影武者華琳様   作:柚子餅

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27.『荀攸、張飛を恐れるのこと』

 

 曹操・劉備合同軍と黄巾党との戦は更に熾烈なものとなっていった。自領地ならばともかく、故郷から遠く離れた地で戦をするともなれば兵にも疲れが見え、日数を置くほどに死傷などにもよって故郷へ帰れぬ兵も出てくる。

 だが、その代わりに内外問わずに高まっていくのは『曹操』と『劉備』の名声である。劉備軍は立ち寄った邑から志に賛同する若者たちを兵として迎え入れ、そして曹操軍は陳留に戻るたびに増えている志願兵が加わり、合同軍は徐々にではあるが規模が大きくなっていた。

 

 しかしその合同軍とはいえ常に連戦連勝とはいかない。指揮を執るのが華琳であろうとも桁から違う大軍に攻めかかられたり、優勢に進めていても予期せぬ援軍などにより撤退を余儀なくされることもある。また必死に喰らいついてはいるのだが、どうしても曹操軍と比べてしまうと劉備軍は数が少なく、錬度が低い。そこを突かれる形で劣勢に立たされたこともあった。

 劉備軍の将の指揮精度は向上している。兵の質は流石に曹操軍のそれに及びつきもしないが、多少遅れつつも追随できるほどには錬度を高めてきている。それは曹操軍の行っている錬兵法を取り入れて諸葛亮と鳳統が自軍にも施せるよう改良し、根気よく兵に調練を施した関羽、張飛の行動の結果である。けれども、そうまでしても曹操軍の練度には及ばない。

 しばらくは劉備軍の練度向上を待って見守っていた華琳であったが、彼女としてものんびり構えている訳にはいかなくなっていた。ここ最近は黄巾党軍側も指揮系統を構築し始めているのか手強くなりつつあった。まだ兵数が同程度であるならまず問題ない。しかし、相手方が自軍の二倍以上の数を誇る場合は、その錬度の差が、揃わぬ足並みが、全体の大きな不和となってしまう。

 

「荀攸さん。今日はわざわざありがとね」

「どれほど役に立てるかはわからないけれど、華琳様より直々に頼まれたとあれば結果は出すわよ。まず詳しく現状と、問題点を聞いておきたいのだけれど……」

 

 ここ最近は伸び悩みつつあった劉備軍もそれは憂慮していたようで、解決への申し出に同意もあり、華琳は合同軍の不確定要素を削るべくして比較的手の空いていた拓実を劉備軍へと遣わしたのだった。

 本来ここまでするのであれば曹操軍は劉備軍との共同戦線を破棄し、単独で討伐に赴くべきだろう。華琳がそうまでする義理はないし、とりあえずの不安はなくなるのだから簡潔に済む。

 けれども、黄巾党が数でかかってくる現状に限ってその選択は不利益が勝ってしまっている。曹操軍の精鋭が二倍の敵を打倒できたとしても、三倍の敵の前には敵わない。策を弄せば別だが、更に訓練を課して質を高めようとも兵質のみで三倍に勝るのは至難の業だ。であれば、いずれ離れることになろうとも劉備軍を加えて数を増やし、連携の向上を図って当初の三倍以上の敵を打倒するのが上策である。

 

「えっと、詳しいことは朱里ちゃんや雛里ちゃんに聞いてもらえると……あ、今、机とか用意していますから、ちょっとだけここで待っててくださいね」

「諸葛孔明と鳳士元、ね」

 

 劉備に返答しつつも、拓実は密かに手のひらの汗を拭った。荀彧である桂花ならともかくとして、果たして桂花に及ぶべくもない拓実が、あの諸葛亮や鳳統を相手に助言することなどができるのだろうか。

 内政官としてならば多少の実績はあるが、軍師としての経験など積んでいない拓実が彼女らに適切な助言ができるものかと発言したところ、笑みを浮かべた華琳には「目の前にいるあなただけでは不足でしょうね」と意味深な言葉を返された。一人だけでは不足と華琳は言うが、こうして遣わされたのは拓実だけである。言葉の陰に隠れた意味を、主命を任命してより考えるも解き明かせないでいた。

 

「あの、それから荀攸さん。あれから会えずにいたのでしっかりお礼が出来ませんでしたけど、この前はどうもありがとうございました」

 

 気がつけば、拓実の目の前で劉備が頭を下げていた。思考に沈んでいた拓実はいきなり礼を言われるも、何のことかわからずに首を傾げた。

 がばっと顔を上げた劉備は桃色の髪と大きな胸を揺らし、申し訳なさそうな表情を向けている。

 

「本当なら私たちから少しでも出せればよかったんですけど、あのお店があんなに高いとは思ってなくて。すごい金額でしたけど……」

「あ、ああ。あの料理店でのことね」

 

 拓実はようやく思い当たり、頬を引きつらせてぶるりと震えた。今までの思考は、どこかへと飛んでいってしまった。

 結局八人で飲み食いした食事代の半分ほどは、桂花に借金をしたままである。元々使うほうではなかったが、向こう四ヶ月ほどは贅沢ができないだろう。それぐらいならばまだよかった。それよりも重大なのが、桂花を相手に弱みを作ってしまったことである。

