並みいる強敵たちとの戦いの最後、聖杯戦争七回戦の初日がやって来た。
予選では死への恐怖から手を伸ばし、俺はセイバーに出会った。
それからもずっと、『生きたい』という単純な本能に突き動かされて歩き続けた。
記憶もなく、思想もないままに。
以後も頼りない足取りで手探りながらに聖杯を目指した。別れと出会いを繰り返し、数多の壁を乗り越えて、相手と全力でぶつかりながらここまで歩いてきた。
そしてついに、王聖を持った西欧財閥の次期盟主を打ち倒し、立ち塞がるのはただ一人。
黒衣の女魔術師を従える悪意の権化。何度となく脚を運んだ掲示板の前には、薄気味悪い影をまとった長身痩躯の魔術師が立っていた。
常に一対一の戦いに限定されたトライアルで、自分以外を等しく敵と認識し本物の戦争をしてきた異端中の異端。
最強の策略家が無表情にこちらを向いた。
「珍しく運がいい」
『マスター:南方 周
決戦場:七の月想海』
この掲示板もこれが最後の仕事だ。
最後の対戦相手、周はぎょろりと目を動かして掲示板を見た。考えの読み取れない仮面の奥に浮かぶ表情が恐ろしい。
「レオでなかったのは好都合だ。ガウェインの相手は骨が折れる」
どんなマスターでも同じことを思うだろう。ただ、周の場合は無感情でひどく冷静だった。あるがままに事象を捉えている
「ああ。彼は強かったよ――とても」
レオとガウェインは誰もが認める最強の主従だ。
だが南方周は実力不明のまま。具体的な能力は策略のみしか把握できていない。謎のベールに包まれたこの人物から少しでも情報を引き出す必要がある。
こうして対面しているだけで全身を締め上げる緊張感に襲われる。サー・ダンやユリウスのように積み重ねられた経験と実績から生じる風格でも、レオの放っていた王が持ちうる本物のカリスマとも違う。
そこにいるだけ、ただそれだけで周囲にプレッシャーを撒き散らす呪いの石像だ。
生まれついてそういう人間なのだろう、南方周という人物は。
「だろうな。最良のサーヴァントでも騎士王と並ぶ円卓の騎士ガウェインと、西欧財閥が技術の粋を結集して生み出した魔術師だ。負けるほうが難しい」
「ランスロットはどうだった」
「さぁな。いくらサーヴァントの実力が高いとしても、マスターが使い物にならない無能ではどうとも言えない」
自身の対戦相手だった沙条綾香に、周は辛辣ながら淡々とした声で評価を下す。 それまでに倒してきた他のマスターたちにもそんな調子なのだろう。
自己評価が低いからこそ、自分に負けた人間に対しての評価も総じて低い。態度は堂々としている割りに、性格は屈折しているのか?
いや、だからこそ罠を張り巡らせて相手を弱らせる戦術が主体になるのだ。
慎重さとは臆病さ。サーヴァントがキャスターという陣地防衛に特化したテクニカルな能力と、石橋を叩いて渡る性格が合わさった強敵だ。
「キャスターでないのは残念だが、まぁいい。そちらのセイバーが普通でないのは知っているしな」
適当な口ぶりで、こちらを見ることなく放たれた呟き。まるでセイバーの真名を知っていると言わんばかりの台詞だが、周なら普通に思える。
「歴代のローマ皇帝でも最悪の暴君と言えば聞こえはいいが、それだけだ。バーサーカーなら危なかった」
「俺もアサシンが相手じゃなくて助かったよ」
「誰だってそうだ。ユリウスを潰してくれたのは感謝している」
そのユリウスに一矢報いたお前が言うのか。
李氏八極拳の開祖、中華武術の達人である李書文を利用してセイバーと俺の魔力経路を分断した『
これまでのことを思い返してみれば、いつも周の影がちらついていた。
時に味方として、またある時は脅威として。
――そうか。周はこれが狙いか。
自分より弱いマスターを生かすために、わざわざ手の込んだ真似をしてきたんだ。
「じゃあな。最期の挨拶は済ませておけよ」
自分が勝つと宣言して、周は階段を降りていった。
ならば嘘と謀略の王よ、勝負だ。俺はお前に勝つ。お前に勝って、俺は聖杯を手に入れる。悲願も大望もない空っぽの悪魔に、今さら負けるわけにはいかない。
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アリーナで美沙夜に改造させたフラットの拳銃を装備する。装填されているのは、黒魔術に長けた玲瓏館家の粋を集めさせた最高の礼装――あるヒットマンの愛銃と死霊魔術師のショットガンに着想を得た必中の弾丸だ。
拳銃そのものは小型化、使用に必要な魔力負担は微増したが問題はない。弾そのものにも少し細工してあるので対策は完璧だ。
