静まりかえってしまった……
それがいいことなのかどうかはわからないが、それでも俺は自分がすべきと思ったことを遂行した。
間違っていたかもしれないし、他に言い方が……伝え方があったかもしれない。
だがそれでも俺は自分の考えを押し通した。
あの時の友人の血の生暖かさは、いまでもはっきりと手に残っていた。
体力がすごくあって、でもそれをうまく活用できてなくて……それでもそいつがいると部隊内で自然と笑いがこみ上げてくるような、そんな存在だった。
そいつから足という物を奪った連中を怨むべきなのだろう。
だが……それでも俺は……
「どうする篠ノ之? 続けるか?」
すっかりと戦意を喪失し、それどころか自分の行いを否定されて茫然自失としている撫子ポニーに教官が話しかける。
それを聞いて刀を構えるが……そこには当然のように、先ほどまでの気迫はなかった。
……悪いことをしたな
確かにいらだっていたのは事実だった。
竹刀を、木刀を制裁のために使うことを。
だがそれでもここまで落ち込まれてしまうと……自分が正しいことをしたのかどうかわからなくなってしまう。
「正しいかどうかはわからないけど……正論だよ?」
その俺の自問自答に答えるような声が上がる。
そちらへと目を向ける。
声ですでにわかっていたが……その言葉を発したのは更識だった。
「確かにお兄ちゃんの言うとおりだと思うよ? 専用機持ちだっていうのに、ISを軽々しく扱いすぎているのは事実かも知れない」
その言葉を聞き、専用機持ち達が気まずそうな表情をする。
俺は実際に目の当たりにしていないが……しそうにはなったが……それでも一夏を制裁するときに何度か部分展開を行っていたらしい。
……ある意味で羨ましいがな
人を……異性を好きになると言うこと。
それが俺にはわからない。
俺の場合は……女性になるから……。
色んな面を……知っているから……
「でもね……」
そこで言葉を中断させずに、更識は言葉を続けた……。
その時の更識の目は……ひどく悲しそうにしていた……。
それが俺には……よくわからなかった……。
.
静かに見つめてくるその瞳。
その瞳の奥に疑問の感情が渦巻いているのがわかった。
ずっと……お兄ちゃんのことを考えてきたから、それくらいのことは直ぐにわかった。
そして、何に対して疑問を感じているのか……考えるまでもなかった。
世話の焼ける人だね……
確かにお兄ちゃんの言うことは正論だろう。
確かに部分展開とはいえ、ISの無断使用などは国際法違反になる。
そしてISが人どころか国すらも滅ぼすことが可能な力を秘めていることは事実だった。
それを軽々しく扱っているのかもしれない……。
だけど……その事実を……起こった結果だけを見ていて、その内面を……それを起こした原因と想いを……お兄ちゃんは全くわかっていなかった。
「けどね、お兄ちゃん……。それほどまでに心動かされる事なんだよ……。誰かに恋をするって言うことは」
嫉妬。
それは確かに醜悪とも取れる感情なのかもしれない。
だけど、それが起因しているその感情まで、否定する事なんて出来るわけがなかった。
人を好きになると言うことを……それを否定することが出来る人なんて……いるわけがない。
……わからないってわかってる……けどね、お兄ちゃん
お兄ちゃんの事情を鑑みれば確かにわからないでもない。
あの時は私も小さかったから仕方がなかったなんて……言いたくはない。
けどどちらにしろ私はお兄ちゃんを救うことが出来なかった。
それどころかお兄ちゃんの状況を知ることすらもしなかった。
その気になれば調べることも出来たというのに……。
だからこれは私にも責任の一端がある……
だから……気づかせて上げたい。
恋を知ってもらって、気づいてくれたら……そう言う打算なのかもしれない。
それでもいい。
例えそうだったとしても知って欲しい……。
人を好きになると言うことを……。
私がお兄ちゃんに対して思っている……この想いを……好きって気持ちを……
乙女チックなことを言っているのかもしれない。
ただ、この気持ちを知らないままにいたら、お兄ちゃんはきっととんでもないことになってしまうから。
そんな予感がしているから。
昨夜お兄ちゃんの味方だって……言ったばかりだけど……
だけど、これに……この言葉に、味方すると言うことは私自身の気持ちを裏切ってしまうことだから……。
それにこのままでいいわけがない……。
そうならないためにも……私は……。
ここで……止めて上げる……
「生徒の長として……そしてこの子達の気持ちの代表として……。門国護。あなたに決闘を申し込みます」
.
