影武者華琳様   作:柚子餅

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30.『典韋、曹操の誘いに応じるのこと』

 

 一騎で大軍を追い返した無双飛将軍の呂布に、大陸全土に広がる黄巾党の首魁三人を討ち取った孫策。暴虐を働いていた黄巾党の威勢が落ちてきている今、民草の話題を席巻しているのはもっぱらこの二人である。

 とはいえ万夫不当の呂布は近年評判の良くない官軍の所属に加えて董卓の配下に過ぎず、目を見張る功績を立てた孫策もまた袁術の客将という立場に甘んじたままだ。

 孫策と同じ戦場にて黄巾党本隊壊滅の一役を買った曹操、劉備、公孫賛、袁紹たちの名もまた知れ渡ったものの、むしろ元より名の売れていた幾人から一頭地を抜き戦功を打ち立てた孫策の名を高めることとなっている。

 

 対して中央――都は権力が弱まっているばかりでなく、どうにもきな臭い。先日には官軍の司令塔とも言える、大将軍の何進が謀殺されたとの話もある。真偽は定かではないが、表舞台から姿を消し、生死が知られぬ状況にあることは変わりない。

 一連の出来事の首謀者は董卓という将軍であり、何進の後釜に座った彼の者により都に暴政が敷かれている、といった噂がすさまじい勢いで大陸を巡っている。

 

 華琳はといえば、その動きに何を見たのか黄巾党の討伐を繰り返していた時よりも軍備の増強に力を注いでいた。春蘭ら武官に各拠点の兵の調練を命じ、文官らが徴収した資金の大半を徴兵や兵装、物資につぎ込んでいる。

 未来に生きていた拓実こそこれから待ち受ける群雄割拠の時代を知っているが、どうやら華琳は類稀なる嗅覚で世情からそれを察知していたようだった。

 

 

 月日が流れるのも早いもので、大陸の英傑らが集結したあの戦場からもう一月が経とうとしている。

 劉備は未だ義勇軍として各地を転々としているようだ。劉備軍の打ち立てた功績があれば、地方の領主程度の役職になら封ぜられていてもおかしくはないのだが、どうにも賄賂等々を極力拒否していた為に中央の役人の妨害にあっているらしい。一月に一度ほどの頻度で遣り取りしている、北郷一刀と許定との間で行われている手紙のやりとりの中にそうあった。

 また、陳留に逗留していた趙雲も疾うに発ち、次なる劉表の領地へと向かって旅立っていった。彼女から聞いた予定通りであるならば、今頃彼女は孫策の下を訪れている頃だろう。

 

 ――そしてこれは余談となるが、あんなにも華蝶仮面と意気投合していた許定だったが結局その相棒とはならなかった。

 拓実と夜通し正義について語り合った華蝶仮面は、いくらか話しているうちに己が不明を拓実に詫びた。ただ英雄に憧れている少女と見縊っていたが、正義を愛するその志は己に勝るとも劣らない、『同志』であると認識を改めたのである。ならばこそ、それぞれがそれぞれの正義の道を歩み、しかし切磋琢磨して大陸に正義の種を植えるべきであるとなったようで、一種の好敵手と認め合ったようであった。

 別れ際、目元に光るものを溜めて互いの手を握り合う二人のことを、真桜だけがげんなりとした様子で眺めていたのは周囲の面々の記憶に新しい。

 

 

 

 

「もー! ようやく仕事終わったよぉー。おなか減ったー! 青椒肉絲定食大盛り、大急ぎでお願いね!」

「あははっ、いつもお疲れ様でーす」

 

 だらーっと机に垂れている拓実に、給仕をしている緑髪の少女が労いの声をかけた。拓実がくつろぐそこは、秋蘭に連れられて以来行きつけとなっている城下町の大衆食堂だ。

 値段が安い上、方向性は違えども以前に桂花と一緒に食事をした高級料理店と遜色ないほどに舌を楽しませてくれる。おまけに、許定としてはこの上なく居心地がいい。店の雰囲気もそうだが、調理と給仕とを兼任しているこの少女と妙に馬が合うからだろう。

 

「はぁーい。青椒肉絲定食の大盛り、お待たせしましたー」

「わ、待ってましたー!」

 

 警邏の仕事を終えた、昼下がりの微妙な時間だからか他に客はいない。ぼんやりと調理に取り掛かる少女を眺めているうちに、湯気を立てた食事が拓実の目前に運ばれてくる。

 食欲をそそる香りにぱぁっと表情を明るくさせた拓実は、これ以上おあずけには耐えられないというように遮二無二食事に取り掛かった。

 

「んー、やっぱおいしー! これはボクが毎日通っちゃうわけだよねぇ」

「えへへ、いつも来てくれてありがとね。最初に来てくれてから毎日だから、今日で、ええと……」

 

 一口食べるなり拓実が思わず漏らした感嘆の声に、少女が笑顔で応じる。少女はそうして指折り来日数を数えていたが、はっと何かに気づいた様子で口を押さえた。

 