「あの小娘は……、玲瓏館はどうするつもりか」
エネミーを銃撃している俺にセミラミスが問う。
薄暗いアリーナで、薄ら暗いマスターとサーヴァントが一組。話題は不吉で、空気は重い。
「取引は絶対だ。それに、散々アサシンたちの魔力源として酷使した。その報酬に……というのでは不満か?」
「うむ。そなたは魔術師ではない……。堕天することの意味が通じぬのも道理か」
「知ったところで、どうにもならないしな。そうだ、どうせ殺すならもっと面白い奴がいるじゃないか」
岸波白野が有する不屈の源。ガウェイン撃破における最大の貢献を果たしたもう一人の
「城を落とすにはまず堀からだ。東照権現の知恵を拝借するとしよう」
「城攻めの基本じゃな。ずいぶんと呑気にしておるが急がずともよいのか? マスターよ」
ムーンセルの最深部、事象選択樹がそびえ立つ全ての機能を集約された中枢。その根本で事の完了を待ちわびる少女が起きていれば、初手はしくじるまい。
セミラミスには済まないが、玲瓏館美沙夜は俺にとって貴重な魔力タンクだ。この貴重な人材を失うのはあまりにも痛い。
それに、アサシンたちとの約束もある。
背後から刺されるのは勘弁願いたい。
「大丈夫だ。探索を終えてから監督役にアリーナへのハッキングに対する処罰を要請すればいい」
「なるほどな。自ら嬲り殺しを選ぶとは……。一回戦の頃のそなたが聞けばさぞ驚くぞ」
……言われてみればそうかもしれない。
その気になれば、ハサン・サッバーハたちに命じて校舎の中で白野を仕留められるはずだ。それをしないのは、自分の意思で白野を殺したいと、そう思っているからなのか。
俺すらも気づかなかった自分の変化を指摘したセミラミスに微笑みかけて、
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岸波白野と共闘関係にあるレジスタンスの少女、遠坂凛が懸念しているのは、彼が複数のサーヴァントと契約していることを口外できないことだった。
南方周が遠坂凛に攻撃しない代わり、遠坂凛は如何なる手段においても、南方周が契約したサーヴァントの情報を誰にも知らせないと記された
四回戦の前に行われた『
やり方は気に食わないが、かつて地上で行われていた聖杯戦争に倣った狡猾で、用心深いところは評価できる。
(……彼はうかつなのに、一番ヤバい情報を教えられないなんて……)
白野がラニ=Ⅷ、沙条綾香、レオ・ビスタリオ・ハーウェイからそれぞれ託された
あれは間違いなく、あの黒衣のサーヴァントの宝具。固有結界に限りなく近い性能を有しているのは明らかだった。
図書室で必死に対抗策を探す凛だが、南方周が契約したサーヴァントたちに弱点らしい弱点がないことだけしか判明しなかった。
中東の伝説にある暗殺教団の頭目『
「ああもう、あの蛇男、レオよりずっと厄介じゃないの! どうなってんのよ!」
山積みになった本に埋もれそうな凛は怒鳴って机に突っ伏す。調べたことを全部記録しながらなので効率も悪い。
おまけに期限は六日間。一日目も既に残りわずか。刻々と迫るタイムリミットが凛の焦りを強める。
「……魔物、ねぇ。レオの奴もあれで甘いとこがあるじゃない」
「全くだな。レオ・ハーウェイが人の王ならば、南方周はさしずめ魔の王か。言い得て妙だ」
血色の陽射しが照らす図書室に響く重低音。深みのある男性の皮肉めいた声に凛は顔を上げる。
机を挟んだ向かい側で、黒のカソックに身を包んだ長身の神父、監督役AIである言峰神父がいつもと変わらない冷笑を浮かべていた。
「イレギュラーを許さないムーンセルの管理下で、度重なる違法行為を繰り返したのは拙かったな。――遠坂凛」
一目見ただけで背中に悪寒が走るその笑みが自分に向けられていると理解した凛は反応が遅れた。
いや、遅れようと遅れまいと結果は変わらない。
魔王・南方周の策略、その一は無事に成功した。
難攻不落を誇る城の天守閣を落とすための第一手は、二重に張り巡らされた堀の破壊。
かつて東照権現が大坂城攻略で行った計を真似た、心理攻撃である。
愉悦部に入った周くん、牙を向くの巻。
七回戦一日目でいきなりこれですよ。
この先どうなるんでしょうかね。
EXTRAはセミラミスルート確定です。
CCCでは修羅場にしようかなぁと思索中。とりあえず弓を使うアーチャーたちに出番をあげたい。あとアサシン無双したい。
次回は一日目の夜から。
感想、評価ともどもお待ちしております。