ウィザード・ディテクティブ~魔術探偵ホタル   作:天木武

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Episode 6-6

 

 

 穂樽はかつてアゲハに教えてもらったバーにいた。その当人と待ち合わせをしてあるのだが、本来の約束の時間は既に過ぎている。

 会う約束を取り付けたとき、前の予定が押す可能性はあると付け足した上で相手は了承した。それを反故にするような人物でないことは、彼女自身がよく知っている。だとするならその前の予定が押しているのか、あるいはそこにかこつけて少しこちらを焦らそうという腹積もりか。

 いずれにせよ、話したいことは頭の中でまとまっている。自分はただ待つだけだと、逸る心を落ち着けるように煙を吐いて煙草を灰皿に置いた後、目の前にある氷の塊が浮かんだウイスキーを一口呷った。

 

 彼女にとって目的の人物が来たのは、そのグラスを机へと戻したときだった。悠然と近づいてきた目的の相手は穂樽と対照的、特に神妙な表情を浮かべてもおらず、普段通りの様子である。

 

「ごめんね、穂樽ちゃん。前の予定が長引いちゃって」

「いえ、急にお呼び立てしたのはこちらですから」

 

 形式的、とも捉えられる謝罪を同様に形式的に返したところで、「マルガリータ」と度数が高めのカクテルを注文しながらアゲハは穂樽の左へと腰を下ろした。

 

「それにしても私の教えたこと、忠実に守ってくれてるのね。やっぱりその煙草とウイスキーってスタイル、すごくいい感じよ」

「ありがとうございます。褒め言葉と受け取っておきます」

 

 あくまで形式上の返事しか返さなかった穂樽の態度であったが、アゲハは僅かに口の端を緩めた。今のでただの与太話のために呼んだわけではない、ということは伝わったようだった。

 

「それで、どうしても話したいことっていうのは何かしら?」

「……アゲハさんのことです。大体気づいてるんじゃないですか?」

 

 赤いメタルフレームの眼鏡の奥から鋭い視線を投げかけても、彼女の師は全く堪えた様子はなかった。色こそ同じもののセルフレームである眼鏡の奥の瞳から余裕が漂ってくるように感じる。

 

「単刀直入に聞きます」

 

 続けて、本題を切り出そうとした穂樽の目の前に、人差し指を立てて突き立てられた。そしてそれが左右に動かされる。

 

「ダーメ。無粋な聞き方じゃ、答えたくないわ」

 

 反射的に穂樽の表情が引きつった。普段ならそういうやりとりをやろうという気も起こるだろう。だが今は一刻も早く彼女の真意を推し量りたい。そんな言葉遊びをしたい気分ではなかった。

 

「アゲハさん、私は真剣なんです」

「わかってるわよ。元々穂樽ちゃんは真面目だけど、それに輪をかけて思いつめたような、深刻そうな表情だもの」

「それをわかっているんでしたら……!」

「でもせっかくだもの、ゆっくり話そうじゃない。こっちの飲み物はまだ出てきてもいないし、夜は長いんだから。……そうだ、穂樽ちゃんが独立してどのぐらい成長したか、それのテストっていうのはどうかしら? それで蝶野が満足するやり取りをしてくれるなら、なんでも答えてあげる」

 

 しばらく視線を交錯させた後、呆れた様子で穂樽はため息をこぼした。

 

「……回りくどく説明してから答えにたどり着け、ということですか?」

「そう捉えてもらってもいいけど。とにかく、蝶野に話す気にさせたら穂樽ちゃんの勝ち、ってことでどう?」

 

 まったく、と小声でこぼしてから穂樽は灰皿に置いたまま煙草に手を伸ばして煙を肺に通して吐き出した。その間にアゲハの前に注文したカクテルが用意され、そのグラスを手に穂樽へと微笑みかける。

 

「それじゃ、久しぶりの2人きりの時間に乾杯、なんて」

「……女同士でそのセリフですか。ああ、しまった。これいきなり失言だ」

「本当よ。今ので早くも減点ね。さ、頑張って巻き返さないといけなくなっちゃったわよ、探偵さん?」

 

