ウィザード・ディテクティブ~魔術探偵ホタル   作:天木武

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Episode 1-11

 

 

 そして、今川の公判の日は訪れた。八橋は弁護側の証人として立つことが決まっていた。そのため、穂樽が裁判所まで引率してきていた。

 

「別にスーツじゃなくてもよかったのに……」

 

 入学式の時に購入した、という八橋のスーツ姿を見て、普段通りの格好の穂樽は思わずそうこぼす。

 

「でも……。私こういうの初めてですし、蜂谷さんに事前に確認したら『ちゃんとした格好なら基本的に何でも構わない』って言うから……。だけどそういう場合って、スーツっていう暗黙の了解があるんじゃないんですか?」

「まあ間違えてはいないだろうし確実ではあるけど。やっぱり蜂谷さんとの打ち合わせ、私も同席すべきだったかもね……」

 

 八橋が証人として立つと決まったため、今の言葉通り彼女は蜂谷と事前に打ち合わせを行って当日の流れや質問されるであろう内容などを確認していた。穂樽も立ち会ってもよかったのだが、短時間で済むし資料も用意する、それにわからないことがあれば連絡するように言っておくから無理はしなくていいという蜂谷の意見に従っていた。その後特に連絡があったわけでもなく、問題はないだろうと今日引率のために待ち合わせたところ、入学式の時に買ったスーツを引っ張り出して着てきたという話だった。

 

「蜂谷さんはちゃんとまとめた資料をくださいましたよ。……口数少なかったので、ほとんど話した記憶はありませんけど」

「そういう人だから。本人に悪気があるわけじゃないでしょうけど、仕方ないのよ」

 

 そんな世間話を、穂樽は八橋の緊張をほぐす意味もこめて話しながら歩みを進める。やや歩いて裁判所に近づくと、今話をしていた蜂谷が2人を待ってくれていた。その傍らにはスーツ、とは到底呼べない、どちらかといえばコスプレと言ってしまってもいいような白のジャケットにスカートに身を包んだ女性がおり、笑顔でこちらへと手を振っている。

 

「なっちー!」

 

 相変わらず緊張感も何もあったものではない、と穂樽は思わずため息をこぼしていた。隣に憮然と立つ蜂谷とのコントラストがこれまた激しい。

 

「お知り合い……ですか?」

「ああ、まだ会ってなかったのね。そういやあの子何かと忙しいって言ってたっけ。……彼女も弁魔士よ。ああ見えて」

「ええっ……!?」

 

 まあ普通はそういう反応になるだろうな、と苦い表情を浮かべるのを、穂樽は隠し切れなかった。声が届く距離まで歩み寄ったところで、ぞの女性は一度鼻を触った後、右手の人差し指と中指を構えて敬礼のようにポーズをとった。

 

「なっち、今日はよろしく! あ、眼鏡また変えたんだ」

「壊されたのに近いのを見繕ったのよ。私セルよりメタルの方が好きだし。……それにしても相変わらずその格好なのね」

「なんで? 裁判長も戦闘服って認めてくれてるよ?」

「あれはもう完全に諦めてるのよ。……まあいいわ。八橋さんと初対面でしょうから自己紹介して」

「あ、そっか……」

 

 ひとつ咳払いを挟み、懐から名刺を取り出すつつ彼女は口を開く。

 

「はじめまして。今日蜂谷さんのサポートをさせていただきます、バタフライ法律事務所の弁魔士、須藤セシルです! 今川さんの無罪を勝ち取れるよう頑張りますので、よろしくお願いします!」

「こ、こちらこそユウ君をよろしくお願いします。……でも本当に弁魔士さんなんですね。まだ若いみたいですけど」

「八橋さんと同い年よ」

 

 横から挟まれた穂樽の補足に、再び八橋は驚きの声を上げた。

 

「じゃ、じゃあ20歳なんですか!?」

「はい、そうです」

「さらに付け加えるなら私と同期入所。17歳で史上最年少弁魔士になった5つ下のが同期とか、何かと比較されてこっちはいい迷惑だったわ」

「ちょ、ちょっとなっち!」

 

 冗談だ、という代わりに穂樽は肩をすくめた。それを証明するように今度は一応フォローを入れる。

 

