障こそきたしてはいるが、袖の長い衣服を着ていれば怪我している様には見えないだろう。

 

 洛陽の街を望める位置に進軍するまでに、連合軍は幾度か前方で退却する董卓軍に追いつくことが出来た。そしてその回数だけ、董卓軍の殿(しんがり)部隊を撃破している。

 将にも欠いていた董卓軍は敗戦の度に統制を失っていき、洛陽へ辿り着いた時には兵たちの大半が離散し方々へと逃げ延びている。汜水関と虎牢関に兵数を割いていた洛陽の防備もだいぶ薄い状態である。

 

 調子と勢いに乗っていた先頭の袁紹は、そのまま自軍に洛陽への突撃命令を発する。それに慌てたのが後ろに続いていた諸侯である。それぞれ思惑あれど董卓を討ち取ったものは一目置かれることだろう。暴政を敷いていた董卓を倒したとなれば帝の覚えも良い筈である。

 真っ向から洛陽の東の防壁へ取り付いた袁紹軍を確認するなりに、遅れてはならじと袁術軍と馬超軍が南へと回る。そのうち突出して動いているのは客将の孫策隊だろう。同じように、拓実たち曹操軍と続く公孫賛軍は北の防壁を攻略するべく立ち回り動き始める。

 連合軍の進行方向から見て反対側となり、取り付くまで最も時間が掛かるであろう西の防壁へは劉備軍が回っているようである。連合が東方面から進軍してくる関係上、西を守る兵は最も少ない。同じく他の諸侯に比べて兵数が少なく、小回りの利く劉備軍に担当してもらうのが適材適所といえるだろう。

 

「あまりに抵抗が弱すぎる……恐らく、もう董卓は洛陽から逃げた後ね」

「もしや漢の都である、帝の住まう洛陽の地を捨てたということでしょうか?」

「そんな、まさか!」

 

 雲霞(うんか)に集られるがごとく、洛陽はあらゆる方角から攻められるがままとなっている。陥落もそう遠い話ではないだろうと確信できるぐらいには戦況は連合に優勢となっていた。

 曹操軍もまた果敢に攻め立てる中で、華琳がぼそりと呟いたのを聞き届けた秋蘭が思わずといった風に問い返した。そのあまりの内容に、桂花もまた目を見張っている。

 

「少なくとも、虎牢関で守将をしていた呂布や張遼はいないものとみていいでしょう。そうでもなければ、まず何の策もなく攻めかかった麗羽が手痛い反撃を受けていた筈だもの。そして董卓軍の両雄と謳われる二将がいないこの地に、その主君である董卓が残っているとは考えにくい。それだけよ」

「確かに。いくら姉者が勇猛とはいえ、呂布や張遼の指揮下の兵を相手にあのように千切っては投げるのは難しいでしょう」

 

 拓実が遥か前方を見やってみれば、久方ぶりの戦働きに意気揚々の春蘭が敵兵を大剣・七星餓狼で当たり構わず斬り飛ばしているのが見て取れた。『気』を使っているのだろう、兵士の体と同じく淡い光もまた撒き散っている。まったくもってご機嫌である。

 数人単位で守兵を吹き飛ばしておいて嬉しそうに笑っているのだから、董卓兵からすれば化け物にしか見えないだろう。敵には回したくない存在であるが、その上にそんな春蘭を手玉に取ることができる呂布がいるというのだから恐ろしい。怪我の療養中の為に卞氏の姿である拓実も、目を覆う黒髪の隙間から人が吹き飛ぶ非現実的な光景をぼんやり見る他にない。

 

「さて。董卓が逃げたとなると、帝も一緒に連れられていると見るべきか」

 

 攻めかかっている洛陽方面から上がった――恐らくは南側の防壁を破り、開門させた袁術軍だろう歓声を聞いて、華琳は面倒なことになったといわんばかりのため息を吐いた。

 

 

 

 

「おーっほっほっほ! 悪賊董卓も大したことがありませんわ。まったく、拍子抜けもいいところ。ただ、今回ばかりはあんまり董卓さんを責めるのも可哀想ですわね。あんまりにわたくしの兵たちが強すぎたのでしょう! おぉーっほっほっほ!」

 

