かつてアムネシア・シンドロームという新種の奇病が世界中で蔓延した。
不治の病とされた謎の疾患から人類を救った若き医者がいた。
名をトワイス・H・ピースマン。
戦争を憎むために世界各地の戦場へ赴き、人命救助に尽力した勇気の人。最期は極東で起きたバイオテロに巻き込まれ、多数の犠牲者として息絶えた。
彼の功績は世間が称賛し、偉人として語り継がれることとなる。
その勇気は―自らもまたそうであったように―戦場で輝く人の強さに魅せられた狂気であると知られることのないままに。
人の可能性、人類の未来を信じた男の記憶を手に入れた写し身は、本来あるべき未来のために戦いを繰り返した。死んでもまた次があるNPCの性質を利用して幾多の闘争を経て完成した最強のマスターは、聖杯に触れられないがため、熾天の玉座で賛同者を待ち続けた。
全人類を戦場へ立たせよう――
種としての進化と繁栄をもたらすために――
全ての苦痛から解き放たれ、衆中を導かんとする彼は
だが、トワイスの悲願は打ち砕かれる。
ほんの戯れで月に踏み入った童女は、ムーンセルが自らに危険を及ぼすとして封印した最悪のサーヴァントを授けるほどに強力だった。
黙示録の獣は七騎の英霊を取り込み、聖杯が幾重にも課した枷を引きちぎった。最後に立ちはだかった覚者も獣によって取り込まれ、ここにサーヴァント・ビーストは完成する。
その後はトワイスに代わり歴代の優勝者たちを尽くに撃破、ムーンセルを掌握するに足りる域までビーストを育てた。
問題が発覚したのは、ビーストがムーンセルを取り込み終えた後だった。
聖杯は常に岸波白野が沙条愛歌に勝利する
より一人一人の生存率を下げるため聖杯戦争を聖杯大戦に変更してみた。その他にも様々な可能性を検証したが、ムーンセル・オートマトンが沙条愛歌の勝利を認めることは無かった。
その結果、愛歌は自ら用意した私兵をセラフへ送り込み、岸波白野を殺す存在として聖杯戦争に参加させるに至ったのだ。
沙条愛歌が直接勝つ必要はない。
岸波白野というバグを削除出来る人間がいると証明し、ムーンセルに観測させることが出来てしまえば、後はビーストに命じてその可能性を選択すればいいのだから。
そして、俺が岸波白野を殺したことで月の聖杯は完全に沙条愛歌の所有物となった。
ラスボスは主人公に勝てない。
それは全ての
「岸波白野の鏡写しも死んだわ。これでムーンセルは私のモノよ」
石柱のピラミッドから軽やかに舞い降りた愛歌はあどけない少女そのものだ。喜びのあまりにクルクルと踊る姿は妖精のように儚く、美しい。
薄緑色の衣服にあしらわれたフリルとブロンドの髪を揺らしながら、神となった少女は歓喜の躍りを舞い続ける。
これで全て終わった。
後はムーンセルから出るだけだ。
そう思ったとたんに重荷が無くなったのを感じ、次の瞬間にはこれまでの疲れがどっと押し寄せてきた。一休みしようと、トワイスが座っている石柱の反対側にどっかりと座る。
背もたれがないのは気に入らないが、こんなところで言うようなワガママでもない。
長く深い嘆息と共に空を見る。
「君は岸波白野が私の理想を素直に受け入れると思うかい?」
トワイスの問いかけに答えようとしたが、声を出すのも億劫なので肩をすくめるだけに留めた。それで満足したのか、青年は静かに頷いた。
「不確定の事象は語らない……君らしい答えだ。では君自身はどう思う? 今の人類の有様を」
ここでもまた問答か。何も得なかった俺が何かを得るための道しるべとなる、答えのない分岐点。どうせもうずぐムーンセルから去る身だ、この空間に囚われたままの男が投げかける問いの一つや二つ、答えてもバチは当たるまい。
「どうとも」
「それはまた何故?」
「どうでもいいからだ」
美沙夜には間違っても聞かせられないな、これは。
正直、そんな大それたことを考えた試しがないのも大きい。だが、そもそも人類の行きつく先を見たいと、これっぽっちも思わない。まあ、アイツなら上手くやるとは思うが……確かめるつもりはさらさらない。