その言葉は……普段の巫山戯た感情を一切含まない……真摯な物だった。
どうしてこいつが、これほどまでに彼女たちを擁護するのかは知らない。
だがそれはもはやどうでもいいことだ。
この勝負は……もはや俺と更識個人だけの物ではなくなってしまった。
これは……俺の思いと、更識と一夏の五人組との勝負だ……
ならば……例え相手が誰であろうと……負けるわけにはいかない。
俺は小さく頷いた。
「というわけなので、私の番でいいですよね?」
「まぁこの状況では仕方がなかろう。存分にやるといい」
もっと後方の番だったのか、一応更識が教官に確認を取っている。
教官に話しかけているときはいつもの更識だった。
だが……会話が終わり、試合の場へと足を運ぶと、目が変わった。
今まで……俺がIS学園に来て以来、俺は見たことがない真剣な瞳だった。
「思えば、お前とこうして格闘の試合を行うのは久しぶりだな……」
「……そうだね。随分昔の事だね」
互いに思い出す……幼少時の記憶。
まだ父が生きていた頃、更識の家に行ったのが、こいつとの出会いだった。
物心ついたときより磨いてきたこの自衛術。
そして、俺が発した言葉のためにも……。
負けるわけにはいかない!
静かに……構える。
いつものように空手の前羽の構え。
対して、更識は飛び込むような構えをとる。
まさに対照的な構えだった。
「……」
「……」
「「「「「……」」」」」
場が静まりかえる。
だがこれはあくまでも、爆発する前に起こる、タメの静寂。
火山が噴火する前の……危険にして最悪な沈黙……。
そして……それを……
「……はじめ!」
教官の合図が、破った。
.
……すごい
私は、門国さんと更識さんの試合を、ただ静かに見つめていた。
門国さんを対象とした、格闘の練習試合。
もう始まってからだいぶ時間が経つというのに、門国さんは息一つ切らしていなかった。
それだけじゃなく、今まで見せたこともないような気迫を放ち、更識さんの攻撃を捌いていた。
……うぅん。一度だけ見せたくれたことがある
臨海学校の時の事件で、私が暴走したISに攻撃されそうになったとき。
遠目だったけど……あの時の門国さんは鬼気迫る物があった。
先ほどの悲鳴にも似た本心の吐露で、気が昂ぶっているのかもしれない。
その高ぶりが、今まで見たこともないほどに、門国さんの技の切れを最高までに高めていた。
きっと私だったら一撃で倒されていると思う。
その門国さんのカウンターすらも躱して、更識さんが猛攻を仕掛けていた。
笑顔を絶やさないで、何でも飄々と器用にこなしている、普段の更識さんの姿からは想像も出来ないほどに……苛烈だった。
達人同士の格闘という物はこれほどにレベルの違いがあるのだと……思わせるものだった。
けど……それなのに、何で……
それほどまでにすごい試合だったけど、私は試合に見とれていたけど、とても興奮できるような……高揚できるような物じゃなかった。
何で……
二人の技量は、それこそ一線を画した物だというのはこの場にいる誰もがわかっていること。
誰もが真剣に見つめていた。
だけど、私と同じで誰も興奮している人はいなかった。
だって……。
どうして……こんなに痛々しいの?
見ていて……何故かとても切ない気持ちになってしまった。
とても痛々しい……それこそ互いに互いを慈しんでいるのに、殴り合っているかのように……。
二人とも、まるで泣きながら試合を行っているようで……。
とても痛々しかった。
だけど、それがどうしてなのか……私にはわからなかった……。
.
