ブラック・ブレット『漆黒の剣』   作:炎狼

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第六十五話

 黒崎民間警備会社の事務所では面接が行われていた。

 

 事務所には凛達の姿はなく、あるのは社長である零子と、彼女の相棒である夏世だ。

 

 二人の前には黒いスーツを身に纏い、やや無精ひげを伸ばした男性、大神樹の姿がある。彼は数日前に凛の母、珠が紹介したフリーの民警である。大阪エリアから出稼ぎに来たらしいが、雇ってくれるところがないので路頭に迷っていて、断風家の塀の外で倒れていたらしい。

 

「えっと、大神樹くん。大阪エリアではフリーの民警として活動。決まったイニシエーターはなし……それでも序列一〇一〇位ってのはすごいわね。結構ガストレアを駆逐したでしょう?」

 

「せやな。このフェンリルやら使うて倒したで。ステージⅣも相手したことがあるんや」

 

「なるほどね……」

 

 零子は「フム」と唇に手を当てる。

 

 履歴書に目を通したところ特に怪しいところは見受けられないし、性格も問題はなさそうである。

 

 ……IISOに問い合わせて交戦履歴を確認したけど、偽りはなしか。

 

 質問に対して彼が答えたことと、隣の夏世が開いているノートパソコンのディスプレイを見やって見比べる。

 

 ディスプレイには樹のデータが表示されている。昨日のうちにIISOからリークしてもらった資料だ。

 

 しばらく無言のままでいると、樹が若干緊張した声音で問うてきた。

 

「黒崎社長、もっかい聞きたいんやけど、ホンマに敬語やなくてええんか?」

 

「そのあたりは構わないわ。言葉遣いなんて瑣末なことだし。それに下手に敬語で話されるよりは、ラフに話してもらった方がその人の本質が分かるってね」

 

 樹も最初事務所に入ってきた時は敬語だったのだが、妙にぎこちなかったので、零子は標準語で構わないと言ったのだ。

 

 まぁ普通の就職ではありえないだろうが、ここでは零子の好きで決められる。社長特権様様である。

 

「さてと、もう二、三質問をしていくわね。その後は、この子からも質問があるから」

 

「この子って、そこの?」

 

「千寿夏世と言います。よろしくお願いします、大神さん」

 

 夏世はぺこりと頭を下げ、樹もそれにつられるように軽く会釈した。

 

 今回、なぜ夏世を同伴させて質問をさせるかと言うと、樹が火垂に相応しいプロモーターかどうか見極めるためだ。

 

 夏世と火垂はあの事件以後、妙に気があったらしく、二人で話しているところをよく見かけるようになった。二人とも余りしゃべるほうではないので、うまがあったのだろう。

 

 そんな彼女であるからこそ、今回の見極めには重要なのだ。親友の夏世が、火垂と組むかもしれないプロモーターを見極めれば、火垂が必要以上に傷つく可能性もなくなるだろう。

 

 ……とは言っても、最終的には本人がどう判断するかなんだけどね。

 

 零子は、今頃天童民間警備会社に顔を出している凛達を思い浮かべながら、内心で溜息をつく。が、今は目の前の青年の面接に集中しなくては。

 

「それじゃあ幾つか質問するわね」

 

 

 

 

「嫌よ」

 

 きっぱりとした拒絶の声が天童民間警備会社の事務所内に響いた。

 

 声の主はややツリ目がちで、栗毛をショートボブに整えた少女、紅露火垂だ。彼女はキュッと拳を握ってソファの上に座っている。

 

 表情にはかすかな怒りと、苦悩の色が見えている。

 

 彼女の前には神妙な面持ちの凛がテーブルを挟んだソファに座っている。

 

 背後には蓮太郎に延珠、摩那がおり、事務所の入り口付近の壁には凍に桜、焔に翠がそれぞれ壁に背中を預けていた。木更とティナの近くには杏夏と、美冬がいる。

 

 今日、凛達が来たのは火垂に、新たに組む予定のプロモーターのことを話すためだ。

 

 しかし、話したはいいものの、火垂から返ってきたのは拒絶だ。

 

