影武者華琳様   作:柚子餅

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24.『夏侯淵、拓実に助けを求めるのこと』

 

 

 補給のついでに陳留へと帰る曹操・劉備連合軍には、その度に数日程度の休暇が言い渡されている。今回で数回目の休暇となるが、もう幾日もすれば次の討伐の為に陳留を発つことになるだろう。劉備軍の将兵たちも今頃、陳留の街で思い思いの休日を過ごしている筈だ。

 休暇とはいえ曹操軍の中でも内務処理を任されている文官や武官らは、曹仁、曹洪に任せきりだった政務の穴埋めや、遠征で消費した物資の補填などに動いている為にゆっくりしている暇はない。

 拓実も荀攸として桂花を補佐し、それに一段落着いたのが昨夜のことだ。ほとんど補佐すべきことがなくなった拓実は休みを貰えたが、領主である華琳、内政を一手に引き受けている桂花はまだ政務に追われていることだろう。

 

「拓実! 拓実はいるか!?」

 

 ようやくの休日、どんどん、と拓実の自室となっている部屋の扉が叩かれた。まだ日は昇り始めたばかりで早朝といって差し支えのない時間帯である。

 

「秋蘭? もう、なによ。朝からそんなに慌てて、いったいどうしたのよ」

 

 聞こえてきた焦りを含んだ秋蘭の声に、荀攸に扮した拓実は不機嫌そうに言葉を返して扉を開けた。その姿は寝台から出てきたばかりで、浴衣のような薄い着物の上に木綿の肩掛けを羽織っているだけである。

 その先にいた秋蘭もまた薄手の着物を二枚合わせ着ているだけで、余程の危急の用件だと察せられたのだが、彼女は拓実を見た途端に何故か勢いを落とした。見るからにがっかりしている。

 

「む。荀攸だったか」

「何を落胆しているのよ、まったく。そんなに許定のほうがいいわけ?」

 

 どうでもいいような素振りで秋蘭に問いかけたが、これは以前から拓実が疑問に思っていたことだった。どういった訳か、秋蘭は許定である拓実に甲斐甲斐しく世話を焼く。

 腹は減っているといえば飯屋でご馳走してくれて、口元を汚せば手巾(しゅきん)で拭い、拓実が食べている間は口元を緩ませた(ほう)けた様子でそれを眺めている。さらに肌に日焼けが目立ち始めればをこれを塗っておけと日焼け止めの油を渡し、傷を負っていれば手ずから薬を塗り、ついでだからと髪を梳き始める。似合いそうな服があったから買っておいたぞ、と街に出かける度に服を贈りつけてきたりもしている。

 最終的には「秋蘭さまなどとは呼ばずに、私のことは義姉上と呼べばいい」なんて言い出した。あんまり構ってくるので、許定としている時は出来るだけ秋蘭に近づかないようにしている。

 一度でいいからと秋蘭に頼まれて、春蘭の演技を許定の姿でやってしまったのがよろしくなかったのだろうか。拓実はそんなことを考えた。

 

「うむ。あれは性格こそ違うが、姿だけならば在りし日の姉者のようだからな。その姿で姉者の物真似をした時などは懐かしい気持ちになったものだ。それだけで贔屓してしまうのも、まぁ仕方がないことだろうよ」

 

 秋蘭は悪びれもせずに、笑みを浮かべて返した。やっぱり春蘭の演技をしたことが原因だったのかと、ため息を吐いた拓実は胡乱(うろん)な目で秋蘭を見やる。

 

「それで? あんたがそんなに慌てるなんて、何かしらの理由があるのでしょう?」

「ああ、そうだ。姉者の為に、拓実の力を貸して欲しい」

「はぁ?」

 

 出し抜けに何なのか。眠気が降りてきた目を手の甲でこすりながら、拓実は疑問の声を上げた。

 