……強いな
更識との試合開始から十数のカウンターを放ったが……そのことごとくを躱され、あるいは止められていた。
成長していたこと自体はISでの戦闘訓練でわかっていたが……格闘術も相応以上に上がっているとはとても思わなかった。
これが……今の更識六花。
いや……更識楯無……か……
護身術の出稽古に連れて行かれたのが出会いだっただろう。
年も近いと言うことで、俺は兄弟子のような立場になって、こいつと訓練を行っていた。
それからだんだんと仲良くなった……。
最初は……そんなにでもなかったんだよな……
最初は訝しげな目で見られた物だ。
それはそうだろう。
いきなり自分の家に他人がやってきたらいい気はしない。
まぁそこらを表にはだしていなかったが……。
正直……俺も覚えてはいないが……
当時はまだましだったかもしれないが……それでも片鱗はすでにあっただろう。
女性が苦手という
……今はいい
俺の女性恐怖症は今は詮無きこと。
「護る」という俺の信念を貫き通すために……俺は……。
負けん……
負けるわけには……いかない……
.
……まずいわね
全力を持って攻撃を行っているのに……その全てを流されていた。
今の私なら一矢報いるくらいは出来ると思っていたのに……全く出来そうになかった。
……強すぎだよ、お兄ちゃん
眼前の相手……門国護は間違いなく強者だった。
確かに攻撃はほとんどカウンターのみで、自ら攻めてくることはない。
だけど、それでも長い時間、多くの相手と格闘試合をした後で、未だこれだけの実力が出せるのだから……弱いわけがない。
疲労の色も全く見せないしね……
だけど……それ以上に……いや異常と言ってもいいかもしれない。
その目は……今自分がどんな表情をしてるか……わかってる? お兄ちゃん?
お兄ちゃんの表情が強ばっていた……。
そのこわばり方が、獣じみたこわばり方で……。
そして……どこか歪んだ硝子を連想させた。
そんなに怖いの? 女の人が…………自分の弱さが
これほどの強さが……必死になって自分を護ろうとしているように見えて……。
まるで怯えた子供のようだった……。
わかっていた。
わかっていたけど……私には何も出来てない。
こんなにも好きなのに……。
こんなにも……
私はお兄ちゃんに何も出来てない。
何もして上げられていない。
だから……今こそ……
止めて上げる!
それがいけなかったのかもしれない。
攻めてこなかったお兄ちゃんが……ここに来て自ら動いた。
っ!?
「っぁ!」
鋭い呼気と供に……突き出される拳。
その顔には……鬼気迫る表情が刻まれていて……
本当に……この人は……
私はそれを受け止めることが出来ず……意識を失った。
もしも過去に戻れたら……私はこの時間に戻るかもしれない。
たらればの話なんて何の意味もないってわかってる。
けど、もしここで……止めることが出来たら……。
もう少し自分のことを……他のことを見てくれる事を知ってくれていたら……。
私はお兄ちゃんの手の温もりを失わずに済んだかもしれないのに……
.
突き出したその拳。
それはゆったりと動き……更識の顎へと当たり……意識を刈り取った。
―――――
それに気づいたときには遅かった
―――――る
だが振り抜いた拳は当然のように止まってはくれなくて……
――――もる
更識が避けなかったことが不思議だった……
――護
だがそれを考えている余裕は俺にはなかった……
いいか? 「人を守る」ということはな――――
!?
突き出した拳を振り抜き、更識の意識を刈り取ったその手応えと同時に……父の言葉と、己の誓いを思い出していた……
俺は……な、何を……?
振り抜いた拳が細かく震えていた。
それを抑えつけるために手首を握りしめる。
だけどその抑えつけた手も震えていて……ほとんど意味がなかった。
俺は……
自分の想いを守るどころか……自分で自分を……
「……勝負あり」
教官の声で我に返り、俺は自分の手を見ていた視線を上げる。
少し先の床で……意識を失って倒れている更識が……。
「――――――っ!?」
俺は……
.
? 門国さん?