 苦笑を浮かべ、煙草の火を消して穂樽は軽くウイスキーのグラスを相手のグラスへと当てた。澄んだ音を耳にした後で、高度数のアルコールを一口流し込む。焼け付くような感触で気持ちを昂らせ、一旦深呼吸してから穂樽は切り出した。

 

「セシル、最近どうですか?」

 

 だがこの問いに、一口カクテルを飲んだアゲハは苦い表情を浮かべていた。

 

「……穂樽ちゃん、ちょっとそれは入りとしてはベタすぎない?」

「回りくどくやれといったのはそっちです。これでどうこう言われるとこちらも困ります」

「うーん、今の切り出しは及第点ね……。ま、いいわ。……ええ、相変わらずバリバリやってるわよ。ただ、本来請け負うはずだった今回の一件がどうも流れちゃいそうで、さっき連絡したとき少しがっかりしてたみたいだけど」

「ああ、今日報告したとおり、それは申し訳なかったです。……って、私が謝ってもどうしようもないんですが。でも原因であった旦那が捕まってしまった以上、仕方がないことだとも思いますけど」

 

 そうね、と相槌を打ちつつアゲハはカクテルをもう一口呷る。

 

「あと、私が彼女の大切な後輩である興梠さんを今奪ってしまっているのも、気落ちさせている原因ではないかと思いますね」

「それはあるかもね。……で、その後輩ちゃんはどう?」

「比較的、人見知りも調査への苦手意識も薄れたんじゃないか、とは思いたいですね。要は慣れの問題、と思いますしそう言い聞かせてあります。だけどそこを差し引いても、彼女が非常に優秀なのは間違いありません。魔術の実力も相当なものです。昨日も彼女がいたからどうにか抜け切れたというのはあるかと思います。……けしかけたのもあの子な気はしないでもないですが」

 

 特に返事はなかったが、頷いている様子から話を聞いているものと判断し、穂樽は先を進める。

 

「ただ、そこで気になる言動があったんです。今言ったとおり、昨日の鉄火場でけしかけたのは彼女です。私は本来、壮介を含む連中の話を録音だけして、それが夫の様子がおかしくなった原因だと報告して終わりにするつもりでした。ところが向こうに気づかれる前に立ち去ろうとした矢先、興梠さんが部屋に踏み込んだんです。『同胞がこれ以上道を踏み外そうとすることを見過ごすことは出来ない』って」

「あら、随分と無茶やったのね。穂樽ちゃんが気になったのは、その踏み込んだ理由かしら?」

 

 どうにもうまいこと遠回りさせられているような気がする。そう思いつつも、焦りを抑えるように続ける。

 

「確かに突き詰めればそこになります。が、その前段階。『同胞』という言葉が、私は引っかかりました」

「それのどこが引っかかるの? 穂樽ちゃんだって同胞のウドをより広く助けたいと思ったというところもあるから、今の職を選んだ、とかじゃなかった?」

「はい、私に関してはそうです。でも、私の言う同胞と、彼女の言う『同胞』は同じ言葉でありながら、おそらく全く違う意味であると思います」

「全く違う意味?」

 

 頷き、穂樽はウイスキーを口へと運ぶ。一息分呼吸を整えて、再び口を開いた。

 

「初日、私が興梠さんと話したときに、今アゲハさんがおっしゃったようなことを彼女に話しました。ところが、彼女は『同胞という考え方をしたことはあまりない』と返した。にもかかわらず、昨日は同胞という言葉を使いました」

「穂樽ちゃんのおかげで、そういう意識を持てたんじゃない?」

「一度はそう思いました。が、どうしても引っかかるんです。これまで抱いてきた考えを、ちょっと言われて数日間だけで変えることなんて、少し難しいのではないかと思います。彼女が苦手意識を克服出来ないことと同様に、です。

 ……もうひとつ。仮に今の話をアゲハさんがおっしゃったとおりだとしても、こちらはそれ以上に違和感が拭えません。逃げ切れないと判断した私は、応援に呼んだクイン警部が到着するまで篭城して応戦する決断をしました。そこで彼女に使用魔術を尋ねたときに、魔炎魔術であると言った後にこう付け足したんです。『魔術は父の方に似てよかった』と。この発言、アゲハさんはどう考えますか?」

 

 返事はすぐにはなかった。だが、アゲハはどこか楽しそうに、表情は僅かに緩んでいた。

 

