影武者華琳様   作:柚子餅

26 / 55
26.『拓実、大散財するのこと』

 

「それでは華琳様、本日はご足労いただきましてありがとうございました。このお礼はいずれまた改めまして……」

「もし秋蘭が恩に着るというのならば、今後の働きを以って返しなさい。出来るならば今回のようなことは最後にして欲しいのだけれどね。まぁ退屈はしなかったわ」

「はっ!」

 

 自室まで拓実を送った秋蘭は、最後にもう一度礼を述べて来た道を戻っていった。拓実としては背が見えなくなるまで見送りたかったけれども、そうしてこの姿が衆目を集めては本末転倒。早々に部屋へと戻ることにする。

 

「さて。もう半日が過ぎてしまったけれど、残った時間は何をして過ごしましょうか」

 

 せっかくの休みだ。特に買いたい物があるわけでもないが、街に出てみるのもいいだろうか。忘れていたが、朝から食事も摂っていない。

 部屋へと入った拓実は窓から入り込む陽光を見ては一人ごちて、入り口でぴたりと足を止めた。表情を消して、部屋の中を一瞥する。

 

「誰かしらね、他人の部屋に忍び込む無粋な輩は……。出てくるのであれば今のうちよ。この私の言葉を無碍にするというならば、相応の覚悟をしてもらいましょうか」

 

 有無を言わさぬ声色で声を上げた拓実は、腰に佩いていた青釭の剣に手をかけ、すっと構えて見せる。目を細めて、この部屋に姿を隠しているだろう誰かを威圧する。ぴりぴりと集中して気配を探っていくうちに、寝台の影から一人の小柄な少女が現れた。

 

「……」

 

 果たして、隠れていたのは桂花だった。どこか憔悴した様子で声も上げず、据わった目でじっと拓実を見つめている。思わぬ相手の登場に、拓実は剣の柄から手をのけて軽く目を見開いた。

 しかし、政務に追われているだろう桂花が何故拓実の部屋に潜んでいたのか。不可解な彼女の行動に、拓実は首を傾げた。

 

「桂花? こんなところで何をしているの?」

「~~っ! それはこちらの台詞です! もう、拓実様こそいったい何をなさっているのですか!」

 

 その拓実の言葉を皮切りにして、我慢がならないというように桂花は声を上げた。桂花が、外見的には華琳とほぼ変わらないだろう今の自分をしっかりと拓実と認識している。そのことに対して拓実は焦る様子も見せず、むしろ感心した風に腕を組んだ。

 

「あら、気づかれてしまったのね。あなたにはこのまま隠し通せるものと思っていたのだけれど」

「……先ほど、私の部屋に華琳様が訪ねに来られました。明日から荀攸と許定それぞれに仕事を任せたいので拓実を捜している、と仰っておられましたが」

 

 しかしその余裕も桂花の言葉が放たれるまで。浮かべていた不敵な笑みごと拓実は凍りついてしまう。

 

「今朝方にお会いした時に、拓実と会って私と拓実の仕事の経過報告を受けているとお聞きしていたのに、先ほどお会いした華琳様に進捗状況を訊ねられました。どうやらそちらの華琳様は、機会があればご一緒にお散歩していただけるという約束も覚えておられないようで」

 

 ふふ、と声を漏らしてどこかやさぐれた笑みを浮かべる桂花は、「華琳様より代わりに言付けに参りました」と手元の二つの書簡を机の上に置いた。

 拓実はそれに目もくれず、桂花から視線を外せずにいた。事と次第によっては、今回のことは全て華琳に知るところとなってしまっているかもしれない。

 

「そ、そう。私がこうしていることを華琳は?」

「存じておられません。いっそのこと、華琳様の前で疑問を声に出して吐き出してしまおうかとも考えましたが!」

 

 どうやら話しているうちに桂花のボルテージが上がってきたらしい。憤懣やるかたなしといった様子で、顔を赤くしている。

 