 恐らく、いいや、間違いなく、彼女の拒絶には前プロモーターである、水原鬼八が関わっている。

 

 確かに、彼女の拒絶もわからないでもない。ずっと一緒にいると思っていた鬼八を殺され、一人ぼっちになってしまったのだ、数週間が経過した今でも心の傷が癒えないのは当然だ。

 

 大人ならまだしも、彼女はまだ十歳になったばかりの少女なのだから、傷を癒すにはまだ時間が必要だろう。

 

 そこに「新しいプロモーター候補が出来たから組まないか?」と申し出れば、拒絶するのは明白だった。

 

「けど、火垂。いつまでも俺たちのところに居られるわけじゃないんだぞ。今でさえ聖天子様の計らいで、なんとかIISOから見逃してもらってるだけで、いずれは強制送還されちまう。それに、薬も配給されなくなるんだぞ?」

 

「そんなことは分かってるわ。蓮太郎。でも、私は鬼八さん以外をプロモーターとして認めたくないのよ」

 

「でも火垂……」

 

「そんな目で見ないでよ、摩那。決して貴女達の申し出が嫌なわけじゃないわ。私を心配してくれてるって言うのも充分理解出来てるの。でも……」

 

 火垂は首から下がっている懐中時計を握り締める。あの時計は鬼八が火垂の誕生日のために用意したものだ。だが、彼はその前に五翔会に殺害されてしまったが……。

 

「わかった。こっちも急な話だったからね。ゴメンよ、火垂ちゃん」

 

 凛は立ち上がり、出口へ足を向ける。ドアノブをまわして出て行くときに、軽く蓮太郎達に手を振り、彼はそのまま出て行った。それに摩那達が続いて出て行った。

 

 

 

 天童民間警備会社から出た凛達は、少し行った所にあるファミリーレストランに立ち寄った。それぞれが適当な料理を注文したが、なんともいえない空気が漂う。

 

 数分後、注文した料理がそれぞれの前に置かれ、皆食べ始めるが、そこで、杏夏が箸を置いて声を漏らした。

 

「やっぱり、そう簡単に気持ちは切り替えられませんよね。火垂ちゃん……」

 

「頭では理解していても、心が追いつかないのだろう。まぁあの歳の子に大人な対応を求める方がおかしいとは思うが」

 

「でもさぁ、凍姉。このまま行ったら火垂だって……」

 

 焔が顔を俯かせる。それにつられ、それぞれが小さく溜息をついた。

 

 皆、このままではいけないと理解している。

 

 けれども時間がないのだ。先ほど蓮太郎が言っていたが、火垂が今、蓮太郎の下にいられるのは聖天子の計らいで、IISOからの干渉を抑えているからだ。

 

 とはいっても、期間は永遠ではない。IISOが要求した期間は、二ヶ月以内だ。つまり、二ヶ月以内に火垂がプロモーターと組まなければ、彼女はIISOの施設に強制送還される。

 

 そうなれば、もうこちらから干渉するのは不可能だ。プロモーターの中には非人道的な輩も多い。火垂ならそんな連中などすぐに逃げ出せそうなものだが、これ以上彼女の心を傷つけるわけにはいかない。

 

「ねぇねぇ。凛はどうしようと思ってるの? さっさと出てきちゃったけど」

 

「この問題ばかりは僕達にはどうしようもないからね。火垂ちゃんと、彼女のプロモーター候補の大神さんの問題だ。それにあの場にずっといたとしても、火垂ちゃんは結論を出せないだろうから、早めに切り上げたんだよ」

 

「大神さんといえば、そろそろ面接も終わった頃でしょうか?」

 

 翠が問うた所で、全員のスマホが鳴った。それぞれがディスプレイを見ると、無料トーク用のアプリのメッセージが送信されたところだった。

 

 ディスプレイには「採用。全員戻ってくるように」とあった。どうやら面接に来た狼樹は、合格したようだ。

 

「とりあえず、火垂ちゃんのことは保留にしよう。今は事務所に戻って、大神さんに自己紹介をしないと」

 

 凛の言葉に全員が頷き、食べかけだった料理を平らげ、黒崎民間警備会社へと戻った。

 