「……顔立ちや性格はお母さん似だ、かしら? あるいは父も同じ魔炎魔術使いだ、とも考えられるわね」

「ええ、おっしゃるとおりです。でも『魔術は母の方に似なかった』とも捉えられると思います。だとするなら、彼女の母もまた、魔術使い……。すなわち、両親共にウドであると考えられます」

「言われてみるとそう考えられるかもね。……でもそれがそんなにおかしいことかしら?」

「普通なら何もおかしくはありません。が、彼女に関しては妙なことになるんです。先ほどの同胞関係の話の際、私はなぜ彼女が弁魔士になったのか疑問を抱きました。私の中では多少なりとも、ウドでありながら弁魔士になるなら同胞を救いたいという意思があると思っていたところがあるからです。ですが、彼女は先ほど述べたとおり同胞という考え方をしたことはあまりないと述べた上で、消去法的に弁魔士を選んだ、と言っていました。本当は父親の強い勧めで検事になりたかった、ところが16歳のときに魔術が発現し、諦めざるを得なかった、と。……おかしいと思いませんか?」

 

 さあ、と首を傾げつつアゲハは少し大目にカクテルを飲む。グラスが戻ったタイミングを見て、穂樽は続けた。

 

「両親がウドの場合、子は100%ウドとなります。仮に11歳までに覚醒しなかったとして、その後確実にウドになることが約束されています。現に彼女は16歳で覚醒したと言っています。この状況下で、覚醒すればやめなければならなくなる検事を目指す、これはおかしな話だと私は思うんです。なら、最初から弁魔士を目指させればいい。でも彼女の父親は検事こだわった。先ほどの話と合わせてこの2点が引っかかりました」

「……要するに、気になったのは花鈴ちゃんの『同胞』という言葉と、両親ともウドであるならなぜ確実に子もウドとなる状況で検事を目指させたのか、ということね。それで、穂樽ちゃんの考えは?」

 

 いよいよ話が核心に近づく。そう感じた穂樽は、心を決める意味でも残っていたウイスキーを全て呷った。「同じものを」とバーテンダーに注文して、ゆっくりと口を開く。

 

「同胞という言葉、私はウド同士という意味で使っています。でも彼女はそういう考え方をしたことがないと言った。にも関わらず、あの場でその言葉を使った。……あの場にいた調査対象の梨沢壮介を含む連中は、マカルでした。その相手に対して使った同胞という言葉は、ウド同士と言う意味ではなく、()()()()同士という意味だったのではないか。同胞を止めるために昨日踏み込んだのではないか、と考えたんです。……実際、父が少し詳しかったと、彼女はマカルとラボネという言葉を知っていました」

「確かに昨日逮捕された連中はその通りだと聞いたわ。……でもだからと言って、その場で『同胞』という言葉を使ったから、それにマカルとラボネという言葉を知っていたからという理由だけで花鈴ちゃんまでそうだ、というのは少々発想が突飛じゃない? 全部穂樽ちゃんの頭の中での仮説でしょう?」

「ここまででしたらそうです。本当はこの先まで考えたのですが……。仮説を根拠付けるために裏を取ったので、この先のことまで含めておそらく間違いないと思います」

 

 ここで初めて、アゲハの表情から余裕が消えた。これまでの雰囲気から一変し、真正面から穂樽を見据える。

 

「裏、ですって……?」

「クイン警部に彼女と両親について調べてもらいました。ひとつ貸しで今度朝までコースで私持ちの飲みが決まってます」

「……穂樽ちゃん、私より警部の扱い方うまいんじゃない?」

 

 苦笑を浮かべたアゲハを見て、初めて心に少し余裕が出てきた。バーテンダーに差し出された2杯目のウイスキーをほんの少し口に含んで喉に通してから続ける。

 

「確認してもらったのは先ほどの2点目の件です。警部の話では、確かに興梠さんの言ったとおり、魔術の届出自体は16歳の時だったそうです。ですが、やはり彼女の両親は共にウドだった。そして……彼女の父は、現在服役しています。4年前のある事件がきっかけで、懲役刑の実刑が下ったそうです。事実、直接は聞きませんでしたが、私が彼女に父親の話題を出すと、彼女はその話題に触れたくないという気配を見せていました」