「だから見た目は若いけど優秀なのは事実です。なので、そこは心配しなくていいですよ。……まあそうは言ってもまだ若いからドジ踏むことは少なくないけど」

「なっち!」

「は、はあ……」

 

 もはや漫才になりつつある2人のやりとりをどこか不安そうに見つめる八橋。が、まだ不満そうなセシルをよそに、穂樽は表情を引き締め今度こそ真面目に切り出した。

 

「それはともかく、蜂谷さん、セシル、公判前整理手続きの手応えは?」

 

 元々無表情の蜂谷が頷く。これだけで十分に空気を変える力を持っていた。次いで彼は口を開き、穂樽の問いに答え始める。

 

「悪くない。むしろかなりこっちに有利と思えた。検察側は当初他のメンバー同様に強盗致傷での起訴を目論んでいたようだが、早々に諦めて魔禁法違反による強盗致傷幇助に切り替えた。今川の自首、そこで得た情報からアジトの判明とグループ一斉逮捕にこぎつけられた、ということになっているために酌量の余地ありと判断でき、また一味ではあっても中心メンバーではないと考えられるからだろう。さらに今川の犯行自体も脅迫されてのものだったということが、犯行グループの数名の口からと、あとお前が踏み込む前に録音した証拠等からかなり濃厚なものとなっている」

「八橋さんの証言も合わされば、それと別件である八橋さんに対しての魔禁法違反は不問になると思われます。そうなれば、無罪も狙えます」

 

 先ほどまでと一転、真面目な様子でセシルも補足する。さらに蜂谷が続けた。

 

「検察側は先に述べたとおり、魔禁法違反による強盗致傷幇助として懲役刑を求刑。一方こちらは窃盗幇助、ただし当人と彼女への脅迫や自首したことを踏まえ、緊急避難による無罪を取りに行く」

「……蜂谷さん、本当に無罪一本でいくんですね」

 

 一通りの説明を聞き終え、いまひとつよくわかっていない様子の八橋をさて置き、穂樽はそう切り出した。頷く蜂谷の横でセシルが首を傾げているのがわかる。

 

「ねえなっち。今のどういう意味?」

「いえ、蜂谷さんにしては随分大きく、というか、勝負に出たなと思って。確かに彼自身と恋人の身の危険を脅迫されたやむを得ない状況と考えられるから、私も緊急避難を盾にすれば無罪を勝ち取る可能性がゼロではないと思ってた。でも、検察からの突っつかれ方次第では決して楽ではないはず。無難に執行猶予付き判決辺り狙って、あわよくば無罪を取りにいく形なのかと思ったから……」

「勝つ見込みがあれば、無罪を勝ち取るに越したことはない。それにこの裁判は無罪を勝ち取らなければ意味がない。苦しみながらも奴らの言いなりにならざるを得なかった今川と、その彼の無罪を信じて証言台に立つ彼女の八橋。そして、八橋からの依頼で今川を探し出し、有利な状況を作って証拠を揃えるために全力を尽くした、かつての仲間であるお前の努力に報いるためにも、な」

「蜂谷さん……」

 

 思ってもいなかった、「法廷のターミネーター」からの熱い言葉に思わず穂樽は言葉を詰まらせた。相変わらず表情は無愛想そのものだが、やはり以前から彼女が思っていた通り、厳しい中にも仲間思いの優しさを秘めた男性なのだとわかった。

 

「さっきも言ったとおり、勝機がなければ無罪主張はしない。……もっとも、『勝ち目のない依頼は受けない』がうちの事務所のモットーだがな」

「心配しないで、なっち、八橋さん。私とハチミツさんでしっかり無罪勝ち取るから!」

「……あんたが言うとどうも不安になるのよね」

 

 やはりどこか漫才のようになってしまった同期の2人であったが、それをよそに蜂谷は八橋へと声をかけた。

 

「緊張するな、という方が無理だろうが、嘘偽りなく話してくれるだけでいい。その先に真実がある。苦難を乗り越え栄光を、君達2人の幸せを掴み取れるよう、最大限の努力をしよう」

「……ありがとうございます。頑張ります。ですから、ユウ君をどうかよろしくお願いします」

 

 やはり、「法廷のターミネーター」は笑わなかった。しかしその様子からは信頼に足るだけの自信が窺える。頭を下げた八橋も、まだセシルに食って掛かられてる穂樽も、彼を信じようと思うのだった。