更識さんの顎に一撃を与えた門国さんが、ひどく驚いた表情をしていた。
驚くと言うよりも絶望しているような、そんな表情を。
「今日はこれまでにしよう。双方供に、もう試合を出来る状況じゃない」
そんな門国さんを察してか、織斑先生が本日の練習試合の終了を告げる。
それを聞いた瞬間に、門国さんは駆け出していた。
まるで恐ろしい物から逃げ出すように。
けどそれに気づいた人はほとんどいなかった。
ほとんどの人が、門国さんに倒された更識さんへと向かっていたから。
更識さんも心配だったけど、倒れ方も問題なさそうだったし、それに障害が残るような攻撃を門国さんがするとは思えない。
だから、私は門国さんの後を追った。
門国さんの足取りが若干危なしくって……けどそのおかげと言うべきなのか……いつもよりも遅い速度になっていて。
そして門国さんは屋上へと上って……遠くの空を見つめていた。
それが余りにも危なっかしくて……その横顔が本当に、失意の感情で溢れていて……。
思わず私は門国さんに声を掛けていた。
「どうしたんですか? こんなところに一人できて」
夕日が沈んでいく、黄昏のその時間。
屋上へと来た俺の腕を掴まれ声がかけられた。
声で分かっていたことだったが、それでも俺は後ろへと振り返る。
そこにいたのは当然、思った通りの人で……。
「山田先生……」
副担任の、山田先生だった。
俺をよく気に掛けてくれている人。
俺の自意識過剰な考えかもしれないが……俺に好意を抱いてくれている。
……だけど
俺はそれでも怖かった。
女性という存在が……。
咄嗟に払いのけようとして……先ほどの更識の姿が思考を横切った。
「!?」
故に振り払うことも出来ず、俺はただ無気力に手を払った。
だけど……それでも山田先生は俺の手を手放さなかった。
「……離して下さい」
「……離しません」
女性に触れられているというのに……何故か余り緊張しなかった。
というよりも緊張することすらも出来ないほどに己に絶望していたのだ。
何故か思い出された父の言葉。
そして幼少時にそれを聞き、己が自分に誓ったそれを破ってしまった。
いつから忘れていたのだろう?
父が死んでしまってからだろうか?
母の病気が治ってからだろうか?
それとも自分が自衛隊に入ってしまった時だろうか……?
ISを……守鉄を動かしてからだろうか……?
わからないが……それでも俺が忘れていたことに代わりはない。
誓いを忘れていたと言うことと、気を失った更識のその姿が……母の姿に似ていて……気が弱ったのかもしれない。
だからなのか?
それとも……このときにはすでに意識していたのかもしれない。
「……とりあえず、座りませんか? そこのベンチにでも。それで話してみて下さい。何せ私は門国さんの先生ですよ?」
狙っているのかいないのか……それともわざとおどけて見せてくれたのか……胸を張って笑顔でそう言ってくれた山田先生があまりにもまぶしくて、俺はベンチへと並んで座って話していた。
俺がどうして……こんなにも女性が苦手なのかと言うことを……
.
「う、うぅん……」
うっすらと感覚が戻ってきて……目を覚ましたらそこは見知らぬ天井だった。
見知らぬと言うよりも、余り意識を傾けていないから知らないわけではないのだけれど……初めてベッドに横になってみたその天井は、ひどく無機質だった。
「私……」
「目が覚めました? お嬢様」
横になっていた私のそばに、心配そうな表情をしている虚ちゃんがいた。
「道場からの報告で飛んできました。すでに先生に見てもらって異常はないとのことでしたけど、どこかに違和感はありませんか?」
「……道場?」
その虚ちゃんの言葉で、私は先ほどの……崩れ落ちていく意識の中で見た、お兄ちゃんの表情を思い出した。
「!? お兄ちゃんは!?」
「……あの人なら山田先生と一緒に屋上にいます」
「……そう」
虚ちゃんからのその言葉を聞いて、私は起こしていた体を再度ベッドへとよこたえた。
私たちの気持ちの代表として戦ったにもかかわらず負けてしまったこと。
それにお兄ちゃんにあんな表情をさせてしまったことが……悔しく、そして悲しかった。
何より……山田先生に抜かれそうで怖いような……