 

 荀攸としての拓実は補佐官待遇であるため、自身で案件を処理することももちろんあるが、桂花を雑務に煩わせないようにすることが仕事の主軸となっている。元より「私の代わりに書簡全部あんたが持ちなさい。腕が太くなっちゃうでしょ」だの「喉が渇いたからお茶を用意しなさいよ。気が利かないわね」だの「あのお店のお菓子が食べたいから買っておいてよね。あんたのお金で」だのと仕事と関係のない要望まで命令していたのだが、輪をかけて我がままを言うようになったのだ。

 先日にはついに「最近一人寝ばかりで寝不足気味だから、せめて安眠して作業効率を上げるためなのよ」などと理由をつけて、華琳の格好をさせて拓実を寝台に引っ張り込んだのだ。一月分借金を割り引いてあげると言われ、頷いてしまったのは迂闊と言う他ない。もちろん添い寝をしただけではあるのだが、またも間が悪く、翌日の朝に華琳が桂花の部屋を訪ねたのである。あの時の再現のように拓実は物置に隠れ、間男のような朝を送ることになったのだった。

 以前と違うのは、最終的に見つかってしまって二人で華琳に叱られ、お仕置きを受けたことだ。桂花は華琳に嘘をつけず、また突発的な事態の対処に弱かったようである。彼女が春蘭ほどではないものの、演技の才が欠如していたのも一因だろうか。

 そうして華琳より与えられたお仕置きの内容を思い返そうとしているうちに、拓実はそれができないことに気がついた。

 

「じゅ、荀攸さん、大丈夫!? すっごい震えてるし、顔、真っ青だよ!?」

「え? な、ななな、なに?」

 

 気がつけば、拓実は知らず知らず自身を両腕で抱きしめていた。まるで身一つで雪山の放り出されたようにがたがたと震えている。自覚のなかったそれに驚く拓実だったが、震えは一向に収まってくれない。とりあえずゆっくり深呼吸する。するとようやく、徐々にだがそれが収まってきた。

 

「ふ、ふぅ……ふぅ……」

「その、荀攸さん? 何があったのか訊いても」

「お願いだから訊かないで!!」

「ひゃ、ご、ごめんなさいぃ!」

 

 お仕置きの内容が一瞬再生され、拓実は血走った目を見開き、記憶ごと掻き消す様に間髪を容れずに叫んでいた。劉備は拓実の有無を言わせない声とその形相に恐れ慄き、目に涙を溜めて頭を下げたのだった。

 

 

 準備が出来たらしく、拓実は関羽の先導により陣営の奥へと案内された。その先にある卓には、立って拓実を出迎える諸葛亮と鳳統の姿がある。

 

「荀攸さん、本日はご足労いただきましてありがとうごじゃいましゅ」

 

 出迎えた諸葛亮の第一声。以前も見たその失敗を、拓実はそんなことなどなかったようにスルーした。顔を真っ赤にして涙目になった諸葛亮は「はわ、はわわ」と小さく呟いて慌てふためき、何ら反応していない拓実を見て「よかった、気づかなかったみたい」と胸を撫で下ろしている。もちろんその全ての声を、拓実の耳は拾っているが無反応である。春蘭の相手をしていて身につけた大人の対応だった。

 

「その、本当は私たちの方からお伺いするべきだったんですけど……」

「気にしなくていいわよ、実際の調練も見てみなければわからないこともあるでしょうし。その為にわざわざ陣を移動するのも億劫だもの」

「そう言っていただけると助かります」

 

 言葉を交わしていくうちに冷静さを取り戻したらしい諸葛亮は、拓実に小さく礼を返した。空いた席に座った拓実は、周囲も座ったのを見計らって口を開いた。

 

「堅苦しいのはここまででいいでしょう? 早速だけれど、本題に入らせてちょうだい」

「はい。雛里ちゃん、お願いね」

 

 諸葛亮に促されて、鳳統が書簡を広げた。

 

 

「……なるほどね」

 

 口元に手を当て、拓実は与えられた情報を吟味し、感嘆の声を漏らした。拓実の手元にある竹簡にまとめられている諸葛亮、鳳統が二人で煮詰めたらしい錬兵法は、曹操軍のものよりも理に適っているといえる素晴らしいものだった。その欠点を見つけるために助言をしにきた拓実であったが、これを見れただけで知識の裾野が広がったような覚えがしている。

 

「どうでしょうか?」

 

 その出来に自信があるのだろう。諸葛亮が拓実に向けるその眼差しは力強い。隣の鳳統も同じようで、いつもは不安げにあちらこちらへと動かす視線を揺るがせもせずに、じっと拓実を見ている。

 

「はっきり言って、私にはこれ以上の改善案は出せないわ。うちの行っているものにも劣らぬどころか勝るとも知れない、驚くほど優れたものよ。見よう見まね、おまけに半年ほどの期間でここまで仕上げたことを二人は誇っていいと思うわ」

