ウィザード・ディテクティブ~魔術探偵ホタル   作:天木武

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Episode 6-5

 

 

 突如として開け放たれたドアに、部屋の中にたむろしていた男達は固まった。室内は殺風景で、酒などの飲食物が置かれた机と、男達が座っている椅子以外目ぼしい物は無い。数は10人程度。年は20代、下手をすればまだ10代という若者から上は40代程度までと様々だった。その中にはここまで尾行してきた梨沢壮介の姿もある。

 

「……なんだあんた?」

 

 その中でも特に若い男が疑いの眼差しで部屋の入り口に立つ興梠に問いかけた。彼らからすれば招かれざる客、しかもまだ若い女だ。皆の敵意に満ちた視線が彼女へと突き刺さる。

 だが普段人見知りであるはずの興梠は、全く引かなかった。その視線を受けつつも、口を開きはっきりと告げる。

 

「私はバタフライ法律事務所というところの弁魔士です。ある調査に当たっていた途中でここを突き止め、申し訳ありませんが先ほどからしばらく話を聞かせていただきました。……自首してください。私は、これ以上同胞が道を踏み外そうとする姿を見過ごすことは出来ませんし、見たくもありません」

 

 虚を突かれたように、一様に男達は目を見開いた。最初に声をかけた若い男がどうすべきかと年長の人間達の方を仰ぎ見る。が、視線を向けられた男は意にも介さないように小さく笑っただけだった。

 

「弁魔士? その若さで、しかも女でか。そいつは大層すごいことだな。でも俺達に自首しろとか言ってくれたけど、何かしたって証拠でもあるのかい、お嬢さん?」

「さっきあなた方が自分の口で言いました。『去年にはテロ紛いのことをやらかした』と。私がこの耳で聞きました。詳しく調べてもらえば、それが何かもわかるでしょう」

「なるほどなるほど。お嬢さん自身が聞いたと。……じゃああんたからの証言が無くなれば、自然と俺達の疑惑は消えるわけだ」

 

 ゆらり、と男は立ち上がった。ピリピリと空気が張り詰め、殺気が向けられる。

 

「……私を殺すつもりですか?」

「そこまでしなくてもいいがな。だがあんたが証言すると俺達が困ることになるな。……闇から闇へ。それで通じないほど、鈍いわけじゃないだろ?」

「やめてください。……可能なら、私は同胞に手を上げたくありません」

 

 その答えに対し、笑い声が響く。今度は先ほどの男だけでなく、他数名も笑い声を上げていた。

 

「同胞に手を上げたくない? ……上げたところでどうなる? 敵うと思ってんのか、この数の差で?」

「それにな嬢ちゃん、俺らとあんたらは同胞でもなんでもねえよ。あんたもウドだろうけどな、俺達は特別だ。一緒にしてもらいたくねえんだよ」

「私は……!」

「ともかく、問答は終わりだ。……抵抗するなら手荒にいくぜ」

 

 それをきっかけに部屋中の男達が戦闘体勢に入る。対する興梠も迎え撃とうと、魔力を集積させてある弁魔士バッジに右手が触れようとしたところで――。

 不意に部屋の外から左腕を引っ張られ、体が階段へと踊り出た。

 

「ちょ、穂樽さん!?」

「何けしかけてんのよ! 多勢に無勢、逃げるわよ!」

 

 強引に興梠の腕を引っ張り、穂樽は階段を駆け下り始める。

 

「仲間がいやがったのか! 飛び降りても大丈夫な魔術の奴は先回りして外を抑えろ! 逃がすな!」

 

 部屋から聞こえてきた声に対して歯噛みし、左手に持っていた携帯を上着のポケットに入れた代わりに砂入りの容器を取り出すと、穂樽は扉の入り口付近へとそれを投げつけた。階段を駆け下りながら足止めのために適当なタイミングで魔力を注いで破裂。階上から男達の怯んだ声と、次いで罵声と共に「挟み込むぞ!」という声も耳に入ってきた。