 

 アゲハは無言でカクテルを飲み干した。バーテンダーに「彼女と同じものを」と注文しつつ、視線だけは穂樽のほうへと流して先を促す。

 

「その4年前の『ある事件』、彼女の父が逮捕された日。私にとっても未だに忘れられない日です。あの日、私も知っているある人が亡くなり、また法曹界で有名だったある大物も逮捕されています。亡くなった人は柄工双(えくそ)静夢(しずむ)警部補、そして逮捕された大物の名は、麻楠史文元最高裁長官。説明不要でしょう、ウドでありながら警察に潜り込んで裏で暗躍していた男と、その父親で身分を隠しながら法曹界の中枢へと上り詰めたマカルの重鎮。セシルを巡る一連の騒動です。その日同じく、興梠さんの父は失明状態で逮捕されたそうです。これなら、さっきの検事の件も、マカルとラボネについて詳しかったという話も繋がります」

 

 穂樽と同じ、ロックのウイスキーがアゲハの前に差し出された。しかし彼女はまだそれに手をつけようとしなかった。

 

「……続けて」

「麻楠の計画では、確か秘密裏に召喚魔術によって堕天使ルシフェルを召喚し、人々を次第に支配しようとした。さらに法曹界をはじめとして権力の中枢にも同族のマカルを送り込み、敵対勢力であるラボネを法廷の場で裁くことで抵抗できないようにしようとした。そんな話だったはずです。だとするなら、彼女の父は娘がウドであったとしても、その事実を隠蔽して計画のために検事の座に着かせることが出来たはずですし、父が検事になることを望んでいたという彼女の発言とも一致します。

 ところが、麻楠の計画は失敗した。ルシフェルは召喚できず、にも関わらずその魔術の代償として多数の信者が失明した状態で発見、逮捕されたと聞きました。彼女の父もその一員でしょう。そしてそこでマカルという背景を失った彼女もまた、ウドであることを隠蔽したまま検事になることは不可能となった。……これは私の予想ですが、おそらく、彼女は幼少期に魔術に覚醒しているはずです。しかし隠し続けることが困難となったため、父の逮捕後である16歳のときに魔術が覚醒したということで届け出て、消去法的に弁魔士の道を選んだ。そういう結論に至りました」

 

 アゲハが、大きく息を吐き出した。まるで降参したようにもとれたその行動の後、穂樽と同じ酒を呷り、僅かに眉をしかめる。

 

「……やっぱりウイスキーはあんまり好きじゃないかな。穂樽ちゃん、大人ね」

「そうですか? 風味があって私は好みですよ。ただ、生憎良し悪しを正確にわかる舌は持ち合わせていませんが。……さて、最後です。私が聞きたいのは、そんな存在である彼女をなぜアゲハさんは迎え入れたのか、ということです。あなたのことですから、それを知らなかった、などということはありえないはず。理由を、教えていただけませんか?」

「なんとなく……予想はついてるんでしょ? 言ってみて」

 

 確かにその通りだ、という意図をこめて彼女は僅かに頷いた。

 

「……おそらくは、監視だと思っています。マカル……麻楠は異様なまでにセシルに執着していた。いつまた同じことが起こるとも限らない。だから、あなたは自分の目が届くところに彼女を置いた。……まさかとは思いますが、ウドではないあなたまで麻楠の手先だった、などということは考えたくありませんし、マカルの再興を願う存在だとも思いたくありません。ですが、明確な理由を聞くまではそれを否定できません。少なくとも興梠花鈴という人間はマカルの一員ではないか、という疑惑の眼差しを向けざるを得ない状況です。それを拭い去りたくて、彼女の真実を知りたくて、私は今日あなたを呼んだんです。

 ……私が話すべきことは全て話しました。今度は、アゲハさんが答える番です。なぜ、興梠さんをバタ法で迎え入れようと思ったんですか?」

 

 穂樽に促されても、アゲハはすぐに答えようとはしなかった。一度失った余裕のある雰囲気を再び纏いなおし、ウイスキーの入ったグラスを何気無く見つめている。

 

「そうね……。80点、ってところかしら」

 

 不意にそう告げられ、一瞬穂樽はどういう意味かを図りかねた。ややあって、それが自分の今までの話に対する点数だと気づき、少し複雑な表情を浮かべる。

 