 諸侯の集まる軍議の場、簡易天幕に袁紹の高笑いが響き渡った。口元に手を当て、ふんぞり返った袁紹の姿は最早見慣れたものである。そうしていつもであれば誰も興味を覚えない自慢話を気の済むまで捲くし立てるのだが、今回はすぐに静止の声がかかった。

 

「こぉれ、姫様。勝利したその時こそ油断してはならんと、いつもワシが口を酸っぱくして言っておるだろうに。全てを終える前に勝ち誇るのは愚者のすることぞ」

「何ですのまったく! 折角わたくしの偉大さを皆さんに教えて差し上げようというのに、元皓ばあやはいつもわたくしに口煩いですわね! 誰も呼んでませんのに、勝手に軍議にもついてきますし」

「虎牢関攻略部隊の報告をした軍師たちへの物言いを聞いておいて、姫様に言われるまま引っ込んでおれるか! ワシの目が黒いうちにその悪癖は何としても直していただきますからな」

「そ、その件についてなら、散々ばあやがわたくしにお説教したじゃありませんの……」

 

 袁紹がふてくされた様子で口を尖らせる。誰が相手でも傍若無人の振る舞いをすると思われた袁紹であったが、どうやら苦手とする人物もいるらしい。

 今回は諸侯らが集まった軍議の場にはそれまでいなかった童女のような姿――袁紹が苦手としているだろう田豊が出席していた。

 

「はいはい。麗羽を矯正するだなんて夢物語はどうでもいいわ。今はそれより、西方へ逃げ延びた董卓に連れられただろう劉弁様と劉協様の行方について、そしてこの荒廃した洛陽をどうするべきかを決めねばならないでしょう?」

 

 一言目から脱線していた話題を華琳が呆れた様子も隠さずに引き戻した。突如始まった内輪揉めにどうしていいものか固まっていた諸侯らがほっと息を吐く。

 袁紹は華琳に馬鹿にされたことで不愉快そうに顔を歪めているが、田豊が目を光らせているので口をつぐんでいる。やはり、幼少からつきあいのあった華琳には袁紹の言動はある程度慣れっこのようである。

 

「……」

 

 しかし議題を提示したところで、話が進んでいくとは限らない。元より目的は同じなれど、それぞれ思惑を持ってこの連合軍に参加している身である。口火を切ってそれが弱みとなることもあれば、互いをけん制し合う空間が出来あがってしまう。

 

「むー、むむむ。そうじゃのう……。うむ! のう七乃、わらわは喉がかわいたぞ。洛陽には蜂蜜水はなかったのかえ?」

「んー、ごめんなさい美羽さま。残念ですけど、洛陽の城下がぼろぼろなんですよねー。たぶん蜂蜜なんかはみーんな董卓さんが持って逃げちゃったんじゃないでしょうか? 首都なら食料も豊富にあると思ってここで根こそぎ徴収するつもりだったんですけど、こんなからっからじゃ搾り取る労力の方が大きくなりそうですしー」

 

 そんな中でまったく議題に関係の無いことを言い出した袁術の言葉を受け、張勲がうーん、とあまり困っていなさそうに答える。

 確かに遠征に結構な日数を費やしているからどの軍団もそこそこに糧食を消費しているだろう。しかし仮にも帝のお膝元である洛陽城下で片っ端から略奪するつもりだったと悪びれもせずに公言する張勲に眉を顰める者も少なくない。

 

「なんじゃと! 董卓め! わらわの蜂蜜を持っていったとは許せん。七乃、今すぐ董卓から蜂蜜を取り返してくるのじゃ!」

「取り返してくるも何も、美羽さまの蜂蜜じゃないんですけどねー。あ、蜂蜜ならまだ荷車にあるので、兵士たちの食糧が底をついてもお嬢さまの蜂蜜水だけはしばらくは大丈夫ですよー」

「何じゃ。あるならあると言えばよかろ。七乃、蜂蜜水を持て」

「はーい。それじゃ美羽さまに今日の分の蜂蜜水をお持ちする用事があるので、私はちょーっと席を外しますねー」

「七乃、七乃。蜂蜜を多目にするのじゃぞ。よいか、指三本の蜂蜜多目じゃからな」

 