 

 

 

 

「と言うわけで、今日からうちで働いてもらうこととなった大神樹くんだ。皆、仲良くするように」

 

 事務所に戻ると、開口一番零子が皆につげ、彼女に続いて件の樹が凛達に対してラフな感じで挨拶をした。

 

「大神樹や。よろしゅうな。えっと、かるく自己紹介しとくと、好きな食べモンとかは特にナシ、うまければなんでもええわ。趣味はバイクで、整備とかも得意やな。IP序列は一〇一〇位、武器は主にこのフェンリルと、銃やな。……こんなもんでええか?」

 

 樹は担いでいる巨大な盾と、格納されている銃を見せながら首をかしげた。すると、杏夏が一歩前に出て、右手を差し出した。

 

「初めまして、大神さん。春咲杏夏です。これからよろしくお願いします」

 

 彼女が笑顔で言うと、樹もそれに微笑を浮かべて握手を交わす。その後、杏夏が一通りの自己紹介を終え、今度は美冬が自己紹介に入った。

 

 そのままそれぞれ自己紹介が進み、最終的に凛の番になった時、樹は凛を指差して言った。

 

「お前さんが、凛か」

 

「はい。母と祖母から聞きましたか。大神さん」

 

「ああ。二人にはホンマ世話んなってもうたからな。今度埋め合わせさせてもらうわ。しっかし……ふむ……」

 

 彼は顎に指を当てると、凛のことを足先から頭までじっくりと観察してきた。

 

「なにか?」

 

「いんや、もうちょい背ぇが小さいかとも思っとったんやけど、案外でかいんやなぁ思うてな。まぁこれから一緒に闘っていくもん同士、仲ようしたってや」

 

「こちらこそ。よろしくお願いします」

 

 握手を交わしたところで、全員が自己紹介を終えた。

 

「よし。全員終えたようだな。では、これから皆に話すことがある」

 

 零子が椅子から立ち上がってこちらを見たが、「あっ、忘れとった」と樹が声を上げた。

 

「皆、ワイのことは大神さんやのうて、樹でええからな。そんだけや、途中で切ってすまんかった、社長」

 

「構わないさ。では、本題に入るぞ」

 

 彼女の声質が若干低くなった。

 

 こういうときの零子は、何かしら重大な発表をするときだ。

 

 樹もそれを感じ取ったのか、表情に真剣みが帯びてきている。

 

 果たしてどれだけ重要なことを発表されるのか。高難度の任務の通達か、はたまた要人の警護か……。

 

 全員が気を引き締めて事務所全体に緊張の糸が張り巡らされたところで、ついに零子が告げた。

 

「事務所を引っ越すぞ」

 

 瞬間、なにかがプツンと切れた音が聞こえたような気がした。同時に、全員が膝から力が抜けたようにずっこけてしまった。

 

「うん? どうした、皆」

 

 零子は少しばかり首を傾けた。

 

 その場にいた全員が彼女にツッコミを入れようと考えたが、誰よりも早く、樹が立ち上がった。

 

「引っ越しぐらいにそんな緊張感もたせんなやっ!」

 

「おー、さすが関西出身。見事なツッコミだ」

 

「いや、関西人やのうても、今のは普通にツッコミいれるわ!」

 

 樹の声に内心で頷くと、零子に問いを投げかける。

 

「まぁツッコミどうこうはともかくとして、随分と急ですね」

 

「焔ちゃんが事務所に入ってから少々手狭になってきたからな。ちょうど樹くんも入ったことだし、いい頃合だと思ってな。なので今日は荷造りをする。荷物を動かすのは明日の朝から始める。それぞれ私物をここに用意してあるダンボールに詰めておくこと。樹くんは私物がないので、棚に入っているファイルなどを詰めてくれ。子供達は詰め終わったダンボールにガムテープを貼って封をするように。では、荷造り開始」

 

 パンッと零子は両手を叩いて開始の合図を告げると、凛もそれに従い、ダンボールを持ってデスクに置いてあるものを詰め始めた。

 