「対応させていただいていたのが私でしたから今朝方お会いしたのが拓実様だと気づき、華琳様にお訊ねせずとも現状を把握出来ましたが、季衣や春蘭あたりではどうなっていたことか。恐れながら諫言(かんげん)させて頂きます。どのような経緯でその姿でいられるのか存じませんが、そういった軽挙はどうか改めてくださいませ! まして他はいざ知らずとも、華琳様より軍師の任を頂いている私に通達がなくては、いざ何事かが起こった時に充分な対処が……」

「……桂花がこの私に対して、こうまで捲くし立ててくるだなんて予想外ね」

 

 矢継ぎ早に次々と言葉を浴びせられ、拓実は少しばかりうろたえていた。この華琳の姿の拓実を相手に、桂花がこうまで興奮して声を荒らげたことはなかった。それほど彼女は今回の拓実の行動に腹に据えかねていたのだろうか。

 確かに桂花が言及しているように、せめて彼女には事情を説明しておくべきだったのかもしれない。しかしどうにも拓実には、怒りそのものが強いようには見えずにいた。強いて言うなら、ふてくされているといった感情が強いように思える。

 

「私も申し訳ないとは思っているわ。今朝方は危急の用件があった為に、あなたに説明する時間も惜しかったのよ」

「こうして戻って来られたということは、もう解決されたのですね? それでは、拓実様が出て行かねばならぬ危急の用件とやらをお聞かせ頂けますでしょうか」

 

 謝意を見せても勢いを弱めず、有無を言わさぬ物言いで詰め寄ってくる桂花に拓実はまたもたじろいだ。やはりいつになく押しが強い。今の桂花には、華琳になりきっている拓実にしても逆らえない何かがあった。

 

 

「まぁ、そういったことがあって、秋蘭の頼みを聞いてきたというだけの話よ。……桂花?」

 

 春蘭も平常運転しているようなので、華琳本人にさえ知られなければ良いだろうと洗いざらい話して聞かせた拓実は、桂花より返事がないことに気づいて注意を傾けた。

 どうやら彼女は口内でぶちぶちと不満を呟いているようで、「脳筋猪武者が」「私だって拓実様や華琳様とお茶を」「きっとあの馬鹿を抹殺すれば」など物騒な単語が聞こえてくる。そうして、どうして桂花が華琳の姿をしている拓実にまで食って掛かっていたかを知ることができた。

 

「なるほどね、ふふ」

 

 要するに、拓実に事実を打ち明けられもせず相談もされなかった為に、華琳本人に放って置かれたような気分にでもなって焼きもちを焼いていたのだろう。そう認識してみれば、華琳のことに一喜一憂している彼女がどうにも可愛らしく思えてしょうがない。

 

「桂花、溜まってしまっているという仕事は大丈夫なのかしら?」

「……え? はい。今朝拓実様とお会いした後、仕事さえ終えていればと発奮しておりましたので、粗方は終えております。おおよそ全体量の六割ほどでございましょうか」

 

 突然の話題の転換にきょとんとした顔で拓実を見る桂花。その口振りに嘘をついている様子はない。

 拓実は昨夜に聞いた、桂花の今日一日の仕事内容を思い起こす。荀攸一人であれば、寝ずに明日の朝方までかかってしまうだろう量が溜まっていた筈だ。その半数以上を午前いっぱいでこなしたというのだから恐るべきは荀彧の名を持つ少女の実力か、仕事を終えていれば散歩に連れて行ってもらえるかもしれないという彼女の下心か。ただ、流石に過剰なペースではあったらしく、目の前の桂花はいつもより若干憔悴している風に見える。

 

「そうね。ではあなたには迷惑をかけてしまったことだし、よければ街へ出向いて食事でもご馳走しましょうか。散歩の約束の代わりとでも思って頂戴」

「へ? え、え? それは是非にでもお願いしたいことではありますけど……」

「そうと決まったなら門で待ち合わせとしましょう。もし私より遅れでもしたならば、置いて行くわよ」

 