「あっ! ごめんなさい! またやっちゃった。お客様が相手なのに、言葉遣いが……」

「ん? 別にかまわないってば。なんか敬語とか使われるほーがむず痒いしさ」

 

 手元を止めず、もぐもぐと口を動かしながら拓実は言葉を返した。

 見た目には同じくらいに見えるからか、少女はよくよく拓実に対しては敬語でなくなる。また、と少女は言うが、他のお客相手では言葉遣いが崩れることはないので拓実を相手にした時だけなのだろう。

 

「そーですか? それじゃお言葉に甘えさせてもらいます。実は私、一月ぐらい前に村からこの街に出てきたんだけど、同じくらいの歳の子がいないからつい嬉しくなっちゃって」

 

 拓実が美味しそうに食事を進めていくのを、少女は笑顔で眺めている。

 

「でも、やっぱり。お客さんって、私の幼なじみと雰囲気がそっくり。だからなのかな、その幼なじみと話してるみたいになっちゃうみたい」

「へぇー。ボクに?」

 

 もぐもぐと口一杯に咀嚼しながら何となし言葉を返す拓実に、少女は近寄って自然な動作でその頬に手を伸ばす。くっついていたらしいたけのこの切れ端を指先で摘み上げると、目を細めた。

 

「うん。その『ボク』って自分のことを言うのも同じだし、しゃべり方とかも。ホント、あの子がもう一人いるみたい。陳留にいるって手紙に書いてあったのに、もう。どこにいるんだろ」

「え? えーと……店員さん? その……」

 

 少女の顔を見たまま、何と切り出していいかわからず拓実はあたふたしてしまう。拓実の様子を呼び方がわからなくて困っていると見て取ったらしい少女は、自分を指差して笑顔を浮かべる。

 

「あ、えっと。私、典韋って言います」

「典韋……うん。ありがと。その、ボクは許定っていうんだけど」

「許定? ウソ? 姓まで同じだなんて……」

 

 少女が目を見開いているように、拓実もまた思わぬところで聞き覚えのある名を聞くことになったと眼を白黒させていた。

 

 怪力の豪傑。『悪来典韋』などと後世にも知れている男は、ここでは小柄な拓実よりも尚小さな少女であるらしい。

 これまでに話した印象では控えめで、礼儀正しい性格。前髪を上げたところで結んだ大きなリボンは可愛らしく、今は調理の為に上に前掛けを着ているが季衣と同じくらい身軽な格好だ。

 史実では曹操の側近をしている典韋がどうして大衆食堂で料理を作っているかは知らないが、拓実には彼女の言う幼馴染に心当たりがあった。

 

「その、典韋の友達ってもしかして女の子じゃない? 髪の毛桃色の二つ結びでさ。力持ち」

「うん、そうだけど。その、許定はあの子のこと知ってるの?」

「ん。たぶん。っていうか……」

 

 陳留にいて、一人称が『ボク』で、許定にそっくりな女の子なんて拓実が知る限り一人しかいない。おまけに姓まで同じときた。加えて少女が『典韋』であれば、演義でも絡む相手は限られている。

 典韋と同じく力自慢の豪傑であり『虎痴』と呼ばれた男。この大陸では拓実より小柄な少女である。許定と雰囲気が似ていると典韋が感じるのも当然のこと、『許定』は典韋の幼馴染だろう少女を元にした役柄だ。

 

「失礼する」

「あら、拓実じゃない。奇遇ね」

「へ? 秋蘭さまに、華琳さま?」

 

 言葉を続けようとしたところで拓実が呼びかけられた声に反応して振り返ると、豪奢な格好の少女が店の入り口に立っていた。拓実の上げた声の通り秋蘭と華琳なのだが、大衆向けのどちらかといえば質素な店構えとはどうにもそぐわない為に、いつもの鎧姿が妙に煌びやかに見える。

 

「おお、拓実か。どうやらこの店を気に入ってくれたようだな。私も薦めた甲斐があるというものだ」

「って、うわわ! 秋蘭さま、いっつも言ってますけど頭撫でないでくださいってば」

「別に減るわけでもなし、構わんだろう」

「構いますってー!」

 

 いつの間にやら華琳の横に立っていた筈の秋蘭に頭を撫でられている。拓実は撫でられるまで接近されたことにまったく気づけなかった。やさしく撫で付ける秋蘭の手を無下に振り払うわけにもいかず、拓実は困ったように華琳を見る。

 

「ふふ。秋蘭、そろそろお止めなさいな。城ならばともかく公共の場よ。拓実も店員のこの子も困っているでしょう」

「…………はっ」

 

 薄く笑んだ華琳に命じられても尚名残惜しそうにする秋蘭に、ようやく開放された拓実はほっと息を吐き出した。

 

「あの、いらっしゃいませ。曹操さま、夏侯淵さま。えっと、いつものでよろしいですか?」

「ええ、お願いね」

「私も同じものを頼む」

「かしこまりましたー」

 