今すぐその場に駆け込みたい気がするけど……けどそれでも、その場に行く勇気はなかった。
あんな表情させちゃった私が行ったら……まずいと思うし……
何であんな表情をしたのかは……何となく想像できる。
お兄ちゃんの過去を知ってれば……簡単だった。
愛を知らない……か……
おじさんの……武皇将軍の言葉を思い出す。
愛。
それが何を意味しているのかは難しいかもしれないけど……お兄ちゃんがそれを知らないのは間違いなかった。
お兄ちゃんこと……門国護。
門国家の長男として生まれたお兄ちゃん。
けどそんな彼の誕生を誰もが祝福した訳じゃなかった。
門国護の母……門国楓。
旧姓を武皇といい……自衛隊の将軍である武皇将軍の妹さんだった……。
武皇将軍の妹さんとの結婚は、当時としても身分差のある結婚だった。
でも二人は互いを大切に思っていたから、それはさほど問題じゃなかった。
問題は……おばさまの体と、おばさまの付き人だった……。
お兄ちゃんのお父さんと……おじさまと、お母さんであるおばさまは、無事にお兄ちゃんを出産したのだけど……それによっておばさまは弱かった体をさらに壊してしまった。
それ以来に寝たきりになってしまったため、世話をするのはおばさまの付き人だった。
……けど
その付き人の人が……少々問題があった。
この人は門国家を嫌っていた。
身分の低い門国家と、自分にとって大事な存在だったおばさまとの結婚を最後まで反対していた人だった。
だからだろう。
お兄ちゃんが生まれたことで体を壊して寝たきりになってしまったおばさまの事の恨みが、お兄ちゃんとおじさまへと向けられた。
きちんと育児自体はしていた。
だからこそお兄ちゃんも生きている。
ただ食事を与えるだけを育児と言えるのなら……だけど……
終始無言。
お兄ちゃんに話しかけることもなく、それどころか目を合わせようともしない。
ただ食事を与えて、身の回りの世話をぞんざいにするだけだった。
おじさまも、強く言えなかったのだろう。
彼自身も育児はしたけど……その立場の都合上、そこまでお兄ちゃんに構って上げることが出来なかった。
没落寸前の「門国」を必至に切り盛りしていたから。
こうしてお兄ちゃんは、全く女性と触れずに日々を過ごしていた。
それこそ会話すらもしていなかっただろう。
お母さんと会えるのは、一ヶ月に数分程度。
それすらも困難なことが多い。
あなたが生まれてしまったからお嬢様は臥せって仕舞われた……
付き人の人が幼いお兄ちゃんに向けて憎しみを込めながらそう言ったらしい。
その言葉でお兄ちゃんはある意味で壊れてしまったのかもしれない。
それがばれて、その人はおばさまの付き人を強制的にやめさせられて今は別の人が付き人をしている。
その時には、もう……お兄ちゃんには恐怖が宿っていたけど……
だけどそれでもお兄ちゃんはがんばれた。
お父さんとの修行の時間だけが、当時のお兄ちゃんの生き甲斐だったかもしれない。
父ではなく、師として接してくるおじさまはすごく厳しかったことを覚えている。
だけどそれでもお兄ちゃんはおじさまの……お父さんの期待に応えようと必至になってがんばっていた。
そんな息子が誇らしかったのだろう。
おじさまも修行中に笑みをこぼしていた。
父としてではなく師としてだけど、そこには確かに愛情があった。
だけど……それもあの日の事件で壊れてしまう……
私の家に出稽古に来たその帰り道。
暴走車によっておじさまは死んでしまった。
たまたま事故に遭いかけて死にそうになっていた見ず知らずの子供を庇って。
その時、お兄ちゃんも危機に瀕していたにもかかわらず……。
実際お兄ちゃんはその時の事故で怪我を負ってしまった。
奇跡的に骨を折る程度で済んだ。
その怪我に注意を向けすぎて……誰も心の傷に気づいて上げられなかった……。
その時の状況を鑑みれば……確かにお兄ちゃんよりもその子の方が危なかったのかもしれない……
実際、過去の事故の状況を調べてみれば直ぐにわかる。
おじさまが命を投げ出してでもしなければその子は死んでいた。
だけど、その時お兄ちゃんも危機に陥っていたのだ。
その時のことは怖くて聞いていないけど……
お兄ちゃんはこう思ったんだと思う……。
俺は、いらない子だったのか?
