凛にかまけていたのはまずかった。ランサーを従えていればあの女も脅威だったが、頭がパンクして警戒すべき相手を見誤ったらしい。
セミラミスの宝具で展開された大神殿クラスの工房にユリウスが忍び込んだと聞かされて、ようやく自分の判断ミスに気がついた。スパルタクスを退かせることになるが、こればかりは致し方ない。宝具の展開を止めて、凛は片隅に放置しておく。
さっさとレオのいる体育館へ退却しようと弓道場から出たところで、まさかユリウスと鉢合わせするのは予想できなかった。
先手はユリウスだったが、素早く接近したもののセミラミスの展開した障壁に阻まれて立ち止まる。
「頭が高いぞ下郎。地を這う虫けら風情がその眼で我を見るなど、罪深いにもほどがあろう」
忌々しげにこちらを睨む黒衣の蠍へ、セミラミスは勝ち誇った顔で嘲笑を投げつける。一目でユリウスの境遇を―多少なりと―読み取ったのだろう。
今すぐにでもここから逃げ出したいのに、どうして挑発なんて真似をしてくれたのか。そういうのが好きなのは知っていたが、まさかこれほどとは……。
我がサーヴァントながら実に恐ろしい。もう少し空気と相手と彼我の戦力差を考えてから発言をしてもらいたいものだ。トバッチリが来るのは全部俺だというのに。
「ふん、やはり腐ってもキャスターか。……侮りすぎたな」
ユリウスの台詞から察するに、李書文は連れていないらしい。俺もそろそろゲームに加わりたいし、このまま退散してもらいたい。
アイコンタクトでどうにかするようセミラミスに頼んでみると、意外にも乗り気な笑顔が帰ってきた。
何をするつもりかは知らないが、ここは自分のサーヴァントを信じる他にない。俺は黙ってユリウスを見ているだけの状態を継続する。
魔術の詠唱より素早く動ける自信があるのか、暗殺者は退こうとせずにナイフを投擲した。俺は何一つとして抵抗できず、思わず身構えてしまう。
好都合にも三本のナイフ自体は再展開された障壁が全て防いだが、チートじみた機動でジグザグに走った黒蠍の毒針がセミラミスの左脇腹を貫いた。
「――――な」
サーヴァントを傷つけるほどの手刀もさることながら、それで血を流してしまう耐久も目を見張らずにはいられない。
俺は驚嘆の声を漏らしてしまったが、アサシンもキャスターも筋力と耐久が低いのが普通だ。
そもそもこのアサシン、耐久パラメータが最低値のEである。
凛は嗜んだ程度の八極拳でメディアに僅かながらダメージを与えていたが、そうか。耐久がさらに低いセミラミスに百戦錬磨のユリウスが打ち込めばこうなるのか……。
俺は急いで回復アイテムを使おうとしたが、エーテルを手にした次点で、今がそのタイミングではないことに気づいた。。
セミラミスの脇腹から溢れ出る鮮血が黒いのだ。
不自然を通り越して恐怖でしかないそれに触れたユリウスは慌てて腕を引くが、時既に遅し。コートの袖と手袋の隙間から血が皮膚に付着した瞬間、元から優れない奴の顔色がさらに蒼白となった。
「貴様……血液が毒そのもの、なのか!?」
「考えるまでも無かろう。ああ、案ずるな。その毒は速効性に欠いておるのだ」
額から頬、そのまま顎から地面へ滴り落ちる大粒の汗を拭いもせず、ユリウスは右腕を抑え付ける。呼吸はみるみる内に荒くなり、同じリズムで肩を上下させる。
セミラミスも重傷のようなのだが、俺から大量に魔力を持っていくことで無理矢理に回復速度を上げている。同時に霊体化してくれたのはありがたい。
毒の性質については俺も存じ上げないが、吐血や幻覚の類いがないらしい辺り、セミラミスの言葉通り、遅効性のようだ。
青息吐息のユリウスは激しい憎悪の目で俺を睨み、どこぞへと転移した。
脅威が去った俺はセミラミスに傷の具合を確かめる。
『えらく出血してたけど、大丈夫なのか?』
『傷は塞がりそうだが、応急処置程度にしか治りそうにない。血液など二の次三の次よ』
ふむ……。一瞬立ち眩みがするレベルの魔力を搾り取っておきながら、まだ足りないのか。ユリウスにダメージを与えたのは良かったが、こちらのダメージも決して軽くはないぞ。
いやはや、いつものことながら面倒なことになった。エーテルは望み薄、俺も大した治癒魔術は使えない。
これからどうしようかと頭脳をフル回転させて打開策を練る。
折しも生徒会役員らしき少女――黒服に赤い腕章が特徴のポニーテール――とすれ違った瞬間、俺は妙案を閃いた。
思いついたら即行動。振り返りながら刀を鞘から引き抜き、全力で少女の膝裏を切り裂く。
「なっ!?」
突然左足から力が抜けた少女は勢いよく地面に倒れ込む。困惑している間に俺は少女の背中を踏みつけて、両肱に刃を突き立てる。
「は!? な、何を――――!?」
血溜まりに浮かぶ身体をよじり抵抗するので足を上げ、その足で何度も腹を蹴って少女をうつ伏せから仰向けにしておく。
「さあ、こいつの血でも肉でも食べれば魔力の足しになるんだろう?」
俺の言葉に爆笑するセミラミス。いつも以上に蒼白い肌だが、むしろ色気の増した女帝は実体化して俺を見る。
彼女も彼女で何か閃いたらしく、好奇心をそそられる笑みに口許を歪めた。
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スパルタクスが退却すると同時にエリザベート討伐が再開したのだが、今度はマスターまで姿をくらましてしまい隠れんぼ大会と化していた。
