ウィザード・ディテクティブ~魔術探偵ホタル   作:天木武

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Episode 4 スリーピング・ビューティ
Episode 4


Episode 4 スリーピング・ビューティ

 

 

 

 その日、穂樽夏菜(ほたるなつな)はかつての職場であるバタフライ法律事務所の同僚と街を歩いていた。時刻は夕暮れ時、普段滅多にない定時上がりをしてくれた隣の彼女は、どこか嬉しそうに穂樽と歩調を合わせていた。

 

「すみません。なんか無理言って定時に上がってもらったみたいで……」

「いえいえ。前々から食事行きましょうって話でしたし、私も楽しみですから。礼でしたら、配慮してくれたアゲハさんに」

 

 そう言って穂樽の隣を歩く抜田美都利(ばったみとり)は赤いセルフレームの眼鏡の角度を変えつつ僅かに微笑む。それを受け、同様に赤の、しかしメタルフレームの穂樽もまた笑顔を返していた。

 

 この2人の女子会とも言える食事の話が決まったのはついさっきのことであった。丁度依頼がなく、手が空いていた穂樽の元へバタ法からの外注が入ったのが数日前。どちらかというと弁魔士よりも自分の畑向きな証拠収集の内容であったため、穂樽はその依頼を受けて資料をまとめ、バタ法へと提出していた。それがほんの小一時間ほど前のこと。

 そのまま帰ろうとした穂樽だが、入り口付近で一度足を止め、受付嬢の抜田と軽く会話を交わしていた。基本的にここの電話はまず彼女が受け取るし、穂樽の現在の勤務事務所兼住居であるファイアフライ魔術探偵所への連絡も主に抜田経由となる。そのため不思議なことに、バタ法にいた頃よりも抜けた今の方が彼女と話す機会が増え、むしろ仲が良くなったという現象が起きていた。

 毎度話の締めは大抵「そのうち食事にでも行きましょう」で終えることが多い。他のバタ法の面々と共に何度か食事に行ったことはあるが、数はさほど多くない。さらに2人きりということは実はまだ実現していなかった。そこで2人の会話を耳にしたバタ法のボスであるアゲハが、抜田に今日は早く仕事を終えて穂樽と2人で食事に行ったらどうかと提案してきたのだった。その後定時で上がってくれた抜田と合流、今こうして2人で歩いているわけである。

 

 抜田はウドではない。しかし知識や情報処理能力は事務所内随一であり、「何でも屋受付嬢」「万能事務員」とも呼ばれていて信頼は厚い。加えて、まあ弁魔士と共に働くとなれば当然かもしれないが、彼女にはウドに対する偏見もなく、理解ある人物である。そのため、穂樽は今回のように外部委託分の書類をバタ法側に提出した後に知識豊富な抜田に意見を仰ぐこともあったし、相談に乗ってもらったこともあった。可能なら引き抜いて自分の事務所で受付と事務処理を頼みたいと思ってしまうことさえしばしばあるほどだった。

 

「それで、今日はどこに案内してくれるんです? 基本的に穂樽さんにお任せしますよ。私は明日休みなんで、多少は無理できますし」

「そうだなあ……。抜田さん、お酒は好きですか?」

「まあ嗜む程度なら。……と言いたいところなんですが、そんな語れるほど詳しくないし、実は強くもないんです」

 

 思わず、あら珍しい、と穂樽は心に浮かんだことをそのまま口にしていた。

 

「何でも屋受付嬢さんなら、文字通り何でも知ってると思ってました」

「わからないことなんて沢山ありますよ。自分でもそこそこ雑学を仕入れてる方だとも思いますけど、それでも限られた範囲内ですから」

「お酒は詳しそうだと思ったんだけどな……」

「安い市販のカクテルというかリキュールというかチューハイというか、まあその辺をたまに飲むぐらいです。そしてお酒に関しては今言った3つ、区別がつかないという程度です。ベースのお酒の種類とかも全然ですし」

 

 そうは言われても、穂樽も厳密にその3つを区別するのは出来ないかもしれないとも思うのだった。それ以前の問題として、市販のあれらのアルコール度数程度ではジュースと変わらないだろうとか思ってしまうのだが。

 

「じゃあその手のバーといいますか、そういう雰囲気のあるお店とかどうです? 値段はちょっと張っちゃいますけど」

「あ、いいですね。行ったことないし、1人じゃ入りにくいと思ってたんでエスコートしてくださいよ」

「エスコート……っていうのは違うんじゃ……。それじゃそういうことで……」

 