 言われるも、桂花はぽかんとしたまま立ち尽くす。一向に動き出さない彼女に拓実はゆっくりと歩み寄って、手をやり頬に触れた。艶かしく顔を触れられて小さく身震いした桂花は、ぽおっと肌を桜色に染めていく。

 

「何を呆けているの。まさか、このままで出るつもりではないわよね? さっさと部屋へと戻りなさい。街へ出るならそれなりの準備が必要でしょう」

「は、はいっ、ただいま! ただいま着替えて参ります!」

 

 遅れて理解したらしい桂花は顔を輝かせた。そして一歩退いて勢いよく頭を下げ、時間が惜しいとばかりに早足で退室していく。そんな慌てふためいて駆けていった桂花の背中を眺め、拓実はにんまりと笑みを浮かべたのだった。

 

 

 

 

「ふっざけんじゃないわよ! 誰が好き好んであんたなんかとご飯を食べに行かなきゃならないの! この馬鹿っ、私の期待を返しなさいよ!」

 

 拓実と桂花が別れて十五分ほど経っただろうか。今拓実の目の前には、気炎を上げて怒りを露にする桂花の姿があった。加えて、今までにない怒りようだ。

 それもその筈、彼女が望んでいた『拓実様』は待ち合わせの城門に現れなかったのである。

 

「馬鹿はそっちでしょうが。あんたも懲りないわね。執務室でお仕事なさっている筈の華琳様が、あんたなんかと街へ出てこられるわけないでしょうに。華琳様のことになると集中する割りに、他の事が見えなくなるなんて春蘭とそっくりじゃない。無様すぎて思わず失笑しちゃうわ」

 

 次いで「それでも本当に華琳様の軍師なの?」などと続けた拓実は、意地の悪い、それこそ本人でもそう思ってしまうほどのいやらしい笑みを浮かべて見せる。もちろんそこまで言われて桂花は平静でいられるはずもなく、顔を真っ赤にさせて怒りでぶるぶると体を震わせている。

 

「くっ、こ、こいつはっ! 何故私は、午前を仕事に充ててしまったの! それよりも仕返しの為の落とし穴を作っておくべきだったのよ! 落ちた拍子に頭でも打って死んでくれればよかったのに……!」

 

 心底午前の行動を悔いている桂花。その横にいるのは、もはや周囲からは二人でいるのが見慣れた姿となっている荀攸であった。桂花の補佐という役職柄、二人の言い合いは珍しいものではない。城門前で言い合う二人を、周囲を歩く文官武官はいつものことだと通り過ぎていく。

 そうして数分が経って落ち着いたのか、ようやく桂花の頭から血が降りてくる。ただ、騙されたことで気分を害したのは変わらないらしく、不愉快であるという素振りを隠そうともしていない。

 

「それで、桂花はどうするのよ?」

「はぁ? どうするって何が? 人に物を尋ねるときははっきり明確になさいよ。あんたは馬鹿じゃないんでしょ?」

 

 苛立ちからか、返答する声に素っ気が欠片も無い。ないだけならともかく、素っ気の代わりに棘がある。とはいえ拓実も慣れたもので、まったく気にせず呆れた顔で応対する。そんな拓実の様子がまた桂花は気に食わないようではある。

 

「だから、あんたがそんなに嫌なら、別に私はここで帰ってもいいわよ。華琳様がご馳走するって約束されたことだから、私が奢ってあげるつもりだったけど」

 

 顔を険しくさせていた桂花だったが、今度はその問いかけに苦悩して押し黙った。

 そうして数秒。下から見上げるようにして拓実を睨みつけ、次いで「はぁ」と疲れたように息を吐く。

 

「……美味しいお店、知っているんでしょうね?」

「この荀公達に抜かりはないわ。許定が軍を率いるまで就いていた仕事、忘れたの? 警備から外れた今も、あの子は暇を見つけて警備の仕事を手伝ってるみたいだしね」

 

 不敵に笑みを浮かべながらも、もう一人の自分を他所事のように語る拓実に対して、桂花はフードを目深に被って先を歩き出す。肩越しに振り向くと、不機嫌そうに口を開いた。

 