「拓実よ。ここのところ、華琳さまにお会いできているか?」

「……いいえ、桂花の補佐や政務ばかりで満足に拝謁することもままならないわよ。桂花にしたって似たようなものでしょうし。それにきっと華琳様はこうしている今も政務をこなされているのだろうから、些事(さじ)に関わっていただくわけにもいかないわ」

「私たちも同じだ。物資の搬入、負傷兵と駐屯兵の入れ替え、調練などで碌にお会いできておらん。だが政務をこなしているお前たちや私はまだ報告でお目見えすることもあるだろう。だが、姉者は……」

「ああ、なるほどね」

 

 つまりは今現在、政務関連の報告以外で華琳に目通りすることが出来ない状態にあるらしい。春蘭だって政務処理をこなしていないわけではないが、目通りして報告しなければならないほどの案件は任されていない。その上で華琳も多忙である為に、邪魔をするわけにもいかない。

 近くにいるのに会えない。春蘭はにっちもさっちもいかなくなっているようだ。

 

「それで? 力を貸して欲しいって、春蘭にでもこなせるような案件を用意すればいいのかしら?」

「いや、残念ながら姉者ではそれを終える前に陳留を出発することになってしまうだろう。それにもう姉者は限界だ。来い、見ればわかる」

「ちょ、ちょっと、引っ張らないでよ! 着替えぐらいさせなさいってば!」

 

 有無を言わさずに、秋蘭は拓実の腕を引っ張って歩き出した。拓実の頼みは、勿論聞き入られることはなかった。

 

 

 

 秋蘭に連れられ、辿り着いた先には春蘭・秋蘭の自室があった。僅かに秋蘭が扉を開けると、中から声が漏れ聞こえてくる。

 

「さきほどのもよかったと思いますが、やっぱりこちらの服もお似合いです。華琳さまぁ……」

 

 中からは蕩けたような明るい声が聞こえてくる。聞き違えようもなく春蘭の声だ。怪訝な色を隠そうともせずに拓実は眉をひそめた。

 

「何なの? 全然元気そうじゃない。それに、華琳様がいらしているの?」

 

 ついと拓実が部屋の中を覗き込むと、こちらに背を向けて立っている華琳のその腰に、なんと春蘭が抱きついている光景があった。

 

「ちょっと! あんた何勝手に華琳様に抱き……むぐ!?」

 

 それを見た拓実は、思わずかっとなって春蘭に食って掛かろうと口を開く。そしてすぐさまその口は塞がれた。部屋へと乱入しようとした足は止められて、後ろから秋蘭に抱きかかえられてしまう。

 

「落ち着け! ……いいか、あれは華琳様ではない。『等身大着せ替え華琳様人形』という、姉者が木から彫り出して作った人形だ」

「嘘おっしゃいなさいよ! あんなに精巧な人形があるわけ……」

「現に、あの華琳様は一切の反応を姉者に返しておらんだろう」

「うふ、ほほほほほほぉ、華琳さまぁ。おほほほほほ」

 

 改めて中を見直したが、拓実には華琳とその『等身大着せ替え華琳様人形』とやらの区別がつかない。だが、奇妙な笑い声を上げる春蘭を前にしても、部屋の中の華琳は微動だにもしていない。

 

「あれが、人形? ……動く気配はない、呼吸している様子もない、わね。まぁ、信じてあげても良いけど、それよりあの馬鹿はいったいどうしたのよ。普段からして突飛な頭をしているけれど、今日のアレはなんか壊れてるわよ」

「同じ城にいながらも長時間華琳様に会えずにいたことで、我慢の限界を迎えてしまったのかもしれない。いつからなのか知らないが、私が明け方に目を覚ましたときにはもう。少なくとも日も出ていない早朝からずっとあの調子なのだ」

「……重症ね。手の施しようもない。手遅れだわ」

 