って。
身分違いの結婚、そして子供を産ませてしまったために名家のお嬢様を臥せってしまうほどに体を壊させてしまった負い目。
それらを感じていたおじさまは余りお兄ちゃんを息子としてかわいがって上げられなかった。
それでも修行の時間は父として、師として、真剣に教えていた。
だけど……最後の最後の時まで、師である必要は無かったのかもしれない……。
息子の危機でさえも、「父」としてではなく「師」として行動した……
弱者を守る者としては正しい選択だった。
だけど「父親」としては最悪の選択だったのだ。
確かにお兄ちゃんは死ぬようなことは無かっただろうし、おじさまが庇わなければその子は死んでいた。
だけど幼かったお兄ちゃんに、それを察してくれと言うのは無理な話だった。
自分はただ後継者としてしか見られていなかったと思ってしまったお兄ちゃんは、その時完璧に壊れてしまったのだ。
それに追い打ちをかけたのが……ISだった。
それの登場で技術は飛躍的な進歩を遂げて、おばさまも歩ける程度には回復した……してしまったのだ。
今まで子供を大事に出来なかった負い目として、おばさまはお兄ちゃんに色んな事をして上げようとした。
だけど、お兄ちゃんはほとんど人を信じられなくなっていたから……だからあんなにもぎくしゃくしてしまうのだ。
女性とは弱く儚く、そして恐ろしい物。
そう言う認識が、心の奥底に傷としてあるから、あんなにも女性を拒絶する。
そしてそのISの登場で、女性が幅をきかせる世界となった。
それに……自分の「守る」という思いを、木っ端微塵に打ち砕いてしまったのだ。
幼かった私には……何もして上げられなかった……。
お兄ちゃんのお見舞いにだって行った。
だけど……私は気づいて上げられなかった。
幼いとはいえ私も「女」だったから……お兄ちゃんは必至に隠していたのかもしれない。
幼かったとはいえ……それを見抜かなかった私は……。
どうしようもなく、愚か者だった……。
.
ベンチに座って、門国さんの話を聞いた。
聞き終えた。
それを聞いて……私はほとんど何も言えなかった。
話をする門国さんの表情が……あまりにも痛々しくて……。
「……わかっている。わかっているんです。母は俺を大事に思ってくれていますし、父は俺を見捨てたんじゃなくて、実に正しい選択をしたって……。だけど……|俺は一体何なんだ〈・・・・・・・・〉……?」
ほとんど焦点の定まっていないその瞳には……全く力がなかった。
先ほどまで、確かな技量でほとんど攻撃を受けずにIS学園の生徒達を圧倒した武道家は見る影もなかった。
ううん……それは違う……
今私の隣で顔をうつむけているのは「門国護」ではない……「護」という一人の青年なのだ。
武道という鎧を脱いだ……一人のか弱い青年なんだ。
そして今の話を聞いて何となくわかった……。
この人は……
「愛」と言う物を知らないんだと思う……
愛という大層な物じゃないかもしれない。
だけど、当たり前のように両親から「親」としての愛情を受けずに育ってしまったこの人は歪んでしまったのだ。
最後の最後まで師として行動したお父様。
それは立派なのかもしれないけど……門国さんには非常に申し訳ないけど……許せなかった。
自分の息子なんだから、もっと堂々と父親として接して上げていれば……
難しかったのかもしれない。
身分違いの結婚をしているのだから。
私のお父さんとお母さんは普通の一般市民だったから。
だから私には身分が高い人たちの事はわからないけど……でも……。
自分の子供なんだから……もっと大切にして上げて……
そう思ってしまう。
自分の息子を、息子として接して上げなかった。
けどそれ以上に許せないのが付き人の人だった。
小さな子供に向かって……そんなことを言うなんて!!!!