 

「連中の数は?」

「数……。えっと……10人ぐらいです!」

「そんなの相手にするの無茶に決まってるでしょ! ったく後先考えなさいよ!」

 

 文句を述べつつ走る隣から「……ごめんなさい」という謝罪の言葉が聞こえてくる。謝るぐらいなら、と言いかけた穂樽だが、代わりにさっきポケットに入れた震えている携帯を取り出すと、左手1本でそれを操作して耳へと当てた。

 

「クイン警部!? 緊急です。さっきGPS送った位置に大至急応援、お願いします! 説明してる暇は……」

 

 そこで、上の階から放たれたであろう火球がひとつ上の踊り場で破裂した。爆音を轟かせ、熱風が肌を撫でる。

 

「聞こえました!? 今のが説明の代わりです! あとでいくらでも埋め合わせします。こっちは2、向こうは10程度。冗談抜きでまずいんで頼みますよ!」

 

 携帯をバッグへと放り込みながら、反射的に舌打ちがこぼれる。下のセンサーが異常を感知。さっき言われたとおり、挟み撃ちにする気だ。

 4階を通り過ぎる際に穂樽は壁に手をかざし、そこを破片状に削って入り口に集めて塞いだ。砂塵魔術の応用、魔力によって壁を削って媒介として発動させる強引な方法だ。その様子を見て興梠が不思議そうに尋ねる。

 

「穂樽さん、今の……」

「時間稼ぎのカモフラージュ。それより応戦するわ! 次の階に立てこもるわよ!」

「え、逃げるんじゃないんですか!?」

「下のセンサーに反応、このままだと下から来る奴に挟み撃ちにされる。階段で上下挟まれてやりあうぐらいなら、篭城した方がまだ分がある!」

 

 言ったとおり次の階、3階の部屋の中へと2人は駆け込んだ。そこで穂樽は先ほど同様壁目掛けて手をかざし、壁の一部を削って入り口へと集積。即席のバリケードを作り上げて部屋の奥へと進む。

 どうやらこのフロアは元々事務関係のテナントが入っていて、その後放置されたらしい。事務デスクや椅子が散乱しており、そのうちのデスクのひとつの裏に身を潜めるように穂樽は腰と荷物を下ろして、切れた息を整えようとした。

 

「穂樽さん、逃げないで篭城してどうするんですか? 3階ぐらいなら、魔術を使いながら飛び降りれば……」

「下には何人か先回りしてる連中がいる。窓から飛び降りようとすれば当然魔術で狙い撃ちにされる。うまくそれを切り抜けても、そこで足止めされれば相手に数で負けている以上、四方を囲まれておしまいよ」

「だからって篭城しても……」

「時間が稼げればいい。あなたが部屋に踏み込んでる間に、ここのGPS座標を添付して知り合いの警部にメール送って応援要請しておいたのよ。それでさっきの電話はその確認。こっちがまずいのは伝わったと思うから、しばらく粘れば来てくれると思う」

 

 いつの間に、と小さく興梠はこぼしていた。あの間穂樽はただ息を潜めて成り行きを見守っていただけではない。もしもの場合に備え、既に次の手を打っていた。なのに自分は、と後悔の念が今更になって興梠に押し寄せてきていた。

 

「……すみません。私が後先考えずに飛び込んでしまったせいで……」

「まったくよ。目の前のことだけ見るところとか、セシルそっくり。そこだけはあの子に似ないようにしなさい。……でも可能なら、やっぱりあなたは検事になるべきだったと思ったわ」

「え?」

 

 この状況で突然何を、と興梠は戸惑ったように穂樽を見つめた。それに対し、どこか得意げな笑みが返ってくる。

 

「正義感が強すぎるぐらいじゃない。本当に人見知りかと疑うぐらいしっかりしてた。あいつらにぶつけたセリフ、かっこよかったわよ」

「私は……そんな……」

 