 我に返った様子の少女がぱたぱたと厨房へと駆けていくのを眺めながら、華琳たちは拓実の対面の席に腰を下ろした。妙に手馴れている華琳の様子を拓実は不思議そうに見る。

 

「あの、華琳さまもこのお店にはよくいらしてたんですか?」

「ええ、そうよ。彼女はなかなかの腕を持つ料理人だもの。城に招こうともしたのだけれど断られてしまったから、こうしてこちらから足を運んでいるという訳」

「へぇー、典韋ってすごいんだ……」

 

 美食家でもあり、同時に相当の料理の腕をも持つ華琳にすれば最大級の賛辞だ。拓実は思わず、何かを炒めている音を放ち始めた厨房へと目をやった。暖簾の隙間から小さな体が忙しなくちょこちょこと覗いている。

 

「あの子は目的があってこの陳留へとやってきたみたいなのよ。どうやら人探しのようなのだけれど……」

 

 華琳の言葉を聞いて、拓実の頭の中で情報がゆっくりとつながっていく。ようやく、華琳と秋蘭の登場で半ば停止していた頭が動き始める。ぱちぱちと瞬きして華琳と向き合っていると、今度は店の外から言い合う声が近づいてきた。

 

「ヘン、ちびっ子が選んだような店に、このあたいの舌を満足させられるかっての!」

「こんのー! ぼさぼさめ、ぜったいにおいしいって言わせてやるんだから!」

「もう、文ちゃんったら……」

 

 そこに新たな客の姿。見慣れぬ女性二人に、見慣れた季衣の三人組。現れた季衣の姿に、拓実はようやく思考の片隅に追いやっていた給仕の少女との話題を思い出した。

 

「あー! そうだったー! ねぇ、典韋! 典韋ってば!」

 

 がたんと席から立ち上がり、拓実は厨房へと大声を上げた。突然に何事なのかと、拓実の目の前に座っている華琳と秋蘭が目を丸くしている。

 

「どうしたのー? 許定ってば、追加の注文? もう、何も大食いなとこまで似なくてもいいのに。曹操さまと夏侯淵さまの料理がもうちょっとしたらできるから、それまで待っててー!」

「違うって! 典韋が探しているのって、季衣のことじゃないの!?」

 

 どうにも食後の満腹感と仕事後の疲労で軽く頭が呆けていたらしい。こんな簡単な答えを出すまでにえらい時間をかけてしまった。

 

「ちょ、曹操だって? なぁ、おい斗詩、どうするよ?」

「嘘ぉ……。こんなところで会うなんて思ってなかったから、頭の中真っ白だよぅ……」

 

 視界の端には、華琳の名を聞いてびっくりした様子の見知らぬ二人の女性がいたが、拓実はそちらに注意を払えない。拓実の大声に、ようやく拓実や華琳、秋蘭の姿に気づいた季衣が不思議そうに首を傾げている。

 

「姉ちゃんに華琳さま、秋蘭さま。って、典韋? 何で流琉のこと、姉ちゃんが知ってるのさ?」

「ああっ、季衣!? ようやく見つけたー! こんなところで何やってるのよー!」

「あっ、流琉!? 何やってるって、それはこっちの台詞だよ! もー、流琉の方こそ何やってたのさ! お城にいるって書いておいたから、いつ来るのかなーってずっと待ってたのに!」

 

 がしゃがしゃと何かを取り落としながらこちらへと顔を覗かせて、季衣の姿を視界に収めるなり怒鳴り上げる典韋。対して、季衣もまた流琉に向かって怒鳴り返した。二人とも顔を上気させているが、その大半は親友に会えた喜びに拠るものだろう。

 

「これはまた、急に騒がしくなったものね。どうやらここ陳留では見かけぬ顔もいるようだし。ねぇ、秋蘭。あなた、あの二人組みに見覚えはあるかしら? 私の覚え違いでなければ…………秋蘭?」

「ふふ、びっくりしている拓実もかわいいなぁ。まるで小さな頃の姉者……ああ、姉者はいつ領内の調練から帰ってくるのだろう……」

「……はぁ、まったく。この子も」

 

 返事がなかったことを不審に思って華琳は隣の秋蘭に顔を向けたが、件の人物がびっくりした様子の拓実を眺めて口元を緩めている姿を見て、視線を季衣たちへ戻す。

 最近、許定状態の拓実と会わせると秋蘭はこうなることがあった。彼女の姉である春蘭が、連日別の街の兵の訓練に赴いている為に不在にしているからだろうか。

 華琳は頬杖をついてため息を一つ。しばらく時間を置かないことには誰からも話を聞けそうにないことを悟ったか、手持ち無沙汰に机の上の菜譜を眺め始めた。

 

 

 