「ふん、しょうがないから付き合ってあげるわ。あ、もちろん甘味処まであんたの奢りよ。わかってるんでしょうね」

 

 

 

 さて。拓実が先導して進む先は、若い女性に人気のある高級志向の料理店である。色々な種類、色とりどりの料理を出されるらしく、落ち着いた雰囲気で食事を楽しめる、らしい。

 らしい、というのは、普段街を出歩いている許定であれば質よりも量を重視し、且つ騒がしい店を好んで利用するものだから、美味しいと噂には聞いていてもこういった店には寄り付かなかったのである。

 逆に、荀攸に扮している拓実には話し声や笑い声が飛び交う屋台よりは、こういったしっかりとした店構えの店で静かに食事を摂るほうがストレスを感じない。そういった点では居心地が良さそうな店である。

 

「……いつのまにこんな店が」

「あんた、街にも碌に出ていないから流行り(すた)りに疎くなっちゃってるのよ。一緒に仕事してるから忙しいのはわかってるけど、偶には城の外にも出なさいよ」

 

 赤と黒の装飾に小さく金をあしらった豪奢に過ぎない建物を、桂花は呆然と見上げている。その横で、拓実は得意げになって声をかける。

 とはいえ拓実も陳留を離れていたので詳しい開店日までは知らないのだが、前々回の休暇の時にはもう開店していたから街にさえ出ていれば知る機会はいくらでもあっただろう。

 

「他の奴からならともかく、拓実にだけは言われたくはないわね。この前のあんたの休みに、『朝から晩まで城の書庫にこもっていると書庫番から報告を受けたが、何をしていたのだ』って、秋蘭が私に訊ねに来てたわよ。あれ、あんたでしょ?」

「う。そ、そうね」

 

 痛いところを突かれたというように拓実は顔をしかめた。その日は桂花が言うように、日頃から桂花が薦めていた書物が溜まっていたので一気に消化してやろうと意気込み、書庫に閉じこもって読書をしていたのである。

 言われてみれば確かに、外に出ているのは許定ばかりで荀攸としては何事か用でもなければ街へ繰り出したりはしていない。食事も城で軽く摂るだけで、仕事の合間に許定が買い込んでいたお菓子を桂花と二人で食べるぐらいだ。

 

「……それはいいから、とにかくさっさと入るわよ。話すのは店に入ってからでもいいでしょう? って、何? 何か揉め事?」

 

 どうにも都合が悪くなったので店へと歩を進めた拓実だったが、入り口では何人かが立ち往生して塞がれてしまっている為に進めない。注意してみれば、多少剣呑な声が飛んでいた。中を覗けばどうやら事を起こしているのは見知った人物であった。

 

「ねぇ、あそこにいるのって劉備たちじゃないの?」

「どうやらそうみたいね……」

 

 そこに居たのは、劉備を始めとして、関羽、張飛、諸葛亮に鳳統、そして天の御使いとされている北郷一刀であった。

 何故ここに、と考えれば、行軍の最中に許定として劉備の陣の一刀の天幕に遊びに行った時、陳留にある評判の良い料理店ということでこの店の所在を語った覚えがある。となれば、この騒ぎの責任の一端は拓実にもあるだろう。

 とりあえず話を聞いてみないことには始まらない。人を掻き分けて、劉備たちと店主らしき人物の下へと進んでいく。

 

「ちょっと。この騒ぎは一体何なの?」

「はぁ。ええと、そちら様は?」

 

 拓実が声をかけると、劉備一行と、でっぷりしてちょび髭を生やした男が一斉に振り向いた。うち、関羽と相対していた男が進み出て拓実へと問いかけてくる。同時に、拓実と同じように人を掻き分けてきた桂花がたどり着いた。

 

「この陳留を治める(エン)州牧、曹孟徳様の臣下である荀公達よ。隣のこれは叔母の荀文若」

「これって、あんたもう少し言いようはないの? あと、なんだか聞こえが悪いから叔母って紹介はやめて欲しいんだけど」

 