「けれども、実際には……!」

 

 諸葛亮と鳳統が眉を開き、拓実を注視した。これ以上ないほどの賛辞ではあるが、しかし疑問は晴れていない。これが拓実の言うように非の打ち所のないものであるなら、最近になって劉備軍の兵士たちが伸び悩んでいることに説明がつかない。

 そんな二人の反応を見て拓実はようやく、華琳の言っていた意味を理解できた。荀攸としての知識、経験だけでは、これには中々気づけなかっただろう。

 

「これを実行できたのなら、華琳様の兵に比するだけの強さを劉備軍は手に入れることになるでしょうね。ただし、これを関羽や張飛が兵に対して、十二分に施せたならだけれど」

「それは、私や鈴々の調練に原因があると言うのか?」

 

 拓実にちらりと見られた関羽が、む、と眉根を寄せて声を上げた。対して、拓実は首を横に振って答える。

 

「いいえ。欠陥があるのは、やはりこの錬兵法よ」

「欠陥……!?」

 

 諸葛亮と鳳統が、うって変わっての辛辣とも言える拓実の言葉に目を見開いた。

 訪れたのが桂花であったらやはりこの問題は解決しなかったかもしれない。既に気づいていた節のある華琳、あとはおそらく秋蘭ならば拓実と同じく看破できることだろう。

 

「荀攸さん、それはいったい?」

「そうね。前提条件として、領地を持たず地盤が弱い劉備軍では、我が曹操軍と同じだけの精強さを求めようとしても難しいこと。個々の兵の素質が劣っているという事実ね。まぁ、調練を施す期間を延ばせば解決することもあるでしょうけど、討伐の為に遠征してその時間を捻出できない以上それは無視するわ。ここまではいいわね?」

 

 諸葛亮、鳳統が神妙な顔で揃って頷いたのを確認し、拓実は続ける。

 

「なのに今しがたに私が述べたのは『これを施せたのならば兵質に勝る我が軍と並べるだけの強さを手に入れることが出来る』。あなたたちもそれを意図してのこの錬兵法なんでしょうけど、ほら。もうここで先の前提と喰い違うじゃない」

「それは……」

「迂遠な物言いも面倒だからはっきり言わせてもらうと、あなたたちの作った錬兵法は兵たちに求めるものが高すぎるのよ。我らの軍にこれを施したならさらに精強な兵となるに違いない。それを成せるのは、私たちの兵が過酷な訓練に耐えられるだけの気概と、個々の能力、見合った報酬があってのことよ。諸葛亮も鳳統も我が軍に引きずられて、その強さを目標として錬兵予定を立てているのでしょうけど、地盤も固まっていないあなたたちにこれは少し早すぎるわ」

 

 曹操軍の兵士は、能力によって警備兵、本隊兵、近衛兵と割り振られ、そしてそれぞれの資質に見合った訓練を施している。近衛の兵が受けている調練を警備の兵が受けたとして、そのほとんどは予定している能力を身につけることは出来まい。ある程度で頭打ちして、それ以上伸ばそうと訓練を増やせば耐え切れずに脱落してしまうことになるだろう。

 さらに言うのなら、遠征中、劉備軍は志願してきた若者をその場で自軍に加えているのに対し、曹操軍は志願した者たちを自軍に加えたりはせず、一旦陳留へ送り出しては最低限の調練を受けさせている。ひと通りの訓練を終えている兵たちに新兵の彼らを加えたところで、全体の統率が取れないと知っているからだ。そうして陳留にて調練を終えた兵を、帰還した際に合流させているのである。

 行く先々で新兵を加えた劉備軍は、その都度で練度を落とす。その上で個々の伸び代も計れていないのに全員に同じ調練を施して、曹操軍と同じ練度を目標にしてそこまで引き上げようとしているという訳である。それでは上手くいく筈もない。

 諸葛亮や龐統は同行している本隊兵士や近衛兵に対しての調練を元にして錬兵法を作ったのだろうが、下限を設けず兵として取り立てている劉備軍の兵ではそれについてこられる訳がなかったのだ。今まで兵士の脱落を避けられたのは、関羽や張飛がそれを強く押し付けず、過度の訓練を控えたからだろう。

 

 聞くところによれば、諸葛亮や鳳統は司馬()の下で兵法、経済、算術、地理、農政を学んだという。そして優秀な彼女たちはそれら全てを修めていることだろう。しかし、そこを離れて実際に軍に加わってから、まだ半年と経っていないようである。

 理論は完璧といってもいい。その点では、拓実は二人の足下にも及ばない。確かに二人の案を実践できたならば言うことはないが、十を求められて十の結果を出せる者ばかりではないのだ。培ってきた豊富な知識が『最高』を弾き出したが、今必要なのは最高ではなく『最適』である。導き出した答えが完璧であっても、状況によってはそれより質を落とさなければならない。