 そこまで穂樽が言った、その時。

 

「そこのおふたりさん、なんなら俺達がエスコートしてあげようか?」

 

 話を遮るように、不意に背後から聞こえた声に2人は振り返る。見れば、声をかけてきたのはお世辞にも雰囲気が良さそうとはいえない、酒を飲める年齢かどうかも怪しい男が3人。

 反射的に抜田が怯えたように一歩間を空ける。それに気づいた穂樽は庇うようにその前に立ち、口を開いた。

 

「私みたいな地味なおばさん口説いても何もならないでしょ? もっと若い子にでも声をかけたら?」

「またまた。大人のお姉さんは俺は好きだぜ? しかも知的な雰囲気もいい感じだし。どうだい、一緒に酒でも……」

「ふうん、嬉しいこと言ってくれるわね。……でもごめんなさい、今夜は彼女と2人で、って決めてるの」

 

 冷ややかにノーのサインを出す穂樽だが、相手はなおも食い下がる。

 

「そんなつれないこと言うなって。女同士2人でなんて寂しいだろ?」

「言ったはずよ、今夜は彼女と2人でって決めてるって。しつこい男は嫌われるわよ」

「いいねえ、気の強い女も好みだよ。ますますご一緒したくなっちまった」

「あら、そう。でも生憎あなた達と飲む酒はないって言ってるの。……そんなに女と飲みたいなら、家に帰ってママのミルクでも飲んでれば?」

 

 露骨な挑発にそれまでニヤニヤと笑顔を浮かべていた男の表情が固まった。

 

「なんだとこのアマ! 言わせておけば……」

 

 だがその言葉が最後まで男の口をついて出るより早く――。

 

「キャー! 不審者よー! 助けてー!」

 

 先ほどまでの固い声色と一転。金切り声を上げて穂樽は叫んだ。周囲の視線が集中し、それに目の前の男達が怯んだ瞬間を見て抜田の手を引っ張り駆け出す。

 

「あ、穂樽さん……!」

「とりあえず抜田さん、走って!」

 

 背後から罵声が飛んできたようにも感じたが、無視して2人は街中を走った。しばらく走っていくつか角を曲がったところで、相手がついてきていないことを確認して立ち止まって息を整える。

 

「ごめんなさい、急に走らせちゃって。……大丈夫でした?」

「え、ええ。でもどっちかっていうと……びっくりしました」

「ああ。あいつらね。まったくたちの悪い……」

「いえ、そうじゃなくて」

 

 肩で呼吸する抜田を穂樽が見つめる。

 

「相手を挑発してたと思ったら、穂樽さん急に叫び声上げて走り出すから。てっきり魔術で倒しちゃうんだと思ってました」

 

 抜田にしては、意外と過激な発言に思えてならない。反射的に穂樽から笑いがこぼれる。

 

「あれじゃ十条適用には弱いですから。あんなの相手に罰金なんて馬鹿らしいし、昔から逃げるが勝ち、って言いますんで」

「じゃあ煽らなくても、すぐ逃げちゃえばよかったじゃないですか?」

「それは……そうかもしれないけど。……あの手の輩は腹が立つから、つい」

 

 今度は抜田が笑う番だった。

 

「……笑わないでくださいよ」

「ごめんなさい。でも……さっきのまったく怯むことのなかった穂樽さん、かっこよかったですよ」

「そ、そう?」

「はい。……でもその後の『キャー』で台無しでしたけど」

 

 そして互いに顔を見合わせ、同時に2人とも吹き出して笑い合った。

 

「たまにやる手なんですけど、他の人には言わないでくださいね? あんな間抜けな声出したとか、今になって恥ずかしくなってきましたから」

「わかりました。今日のエスコートと引き換えに黙っておきます。……さて、じゃあそのエスコートということで、案内お願いします」

 

 さっきの話を黙っててもらうなら安いものだろう。そう穂樽は考え、微笑を浮かべて了解の意図を返した。彼女を先頭に今度こそ目的の店へと、2人は夕暮れの街を歩き出した。

 

 

 

 

 