 なにやら桂花が文句をつけてくるが、拓実は華麗に無視する。太った男は、拓実の言葉を聞いてすぐさまに恭しく礼を取った。

 

「おお。曹孟徳様の右腕と名高い荀文若様に、その補佐官をなされている荀公達様で! お噂はかねがね! 私がこの店の店主でございます。お二方がご不在の為にご挨拶にも伺えず、申し訳ありません」

「へぇ、聞いた? 華琳様の右腕で名高いですって。この店主、男の割にはなかなかわかってるじゃない」

「桂花、あんたさっきからうるさい。少し黙ってなさいよ。それで? なにやら揉め事のようだけれど」

 

 恐縮した風の店主は、睨みつけてくる関羽から隠れるように身を縮こめる。

 

「はぁ。それが最近では黄巾党といった輩が略奪やら食い逃げやらを繰り返しているために、先日より来歴のあるお客様以外には身元の証明をお願いするようになりまして。それが適わぬ旅人の方の場合、以前にご来店いただいた誰それからのご紹介という形で代えさせていただいているのですが」

 

 いったんそこで言葉を切って、店主は袖から手巾を取り出して額の汗を拭く。どう説明したものかと困り顔である。

 

「最近隊長職に就かれた許定様より評判を聞いてきたということで、しかし許定様は当店にご来店されたことはなくどうしたものかと。もちろん、街を護っていただいている許定様は存じておりますので十分信頼に足るご紹介ではあります。ですが、どういったご関係なのかをお訪ねしていたところ……」

「そこまで綿密に問い質されてはまるで我らが罪人のようではないか。つまるところ、我らを黄巾の連中として見ているということだろう」

「い、いえいえ! そういった訳では決して」

 

 店主の言葉を引き継いだのは、関羽。苛つきが声から聞き取れる。

 なるほど。店主は前例のない紹介にどうしたものかと事の真偽を確かめていた。先日からと言っていたから応対マニュアルもまだ出来ていないのだろう。踏まえてみれば、まぁ、適当な対応ではある。

 おそらく関羽も最初は冷静に応対していたようだが、何度となく繰り返される質問と渋るような店主の態度に、黄巾党と疑われているようで不愉快になったというところか。黄巾党を打倒する為に立っている彼女たちがその黄巾党かと疑われたならまずいい気持ちはしない。

 この揉め事の元々を正したなら、店の現状も知らず、訪れたことがあるわけでもない店を迂闊に紹介をしてしまった許定に非があるだろうか。つまりは……

 

「あんたが原因なわけね」

 

 ぼそり、と拓実にだけ聞こえるように呟いた桂花の声が、拓実の耳には痛い。言い訳となってしまうが、拓実にしても、そんな『一見様お断り』なんて制度が出来ているだなんて知らなかったのである。

 

「こほん。店主。この者らは曹孟徳様と共に、黄巾党討伐に赴いている雄志を抱く義勇軍の者よ。その身元はこの私、荀公達が保障するわ」

「さ、左様でございましたか。それは申し訳ございません、お客様方!」

「ええと、あなたは関羽でよかったかしら? 余計なことをしたらしい許定には言って聞かせておくから、どうか許してちょうだい。この店主らも悪気はなかったのよ」

「い、いや。そう謝られては……。私も少々大人気なかった。民心が揺れているこの時勢では当然の応対だったかもしれない。店主よ、すまなかったな」

 

 拓実の取り成しを受けて、うってかわった関羽の謝罪に、店主もまた恐れ多いと頭を下げる。それを眺めていた桂花からはまたも呟きが届いてくる。

 

「まったく。あんたは他ならぬ自分が原因の癖に棚に上げたりして、いったいどんな神経で……」

「あの子に代わって、迷惑をかけたお詫びに私がご馳走するわ!」

 

 先ほどからぶつぶつと桂花は耳打ちを拓実にしていたが、今度の呟きばかりは無視できなかった。しきりに謝り続けている二人を見て良心を痛めていた拓実は、桂花の声をかき消すように声を張り上げたのだった。

 

 

 

