影武者華琳様   作:柚子餅

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37.『群雄、呂布に苦戦するのこと』

 

 

 汜水関を含む大小合わせて数十もの関や砦を、進軍速度を落とすことなく突破してきた反董卓連合軍。

 勢いをそのままに虎牢関を攻略にかかる彼らは、ここにきて董卓軍から良い様に反撃を受けていた。虎牢関は攻めるに難く守るに易い難関として知られているが、それにしてもあまりに異様な光景が広がっている。

 洛陽を目指して谷を埋めつくす反董卓連合軍が堅牢な虎牢関を攻め落とせないのではない。関より打って出てきた少数の董卓軍相手に、万を超えている連合軍が中央から切り裂かれ、蹂躙されているのである。

 

「こんな、ありえない、ば、化け物だ・・・…!」

「りょ、呂布だー! 五じゃ駄目だ! 倍だ、十人で当たれ!」

「ひっ、ひ、ぎゃああああっ!」

 

 前方の兵から伝染していくように、怯え竦む気配が広がっていく。悲鳴と血煙が、勢いを落とすことなく反董卓連合軍の本陣へと迫りきている。

 長柄の戟を右手に馬を駆り、連合軍の精兵たちに恐慌をもたらしているのはたった一人の赤髪の少女。董卓抱えの将である彼女こそが黄巾党三万を蹴散らし、今この大陸でただ一人公然と万夫不当を名乗ることが許されている呂奉先である。

 

 虎牢関正面より攻めかかる曹操軍・劉備軍・袁術軍・袁紹軍より選び抜かれた八千の精鋭たち。それらを率いるのは同じく各勢力の看板将軍である。

 錬度であれば有力勢力から選抜された連合の兵らに勝てるものなどそうはいない。事実として呂布の率いている一万と攻略部隊の一万の同数が同条件で当たったならば、まず連合軍が勝つ結果となることだろう。

 その上、地形から戦闘に参加できる人員が限られているとはいえ数の上でも連合軍が勝っている。常道を語れば、まず負けるはずのない戦。

 

 しかしそれを覆してしまうのが呂布の武であった。呂布は猛獣のように素早く、荒々しく、そして恐ろしく力強い。

 一騎突出しては立ち塞がる十の兵を戟の一振りで屠り、空いた空間に飛び込んではまた一振り。ただただその繰り返しだが、単純なだけの一連の呂布の攻撃を連合軍は止められない。

 青銅の剣、鉄の槍、木の矢、馬、人の胴体に、首。立ち塞がるものがなんだろうが、呂布は全てを紙切れ同然に、平等に薙ぎ払って断ち切ってしまう。

 今も呂布一騎を討ち取らんと絶え間なく兵をぶつけているが、突いて殺しては二人を貫き、叩いては鉄の兜ごと頭蓋を砕き、貫かれた敵兵ごと振り回して他へとぶち当てながら連合軍を喰い散らかす。鎧を装着している筈の兵士たちが体ごとすさまじい勢いで四方八方へと吹き飛んでいく。

 交戦してしばらく経つも、呂布の動きは一向に衰えない。兵が十で囲もうとも、二十で囲もうとも呂布の動きを止められない。血はしぶきとなって周囲を覆い、彼女の象徴となる真紅の呂旗は一層赤を深くしていく。

 呂布の威勢に続く董卓軍の兵らも勢いづき、呂布一人にさえ手も足も出ない連合軍の兵は戦う体勢も維持できずに戦意を挫かれていた。

 

「兵らよ、退け! これ以上いたずらに命を散らすことはない! 呂布に構うな! 後は我々に任せろ!」

 

 そこに凛とした声が響くや、連合の恐慌が収まりを見せた。女性の声に従い、ざあっと連合軍の兵士たちが退いていく。

 同じくして、向かうところ敵なしの呂布がぴたりと動きを止めた。表情に乏しい呂布はその顔つきこそ変わらないが、明らかに警戒の色が強まっている。

 呂布の戦意から逃れるように兵が距離を取り、戦場に呂布を中心とした大きな空白が出来上がる。足元には積み重なるように倒れている兵たちの躯に、血溜まり。折れた槍が地面に転がり、血に染まった軍旗には矢が突き立っていて、そこに生きるものは呂布のみとなった。

 