「という訳でして、あたいら、南皮の袁本初から反董卓連合軍への参加要請の手紙を預かってきてまして」

「今回の討伐軍には我が主、袁紹を筆頭にして、南東は寿春に袁術殿、西は涼州に馬騰殿。北方からは公孫賛殿が参戦を表明しております。いずれも音に聞こえた英雄とはいえ、都を掌握している董卓の威勢は強大です。私たちとしても曹孟徳殿に参加していただけたらと」

 

 さばさばした様子の緑髪の女性の言葉に、青髪の女性が補足するように繋げた。華琳が二人の女性に見覚えがあったのも当然である。彼女らは旧知である袁紹のその配下、文醜と顔良であった。

 城の謁見の間に場所を移した華琳は、文醜と顔良から渡された書簡に目を通している。そのまま隣に控えた桂花といくつか言葉を交わしてから、頭を下げて返答を待つ二人へと華琳は頷き返した。

 

「いいでしょう。文醜、顔良、この曹操も連合軍に参戦する旨、麗羽に伝えなさい。にしても、よくもまあこうまで名が知れた者を集めたものね」

「姫ってば、あんなんでも名門袁家の当主ですからね。ホント顔だけは広いんすよ。ま、性格柄その知り合いにも好かれちゃいないんだろーけど」

「文ちゃん、いくら本当のことでも口に出したらダメだよぅ……」

 

 文醜、顔良ともに主君を悪く言いつつも、声色から袁紹を慕っていることがよくわかる。とはいえ、確かに袁紹の性格に難があることも確か。華琳の其れとは違う求心力を持っているのだろうが、華琳にはいまいち理解できない類の物だ。

 

「まったく麗羽は、人望があるのかないのか……。まぁ、いい。いつまで逗留するかは知らないけれど、その間は客分としてもてなさせてもらうからゆっくりしていくといいわ」

「いえ、私たちもそうしたいのは山々なんですけど……」

 

 眉を八の字にした顔良は、かくんと肩を落とした。疲労もそこそこあるのだろう、彼女の雰囲気の所為で纏っている金色の鎧も幾分くすんで見える。隣の文醜も肩をすくめて深くため息をついている。

 

「あたいら、これから急いで回らなきゃならないところが他に幾つかあるんですよ。『いいこと、猪々子さん、斗詩さん。仮にもこのわたくし、袁本初が率いるのですから、十万そこらのしょっぼい軍勢では許しませんわ!』なんて言い出すもんだからなぁ」

「用事を済ませて急いで帰らないと麗羽様にお仕置きされてしまうんです……。そういうわけで、用件のみで申し訳ありませんが今日のところは失礼させていただきます」

 

 言って頭を下げた二人は、時が惜しいと言わんばかりにそそくさと謁見の間を出て行った。二人の背中を無感情に眺めていた華琳だったが、それが入り口より消えるや否や玉座より腰を上げる。そうしてすぐさまに入り口へと足を進めていくのだが、優雅な立ち振る舞いを欠かさない彼女にしてはそれは心なし足早に見えた。

 入り口を出、通路を進みながらも、城壁の遥か向こうへと目線をやる。

 

「さて……季衣と典韋のことは拓実と近場にいた真桜の二人に一任してしまったのだけれど、まだ無事でいるかしらね」

 

 

 

 定食屋での邂逅の後に始まった季衣と典韋の喧嘩は、一時は文醜と顔良によって収められたものの、華琳の勧めで郊外の森で再び行われていた。

 

「ちょぉおりゃあああああっ!」

「でやぁぁぁぁぁああああっ!」

「うわぁああああああん!」

 

 一抱えほどもある鉄球【岩打武反魔】がびゅんびゅんと振り回され、巨大な円筒【伝磁葉々】が轟々と音を鳴らして飛ぶ。二つの得物はかち合っては火花を散らして、弾け飛んだ。その担い手である二人が二人とも古今無双の怪力。その苛烈な戦いに、周囲の木は根っこからなぎ倒されてしまって地面などはところどころえぐれている。

 その二人の間で木の葉のように翻弄されている者がいた。二人の仲介を華琳により命じられた拓実である。転がってくる木の幹を跳んで避け、時折飛んでくる【岩打武反魔】【伝磁葉々】から逃げ回っている。半泣きになりながらあっちへ避けたりこっちへ避けたりと必死も必死。それもその筈、風を圧し潰して宙を舞う超重量のそれらをまともに貰ったら、それだけで致命傷となるに違いない。

 

「そっ、そろそろ止めてよ二人とも! このままじゃボクの方が先に死んじゃうってば! うわっ!」

「何言ってんのさ! ボクは流琉が参ったって言うまでやめたりしないんだからね!」

「私だって同じだよ! 季衣の頑固者っ!」

「どっちも頑固者だぁっ!」

 

 喚き散らすように叫んだ拓実の言葉を聞いて、季衣と典韋のやり合っていた手が止まる。二人ともがむっとした顔で拓実のことを睨みつけている。

 

「なんだよ! だいたい姉ちゃん、流琉がいるって知ってたなら教えてくれればいいのに!」

「そんなの無茶苦茶じゃないかー!! 季衣と典韋が知り合いだなんて、ボクが知ってるわけないじゃん!」

 