 つまり二人は、知識が先行しすぎていて経験が足りていない。もう少し試行錯誤をする時間さえあれば諸葛亮や鳳統も自ずと気づけたことだろうが、ここのところの度重なる連戦が彼女たちの余裕を潰してそれを許さなかった。このように拓実が二人に指摘できたのも、軍務に当たって不慣れである今だけのことであろう。もう数ヶ月もすれば、拓実が指摘すべきところなどは自然と自覚して、なくなっているに違いない。

 

 桂花では合理性や利点ばかりに着目してしまい、もしかしたならこの欠点に気づけないかもしれない。気質が内政に長けている上に調練などは春蘭、秋蘭に任せきりな為、兵士に適した調練であるかなどは見て取れないだろう。その匙加減は現場に出て率いる者か、実際に動いている者にしかわからないことだ。

 だからといって春蘭では、諸葛亮や鳳統の語る利を理解できずに必要ないとして省きかねない。感覚と経験則で物事を捉えている為、この二人が求めている地点を測れないからだ。

 

「けれど、荀攸さんの理屈では、どうやっても曹操軍と同等の連携が取れないことになるのでは……」

「だから。全てにおいて我が軍の兵士と並べるだけの力を持たせる必要はないじゃない。そうでしょ? とりあえず必要なのは進軍速度と、将からの命令を遵守し、即座に実行すること。共同戦線を張っている当座は他の部分の質を落として、必要な部分だけを伸ばせば事は足りるわ」

「……それは」

 

 渋る様子の諸葛亮に、拓実はため息をついてみせた。確かにこのやり方には弊害が多分にある。彼女らからすれば、これは正しくない解なのかもしれない。しかし現状、その選択を許せるような状況ではないのだ。

 

「私の言うやり方に納得できないというのならば、さっさと劉備に功を立てさせて領地を持ちなさいよ。そうすれば、いずれはあなたたちの錬兵法に適するだけの土台も整えられる。でもその地盤を固めないことには兵を選別して底上げすることも、見合っただけの給金を与えることも出来ないでしょう」

 

 拓実の言葉に対し物言わずとも、悔しそうな様子の諸葛亮に、鳳統。

 

「……があっても気にしない~♪ やーまが……んにゃ?」

「ひっ!」

 

 何ともいえない空気が広がる中、どこからともなく陽気というより脳天気な鼻歌が聞こえてきた。拓実はその声が聞こえるなりに反射的に悲鳴を上げると、卓に隠れるようにしゃがみこむ。しかし、声の主にはあっさりと見つかってしまったようだ。

 

「あー! 金髪の猫耳お姉ちゃんなのだ!」

「ち、張飛?」

 

 丈八蛇矛を肩に担いで現れたのは張飛。彼女を前にした途端に拓実の余裕は崩れ去り、助けを求めるようにおろおろとうろたえ始めた。顔は引きつり、腰まで引けている。周囲からは怯えているようにも見えるだろう。

 そんな拓実の頭の中では張飛から記憶が連鎖していき、最終的に華琳のお仕置きへと繋がっていった。見る間見る間に顔色を悪くしていく。

 

「あのね、鈴々今兵士のみんなを鍛えて、いっぱいがんばったのだ!」

「そ、そう。それは偉いわね……」

「にゃー、ほめられたのだ! でも、がんばったらお腹がへっちゃったのだ。あっ、もしかしてまたご飯お腹いっぱい食べさせてくれる?」

「は? 何でそうなるのよ! 無理ッ! 無理だからっ! きゃあ、どうして近寄ってくるのよ! こら、だから近寄らないでってば!」

 

 どうやら張飛は拓実のことをご飯をいっぱい食べさせてくれる人と認識しているらしく、にこにこと無邪気な笑顔を浮かべて拓実へと擦り寄ってくる。

 張飛にすっかり苦手意識ができてしまった拓実は、すぐさまに立ち上がって卓を挟んで逃げ惑う。こころなし、被っているフードの猫耳が威嚇しているかのように立っている。

 

「ちょっと! あんたらは何ぼーっと見てるのよ! 助けなさいよ!」

 

 一気に弛緩してしまった空気に、他の面々は言葉もない。ぐるぐると卓の周りを駆け回っている二人を眺め見て呆然としている。

 

「にゃはは! 追いかけっこなのだ? 捕まえたら一緒にごはん食べにいくのだ!」

「ふ、ふざけるんじゃないわ! あんたら覚えてなさいよ!!」

 

 拓実は助けの手が伸ばされないことを悟ると、まるで悪役のような台詞を吐いて劉備軍の陣から飛び出した。最早形振りも構っていられず、荀攸の姿ながら許定として鍛えた健脚を発揮し、そのままあっという間に自陣へと逃げ延びていった。

 美味しいごはんを捕り逃した張飛は唇を尖らせ、残った面々は突風のような速度で走り去っていく荀攸の後ろ姿を、ただただ見送っていた。

 

 

 ――後日に許定に扮して練兵の経過を訊きにいってみたところ、拓実の妥協ともいえる錬兵法は部分的に採用され、ある程度の成果を見せているようであった。また困ったことに、放っておけば気づくだろう大した助言ではなかった筈なのだが、何故だか諸葛亮は荀攸を身近な目標として見ているようである。