「ほお、流石は飛将軍と謳われる呂布だ。相対するだけで肌が粟立つとは。しかし仮にも大陸最強と噂に上るからには、そうでなくては倒し甲斐がない」

「一人に対して数で囲むなどしたくはなかったが、この惨状を見せられてはそうも言ってられんな。星の言うように、この相手は手強い」

 

 獰猛な戦意に張り詰められ、気の弱い者ならばその圧迫感だけで卒倒しそうなそこに、己が得物を携えた二人の少女が立ち入ってくる。兵たちによって区切られている円の外と内との空気の違いを感じて一拍足を止めかけるも、堂々と呂布の向かいへと歩み来る。

 呂布の方天画戟の刃が届く範囲は、全て死地となる。幾度かの戦場(いくさば)を越えてきた兵たちでさえ立つだけで身が竦み、凍りつくそこに、劉備軍の関羽、趙雲が立ち塞がった。

 

「……ちょっとだけ強い……、けど、二人じゃ恋には勝てない」

 

 一角の武芸者である関羽、趙雲に対して侮辱となるだろう呂布の発言。彼女は、それを本心から言っている。対して、本来であれば激昂するべき機に二人は構えたまま動かない。

 

「悪いが呂布よ、我らは元より二人で相手するつもりはない。それを卑怯と罵るならば甘んじて受けよう」

「……っ?」

 

 その関羽の言葉に首を傾げた呂布は、次の瞬間には戟を構えて、視線を周囲に巡らせていた。

 関羽と趙雲を正面に置いて、左右より更に数人が近づいてきていた。個々に強弱こそあれど、呂布をして警戒せしめるほどにはいずれも手強い気配を持っている。

 

「へえ。このぼんやりした子があの呂布? 私たちが集まるまでの僅かな時間に五百以上の兵がやられてるだなんて。私も腕に覚えがあるつもりだけれど、ここまで出来るかしらねー」

「よくもまあ、この光景を目にしてそんなことを言えるもんだよね。一応たんぽぽたちが補佐するってことになってるけどさぁ、一人で勝手に突っ込まないでよ?」

「あんなに軍師連中に口うるさく言われたんだから、わかってるわよ。それより馬岱ちゃんこそ気をつけなさいな。……さて、興覇は呂布の武をどう見る?」

「見知った者の中に、一対一で勝てる者は思い当たりません。雪蓮様に幼平、私の三人で掛かって勝ちの目がでるかどうかといったところでしょうか。黄蓋殿の補佐があってようやく有利が取れるほどかと」

「そ。やっぱり蓮華を加えるにはちょっと荷が勝ちすぎる相手ねぇ。夏侯惇、貴女もいつもどおりの猪突猛進だと危ないわよ」

「言われなくてもわかっている! 華琳様の剣である私がこんなところで倒れるわけがなかろう! 孫策! お前こそ、私が借りを返す前に勝手にやられるなよ!」

 

 孫策、甘寧、夏侯惇。呂布の周囲を、連合軍を構成する諸侯において一際武に優れる者たちが囲んでいた。彼女らだけではない、文醜、顔良、馬岱の三人が続き、その後ろにも曹仁や公孫越ら数名が控えている。

 いくら呂布でも、今相対しているうちの誰を相手にしたとして一刀の下に切り捨てることはできまい。万に届く連合軍を相手に怯むことなく、一度も足を止めることもないまま圧倒的な力を見せ付けた呂布が、たったの十数名を相手に初めて、僅かにとはいえ足を止めた。

 

「……それでも、恋は負けない。本気でいく」

 

 鈴を転がしたような、少女らしい可愛らしさを含んだ呂布の声を周囲の連合軍の将たちが認識したその時、事態は既に変化を終えていた。

 夏侯惇、甘寧の二人の横を抜け、何かの塊が複数後方へと吹き飛んでいったのを、遅れて大気の動きが知らせていた。

 

「むっ!?」

「ぐ!」

「っ、と、随分といきなりじゃない!」

 

 響く金属音。音よりも早く、風が斬られていた。円の中心――呂布の近しいところにいた関羽、趙雲、孫策の三人の姿が突然に消えている。そして文醜や馬岱の背後より遅れて聞こえる、靴裏と地面との摩擦音。

 前を見れば、呂布はその手の方天画戟を横薙ぎに振り終えた状態でじっと立ち尽くしていた。感触に違和感でもあったか、不思議そうに柄を握る己の手を眺めている。

 