 叫びながらも飛んでくる【岩打武反魔】をしゃがんで避ける。そんな拓実に迫る影。

 

「そもそも、あなたって何者なのよ! 季衣から姉ちゃんだなんて呼ばれてるけど、幼馴染の私がそんなの聞いたことも見たこともないのに!」

「それは色々あって、だから、説明するから……わああっ!」

 

 典韋に【伝磁葉々】をぶん投げられ、しかし季衣にも攻撃されている拓実に逃げ場はない。咄嗟に腰からトンファーを抜いて受け止めるものの軽々と弾き飛ばされた。

 拓実はそのまま宙を高く舞って、背の高い葦の中に落ちていった。完全に埋もれてしまって、その姿はすっかり見えない。

 

「……」

 

 拓実が飛び込んでいった先、物音一つしない草むらに、典韋と季衣が顔を見合わせる。

 

「えっ……あれ? 許定?」

「る、流琉のばか! 姉ちゃん、ボクの武器も持ち上げられないぐらい力ないのに」

 

 拓実からの反応がなくなり、二人が揃って心配そうな顔になると、ちょうど一拍ほど置いて草むらから当人が飛び出してきた。

 怪我は負っていないようだったが、それまでと様子が一変している。全身が葉っぱまみれになっていて、眉を吊り上げて珍しく怒りを露にしている。

 

「こ、こ、こんにゃろー! 二人とも調子に乗って! あんな風に飛ぶの、本当に怖かったんだから! こうなったら季衣も典韋も、まとめてボクが相手になってやる! かかってこーいっ! ばーか、ばーかっ!」

 

 言って、拓実はべーっと舌を出して二人を挑発する。元気な姿に安心したのも束の間のこと、好き勝手に言われては二人の表情から遠慮の色が消えた。

 

「なっ! むぅー! 姉ちゃん、ボクより弱いくせに!」

「私と季衣の二人を相手にだなんて、ばかにして!」

 

 そんな拓実へと、季衣と典韋が飛び掛っては、わーわー、ぎゃーぎゃーと騒がしく武器を振り回している。二人を同時に相手した拓実は五分ほど善戦した後に、またも葦の中へと飛び込むことになった。

 そんな騒がしい街外れの森へ華琳が秋蘭を引き連れて足を踏み入れると、拓実と一緒に喧嘩の仲裁に遣わせられた真桜がげっそりした顔で寄ってくる。

 

「か、華琳さまぁー。秋蘭さまー。うち、もう何べん死ぬかと思うたか……」

「真桜、ご苦労様。けれどそう言う割には、拓実の方はまだ元気があるようだけど?」

「ちょちょちょ、うちと拓実の元気っ子と一緒にされるんはちっとばかししんどいですって。泣き言吐きながらもあんなデカブツでやりあっとる中に飛び込んでからに、心臓に毛でも生えてんのかと」

 

 華琳に言われ、真桜は思わずといった風にぶんぶんと首を振る。

 

「ああやって弾かれて転がっとるのも、うちが覚えてるだけでも少なくとも片手じゃ足りんっちゅーのに、ようやりますわ。やっぱ季衣や春蘭さまの調練に参加して普段からぼこぼこにされとるから、打たれ強くなったんですかねぇ」

「打たれ強くなった、というのもあるのでしょうけど、そればかりではないわね。強いて言えば、やはり目が良いのよ。季衣や典韋の一撃をしっかり見極めて、上手く方向を逸らして最低限の力で受けとめているのでしょう」

「はぁ……。言われてみれば、同じ受けるでもうちは後ろに押しやられとったけど、拓実はぽーんと綺麗に飛んどるなぁ」

「小柄な体躯故の小細工といったところね」

 

 そんなことを話している華琳と真桜の目の前で、拓実がまたも弾き飛ばされた。結構な勢いのまま地面へと着弾すると、ごろごろと転がっていく。

 だがやはりというか深刻なダメージはないようで、そのままの勢いで立ち上がると気勢を上げて駆け出した。そんな拓実へと向かって鉄球が、円筒が飛んでいくが、それを避けてはいなし、二人へ飛び掛っていく。

 

「力では及ばないとわかっていながらもあの二人の間に飛び込んでいけるのは、半分は意地みたいなものでしょう。あの子のことだから、季衣に出来ることが自分に出来ないはずがないとでも思っているのでしょうね」

「ほ~。お姉ちゃんとしては、力持ちの妹を持つと大変ちゅーとこですかね」

「それは、……いえ、そうね。そんなところかしらね」

「へ?」

 

 言い淀む素振りを見せた華琳の様子に、真桜が不思議そうに首をかしげている。華琳は何でもないと首を振って見せた。

 