 

 

 

 

 

「これより、魔法廷、開廷」

 

 小田切裁判長の重々しい声と共に、魔法廷における今川の裁判が始まった。法廷の中心にある被告人席の前に今川が立つ。それに合わせ、もしもの場合に備えて魔法廷の防衛システムが起動される。これは重罪判決後に海上拘置所へ強制転送する装置であり、あるいは被告が抵抗するなどの不測の事態の場合に備えてのものである。また、これが起動することで魔法廷というウドを裁く場が開かれる、という儀式的な意味合いもあった。

 

 証人席に座った八橋と別れる形になった穂樽は傍聴席にいた。彼女の右手側には以前自分も座ったことのある弁護側の席があり、今そこに蜂谷とセシルが座っている。反対側の検察側には細身の男が3人、うち1人は眼鏡の人物が座っていた。

 傍聴席にはかつての同僚であるバタ法の面々も来ていた。また、今回犯人グループ逮捕に貢献したクイン、それからバタ法のライバル事務所であるシャークナイト法律事務所からも数名来ているようだった。

 

 まず、検察側から起訴状が読み上げられる。

 

「被告人、今川有部志は先日発生した宝石店強奪事件において幻影魔術を行使。その後店内に侵入した仲間が窃盗を働きやすいよう、手助けをした疑いがあります。被告人がグループの一味であることは明白であり……」

 

 やはり先ほど蜂谷から聞いたとおり、検察側は強盗致傷幇助として押し進めるつもりらしい。今川は犯行グループの一味、よって直接犯行に及んでいないにしても犯行グループの大半にかかっている容疑である強盗致傷の幇助、という見解を示すようだ。

 

 対する弁護側は、それに真っ向から反論した。

 

「まず弁護側は、強盗致傷幇助ではないことを主張します。被告人は犯行グループから暴行、ならびに脅迫を受けていました。よって本人の意思と関係なく魔術を利用されるためだけにグループに加担させられていました。

 また、負傷した警備員に関しても犯行メンバーの1人が魔術を行使した影響によるもので、被告人に直接の因果関係は認められません。並びに、先に述べた脅迫の件から被告人には選択の余地がなく、犯行グループの指示通りに魔術を行使しなければ、自身及び知人の命の保障が無いという状況にあり、緊急避難に相当することを主張します。加えて……」

 

 淀みなく読み上げられる蜂谷の言葉を耳にしつつ、穂樽は証人席に座る八橋へと視線を移した。見るからに緊張しているのがわかる。元々人前で話すのは得意ではない、と言っていた。それでも教師だった母に憧れ、その道を目指そうとしている。ならばこれを乗り越えればきっとその苦手も克服できるのではないだろうか。今川とセッションしたことでピアノに対する苦手意識を払拭したように、また一歩彼女は前進できるのではないかと思っている。

 何より、自分の証言が今川の力になるとすれば、緊張などと言っていられないだろう。事実、今現在緊張している面持ちではあるが、別れ際の彼女の目は強い意思を宿していた。きっと、しっかりとした証言が出来るはずだと穂樽は期待する。

 

 裁判は進み、そしてついに、八橋が証言をする時が訪れた。

 先に弁護側からの質問が始まる。蜂谷が立ち上がり、抑揚のない声で話し始めた。

 

「証人は、被告人に幻影魔術を行使され、記憶を一部消去された。それは間違いありませんね?」

「は、はい。事実です」

「なぜか、理由を知っていますか?」

「最初は、彼も何も言ってくれませんでした。でも、後になって自分のせいで私を危険な事件に巻き込んでしまうことになるかもしれないから、それを避けるためだったと教えてくれました」

「そのことを恨んでいますか?」

「……恨んでいない、といえば嘘になります。だけどそれは私になんの説明もなく、一方的に、彼が1人で抱え込んでしまったことに対してです。一言でもいいから相談してほしかったと思う反面、私を巻き込みたくない一心からの行動だったと思っています。ですので、記憶を消されてしまったこと自体は恨んでいません。事実、おかげで私は危険な目に遭うことは全く無く済みました」

「お聞きの通り、つまり被告人は証人を守るために魔術を行使し、現に証人はまったく巻き込まれることはなかった、というのが弁護側の主張です。また、彼女の記憶についても完全に戻っているものということは、事前資料で証明されている通りです」

