翌日、凛は木更の見合いの席に出席するために礼服を着て、以前斉武と聖天子の会議が行われる予定だった高級料亭『鵜登呂』にいた。
木更も普段着慣れない和服に袖を通し、髪も簪でとめ、顔にも薄く化粧をしていた。
すると、木更が久しぶりに着る着物のせいなのか足をもつらせ転びそうになってしまった。
だが凛がそれにすばやく反応し、彼女を優しく抱きとめた。
「大丈夫かい?」
「は、はい。すみません、着物なんて久しぶりなので」
「そうだね、僕も久しぶりに見た気がするよ。っと……髪が少し乱れてしまったね」
凛は言うと懐から櫛を取り出してそっと彼女の髪をすく。その手際はかなり手馴れているものであり、普段から彼が誰かの髪をすくのを手伝っていたのがわかった。
「兄様、うまいんですね」
「摩那がやってくれってせがんでくるからね。それに最近は焔ちゃんや翠ちゃんもいるから」
「焔?」
「あぁ話してなかったね、僕の家と親交がある露木家の女の子だよ。翠ちゃんのプロモーターとして来てくれたんだ。今度紹介するよ、ほら、これで綺麗になった」
凛は木更の髪をすき終えると櫛を戻した。木更もそれに頷くと笑みを浮かべたが、そこで二人は前を行く初老の男性に声をかけられた。
「おい、これから見合いだってのになに二人でイチャついてんだ。早く来い」
男性は呆れたようなため息をつきながら二人を呼んだ。
「すみません、紫垣さん」
木更がいうと紫垣はやれやれと首を振っていた。そう、彼が木更たちの事務所の書類上の経営者である紫垣仙一だ。
「凛、お前ももう少し木更から距離をとらんと……あれじゃあいつまで経ってもお前離れができんぞ?」
「すみません、なにぶん大切な妹分なので色々と心配で」
紫垣の注意に凛は苦笑しながら答えた。その様子に紫垣も呆れていたが、三人はやがて木更の見合い相手である櫃間篤郎とその両親が待つ部屋にたどり着いた。
凛と木更に目配せをすると、紫垣は「失礼します」と告げたあと襖を開けた。
室内には高身長で、精悍な顔立ちの眼鏡をかけた青年、櫃間篤郎が座っていた。そんな彼の両隣には顔に深い傷のある強面の男性、現警視総監櫃間正と、彼の奥方が座っていた。
「どうもお待たせして申し訳ないです」
「いえいえ、こちらからお願いしたことですので。どうぞ、お座りになってください天童さん」
奥方に促され、木更たちは櫃間親子と向かい合うように座った。その後、簡単な挨拶の後見合いが始まった。
しかし、見合い開始直後から相手方の、奥方の息子自慢がまるでマシンガンのように始まり、さすがの凛もそれには若干引いていた。
因みに凛の事は木更の義理の兄貴分ということで紫垣が説明していた。しかし、そのとき櫃間篤郎がほんの一瞬眉をひそめていた。
すると、やっと奥方の話が一段落したようで室内には木更と櫃間が残ることとなった。
「ほれ、行くぞ凛」
「はい。それじゃあ木更ちゃん無理はしないようにね」
紫垣に言われ凛は櫃間の目の前で彼女に顔を寄せて耳元でささやいた。木更はそれに一瞬顔を赤らめたがすぐに平静を取り戻して静かに頷いた。
凛はそれを確認した後一瞬だけ櫃間を見やった後、室外へ出て行った。
しかし、室外に出て襖を閉めた瞬間、脇に控えていた紫垣に軽く頭を小突かれた。
「このアホ、見合いの席で別の男があんなに近くに顔をよせるな。あれじゃ最初っから脈なしって言ってる様なもんだ」
「そうですかねぇ? アレぐらい櫃間さんも気にしてなさそうでしたけど」
「ハァ……こういっちゃなんだが、お前さんは普通に見るとあの青年よりもイケメンに見えちまうからなぁ。というか、お前さんなら寄ってくる子なんてより取り見取りだろ?」
「紫垣さん、そういうのはやめてください。それで、この後紫垣さんはどうするんですか?」
