「えっ……? あなたは……?」
はやては闇の中から出現した女性に、戸惑いながらも訊ねてみる。とても怪しい状況なのだが、混乱はしていても不思議と恐怖は感じなかった。
銀髪の美しき女性は膝を折り、座り込むはやてと目線を同じくすると、慈しむように見詰め、
「現在の覚醒段階で、此処まで深いアクセスは貴女にとっても危険です……安全区域までお送りしますので、お戻りください……」
はやてには女性の言っている事はチンプンカンプンだったが、此方を気遣っている事は良く分かった。それに不思議な感覚を感じる。
先程の声の主で間違いない。声の時も思ったが、まるでずっと昔から知っている人物と会っているような、懐かしさが込み上げて来る。
「待って……ちょう待って……」
今の状況、懐かしい感覚、彼女の言葉使いの端々に感じる自分への慈しみ……
「……私……あなたの事知ってる……?」
「はい……貴女が生まれて直ぐの頃から、私は貴女の傍に居ましたから……」
その言葉ではやては確信する。思わず手を叩いて感激していた。
「やっぱり『闇の書』!」
女性『闇の書』は少し哀しげに目を伏せたが、直ぐにはやてを見詰め、
「……そう呼んで頂いても結構です……私は魔導書の管制プログラムですから……」
「あはっ、そっかそっかあ~と、そやない、その前に現状の説明してもらってええか?」
「はい……」
『闇の書』が説明しようと口を開いた時、不意に光の粒子が湧き上がり人の形を成す。それを見たはやては目を丸くした。
「えっ、ゼロ兄ぃっ?」
それは横になってスウスウ熟睡しているゼロであった。
「ん~……? 此処は……?」
ゼロはぼんやりと辺りを見回した。見渡す限り、果ての無い紫色じみた闇が広がっている。確か病院のソファーで居眠りしていた筈だと頭を捻った。
寝過ぎて夜にでもなったのかと、よっこらせと身体を起こす。すると何故か目の前にはやてが座り込んでいた。
「ゼロ兄ぃっ」
「はやて……ん……?」
呼び掛けるはやての後ろに、銀髪の美しい女性が佇んでいる。見覚えは無い筈なのだが……
「あんたは……?」
サッパリ状況が掴めず混乱するゼロに、はやては笑って女性を示し、
「こちらはゼロ兄も良く知っとる人、『闇の書』その人や」
「闇の書ぉぉっ!?」
ゼロは思わず、素っ頓狂な声を上げていた。
彼女『闇の書』の『管制人格』はポカンとするゼロに、こうなった事情を説明してくれた。
『蒐集』が進み覚醒段階に入ったはやてが『闇の書』と精神アクセスを行っているのは既に聞いている。
はやては優れた資質故、本来今の覚醒段階では入れない深い場所までアクセスしてしまったらしい。事情を聞いたゼロはフム……と腕組みし、
「そうか……俺の場合は前にお前の記憶に触れた事や、魔法プログラムのデータ入力変換をしたりしてたから、影響を受けやすくなって無意識に此処に入り込んでしまったって所か……?」
「……それに偶々、同時にお休みになられた我が主に引かれる形になったのだろう……本来なら決して有り得ない事なのだ……」
『闇の書』は白磁器の美貌に驚いた感情を微かに(あらわ)顕にする。主ならともかく、全く関係無い人物が入り込む事など、本当に有り得ない事なのだろう。
ウルトラマンと言う種族は、超能力で自身の身体を様々な形態に変化させる事が出来る。
ミクロ化などの大きさを変えるものから『ウルトラマンメビウス』のように、電脳空間の敵を倒す為に、自らを電気信号データと化して戦った事もある。
ゼロの場合は魔法プログラムと長く接し、解析もしていたので、影響を受けてしまったようだ。ウルトラマンならではと言う事か。
「妙な事になったもんだな……」
頭を掻くゼロだが、お陰で『闇の書』本人と会えたのだから良いかと思う。長く居るとはやてにも自分にも危険らしいが、少しくらいなら大丈夫だろう。