 

 そこで蜂谷は質問を終えた。八橋は一つ大きく息を吐き、対照的に今川は俯き縮こまっていた。

 今度は検察側から質問が始まる。眼鏡の男が立ち上がり、やや威圧的な声で八橋へと問いかけた。

 

「あなたは、被告人が犯行グループに暴行を受けたと主張する日に彼と会っていますね?」

「はい。彼が怪我をして私の家を訪ねてきました」

「その時に何か言われてはいませんか?」

「何も……言われていません。彼に事情を聞いても話してくれませんでした」

「……本当に何も言われていないのですか? 怪我をしていたのに、恋人のあなたが聞いても教えてくれなかったと?」

「そうです、間違いありません」

「それはおかしくありませんか? 実は言われたのに、思い出せていない部分があるのではありませんか? そのため、彼の都合のいいように証言しているだけという可能性も……」

「異議あり! 裁判長、事前の資料により証人の記憶に欠如はないと弁護側が証明したはずです。加えて今の検察側の一連の質問は、証人の記憶の確証を揺るがせ、検察側に有利な証言を誘導的に引き出そうとしている疑いがあります!」

 

 穂樽もこの検察の誘導的な聞き方はまずいかもしれない、と思った矢先。八橋を救ったのはセシルだった。小田切裁判長はしばらく沈黙を挟んだ後でゆっくりと口を開く。

 

「弁護側の異議を認めます。事前資料により、証人の記憶は確かなものと考えられます。検察側は質問を変えるように」

 

 検察側から小さく舌打ちが、弁護側の席のセシルから僅かに笑顔がこぼれる。内心では穂樽も喜びつつ、さすがは史上最年少弁魔士だと称賛の気持ちを贈るのだった。

 

 結局、検察側は有利な証言を引き出すことは出来ずじまいだった。裁判は終始弁護側のペースで進み、有力な証言、証拠が提示され、「今川は自分と恋人をネタに脅迫され、命の危険すらありえる状況でやむなく犯行グループに手を貸してしまったが、本人の意思に反してのことであり、最終的には自首したことで犯人グループの逮捕に貢献した」という理想的な状況を作り出していた。これならうまくすれば無罪を勝ち取ることも出来るかもしれないと穂樽は期待する。

 

 いよいよ判決の時。傍聴席の穂樽も、証人席の八橋も、そして被告人席の今川も、固唾を飲んでその時を待つ。

 

「これより、判決を言い渡します」

 

 小田切裁判長の低くよく通る声が響き、それまででも十分固かった場の空気がより一層固くなったように感じた。

 

「主文。被告人は、無罪。宝石店襲撃事件において幇助として魔術を行使した事実はあるものの、脅迫を受けていたことは明白であり、行使は余儀なくされたものである。また、証人に対しても魔術を行使したものの、証人の身の安全を確立するためと判断でき、両件に対して魔禁法十条を適用とする」

 

 小さく、穂樽は無意識のうちにガッツポーズをしていた。弁護側の席では蜂谷こそ普段通りであるが、セシルは両手を上げて喜び、証人席の八橋も被告人席の今川も、安堵した様子であることは手に取るようにわかった。

 

「これにて、魔法廷、閉廷」

 

 やっと依頼が完了できた。穂樽の心が満足感であふれる。閉廷を意味する魔法廷でだけ使用される乾いた木槌の音が、心地よく法廷内に響き渡った。

 

 

 

 

 

「本当に……本当にありがとうございました」

 

 遮蔽物を隔てることなく再会した八橋と今川は、互いに抱き合って喜びを分かち合った後、穂樽達の方を向いて深々と頭を下げた。

 

「八橋さん、確かに依頼は完了しました。お支払いなどの事務的な件はまた後日連絡させていただきます。……今度は大切な彼氏を逃がさないよう、しっかり捕まえておくのよ。困ったことがあったら、またいつでも相談に乗るわ」

「はい……! ありがとうございます……!」

 

 涙を浮かべつつ、だが満面の笑みで八橋は受け応えた。

 

「穂樽さん、俺からも改めてお礼を言わせてください」

「それは蜂谷さんとセシルに。私は依頼人の依頼を遂行しただけですから」

 

 穂樽に振られ、蜂谷は一歩前に出た。そして静かな、だが重みのある言葉で語り始める。

 