「へえ、じゃあ来年度はとうとう新人が入るんですか」

「そうなんですよ。しかもアゲハさん曰く、結構すごい人らしくて。須藤(すどう)さんには敵わないけど、飛び級だったかで20歳で弁魔士になる方だとか」

「……あの子がおかしいだけで十分すごいですよ、それ。またアゲハさんはどこからかそういう逸材拾ってくるんだな……」

 

 穂樽曰く「雰囲気のあるバー」に到着した2人は、そこで夕食をとりつつアルコールを嗜み、他愛もない話を楽しんでいた。所謂「ダイニングバー」に位置づけされるこの店は、値段はそこそこ張るものの食事のメニューも充実しており、味も中々だった。現在食事としてメインにパスタ、それに合わせるように低アルコールで飲み口も軽いスパークリングワインが2人の座るカウンターに並んでいる。

 

「ということは、やっとセシルにも後輩が出来るわけですね。私が抜けてからもずっと新人入らなかったみたいだし」

「そうですね。……そのことについておそらく、ですけど。新人をとらなかったのは、須藤さんの年齢が関係してる気もしますよ。新たに入ってくる方が年上だったりすると、何かとやりにくそうな気もしますし」

「……確かに私やりにくかったわ」

 

 あまり口には出さないようにしてたが、穂樽は内心ではそのことは常々思っていた。決して落第の道を歩んでいたつもりはない。むしろ司法試験を一発でパスした以上、エリートに分類されてもおかしくないと、本来プライドの高い彼女は自負していた。

 だがいざ事務所に入所してみれば同期が5つ年下の最年少弁魔士。入所当初から鼻につく行動が多いにもかかわらず重要案件を任されるセシルに対し、自分は地味な案件ばかりだったと納得がいかなかった時期もあった。

 しかし次第にセシルの背負っているものの重み、華奢な体では耐え兼ねないほどの運命を知り、穂樽も態度を軟化させていった。年の差を越えて友情のような感覚も生まれた。同期とはいえ自分は年上なのだからと、お姉さん風を吹かせていたこともある。

 

 それでも、そんな同期は「100年に1人の逸材」と呼ばれるほどの魔術の才能の持ち主。史上最年少弁魔士という肩書きと合わせていくら規格外の存在であるとはいえ、何かと比較されるのは本来プライドの高い穂樽にとって苦痛な時もあったのは事実だった。「弁魔士と異なるアプローチでウドの力になりたい」、その動機は嘘ではない。「個人プレーが得意なために単独で動きやすい探偵と言う職業を選んだ」、それも本当のことだ。

 ではそれが全てか、と問われれば、否、と答えざるを得ない。意識の中からは懸命に消し去ったつもりでも、心のどこかで、彼女はセシルに対して嫉妬心を抱いていたことは否定できなかった。セシルは1日も早く弁魔士となって母親を助けるために青春を捨て多大な犠牲を払って、それこそ血の滲むような努力をしてきたことはわかっている。それでもなお、一度抱いてしまった感情を完全に拭い去ることは出来なかった。

 そして穂樽はその心を持ってしまった状態で、同じ職場で彼女に接することを怖れた。嫉妬の目で同期を見るようなことをしたくなかった。故にアゲハに相談し、単独で動きやすく、ウドに対して受け入れ間口が広く、そして嫉妬心を抱く原因になったともいえる、己の余計な自尊心の高さをへし折ってくれるような、探偵という泥臭い職業へと鞍替えしたという面もあったのだった。

 

「穂樽さんも、やりにくいと感じたことあったんですか?」

 

 だがそんな事情は全く知らないであろう抜田が意外そうに尋ねてくる。スパークリングワインを呷って、ジュースの延長線上だな、と感じつつ穂樽は答えた。

 

「今だから言えることですし、彼女には言わないでほしいことですけどね。……仮にも弁魔士といえばエリート。私もそれなりの自負はありました。それが17歳なんて若さでなった人間が同期にいて比較される、もっと言うと向こうが優遇されてると感じてしまうとなると……。時には苦痛を覚えてしまったことがあったのは事実ですよ。……しかもその相手が初日から遅刻かましてくれたりするようなのが第一印象だと、なおさらです」

「ああ……。じゃあひょっとするとアゲハさんは須藤さんが人間的にも成長するまで待った、と」

「それもあるかもしれませんね。……まああの子、それでもまだまだ子供っぽいし、ちょっと甘やかされ過ぎな雰囲気はあると思いますけど」

 