確かに憎かったのかもしれない。
私だって大切な人が傷つけたり、傷つけられたら憤ってしまう。
だけどそれでも……幼い子供に向かってそんなことは言えない。
しかもその子が何も悪いことをしてないというのに……。
……だからそんなに女性が怖いんですね
「誓いを破ってしまった……俺は……」
か細いその声は、小さすぎて聞こえなかったけど……、震えていたことはわかった。
目の前で……体の震えに気づかないほどに怯えているこの人を前にしたら、そんなことなんてどうでもよかった。
自然と体が動いていた……。
何も考えず、ただ何かして上げたかった。
苦しみはわかって上げられない。
ただの押しつけかもしれない。
だけど、幼子のように震えている門国さんを……放っておけなかった。
俯いていた頭に優しく手を添える。
それに怯えて、私に顔を向けてきた門国さんが少しでも安心できるように、私は笑顔作って……
ギュッ
門国さんの頭を、抱きしめて上げた。
体質のことがあったから少しためらったのだけど……こうするのが正しいと思った。
「!? や、山田先生!?」
それで慌てて私から離れようとする門国さんだった。
だけど直ぐにそれが収まった。
きっと……私が女の人だから力づくで離れられないと思ってしまったんだと思う。
だから……私は門国さんの頭を抱きながら、その頭を優しく撫でた。
「……ぁ」
一瞬びくりと……震えてしまっていた。
だけど、それでも離れず逃げようとはしなかった。
逃げられなかったのかもしれない。
無理矢理逃げたら危ないから。
「女」の人と、傷つけてしまうかもしれないから。
だから私はこういった……。
「大丈夫……」
「……ぇ?」
余りにも意外そうな門国さんの声。
見上げようとしたけど、私はそれを優しく抱き留めて止めた。
少しでも……安心させて上げたくて。
「大丈夫ですよ」
「な……何が……」
「女性はそんなに弱くないですし、門国さんだってそんなに弱くないです。だけど、辛かったら泣いていいんです。少しはわがまま言ったっていいんです。あなたはまだ……子供なんですから」
年齢だけを見れば門国さんはもう成人しているから立派な大人かもしれない。
だけど……心はまだ子供のままだから……。
だからその心が少しでも安らぐように、私は抱きしめたまま、優しく門国さんの頭を撫で続けた。
それが良かったのかわからない。
だけど、弱々しい力だったけど……門国さんが震えながら私の服を掴んで……握りしめていた。
まるで怯える子供が、母親に甘えるかのように……。
私はそれを拒絶しなかった。
今だってすごく恥ずかしかったし、普段の私からは考えられない行動だと思う。
だけど今拒絶してしまったら、この人はもう戻れないとわかっていたから……。
私は門国さんの行動を受け止めた。
「……母さん」
震える声で、門国さんがそう言った。
私はお母さんじゃないけど……だけど拒絶だけはしたくなかったから……。
私はただただ、優しく門国さんの頭を抱き留めながら、頭を撫でていた……。
.
門国さんとの試合を終えて、私はうちひしがれた気分で、私は熱いシャワーを浴びていた。
試合運びに、試合結果……それらも十分に私の自信を打ち砕いたが、それ以上に私を絶望たらしめたのは門国さんの言葉だった。
『……あなたには失望しました。篠ノ之箒さん』
失望したというその言葉。
それだけを聞けばただ憤るだけで良かった。
だけど、それだけじゃなかったのだ……。
ISを玩具扱い……
言っている本人でさえも悲鳴を上げているように言っていたその言葉。
圧倒的存在であり兵器であるISを余りにも気軽に扱っている事への怒り。
国さえも滅ぼし飲み込むことの出来る力を、私利私欲に使っていること……。
それに反論することは……出来なかった。
私は……一夏に少しでも近づきたくて、これを受け取ったから……
手首に巻かれている私のIS「紅椿」。
IS開発者である私の姉、篠ノ之束から受け取ったもの。
私はこれを受け取り、今日に至るまで装備しても、それを深く意識していなかった。
そして私に個人に対していった言葉……。
刀を相手に向ける……
その事を再確認させられた。
真剣の稽古まで行っているというのに……私はいつからこんなにも軽い扱いをするようになってしまったのだろう。
何も……言い返せなかった。
竹刀は真剣と同等の物である。
これは門国さんの言うとおり、誰もがならうことだった。
だというのに私は……それを一夏の制裁に使っていた。
私は……今度こそ強くなったのではなかったのか……?