「今川。確かにお前は無罪という判決をされた。だが忘れるな。無罪ではあっても無実ではない。……俺の持論だ」

 

 憮然と言い放つ蜂谷の裾を、やめてくださいと言いたげにセシルが引っ張っている。それでも彼の表情は変わらず、諭された今川は「……はい」と俯いて答えていた。「しかし」と、蜂谷はその先を続ける。

 

「お前は自分の行いを心から悔い、反省した。だから俺はそれで十分だと思っているし、無論責めようなどとも考えてもいない。……彼女を2度とつらい目に遭わせたくないと思うのなら、そのことを忘れるな。俺が言いたいのは、それだけだ」

「……はい! 肝に銘じておきます」

「おふたりとも末永く幸せになってくださいね!」

「……セシル、結婚するわけじゃないんだから」

 

 冷静な穂樽の突っ込みに、突っ込まれたセシルは思わず恥ずかしそうに俯き、蜂谷以外の3人は笑っていた。

 

「でも今セシルさんに言われたとおり、キナを幸せに出来るように頑張りたいと思います。……大変かもしれないけど、またバイオリンを手に取ろうと思ってるんです」

「それはいいことだ。……だが茨の道だぞ」

 

 あくまで現実的な蜂谷の指摘に対し、それでも迷わず今川は頷いていた。

 

「自分でもそう思っています。だけど、キナは俺のバイオリンの音が好きだって言ってくれてるし、俺自身まだどこか諦め切れてない部分はあるんです」

「きっと大丈夫だと思いますよ! ……なんて言ったら、無責任かもしれませんけど。でも演奏会をやるってなったら、是非連絡ください。絶対聴きに行きますから」

 

 それはうまくいったとして果たしてどのぐらい先か。そしてそう言った張本人のセシルは音楽に造詣があるのか怪しい。聴いている最中に寝てしまうような彼女を想像し、思わず穂樽は内心で1人笑っていた。

 

「穂樽さん、都合のいいとき、またシュガーローズで一緒にお昼食べましょう。私、あそこ気に入っちゃいました」

「あら、それはいいわね。きっと浅賀さんも喜ぶわ。よければ、彼氏も一緒に。……私がお邪魔になるかもしれないけどね」

 

 それに対して照れたように俯く八橋。「惚気か」と突っ込みたい穂樽だったが、今日のところは抑えておこうと、グッと喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

 

「……では俺達はこれで。本当に、ありがとうございました」

 

 改めて深々と頭を下げ、今川と八橋は外への扉を出て行った。その2人の両手は、今度は互いに離すまいと硬く握られていた。

 

 依頼人を見送り、蜂谷とセシルはバタ法の同僚の元へと向かう。今回仰いだ協力に対する礼を言うために穂樽も後に続きつつ、蜂谷に声をかけていた。

 

「蜂谷さん、改めてありがとうございました。……それで、前に私に意外だとか言った気がするんですけど、私から言わせてもらえば、蜂谷さんの方が意外ですよ」

「何がだ?」

「さっきの今川に対する無罪と無実の話です。もっとドライな考え方なのかと思ってましたが……。あれですかね、蜂谷さんって『ツンデレ』ってやつですか?」

「それはなっちのことじゃないの?」

「誰がよ!」

 

 横から挟まれたセシルの言葉に反射的に穂樽は突っ込んでいた。セシルは愉快そうに笑うが、案の定蜂谷は表情ひとつ変えない。そんな3人を、待っていたとばかりにバタ法のクライアント達が迎え入れてくれた。

 

「お疲れ様。ハチミツ君、セシルちゃん」

「無罪を勝ち取るとは、お見事だな」

 

 蝶野姉弟の称賛を受け、それでも蜂谷は特に変わった様子なく答える。

 

「穂樽がかなり有利な状況を作り出してくれましたから。そこに乗っかっただけに過ぎません」

「いえ、蜂谷さんのおかげですよ。……ついでにセシルも」

「セシルは付け足し!?」

 

 非難の声を上げたセシルだが、穂樽はそれを聞き流すことにした。改めてアゲハに対して頭を下げる。

 