 そんな厄介な情報を言って聞かせてくれた一刀を前に、許定として振舞っている筈である拓実はだらだらと冷や汗をかいてしまっていた。

 

 

 

 

 

 『首都洛陽に黄巾党三万が迫る』

 劉備軍と共に各地を転戦して半年ほどが経った頃に、その報と援軍を求める勅書が曹操軍の元へと届いた。しかしその報せは予州にて一戦を終えたばかりの曹操軍にとって間が悪く、援軍に向かうにはあまりに遅く、また破竹の勢いで黄巾党を討伐する曹操軍を以ってしてもその桁から違う数の差は手に余るものだった。

 

 とにかく帝よりの書状もあって準備を整えんと(エン)州へ取って返してみれば、今度はその理由もなく援軍取りやめの書状がまた届く。遅れて、あわや賊徒の手で首都が陥落するかとのところで黄巾軍が散り散りになって逃げていったらしいとの噂が陳留に流れてきた。だがその真偽は知れず、官軍が寡兵にて押し返しただの、黄巾軍が内部分裂しただのとその原因も定まらない。

 

 いくつもの情報が錯綜する中で、しかし次第に人々の口からは揃えてある人物の勇名が語られるようになる。それはまるで御伽噺のような英雄譚。三万もの大軍を蹴散らした、たった一人の将軍。

 携えるは深紅の呂旗。嵐の如く振るうは方天画戟。万夫不当の飛将軍、呂布、字を奉先と名乗る少女の名は、瞬く間に大陸全土に広まっていったのだった。

 

 

 各地の民草が呂布の英雄譚に湧き上がっている中、(エン)州は陳留の城では、曹操軍、劉備軍の主君をはじめとした中核の者たちが一堂に会していた。これまで、基本的にやりとりはお互いの軍師を通しての事務的なもので、華琳と劉備、一刀の三名が揃って顔を会わせるのだってこの半年の間でも両手の指で足りてしまうほどの回数でしかない。

 数少ないそれも、互いの顔合わせや立ち寄った(むら)での挨拶などに限り、必要以上の交流はしてこなかった。主君に倣ってか武将も相手陣地にみだりに赴くことも少なく、また兵たちも言葉を交わす機会が限られていた。

 しかしそれは以前までの話。今に至ってはその兵たちも分け隔てなく酒盛りを楽しんでいることだろう。何故ならば、交わされていた共同戦線の契約は破棄されている為に、ここ数日劉備らは華琳の客人としてもてなされているからである。

 

 曹操・劉備合同軍は転戦に転戦を重ね、先日には劣勢であった予州へ援軍に向かい、同じく官軍からの援軍であった皇甫嵩らと共に指揮官の一人を討ち果たしていた。しかし黄巾党の首魁であるらしい張三姉妹の姿は、向かったいずれの戦場にも見えない。

 今こうして(エン)州にいるのも元は中央からの援軍要請を受けてであったが、華琳は情報の整理と収集の必要を感じ、また長期にわたって停滞していた領地の経営の為にしばらくの帰還を決めてのことである。

 

 だが、そうなってしまうと困ったのが劉備たちである。華琳は再び討伐へと向かうまでの駐屯を許したが、それも下手をすればいくつも月を跨ぐこととなるだろう。その間、華琳の配下でもない劉備たちに出来ることは自軍の訓練ぐらいのもの。

 戦乱は変わらず続いているのに無為に過ごすわけにはいかないと、劉備は華琳の誘いを辞して更なる戦場へ向かうことを告げたのだった。数日後には(エン)州を離れて、単独で黄巾党討伐へと向かうことが決まっている。そういった経緯を経て、これまでの討伐慰安、両軍の交流も兼ねた劉備軍への壮行会となっているのである。

 

「おかわり! 次の持ってきてー」

「こっちもおかわりなのだ!」

「ボクにもおかわりー」

 

 宴会場の卓では我先にと競争して手が上げられている。季衣と張飛、そして許定として振舞う拓実である。

 頻繁に運動していたからか拓実の食事量は順調に増えていた。もちろん、それでも未だに季衣の食べる量の四分の一にも届かない。十人前の料理をぺろりと平らげて物足りない様子を見せる季衣は別格であり、未だに拓実が桂花に借金し、トラウマを植えつけられる原因となった張飛もまた別格であった。

 

「ふふーん。ちびっこ、勢いがなくなってきたんじゃない?」

 

 運ばれてきた大振りの饅頭三個をあっという間に平らげてしまった季衣は、まだ口をもぐもぐと動かしている張飛を挑発する。眉を吊り上げた張飛は、急いで残りを飲み込み季衣を睨みつけた。

 

「そんなことないのだ! つるぺたはるまきにはずぇーったい負けないのだ!」

「つるぺたはるまき言うな!」

「だいたい、遅いのは鈴々じゃなくて、ぺたんこおでこのほうなのだ!」

 