 そんな阿呆な会話をしている袁術と張勲を見るでもなく、というよりその一団から全員が意図的に意識を逸らしている中、拓実だけは俯いてこっそりと様子を窺っていた。

 拓実が見ていたのは、袁術と張勲ではない。目を覆い隠す黒い前髪の隙間から、彼女たちの後ろに立つ黙したままの孫策と周瑜をじっと見つめている。

 

 というのも、孫策の態度にどうにも引っかかるものがあったのだ。孫策と拓実は、劉備軍にいた時に荀攸として顔を合わせている。その時に知れたのだが、はっきり言ってしまえば孫策は主君の袁術を良く思っていないのである。

 だからか軍議などで袁術と張勲が場違いなことを言い出すと、つまらなさそうに目線を逸らして自分の髪の毛を弄り始める『苛立ち』か、或いはうっすら笑顔を浮かべるという『怒り』の発露があった。それが、今は見られない。必死に気を落ち着かせている様子で、いつもの飄々とした余裕が見えない。

 

 何かある。何かがあるのだろうが、流石にそこまではわからない。この鼻先までかかっている前髪のお陰で、あちらからはもちろん、周囲の誰からも拓実の目線は読み取られない。だから拓実はじっと二人の観察に努めていた。

 そうして拓実が袁術軍の二人を観察していることを、前に座る華琳はいかなる理由からか感じ取っている。華琳が身動ぎして椅子に座り直したことで、拓実もまたそれを察した。

 

「……そうね。それでは私が言い出したことだし、私見を述べさせてもらおうかしら」

 

 袁紹からあからさまな敵意を向けられながらも華琳はすっくと立ち上がり、居合わせている者たちを見回した。

 

「連合軍はすぐさまに、西へと進軍するべきよ。西には西都――長安がある。帝を連れての逃亡となればそれはもう遷都と呼べるでしょう。次に都となりうる先はそこしかないわ。今なら、董卓軍は劇的に数を減らしている。撤退中の董卓に追いつければ、随行しているのは少なくて五千、多くても八千から一万程度。大陸を腐らせる(うみ)は絶てる時に元から絶っておかなければ、また同じようなことが起きるでしょう」

「あ、えっと、曹操さん?」

 

 言ってまた華琳は諸侯を見回すも、一様に戸惑った様子である。少なくとも肯定的な反応ではない。そんな中、華琳に向けておずおずと挙手をしたのは劉備であった。

 

「あの、進軍を続けるとして、洛陽の人たちはどうするんですか? 董卓さんによるものかわかりませんけど、財産から食糧に至るまで根こそぎ持っていかれちゃってるこの洛陽の人たちへの援助は必要ですよね?」

「……確かに捨て置けないけれど、我らに出来るのは過剰分の備蓄を置いていく事ぐらいになるわ。といっても、いくら予定より大幅に時間を短縮したとはいえ、都合一ヶ月ほどの遠征の最中にある連合の余裕なんて知れているから洛陽の民全てに満足に行き渡るとは思えないけれど」

「そ、そんな……」

 

 華琳の言葉に、劉備は信じられないといった様子である。彼女も、洛陽の荒廃を目にしたのだろう。

 確かに、拓実が見てきたところ洛陽城下の町は酷い有様であった。市場に食べ物はなく、裏通りには餓死や疫病による死体が乱雑に積み重ねられている。都であるのに洒落た衣服を着ている民の姿はなく、ぼろ切れ同然の着物を纏った者ばかりだ。栄えている陳留は元より、進軍途中にあった寂れた農村のほうが日に一食分とはいえ食料があるだけ豊かに見える。それほどの惨状である。

 

「まぁ、そんなことはどうでもいいですけれど。洛陽で威張り散らしていた董卓さんを痛い目に合わせることが出来たので、わたくしとしてはもう大満足ですわ。これでまたわたくしを差し置いて威張り散らすようならその時にやっつけてやればいいでしょう? 袁家の威光も示したことですし、そろそろ領地に帰ってゆっくりお風呂に浸かりたいですわね」

 

 洛陽の惨状など意を介していない様子の袁紹が、髪もべたべたしてることですし、と続けて自身の金髪ロールを指で摘む。

 行軍中は近場に河でもなければ布を冷たい水で濡らして体を拭くぐらいが精々である。いくら髪を念入りに拭いたとしても、脂が浮いてくるのは避けられないのだろう。ただ、この町の惨状を見た上で自身の容姿を気にする辺りは、最早、流石は袁紹と言う他にない。