 恥ずかしそうに、あるいは気まずそうに視線を逸らす興梠。再び小さく笑う穂樽だったが、上の階で激しい音がしたことで、表情を引き締め直した。

 

「……無駄話はこのぐらいにしましょうか。上の階のカモフラージュに引っかかってくれたみたい。でも大した時間稼ぎにはならないはず。すぐこの階に来るわ。私はバリケードを補強するけど、残念ながらおそらくあまり持たないと思う」

 

 言いつつも、穂樽は右手をバリケードへと向けて強度を保てるように魔力を注ぎ始めた。

 

「突破されたら、入り口で対処する。突入箇所が一箇所しかなければ、対処はしやすいはず。……あれだけの大見得を切った以上、当然魔術は荒事向きよね?」

「はい。魔炎魔術です。……魔術は父の方に似てよかったです」

「それは頼もしい。ここ、砂が無いから壁削って使うとか無理矢理な方法使わないと私はまともに魔術発動も出来ないのよ。任せるわね」

 

 真面目な表情で興梠は頷いた。その顔から自信が窺える。

 ならば、あとはこの若き弁魔士に任せようと穂樽は思うのだった。そもそも退こうとしたところでわざわざ姿を晒してけしかけたのは彼女だ。その分の責任は自前で取ってもらいたい。

 

 ややあって、この階のバリケードへも衝撃が加わり始めた。破られまいと穂樽が踏ん張る。その魔力追加もあってしばらく持ちこたえてバリケードだが、数度の衝撃の後に破られた。水が室内に飛び散った様子から、相手に魔水使いがおり、その水圧の衝撃で突破したものと推測できる。

 即座に穂樽は次の魔術を発動させた。「無理矢理な方法」と自称したし砂がない以上使用が限定されるのは事実だが、使えないわけではない。先ほど同様に魔力をこめて壁を削って砂塵の代わりとし、それを入り口付近にぶつけて相手の出鼻をくじく。

 

「興梠さん!」

「はい!」

 

 魔術を使いながら叫んだ穂樽に対し、先ほどの指示通りの行動をするべく、興梠は返事を返しながら既に準備をしていた。右手で左肩付近の弁魔士バッジに触れる。そのまま軽く握った手を目の前へと動かして開いたときには、掌から炎が浮かんでいた。次いでくるりと手首を捻って掌を相手の方へと向ける。その動きに呼応するように炎が鮮やかに尾を引いた後で、気合の声と共に彼女は右手を突き出した。

 放たれたのはさほど大きくもない火球だった。それは入り口からは離れた位置へと着弾、破裂する。狙いが外れているんじゃないかと思った穂樽だが、直後、興梠が意図的にその位置に放ったのだと悟った。

 

「なっ……!」

 

 その威力に穂樽は目を見開いた。室内に爆風が吹き荒れる。積もっていた埃が巻き上がり、爆心地から10メートル強は距離があったはずの穂樽の髪を激しくなびかせていた。

 

「あ……。久しぶりだからちょっと加減間違えたかな……。もうちょっと力絞らないと」

 

 さらに続けて呟かれたその一言は、穂樽の興梠に対する評価を改めさせるのに十分過ぎた。あれだけの一発を放っておいて、全力どころか力をセーブしてのものだという。魔炎魔術の威力だけならセシルにすら匹敵するのではないかと思える。もっとも、向こうはその他に数種魔術を使えるという規格外の存在であるために一概に比較できないとも言えるが。

 続けざま、入り口で対処するという考えの下に興梠はもう1発小型の火球を放った。今度は先ほどより二回り程度小さな火球で、その見た目に相応しく今度の爆発はより小規模だった。

 しかしそのために相手が怯まなかったのか。爆発直後、魔水使いと思われる男が体の周囲に水の障壁を展開させたまま飛び込んできた。その障壁に使っていた水を掌に集め、興梠へと撃ち出してくる。

 

「危ない!」

 