 言って、張飛は勝ち誇ったように拓実を見てくる。張飛は季衣を『つるぺたはるまき』と呼び、拓実を『ぺたんこおでこ』と呼んでいた。季衣のはるまきは特徴的な二つ結びから、拓実は言わずもがなである。つるぺた、ぺたんこは二人の起伏のない胸を揶揄しているようだ。

 そして張飛は季衣や拓実と顔を合わせると、何かと突っかかっていた。季衣もまた、年の近い張飛を『ちびっこ』と呼んでは挑発してしまうようである。とはいえ、妙に懐かれてしまった荀攸としてより、こういった張飛相手の方がよっぽど気楽に付き合える。許定として接するならば、どうやら荀攸の心に刻まれたトラウマも発生しないようだ。

 

「うっさいなー、ちびすけ。いいの、ボクは。そうやってがっつくよりも味わって食べるのが好きなんだから。競争なら二人で勝手にやってればいいじゃん」

 

 張飛に目線すらよこさず、拓実は目の前に運ばれてきたばかりの三皿目となるエビチリをレンゲで掬って口に運ぶ。

 何故エビチリがこの時代にもあるのか。いつもなら頭をよぎるだろうそんな疑問すら浮かばずに、口いっぱいに詰め込んでひたすらに咀嚼する。拓実にはそんなことはどうでもよかったのだ。目の前にエビチリがある。エビチリ=幸せの等号式が成り立っているのである。

 

 日本育ちの拓実にはもちろん、いくつか好きな食べ物があった。五目ご飯や鉄火巻き、パスタなどなど、この時代に来て食べられなくなったものが大半であるが、運良くそれから逃れたらしいエビチリが今こうして拓実の目の前にある。

 中華料理の流れを汲んでいるからもしかしたらと探していたものの、今まで街の料理屋のメニューで見なかった為に半ば諦めていた。どうやら小ぶりの川海老ならともかく、大振りの海老ともなると高級食材らしく、今回のような大掛かりな宴でしかお目見えしないらしい。それを見つけた拓実の喜びようは著しく、ずっとにこにこと笑って表情が満面の笑みから変化しないでいる。

 ちなみに、真っ赤なエビチリばかりを次から次に口に運んでいる拓実を、離れたところに座っている辛党の凪が同好の士を見つけたような目で見ている。確かに拓実が食べているエビチリは以前日本で食べていたものより辛味が強いが、だからといって辛党であるというわけではない。

 

「むー……」

 

 頬を膨らませている張飛に構わず、拓実は見るからに幸せそうにレンゲを動かす。味わって食べるのが好きと言いながらもその手は忙しなく、結構な速度である。しばらく横目でちらちらと眺めていた張飛は耐え切れないというようにきょろきょろと視線を周囲にやって、それが完全に占領されていることに気がついた。

 

「ううー、おんなじのはないみたいなのだ」

 

 じっと拓実が食べている大皿を物欲しそうに眺める。どうやらこれ以上ないほどに美味しそうに食べる拓実を見て、張飛も食べたくなってしまったらしい。

 だが、三杯目のおかわりからわかるように、エビチリに限っては拓実が独占していた。あんまりお腹にたまりそうにないからと季衣も張飛も気にしなかったのだ。張飛は料理が並んだ直後の「これ、ボクがもらうからね!」という拓実の問いかけに頷いた覚えさえもあった。

 

「ぺたんこおでこはずるいのだ。鈴々もそれ食べてみたいのに……」

 

 張飛は文字通り、指をくわえて拓実が食べる様子を眺め始める。最初にいらないと言った手前、声高に欲しいとも言い出せないようである。

 

「うー……。あー、もう! 仕方ないなぁ、ほらっ!」

 

 流石に見られていては気になるのか、拓実はしばらく悩んだ後に抱えていた大皿を鈴々に向かって押し出した。顔を逸らして言いながらも、だが未練はあるらしく視線だけで皿を追っている。

 

「にゃ? 食べていいの?」

「ちょっとだけだかんね!」

「あ、ありがと」

 

 まさか貰えるとは思っていなかったのか、張飛から素直にお礼の言葉が返ってくる。拓実は照れくさそうにふんと鼻を鳴らして、今度こそ皿から目線を切った。

 

「いっただっきまーす、なのだ」

 

 元気に響く声。遅れて、「んぐんぐんぐ」とレンゲの音すら鳴らさずに嚥下していく声。怪訝に思って慌てて振り向いてみれば、張飛がレンゲを放って、拓実が大事に大事に食べていたエビチリを喉の奥へと流し込んでいる光景だった。

 

「あ、ああああああー! 何やってんだよ、ちびすけ! ちょっとだけって言ったじゃないかぁ!」

 

 拓実は目を剥いて、傾斜を上げていく皿に悲鳴を上げる。だが時遅し。張飛が気づいて皿を卓上に置いたが、中身はきれいさっぱりなくなった後である。

 

「にゃ? ごめんなのだ。……んひゃ!? かー、からひ、からひのだ。これ、あんまりおいひくなひのだー」

「ふざけんな、このバカぁ!! うわぁぁあん!」

 