 とは言っても、凛の私物はあまり多くはない。デスクの上には、暇つぶしのために置いてある小説やら、ライトノベルが数冊。四つある引き出しの一番上には筆記用具など、二段目にはノートパソコンや、マウスなどの周辺器材があるだけだ。では、その三つ目と五つ目の引き出しはと言うと……。

 

「摩那ー。引き出しに入ってるアニメのグッズとか、お菓子類はどうするー?」

 

「あ、待って待ってー」

 

 呼ばれた摩那がとことこと駆けてきた。

 

 そう、凛のデスクの下半分は、摩那の私物入れとなっている。とは言っても、彼女の場合、食べ切れなかったお菓子や、新しく買ってきたお菓子、大好きなアニメである天誅ガールズのグッズ、あとは携帯ゲーム機の充電器が収納されている。

 

「あー、食べかけのお菓子はいらないや。新しいお菓子とゲームの充電器と、天誅ガールズのグッズだけは凛のダンボールに一緒に入れておいて」

 

「わかった。じゃあ後はこっちで纏めるから、持ち場に戻っていいよ」

 

「りょーかい!」

 

 摩那は軽く敬礼をして戻って行った。

 

 そんな彼女の姿に微笑を浮かべると、

 

「ずいぶんと仲ええな、凛」

 

 見ると、ファイルをダンボールに詰め終えて、子供達の下に運ぼうとしている樹がいた。

 

「摩那とは、もう長い間一緒に過ごしてますからね。歳の離れた妹みたいな感じです」

 

「ん? 摩那はIISOから派遣されたんやないんか?」

 

「ええ。あの子はウチで育った子です。赤ん坊の頃から知ってますよ」

 

 自分の私物を詰め終わり、摩那の私物を詰めながら言うと、樹がポカンとした顔をしていた。

 

「どうかしましたか?」

 

「……いんや、辛くないんかな思うてな。そんな、妹みたいな摩那がイニシエーターとしてガストレアと戦うなんてってな」

 

「辛い事は辛いですよ。最初は反対しましたし、今だって出来れば摩那には闘ってほしくありません。いえ、これは全てのイニシエーターの少女に共通することですが。彼女達には静かに暮らして欲しい。これが本音です」

 

「せやったらなんで、摩那に戦わせとるんや?」

 

 樹の声音はやや低かった。それだけこの問いかけには真剣な思いが込められているのだろう。

 

「摩那を戦わせている。これ自体は否定しません。闘わせたくないのに闘わせている、明らかに矛盾しています。けれど、イニシエーターになる道は、摩那自身が選んだことです。その道を僕に邪魔する権利があるでしょうか?」

 

「……」

 

「僕はないと思っています。どういう形であれ、あの子は自分の道を自分で決めた。だったら、その道を最大限サポートするのが僕の役目であり、責務です。……まぁ殆どいいわけですけどね。本当に闘わせたくないなら、ずっと実家に押し留めていればいいわけですし」

 

「せやな。確かに言い訳や」

 

「そういった言葉をかけられるのは覚悟していました。けれど、もし摩那の道を阻んでしまったら、それは彼女自身のことを否定すると同じだと僕は考えています。人々に否定され、社会に否定され、世界そのものに否定された彼女達を、これ以上否定してはいけないと思っています」

 

 私物を全て詰め終え、ダンボールを持ち上げた凛は、樹を真っ直ぐに見据えた。

 

 端から見れば、何を言っているのやらと思われるだろう。だが、たとえそうであったとしても、凛は自分の考えを曲げるつもりはない。彼女達のことは否定しない、いいや、否定してはいけないのだ。

 

「なるほどなぁ。まぁええんやないの? ワイもそういう風に自分の考えを持っとる奴は、嫌いやないで」

 

「ありがとうございます」

 

 苦笑いを浮かべながら返答すると、背後から「そこの男子二人さぼるなー」と零子に叱られてしまった。

 

 その後、デスクやソファなどの荷物以外の事務所内の荷物を全てダンボールに詰め終わると、空は既に夕焼けと夜が交わったところだった。

 

 

 