 店の中央にある、十人ほどが座れる大きな卓を八人で囲んでいる。劉備一行六人に、拓実と桂花の二人である。拓実たちも食事に来たことを知った劉備が、半ば無理やりに渋る二人を誘ったのだった。どうにも劉備にも、華琳とは違う方向で人を惹きつける何かがあるようだ。

 

「えっと、荀彧さん。その、荀攸さんはああ言ってましたけど、本当にご馳走になっちゃってもいいんですか?」

「気にしないで好きな物を頼めば? あいつは碌に散財しないんだから、偶には吐き出させないと貨幣の流通が停滞しちゃうものね」

 

 恐る恐るといった風に問いかけてくる劉備に対して、桂花が意地悪い笑みを浮かべている。それに反応したのは、きらきらと目を輝かせて周囲を見回していた張飛だ。

 

「えっ! えっと、猫耳のお姉ちゃん。鈴々、今日は好きなだけ食べてもいいのか?」

「いいわよ。どうせならお腹いっぱいになるまで食べておきなさい。あんたたちもこれからもまた遠征続きで、しばらくはちゃんとした料理は食べられないでしょうからね」

「ひゃー! やったー、なのだ! んじゃ、鈴々はね、これと、これと……」

「あ、でも。鈴々ちゃん、すっごい食べるから……」

「ええと、張飛のことよね? あの体格なら食べるといっても知れているでしょう。いくら何でも、季衣ほどの大食いって訳でもないでしょうし」

 

 そうして桂花が視線を外している間にも、張飛は次々と店員に料理を告げていく。それを視界に収めて苦笑いを浮かべる劉備は、ふと姿勢を正して拓実と桂花の二人に向き直る。

 

「あ、私たちの紹介がまだでしたよね。荀彧さんとは連絡するのに何度か会ってるからみんな知ってますけど、そちらの荀攸さんは初めてですもんね」

「へ? え、ええ。そうね」

 

 こうして会話していても張飛の注文は終わっていない。既にこの時点で十数品。顔を青くし、強張らせてそれを呆然と見ていた拓実が、劉備の声に反応する。

 

「私と愛紗ちゃんのことはご存知みたいでしたので、次は……」

「鈴々が張飛、字は翼徳なのだ!」

 

 劉備がつい、と視線をやると、張飛が気づいたらしく元気いっぱいに手を上げた。それに続いて、かたん、と音を立てて立ち上がったのは大きなリボンの付いた帽子を被っている金髪の少女。

 

「私が諸葛亮、字は孔明でしゅ。はわ、はわわ! えと、軍師をやってまして、それで私の隣が」

「あわわ。鳳統、です。字は士元、といいまひゅ。しゅ、朱里ちゃーん……」

 

 諸葛亮より噛みながらも促され、鳳統もまた噛んだ。魔女のような帽子を目深に被って顔をその薄い青紫色の髪を隠してしまった。どうやら二人とも気が強いほうではないようで失態に顔を真っ赤にさせているが、鳳統は諸葛亮に輪をかけて恥ずかしがり屋なようである。

 

「……よ、よろしく」

 

 拓実は、諸葛亮や鳳統と会うのは今回が初めてのことである。この時点で二人が劉備の下にいることは事前に知っていたことなので、最早気にするほどのことではない。しかし、それにしても二人とも若いというよりは、どうにも幼いといった風情が強い。あまりに少女少女しているものだから面食らってしまっていた。

 最後に残った一刀が、席より立ち上がって声を上げる。

 

「それで、俺が北郷一刀。一応、天の御使いって呼ばれてるけど。何にせよ、これからよろしく……って、あれ?」

 

 うさんくさいという目を隠そうともしない桂花に、意図的に一刀を視界から外している拓実。拓実に向けて握手の為に一刀は手を伸ばしたのだが、もちろんというか拓実はそれに反応せずに、冷ややかにそれを見るだけである。

 