 呂布の稲妻の如き一撃が、瞬きする間に関羽ら三人に襲いかかっていたのである。背の丈を超える戟によって繰り出された一撃だというのに、常人では目で追うことすらもできないだろう。

 しかし対応した三人もまた並みの使い手ではない。それぞれ己の得物で呂布の一撃を受けとめたようで、体ごと大きく弾かれたものの手傷は負っていないようであった。

 

「ほう、あの関羽と趙雲、孫策の三人を相手にしてこれか、面白い! 曹操軍、夏侯元譲が先を貰うぞ!」

「ちょっ、呂布に当たる時は最低でも三人でって……!」

「雪蓮様!? ……貴様ァ!」

 

 三人を難なく薙ぎ払った呂布の剛力を見た夏侯惇が獰猛な笑みを浮かべ、一息に距離を詰めながら手にある大剣、七星餓狼を振りかぶる。背後から聞こえてくる馬岱の声など最早聞こえもしない。

 同じくして孫策が吹き飛ばされていったのを目にした甘寧が激昂に目を見開き、刀を手に地を滑るように駆け出した。影しか残さない素早い身のこなしで先に駆け出していた夏侯惇を追い抜き、空間をも両断するかのような鋭い斬撃を呂布の首へと見舞う。

 

「はやいだけ……」

「ぐっ!? ――ちィっ! こいつ!」

 

 対した呂布はそれをあっさりと方天画戟の柄で受け止めると、そのまま腕力だけであっさりと甘寧を押し返す。

 競り負けた甘寧は着地と同時に地面を全力で蹴り上げ、身を宙で入れ替えながら後方へと逃れた。一瞬前までいたそこを、間一髪で呂布の剛戟が通り過ぎていく。

 互いに一撃。しかし、頭に血が上っていた甘寧の全身からはどっと冷や汗が吹き出ていた。沸騰していた血液が、その一振りの風切音で冷えきっていた。もしもまともに喰らっていたなら、良くて半死。あるいは今ごろ甘寧の命はなかっただろう。

 

「……こっちは、おそい」

「なんだとっ!? がぁっ!」

 

 時間差で迫りくる地をも切り裂く夏侯惇の剛剣を、呂布は僅かに半身をずらしただけで避けてみせる。大剣・七星餓狼が地面を破砕する音に紛れて、鈍く肉を打つ音が響いた。

 呂布が夏侯惇の空いたその腹に蹴りを叩き込んでいた。そのまま間髪入れずに右手で引き戻した方天画戟で、くの字に体を曲げた夏侯惇へ突きを放つ。

 

「だーから言ったじゃん! 危ないってっ、と、おぉぉーっ!?」

「ぐぅっ!」

 

 夏侯惇の影から飛び出した馬岱が槍を手に、その勢いのまま跳躍して、速度と自重とをかけた一撃で夏侯惇へと放たれた呂布の突きを叩き落しにかかる。

 しかし、その渾身の一撃でも方天画戟を下方へと逸らすことしかできない。夏侯惇は言うことの聞かない体に鞭を入れて後退、そこまでしてようやく突きの軌道上から逃れ出る。

 

「よっしゃあ、もらったぁ! おらぁぁぁあぁーっ!」

 

 呂布の持つ方天画戟は敵を見失い、地面へと突き刺さった。深く突き立ったそれを隙と見て取った文醜が、一枚の扉ほどの刃身を持つ大剣――斬山刀を呂布目掛けて叩きつけるべく踏み込んでいる。

 

「……ふっ」

 

 対して右腕を伸ばしたままの呂布は退くどころか逆に距離を詰め、斬山刀を握っている文醜の腕を左の手で掴み取った。

 するとどうだろうか、剛力自慢の文醜がそれ以上腕を振り下ろせない。勢いを殺された上に、万力で押さえられているかのように微動だにしない。

 

「お、おいっ!? 嘘だろっ!?」

 

 呂布に、完全に力負けしてしまっている。力比べでこうもあっさり負けたことなど、文醜が今まで生きてきた記憶の中にそうないことだ。しかし現実として、文醜の腕は上にも下にもぴくりともせず、握られた腕は呂布の握力で軋んでいる。