 だが穂樽の叫びに対して彼女は慌てた様子も無く、弁魔士バッジに右手を触れると、そのまま腕を横へと振るった。それだけで尾を引いた炎が灼熱のカーテンとなって目の前に現れ、相手の魔水による攻撃を蒸発させる。

 

「嘘だろ!?」

 

 悲痛な声を上げた男同様、机の陰から様子を窺っていた穂樽も同じ思いだった。炎にとって天敵であるはずの水を全く寄せ付けない。そして興梠が右腕を先ほどの逆に振ると、炎のカーテンは消え去っていた。手品か何かを見ているような錯覚に、穂樽も飛び込んできた男も一瞬目を奪われた。

 直後、興梠は入り口側へと両手をかざしてランダム、かつ拡散状に連続で魔炎魔術を行使する。放たれた小型の火の玉は、さながら弾幕の如く相手へと襲い掛かる。最初に部屋に入ってしまった不運な魔水使いは、攻撃などという選択は到底取れず、水の障壁を作り出すという防御一辺倒でやりすごす他なかった。さらに今の攻撃の直前に部屋に入り込んだ2人もまた、互いに魔術を防御に回すことでどうにかダメージを避けている。

 あれだけの人数相手に大見得を切ったのは伊達ではなかったと、穂樽は痛感していた。これほどの魔術の技量、恐ろしく優秀だと容易にわかる。少なくとも今目の前で、3名ものマカルの魔術使い相手に攻撃をさせないほど魔術で押し続け、足を竦ませているのだ。

 

「すごい……」

 

 セシル以外のウドの魔術を見て畏怖を覚えたのは久しぶりだと穂樽は思った。天性の素質を持つ彼女を髣髴とされるような若き魔術使いに意図せず見入りかけてしまう。自分があそこで手を引く必要などもしかしたらなかったのかもしれない。彼女は自分の正義感に従い、負けるわけはないと思っていたから踏み込んだのではないだろうか。

 穂樽が鉄火場に似合わずそんなことを考えていた、その時だった。階段側の壁が音を立て、ひびが入った。誰かが別ルートから突入しようとしているとわかる。

 

「穂樽さん!」

「わかってる、私がやるわ!」

 

 弾幕の展開をやめ、今度は相手側からの攻撃に対して防御の姿勢をとろうとしていた興梠に穂樽が呼応した。再び壁が音を立て、今度は人が通れる程度まで崩れる。おそらく魔震魔術。震動を発生させる魔術によって壁を破壊したのだろう。

 だがそうはさせない。壁を破壊されると同時、入り込んでこようとした男に対し、今破壊した壁の瓦礫を砂塵の代用として利用し、穂樽は自身の魔術をぶつけた。悲鳴と共に階段の途中から身を乗り出して入りかけた男が、壊した壁の下の階段へと落下する。

 しかしそれで安心は出来なかった。今度はその隙間から闇雲ではあるが魔氷魔術がとんできた。狙いを定めてない以上、命中率は極めて低いがそれでも当たらないとは限らない。砂塵魔術として利用できる分の瓦礫をかき集め、興梠を守るように壁を作る。自分は避ければいいと割り切って、近くに飛来した一発を飛び退いてかわした。

 それでもまだ難は去っていない。魔氷の攻撃が終わったところでまた壁の隙間から侵入しようとする気配を穂樽は感じた。その術者であろう。これ以上自分の魔術で壁を削って媒体として使用すれば破壊された部分がより広がって相手に有利になるかもしれない。そう判断した彼女は、目の前にあった放棄されていたキャスター付きの椅子を壁目掛けて思いっきり蹴り飛ばした。加速された椅子は見事に侵入しようと顔を覗かせた相手に命中、階下へと落下させることに成功したようだった。

 

「あ」

 

 その男が落下する直前、相手の顔を見た穂樽は思わずそう声をこぼしていた。「どうしたんですか!?」と入り口側の相手とやりあいつつ興梠が尋ねてくる。

 