状況が呑み込めた所で再び『闇の書』の過去の映像が流れ始めた。彼女が操作しているのでは無く、此処に来た者に理解させる為に自動的に流れるものらしい。
今まで途切れていたのは、ゼロの記憶が混線して一時的にストップしていたからのようだ。様々な世界、時代に場所に、歴代のマスター達が次々と浮かんでは消えて行く。
「これは私と騎士達が共有する記憶……『闇の書』の記憶であり過去です……『蒐集』と第2の覚醒を終え真の主となっていただいた時、我らの真実を理解していただく為のものなのですが……貴女は最初の時点で既にご覧になってしまっていますね……?」
「私はフライングもいい所やね……」
はやては感慨深く映像を見詰める。ゼロは 『闇の書』の説明に少し引っ掛かりを感じたが、もう1つの疑問の前にそれを失念してしまった。
「えっ? それだと何であの時、俺達に記憶を見せたんだ?」
「……正直私にも分からない……何故あんな事になったのか……?」
『闇の書』も当惑しているようだ。やはりウルトラマンである自分の力が、おかしな作用をもたらしたと考えるべきだろうかとゼロは考える。
実際は関係無かったようなのだが、現時点では知るよしも無い。
そうしている内にも過去の記憶が目前で流れて行く。守護騎士達が力への欲望に狂った主の命令のままに血生臭い戦場を駆け、遅いと叱責を受けていた。
人扱いなどされていない。本当に道具そのものの扱いだ。 痛々しかった。一見皆今とはまるで違って見 えるが、それが誤りなのは直ぐ判る。諦めと虚無感で沈んだ目……
ゼロは腸が煮え繰り返るような気がした。2度目とは言え、胸の痛みが軽くなるなどという事は全く無い。 却って今の方が哀しく、やり場の無い怒りを強く感じた。
あれから半年以上共に過ごし、文字通り生死を共にして来たのだ。出来ることならばあの場に飛び込んで、歴代のマスター達を片っ端から殴り倒してやりたい衝動に駈られた。
傍らのはやてを見ると、肩が小刻みに震えている。懸命に泣くのを堪えているのだ。彼女も想いは同じだった。
「既に過去の事……お心を乱されませんように……」
2人の様子に『闇の書』は、気持ちを落ち着かせる為か淡々と語り掛ける。
「せやけど……やっぱり許せへん……!」
はやては珍しく語気を荒げ肩を震わせる。いくら温厚な彼女でも許せない事はあるのだ。ゼロはその背中をそっと擦ってやる。ようやく震えが収まって行く。
「彼女達の過去は優しい貴女方には刺激が強いですね……映像を消します……」
『闇の書』の言葉と共に映像はフッと消え去り、辺りは再び闇の世界に戻った。『闇の書』 はまだ怒りと哀しみをもて余している2人に、微かに笑みを浮かべ、
「今現在の騎士達は幸福です……貴方達の元で暮らせるのですから……」
「え~と……何やら……」
はやては改まってお礼を述べられ、照れ臭いのか口ごもる。だがゼロは複雑そうな顔をし、
「……はやては確かにそうだろうけどよ……俺のせいで皆をまた、戦いに巻き込んでしまってると思うんだが……?」
その考えが浮かんでしまう。自分が不甲斐なかったからという想いは、独りで抱え込まないと誓ってもどうしても付きまとう。『闇の書』 は静かに首を振って見せ、
「いいやゼロ……騎士達に代わって礼を言わせてくれ……全てあの子達が望んだ事だ……初めてなのだよ……何の損得も無く、多くの命を救う為だけに戦ったのは……皆誇りに思っている……」
「そ……そう言ってもらえると……助かる……」
ゼロは救われたように頭を下げていた。『闇の書』は頷くと改まり、
「ありがとうございます……私からも改めてお2人には感謝の言葉を述べさせていただきま す……」
深々とはやてとゼロに頭を下げた。一瞬そのまま泣き崩れるようにも見える。辛い目ばかりに遭って来た仲間達の身を、心から案じていたのだろう。
「いえ、こちらこそ……そっか……あなたが『闇の書』の意思なら、私らをあの子達と会わせてくれたのはあなたなんやね……?」