 食事用として注文していたパスタを食べ終え、スパークリングワインを空ける。食後の一服をしたかったが、隣の相手のことを考えると少し気が引けた。

 

「あ、穂樽さん。煙草吸われますよね? 私に構わずいいですよ」

 

 が、万能事務員はまるでそんな穂樽の心を見過ごしたかのように気を使ってくれた。さすがと感心しつつも、どこか申し訳なさを覚える。

 

「いえ、そこまで禁断症状出るわけでもないですし……」

「食後の一服は格別だって聞きましたよ。それに穂樽さんが喫煙してるところちゃんと見たことないから、見てみたいなという思いもありますし」

 

 変わってるなと思わず穂樽は苦笑を浮かべざるを得なかった。しかし折角の好意だ、ありがたく受け取ろうとバーテンダーに灰皿と、2杯目の酒としてウイスキーをロックで、それからつまみとしてナッツを注文する。

 

「ウイスキー……飲むんですか?」

 

 穂樽の注文に意外そうに抜田は尋ねた。

 

「うちにもとりあえず酔えればいいかってことで安物があるんですよ。とはいえ、生憎良し悪しが丁寧にわかるほど上品な舌は持ち合わせてないんですけどね。……このお店、アゲハさんに紹介してもらったんですが、その時にバーの飲み方というか、雰囲気の楽しみ方も少し教えてもらって。最初は弱いのから入って、2杯目以降は強めの酒だと悪酔いしにくいし雰囲気も楽しめるとかなんとか」

「そうなんですか? でも、アゲハさんはまたどうしてそんな細かいことまで?」

 

 そこでバーテンダーが食べ終えた料理の皿とグラスを下げ、灰皿を持って来てくれた。煙草を1本取り出して机にトントンと当てながら、穂樽は苦笑と共に答える。

 

「……探偵っていったら、バーと酒と煙草。昔からそう相場が決まってるから、バーでの飲む雰囲気だけは決まるようにしておけって言われましたよ」

 

 思わず抜田は小さく笑った。確かに探偵といえば殺人事件を解決するような、安楽椅子探偵(アームチェア・ディテクディブ)を含めた所謂「名探偵」を真っ先に思い浮かべる。だがそうでない場合、どこかのバーで1人酒を飲みながら煙草を蒸かしている、というイメージは確かにあるな、と思えたからだった。

 

「でも理由それだけですか?」

 

 煙草に火を灯し、抜田の方に煙がいかないよう心がけて吐き出してから、穂樽は返す。

 

「……まあ色んな店知っておけ、っては言われました。あと交渉の方法とか、コネとかもかな。アゲハさんは酸いも甘いも噛み分けてる方ですから。ほんと今まで知らなかったことをたくさん教えてもらいましたよ。それでこの稼業は、細かい様々な部分にまで精通しないといけないとも言われました。だからその分大変だろうけど、でも楽しさは感じられるんじゃないかって」

「へえ……」

 

 数年前まで型にはまったような、真面目を絵に描いたような存在と言ってもよかった穂樽からは想像出来なかったと抜田はそう声を漏らした。事実、目の前で煙草を吸う彼女は、その目で確認するまで昔の自分は信じなかっただろう。

 

「……あんまり見られると恥ずかしいんですが」

「いいじゃないですか。決まっててかっこいいですよ」

 

 素直に褒め言葉として受け取っておこうと、苦い表情を浮かべながらも穂樽は次の煙を吐いた。そこに注文していたウイスキーが差し出される。煙草を灰皿に置き、グラスに口をつける。液体を一口だけ呷って喉を焼く感覚と共に深みを感じた後、グラスを手にしたまま彼女は隣を向いた。

 

「……これ、決まってます?」

 

 小さく吹き出し、抜田は返す。

 

「決まってます。さっきよりも。やっぱりかっこいいですよ。でも雰囲気はばっちりですが、ウイスキーってかなり強いんじゃないですか? おいしいですか?」

「確かにうちにあるのなんかよりダンチにおいしいですけど、アルコールはかなり強いですね。これ、傍からの見た目はいいのかもしれないけど、ペース考えないと大変なことになりそう」

 

 実際自棄酒でその効果は身をもって知っているし、と心の中で付け加える。本来はこうやってゆっくり楽しむもの、特にロックなら「氷が溶けてきて風味が変わるのもまた楽しみのひとつだ」とか教えられたと思い出す。本当にかつてのボスはなんでも知ってるなと改めて思いつつもう一口を喉に通した後で、カラン、と氷がグラスに当たる音と共に机に置き、灰皿の煙草を再び蒸かした。