 引越しの準備を終えた黒崎民間警備会社の三階。従業員のための宿泊室の布団に寝転がった樹は、気の抜けた息を漏らした。

 

「いやぁ~……久々の布団や~」

 

 大きく伸びをして背骨を伸ばす。

 

「やっぱ日本人は布団やなぁ」

 

 樹は緩んだ表情を浮かべてゴロゴロと布団の上を転がる。

 

 東京エリアに来てからというもの、まともな生活が出来たのは最初だけだった。なので、再びこういったやわらかい布団で眠れるというのは嬉しいものがある。

 

 やがて転がることをやめた樹は、仰向けになった後、跳ねるように起き上がって、懐からタバコを出しつつ、窓をあける。

 

 まだまだ残暑は厳しく、ムッとした熱帯夜独特の熱気が来るが、夏真っ盛りの時と比べれば、幾分か風が涼しくなっている。

 

 慣れた手順でタバコに火をつけ、口に咥える。

 

 ぼーっと眼下に広がる東京エリアの夜景を見つめていると、脳裏に昼間、凛が言っていたことが浮かび上がってきた。

 

「……子供達のことを否定しない、か……。眩しいこと言いよるなぁ、アイツ」

 

 彼の言うとおり、『呪われた子供たち』は世界に否定され続けてきた。だからこそ、凛は彼女達を受け入れているのだろう。一人でも多くの少女達の心と身体をこれ以上傷つけないために。

 

 凛は摩那がイニシエーターになると言った時、最初は反対したと言った。が、彼はその時気が付いたのだろう。彼女の言葉さえも否定してしまえば、それは子供たち全てのことを否定してしまうのではないかと言うことに。

 

「けど、アイツの生き方はなんちゅうか、あぶなっかしいなぁ」

 

 あの考えを持つ凛の生き方は、呪われた子供たちの事情を知っているものからすれば、尊敬できるものだとは思う。しかし、それはあくまでごく一部の、限られた人間にしか受け入れられない生き方だ。一歩間違えれば、彼はこの世界に存在する全ての人間を敵に回すだろう。

 

 いわば彼は己の人生をかけた綱渡りをしている状態だ。少しでも揺らげば、たちまちに全てが敵になる。

 

 だが、そんな状況下であっても、彼は決して揺らいでいない。

 

 ここまで来るともはや狂気の沙汰である。

 

 断風凛という青年は一見すると、常識人で誠実である言葉がしっくり来るだろう。けれどもその実、彼ほど狂った人間はいない。

 

「ワイもそれなりにイカレた人間を見てきたけど、あそこまでぶっ飛んでいるとは……」

 

 紫煙を深く吸い、長く吐き出す。

 

「ワイよりも年下やろうに、ホンマ、難儀なやっちゃで」

 

 零子から渡された灰皿にグリグリとタバコを押し付けて火を消し、窓を閉める。

 

 そしてエアコンを調節し、歯を磨いてから眠ろうとした時だった。

 

 不意に部屋の扉がノックされ、聞き覚えのある声が聞こえた。

 

「樹さん、夏世です。起きていらっしゃいますか?」

 

「夏世? あぁ、起きとるからちょい待っとき」

 

 樹はこんな時間にどうした? と怪訝に思いつつも、ドアを開けて夏世を部屋に招き入れる。

 

 彼女は行儀よく「失礼します」と頭を下げてから入ると、樹が敷いた布団の上にチョコンと座った。

 

「そんで、なんの用や?」

 

 コンビニで適当に買ってきた缶ジュースを差し出しつつ、聞くと、夏世は真剣な眼差しを向けてきた。どうやら相当重要な話であるらしい。

 

「実は、樹さんのイニシエーターの候補に上がっている子のことをお話しに来ました」

 

「随分とはやいなぁ。ワイが来る前に決まっとったんか?」

 

「はい。本音を言ってしまえば、この子以外ありえないといいますか、なんと言いますか。まぁそれは今はいいです。とりあえずこれを見てください」

 

 持っていたクリアファイルから一枚の紙を渡されたので、それを受け取って紙面に視線を落とす。

 

 渡された紙はイニシエーターの履歴書のようなものであった。上から順に、少女のッ氏名と年齢、血液型、身長、体重、そしてモデルの順番だ。

 