 今の拓実は季衣の模倣して出来た役柄、許定である。季衣らにとって脅威となりうる牙を拓実は持ち合わせていない。兎にも角にも非力。それに尽きた。

 武力では真桜にも劣る拓実が必殺の一撃が応酬されているあの場に飛び込むのは、季衣を模倣している自分ならば同じ場に立てる筈だ、というだけのこと。そこに勝算を必要としていない。額面どおりに捉えれば、そんな考えでは無駄死にするだけだ。身の丈に合わない戦場に飛び込むなど自殺志願者か愚か者のすることである。

 けれども、そうではない。確かに勝算はないに等しいが、拓実は季衣や典韋と戦えていないわけではない。

 はっきり言ってしまえば拓実の攻撃力は低い。しかし、自衛能力だけを見るならばいつの間にやら凪たちのそれを上回っている。聞けば、十分程度であれば春蘭をも相手に出来るとの事である。もちろんそれは打ち合うことせず、避け、受け、逃げに徹してのことだ。 生来よりの軽い身のこなし、小回りの利く体躯、咄嗟の反応速度に、高い動体視力。そこに、警備で鍛えた持久力と、強者との鍛錬を経て打たれ強さが身についていたのだ。

 拓実を効果的に運用するなら不意をついての暗殺や毒殺などの刺客、あるいは潜入しての斥候要員としかならず、単純に武力のみを評価するには不安は残る。いざ対峙すれば負けを引き伸ばせても、絶対に勝てないからだ。だが、それでも時間稼ぎするには充分である。敵将からの一騎打ちを受けでもしなければ、あるいは春蘭や噂の呂布のような豪傑を相手にしなければ、戦場に立たせて十分に通用する段階にある。

 

「華琳さま、どないしたんですか?」

「いいえ、何でもないわ」

 

 急に黙り込んだ華琳を、真桜が不思議そうに見ていた。華琳は一言だけ返して歩みを進める。その先には、いつの間にか三つ巴の喧嘩になっている三人の姿があった。

 

 

 

 

 季衣と典韋が出会ったあの日、三人の喧嘩を収めた華琳は改めて典韋に配下の誘いを持ちかけた。自分の幼馴染もいるならとその誘いを快諾し、典韋は季衣と同じく華琳の親衛隊として任官することになった。また彼女は季衣と同郷である為に、加入に際して華琳より拓実の立ち位置が明かされている。

 そうして真名を交換した上で、許定と典韋は真名の「拓実」「流琉」と呼び合うようになり、元より気が合っていたこともあって二人の間のわだかまりはなくなっている。しかし、どうやら許定としての拓実しか知らないが為に華琳の影武者をすることは半信半疑なようではあった。

 

 

 そして反董卓連合への参戦が数日後に迫ったある日の早朝のこと。拓実は華琳より、影武者としての最終試験を課せられていた。

 その拓実は真っ赤な部屋の中、肘掛に体を預けて気だるそうに隣に立つ人物を見やっている。そこには、きつい目つきをした猫耳フードの女官がぴたりと控えていた。

 

「私が今日一日でこなすべき内務、判断を下さねばならない案件、応対すべき相手、朝議で確認しておく部署……それは理解したわ。けれど、それは今回の試験の主題ではないでしょう?」

 

 拓実の確かめるような問いかけに、女官は我が意を得ていると満足そうに頷き返す。

 

「当たり前でしょう。今日夕刻まで、誰にも悟られることなく責務を果たすこと。それが今回のあなたへの課題となるわ」

「ふん。今更その程度、危惧するほどのことでもないわね。それより、その間そちらはどうしているのかしら? 下手をすれば、私よりあなたの不手際が原因で課題を果たせなくなるわよ?」

 

 横に侍らせている女官と言葉を交わしている拓実が座っているのは、華琳しか座ることの許されない王の為の椅子、玉座。しかし、拓実は華琳に扮している為に見た目だけならば違和感は一切感じることはできない。

 珍しく他には春蘭・秋蘭も、桂花も、兵士どころか見張りすらもいない玉座の間にて、拓実は傍にいる女官の話に耳を傾けていた。

 

「ふふ。今回ばかりは荀攸としてあなたの仕事を補佐をすることになるわね。光栄に思いなさいな。この私自ら、『曹孟徳』を教授するのだから」

 

 おかしな点といえば、隣にいる女官が深く被っている猫耳フードの中から、威厳に満ち溢れた声が聞こえてくることだろう。また、女官は自身を荀攸と名乗っているが、その正体である筈の拓実がすぐ隣でそんな彼女を冷ややかに見ている。

 拓実は、はぁ、と呆れた様子でため息まで吐いてみせた。

 

「華琳。別に私はあなたに、桂花と見分けがつかないほどになりきれとまで言うつもりはないわ。今回、試験を課されているのは私なのだから。けれど、少しぐらいはあの子に似せる努力をしたらどうなのかしら?」

「わ、わかっているわよ」

 

 拓実に華琳と呼びかけられた女官は、いつになく強気な様子の拓実に戸惑っている。その女性にしても着ている服装故か、普段の勝気さが鳴りを潜めて調子が掴めずにいるようであった。