 

「ごちそうさまでした。……穂樽さん、よかったら2杯目、選んでくれません?」

 

 遅れて食事と最初のスパークリングワインを飲食し終えた抜田がそう頼んできた。数度目を瞬かせ少し困り顔を浮かべつつメニュー表を手に取る。

 

「そんな詳しくはないんだけどな……。どんなのがいいですか?」

「じゃあカクテルがいいです。お洒落なのお願いします」

 

 これまた無茶な要求を、と思いつつ煙草の煙を吐き出して灰皿に置き、穂樽はカクテル一覧を眺めた。市販されているようなメジャーどころの名前はわかるが、そうでないものは画像つきで名前を見ても味すら想像出来ないものが多い。お洒落なもの、というリクエストだが、とりあえず無難なところに落ち着こうかと思ったその時。

 

「……あれ?」

 

 ふと、穂樽はそのカクテル一覧の中のひとつに目を止めた。そして飲む当人に確認するでもなく「すみません」とバーテンダーを呼び、注文する。

 

「グラスホッパーを、彼女に」

 

 かしこまりました、と頭を下げバーテンダーはカクテルを作る準備を始める。その注文からの一連の穂樽の慣れた様子に思わず抜田は感心した声を上げて、傍らの元同僚をまじまじと見つめていた。

 

「さすが穂樽さん! 今の注文までの流れ、かっこよかったです!」

「そう?」

「それで、注文したカクテルはどういうものなんですか?」

 

 目を輝かせる事務員の前で、探偵は一度煙草を蒸かした後、両手を広げて肩をすくめて見せた。

 

「さあ?」

 

 予期していなかった答えに唖然と口を開ける抜田。心なしか、トレードマークの眼鏡もずり落ちているようにも思えた。

 

「さあ、って……。じゃあなんでそれを注文したんですか?」

「抜田さんだから」

「私だからってどういう……。あっ!」

 

 どうやらそれで察したらしい。穂樽は最後の煙を吐き出して煙草の火を消しつつ、その推察はおそらく当たっていると口を開いた。

 

「『グラスホッパー』は和訳すれば『バッタ』。だから、抜田さんに丁度いいんじゃないかって」

「確かにそうですね。……って、穂樽さん、名前だけで選んだんですか? もしなんかすごいのが出てきたらどうするんですか?」

「大丈夫でしょ。一覧に乗ってる画像だと、色綺麗なカクテルですし」

「それ説得力ないですよ……?」

 

 慌てる抜田をよそに、穂樽は少し氷の溶けたウイスキーを呷る。次いで、グラスを置きながら慣れた様子でバーテンダーに尋ねた。

 

「すみません、さっき頼んだグラスホッパーってカクテル、どういうものなんです?」

 

 おそらく2人の会話がずっと聞こえていたのだろう。カクテルを作ろうとしていたまだ若いバーテンダーは苦笑交じりに説明してくれた。

 

「ペパーミント・リキュールとホワイト・カカオ・リキュールと生クリームを全て同量でシェークするカクテルです。度数は少し高いですが、色鮮やかな見た目に加えて甘口で飲みやすく、女性にも人気がありますよ」

「……だ、そうです。ほら、大丈夫そうじゃないですか」

「ほら、じゃないですよ! ……さっき褒めたのが台無しになりそうです」

 

 思わずため息をこぼした抜田だったが、直後に聞こえてきたシェーカーの音にその目が奪われた様子だった。テレビなどでは見たことがあったのかもしれないが、生で見るのは初めてなのだろう。若い男性バーテンダーがシャカシャカと音を立てながらシェーカーを振ってカクテルを作る様子をじっと眺めていた。

 やがて彼女の前にコースターとその上に空のカクテルグラスが差し出された。そこに緑の美しいカクテルが注がれていく。

 

「お待たせしました。グラスホッパーになります」

 

 しばらく目の前のカクテルを見つめた後、なぜか抜田は飲んでいいのか許可を求めるように穂樽の方へと視線を移してきた。困り顔で穂樽が頷くと、恐る恐るそのカクテルグラスへと口をつけて一口だけ味わう。

 

「どうです?」

 

 まずいわけはないだろうとある程度高を括ってはいたが、穂樽も飲んだことのないカクテルだ。名前だけで進めてしまった責任はある。そのためどんな感想かは気になっていた。

 