はやてはしんみりと感じたままを口にする。確かにそうだなとゼロも思った。しかし『闇の書』は表情を曇らせ、
「……残念ながら……私が自らの意思で選んだ訳ではありません……私の転生先は乱数決定されますから……」
「そんなんええねん、あなたが私の所に来てくれたから、私らはあの子達に会えたんや……」
はやては気にせず、逆にその決定に感謝した。他のマスターの元に行っていたとしたら、今でも守護騎士達は望まぬ戦いを強いられていたかもしれない。そんな想いも込めて、
「で……今はあなたとも会えた……素直に嬉しい し、感謝したいと思う……あかんか……?」
ゼロは照れ臭いのか、明後日の方向を向いて、
「あ……ありがとよ……皆に会えて良かった……」
2人の感謝の言葉に『闇の書』は少しキョトンとしていた。がっかりされるとでも思っていたのだろうが、
「いいえ……それでしたら、何の問題もありませんね……」
そこで彼女は初めて、はにかむように微笑を浮かべた。整い過ぎて何処か非人間的な印象を受ける顔に、初めて人間味が浮かぶ。はやては 『闇の書』の表情を嬉しそうに見るが、
「ええ子や……そやけどごめんな……私ら今まであなたの事気付かんでいて……シグナム達も言うてくれたらええのに……なあゼロ兄?」
「そっ、そうだなっ、まっ全くアイツら水くせえよなあ……」
実はつい昨日に聞いていたゼロは、辛うじてすっ惚けた。『闇の書』は申し訳なさそうなはやてに、
「ページの『蒐集』が進まないと私は起動出来ないシステムですから……『蒐集』を望まない貴女達への烈火の将と風の癒し手の気遣いです……汲んでやってください……」
それははやてにも良く判った。シグナム達も言うに言えなかったのだろうと思う。
「うん……ページ蒐集しないと、あなたは外に出られへんの?」
「対話と情理精神アクセスの機能起動に、400ページの蒐集と主の承認……私の実体具現化と融合起動による全ページを完成させて、貴女が真の主とならなければ無理です……」
『闇の書』は淡々と説明した。真の主となるには様々な条件が必要なようだ。はやては少し考え込み、
「う~ん……そっか……実体具現化いうのをする と、シグナムやヴィータみたいに一緒に暮らせるん?」
「ええ……この姿で実体化出来ますから……そして必要に応じて貴女と融合し、魔導書の力全てを使用する事が出来ます……」
「そおかあ……私が真のマスターになれたらええんやけど……」
はやてにとって魔導書の力などどうでも良い。ただもう1人の家族をこのまま独りにして置きたくなかった。『闇の書』は葛藤する少女に、
「望まぬ蒐集を命じる事もありません……」
「んん~……」
納得いかないはやては唸るしか無い。既に黙って蒐集をしているゼロは、ボロを出さないように沈黙するのみだ。
それを判っている『闇の書』は、はやてに判らないようにゼロに密かに頷いて見せ、
「現状で此処まで深層へのアクセスは危険です……目覚めのタイミングで表層までお送りします……以降お2人共間違って入られる事の無いよう、システムにロックを架けておきます……」
まだ納得いかないはやては、『闇の書』の言葉に哀しげな表情を浮かべた。何も出来ない自分がもどかしい。
「すいません……」
『闇の書』は少女の優しさに詫びる事しか出来ない。頭を深く垂れていた。はやては淋しそうに彼女を見詰め、
「謝る事やないけど……寂しいな……せっかく会えたのに……」
「……こんな時しかお前に会えないのかよ……」
ゼロは顔を逸らし何も無い空を見上げる。泣きそうになって、鼻の奥がツンとしてしまっていた。2人の飾り気の無い心からの想い……
「私もです……」
『闇の書』は寂しそうに表情を浮かべた。2人の心の底からの想いが嬉しかっただけに尚更身に堪える。
そんな彼女の想いを察したはやては、ゼロにチラリと目で合図を送る。ウルトラマンの少年が判ったと頷いたのを確認すると、