「アゲハさん、今回はご協力いただきありがとうございました。お金が絡む細かい話は、後ほど抜田さんを通してでも」

「ええ、わかったわ。……それはさておき、穂樽ちゃんも来るでしょ、この後の打ち上げ。折角無罪勝ち取ったんだから、パーッといかないとね!」

「ええ、それは、まあ……」

「何、ほたりん乗り気じゃないの? ……あれか、悲劇的に引き裂かれたふたりが、記憶を取り戻し無罪を勝ち取ってこの後どうなるか気になる、とか? そんなの決まってるじゃないの、この後2人は共に同じベッドで熱い夜を……!」

「左反さん、最低です」

 

 変わらず飛び出す左反の下ネタに、穂樽は半分目を閉じた状態でジロリと侮蔑的な意味をこめて視線を送った。が、慣れっこの当の本人は全く答えた様子はない。

 

「とにかく、ほたりんも来んと? 一緒に盛り上がるがよかね」

「それは勿論ありがたく参加させていただきます。……まあ積もる話はその時に。すみませんが、ちょっと先に外に出てます」

「え……? なっち、なんで……」

「これよ、これ」

 

 穂樽は口の前に人差し指と中指を2本揃え、前後に動かすジェスチャーを見せる。それだけで察してくれたらしい。「ああ」とセシルは了解した声を上げ、咎めようとはしなかった。

 

「もし先客がいたら、私もよろしく言っていたと伝えておいて。間接的にうちを助けてくれたことは確かでしょうから」

「わかりました。では、後ほど」

 

 アゲハが言いたいことを推測し、穂樽は外に出た。まず日光が目に入る。隠す雲もなく、太陽が眩しく輝いていた。

 屋外に出てすぐの喫煙所には、案の定先客がいた。やっぱりと思うと同時、まだ帰っていなくてよかったと思いつつ、彼女はそこへと近づく。

 

「遅い。あと1本吸って来なかったら帰ろうと思ってた」

「それは失礼しました。……まあ待っててくれと頼んでもいないんですけど」

 

 穂樽のその付け足しに、先客のクインは舌打ちをこぼした。が、穂樽が煙草を取り出し1本咥えたところで、ライターを使うより早く目の前にマッチを差し出してくれた。ライターをしまい、ありがたくその行為を受け入れる。マッチの先端が燃焼して赤く美しい炎を上げ、そこに煙草の先端を当てて火を灯して穂樽は煙を肺へと流し込んだ。

 

「まずは今川君の無罪判決おめでとう」

 

 マッチを振って火を消してから灰皿へと投げ込みつつ、わざとらしくクインはそう切り出した。

 

「お世辞でも、ありがとうございます。クイン警部のおかげもあります。アゲハさんもよろしく言ってました」

「はいはい。……ったく、あたしは使いっぱしりじゃねえんだぞ?」

「ちゃんとこっちも情報払ったじゃないですか。ギブアンドテイクですよ」

 

 穂樽の反論に対し、つまらなそうにクインは煙を吐き出した。

 

「それで、今川以外の連中はどうなってます?」

「魔禁法違反の強盗致傷。それからディアボロイド関連の九条違反もいるし、今川への脅迫とその他叩けばいくらでも埃が出る。ありゃしばらくシャバの空気は吸えそうにないな。……ああ、あんたも傷害もらったんだっけか?」

「いいですよ。やられた分は、踏み込んだ時に返しましたから」

「ま、ともかくこれで巷を騒がせた宝石店襲撃事件は一件落着。あんたも依頼人の依頼を完了して彼氏は無罪と万々歳ってわけか」

「そうですね」

 

 肯定しつつ、穂樽は灰を落とす。かなり苦労はしたが、無事ほぼ望みどおりの結果を迎えることが出来た。それ自体は喜ばしいことだ。

 

「……あんたさ、いつまで探偵とかやってる気?」

 

 と、そこで不意にクインにそう尋ねられ、思わず穂樽は呆けたような表情を浮かべた。赤いメタルフレームの眼鏡も僅かにズレ落ちてしまい、それを直しつつ返答する。

 

「どういう意味ですか?」

「アゲハさんからチラッとは聞いたけどさ。アプローチを変えて魔術使いの力になるために探偵へと鞍替えした。まあわかる話ではあるよ。でも割に合わないだろ。今回のもそうじゃないの? 昔のまま弁魔士やってた方がまだ楽だろうし収入もよかっただろうにさ」

 