 このちぐはぐな様子の猫耳フードの女官。拓実の所持している荀攸の衣服を身に纏っているのは、何を隠そう拓実が扮している華琳その人であった。

 

 華琳より課せられた最終試験。それは、影武者として実際に華琳の位置に立ち、代わりとなりうることが出来るかどうかの試験であった。

 その場合、本物の華琳が必然的にあぶれてしまうことになるのだが、どうやら拓実が華琳となっているその間は空いた荀攸の座に収まることにしたようである。ちなみに春蘭以下、配下の者には今回の試験について一切知らせていないとのこと。おそらくはこの方が面白いだろうという判断で華琳までも荀攸に扮することにしたのだろうが、むしろそれで楽しめるのは拓実の方であった。

 

「わかっていると(うそぶ)くのであれば、その周囲を近寄り難くさせている覇気をまずは抑えなさい。今のあなたを見れば一目で荀攸でないと知れるでしょう。そんな風に周囲を威圧して回る文官がどこにいるというの」

「ぐ……」

 

 拓実に窘められた華琳は小さく呻き声を漏らし、しかし真っ当な指摘ではあったので無理やりに笑みを浮かべて見せる。周囲を圧迫していた、ぴりぴりとした雰囲気が少しだけ和らいだ。

 しかし、今浮かべている華琳の笑顔を直視したなら、子供ならば泣き、大人であっても凍りつくだろう。そんな攻撃的な笑顔を向けられた拓実はといえば、まったく意に介した様子がない。

 

「……これで、いいかしら?」

「はぁ、そうね。いくらか、それこそマシにはなったというところね。まぁ、その頭巾を深く被って一言も声を発さずにいるのであれば、一応の及第点としましょうか。華琳ともあろうものが、私と骨格や声帯からして近いのだから同じぐらいには桂花の声色や表情に近づける筈だというのに……」

 

 言外に「期待外れ」と告げると、荀攸に扮している華琳の表情がこれ以上ないほどにひきつった。あまりの屈辱にわなわなと体を震わせている。しかし最後の意地なのか、笑みは崩れずに保ったままだ。そんな華琳の様子に気づいているのかいないのか、拓実は内心の不満を隠さずこれ見よがしに肩をすくめている。

 

「先ほどに言ったように、今回試験を課されているのは私ということだから荀攸は傍に控えて助言するだけだもの。その不出来な演技には目を瞑っておきましょう。ああ、いえ。むしろ出来る筈もない無理難題を申し付けてしまった、私の不明を詫びた方がいいのかしらね」

「ふ、ふふふ」

 

 「悪かったわ」などと粗雑に述べ、興味を失った風に華琳から視線を逸らした拓実に、華琳はついに笑い声を漏らした。無表情にそっぽを向いている拓実に、華琳は向き直る。華琳は、侮辱されたままで終われるような温い人間ではない。

 

「それは、この曹孟徳に対する挑戦ということかしらね? この私がこうまで侮られるだなんて久しくなかったことだわ。いいでしょう。あなたが私を演じるように、私も荀攸として振舞ってみせましょうか。演舞を嗜み、幾度となく都の芝居を鑑賞したこともある。文芸においても非凡と謳われているこの私を相手にそのような言葉を吐いたこと、後悔させてあげるわ」

 

 怒りのあまり僅かに顔を紅潮させている華琳が、けれども声を荒らげずに口にしたその言葉を聞いた瞬間、表情を欠いていた拓実の顔が「それを待っていた」といわんばかりにサディスティックな笑みに変化する。

 同じくして華琳の顔に浮かんでいた赤みが引いた。次いで苦虫を噛み潰したかのように歪む。拓実のその様子で、怒りに任せて挑発に乗ってしまったことにようやく気がついたのだ。

 

「あら。この私に向かってよく言ったものね。いい心がけよ。あなたがそうまで言うのであれば、私も先達として指導しないわけにもいかないでしょう」

 

 言質はとった。最早何の憂いもなく口元を綻ばせて述べる拓実に、華琳から鋭い視線が返ってくる。迂闊な、そんな声が聞こえてきそうなほどに華琳の表情には自身への苛立ちが乗っていた。

 

「荀攸、まずその尊大な口調を何とかなさい。一介の補佐官がこの曹孟徳に対してする言葉遣いではないわ」

「……っ、これで、よろしいでしょうか」

 

 しかし、いくら失敗を認めようとも、華琳は一度口にした言葉を撤回したりはしない。自身の言葉に責任を持つ、それが華琳の在り方だからだ。だからこそ、拓実はそのように話題を誘導したのである。

 自身そっくりの影武者に言われるがまま、華琳は無表情に拓実への口調を敬語に改めた。内心では屈辱に打ち震えていることだろう。華琳に扮している拓実はぞくぞくと背筋を震わせて、嗜虐的に笑みを深めた。

 