「その子の名前は紅露火垂。モデル、プラナリアのイニシエーターです。外見はその写真のとおりです」

 

「なるほど。せやけどプラナリアってのもなかなか面白いモデルやな。夏世はドルフィンやったか?」

 

「ええ」

 

「ほんで、この子がどないしたんや? わざわざこんな夜中に来たんやから、よっぽど重要なことなんやろ?」

 

 問い返すと夏世は静かに頷き、「紙面の一番したを見てください」と告げてきた。

 

 それに従い視線を更に下へ落としていくと、来歴というところにあたった。そこには彼女がいつイニシエーターになったのか、誰と組んだのかという記録があった。

 

 欄を読んでいくと、火垂がどのような経緯でイニシエーターになったのかと言うのが分かったが、今までで正式に組んだプロモーターは一人、『水原鬼八』という少年だった。

 

 しかし、その欄の下には非常に残酷な記録が残されていた。

 

『二〇三一年八月。プロモーター、水原鬼八、死亡により、ペアを解消』

 

 あまりにも残酷で悲しき記録であった。

 

 思うにこの火垂という少女は、鬼八という少年にしか心を許さなかったのではないだろうか。だからこそ彼女は鬼八と長い間ペアを組んでいた。恐らく、火垂にとっては、鬼八が心のよりどころだったのだろう。

 

「理解していただけましたか」

 

「ああ。こりゃまた、随分とヘヴィな話や。プロモーター亡くしたばっかの子と組めなんて、なかなか難しいで?」

 

「ええ。それは私も理解しています。ですが、今日の面接の時、私は貴方に質問しましたよね? 『どんな少女であっても組める自信はあるか?』と」

 

 確かに言われた。無論、この返答とてその場しのぎで返した言葉ではない。現に、今まで仮で組んできた少女達ともうまくはやれていた。ただ、長く続かなかったのは、長期間一緒に居るとなると、若干粗利が合わないということがあった。

 

「せやけど、この火垂って子、まだ心の整理がついてないんとちゃうか? 八月言うたらちょっと前やで?」

 

「はい。実は今日も凛さんたちに説得しに行ってもらったのですが、案の定駄目だったようです」

 

「そりゃあそうやろ。ガストレアと闘えるいうても、お前らはまだまだガキや。そう簡単に立ち直るなんてありえへん。それにこの子、この水原ってのに相当心を許してたんやないか?」

 

「そのとおりですが……よく分かりましたね」

 

「禄でもないプロモーターと組んどれば、もうちょい来歴に変動があってもええからな。まぁこれはあんまし言いたくないことやけど、プロモーターがクズやったら、こんな歳まで生きられんやろうしな。せやから火垂はこの水原に絶大な信頼を置いていたと考えただけや」

 

 イニシエーターはプロモーターを選ぶことは出来ない。だから、彼女らは時折人間のクズともいえるプロモーターにこき使われ、最終的に見捨てられるか、殺されるか……最悪ガストレア化してしまう。

 

 なので、総じて見ると十歳近くまで生きるということは、それだけ良いプロモーターに当たったということだ。

 

 そこから推察し、水原というプロモーターは火垂を大切にしていたのだろうと考察したまでだ。

 

「樹さんの仰るとおり、火垂さんは水原さんととても仲がよかったようです。彼女自身から聞きましたが、本当の家族のように接してくれたと、言っていました」

 

「家族かせやったらつらいやろな。水原はなんで死んだんや? ガストレアか?」

 

「いいえ、詳細は話せませんが、とある事件に巻き込まれて殺害されたのです」

 

「そらぁ、穏やかやないなぁ。しかし、事故やガストレアならまだしも、殺害か……。こりゃあ相当トラウマがあるやろ」

 

「今でこそ普通に振舞っていますが、心の奥底には癒えない傷があるはずです。話していても、悲しげな表情をすることが多く見られますので」

 

 段々と二人の間に流れる空気が重くなる。

 

 が、樹はそんな空気を吹き飛ばすように軽く咳払いをして「よっしゃ」と意を決したように頷いた。

 