「……今椅子蹴って落とした相手、梨沢壮介だった」

 

 場の緊張感に似合わずそう言った穂樽の一言に、興梠は小さく吹き出した後、こちらも場に似合わず声を上げて笑った。この状況下で笑えるという神経の太さに賞賛と呆れの気持ちを覚えつつ、入り口側の様子を仰ぎ見る。

 双方の応酬は相当あったはずだった。だが穂樽は自分のところに相手からの魔術の飛来はほとんどなかったことに気づいていた。そしてこちら側の興梠より、数で勝るはずの相手の方が圧倒的に押されている様子もまた見て取れた。

 

「まだやりますか? さっき言ったことをもう一度言います。自首してください。そうすれば罪も少しは軽くなるはずです」

 

 威圧感のある声でそう告げられ、相手側は見るからに狼狽した。既に実力差は明白、しかも興梠が手を抜いているであろう事は相手側もわかっているはずだった。

 

「そこで追加で『弁護します』って続けるの。それでセシルみたいになれるから」

「……穂樽さん、おちょくらないでください」

 

 小声で返した興梠は困り顔ではあったが、まだまだ余裕が見て取れた。さて仕切りなおして相手側がどう出るか。そう穂樽が考えていた時。

 

 どうやら篭城戦は終わりを迎えるようであった。遠くからパトカーのサイレンの音が近づいてくる。さすが仕事が早い、と半ば感心しつつ、穂樽は勝利を確信した。

 

「残念ながら手詰まりみたいね、マカルの皆さん。今近づいてきているサイレン、私が呼んだ警察よ。これ以上抵抗して公務執行妨害もつけられるぐらいなら、おとなしくお縄についた方がマシだと思うけど?」

「私達を人質に、なんてやぶれかぶれの玉砕覚悟で来るのはやめてください。そうするなら、今後はそちらの安全を保証しかねます」

 

 有無を言わせない口調に、もはや相手の戦意は喪失状態にあったようだった。さらに追い打ちをかけるように近づいていたサイレンの移動が止まり、「無駄な抵抗はやめろ、警察だ!」という叫び声と、威嚇であろうか発砲音も下から聞こえてくる。それを聞いてついに相手も観念したようであった。

 

「警察だ! ……って、誰も抵抗する気ねえのか? いい心がけだ、こっちの手間が省けて助かる。んじゃ魔禁法違反の疑いでさっさと確保」

 

 拳銃を片手に咥え煙草のまま部屋に踏み込んできた江来利(えらり)クイン警部はそう言うと拍子抜けしたように銃をしまった。後から続く警察の隊員が無抵抗の相手を連行していく。

 その様子をしばらく見つめて煙草の煙を吐き出してから、クインは穂樽の方へと歩み寄った。それまで相手を堂々とした態度で圧倒し続けていた興梠が身を震わせて小さく後ずさったのが穂樽にはわかった。

 

「大丈夫よ、知り合いだから」

 

 安心させるように声をかける。が、それでも効果は薄かったらしい。

 

「でも……警察の方ですよね……?」

「ああ、そうだよ。お前らも一応魔禁法違反の疑いあるんだが。……ってかこいつ誰だ? お前の依頼人?」

 

 相手を警戒し続ける興梠を無視してクインは穂樽に問いかけた。

 

「いえ、彼女はバタ法の新人です。ちょっと訳あって、研修ということで今預かってるんです」

「バタ法? ……まーたアゲハさん絡みか。まあいいや。で、あたしがここに踏み込んだ価値は魔禁法違反のチンピラ捕まえた以外にあるんだろうな?」

「連中が去年テロ紛いの何かやらかしたって事は私も彼女も聞いてますし、ここに録音したレコーダーもあります。それ以外にも、おそらく叩けば埃が出るでしょう。まあ来てくれたおかげで助かりました。というか、私を助けたというだけじゃ踏み込んだ価値になりませんかね?」

 