サーヴァント、マスターともども疲弊しており、魔力の残量が尽きそうになりながらも探索を行っている。ランスロットのマスター、沙条綾香を監視する玲瓏館美沙夜とハサン・サッバーハたちは行動を開始する。
『よろしいので? 周殿は個室にて待機するよう厳命しておられたはず』
「構わないわ。私と彼はイーブン、命令に忠実である必要があると思って?」
『……ではご命令を。有力な一組を討ち取れば、周殿とてお怒りにはならぬでしょう』
教会の屋上に陣取った美沙夜へハサンの一人であるシャーミレが指示を求める。
美沙夜とて、貧弱なアサシンとマスター権を持たない自分でどこまで立ち回れるかの確証はなかった。しかし、あの魔術師としても男としても最底辺に限りなく近い人間に全てを委ねるのはプライドが許さなかった。
エベレストより高く、マリアナ海溝より深淵な彼女の自尊心が良しとしない以上、高見の見物などあり得ないのだ。
理性なき怪物を討ち取るべく、美沙夜は新たな剣を手に立ち上がる。虚空にて嗤う数多の白貌と共に、最後の一組が戦場に踏み込む。
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「レオ、よろしいのですか? バーサーカーの討伐は芳しく無いようですが」
体育館でゲームの様子を静かに見守るレオの傍らで、ガウェインがそっと尋ねる。
白騎士の言う通り、エリザベート討伐に参加したマスターが少ない上に、一部は参加者にまで牙を向いている始末だ。現にモードレッドとジークフリートのマスターはアサシンに殺害されている。
聖杯戦争が滞っている現状にあっても静観を貫く主君に、その本心を問うたのだ。
穏やかな目でスクリーンに映されたゲーム参加者と討伐対象の一覧を眺める赤衣の王は、従者の疑問に対して真摯に答える。
「貴方の気持ちは分かります。しかし、それ以上に僕は
「岸波白野と南方周ですね」
「ええ。最弱のマスターでありながら並みいる強敵にも屈しない白野さんと、凡庸な人間には持ち得ない頭脳で勝利をもぎ取る周さん……。彼らの底力を知りたいと思ってしまいまして」
「レオ、彼らもまたある種の怪物です。異形の狂気が運よく別の形で現れているに過ぎません、ましてや王となる貴方が気にかけるべき相手では無いのです」
ガウェインは彼らとは距離を置くべきだと言う。
それは正しい考えだ。
白野が抱える愚直さと、周の閉鎖性は常軌を逸している。
だが、あの二人は良くも悪くもレオの知らない人間なのだ。人を支配するのに、未知の人種がいては具合が悪い。配下の限界を知り、性質を識らなければ王になれないのは必定。
故に
狂気を理解し、手ずから支配するために。
だからこそ、これしきのゲームに手を出す訳にはいかない。彼らの底を覗くには、まだまだ足りないくらいである。
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行方を眩ましたバーサーカーを探索する沙条綾香は、ランスロットの実体化に消費した魔力を回復アイテムで無理矢理に補っている始末だった。
英霊としては最上級のサーヴァントともなれば、実体化だけでも相当の負荷になる。彼女の剣は騎士王の左腕にして、円卓一の剣技を誇る武人でもある。
長時間の魔力供給が祟り肉体が悲鳴を上げ始めていたのだ。相手が竜の因子を持っているからと、対ドラゴン用とも言うべき裏切りの魔剣を宝具とするランスロット卿の反対を押し切ったのだが、今や引き際を見極める時であった。
「我が主よ、これ以上の戦闘に貴女の身が耐えられません。ここは退くべきです」
「……こ、ここまで来て……」
綾香の躊躇いは正しい。
ランスロットにしても、マスターの実力はさておき、拷問の逸話しか持たない地方領主に技量で劣るとは考えていない。短期決戦に持ち込めば確実に勝てると踏んでいたのだ。
その予想を崩したのがスパルタクスの暴走である。
宝具の最大火力が最悪、敷地内の全てを消し飛ばす魔力の暴風ともなればやむを得なかったとは言え、明らかに余計な魔力を消費したことは認めざるを得ない。
体育倉庫の付近は木々が生い茂り、ちょっとした林になっている。
疲労困憊した綾香は手頃な木にもたれかかり、大きく息をついた。染み一つない額には脂汗が浮かび、黒いストッキングに覆われた脚は震えている。
今にも倒れそうな綾香の身体をランスロットが支え、そっと草むらの上に座らせる。
「四回戦が正式に始まっていない以上、無理は禁物です。対戦相手が誰であろうと万全を尽くせるよう備えるのも大切なことではありませんか?」
兜を脱いだ黒騎士は息も絶え絶えになっているマスターに退却を促す。
ランスロットの言葉にある通り、聖杯戦争四回戦はまだ対戦相手が発表されていない。まだ三回戦が終わっただけの段階で極端に消耗しては、この先勝てる相手にも勝てなくなる。
取り返しがつかなくなる前に離脱し、四回戦に備えるべきという彼の進言を綾香も受け入れ、重々しく首を立てに振る。
その時、微かながら遠くから風を切るがランスロットの耳に届き、振り返ろうとした瞬間――甲冑もろとも右肩を鋭い衝撃が突き抜けた。
四回戦は全体でもかなり話が複雑なのですが、これが周の暗躍パートを締め括る意味いもあります。
偶然が重なりあって面倒なことになってきましたが、今しばらく私の妄想にお付き合いの程をお願いいたします。
感想、評価ともどもお待ちしております。
ついでに、活動報告にてCCCに追加登場させるサーヴァントを募集する予定ですので、そちらもご覧ください。