 左手一本で文醜の動きを封じた呂布は、そのまま右の腕で地面へ埋まった方天画戟を引き戻す。当然文醜は体に退避を命じるも、腕を掴まれている為に前にも後ろにも進めない。

 そうこうする間も呂布の動きは止まらない。文醜の体感時間は引き延ばされ、視界の中でゆっくり、ゆっくりと呂布の右腕が引き絞られていく。血に濡れ、土が(まみ)れたたままの刃先は確実に、文醜へと向いている。

 

「文ちゃん!」

「そう易々とやらせるものか!」

 

 巨大金槌――金光鉄槌を手にした顔良に、体勢を立て直し駆けつけた趙雲が槍をしごいて呂布へと踊りかかる。

 動きを止めたままでは流石に分が悪いと見たか、呂布はあっさりと文醜を開放し、後方へと駆け出しながら体勢を立て直しにかかった。趙雲に続いて、孫策、関羽の三人はそれを追い、続く曹仁らも彼女らの援護に回る。

 戦場が他所へ移っていく中、辛くも逃れた文醜がいつしか止まっていた呼吸を再開させて、目を見開いたまま立ち尽くしている。

 

「と、斗詩、こいつ、ヤバイ。戦う前にはいっつも身震いしてるけど、これ、いつもと違う感じだ!」

 

 一歩分、二人の救援が遅ければ殺されていた。開放されて飛び退き、バクバクと拍動している心臓を押さえた文醜は体を震わせる。

 

「うん……私も同じだよ。文ちゃん、気をつけてね」

 

 それを見て取った顔良が気遣うものの、震える文醜の表情を見るなり笑みを浮かべ、一声だけをかけてから呂布へ向かって駆け出す。

 文醜は目を見開き、冷や汗を額から滲ませ、しかし武官の性なのか堪えられないといった風に口の端が吊り上がっていたのである。

 

 

 ――連合が誇る猛者たちであっても、一対一で呂布を相手にしては十に一も勝ちを拾えるかわからないほどに力量の差がある。呂布の武とはそういう規格外のものである。

 この数と質とでかかっても、たった一人の、個人の力を前に攻めきれない。今まで体験したことのない戦に、外面はどうあれ連合軍の将は一様に動揺している。しかし、かつてない戦況に困惑しているのは呂布もまた同じであった。

 

「さて、これは通じるか?」

「……しつこい」

 

 鋭くもしなる、癖のある軌道を描いて趙雲の槍が呂布へと迫る。絶え間なく打ち出される攻撃は閃光、空を切り裂いた。

 追いすがってくる趙雲から距離をとって槍をかわしていた呂布は、幾度目かの刺突を方天画戟の横刃で絡め受けて弾き落とす。趙雲の瞳が驚きに見開かれるのと同時に、方天画戟の柄が呂布の背で打ち上がった。

 密かに呂布の背後から襲い掛かろうとしていた甘寧が、打ち上げられて目の前に突きつけられた方天画戟の石突を前に飛び退いた。背中越しに呂布に睨まれ、甘寧は舌打ちだけを残してまた隙を窺うべく姿を隠す。もし甘寧がそれ以上近寄っていれば呂布は即座に振り向いて、鋭利といえない戟の石突で体のどこかを突き貫いていただろう。

 

「ふっ!」

「ぐぅっ! 重いな……!」

 

 視線を戻した呂布は打ち落とした趙雲の槍の穂先を足で蹴りつけ、体が流れたところに更に蹴りを打ち込む。

 趙雲はそれを腕で受けるも、六尺(1.5メートル)ほどを飛んだ。しかしそれも自ら後ろに飛んだのだろう、大した痛手とはなっていない。趙雲はそのまま地面を転がっていく。

 今のも、並みの相手であれば体勢を崩している間に方天画戟の一撃で打ち倒せていた。趙雲が体勢を立て直すのが早かった為に、呂布であってもとっさに蹴撃を当てることしか出来なかったのだ。

 

「次は私の相手をしてもらおうかしら?」

 

 声が響いたその時には、既に呂布は敵を迎え討つべく動いていた。走り迫ってきていた孫策へと方天画戟を右手で取り回し、凄まじい勢いで叩きつける。孫策もまた両刃の長剣を手にして、獣のような気迫で真っ向から振り下ろす。

 

 両者の得物が弾け、しかしお互いにその場で踏みとどまった。両者はそのまま、間髪入れずに更なる一撃を繰り出す。

 そうして、また互角の打ち合いが繰り返される。鉄の音を響かせて、剣戟が始まる。膂力なら呂布が勝るところだが、孫策は相手を食い殺すかのような苛烈な勢いでその差を埋めていた。