「ほんならお別れまでの時間、ちょう主としてのお願いをしてええか……?」
「はい……?」
改まって主としてのお願いと言われ、『闇の書』は跪(ひざまづ)き居ずまいを正す。
「シグナム達にはもうしてるお願いで、私の騎士になるには絶対にやらんとあかん事や……」
はやては少々芝居がかった調子で、尤もらしく説明を行う。ゼロは澄まし顔でウンウン頷いている。
「はい……何なりと……」
『闇の書』は嬉しそうに応えた。初めてはやての主としての命令を受けると、意気込んでいるようである。
「ほんなら、はいっ」
そんな彼女にはやては両手を差し出してニッコリ笑う。
「えっ……?」
訳が分からず当惑する『闇の書』にはやては、
「抱っこや」
手を差し出したまま、悪戯っぽい笑みを浮かべてアピールして見せた。
「あっ……はい……分かりました」
ようやく察した『闇の書』である。はやての口ぶりからどんな大層な儀式かと少し緊張していたようだ。
どうやら引っ掛けられた事に気付き、少し照れると小さな主をそっと抱え上げる。
「では……烈火の将がするように、膝の上にお乗せすればよろしいですか……?」
「うんっ」
『闇の書』は地面?にペタリと座り込むと、はやてを膝の上に乗せて抱き抱える。丁度幼児を抱き抱える形になった。そこで赤ん坊よろしく丸くなるはやては、
「後は仕上げやな、ゼロ兄ぃっ」
「おうっ!」
ゼロは心得たと威勢良く返事をすると、はやてを抱えている『闇の書』を2人纏めて、軽々と怪力で抱き上げてしまった。
精神だけの状態だが、元から出来る事ならば精神体でも可能という訳だ。
「えっ? えっ?」
驚く『闇の書』に構わずゼロはドスンと座り込むと、自分の膝の上に2人を乗せてしまった。重なり抱っこと言う所か。
「これぞ八神家名物、みんな纏めて抱っこや。ゼロ兄は巨大化すれば、全員纏めて抱っこも可能なんよ」
戸惑う『闇の書』に、はやては笑って片目を瞑って見せ、
「こうして抱っこしてもらうとな、顔が近いやろ? 瞳の奥が良く見えるやろ?」
「は、はい……良く見えますが……その……」
「あはは、直ぐ馴れるって」
小さな主の穏やかな顔が間近で微笑む。『闇の書』は流石に、自分が子供のように抱っこされるのは少々抵抗があったようだが、
(……妙に落ち着くな……)
不思議な感覚だと思った。暖かな日溜まりに包まれているようだ。そしてその中で自分はのんびり子猫を抱いているような気がする。
守護騎士達がまったりしたのも判る気がした。彼女自身も温もりに飢えていたのかもしれない。はやてはそんな『闇の書』の顔をじっくり見詰め、
「深い紅で綺麗な目しとるな……」
「ありがとうございます……」
「銀の髪もサラサラや……」
はやては慈しむように、彼女の闇に淡く輝く銀色の髪を撫でる。ゼロもつられて、
「本当だ……それにいい香りがする……」
男の匂いと全然違うなと真面目に考察する。邪気が混じらないのはゼロ故か。
何となく本の彼女と重なる所があり、改めてあの『闇の書』なのだなと、妙な所で納得しているとはやてが、
「おっぱいも結構大きいなあ……シグナムと対張るんやないかなあ?」
流石にその辺りは見逃さない。『闇の書』はセクハラっぽい発言にも何だか嬉しそうで、
「烈火の将程恥ずかしがる気はありません…… ご自由に触れて頂いても構いませんが……?」
天然なのか、あまり気にしない質らしい。シグナムは『闇の書』にまで、恥ずかしがり屋さん認定されているようだ。本人が聞いたら怒るであろう。
「う~ん……ほんなら後でな? ゼロ兄も触る?」
「えっ? いいのか?」
はやての冗談とも本気ともつかない言葉に、ゼロが聞き返すと『闇の書』は、
「構いませんよ……」
あっさりと受けた。どうやら本当に天然さんらしい。
「ゼロ兄良かったね?」