「ウジウジ言っててもしゃーないわ。会って話してみんことにはわからへん」

 

「では、ペアを組んでいただけるのですか?」

 

「まぁ、ワイもこの子ことは気になっとるからな。向こうがOKしてくれるまでがんばってみようと思うわ。って、ここだけ聞くと好きな女子に告白する男子みたいやな」

 

「そうですね、気持ち悪いです」

 

「待てい! 今のは流れ的にお前さんが言わせたことやで、夏世!」

 

「そうでしょうか?」

 

「そうやろ!?」

 

 ツッコミを入れると、先ほどまで硬かった夏世の表情も少しだけ柔らかさが見えてきた。どうやら彼女も思いつめていたようだ。

 

「では、私はこれで戻ります。もしかすると、明日会えるかもしれないので、その時はがんばってください」

 

「おう。おやすみな、夏世」

 

「はい、おやすみなさい」

 

 夏世はそう言って室内から出て行こうとドアノブに手をかけたが、そこで振り返った。

 

「樹さん。私が貴方を選んだ理由は、貴方が火垂さんと組めると思ったからではありません。貴方はすごく優しい人です。それはもう、凛さんと同じくらいに。だからきっと大丈夫です。真っ直ぐに火垂さんと向き合ってください」

 

「ああ。おおきにな、夏世」

 

「いえ、では今度こそお休みなさい。明日は午前八時から引越し開始ですので」

 

 夏世はそれだけ言い残し、出て行った。

 

 残された樹は、頭を掻きながら小さく溜息をついた。

 

「ワイが優しい、か。言ってくれるなぁ、夏世も」

 

 

 

 

 

 

 

 

 蓮太郎のアパートに居候させてもらっている火垂は、空が白み始めた午前四時ごろ、ふと目が覚めたので窓から外を見やった。

 

「鬼八さん……」

 

 まだ蓮太郎と延珠は眠っているため、この声が聞こえることはないだろう。

 

 鬼八が亡くなって以来、時折夜中や朝早くに目が覚めて、彼のことを思い出すことがある。自分のことを本当の妹のようにかわいがってくれて、いつも優しかった鬼八は、火垂にとってなくてはならない存在であった。

 

 そんな彼が殺されたと知ったときは、まるで自分の半身がなくなったかのような消失感を味わった。同時に、彼を殺したものに対する、憎悪も沸きあがった。

 

 今では事件も解決し、多くの仲間を持ったことで消失感も薄くなっているが、それでも心には、ぽっかりと穴が空いてしまっている。

 

 凛に持ちかけられた話、新しいプロモーターの件だって、何とかしなくてはならないとは分かっている。けれど、どうしてもあと一歩が踏み出せない。

 

 本当に鬼八以外の人と組んでいいのか、組んだとして、鬼八との記憶が薄れてしまうのではないか。それが怖いというのも踏み出せない理由の一つだろう。

 

「鬼八さん……私はどうすれば……」

 

 そう呟いた時、右頬を一筋の涙が伝った。彼女はそれを拭うと、眠っている延珠と蓮太郎を見やる。

 

 二人は深く眠っていて、起きる様子はない。

 

 ……これ以上、みんなに迷惑はかけられない。

 

 火垂は小さく頷くと、手早く着替えて荷物をまとめ、二人を起さないように居間に出てから置手紙を書いてから、玄関に向かった。

 

「ありがとう、蓮太郎、延珠。……さようなら」

 

 彼女は最後にそれだけ言い残し、出て行った。その目尻からは涙が散った。

 

 

 

 

 

 それから数時間後、目覚めた蓮太郎と延珠が見たのは、ちゃぶ台に置かれた、『いままでありがとう。さようなら。火垂』と書かれた置手紙であった。




はい、お待たせしました。

今回で樹が正式加入しましたね。
あとは凛の破綻具合が見抜かれましたが、まぁ彼も色々背負ってるので……
凛は本当に危ない人生ですよねぇ。

そして最後、火垂失踪!
果たしてここからコンビが出来るのか!?
がんばります!

では、感想などありましたらよろしくお願いします。

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