「……歯磨き粉みたいな味、ですかね」

 

 が、その第一声に対し、穂樽も、そのカクテルを作ったバーテンダーも思わず渋い表情にならざるを得なかった。

 

「あ! ご、ごめんなさい! 折角作ってもらったのに。……えっと、チョコミントアイスのミントみたいな味、に訂正します」

「……それ訂正になってなくないですか?」

 

 チラリと穂樽はバーテンダーの方を仰ぐ。彼は変わらず苦笑を浮かべていたが、嫌悪感を表してはいないようだった。

 

「チョコミントアイス、と言われるお客様は多いですね。そのためにアルコール度数は高めですが、比較的飲み安いというお声はよく耳にします」

「確かに飲みやすいです。……でも調子に乗るとすぐ酔っちゃいそうですけど」

 

 そう言いつつも、抜田は自分の苗字と同じ名のカクテルを味わっているようだった。どうやら気に入ったらしい。

 

「なんか抜田さんがカクテル飲んでるのみたら、私も次はカクテル飲みたくなっちゃった」

「おいしいですよ。あ、じゃあ私のカクテル選んでくれたお礼に、今度は私が選びますよ」

「……それ、ただ選びたいだけじゃないんですか?」

 

 とはいえ、こういうバーに初めて来たことで抜田が嬉しそうなのは穂樽も感じていた。折角だし、どんなのを勧めてくれるのかも気になる。

 氷が溶けて薄まってはいたが、まだ度数が高く感じるウイスキーを穂樽は一気に呷る。グラスを空けたところで、抜田がどんなカクテルを選んでくれるのか、少し楽しみな気分になっていた。

 

 

 

 

 

 それからしばらく経った後。店から出てくる2人の影があった。が、片方は肩を借りた形になっており、相当に酔っていることが容易に想像できる。

 

「……ったく、弱いって自分で言ったのにあんなにぐびぐびとカクテル飲むから」

「ごめんらさい……。れも、おいしくれ、つい……」

「市販の低アルコールみたいなジュースじゃないんですよ? ペースとか自分の飲める量考えないと……」

「ふぁい……」

 

 まともに呂律も回らない抜田に肩を貸し、店から離れつつ穂樽は愚痴る。が、相手は怒られているはずなのになぜかだらしなく笑顔をこぼしている。そんな普段見かけないような表情に、完全に怒る気を削がれてしまっていた。

 そもそもこうなってしまった原因は今の会話にあったとおり、飲みやすいからと抜田がカクテルをジュース感覚で飲んでしまったことにある。しばらくバーでカクテルを飲みながら話に花を咲かせていた2人だったが、抜田は3杯目のカクテルを飲んでいる辺りから段々と雲行きが怪しくなっていた。結果、そこからさほど時間をおかず、3杯目を飲み終わった辺りで完全に酔い潰れてしまい、足取りもおぼつかないほどになってしまったのだった。

 早いところ通りまで出てタクシーを捕まえたい。相手がこの状態では公共交通機関を使うのも気が引けた。

 

「抜田さん、うちどこでしたっけ?」

 

 が、その問いに応答がない。見ればいつもしっかりしている万能事務員が、既に寝息を立てて完全に穂樽に体を預けていた。

 

「……仕方ない、このまま引き摺ってうちに連れて帰るか。明日休みって言ってたし。いいですよね?」

 

 返事がないのはわかっている。が、上辺だけでもと思って一応そうことわっておく。

 ここから穂樽の住居でもあるファイアフライ魔術探偵所まではさほどの距離ではない。タクシーに少し走ってもらえば着くことが出来る。夜だし交通量も少ないだろうと踏み、ひと気の多い通りを経て道路に面した道まで出てタクシーを捕まえるかと思った、その矢先。

 

「そこのお姉さん、困ってるみたいだね? ……あれ?」

 

 進行方向から聞こえた声に顔を上げた穂樽は、意図せず眉をしかめたことを自覚した。彼女の目の前に立っていたのはつい数時間前に絡まれて走って逃げた相手、つまり先ほどの男3人組だったのだ。

 

「あらら。1日に2回会うなんて奇遇だね、お姉さん。こりゃもう運命じゃない?」

 