こちらは器が大き過ぎる少女はやてが笑う。この辺りちょっとズレている。ゼロはそこで少し思案し、
「いや……何か知らんが、シグナム辺りにボコられそうな気がするから止めとく……」
「確かに……シグナム堅いからなあ……破廉恥 なっ! って多分ゼロ兄斬られてまう」
少しはゼロも成長したようである。そのやり取りに『闇の書』は思わずクスッと笑ってしまっていた。
「やっぱり笑うと、もっと綺麗やで……」
はやてその陶器のように白い頬に手を添え、彼女の笑顔を誉める。哀しげに佇む印象を受けるが、やはり笑顔が一番似合うとはやては思った。
「ありがとうございます……」
『闇の書』は目を閉じ、何度目かになるお礼の言葉を述べる。
身体に感じる2人の体温。実体では無く意識体だが、それだけに直に少女と少年の優しさを感じる事が出来た。
そして言葉のやり取りに2人の笑う顔。こんな事は何時以来だろう。ひどく安らぐのを『闇の書』は感じていた。
遠い昔にあったのかもしれないが、最早遠すぎて思い出せない。本当に有ったのかどうかすら定かでない……
感慨に耽っていると、赤ん坊のように抱かれているはやてが母親にねだるように、
「時間まで……色々お話聞かせてくれるか……?」
「それいいな……」
2人のリクエストに『闇の書』はゆったりと微笑んだ。何と心が満ちる事かと思う。
はやての悲しくないお話がいいと言うので、記憶を探ると数百年前に見聞きした、おかしな怪物の話を思い出した。
「そうですね……それではこんな話があります……」
はやてとゼロが目を輝かせる。『闇の書』はそんな2人を慈しむように見ながら、
「これはかなり昔の話なのですが……」
ぽつりぽつりと昔話を語り始めた。
*
クロノ達は『無限書庫』での調査を開始したユーノを本局に残し、海鳴市の駐屯所マンションに戻って来ていた。先程なのはを送り出した所である。
他のク ルーは出払っていて、マンションに居るのはフェイトとクロノだけだ。2人はリビングのソファーに腰掛け、お茶を飲みながら他愛もない会話を交わしていた。
『アースラ』で半年ばかり共に過ごしたクロノとフェイトは、今では兄妹のような気安い関係になっている。
その会話の中、ふとクロノが携帯電話の事を持ち出した。フェイトは不思議に思う。魔導師には『念話』という魔法を利用したテレパシー通信のような連絡手段がある。
クロノはその距離も長く、必要とも思えなかっ たのだ。すると少年執務官は少し困ったように、
「いや……例えば僕から君に通信をする時は、プライバシーの関係もあるからな……あまり不躾なのも良くないだろ?」
「気にしなくてもいいのに……」
フェイトは可笑しくなった。彼なりの気遣いなのだ。念話はテレパシーのようなものなので、会話中別の事を考えたりすると相手に思考が漏れてしまう事がある。
その辺りを気にしているのかと思うと、携帯電話の入手方法を聞いて来た。未成年者には親の承認が必要な事を話すと、リンディに頼んで買って貰おうという事になった。
クロノの気遣いにフェイトは感謝する。プライバシーの件と友人達が持っているならと、最初からフェイトに買ってあげるつもりだったのだろう。
有りがたい事だと思った。リンディもクロノも天涯孤独になったフェイトを気遣い、家族のように接してくれる。
(家族か……)
フェイトは立て続けに起こる事件のせいで、まだ結論を出していない事を思い返す。ハラオウン家の、養子にならないかと誘われている件だ。
納得行くまで考えればいいと艦長には言われているが、迷っていて返事を先伸ばししているので少し心苦しい。
(でも今は自分の事は後回しだ……)
話を終えリビングを出て自室に戻ったフェイトは、勉強机の引き出しを開けた。中に仕舞っていた綺麗な小箱を取り出す。
大事にしている物のようだ。彼女には養子とは別の件で、ズルズルと先伸ばしにしていた事があった。
「…………」