「どこを間違えてましたか?」

「いえ、基本的に間違えてはいないわよ。そこまで考えを組み立てということに驚くぐらいだわ。ただ少し、不足分があったというだけ。そこは想像でしか補えないということを考えると仕方の無い減点、とも言えるわね。あとはもう少し話で遊んでもらいたかったっていうのと、何より最初の失言で減点かな」

 

 遊び不足と失言は仕方ないと苦笑を返したが、どこが足りなかったか。考えつつ穂樽はウイスキーを飲む。長話を終えた喉に、アルコールがやけに染みた気がした。

 

「煙草、吸っていいわよ。今度は私が話す番だから」

「……では遠慮無く」

 

 1本を取り出し、慣れた手つきで火を点ける。その様子に、なぜかアゲハは少し嬉しそうな表情を浮かべていた。

 

「うーん、やっぱりいいわね。決まってる。いかにも探偵、って感じ」

「……抜田さんみたいなこと言わないでください。というか、アゲハさんが薦めてきたスタイルです」

「そういうイメージなのよね、やっぱり。……さて、じゃあ答え合わせといきましょうか。まず、興梠花鈴という人間が何者か、マカルの一員ではないか、という問いの答えから。……答えはノーよ。ただ、穂樽ちゃんの仮説は見事なまでに当たっている。彼女は、父親が捕まるまでは確かにマカル、そう言って差し支えなかったでしょうね」

 

 煙を燻らせる穂樽の隣で、アゲハはまずそう切り出した。彼女の父は、敬虔なマカルの信者であり、麻楠を崇拝していた。その妻はさほどではなかったそうだが、生まれてきた娘にはいずれマカルの1人として魔術使いが統べる世界を築くという麻楠の思想を体現させたい。そう強く思っていたという話だった。そしてそんな父にとって、予想外の事態が2つ起きる。

 

 1つ目は吉報だった。彼の娘、興梠花鈴は穂樽の予想通り幼少期に、それもわずか5歳という早さで魔術に目覚めたのだ。しかも彼女の潜在魔力は相当なものであり、それが麻楠の目に留まった。麻楠は「マカルの未来を担う存在になるかもしれない」と称賛したとのことだった。彼女の魔力の強さは穂樽も昨日目の当たりにしていて疑いようはない。確かに稀有な存在だと思えた。そのことで興梠の父は幹部に取り立てられ、ますますマカルと麻楠を狂信的に信仰していくようになる。

 だが2つ目は凶報だった。その娘が覚醒して1年と少し経った頃。セシルの魔術が覚醒し、興梠より遥かに勝る潜在魔力の存在が麻楠の知るところとなる。「100年に1人の逸材」とまでいわれるセシルへと麻楠の興味の対象は移っていき、興梠の父は酷く落胆した。それならば、と先ほど穂樽が述べたようにウドであることを隠して若くして検事にさせることで、裏から法の場を支配するための礎にしようとした、とアゲハは説明した。

 

「……歪んだ親のエゴですね。押し付けられる側の子としてはたまったものじゃない」

 

 仮説として考えていたことと事実として聞かされることはやはり重みが違う。嫌悪感を隠すことなくそう述べて煙を吐き出しながら、同時に穂樽は興梠のセシルに対する態度にようやく納得がいっていた。どうにも必要以上に敬っているようなあの態度、それは「自分以上の逸材」として言われ続けてきた存在に対しての、尊敬と畏怖の感情からだったのではないだろうか。

 また、彼女が検事になろうとした理由を述べたときのことも思い出していた。あの時、シュガーローズで興梠はその理由を「父の強い要望」「野心……いえ、虚栄心が強かったんです」と答えた。マカルのためにウドであることを隠して検事にさせて法曹界へと潜り込ませて裏から次第に支配していく。それはまさしく娘を利用して自分の地位を獲得しようという父の虚栄心であり、野心であっただろうと思えた。

 

「それでも、花鈴ちゃんは父の教えを忠実に受け入れ続けた。父からの期待とプレッシャーを一身に背負いながらも、応えようと懸命に努力したそうよ」

 