 やけに「お姉さん」の部分に力が入っていたように感じた。先ほどは蔑称で呼んでおきながらこの態度、今度は連れが酔い潰れていて逃げられないと踏んで、再び下手(したて)から話に入って乗せてこようという寸法だろう。

 

「……これが運命なら、私は神を呪うわね」

「お、かっくいー。でも好意は受け取ったほうがいいんじゃない? 見たところお連れさん酔い潰れちゃってるみたいだけど、俺達が手伝ってあげようか? そうすればさっきの不審者発言も撤回してくれるし、考え直してくれるでしょ?」

 

 男達のニヤついた顔に、穂樽は僅かに焦りを覚えた。まず間違いなく下心がある連中だ。そんな相手に抜田を任せるなど論外。しかし走って逃げようにも今度は酔い潰れた女性1人を連れて、となればそれも困難だ。さらに人の多い通りから1本裏に入っているために大声を出しても果たして助けに来てくれる人がいるかどうか。酔っ払いの絡み合いと思われればそれまでだ。

 となれば、強行手段しかない。相手がウドがどうかはわからないが、自分と抜田を守るぐらいなら十分に可能であろう。しかし場合によっては魔禁法に抵触する可能性がある。こんなくだらないことで罰金は御免だと、穂樽は少しでもその可能性を低くするために、相手に気づかれないように抜田の腰に回していた左手を離して自分の背後へと回した。そのまま自分の体を壁にして見えないようにしつつ、肩から下げたバッグの中へと手を入れて漁り始める。

 

「ところであなた達、まさかずっと私達を待ってたわけじゃないでしょうね?」

「そこまで暇じゃなかったけどね。今日は遊んでくれる女の子が見つからなくてさ。で、ぶらぶらしてたらお姉さん達にまた会った、ってわけ」

「へえ、そう」

 

 どうでもいい話で時間を稼ぎつつ、穂樽はバッグの中にあった目的の物を左手で探し当てた。目で確認しなくても操作のわかるそれをいじり、再びバッグへと戻すと、今度はその左手を上着のポケット付近まで戻す。

 

「でも遠慮するわ。どうもあなた達、下心があるように思えてならないから」

「おいおい、そいつは酷いな。こっちは善意での申し出だぜ?」

「善意なんだったら、なおさら放っておいて頂戴。私は足取りもしっかりしてるから、彼女も連れて帰れる。あなた達の手は煩わせないわ。道を開けてもらえない?」

 

 しかしそう言っても男たちは動く気配はなかった。相変わらず笑みを顔に貼り付けたまま、穂樽を眺めている。

 

「そんなつっけんどんにしなくてもいいじゃねえか? なあ?」

 

 男達が一歩踏み出す。合わせて穂樽も一歩下がってから、視線に鋭さを増し、語調も強めて切り出した。

 

「それ以上近づかないで。警察呼ぶわよ?」

「どうやって? 大声でも上げる? でも酔っ払いの揉め事と思われれば誰も来ないと思うよ。電話するにしても、その前に俺達が電話取り上げちゃったら、どうする気?」

「……それ、場合によっておどしてるようにもとれるわよ? それに下心ありますって自白してるようなものだけど、いいの?」

 

 穂樽がもう一歩下がる。その様子にずっと話し相手をしていた真ん中の男が苛立ったように頭をガリガリと掻いた。隣の男が「めんどくせえ、ちょっと脅かして連れて行こうぜ」と呟いたのが聞こえる。

 

「……あーそうだな。もういいか。……なあ姉ちゃんよ。飲み足りないんだろ? そっちのお友達は俺達が担いでやるからもう1軒行こうぜ? ……俺達が手荒な真似する前によ?」

「今の、脅迫に当たるわよ?」

「ごちゃごちゃ言ってんじゃねえよ! 立場わかってんのか!?」

 

 痺れを切らせた脇の男が荒っぽい声を上げる。が、今の穂樽に焦りの色は無かった。むしろ逆。僅かに笑みさえ浮かべていた。

 

「……そう。これで魔禁法十条成立ね」

 

 勝ち誇ったように穂樽はポツリとそう呟き、右手で僅かに眼鏡を上げる。

 

「何を言って……」

 

 話しながら男達が近づこうとしたその時。穂樽の左手が何かを投げつけた。眼鏡に触れた右手の動きに気をとられていた相手は、反対側の左手が一瞬前に彼女の上着のポケットに入っていたことに気づかなかった。