 しかし孫策のその勢いも十を数える頃には徐々に衰え始め、段々と劣勢を強くしていく。

 

「さっすが、言われているだけはあるわねぇっ! っと!」

「孫策、貴様ばかりにやらせるかっ!」

「……っ!」

 

 劣勢に立たされながらも文醜が浮かべていたのと同じ類の笑みを浮かべていた孫策は、何事かに気づいた様子ですっと体を後ろへと投げ出した。

 そこに夏侯惇が割り込み、大剣を豪快に打ち付ける。さしもの呂布も慮外の方向からの衝撃によろめき、一歩退いた。

 

「あら、夏侯惇。結構まともにもらってたと思うけど、もう動けるの?」

「愚問だなっ! あれぐらいでどうこうなるような柔な鍛え方はしていない!」

「随分と勇ましいことね……ちっ!?」

 

 呂布が方天画戟を頭上で振り回し、夏侯惇、孫策へと叩きつける。全身全霊の、呂布の一撃である。己の得物を盾にしても二人はそれを受けきれず、体ごと大きく弾き飛ばされた。宙に投げ出され、ふんばりの利かない孫策を顔良が、夏侯惇を馬岱が受け止める。

 

「く、うぅぅ! 夏侯惇ってば、ちょっと重過ぎ!」

「鍛えているからな! 馬岱といったか、二回目になるが助かった」

「お互い様ってことだから、気にしなくていいってば! それにしても、呂布ってこんなに強いの!? なんか周りの人も強いし、いくらなんでもたんぽぽ一人だけ場違いだってぇ!」

「どれほどの強者だろうとも曹操軍の武官を集めて当たれば充分だと思っていたが、大陸は広いな。悔しいがこの相手では、少しばかり手に余る。馬岱、お前も自信がなければ下がっていろ。お前の分まで私が前に出ればいいだけのことだ。代わりといっては何だが、今のような補佐は任せるぞ」

「……うん。ちょっと下がって様子見しとく。はぁー、脳筋の翠姉さまは『お前が馬一族を代表して呂布のやつを討ち取って来い』とか無茶言ってたけど、命あっての物種だもん」

 

 夏侯惇、馬岱の二人が話している間にも、関羽、文醜、曹仁の三人が割り込み、呂布に当たっている。見る限りでは互角以上にやりあえているようだ。

 曹操の剣として最強を自負している夏侯惇だが、自陣営の曹仁は言わずもがな、呂布と打ち合える関羽や文醜も己に匹敵するだけの使い手である。それだけに、そんな者たちを複数相手取れる呂布の強さが一層浮き彫りとなっている。

 

「ふん、軍師たちの忠告は正しかったということか」

「そうね。各勢力の看板将軍十数人で囲んでおいて、実際に呂布に当たる時には三人以上で当たれだなんて、普通に考えたなら私たちに対するこれ以上ない侮辱だもの。随分と私たちは過小評価されているものだと思って反発したけど、蓋を開けてみればこれなのだからホント世の中ってのは広いわね」

 

 隙あればいつでも飛び出せるように身構えている夏侯惇が、ぼそりと呟いた。それに反応して言葉を返したのは、同じく体勢を立て直し、長剣を手に備えている孫策である。夏侯惇と同じく彼女もまた、格上の実力を持つ呂布を相手に出来ることに笑みが浮かぶのを止められない。

 二人の視界に移っている呂布は、動きに目立った精彩こそ欠いていないものの、じわじわと追い詰められている。頬は上気し、息は荒い。額からは汗が流れ、顎から滴っていた。得物を打ち合わせ、競り負ける様子も見せ始めている。休みなしで、しかも今大陸において有数であろう(つわもの)三人と代わる代わる相手にしていれば、いくら呂布といえど当然といえる。

 

「……っ!」

 

 呂布の武力は常人と隔絶するほどの高みにある。並みの者であれば一撃で下してきた。音に聞こえた武辺者が相手だとしても、呂布に敵う者などはいなかった。しかし、そんな彼女が今まで戦ってきた相手に武器を打ち合えた者がいなかった訳ではない。

 呂布はそのほとんどを降してきたが、いずれは一騎当千と言われたかもしれない武才を持つ(つわもの)。戦いにおいて天賦の才を授かり、選ばれた者たち。いまや十数万の兵を擁する董卓軍であっても、呂布に思い浮かぶは華雄に張遼の二人だけという傑物。