 結果、興梠は飛び級で法科大学院へと合格することに成功した。これはマカルが裏から手を回した、という類でなく、父が娘の力を証明するために、裏工作等無しで合格したもの。つまり、純粋な彼女の努力で勝ち取ったものだとアゲハは補足した。

 ところがそうして法科大学院へと合格したのも束の間。セシルを巡る事件が起こる。麻楠に加えて多数の幹部や信者の逮捕により、マカルは一気に衰退した。そしてその逮捕された信者の中には興梠の父もいた。

 その事実を知った興梠は激しく動揺し、落ち込んだ。これまで父に敷かれた歪なレールをがむしゃらに走り続けてきた彼女にとって、それは目標を失ったに等しかった。同時にマカルによる隠蔽工作も困難となり、検事への道も閉ざされる。そんな自失状態にあった興梠を支えたのは、夫の考えに賛同しきれず、しかし反対することも出来ずにいた彼女の母だった。

 

「花鈴ちゃんのお母さんは、夫の思想に染まり過ぎて娘が心を失わないよう、出来る限りで懸命に寄り添っていた。でも結局夫の言いなりになってしまっていたことに深い罪悪感と責任感を感じていたそうよ。夫の方針に反対したくても出来ずにここまで来てしまった。だけど今からでも遅くない。娘にマカルの思想なんて捨てて、人間らしい幸せな道を歩ませてあげたいと思って話し合った。法科大学院をやめて普通の学校へと入り直して人並みの生活を送ることも可能だろうし、ウドであることを隠し続けられないだろうから検事は無理でも、弁魔士という道が残されていると娘に説いた」

「結果、彼女は弁魔士の道を選んだ。……なるほど、『16歳のときに魔術が覚醒して検事の道を諦め、消去法的に弁魔士となった』。実によく作られた話です。嘘が混じっていると見抜けませんでした」

「ある意味、嘘ではないのかもしれないわね。父に縛られ続けた興梠花鈴という人間は、その時に届け出て魔術登録をしたことによって生まれ変わった。なぜなら以後は弁魔士となるべく、自身の足で歩き始めるのだから。……そして蝶野は、その選択はベターだった、と思うわね」

 

 なぜか、という意味を込めて煙草の火を消してから穂樽はアゲハを仰ぎ見る。それだけで通じたらしい。得意げな表情を浮かべた彼女はウイスキーを一口呷ってから続けた。

 

「だって、この目の届くところにいてくれたんだもの。……花鈴ちゃんの異色の経歴を見たとき、私はセシルちゃんをまず思い浮かべた。この子にはきっと何か裏がある。そう思って、彼女の母親に直接連絡を取った。結果はビンゴだったわ。これまでの説明は全て、花鈴ちゃんのお母さんから聞いたものよ」

 

 それを聞いて、アゲハの真の目的が少し穂樽には見えてきた気がした。ウドでない彼女がマカルのはずはないとわかっていたが、どうやらそれは興梠と、その母にも当てはまるように思えた。

 

「花鈴ちゃんもお母さんも、今はもうマカルを信奉してはいないと言った。それでも、幼い頃から父に聞かされ続けたマカルの思想が、もしかしたら花鈴ちゃんに根付いているかもしれない。マカルの呪縛がそう簡単に解けるとは思えない。……だから、彼女のお母さんと約束したわ」

 

 ああ、と意図せずこぼし、穂樽はウイスキーを呷った。減点分の最も大きいところ、先ほどの仮説に含まれなかった答え。

 

「もうわかった? 穂樽ちゃんのさっきの考察が80点であった理由」

「はい。確かに興梠さんの監視の目的は一応はあった。でもそれ以上に……アゲハさんは彼女に、マカルの思想が全てではないということを直に教えてあげたかった。ウド同士だけでなく、ウドと人間も手を取り合える可能性があるという世界を見せてあげたかったんですね」

 

 意味深げに、アゲハは小さく笑った。どうにも正解を褒めてという意味合いと少し違うように感じ、穂樽は首を傾げる。

 

「……なんで笑うんです?」

「いえ、花鈴ちゃんの穂樽ちゃんに対する評価、あながち間違えてもいなかったんじゃないか、って思えてきたのよ。確かに花鈴ちゃんに根付いてしまっているかもしれないマカルの思想を変える手伝いをしたい、という思いはあったわ。でも今穂樽ちゃんが言ったような壮大な考えまでは持ってなかったな、と思って」