臨海学校で、一夏と供に事件を解決した。
他のみんなの協力があってこそだってわかっている。
だけど……それでも確かな手応えを感じていたのに。
私は……また……
思わず感情的になって、思いっきり壁を右手で殴った。
だけど、それは当然のようにいたくて……だけどそれでも私の心はそれ以上に痛かった。
「お、ようやく出てきたな」
「……一夏」
痛みで少しだけ気分が晴れた私は、着替えて外へと出ると、一夏が待ち伏せていた。
本当なら嬉しいけど……今はそれを喜ぶ気になれなかった。
「何だ、暗い顔して。護に言われたこと気にしてんのか?」
「!?」
普段は鈍感なくせに、こういうときは鋭い。
小さい頃からそうだった。
このバカな幼なじみは……。
それに縋りたかったのか?
それはわからないけど……少しだけ参っているのは事実だった。
「……一夏」
「? 何だ箒?」
立ち止まって俯きながら……私は一夏に話しかけた。
顔を見ることが出来なかったから。
「私……私は……」
「わかってるよ箒」
「……え?」
私自身、形に出来ていない思いを口にしようとしたときに、先手を打たれて驚いた。
その驚きに抗えず、顔を上げるとそこに……一夏の笑顔が会った。
「箒は竹刀を……刀を、軽々しく扱わない奴だってのは、俺がよく知ってるから。だから大丈夫だ」
「……ぁ」
もっとも言ってほしかった言葉を、もっとも言ってほしい人物が……一夏に言ってくれて、私は思わず涙がこぼれそうになってしまった。
しかしその瞬間。
「はいそこまで!」
という声とともに、私の背中に衝撃が走り前へと吹き飛ばされた。
「!?」
「箒!? というか鈴!? さすがに跳び蹴りはまずいだろう!?」
「大丈夫でしょ? あの男とあれだけやり合ってたんだからこんなんで参る分けないじゃない」
私が吹き飛ばされたその後方で、そんな会話が繰り広げられている。
当然のようにその会話が耳に入ってくるので……私は、誰が私に何をしたのか当然のようにわかっていた。
「鈴! お前は!」
「負けてショックなのはわかるけど、それで抜け駆けするのは許さないわよ」
「そうだぞ箒。負けて悔しいのは私も同じだ」
すると、ぞろぞろと、ラウラ、シャル、セシリアまでやってきて……、あっという間に二人きりの時間は終わってしまった。
「それにしてもすごかったね。僕も戦ってみたかったなぁ……。あまりマーシャルアーツに自信はないんだけど……」
「私も、格闘技には自信がありませんわ。一応成り行きで参加してしまいましたけど」
「私は相当の自信が会ったのだが……あいつの防壁を突破できない用では教官は遙か先にいるということだな……」
口々に自分の言いたいことを言う。
少しいらついてしまうが、それでも気分が紛れたのは間違いなかった。
そこで私は気づいた。
……気を遣ってくれたのか?
ここにいたこと、そして鈴があまりにもタイミングよく攻撃してきたこと。
憶測でしかないけど……少し気遣ってくれたのかもしれない。
「負けっ放しじゃすまさないわよ! いつかあいつをぎゃふんと言わせてやるんだからね! 格闘技じゃだめでも、ISなら私たちに分があるわ。確かに少し乱用しすぎだったかもしれないけど……それだけじゃないことを見せつけてやるわよ!」
「いいこと言いますわね鈴さん。前回は不覚をとりましたが、次こそこてんぱんにしてさしあげますわ」
「僕も一度戦ってみたいなぁ。僕の技術がどこまで通じるのか試してみたいしね」
「その程度の意識でどうするのだシャルロット。ぶちのめすくらいの意気込みで行かなければあいつには勝てないぞ!」
「俺も少しがんばってみるかなぁ……。ラウラの言うとおり、護を倒せないようじゃ、千冬姉には絶対に勝てないしな!」
それぞれの意気込みを述べて、皆が笑っていた。
ある意味で打ちのめされたと言ってもいい状況だというのに……。
それを見て、私も力を込めていなかった、手に力を込めた。
「私も……負けるわけにも行かない」
しかし、見事に敗北してしまった身としては、そこまで大きく言うことはかなわなかった。
だけど……
小さくともその灯火の熱は、誰よりも熱いと……私は信じていた……