 拓実はどうにもならないと首を振って、踵を返して部屋へと足を進め始めた。寝巻き姿であるために肌寒い。自身の細い肩を抱いて、まだかろうじて温もりが残っているだろう寝台へ戻ろうと、足早に自室へと帰ろうとする。

 

「待て! いや、待ってくれ、拓実!」

「悪いけど、私にはどうしようもないわよ。華琳様でもなければ、アレを正気には戻せないんじゃないの?」

「いや、確かに荀攸ではどうしようもないかもしれないが、拓実ならば可能だろう」

 

 その言葉で、拓実は進めていた足を止める。秋蘭が言わんとしていることに思い至ったのだ。

 

「あんた。まさか、華琳様の命に背くつもりじゃ……!」

「……華琳様は自室である執務室にこもりきりだ。本来であれば許可を取るところだが華琳様はご多忙、睡眠時間も削っておられるのにご迷惑はかけられまい。しかし姉者の状態は早急になんとかせねば諸々の仕事に差支えが出てしまう。数時間だけ話相手をしてもらうだけでいい。それに華琳様が外にお出でにならない今、我らの部屋だけならばお前のことも露見せぬ筈だ」

 

 いつになく真剣に拓実に語りかける秋蘭。一通り語り終えると、部屋の中の春蘭へと目を向けた。

 中では春蘭が相変わらず「うひゅひゅひゅ、ふへへへぇー」などと筆舌しがたい笑い声を上げてはよだれを垂らし、『等身大着せ替え華琳様人形』の太ももにほお擦りしている。

 

「うぇ」

 

 げんなりした面持ちで声を漏らす。朝っぱらから嫌なものを見てしまった。はっきり言って気味が悪い。とにかく忌避感しか浮かんでこない。

 

「何より、あんな姉者を見るのはあまりに痛ましい……」

 

 だが拓実と秋蘭では見えているものが違うのだろうか、春蘭を眺めてはらはらと涙を落としていた。

 拓実としては、どちらかといえば早朝からこんな妙な笑い声で目を覚まさざるを得なくなってしまった秋蘭が不憫でしょうがない。もしも拓実が協力を断れば、あの状態の春蘭がしばらく部屋に鎮座することになるのだ。まず安眠は諦めなければならないだろう。

 

「ああ、もう! わかったわよ! 仕方ないわね! 私が華琳様をお呼びしてくればいいんでしょう!」

「すまない……助かる」

「礼は後でいいから、華琳様が来られるまでにあの馬鹿を、せめて話を聞ける状態に戻しておきなさいよ!」

 

 秋蘭の消え入りそうな謝罪を背に、拓実は肩を怒らせて小走りで駆け出した。出来るだけ人目につかず、そしてせめて今回のことは華琳の耳に届かぬようにしなければならない。

 また面倒なことになった、と拓実は大きくため息をついた。

 

 

 

 数ヶ月ぶりに袖を通す華琳の衣装は、相変わらず拓実の為に仕立てたもののような着心地だった。姿見を見ながら、つづらの中からウィッグを取り出し、慣れた手つきで髪を結んでそれを取り付けた。

 許定として動いている時にあちこちに小さな擦り傷を負っていたが、それらは沙和と買い物に出たときに買った化粧品で綺麗に覆い隠していく。最後に華琳が使っているのと同じ、恐ろしく高価な香水を軽く振り掛ける。

 こうしてしまえばもう、拓実の見た目は華琳とほぼ変わらない。後は秋蘭の頼みをこなすだけである。しかし、華琳にばれては事であるから人目につかないようにと考えていた拓実だったが、華琳の姿でそんなことが出来るはずもないのを忘れていた。

 

「あっ、華琳様。おはようございます」

「ええ、おはよう。桂花」

 

 着替え終えた拓実は堂々と自室から出て、これまた堂々と通路を歩いて春蘭・秋蘭の部屋へと向かっていた。身を隠そうとする素振りはなく、急ぐ様子すらもない。それどころか、道のど真ん中をゆったりとした歩調で歩いている。それも仕方がない。せこせこと隠れて足早に移動する華琳などあまりにイメージにそぐわない。