 

 興梠の評価、というのは他ならぬ「ロマンチスト」という発言であろう。思わず不機嫌そうに口を尖らせ「悪かったですね」と穂樽はこぼす。

 

「別に悪いとは言ってないわよ。まあちょっとからかったのは事実だけど。……でも穂樽ちゃんに花鈴ちゃんを預けたのは、やっぱり正解だったわ。そういう考えが出来る人間の方が、より広い視野を持たせられる。ましてや、今の穂樽ちゃんは探偵だから、なおさらそうでしょう」

「褒められた、と受け取っておきます。じゃあ彼女が昨日、連中を『同胞』と呼んで踏み込んだ理由はやっぱり……」

「花鈴ちゃんはかつての父と、彼の考えを信じるだけだった自分が間違えていると知った。だから昨日の彼女は、これ以上過ちを犯してほしくないとかつての『同胞』にそれを願った、からじゃないかしらね。付け加えるなら、マカルに身をやつし、家庭を顧みなかった梨沢壮介に自分の父を投影していたのかもしれない。……あと補足だけど、昨日捕まった連中は、厳密には少し違うのよ」

 

 怪訝そうな表情を浮かべ、「違う?」と穂樽は尋ねた。アゲハはゆっくりと頷く。

 

「花鈴ちゃんのお母さんから、色々教えてもらったわ。マカル、と一口に言っても、実は一枚岩ではないって。4年前までは麻楠の派閥が強大で、他の派閥もあれど実質的に支配下にあってほぼ統一されていた。でも絶大的な支配力とカリスマ性を持っていた彼の逮捕後、麻楠派はほぼ一掃され、早い話が跡継ぎで揉めている状況なの。昨日捕まった連中……依頼人の夫である梨沢壮介は麻楠派とは別の、現在マカルで台頭を狙っている派閥の1つよ」

「そういうことだったんですか。……興梠さんの経歴、父の話題を出したときに見せた嫌そうな雰囲気、そして昨日見せた強い正義感とも思えた考えと彼女の行動。ようやく真実にたどり着いて、全てのピースが正しく当てはまりました。これで私は彼女と、彼女を迎え入れたあなたを、これまでと変わらず……いえ、これまで以上にまっすぐ見つめることが出来ます。同時に、彼女の過去を抉らずに済みそうです」

「そう面と向かって言われると照れるわね。……やっぱり穂樽ちゃん、ロマンチストなんじゃない?」

 

 からかわれたはずなのに、今度は不思議とそんな思いは浮かばなかった。素直に褒め言葉と受け取り、軽く顎を引いて返事とする。

 

「蝶野は、花鈴ちゃんを見守っていこうと思ってる。自分の意志で歩き出した彼女を、時に励まし、時に背を押していきたいってね。……というわけで全ての謎が解けたであろうところで、彼女の研修あと1週間、よろしくね」

 

 普段通りの明るい口調でそう言われ、思わず穂樽の顔に苦いものが浮かんだ。もう今回の件が流れかけてしまっている以上、預かる意味合いも薄いのではないかと思う。

 しかし同時に、まあアシスタントはいてもいいものだなとも思うのだった。ずっと独り身で、それが楽だし向いてるからとやってきたが、そろそろそんな考えを改めてもいいかもしれない。とはいえ、まだそんな金も余裕も無いか、と彼女はウイスキーを呷ろうとした。

 

「ちょっと待った、穂樽ちゃん」

 

 が、それはアゲハの声によって止められた。なんだろうと不思議そうに見つめる穂樽の前に、アゲハはウイスキーのグラスを掲げる。

 

「改めて今後もよろしく、ということと、ウド同士、そしてウドと人間が手を取り合える世界が来ることを願って、ね」

 

 やはりこの人には敵わないな、と改めて思うのだった。いつの間にか自分はロマンチストに仕立て上げられている。もうこの際、そんなことはいいかと、穂樽は僅かに笑顔を浮かべて思考を放棄した。

 

「……ええ、いつか来ることを願ってます」

「お、開き直った。……じゃあそんな未来を願って、乾杯ということで」

 