 痛いところを見事についてくるな、と煙を吸い込みつつ穂樽は思っていた。確かに結果は先ほどクインが言ったとおり万々歳。今川も八橋も、満足した笑顔を浮かべていた。

 だが、自分はどうか。危うく大怪我か、下手をすれば命を落としかけた場面もあった。それは今回だけに限ったことではない。そんな自分の命を担保にしてまで、得られる成功報酬の金額は決して多いとは言いがたい。その上生活スタイルも不規則、張り込みや尾行はストレスとの戦い。まさに、「割に合わない」と言えるのかもしれない。しかし――。

 

「生憎、損得でこの仕事やってるわけじゃないんで」

 

 即答だった。迷う間もなくそう返し、穂樽は煙草を蒸かす。その様子に、質問したクインの方が不満げにガリガリと頭を掻いた。

 

「……ったく、アゲハさんと同じこと言うのな」

「弟子みたいなものですから。アゲハさんにはほんと感謝してますし。……そういうクイン警部こそ、割に合わないんじゃないんですか?」

「それに対してはさっきのお前の言葉、そのまま返すよ。……ま、あんま凶悪犯が減刑減刑ってなるとこの商売やってらんねえけどさ」

 

 そこまでいうと、クインは最後の煙を吐き出して一足先に煙草を揉み消した。

 

「まあ、せいぜい頑張りな。ウドの探偵さん。ギブアンドテイクなら、たまには情報譲ってもいい」

「頼りにしてますよ、警部。今後もよろしくお願いします」

 

 はいはい、と適当に相槌を打ってクインはその場を離れ始める。が、数歩進んだところで何かを思い出したように振り返った。

 

「……マッチで点けた方が、煙草、うまいだろ?」

 

 突然の質問に一瞬穂樽は考え込む。言われるまですっかり忘れていた。と、いうことは、つまりそういうことなのだ。

 

「私には違いがわかりませんね。自前のライターで点けた時と、なんら変わりません」

「わかってねえな。あの火を点けた時の独特な香りと一緒に最初の煙を吸うのがいいのによ。やっぱまだまだだな」

「まだまだって、何がですか?」

「愛煙家としてだよ。……まあいいや。たまにはまた一服付き合いな。喫煙者少なくて肩身狭いんだ」

「その気持ちはわかりますよ。また今度、ご一緒しましょう」

「おう。じゃあな。体には気をつけろよ、穂樽」

 

 離れていく背中を見送りつつ、穂樽も最後の煙を吐き出し、煙草を揉み消した。丁度いいタイミングでバタ法の面々が外に出てきた様子が窺える。

 

「なっちー! 行こうー!」

 

 明るいセシルの声が聞こえてくる。さて、行くとしようと穂樽も思う。今回も無事依頼は完了した。

 例え時に割に合わないと思うときがあっても、誰かの力に慣れたというこの何事にも変えがたい充足感は、それだけでこの仕事を続けるに十分だ。困難の先に、依頼人の喜びの顔があれば、きっと続けられる。弁魔士と異なるアプローチを考えたからこそ、今回も1組の男女を助けられたのかもしれない。

 (おご)り過ぎかな、と思わず自嘲的に笑顔がこぼれた。こうやって弁魔士を辞めた自分を正当化したいだけかもしれないということは自覚してはいる。

 

「あ、なっちが笑ってる。そんなに楽しみなの?」

「違うわよ。あんたと一緒にしないで」

 

 まあ細かいことは、ひとまずいいかと穂樽は思うことにした。セシルにからかわれるのは癪だし、どちらかといえばからかった方が面白い。今日は久しぶりにとことんかつての同期に絡んでみるかと、そんな悪戯心と共に穂樽は元の職場の人間と合流した。

 

 

 

 

 

バニッシュメント・ラバー (終)

 




法廷傍聴したことも、逆裁みたいな法廷ゲームもやったことないので、ほぼ知識ゼロで書いてしまっています。なので、前話同様おかしいところがあるかもしれません。特にあれで無罪になるわけないだろ、とか。


ともかく、これで「バニッシュメント・ラバー」の話は完結です。
内容としてはありがちかもしれませんが、探偵的な要素を入れてウィザバリを考えるとどうなるか、興味があって書いてみました。
終わってみると10万字程度と長い話になってしまいましたが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。楽しんでいただけたら幸いです。

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