 もちろんそんな拓実が人目につかない筈もなく、書簡を抱えて通路を歩いていた桂花に見つかってしまった。不幸中の幸いか、非常事態でもないのにまさか拓実が演技している筈もないだろうという先入観から、桂花は拓実を華琳本人だと思っているようだ。泰然と歩いていた拓実を見て頬を緩めている。

 訂正して時間をかける訳にもいかず、微笑と挨拶を返して、通路の端によって頭を下げる桂花の横をすれ違う。

 

「あ、あの、華琳様。お散歩ですか?」

「ええ、部屋に篭ってばかりでは気が滅入ってしまうもの。眠気覚ましも兼ねてね。私はそろそろ戻るつもりだけれど、桂花、あなたに任せておいた仕事の方は順調に進んでいるのかしら?」

 

 明らかに追いすがろうとしている桂花に、拓実は暗についてこないで欲しいという思いを込めて問い返す。一拍息を呑んだ桂花は、何やら意を決した様子で口を開いた。

 

「はい。昨日までにある程度終わらせましたので、いくらかの余裕はございます。あの、ですので、よろしければ私もお散歩にお付き合いさせていただいてもよろしいでしょうか」

「……桂花。私、嘘は嫌いよ。昨夜、次の討伐の為の仕事が溜まっていると自分で言っていたじゃないの」

「へっ? あ、申し訳ございません!」

 

 平身低頭、虚偽報告を指摘されたことで桂花は顔を真っ青にして深く頭を下げた。しかしつい言ってしまったが、この発言は桂花本人と昨夜まで補佐をしていた拓実しか知りえないことである。もちろん、部屋で仕事をしていただろう華琳が知る筈もない。

 

「し、しかし、昨夜はご報告に伺っておりませんが、その旨はいったいどちらで?」

「……拓実から聞いたのよ」

「あいつぅ……余計なことを」

 

 頭を下げたまま、桂花は苦虫を噛み潰したような表情でぶつぶつと「私の知らないうちに華琳様に会って」「覚えてなさいよ」「仕返しを」「やっぱり落とし穴に」などと恨みの言葉を漏らしている。拓実は明らかに報復しようとしている桂花を前に悪寒を覚えたが、表面上には一切見せずに呆れた様子でため息をついてみせた。

 

「まぁ、陳留に戻ってから桂花には特に負担をかけてしまっていることだし、この私に向かって偽り言を吐いたことは特別に許しましょう。けれど、私ももうしばらくは構ってあげられそうにないわ。散歩はまたの機会ね」

「あ、はい……」

 

 気落ちした様子で再び頭を下げる桂花。今度こそ桂花に背を向けて歩き出した。

 どうやら何とか凌げたようだが、今の会話が桂花から華琳に知られれば事は露見する。しかし、だからといって桂花に口止めをするのは明らかに不自然。嘘をついてしまったこともあって桂花も今回のことを好んで口に出さないだろうけれど、ともかく、拓実としては二人が会ったときに今回のことが話題に上らないことを祈るしかない。

 華琳が影武者として動いていることを知った時、拓実が怒られるだけで済めばいいのだが、決まりを厳守させる華琳のことだから最悪は刑罰を受けることにもなる。いや、華琳が定めているのは影武者の存在を口外しないようにとのことだから、華琳が知ったとしても周囲にさえばれなければお咎めもないかもしれない。ただ、どちらにしても無許可で変装しているのでは、拓実が割を食う結果になることは想像に難くない。

 何事もなく一日が終わってくれればいいのだけど、と拓実が叶わないだろう願いを抱いていると、今度は正面に季衣の姿を見つけた。

 