 ガリガリと頭を掻いて「あーはいはい」と適当にクインは返事を返す。それから2人に背を向け、顎でついてこいと合図した。

 

「とにかく詳しい話は下の車の中で聞く。……こっちも形式ってものがあるからな」

 

 やれやれとため息をこぼし、しかしどうにかこの場を乗り切れたと穂樽は足を進めようとする。その背に「あの……」と興梠の声が飛んできた。

 

「大丈夫……なんですか? 私達ももしかしたら魔禁法違反なんてことに……」

「多分問題ないわよ。ああ言ってるけど、クイン警部も私達が不利な状況で正当防衛に魔術使用したって事はもうわかってるでしょうし。魔禁法十条適用で見逃してくれると思うわ。……何よりあの人、ツンデレってやつだから」

「聞こえてんだよ! そりゃおめーだろ!」

 

 怒鳴られたのは穂樽だったはずなのに、なぜか代わりに身を竦ませたのは興梠だった。が、次にはもう苦笑が浮かんでいた。

 

「……なんだか今日1日物凄く長くて疲れた気がします」

「まったくよ。明日は土曜だし休みにするわ、もう」

 

 先ほどの苦笑を崩せないまま、興梠は穂樽に続いた。長いと感じた1日はようやく終わりそうであった。

 

 

 

 

 

「あー……。まいったわ、まったく……」

 

 大捕り物の翌日、居住区で携帯の通話を終えて机に置いてから、穂樽は身をソファに横たわらせた。昨日の一件で梨沢杏からの依頼は意図せずひとまず完了というような流れとなってしまった。夫である壮介が逮捕となれば、もう離婚相談云々という話ではないだろう。

 そういう考えでとりあえず今アゲハに報告の電話を入れたところ、向こうも状況を大まかに把握していたようだった。そのため壮介の調査自体は一旦中止になりそうだが、引き続き興梠は預かってほしいと言われた。詳しくは休み明けの月曜に再び依頼人が訪れるらしいのでその時に、ということで話を終えている。

 

 結局クインは魔禁法十条扱いで見逃してくれた。とはいえ、穂樽も興梠も鉄火場を乗り越えたために疲労は溜まっており、穂樽は2日間休みにするということを興梠に伝えてある。今日はゆっくりしよう。そう思いながら、横になったまま机の上の煙草の箱を開けて1本取り出して咥えた。

 

「穂樽様、寝煙草は……」

「やらないわよ。咥えるだけだって」

 

 普段通りの使い魔とのやりとりの後、何と無しに穂樽は天井をぼうっと見つめていた。疲労は抜け切っていない。どうにも冴えない頭を無理矢理覚醒するために煙草を取り出しはしたが、このまま目を閉じて眠りに落ちても別にいいかと思う。

 

「……なんで今回こんな割に合わないことばっかなのよ」

 

 元はといえばアゲハが興梠を押し付けてきたことから始まっているのではないかと思わず穂樽は愚痴をこぼした。興梠のことを嫌っては決してない。押し付けてきた、とは若干思うが、アゲハに対しても言うまでもないことだ。とはいえ、昨日は彼女があそこでドアを開けて踏み込んだせいで荒事になってしまったという感じは否めない。

 

「しかし正義感が強いとはいえ、明らかに相手の方が多いのに踏み込む、普通? 向こうに金属機動具(ディアボロイド)使いとか面倒な魔術使うのがいなかったのがせめてもの救いよ」

「ニャ? よくわからニャいけど、昨日は興梠が踏み込んだのかニャ?」

「そうよ。まずい気配があったから私はさっさと帰るつもりだったのに、あの子が『黙って見過ごせない』とか言って……」

 

 昨日の状況を説明している最中で、穂樽は何かに思い当たったように口を閉じた。その時興梠は何と言ったか。その事実に思い当たると同時、ふと、疑問が頭をよぎっていた。

 