「そりゃあ先方の親御さんと話すんだよ。お前はどうする? 帰ってもいいぞ?」
紫垣が問うと、凛はそれに首を振った。
「僕は木更ちゃんと一緒に帰るんで、もう少しいますよ」
「わかった、そんじゃ後は好きにしとけ」
彼はそういうと櫃間の両親の下に向かった。その後姿を見送りながら凛は外から木更と櫃間を観察できるところはないかと探した。
しかし、生憎とそこまで好都合には出来ておらず、凛は人目を盗んで料亭の屋根の上に上がった。
……さぁて、木更ちゃんはどこかなっと。
凛は態勢を低くしなるべく目立たないように屋根の上を駆けて行く。すると、彼の瞳の端に木更と櫃間の姿が写った。
二人は枯山水の日本庭園の中にかけられた朱塗りのアーチ状の橋の上で何やら話をしているようだった。
その姿を遠目からじっくりと観察する凛だが、ふと櫃間が木更に擦り寄り、数秒の後二人の姿が唇を合わせるように重なった――はずだった。
見ると、木更が櫃間の唇と自分の唇が触れ合う瞬間にその間に指を通して断りを入れた。
すると木更はそのまま料亭の方へ戻ってしまった。しかし、凛はすぐに彼女を追わず櫃間のほうに目を凝らした。
彼は一瞬残念そうな顔をした後、懐からスマホを取り出して誰かと話はじめた。
遠すぎるため口の動きも読めなかったが、凛はそんな彼の後姿を見やりながら、先ほど凛が木更に耳打ちしたときに凛が見た櫃間の表情を思い出した。
彼は微笑こそ浮かべていたものの、その瞳の奥底には計り知れないほどの野心を持っているように見えた。そして、彼の瞳は僅かであるが凛に嫉妬している色も見せていた。
「……貴方が今何を考えているのかは知らないが……僕の妹分を利用しようとするのなら容赦はしない」
凛は小さく告げると、その場から消え、料亭の中に戻っていった。
「ん?」
櫃間は一瞬誰かに見られているような感覚に陥り、背後を見た。しかし、そこには誰も見えない。
『どうした?』
「あぁいや、なんでもない」
『そうか。まぁいい、計画の方はどうだ?』
「多少の誤算があったが、特に心配するほどでもないな。ところであの断風凛という男、本当に上が注視するほどの実力者なのか? そうは思えなかったがね」
『どうだろうな。私も現物を見たことがないのでわからないが、心配する必要もないだろう。いざというときは『リジェネレーター』もいる』
「そうだな、ではまた」
櫃間は自分から通話を切ると、口角を吊り上げて先ほどとは全く違う顔でほくそ笑んだ。
「……必ず私のものにしてやる……天童木更……ククク」
見合いが終わり、凛と木更は帰路についていた。最初は紫垣が送っていくといったのだが、木更が断って二人は夏の夕暮れを並んで歩いていた。
「櫃間さんとは上手く話せた?」
「はい、けどあの人結構強引な節があって……少しだけ変な気分になりました」
「変な気分?」
凛が問うと、木更はポツリと語りだした。
「言われたんです……『貴女は私を利用してくれてかまわない』って。櫃間さんは私の今の事情を知っていました。その上で私も軽くあしらおうとしたんですけど、あの人『櫃間の一族も天童には良い感情を思っていないから、天童の牙城を崩すことになれば喜んで協力する』って言っていました」
「その見返りとして自分と結婚してくれってことか」
「……はい。でも私思ったんです、私には凛兄様との契約があるし、何より里見くんや延珠ちゃん、ティナちゃんだっている。だから結婚はまだ早いかなって思いました。
それに私、あんまり櫃間さんのこと好きじゃないんです。里見くんは私の初恋が櫃間さんだって思ってるみたいでしたけど……本当は別にいるんです。誰かは思い出せませんけど」
木更はクスッと可愛らしく笑った。凛もそれに笑みを浮かべると、二人はそのまま他愛のない話をしながら歩いていった。