 辛さのあまり滑舌がおかしくなった涙目の張飛に、からっぽの皿を呆然と眺めてマジ泣きする拓実。新たに作らせた料理をかき込みながらそれを横目に眺めていた季衣は手元の皿を空っぽにして一息つき、口元に米粒をつけたまま呟いた。

 

「姉ちゃんもちびっこも、こどもだなぁ」

 

 

 

「まったく、あの子は何をやっているのよ……」

 

 華琳の呟きが妙に響く。続けて、はぁ、と嘆息した華琳は、ぎゃーぎゃー喚き散らしている拓実と張飛から目線を切った。向かいで同じ卓を囲んでいる劉備と一刀もまた騒がしい末席あたりの様子が気になって、目線をそちらへやっていたようだった。

 

「主催として詫びさせていただくわ。あの子には後で言って聞かせておくから許して頂戴」

「あ、あはは。気にしないでください。やっぱり楽しく食べたほうがごはんも美味しいし。それに、どうやら鈴々ちゃんが許定ちゃんの分を食べちゃったからみたいだから、どっちかっていうと鈴々ちゃんが、その……」

 

 ひきつった笑みでとりなす劉備は、困ったように一刀に視線を送る。その意図を読み取った一刀はひとつ頷いて劉備の言葉を引き継いだ。

 

「まぁ、ああいう元気いっぱいなところも拓実らしいしさ。あんまり怒らないでやってよ」

 

 だが、その発言は、飲み物を口に運ぼうとしていた華琳と、一刀に任せて安心した様子で食事に手を伸ばした劉備の動きを止めることとなった。動きは止めたまま、だが四つの瞳は一刀を射抜く。揃ったような二人の様子に、一刀は思わずたじろいだ。

 

「……『拓実』ですって?」

「曹操さん、それって許定ちゃんの真名ですよね? ご主人様ってば、いつの間に許定ちゃんを真名で呼ぶほど仲良くなったの!?」

「え? ああ、いや。遠征中の休憩なんかに拓実が俺のところに遊びに来てたから、その流れでさ。あれ、でも拓実を真名を呼ぶようになって、もう四ヶ月ちょっとは経ってるのかな」

 

 きょとんとした様子で答える一刀を放って、劉備はすぐさま華琳へと頭を下げた。

 

「あの、曹操さんごめんなさい! ご主人様、ちょっと目を離すとすぐ女の人と仲良くなっちゃう人で、私や愛紗ちゃんも困ってるんです」

「ところ構わずだなんて、まるでたんぽぽのような男ね。それに、あの子も最近行軍中に陣中で姿を見せないと思ったら……でも、駄目よ。あの子は私のもの。ちょっかいは許さないわ」

「いやいや、だから違うってば。そうだ! 拓実が遊びに来てるときは愛紗も同席してたし!」

 

 すっかり二人に誤解されてしまった一刀は頭を抱えているうちに、毎回欠かさずに同席者がいたことを思い出した。

 これで疑いは晴れるだろうと期待した一刀だったが、劉備の口からは更なる大声で文句が飛び出すことになる。

 

「えー! ずっるーい! ご主人様、愛紗ちゃんと許定ちゃんと遊んでたのー!? 私は朱里ちゃんと雛里ちゃんに勉強ばっかりさせられてたのに~! ご主人様と一緒に遊んだりできなかったのに~!」

 

 どうやら話は逸らせたようだったが、今度は違う方面で劉備に火がついてしまったようだ。

 いよいよ困ってしまった一刀が視線をめぐらせていると、向かいに居る華琳が興味深そうに笑みを浮かべているのに気がついた。

 

「へぇ。関羽も一緒に、ね。なんだかんだと言って、やっぱりあの子と私の嗜好は似ているのかしらね」

 

 口元が妖しく吊りあがっていながら、その双眸は鋭く少し席を離したところにいる関羽を追っていた。その熱の篭った視線に気づいたか、秋蘭、春蘭らと食事を摂っていた関羽は身を震わせ、周囲を見回している。

 一刀はすぐに華琳から目を逸らした。彼としてもそういった方面に興味がないこともないが、たぶん男が立ち入れる世界ではない。

 

「う。ええっと、その。そうだ、それにしてもあと数日で曹操のところのみんなと別れるともなると、寂しくなるよ。こんなことなら、もっと前からこういう付き合いが出来ればよかったよな」

 

 視線を宙に彷徨わせながら、不自然だとは思いつつも話を一新させるつもりで一刀が言い繕った。怒りから我に返ったらしい劉備が、感じ入った様子でこくこくと頷きながら一刀に追随する。

 

「ご主人様も? あっちこっちに行っててそんな暇なかったけど、私もこういう方が、いいな~って思うかな。それに、やっぱり一緒に戦う人たちがどんな人かわかってたほうが兵士のみんなも安心できるだろうし、やっぱり楽しいもん」

「……」

 

 笑顔を浮かべてそんな発言をした劉備を、華琳は杯を手にじっと見つめている。物言わぬ華琳に、何か気に食わないことでも言ってしまったのだろうかと、劉備の顔がちょっとずつ引きつっていく。