「穂樽様、どうしたのニャ?」

「……いえ、あの子の言動にちょっと引っかかるところがあって。彼女、『同胞に手を上げたくない』って言ったなと思って」

「どこが変ニャのかニャ?」

「以前同胞という考え方をしたことはあまりない、って言ってたなと思っただけ」

 

 考えが変わったということだろう、と深く考えず、穂樽は身を起こして煙草に火を灯した。その時のライターの火に、昨日の興梠の八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍を思い出す。

 

「……にしても凄かったな。遅咲きで覚醒した魔術であれとか、どんだけよ」

「興梠も魔術使ったのニャ?」

「ええ、使ったわよ。魔炎魔術。父親譲りだって」

「じゃあきっと父親が凄かったのニャ。興梠はそれを受け継いだのニャン」

 

 煙を吐き出しつつ、穂樽は少し渋い表情を浮かべていた。

 

「魔術のセンスって遺伝するわけでもなかったと思うけど? セシルとかそうだし。親から遺伝するのは魔術の覚醒確率ぐらいで……」

 

 そこで、再び穂樽は言葉を切った。煙草の手を止めたまま、何かに気づいたように渋い表情は消え去り、視線を宙に彷徨わせている。

 

「今度はどうしたニャ?」

 

 ニャニャイーの問いかけにやや間が合ってから、穂樽は真剣な表情で声の主を見つめ返した。

 

「……ニャニャイー、あの子は魔炎魔術使いと言った後、『魔術は父の方に似てよかった』と言ったわ。……どう思う?」

「どうって、さっき穂樽様が言ったとおりニャ。父親も魔炎魔術使いだった、じゃニャいかニャ?」

「ええ、そうね。確かにそう。私もそう思った。……でも、それだけじゃなく捉えられるかもしれない」

「ニャ?」

 

 まだ葉が残っていた煙草を揉み消し、穂樽は立ち上がった。その目は先ほど同様、真剣そのものだった。

 

「出てくる」

「どこ行くニャ?」

「クイン警部のとこ。……どうしてもこの考えを無視できない。もし私の仮説が当たってるとするなら……彼女、セシル以上に異質で……場合によっては無視できない存在かもしれないわ」

 

 

 

 

 

 警視庁前、外の喫煙所で穂樽は煙草を手に人を待っていた。既に目的の人物にはメールを飛ばしてある。早く出てきてほしいが、無理を言ってるのはこっちだ、待つことになっても仕方ないとただ煙を燻らせていた。

 1本目を吸い終える頃、不機嫌そうに近づく顔があった。穂樽が呼び出したクイン警部、その人である。彼女の姿を一瞥して軽く頭を下げてから、穂樽は2本目の煙草を取り出して咥えた。

 

「なんだよ、こちとら暇じゃねえんだぞ。昨日の件は連中とっ捕まえた分でお咎め無しにしてやったろ?」

「ええ、その件は感謝してます。……今日はそれと別なお願いで。調べてほしい人物がいるんです」

「おいおい、またあたしを使いっぱしりにする気か? お前のことは嫌いじゃねえけどな、便利に使われるだけってのは……」

 

 煙草に火を灯し、愚痴をこぼし始めたクインの胸元に、穂樽は何かを押し付けた。訝しげにクインがそれに目を落とし、茶封筒だと確認する。

 

「……何の真似だ?」

「タダでとは勿論言いません。これでお願いします」

「現職の刑事買収する気か? 受け取れるか、こんなもん」

「クイン警部!」

 

 異議は受け付けない、とばかりに穂樽の茶封筒を持つ手は押し返された。それでも諦め切れないと視線を送るが、煙を吐かれて受け流されてしまった。

 

「……お前がそこまで頼むってことは訳ありか?」

 

 が、直後。視線を逸らしたままではあるが、クインはそう尋ねてきた。

 

「はい。引っかかることがあるんです。個人的な好奇心、あるいは気のせいといえばそれだけで済む話かもしれません。でも……私は可能なら、それで片付けたくない。真実を知りたいんです」