「あの……」

「悪いけれど、男には触れないようにしているの。天の御使いだかなんだかは知らないけれど、私に触れていいのは華琳様だけ。というか、それ以上近づいたら私に対して良からぬ劣情を抱いていると判断して警備に突き出すわ。そして『天の御使いは女と見ると見境ない』って市中に触れ回ってやるから」

「あ、はい……。本当に、そっちの荀彧さんとそっくりですね」

 

 吐き捨てるように言った拓実に、一刀は伸ばしていた手を引っ込める。そのまましょんぼりした様子で一刀が席に着いた。どうやら、桂花とも同じようなやり取りをしていたらしい。一通り紹介を受けておいて、拓実がしないわけにもいかない。席を立って一度全員を見渡し、口を開いた。

 

「先ほどの店主との会話で聞いているでしょうけど、私が荀攸、字は公達よ。一応は軍師みたいな立ち位置にいるけれど、次の討伐にも同行はしないからあなたたちとはあまり顔を合わせる機会もないでしょうけどね」

「今ご主人さまが言ってましたけど、本当に荀彧さんとそっくりですね! ほんと、そっくり。目に見えて違うなーってわかるのは、髪色ぐらいかなぁ」

 

 澄ました顔で自己紹介した拓実に、劉備が興味津々と言った風に声を上げる。対して言われた当人の拓実と桂花は、劉備の言葉に反応して目を剥いてお互いを睨みつけた。

 

「そっくりだなんて冗談じゃないわよ。こんな口の悪いのと!」

「誰がそっくりなもんですか。こんな意地の悪いのと!」

『はぁ!? なんですって!?』

 

 よく似た二人から口々に返ってくる否定の言葉、そして始まった聞き苦しい言い合いに、劉備や諸葛亮、鳳統は思わずといった様子で笑っている。

 互いを貶しあっているが、周囲からはどうにも仲がいいようにしか見えないようである。生温かい視線に気づいた拓実と桂花は、同時にため息をついた。

 

「はぁ、不毛ね」

「……そうね。もういいわ。あんたと言い合いしていたら疲れてしょうがないもの」

 

 二人が言い合いをやめると、ちょうど五人の店員が代わる代わる両手いっぱいに料理を持ってきた。注文は張飛に任せていたが、もう十人掛けの机から溢れそうである。拓実の脳裏に、財布代わりの巾着の中身がよぎっては消えていく。今浮かべたそのほとんどとお別れすることになるのだろう。

 何故か出資者である拓実を放って、「それじゃ、冷めないうちに食べましょうか」と場を取り仕切っている桂花の言葉を皮切りに、各々が皿に手を伸ばしていく。

 

 

 高級料理店で、十数人前。いくら城住まいで財産に頓着していない拓実にしても、今回の食事代は手痛い出費である。どうにか華琳の言う『才溢れる者たちを写し取れ』という任務の一環として経費で落ちてくれないものか、などとのんきに考えていた拓実だったが、すぐにそれどころではなくなった。

 全員でも半分ほども食べられるかという量のほとんどをお腹に収めてみせた張飛が、知らぬ間にさらに同量の料理を注文していたのだ。悪いことにそれに気づいたのは追加の料理が並びだしてからである。

 張飛曰く、一皿辺りの量が少ないとのことである。結局追加注文分も食べきってしまった張飛は、まさかまさかの季衣に匹敵するほどの健啖家であったらしい。

 会計時、よくわかっていない張飛を除いた劉備ら五人はすっかり小さくなっていた。この金額、郊外であれば小さな家だって建てられるかもしれない。しかし、許定として陣へ遊びに行って劉備軍のその極貧振りを知っている手前もあり、今更出せとも言えない。というか、彼女たちはそんな大金を持っていまい。

 

 明らかに手持ちでは足りなくなった拓実は結局、桂花に泣きつく事になった。桂花もさすがに大出費の責任の一端を担っている為、文句も言わずにお金を貸してくれた。

 ちなみに城に帰って華琳に聞いてみたところ、公に出来ない任務であるため経費では落ちないようである。見るからに泣きだしそうな拓実を前に、華琳は遠慮の欠片もなく大笑いしてくれたのだった。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。