 

「……そうねぇ。袁術ちゃんも蜂蜜があれば満足なようだし、一旦領地に帰るのもいいんじゃないかしら? これまでの損害も馬鹿にならないし、兵たちの疲労も無視できない。長安までの行軍となると洛陽までを想定していたから物資も心もとないものね。洛陽で多少なりでも物資の補充ができればまた話は別だったとは思うけれど」

「あの、私も……袁紹さんに賛成です。ここで一度引き返すなら、洛陽の人たちに配ることの出来る食糧も増えますよね?」

 

 袁紹に続き、袁術軍の孫策、元より華琳の意見に難色を示していた劉備が賛同の声を上げる。それまで黙りこくっていた孫策が、袁術を持ち出してまで袁紹の意見に乗っかったのがやはり拓実の目には不自然に映って仕方がない。

 

「そうだなぁ。それに、洛陽で暴政を敷いていたことに対して決起した私たちが洛陽の民を見捨てると名前に傷がつくんじゃないか? 名前を売りたい奴にとっても無理に長安まで行軍するより、領主が自ら率先して炊き出しでもした方が民心を掴めてよっぽどいいと思う。あ、私はそんないい格好がしたいからとか名前を売りたいからとかじゃなくて、董卓が酷いことしてるからって参加したんだからな!」

「ま、今董卓軍は多くても一万ってことだから、長安で徴兵したところで精々二万ってところだろ? あたしら西涼軍としてもここで無理することはないと思う。董卓だってここまでやられりゃ、次に兵を揃えるにも時間が必要だろうしな。董卓の本拠が長安に移るってんなら、あたしたち西涼からの進軍も楽になるしさ」

 

 公孫賛と馬超も撤退のようである。他の者も概ね同意見のようだ。華琳に賛同して進軍の意を示す者は一向に現れない。それを見て取った華琳はすっくと立ち上がる。

 

「認識が甘いようだからもう一度発言させてもらうわ。今、連合軍が何をすべきなのかをよく考えるべきよ。一時的に得られる名声にどれほどの価値があるというのかしら? そもそも、私は何も食糧の一切を置いていかないと言っている訳でもない。考えて御覧なさい。例え、二日三日の食事を私たちが賄ったとして、焼き払われ荒廃した洛陽を復興するには全然日数が足りはしないわ。今ここの住民に必要なのは、別の地へと旅立つための一時的な食糧と自立の心でしょう。自軍の糧食を心配している者たちもよ。暴政が敷かれていた洛陽と違い、西都と称された長安にならば食糧も物資もある。あなたたちは重たい金をわざわざ荷駄に積んできている理由を考えなさい」

 

 華琳の叱責に似た声にも、応の言葉はない。なにせ、そもそもからして諸侯らと華琳との反董卓連合に参加した最終目的が違うのだ。

 袁紹は董卓が気に食わないから蹴散らす。劉備は困窮した民を助ける。他の領主は己の名を売る。華琳も確かに名を売るという側面があるが、その根本は大陸を腐らせている『悪』を倒す為だ。

 華琳の目的は帝を利用して私欲を肥やす古き風習を打倒することである。対してほとんどの者は、董卓軍との勝利で名を上げ、そしてこの洛陽の地の制圧をすることで目的のほとんどを達成している。それでは華琳に賛同する者がいる筈も無い。

 

「まぁ、華琳さんが何か言ってますけど、いいですわ。このわたくし袁本初が総大将として、董卓さんを追い払ったので反董卓連合軍の目的達成を宣言いたします。そんなわけですから華琳さん。そんなに董卓さんを倒したいのであればここからは自由になさってくださって結構ですわよ。お一人で戦うのも、この場で希望者を募るのもお好きにどうぞ。もっとも、賛同されるような方がいるのかは存じませんけれど。ああ、一応言っておきますけど、わたくしはすぐに領地へ帰りますので華琳さんにお付き合いできませんわ。残念ですわね。おーっほっほっほっほ!」

 