フェイトは無言で小箱を開けると、中には何かの切れ端らしい紙が入っている。そっと紙片を取り出した。紙にはボールペンで書いたらしい走り書きで、番号が記されている。
「ゼロさんと会わなくちゃ……」
フェイトは呟く。誰にも言っていない自分だけの秘密。 最初に出会った時にゼロから貰った、携帯電話の番号であった。
*
そろそろはやての検査が終わる頃である。石田先生は検査室に隣接しているモニター室にやって来た。部屋に入る前にふと視界に、廊下のソファーで横になって爆睡している者が映った。ゼロである。石田先生は苦笑すると中に入った。
中には既にシャマルとヴィータが待っていた。もうじき検査が終わる。覗き窓から検査室を見ると、はやては寝てしまっている。シャマルは、そろそろゼロを起こす頃合いかなと思った。
*
「何だあっ?」
「あれ? 何や? 体が光って?」
『闇の書』の昔話に聞き入っていたはやてとゼロ。2人の体が淡く光を放っていた。
「目を覚まし始めているようです……ゼロもそれに引かれています……お別れですね……」
『闇の書』の説明に、はやてとゼロはガッカリと肩を落とした。
「ん……もっとお話したい事沢山あるのに……」
「もう終りなのか……あっちの話のその後も聞きたかったぜ……」
「私もです……」
心底残念に思う2人に『闇の書』も寂しげに目を伏せる。これでお別れなのかと思うと、ひどく心が沈んだ。
「ん~……私はもっとあなたの事知らなあかんのに……」
「どうか、あまりお気になさらず……」
残念がるはやてとの別れを惜しんで『闇の書』は主の肩を擦る。この温もりを感じられるのも後僅か。するとはやてが彼女の真紅の瞳を見据え、
「それに……名前も付けたげなあかん……」
「えっ……?」
意外な言葉を聞き『闇の書』は戸惑った。守護騎士達のような名前を彼女は持っておらず、自分にそんな事を言ってくれる者など居なかった。恐らく今は思い出す事も出来ない製作者ですら……
はやてはそんな彼女の銀髪を優しく撫で、
「『闇の書』はあなたの本当の名前とちゃうし、『夜天の魔導書』って呼ぶのも何や違うし……綺麗な瞳と髪に似合う優しくて強い名前……私が考えたげなあかんと思う……」
「成る程……って『闇の書』じゃ無くて『夜天の魔導書』が本当なのか……確かにそれだと何だし、格好いいの頼むぜはやて」
「任しとき」
思いがけないやり取りに、彼女は2人を交互に見ていた。微笑むはやてに、サムズアップして見せるゼロ。 彼女は心なし瞳を潤ませて、光を放っているはやての手を押し抱くように両手に取っていた。
「ありがとうございます……お心だけ何より有りがたく受け取っておきます……」
彼女は震える声で頭を下げ、小さな手をしっかりと握り締めた。それは泣き出したいのを懸命に堪えているように見えた……
「ほんなら、また会おうな……」
「またな……」
光が強くなり、はやてとゼロの体が徐々に拡散するように消えて行く。
「お気を付けて……どうかお身体を大切に……」
「うん……あなたもな……」
はやては微笑んで手を振った。彼女はその小さな主にすがるように、
「騎士達をよろしくお願いします……」
「うん……きっと……」
はやては強く頷いた。それは母親の決意に似ていたかもしれない。次に彼女は消え行くゼロの手を、しっかりと握り締める。
「ゼロ……主を……騎士達をどうか……守ってく れ……!」
悲痛なまでの頼みだった。返事をしようとしたゼロは、彼女の手からビリッと電流が流れたような気がする。
何かが伝わったような気がして一瞬訝しむが、疑問に思うも時間は無いようだ。ゼロは彼女の手を力強く握り返し、
「俺の身に変えても約束する!」
力強く誓う。その言葉には強い決意が込められていた。その言葉にはやてはふと、此処で見たゼロの過去らしきものを思い出す。
(あの子がゼロ兄の言っとった友達なんやろ か……?)