 それと同等の武才を持つ者たちが十数名という数で集い、一丸となって彼女の前に立ち塞がっている。己の実力に近しく迫る者たちが一同に集結して敵となるなど、呂布の生において初めてのことであった。

 

 

 

 

「将軍らが呂布と交戦、我が方の優勢でございます! 破竹の如き進撃をしていた呂布の足を止めることにより、戦線を膠着させることに成功! しかし残る敵将、張遼の姿は未だ確認出来ておりません!」

 

 伝令からの報告を受け、戦場から離れた位置に陣取っている軍師たちはそれぞれ馬上からほっとため息を漏らした。

 

「どうやら、呂布の足を止めることには成功したようだな。しかし噂には聞いていたが、これほどまでとは……」

 

 あの雪蓮が一対一で抑え込まれる相手か、と眼鏡を掛けた色黒の女性――周瑜が驚いた様子を隠さずに告げる。敵将である呂布の武を賞賛しながらも、その言葉の端々から孫策への全幅の信頼が窺えた。

 

「飛将軍呂布に、神速の張遼。この二将が守将ともなれば生半可な策は通じるところではないのはわかっていたつもりでしたが……」

「あの暴れ様を見れば、当初の二人で呂布を抑えるという策では返り討ちにあっていたかもしれません。まさか、選抜隊の武将が大半で当たって尚も易々とは討ち取れないだなんて。呂布の武は常識の範疇に収まるものではありませんでした。そこは流石、荀攸さんの慧眼といったところでしょうか」

 

 諸葛亮、鳳統の発言により、軍師たちの視線が拓実へと集まった。しかし、当の拓実はそっぽを向いたままで無関心を装っている。

 居心地が悪い。おまけに骨折した箇所が熱を持っているのか、気だるくてしょうがない。そんな体調不良もあって拓実は今回の攻略作戦について積極的ではなかった。自身を警戒しているだろう荀諶の出方も見えてこない為、怪我を理由にして、呆と軍師連中が議論しているのを眺めていただけだ。役立つ以前に発言すら一度しかしていない。

 

 各陣営の軍師たちによる話し合いは、概ねのところすんなりと決まっていた。

 袁紹軍による虎牢関への威力偵察により、守将が呂布、張遼の二名であることが判明しており、また虎牢関が難関であることは周知のことであったので力押しは難しいと判断。汜水関と同じく将を釣り出す方針となる。

 実際に敵将を引きずり出す駆け引きは鳳統、周瑜の二人が主導で打ち合わせされ、兵の配置などは諸葛亮や桂花、荀諶らが話し合い、全体像を作っていくこととなった。

 

 そうして進んでいった話し合いにて唯一問題となったのは、釣り出された呂布、張遼をどうするかというものであった。

 各勢力の軍師は当然、自陣営の武将による撃破、捕縛を推した。選抜された武将らはいずれも一騎当千と呼ばれるに値する猛者である。噂とは広まれば広まるほどに尾ひれがつくものであるから、たとえ古今無双とまで言われる呂布が相手であろうと、二人で当たるのであれば充分に倒せると考えていたのである。

 先の汜水関で奮迅してみせた関羽・趙雲を擁する劉備軍の諸葛亮。黄巾党を討伐し名を馳せている孫策らを率いる袁術軍の周瑜。文醜・顔良の二枚看板を持つ袁紹軍の田豊らはもちろん、春蘭を毛嫌いしている桂花でさえその武力自体は認めている為に、二人もいれば互角以上の戦いが出来ると声を張り上げたのである。

 呂布の勇名は今や大陸全土に広まっている。下は野盗にごろつき、上は皇帝まで知られている彼女を討ち取れば、得られる勇名は比類ないほどに大きなものとなる。彼女たちはまたとない機会を掴むため、こぞって自軍の将軍を推すことにやっきになっていた。

 

 軍師たちが紛糾していた中、一人沈黙を貫いていたのは怪我を負い、気だるそうな様子を隠そうともしない拓実だけであった。しかしそんな発言を控えて存在感を消していた拓実は、進行役となっていた荀諶に目敏く見つけられて、意見するようにと促されてしまった。召集を受けた軍議でそう言われては、何も言わずにいるのも不自然である。