「あっ、華琳さま! おはようございます!」

「おはよう、季衣。今日も元気そうね」

「はい! もちろんです! それじゃボク、街で朝ごはん食べてきま-す」

 

 季衣は笑顔を浮かべて門へと駆けていく。拓実はそれを見送って、変わらぬ歩調で足を進めた。

 武将や文官らが華琳に扮した拓実の姿を見ると立ち止まって包拳礼をとる。ここ数ヶ月で彼らをすっかり見知っている拓実は、華琳がするように挨拶を交わしていった。

 

 

 春蘭・秋蘭の部屋の前に着いた拓実は、扉に伸ばした手を一度止めた。内容まではわからないが、中から話し声が聞こえてくる。

 扉の前で佇まいを正すと、改めてゆっくり、こんこんこん、と扉を三度叩く。大陸にはノックをする習慣はないようだったが、秋蘭であれば来客であると察してくれるだろう。そうして話し声が止み、幾ばくかしてから薄く扉が開かれた。

 

「おはよう、秋蘭。拓実から春蘭の様子がおかしいと聞いたのだけれど、いったいどのような具合なのかしら」

「お、おはようございます。あの、華琳様でございましょうか?」

「何を言っているの。そんなこと一目見ればわかることでしょうに」

「は、申し訳ございません! 御用件は……」

 

 どうやら、秋蘭は拓実を華琳として応対するらしい。もし他の誰かに見つかったときに砕けた様子で話していては不自然だからだろうか。それにしても何やら挙動がおかしいが、春蘭の奇行に動揺しているのだろうと拓実は考えた。

 

「もういいわ。もたもたしていないで、さっさとここを開けなさい」

「は、はっ」

 

 何故だか扉を開け放たずに部屋の中から覗き見て、一向に中に入れる様子のない秋蘭に若干の苛立ちを含めた声で告げる。慌てて扉を開けた秋蘭は、頭を下げて拓実を中に招き入れた。

 

 

 

「……春蘭、あなたは何をしているの?」

「あ、へ? か、華琳さまでございますか!?」

 

 部屋に入って、未だに『等身大着せ替え華琳様人形』に抱きついたままだった春蘭に呼びかけると、ぼやけていた彼女の焦点が一瞬で拓実を捉える。理性の光が瞳に灯るや、すかさず彼女は人形から飛び退いて直立不動の体勢を取った。

 

「あ、あの、あの……」

「あら、春蘭。いったいこれは何なのかしら? 見事ではあるけれど、私の姿を使ってこんなものを作る許可を出した覚えはないわよ」

 

 何やら言葉にならない声を発している春蘭を放って、拓実は『等身大着せ替え華琳様人形』に近寄ってはその出来を検分していた。本物の華琳はこれの存在を知らないようだが、見つけたならこのような反応をするだろうと製作者である春蘭に言葉を投げかける。

 拓実を前にして頬を染めていた春蘭の顔から、今度は血の気が引いていく。春蘭、秋蘭の二人が華琳にしている数少ない秘め事であるからだろう。

 

「いえ! これ、これは……えっと、しゅ、秋蘭……」

 

 春蘭に縋るように見つめられた秋蘭は、即座に膝を突いて拓実に頭を垂れた。頭を下げながらも視線を巡らせて、秋蘭はいつになく焦った様子を見せている。

 

「これは、華琳様にお似合いになりそうな服を贈らせていただく前に、一度寸法を合わせる為に姉者が作った人形にございます。着れぬ物をお贈りする訳にはいきません故に。な、姉者」

「お、おう。その、私が毎週華琳さまのお体に合わせて調整しておりますので!」

「そう。なるほど。道理は通っているわね。そういう用途だけであるならば、まぁ許しましょうか」

 