「それで、荀攸。あなたは私を何と呼んでいたかしら?」

「曹孟徳、様にございます」

「どうも表情が固いわね。それに、私の記憶違いでなければ、もう少し声は高くて細かったと思うのだけれど?」

「……は、はい」

 

 口調を直し、笑顔を浮かべ、声を高くしてと、一挙動とるのにも四苦八苦。いつも優雅に物事をこなす華琳からは珍しくそんな様子が見て取れた。

 実際、人の物真似を照れを入れずに披露するのには、結構な精神力を要するものである。似せることが出来ているのだろうかという不安はいつもついてまわること。そうして物怖じして縮こまれば興ざめであるし、物真似が似ていないのに自信たっぷりに振舞うなど恥さらしもいいところだ。

 物真似の目的が笑いを取る事であれば、特徴を拡大して滑稽に演じれば済むこともあるが、しかし今華琳が演じているのは笑いを取るためでもなく荀攸の代役を果たすためである。

 

「後はやはり、荀攸を自身に映すというのであれば、曹孟徳という人物に心酔した言動をしなくてはならないわね」

「それはっ……! くっ! 曹孟徳、様、お戯れはどうかほどほどに。時間が近づいておりますので」

 

 それらにしても、今の拓実が命じたものに比べればよっぽど生易しい。

 華琳は己の自尊心だけは傷つけまいと、いつも拓実がしているような荀攸の振る舞いを試みようとして、そうして己の自尊心の為に踏みとどまった。

 

 ――華琳に心酔している荀攸の言動をしろ。拓実は華琳にそう言った。自己陶酔の気がある者でも、それを照れを入れずに演じることが出来るだろうか。つまるところ他人の姿を借りておいて、自分を褒め称えろというのである。

 荀攸の素性が拓実には知れているだけに、自画自賛よりもよほど酷い。それこそ拓実のように役柄毎に価値観が異なるといった例外を除けば、まともな神経ではまず羞恥心が湧き上がってきてしまってこなせまい。

 

「さて、荀攸を苛めるのもこの辺りにしておきましょうか。今日は朝議が入っていたものね」

「……はっ」

 

 明らかに拓実に軽くあしらわれている。何故こうなった。不機嫌さを隠そうとしない華琳の仏頂面には明らかにそうあった。しかし、必要以上に意地悪こそしてしまったが、華琳が荀攸として過ごすならば拓実に対して敬語を使わねばならなくなるのは当然の帰結である。

 目先の面白さにつられてのことか、それとも自身であれば他人になりきれるだろうと軽く考えていたか、あるいは影武者である拓実の様子を一番近くで確認する為なのか。おそらくはそのいずれも考慮した結果として利が勝ると考えたのだろうが、華琳にしては少しばかり見通しが甘かったようである。

 

「ふふっ、多少はさまになってきているわよ」

 

 落ち着いたのだろう、つんと澄ましている華琳を見て、拓実は満足そうに玉座に深く腰掛ける。微笑ましく見られていることに気がついて、華琳はぷいとそっぽを向いた。

 

 拓実はそう言ったものの、華琳が荀攸になりきれているとは言い難い。背格好が同じだけに遠目に見るならともかく、人前に出ればすぐにその正体が知れるだろう。ただ、演じるということを意識していなかった先ほどとは大違いである。元々拓実と華琳は顔つきも体格も同じなのだから、内面までは無理でも外面だけであれば華琳にだってこなせない筈はないのだ。

 それを促すためとも言える本物の華琳もかくやといった悪辣な拓実の悪戯であったが、いつもの華琳を相手にしていてはここまでのことは出来はしなかっただろう。今回のことは拓実が意図してそうしようとしてのことではない。ただただ、『華琳』という役に入り込んでいただけなのだ。いつも荀攸である拓実が華琳に苛められ、華琳が荀攸を弄って愉悦を覚えているように、拓実も同じく荀攸となっている華琳にそうしたに過ぎない。つまり、華琳が荀攸の位置に収まるなどと言い出さずにいつもの姿であったなら、華琳に対して『華琳が持つ加虐性』を覚えることはなかった。いつもの華琳が相手であれば、拓実はいいように押し切られていたに違いない。

 

「君主が配下より先に待っていてはよろしくないから、私は一度部屋に戻るとするわ。荀攸、あなたも人前に出るにはまだ不安が残る。朝議が終わるまでは私の部屋で待機しておきなさい」

「かしこまりました」

 

 初めて一方的に華琳をやり込めたことで上機嫌になっている拓実は、自室へ向かって歩き出す。華琳もその後ろを従者のように後ろについて歩く。

 だから、華琳が先ほどまで拓実がしていたような笑みを密かに浮かべていたことに気がつけなかった。先にもあるように、華琳は決してやられたままで済ますような温厚な人間ではない。

 

 その報復はこの試験が終わった後に盛大に行われることとなり、拓実は後に泣いて許しを乞う事になるなどとは露知らず、意気揚々と足取り軽く玉座の間から出て行くのだった。

 

 


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