 桂花から春蘭を推すようにと小声で耳打ちされたのだが、しかし拓実はそれに逆らい、こう発言した。――「呂布を相手にするには、選抜隊に集められた武将二人では足りないわね。三人で当たって互角がいいところ、出来るなら五人で当たるべき」と。

 三国志を読んだことのある拓実は、後世に伝わる呂布の武勇伝を知っている。三国志演義の呂布は、この虎牢関攻略の際、関羽に張飛、劉備の三人を相手取り戦っているのである。三人のうち劉備は武勇について高い評価を受けていたわけではなかったが、あの関羽に張飛を同時に相手に出来るというだけで強さの桁が違う。まして、関羽や張飛以外の面子で呂布を抑えるともなれば、例え三人であっても安心は出来ない。それ故の発言であった。

 

 他の者がしたのであれば「仲間の武力に自信がない」と取られて当然の弱気な意見だが、その発言主が汜水関で八面六臂の働きを見せた荀攸となれば話は別である。軍師たちは皆、拓実の意見を重く捉えた。

 軍議に集められた軍師たちは、情報として敵将の武力を調べることが出来ても身を以って強さを感じることは出来ない。そして最低限の自衛程度が出来たとしても、彼女たち自身がその将と武器を合わせて戦うことは出来ない。

 今いる軍師たちの仲で、唯一の例外が『あの華雄と一騎討ちを果たした荀攸』であり、彼女たちが持っているのとはもう一つ、別の『物差し』を持つ異色の軍師である。

 その荀攸が、自陣営の武将を推すべきところで一人違う意見を述べた。大陸有数といえる賢者たちの瞳が怜悧に拓実を射抜き、その意図を推し量る。盤上や情報から見る自分たちではわからないが、荀攸だけが呂布を一線級の将らと比べて尚、桁の違う存在と評価していることに気づいたのである。

 逸って看板将軍二人を挑ませて万が一でも討ち取られ、選抜隊による策を土台から台無しにし、結果として連合軍をも瓦解させては元も子もない。それを悟ると、誰から言うでもなく自然と武将による包囲案を取る方向へと話を進めていったのである。

 

「雪蓮が珍しく武将ではなく軍師を気にかけていた理由はこれか。しかし、なるほどな」

「……何かあるかと聞かれたから、答えただけよ」

 

 そうして実際に蓋を開けて呂布の武が連合軍にも知れ渡るところとなった今、見事に戦況を予見して見せてしまった荀攸には感心の念と、それを上回る警戒が向けられている。

 素直に感服してくれているのは、再会するなり拓実の無事を涙を流して喜ぶほど懐いてくれている諸葛亮や鳳統ぐらいのものだ。それがまた悪いことに、汜水関にて神算鬼謀を見せ付けた二人が何かと拓実を褒め称えるため、余計に周囲の警戒を煽る結果となっている。

 特に、あからさまといえるほどにこちらを観察してくる周瑜に対して、拓実は驕る様子も恐縮する様子も見せずに無関心に言葉を返している。そうした腹を探り合う周瑜と拓実のやり取りの間に、さらりとごく自然に、しかし拓実にとっては思いもよらない発言が飛び出てきた。

 

「先祖より官史として仕えてきた我が荀家一門ですが、荀攸殿は加えて武才をも授かったのでしょう。一族の者として、私も誇らしいものです」

「なっ……!」

 

 まさかの、荀諶からの発言であった。拓実の隣にいる桂花が思わずといった風に声を上げた。名指しされた拓実もまた、内心では大いに困惑している。

 

「……どうしましたか?」

「別に、なんでもないわ」

 

 咄嗟にその感情を表に出すのを止められたのは、発言主である荀諶がこちらの反応を静かに観察しているからである。動揺を表に出すことは避けられたが、怪訝な表情で荀諶を見つめてしまうことは止められなかった。

 

 荀諶からすれば拓実は、元の名を騙られている上に年下の叔母である荀彧と似通った容姿をしている、不自然の塊ともいえる存在である。

 数刻前の軍議に荀諶の参加を確認するなりに、桂花からは取り急ぎ荀攸について話をしたいという旨を手紙にして荀諶へ送ったらしいが、それに対する返信はなかったと聞いている。さらにこれまで、彼女から拓実の正体に対してこれといった打診はない。荀諶にとって拓実は未だに正体不明の不審人物である筈で、だからこそ荀攸の出自を認めるような発言を彼女がする意図が見えない。

 