 自身の案の賛同者が多くいて嬉しいのか、それとも華琳の意見が通らないことが嬉しいのか。高笑いを残して、袁紹は軍議を行っていた簡易天幕からさっさと出て行った。

 それに続いて、首を鳴らしながら馬超が。蜂蜜水を持ってきた張勲と一緒に袁術、そして公孫賛が。他の者たちも続々と退出していく。最後に、劉備が申し訳なさそうに華琳に頭を下げて天幕から出て行った。

 

 

 そうして諸侯が退出していった天幕の中には卓と、椅子ばかりが並ぶ。がらんとした天幕に残っているのは、華琳たち一団だけである。

 

「華琳様、ご命令を。我らは華琳様の言葉に従います」

「華琳さまの為されるように。仰るように。董卓を討つ絶好の機会、この春蘭に命じていただければ必ずや!」

「華琳様が私に一言ご命令なさってくだされば、物資への心配はご不要です。我が策と智謀で以って、遠く西涼や蛮族が住む南の地までだろうとも捻出して見せましょう!」

 

 他に誰もいなくなったのを見計らって、華琳の座る席の後ろに立っていた秋蘭、春蘭、桂花が揃って跪いた。そうして誰もが華琳の意を汲むべく、声を張り上げる。

 袁紹の宣言から声も上げずにいた華琳はひとつ頷くと、席から立ち上がってゆっくりとこの場にいる面々を見渡す。

 

「では、秋蘭。あなたはすぐに劉備軍へと使いを出し、援兵の三千の兵をただちに返すようにと伝令を。連合が解散した今、いつまでも劉備に預けておく理由はないわ」

「は、御意に」

「桂花は出兵する五千の兵の糧食を用意して頂戴。ただし用意は洛陽から長安までの往復分だけで構わないわ。不足分は長安で調達するから、代わりに金を多く積んでおくように。それに、確かに他の諸侯らの言うように民を捨てて今回得られた折角の功績に(きず)を残す必要もないわね。残る五千の兵たちには炊き出しの指示を。陳留までの糧食だけを残して、物資は全て洛陽の民への配給に回しましょう」

「はっ! 拝命致しました。それでは失礼します」

 

 命を下された秋蘭と桂花が足早に簡易天幕から退出する。跪いた三人のうち、唯一この場に残された春蘭が跪きながらも身を乗り出した。

 

「華琳さま! では、私がその出兵する五千を率いて、長安に逃げ延びようとする董卓の首を挙げてくればよろしいのですね!」

「春蘭、少しばかり落ち着きなさい。下手人は董卓か、もしくは別の誰かかはわからないけれど、帝を救出する時こそが私の顔を売る絶好の機会となるでしょう。そうなると私自らが出る必要があるわ。……春蘭。あなたと秋蘭は二人揃って曹孟徳の一の臣下。そうよね?」

「は、はっ! 私は華琳さまの前に立ち塞がる敵を切り裂く剣です! 秋蘭は、華琳さまの障害となる者を射抜く弓矢にございます!」

「ならば、あなたたち姉妹はこの曹孟徳の傍にあるべき、か」

「はいっ! では、華琳様と共に私と秋蘭が出陣するということでございますね! 私と秋蘭が、必ずや董卓の御首を挙げてご覧にいれましょう!」

「……」

 

 喜び勇んだ春蘭が声を上げるが、華琳はそんな春蘭を一瞥すると視線を横へとずらす。

 間もなくして、療養を言い渡されているところ軍議に同席するだけで良いからと言われてぼんやり立っていた、すっかり蚊帳の外の拓実と目が合った。

 

「拓実」

「はい? なんですか?」

 

 拓実はこの緊迫した場において、どこか緊張感に欠けた気の抜けた言葉を返す。さては、怪我も治ってきたことだし荀攸として洛陽の民に炊き出しするようにとでも言い渡されるのだろうか。

 華琳はそんな気負いもしていない拓実に向けて、にいっと笑みを浮かべる。

 

「待たせたわね。あなたの初仕事が決まったわ」

「え? あたしの初仕事、ですか?」

 

 思わず自分を指差して聞き返してしまった拓実だったが、それも仕方ないと言える。初仕事――そんな筈がないからだ。

 許定として。あるいは荀攸として。既にこれまで幾度となく拓実は街の警備から政務、軍務にと、色々な仕事を華琳より言い付かっている。当初こそ何一つ満足にこなせる仕事のなかった拓実は、今や様々な分野の雑事に借り出されているのだ。