俺の答えに満足したのか、それとも落胆したのか、それっきりトワイスは沈黙する。
俺もいつまでも立ち止まっているわけにはいかない。
本当のゴールまで進まなければ、終わりにはならないのだ。
「行くか、主よ」
「ああ。長い旅もこれで終わりだ」
「では最後の一時まで、そなたに付き従うとしよう。行きつく果てに何を見出すのか、我も見定めたい。故にどこまでも付き従おう」
どこまでも律儀なセミラミスが後に続く。
本人がそれでいいのなら、俺に止める権利はない。せめて、彼女の想いを裏切らないように努めるのが、マスターたる俺の義務なのだから。
どこまでも純粋なまま狂った少女が、俺が立ち上がったのに気付いて踊りを止めた。傷一つない裸足のまま水を跳ね散らしながらこちらに近づいてくる。
俺の前でちょこんとスカートの端をつまんで丁寧にお辞儀をすると、一枚の封筒を差し出してきた。
淡い水色の表に書かれた宛名は『南方 周様』とある。その文字は幼い外見に反して嫌に達筆で、不覚にも感心してしまった。
「それは狐狩りへの招待状よ。月の裏側でこれから悪趣味なお姉ちゃんと狩りをしに行くのだけれど、お兄ちゃんもどうかしら」
「……それは強制か」
「別に断ってもいいわ。あなたはちゃんと役目を果たしたのだから、これ以上私の楽しみに付き合う義務はないもの」
沙条愛歌は「面倒なら、いっそ破り捨ててもいいわよ」と言った。
警戒心もあるが、それ以上に今までに抱いたことのない程に強い興味がふつふつと湧いてきた。
もしも、俺の愉悦が俺自身の予想と異なるとしたら、それはどんな形なのだろう。
もしも予想と異なる可能性があるのなら、聖杯に頼らず自分で探してみるのも一興だ。
そして忙しくて今の今まですっかり忘れていた。表の聖杯戦争で発生した
俺にどこまでも付いていくと誓ってくれた彼女への、最初のお礼もしなければならないのだ。ならばこの誘いは実に好都合と言える。
横目でセミラミスにどうするか聞いてみると、妖艶な笑みが返ってきただけだ。
ならば答えは一つ。
「喜んで招待にあずからせてもらう。狐の肉に興味はないが、折角の機会でもある」
「そういう事だ。我も
「ええ、むしろ助かるわ。お兄ちゃんと性格のあいそうなサーヴァントを探すのは骨が折れそうだもの。手間が省けるのは歓迎よ」
自分から招待しておいて随分な言い草だが、俺もそれについては否定できなかった。
俺が受け取った招待状をアイテムストレージにしまうと、愛歌は軽快な足取りで石柱のピラミッドに登っていく。キャップストーンがないため人の立つ余裕がある頂点に着くと、少女は黄金に輝く小聖杯を取り出した。
「さあ、身の程知らずな狐たちを狩りつくしましょう。神様に喧嘩を売ったおバカさんは、みーんなみーんな殺しちゃうんだから」
少女の
それまで何らかの技術を用い気配を隠していたのだろう。突如として姿を現した日焼けした長身の女子が、巨大な石柱の影から歩み出る。傍らに侍るのは天馬を手繰る魔眼の美女の英霊がいる。
そして、聖杯の力で四騎もの英霊を召喚した愛歌が、天使のような声で宣言する。
「さあ、偽物を駆逐する時間よ……」
これから始まるのは、溺れる夜。
純粋無垢な狂気の渦に、全ての情念が呑まれ消えていく。
――to be continued……
これにてFate/EXTRA SSSの『EXTRA編』は完結しました。
無事にここまでエタることなく来れたのは、読者の皆様からの応援があってこそです。
感想、お気に入り登録、評価、UAという、この作品を見てくださっている証がどれだけ心の支えになったことか……。
約八ヶ月に及ぶ期間に渡り付き合ってくださった皆様、本当にありがとうございました。
用語集という名の設定集は要望があれば近日中に投下します。
そして物語は狂いゆく溺れる夜へ……。
元祖ラスボスとザビーズキラー二人によるお話はこれから執筆します。
Fateネタならなんでもありのトンデモ時空になりそうな気がしてますので、そこはご注意を。
それでは改めて、ありがとうございました。
続編も楽しみにしていただけることを祈っております。