 追随するように声を上げた春蘭の顔は強張っていたが、秋蘭は拓実の了承の声に頭を下げた。

 二人の声を聞きながらも、拓実は『等身大着せ替え華琳様人形』のあちこちを見て回っていた。拓実としてもこの自身にも瓜二つな人形が気になっていたのである。木から彫りだしたというが、間近で見てもとてもじゃないが信じられない出来栄えだ。華琳にそっくりな上にまるで生きているような肌の質感、身長どころか腕の長さ、足の長さまで本物と同一の造形である。確かに名前からいうように、用途は華琳に見立てて服を着せる為の人形なのだろう。春蘭の隠れた才能に、拓実は内心で感服する。

 一通りを見て回った後、拓実は春蘭と秋蘭に振り返る。二人は、声も上げずに固唾を呑んで拓実の反応を待っていた。

 

「けれど、私の見間違いかしらね。私が見たときは春蘭がこれに抱きついていたように見えたのだけれど。それは、今しがたあなたたちの言った用途とは少し外れてはいないかしら?」

「……あっ!」

「そ、それは……」

「それに、どうやら秋蘭も知っていてこの私に隠し事をしていたようね。まったく。これは二人ともお仕置きかしら」

 

 咄嗟に言葉を返せず、うなだれる秋蘭。春蘭はうろたえるばかりだ。そんな二人の様子を腕を組んで鋭く見つめている拓実だったが、一転、口の端を吊り上げた。

 

「ふふっ」

 

 口元を隠して、笑みをこぼす。あまりに自然な秋蘭の対応に、拓実はこみ上げてくる笑いを抑え切れない。

 

「秋蘭ったら、今まで知らなかったけれどあなたも中々に演技が上手いじゃない。誇っていいわ。その才、この私が認めましょう」

「へ?」

「華琳、様?」

「もうおふざけは終わりよ。春蘭の調子も戻ったようだし、これ以上はこの子がかわいそうよ」

「……拓実、なのか?」

 

 目をまん丸に開いている秋蘭に、拓実は拍子抜けしたと言わんばかりの呆れた表情を見せる。

 

「あら? 秋蘭ともあろう者が気づいていなかったの? しっかり私の服を見て御覧なさい。華琳のように胸元を露出させてはいないでしょうに」

「は。あ……ああ。そうか。そうだったな。あまりに自然にそ知らぬ素振りをするものだから、拓実が本当に華琳様を呼びに行ってしまったのかと。すまん。どうやら私はまだ寝惚けていたようだ」

「そのようね。ああ、それと念のため、私への言葉遣いと呼び名も華琳に対してのものへ変えておきなさい。もし何かの拍子にこの場を誰かに見られて、あなたがこの私に無礼な口を利いて応対していては弁解も出来ないわ」

「はっ! かしこまりました、華琳様」

 

 すぐさまに頭を下げた秋蘭に、拓実は薄く笑みを浮かべた。状況をまったく飲み込めていないのは、横で秋蘭と拓実とを不思議そうに見比べている春蘭だけである。

 

「なぁ、秋蘭。なにがどうなっているんだ? ええっと、目の前の華琳さまは拓実なのだろう? どうして拓実を華琳さまと呼んでいるのだ? そもそも、何故拓実が華琳さまの格好をしているんだ?」

「む。ふむ、何から説明したものか……。そうだな、姉者は華琳様に会いたいあまり、今朝方おかしくなってしまっていたのを覚えているか?」

「んぅ? この私がおかしくなんてなるわけがないだろう。そりゃ、最近華琳さまにお会いできていなくて、華琳さまとお会いできたら何をできたらいいだろうかとずっと考えてはいたが……」

 

 本当に覚えていないようで、春蘭は秋蘭の言葉に対して「ばかなことを」などと言っては笑っている。

 端から黙って眺めていた拓実は思わず疲労混じりのため息をついた。秋蘭と拓実があんなに慌てていたというのに、本人がこの調子である。

 