 秋蘭のように文武両面において主要のポストを担うにはまだまだ実力不足だが、桂花にあちらこちらの部署に連れ回された結果、どこの部署であろうとも並みの文官以上の仕事が出来るという不可思議な存在になりつつある。

 

「いい? 出兵する五千の指揮は私が取るわ。先にも言ったように、帝に顔を売る機会となれば領主である私が出ない訳にもいかないでしょう。そして、私と共に出陣するのは曹仁と曹洪よ」

「ほう。水夏と李冬の奴も共に出陣するとなれば、もはや董卓の首など獲ったも同然……? ……あの、華琳さま。その、私と秋蘭の名を忘れてはおりませんか?」

「忘れていないわよ。あなたたち――春蘭と秋蘭は洛陽に残ってもらうわ」

「へ? それは、ええと、どのような……?」

 

 目を白黒させた春蘭は、何故自分と秋蘭の名前が呼ばれなかったのかと不思議でならない様子である。勿論、拓実も同じだ。それなら、春蘭との先の問答はなんの意味があったのか。さっぱりわからない。

 

「桂花に通達させたように、洛陽に残る五千の兵には民への炊き出しをさせるわ。ただし、劉備や公孫賛らといった他の領主たちが率先して配給する中、長安への出兵の為に援助物資が少量となる我が軍が民への対応まで配下に任せ、領主は顔も見せないのでは面目すら立ちはしない。また、洛陽に残る有力諸侯らと顔を合わせ、共同で配給を行って友誼を結んでおく必要もある。曹孟徳を周囲との足並みを揃えぬ異端と認識されてしまえば最後、大小あれ曹孟徳への印象は『悪』となるでしょう。そうなったら貴重な糧食を配給する意味がなくなるどころか、連合に参加した領主らに義に欠き我欲を取ると吹聴され、逆に評判を落とすことにもなりかねない」

 

 あちらを立てればこちらが立たず。華琳が言っているのは、話の上ではどうあっても両立を許さない『ジレンマ』である。

 だが、果たしてそうなのか。そこまで考えて、拓実はようやく華琳が言わんとしていることに思い当たった。

 

「そっか。華琳、そういうことね。つまりは長安に曹孟徳を送り、洛陽にも曹孟徳を置くということ」

「そういうことよ。諸侯の中には曹操配下の猛将である夏侯元譲の名を知る者が多くいる。夏侯妙才の名も同じように知られていることでしょう」

「領主が配給に残り、さらに懐刀である忠臣二人を出陣させずに傍に侍らしてとなれば、長安に派兵した兵数が多くとも大規模な威力偵察と誤認してくれる。長安へと向かう曹孟徳は、これ以上なく動き易くなる」

 

 言葉を引き継いで拓実が思考の行く先へと辿ってみせると、華琳はご明察とでもいうように満足げに頷いた。

 

 帝を救い出すに当たって、帝には華琳の顔を覚えてもらう必要がある。民に援助するに当たって、諸侯らと並んで華琳の姿を晒す必要がある。

 洛陽の食料分配を選べば、華琳は反董卓連合に参加した意義を失う。かといって長安に向かえば、残る諸侯は一人違う思惑で動く華琳を疎ましく思うことだろう。

 華琳一人では両方をこなすことなど出来ない。本来であればどちらかを諦めなければ成り立たない状態である。しかし、華琳に限って言えばそうではない。

 

「さぁ、『華琳』。もう一人の私。ついに、といったところかしら。あなたに、本当の意味で私の真名を預ける時がきたわ」

「ふふっ。ついに、ではなくようやくよ。ねぇ、華琳。これは忠告になるのだけれど、出来る限り早く戻ってきた方がいいわ。私に、あなたを取って代わられていたくないのならね」

「構わないわ。その時は、また奪い返すだけでしょう?」

 

 笑みを浮かべて挑発的に声を掛けた華琳に対して、拓実も姿は違えどまったく同じ笑みと挑戦的な声色を返す。そうして、二人は不敵に笑みを向け合った。

 

 なるほど、確かに。

 華琳の言ったとおり、これは紛れもない拓実の影武者としての初仕事であった。

 

 

 


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