「話が見えねえ。……でもま、どうしてもっていうなら、貸し1回だ。またそのうち朝まで飲みのあたしの愚痴大会に付き合え。それで請け負ってやる」

 

 ぶっきらぼうな物言いだったが、それがクインなりの了解の合図だと、それなりに長い付き合いの穂樽にはわかった。感謝の気持ちをこめて僅かに頭を下げる。

 

「ありがとうございます。感謝します」

「んで、調べてほしいのはどこのどいつよ」

 

 穂樽は煙草を咥えながら携帯を操作し、画像を呼び出した。その画面を相手に見せると、目に見えて動揺したのがわかる。

 

「こいつ、昨日お前といた奴だろ? なんでそんな……」

「そうです。名前は興梠花鈴。調べてもらいたいのは彼女とその両親について。魔術届出と警察のデータベースに情報が無いかを確認してもらいたいんです。……嫌な予感というか、仮説を思い浮かべてしまった。私は、出来ればそんな疑いの眼差しを向けたままでいたくありません。彼女に本当は何があったのか、そんな彼女をなぜバタ法は採用したのか。その真実へとたどり着きたいんです」

 

 深く息を吸い込み、クインは煙草の葉を燃やし切った。灰皿に投げ入れ、煙を吐いてから答える。

 

「……やっぱお前はクソ真面目だよ。直接本人に聞いてもいいだろうに……。本人に聞いたら、傷つけることになるとでも思ったか?」

「かもしれません。あるいは彼女の秘密を目の前で暴くことで拒絶されたくなかった、それもあるかもしれません。……でもきっと、こそこそとこんな回りくどいことをしてまで調べようなんて思ったのは、私が探偵だからだと思うんです」

 

 そう言って少し遅れて煙草を燃やし切った穂樽を見て、クインは小さく肩を揺らして笑った。

 

「素直じゃねえな、お前は」

「警部にそれを言われたくありません」

「うるせえ。……調べたらメール飛ばしてやる。アゲハさんに採用した理由も聞くんだろ? なら誤魔化されないで言い負かせるよう、算段立てておけ」

 

 言い終えると同時に背を向け、クインは去っていく。「ありがとうございます」という自分の言葉は果たして相手に届いただろうか。だが特に確認する必要もないと、穂樽も踵を返し、事務所へと戻ることにした。

 

 

 

 

 

 事務所兼居住区に戻った穂樽は、ソファで煙草を吸いながらクインからの返信を待っていた。ニャニャイーが何か言いたそうにしているが、深刻そうな穂樽の顔に、それを我慢しているようだった。

 どれほど経ったか、携帯が震えた。届いていたメールはクインからだった。

 

『お前のカンは多分当たってる』

 

 題名は無いが、本文にそれだけ書いてあり、ファイルが添付されていた。タブレットPCを取り出してそちらで添付ファイルを開き、「ああ」と彼女は声をこぼす。

 

「どうしたのニャ?」

 

 タブレットの画面、そこに表示される情報を見つめたまま、穂樽はゆっくりと口を開いた。

 

「……思った通りよ。全てが繋がった。なぜ父の話題を嫌ったのか。なぜ検事を目指すことを強いられたのか。なぜ昨日踏み込んだのか。そして……興梠花鈴とは一体何者なのか。これで私の仮説は成り立つ。でもそれが正しいとするなら……その彼女を迎え入れた本当の理由は何か。私は、それを知りたいと思わずにはいられない」

 

 煙草を灰皿の縁に置き、穂樽は携帯を手にする。手早く履歴を呼び出し、その1番上をダイヤルした。

 

「……アゲハさんですか? 度々の連絡申し訳ありません。どうしても、お話したいことがあります。今夜、どこかで会えませんか?」

 

 




壁を削って使う、という穂樽の砂塵魔術の使い方ですが、原作4話で覚醒したセシルがそんな感じで使っていたはずなので、参考にしました。

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