そう直感したが、詳しく聞くのは止めておこうと思った。本人がきちんと話してくれるまでは……
はやては改めて彼女に手を振った。ゼロも名残惜しそうにブンブン手を振る。
そして2人は光の粒子を残して、束の間の幻だったように消えて行った。残った光も無くなると後には何も無い。無明の闇だけが残った。
「行ってしまわれたか……」
彼女は長い間、2人が消えた場所を見詰めていた。 それからどれぐらい経っただろう。ふと目頭が熱くなるのを感じ手を当ててみる。
熱い雫が目から溢れ、頬を濡らしているのに気付い た。
「……これは……涙か……? 私はまだ……泣けるの だな……」
自分がまだ泣ける事を意外に思う。救いの無い悲しみの中、既に渇れ果てたと思っていた。
誰1人居なくなった闇の中で、彼女は茫然と立ち尽くす。 先程までの賑やかさが、逆に寂寥感を増していた。
永い間此処でたった独りで過ごし、既に慣れきった筈の闇の空間が、耐え難い程の孤独感を彼女に与えていた。
耐えられなくなった彼女は、肩を震わせ崩れ落ちていた。今まで堪えていた感情の波が一気に押し寄せる。気が付くと声を出して嗚咽していた。止める事は出来なかった。
(此度の主は一体どれ程温かく、どこまで優しいのか……)
止めどもなく溢れる涙は、己の心のままに頬を濡らす。哭きながら彼女は、絶望的な事実を再認識せざる得ない。
(主が目を覚ませば、今の会話も私の事も全て忘れてしまわれる……それはゼロとて例外では無いだろう……)
本当なら伝えなければならない事が、山ほどあったのだ。
(夢の外で私を思い出される事は無いだろう……それは構わない……だがそれ故に、遠からず訪れる破滅を救う術が私には何も無い……)
(夜天の光は闇に堕ちた……)
(私には主を救う事も、騎士達を止める事も……何一つ出来ない……)
彼女の慟哭だけが、何も無い闇の中に虚しく響く。
(……この絶望の輪廻を断ち切ってもらえない か……?)
(あの優しい主と一途な騎士達だけでいい…… 救ってはくれないか……?)
彼女は一心に、何かに語り掛けているようだった。
(烈火の将……風の癒し手……紅の鉄騎……蒼き 狼……そして我が主八神はやて……)
(今まで神に祈っても悪魔に願っても、何も変わらなかった……)
(私には感じられる……このままでは……今までとは比較にならないような破滅が訪れようとしている……恐らく私も騎士達も……主も……)
彼女は感じていた。おぞましいまでの邪悪の影を、全てを闇に覆い尽くす冥府の使いを。彼女は哭きながら叫んでいた。
「ゼロォッ! ウルトラマンゼロよ! お前のような存在は今まで居なかった。私はそれに賭けるしか無い! 気付いてくれゼロ、私からのメッセージを!!」
それは助けを求める、血を吐くような魂の悲鳴であった。ゼロに何かを託したらしい。
「どうかあの子らを救ってくれ……頼むゼ ロォッ!!」
彼女の慟哭は闇に木霊し、虚しく溶けて散っていった……
*
「はやてちゃん……?」
「はやてちゃん!」
「はやて、はやて大丈夫?」
自分の名を呼ぶ声に、はやてはゆっくりと目を開けた。検査室のベッドに横たわっている自分を自覚する。 此方を心配そうに覗き込む3人の見知った顔が見えた。
「ヴィータ……シャマル……石田先生……どないしたん……?」
寝惚け眼を擦りながら、はやては身体を起こ す。ヴィータが心配その顔を覗き込み、
「だって……はやて泣いてるから……」
「あれ……? ほんまや……」
はやては言われて初めて、自分が泣いているのに気が付いた。訳が解らない。
心配する皆に悪い夢でも見たかなと言っておく。しかし実際は夢を見たのかすらも定かでない。何も記憶に無かった。
はやてがハンカチで涙を拭っていると、廊下で寝ていたゼロが入って来た。その顔を見たヴィータは妙な 顔をする。
「ゼロ……? お前まで何で泣いてんだ?」
「はっ……? 何だこりゃあっ!?」
此方も指摘されて初めて気が付いたようだ。ゼロは慌ててゴシゴシ袖で涙を拭うのだった。