 直後、穂樽が左手を前へとかざす。それに呼応するように投げつけた何か――砂の入ったプラスチックのフィルムケースから砂が飛び出し、視界を遮った。

 

「う、うわっ!? 何だ!?」

 

 辺りに立ち込めた砂埃が晴れた時。既に穂樽は右手の指の間に先ほど同様の砂入りの小型容器を2つ挟んでいた。そして有無を言わせない声が彼女の口をついて出る。

 

「今のは最終警告よ。それでも無視して乱暴しようというのなら、こちらも自衛させてもらうわ。私は放っておいてくれ、と言ったの。怪我したくないなら帰りなさい」

 

 一転、自分達では敵わないと男達は判断したらしい。一様に顔から血の気が引いている。

 

「この女、魔術使いかよ!」

「クソッ! ついてねえ!」

 

 脱兎の如く背を向けて逃げ出した男達の姿が見えなくなるまで戦闘態勢を取っていた穂樽だが、それが完全に消えると緊張感が解けたようにため息をこぼした。砂入り容器をしまいなおし、バッグの中で先ほど操作したもの――レコーダーの録音を止める。

 

 魔術の使用が許可されるのは魔禁法十条、すなわち「社会正義のため」と認められた場合のみだ。身を守るために使用した、と主張しても下手をすれば罰則を受ける可能性すらある。そのため、もし警察沙汰になったとしても「相手方の強硬な態度に対抗するため已む無く使用した」という事実を証明するため、普段から探偵として持ち歩いているレコーダーを利用して密かに録音していたのだ。とはいえ、自衛のための使用でもここまで手を回さないと自分が不利になりかねないというのは、やはりどうにも理不尽だとも感じずにはいられなかった。

 しかし相手もウドでなくて助かったと思っていたのは事実だった。ここで魔術大戦が行われてはあまりに派手すぎて、間違いなく騒ぎが拡大、警察が駆けつける自体になるだろう。そうなれば本気で魔術を使用しなければならないため、容器に入れた砂程度では話にならず、アスファルトをめくり上げて砂塵魔術を行使する必要も出る。だとすると録音した証拠があったとしてもどれほど自分に有利に運んでくれるかも怪しい。それでも自分と抜田の身を守りきる自信は十分にあったが、怪我をしてしまう可能性はやはり捨て切れなかった。

 

「……とかなんとか色々心配したってのに。まったく呑気に寝てくれてるものだわ、このお姫様は」

 

 そして今の一連の騒動の間中、全く気づかないとばかりに肩を貸した彼女は安らかに寝息を立てていた。となれば、思わず穂樽も小言をこぼしたくなるものだろう。果たして起きた時にこのことを説明したらどんなリアクションを見せてくれるのか。

 とはいえ、普段はしっかりした「何でも屋受付嬢」「万能事務員」などと呼ばれ、「出来る女」なイメージの強い抜田がこれだけ無防備な姿を晒しているのもまた珍しい。自分を信頼してくれているからかな、などと少し嬉しく思いつつ、眠り姫(スリーピング・ビューティ)を自分の城まで、今度こそ本当に「エスコート」するかと考えていた。

 

「でも私は王子様じゃなくて魔術使いだけど。……まあ眠り続けるなんて魔法はかけないから安心していいわよ、お姫様」

 

 聞こえるはずの無い相手に冗談交じりにそう告げ、穂樽は1人で小さく笑う。そして安らかに寝息を立て続ける彼女に肩を貸したまま、タクシーを求めて人の多い通りへと歩き出した。

 

 

 

 

スリーピング・ビューティ (終)

 




ずっと書きたいと思っていた抜田さん回。抜田さんにグラスホッパーを飲ませよう、というネタと「これで魔禁法十条成立ね(キリッ」をやりたいがために書いてしまった感は否めません……。結果中身ペラペラになってしまいました。
本当は魔術バトル書こうとも思ったんですが、本編中に書いたとおり火消しが大変すぎると思ったので威嚇止まりとなりました。次の話はもうプロットが決まってて戦闘しようがないので、その次の話辺りでは入れたいと思います。

なおタイトルの「スリーピング・ビューティ」ですが、そのまま眠り姫、あるいは眠れる森の美女から取りました。
一応補足すると、最後の穂樽のセリフはその辺を意識してのものになります。
とまあ、これだけ書いておいて、実は抜田さん物凄い酒豪でした、とか後からわかったらどうしよう……。

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