 華琳は荀攸を軍議に参加させるつもりなどはなかったし、『荀攸』の名を提案した桂花としても一介の内政官の名が広まるとは考えなかったため、これまで荀諶本人に説明をしようとしたことはなかった。

 監督役として劉備軍に荀攸を派遣した華琳が迂闊であったということも否定は出来ないが、負傷している荀攸があのような大立ち回りをやらかすなど予見出来る筈もない。誰が原因かと言えば、己を制御できずに敵将に突っ込んでいった拓実であって、それがあったからこそ軍議に呼ばれる羽目にもなっている。

 そもそも大前提として直前になって足を捻挫してさえいなければ拓実は許定として参加していた為に、そちらの名であればいくら売れようとも何の問題もなかったのだ。結局のところ、またも拓実が曹操軍に余計な混乱を招いてしまっているのである。

 

「あいつ、どういうつもりよ」

 

 にらみつけるようにしている桂花を見て、荀諶がにこりと可愛らしく笑みを浮かべる。それが気に食わないのか桂花が一層(まなじり)を上げたところで、けたたましい声が軍師たちの下へと届いた。

 

「先発劉備軍よりの伝令でございます! 張遼の旗印を掲げた一団が虎牢関より出陣するのを確認いたしました! 孤立している呂布の救援に向かっている模様!」

 

 緑色の鎧――劉備軍からの伝令が軍師たちの集まる一団へと駆け込み、声を張り上げる。その報告に軍師たちから安堵の声が漏れる中、特に顔色を明るくさせたのは周瑜と鳳統の二人である。

 

「ようやく来たか!」

「よかった……これで敵将を釣り出す周瑜さんと私の策は成りました。あとは荀彧さんに荀諶さん、朱里ちゃんの兵編成が正しく作用すれば……」

 

 鳳統が魔女帽子の影からちらりと見る先には、きゅっと唇を引き絞った諸葛亮がいる。荀諶は瞑目して澄ましているし、桂花は至極平静な顔で前線方面へと視線をやって、取り乱した様子は欠片もない。

 この三人の賢者が事に当たったということを考えると、拓実には今回の策が失敗する未来が見えてこない。招集された一人であるというのに、他人事のように傍観を決め込んでいる。

 

「先発袁術軍よりの伝令! 呂布、張遼が撤退を開始いたしました!」

「部隊展開はどうなっていますか? それに、例の件は?」

 

 ゆっくりと目を開いた荀諶が、新たに駆けてきた伝令を見やった。落ち着き払った、決して大きくない声だというのに荀諶の声は妙に場に響く。

 金色の鎧を纏った年若い兵は、戦場だというのにあまりに落ち着き払った軍師たちを前に呆然としていたことに気づいて、その場で跪き慌てて礼を取る。

 

「張遼出陣と同時に進軍した劉備・曹操軍により挟撃に成功、取り残された董卓軍は混乱しております! また、後方追撃に向かった袁術軍・袁紹軍は打ち合わせのとおり、汜水関で奪取した董卓軍の軍装を装備させた細作を混乱している敵軍に潜り込ませております!」

「各軍へ伝令を。ほどほどのところで追撃を緩めるようにお願いします。敵に痛打を与えることと同じく、味方の被害を抑えることもまた重要です。それに、あまり追いすがっては敵方が退却する自兵を見捨てて退路を塞ぎかねません」

「はっ!」

 

 荀諶の言葉を聞き届けるなり、詰めている伝令の兵たちが馬を走らせる。

 

「これで、私たちが今すべきこともうありません」

「後は相手がどう出てくるか、ね」

 

 諸葛亮がふう、と息を吐き、桂花もまた一仕事終えた風に手をぷらぷらと振ってみせる。そうして軍師たちは馬頭を返し、兵たちに指示して野営の準備を進めさせていく。

 今後のことを考えれば、早々に兵たちに休息させなければならないだろう。野営の指示ぐらいであれば拓実でも何とかなる。兵を呼ぼうと口を開いたところで、拓実たちを呼び止める声があった。

 

「ああ、荀彧殿、荀攸殿。積もる話もありますから、野営の指示を終えたら時間をいただけますか?」

 

 拓実自身も本調子とは程遠かったので、とにかく休みたかったのだがそうはいかないようだ。にこにこと笑みを浮かべる荀諶を前に、急に体中の倦怠感が強くなったような気がしていた。

 

 

 


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