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異常を心配した石田先生の、検査検査で2時間追加コースを辛うじて逃れたはやては、ゼロ達と自宅に帰り着いていた。
今日は誰1人欠ける事無く全員で夕食を食べ、映画のDVDなどを観て盛り上っていた。
映画も見終わり、それぞれノンビリする。ヴィータなどははやてに寄り掛かって、スウスウ可愛らしい寝息を立てて熟睡していた。
ヴィータをシグナムに任せ、はやては『闇の書』を抱えて夜気が冷たい庭に車椅子をこぎ出した。何となく夜空を見たくなったのだ。
冬の澄んだ夜空を見上げると、宝石のような一面の星空が広がっている。はやては煌めく空を見上げながら『闇の書』に語り掛けていた。
「今夜も星が綺麗やな……あなたはずっと昔から生きてて、色んな星を見てきたんやろ……? この世界の星空はどないや……?」
はやての言葉に、『闇の書』は膝の上で応えるように僅かに動いて見せる。その背表紙を優しく撫でながら、
「なあ……私の中であなたの存在が少しず つ大きくなって来るのが判るんよ……段々…… 段々……1つになっていく気がしてる……」
『闇の書』ははやての膝の上で動かずにいる。黙って話を聞いているようだった。
「そやけどページは埋まってへんのにな……? 当たり前や……シグナム達と約束したからな……」
彼女は不思議そうだ。開いても白紙のままである。実は擬装スキンを施しているので、白紙に見えるだけなのを知らない。
はやては膝の上の『闇の書』に再び視線を向 ける。今日は妙に気になった。
「なあ……私はな……この脚も身体も別に治らんでもええんよ……と言うか、ゼロ兄や石田先生には悪いけど……治ると思ってない……」
哀しい諦観だった。現在の医学でも、異世界の超人でも治せない病気。八神はやてという少女は、自分に降り掛かるもの全てを受け入れるつもりなのだろう……
「そんなに長く生きられんでもええ……みんなが居らんかったら、私はどうせ独りぼっちやしな……」
少女は『闇の書』をしっかりと抱き、
「でも約束する……みんなが私を必要としている間は……それまで私絶対に、死んだり壊れたりせえへんで……これは絶対の約束や」
それは彼女の誓い。最期の誓い……
「私はあなたと、みんなのマスターやから……」
「じゃあ、はやては婆ちゃんになるまで死ねないな……」
不意にはやての頭に優しく手が乗せられ た。
「ゼロ兄……」
振り返ると、悲しそうな目をしたゼロが立っていた。今の独り言を聞かれたてしまい、決まりが悪いはやては俯いて無言になってしまう。ゼロはそんな少女の頭を慈しむように撫で、
「……みんなはやてが大好きなんだよ……1日でも長くはやてに生きていて欲しいに決まってるだろうが……」
ひどく悲しそうに言い聞かせる。はやてがおずおずと顔を上げると、ゼロは彼女をしっかりと抱き締めていた。
「ばか野郎っ……そんな事二度と言うんじゃねえっ!」
叱り付ける声が涙声になっていた。不器用な優しさが心に沁み渡る。
少女を抱く少年の姿は、今にも喪われようとしている者を繋ぎ止める為に、必死に足掻いているように見えた。
ゼロの温もりが、冷たい夜気に晒されるはやての身体を守る。
「……ごめんな……ゼロ兄……」
それはどちらの意味なのか。はやてはゼロの胸に顔を埋めてそっと呟いた。
「戻るか……」
「うん……」
ゼロは車椅子を静かに押して、家の中に向かう。はやては入る前に、もう一度静かに輝く星空を見上げた。
「……星の光は幾年遥か……今は遠き夜天の光……」
ポツリとそんな言葉を呟いていた。ごく自然に口を吐いて出た言葉……
聞いていたゼロは、その言葉が何かの引っ掛かりと共に、心に沁み入るように感じるのだった……
つづく
次回予告
遂にゼロの正体を確かめるべく、フェイトが行動を起こす。ゼロは果たして彼女の疑いを逸らす事が出来るだろうか?
次回『密談-クランディステン・ミーティング-』