 2人のウイスキーの入ったグラスが澄んだ音を立てる。氷が溶けつつあったウイスキーは飲みやすい程度に薄まり、穂樽の喉と食道を心地よく焼いてくれた。

 

 

 

 

 

 2日後。「9時頃」である9時20分に興梠はファイアフライ魔術探偵所を訪れた。既に穂樽も事務所へと移動し、彼女を迎え入れる準備を完了させている。

 

「おはようございます、穂樽さん。先週末は色々あってまだあまり整理ついてないんですが……。アゲハさんにあと1週間変わらずここで研修、と昨日連絡がありましたので、残りの期間もよろしくお願いします」

 

 下げた頭に合わせ、左右に跳ねていた髪がかわいらしく動く。当初と比べると随分と警戒心を解いてくれたものだと、穂樽は微笑を浮かべながら返した。

 

「おはよう。残りの期間もよろしくね、アシスタントさん。……さて、早速だけど、今日バタ法に依頼人の梨沢杏さんがまた見えるそうよ」

「え!? でも離婚問題の原因である旦那さんは、先週末に捕まってしまったんじゃ……」

「ええ、そう。だから、今度はその旦那さんの弁護を依頼したい、とのことだそうよ」

 

 興梠は目を見開いた。予想していなかった展開だったのだろう。

 

「私達が耳にした事件、それが争点になるみたい。幸い死者を出したものではないけど、魔禁法違反であることに変わりはないと言う話だった。詳しくはこの後バタ法で聞くことになると思うけど」

「でも……私にそれを手伝う資格はあるんでしょうか? 私のせいで梨沢さんの旦那さんは捕まってしまった、とも言えると思うんです」

「そうかもしれないけど、彼は犯罪を犯し、あなたは正義を貫いた。それは事実よ。弁魔士はね、時に割り切ることも必要なの」

 

 フォローされても興梠の表情は変わらなかった。俯き加減のまま、ゆっくり口を開く。

 

「……わかっている、つもりです。でも私は、穂樽さんみたいにきっぱりと割り切ることはできません」

「でしょうね。……でもそれでもいいんじゃない?」

 

 意外そうに興梠は穂樽を仰ぎ見た。

 

「いずれわかっていくことよ。あなたの中で、折り合いをつけていくことでしょうから。……なんて、今弁魔士から鞍替えしてる私が言っても説得力ないか」

「穂樽さん……」

「それにね、そうやって考えるぐらいなら、時に動いたほうが楽になることもある。折角私のところに来てるんですから、この機会を利用して私と一緒に証拠を集めればいいと思うの。……まあ結果的にそれってさっき言ったことを割り切れ、と言っているようなものかもしれないけど。でもね、メインはセシルがやるとしても、サポートであなたが証拠を集めれば、担当するセシル、依頼人、そして被告人のためになるわ。そうは思わない、若き弁魔士さん?」

 

 しばらく考えた様子を見せた後、興梠は穂樽をまっすぐ見つめ、「はい」と力強く答えた。そのまっすぐな瞳は、強い力を秘めているように穂樽は感じていた。思わず小さく笑みがこぼれる。

 

「じゃあ早速行くわよ。まずはバタ法で依頼人の話を聞きましょう。うちでの研修期間中は、私主導で出来ることをやっていくつもりだから。……あと1週間、よろしくね。アシスタントさん」

「はい! こちらこそ改めてよろしくお願いします、穂樽さん!」

 

 

 

 

 

 

ニューカマー・ガール (終)

 

 




「ニューカマー・ガール」はこれで完結です。敢えて「ニューフェイス」でも「ニュービー」でもなくこのタイトルにこだわった理由。それは並び替えると「マカル」という言葉が浮き出る、ただそれだけだったりします。
セシルに後輩ができたらどうなるのかな、なんて思いから、バタ法というアクの強いメンツの中に一見普通の、しかし元マカルという過去を持ち、それを隠す新人ということでオリキャラを入れてみた今回の話です。
これまでの話よりオリキャラでありながらストーリーに絡む比重が大きいと思ってるのですが、うまく描けていればいいなと思います。


さて、ここまで色々な話を書きたいように書いてきましたが、次のエピソードで一旦完結にしようかと思っています。段々ネタ切れ感も出てきましたので。
早い段階から「最後書くならこの話!」ということで練っていた話になります。

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