「まぁ、ともかく。姉者が最近華琳様にお会いできていないからな、代わりに拓実に姉者の話し相手を頼んだというわけだ。私が拓実のことを華琳様と呼んで、華琳様を相手するように話しているのは、その方が本物の華琳様と話しているような気になれるからだ。拓実がせっかく華琳様のように振舞っても、我らが変わらず砕けた話し方をしていては興醒めというものだろう?」

「ふむ、そうか。それもきっちりあるな」

「……姉者、それを言うなら『一理ある』だろうに」

 

 きっちり? と春蘭の謎の言葉に拓実は僅かに首を傾げていると、秋蘭が笑みを浮かべて補足した。

 

「おお、そうとも言うな。それだ。ええっと、それでは拓実じゃなくて、こちらの華琳さまは華琳さまということなのだな」

 

 うんうん、と頷いた春蘭は、横で眺めている拓実に向かっておもむろに膝をついた。いきなり何事かと、拓実は眉をひそめて目の前に跪いた春蘭を見下ろす。

 

「華琳さま、この私の為にわざわざお越しいただいてありがとうございますっ! ええと、本日はいつまでこちらに居られるのでしょうか。丁度、以前に華琳さまが美味しいと言ってたのでまた街で買っておいたお菓子がですね……」

「……随分と切り替えが早いわね」

 

 ぱっと対応を変えて見せた春蘭に、拓実は思わず軽く目を見開いて見つめてしまった。拓実の目の前の春蘭は、それこそ華琳を前にしているかのように目をきらきらとさせて頬を染めている。

 春蘭の中でどう解釈したかは知らないが、こういった対応をしてくれるのならば問題はないだろうと拓実は気を取り直した。

 

「華琳さま?」

「いいえ、何でもないわ。そうね。それでは秋蘭、お茶を入れて頂戴」

「はっ、ただいま」

 

 きびきびとした様子で立ち上がって秋蘭が部屋を出て行く。湯が湧いている厨房に向かったのだろう。それを見送り、拓実は春蘭に向き直った。

 

「先の春蘭の問いに答えるなら、ここに居られるのは精々昼までといったところかしらね。私がここに居ることは知られてはならないもの。今日のところはここで小さなお茶会としましょうか」

「はぁ、そうなのですかぁ……」

「こら、春蘭。そんなに落ち込まないの。せっかくのお茶会だというのに、相手が沈んだ顔ではこちらの気分もよくないわ」

「はい! あ、いえ、これは決して華琳さまに不満がある訳ではなくてですね……」

 

 必死に弁解しようとしている春蘭が微笑ましくて、拓実は笑みを浮かべる。

 

「わかっているわ。そうね、それでは秋蘭が戻ってくるまでこの『等身大着せ替え華琳様人形』とやらをどう製作したのかを聞かせて……。あら? 秋蘭ったら、もう帰ってきたのかしら」

 

 外からこの部屋に向かって、こつこつといった足音が拓実の耳には聞こえてきていた。どうも華琳の姿をしていると常時気を張っているような状態である為に、人の気配や音に敏感になるようだ。

 

「いえ、この歩調は秋蘭のものではないわね。……春蘭! この部屋に身を隠せるようなところは?」

 

 足音が近づいてきてようやく、拓実は思い違いに気がついた。声を鋭く、春蘭に言葉を飛ばす。

 

「へ? えっと、そちらの扉が物入れになっていまして、この人形分の空間は空いているかと思いますが……?」

「そう」

「え? あの、華琳さま?」

 

 返答が届くのが早いか、拓実は扉を開いて体を滑らせるように潜り込む。内側から拓実が物入れの扉を閉めるのと、部屋の外から声がかかるのは同時だった。

 

「春蘭、秋蘭。いるかしら」

「はぁっ!? か、華琳さまですかっ?」

 

 やはり、このまま何事もなくという訳にはいかないようだ。春蘭の戸惑った声を扉ごしに聞いて、拓実は潜り込んだ物入れの中でひっそりとため息を吐いた。

 

 


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