 

「あれ? えと、何かおかしなこと、言っちゃいました?」

「……まぁ、いいわ。劉備、あなたの軍なのだから、あなたの思うようにすればいいことよ」

「はいっ、よくわからないけど、頑張ります!」

 

 にっこりと笑って見せた劉備に、華琳も薄い笑みを返した。二人は一刀の発言より止めていた手を再開させる。

 落ち着ける場で会話するのは初めてだったが、一刀には二人の関係は悪くないように見える。だが反して、それを前にして一刀の表情は明るいとはいえないものだ。

 

 こうして仲良く向かい合う二人は、もしかしたならいい友人となれたのかもしれない。ただし、それには『世が世ならば』という前置きがついてしまう。これからの戦乱を思えば、今の二人の関係を穏便に延長させていける未来図が見えてこない。

 劉備軍がこのまま規模を拡大させていけば、今回のように共闘することはあるだろう。また、他の国を制する為に同盟を組むこともあるかもしれない。その中で、互いに無二の信頼を寄せる相手となる未来もあろう。だが、いずれどこかで敵対することにもなるには違いない。

 

 一刀は劉備の平和を望む、愚直なまでの意志の強さを知っている。そして、こうして目の前にいる華琳がそんな劉備に負けず劣らずの信念を持っているのを、ある少女を伝にして聞いていた。

 目指すところは同じ太平の世であっても、二人のあり方はもちろん、国や民に対する姿勢が違うのだ。一時的にはあれど、戦わずしてどちらかが下につくことはないだろう。

 

「どうにも、ままならないもんだよなぁ……」

「ご主人様? どうしたの?」

 

 横から覗き込んできた劉備に、一刀は咄嗟に首を振って見せた。今までの考えを振り払い、気取られないよう小さく笑う。今日は壮行会であり、交流会だ。一刀の野暮な考えで、楽しんでいる劉備に水を差したくはなかった。

 

「ああ、いや。何だかんだで半年一緒にいたからさ。もうすぐお別れになるんだ、なんてこと考えてたらちょっとしんみりしちゃってさ」

「うん。そうだよね。私もおんなじ。それに、特にご主人様は許定ちゃんと仲良くしてたみたいだもんね」

 

 劉備がぷくーっと頬を膨らませ、そっぽを向いた。対して一刀は、困ったようにしていた表情を焦り一色に塗り替える。

 

「ああもう、だからそういうのとは違うってば。桃香に内緒にしてたのは謝るからさ、そろそろ許してくれよ」

「えへへ、わかってますよー。ちょっとした冗談ですもん」

 

 にっこり笑った劉備は、一刀に向けてぺろっと舌を出して笑った。それを見た一刀の顔にも、自然と笑顔が浮かぶ。

 

 

 そんな二人に刺さる視線。それを向けているのは、完全に冷め切った目で背もたれに体重を預けている華琳である。

 

「なるほどね。北郷が沈んでいると見るや、劉備はおどけてみせたか。人心を掴む術を計算ではなく無意識に行っているようね。どこか頼りなく見えるも思想は常に太平を求め、行動に私欲を感じないさせないから民や将がついてくる。劉備の求心力はそこかしら」

 

 静かに一人ごちると、華琳は興味が失せたというように視線を他へとやった。彼女がこの交流会の合間合間に劉備と一刀を観察していたのは確かだが、それはあくまで暇つぶしのようなもの。

 

「ご主人様。この料理美味しいよー」

「へぇ、どれどれ」

「私が取ってあげるね。あの、ついでに食べさせてあげよっか?」

「だ、大丈夫だって。自分で食べられるからさ!」

「ぶ~~……」

 

 こんな具合に、華琳の向かいでは変わらず劉備、一刀の二人がいちゃいちゃと、まるで自制が利かなくなった恋人同士のようにじゃれあっていた。こういったやり取りは頻繁に行われているようで一刀はいくらかは慣れてきている様子だが、それでも時折どぎまぎしている。対して劉備はというと、とにかく一刀に構えることが嬉しいようである。

 残る形になった華琳は、どうにも手持ち無沙汰だ。誰か側に呼ぼうにも、春蘭・秋蘭は関羽と何やら話しているし、桂花は諸葛亮・鳳統と真剣な顔で討論を交わしている。季衣・拓実はあの様で騒がしく、凪・真桜・沙和はまだ慣れていないのか反応が硬い為、呼んだ所で空気が重たくなりかねない。

 

「さて。そうなると私は、いつまでこの二人の惚気に付き合えばいいのかしらね」

 

 場が場である。この壮行会は華琳主催で、始めの挨拶には「思い思いに楽しんで欲しい」という旨を述べたのだから、各々が好きに過ごせばいいとは思う。この二人のやり取りを無理に止めても、場の空気を悪くするだろう。となると、華琳には為す術はない。

 華琳は珍しく辟易した様子で息を吐き、杯を(あお)ったのだった。

 

 

 


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