そして木更を事務所まで送り届け、自宅に戻るために凛は歩き出した。
十数分何事もなくあるっていた彼だが、木更を事務所に送ってきてからというものの、ずっと背後から視線を感じていた。
それは例えるなら蛇が下をチロチロと出しながら獲物の動きを観察しているようなもので、とてもいい心地とはいえなかった。
……誰かに見られてる事は確実だけど、なんともなぁ。
凛は近くにあったカーブミラーを通して、後ろを確認して誰もいないことに頷くと、適当に後ろに向かって殺気を放ってみた。
瞬間、先ほどまで感じていた視線が感じなくなり、気配もなくなっていた。それに肩を竦めながら凛は再び家路につく。
「おー、いい殺気を放つじゃねぇのよ……いいなぁアイツ、ぶっ殺しがいがあるかもしれねぇ」
ビルの屋上に上がりながら凛がいた方向を見やる青年、『リジェネレーター』はくつくつと笑いながら言った。
「さぁて俺の出番があって欲しいもんだが……けどまぁもしなくても何人かぶっ殺せりゃそれでいいか」
リジェネレーターは狂気の笑みを浮かべながら自らの潜伏先へと戻っていった。
木更が事務所で着替え終えると、ちょうど蓮太郎が戻ってきた。
「あら里見くん? どうしたの?」
「ちょっと忘れもんしてな。……木更さん、見合いはどうだったんだ?」
蓮太郎は少し視線を逸らしながら緊張気味に問うた。しかし、木更はすぐに彼が忘れ物といいながら、自分がどのような返答をしたのかを気になるのだろうと思った。
「お見合いなら私は断ったつもりよ。まぁちょっと返事があいまいだったから先方にはそう受け止められていないかもしれないけど」
「……そっか、いやならいいんだ。えーっと確かこの辺にスマホを……」
木更の話を聞き終えた蓮太郎は、頬をポリポリと掻きながらわざとらしくソファの上を探し始めた。
そんな彼の姿に苦笑しながら木更は彼に問うた。
「そういえばティナちゃんは?」
「今延珠と遊んでんよ。あと三十分もすれば帰ってくるよ。っとあったあった」
蓮太郎は下手な演技でスマホを見つけたふりをすると、そのまま事務所の出口まで行った。
「それじゃあ俺はこの後水原と約束があるから帰るな」
「ええ、お疲れ様里見くん」
木更は笑顔を浮かべて彼に手を振る。すると蓮太郎もひらひらと手を振りながら事務所を出て行った。
蓮太郎が階段を降りたのを確認すると、木更は窓から彼の姿を目で追って小さく呟いた。
「まったく……本当におバカなんだから。それに演技も下手すぎよ」
凛が家に着くと、リビングの方がなにやら騒がしかった。声からして摩那たちだろうが、そのほかに鼻腔をくすぐる香ばしい香りもした。
「ただいまー? 三人ともなにかしてるの?」
「あ、兄さん! はい、今日は私が料理してみました! シンプルにカレーですけど、夏野菜をいっぱい使った夏野菜カレーです!」
キッチンに立つ焔は凛のエプロンをしており、彼女の前にはカレーが入った鍋があった。どうやら匂いはここからのようだ。
「とてもおいしそうだね、ありがとう焔ちゃん」
「いえいえ、それに私だけが作ったわけじゃないですから。摩那と翠もしっかりと手伝ってくれました」
焔が言うと、摩那は「どうだ!」というように張るには小さすぎる胸を張り、翠も少し恥ずかしげにしていたが、口元は僅かに緩んでいた。
「そっか、二人もありがとうね。さてとそれじゃあ僕は着替えてくるよ」
「わかりましたー」
焔は元気よく返答した。凛もそれにうなずくとそのままリビングから自室に着替えをするために戻っていった。
「それにしてもお見合いってけっこーかかるもんなんだねぇ」
「そうですね。私ももっと早く終わるのだと思ってました」
子供なりの素朴な疑問を二人が浮かべていると、焔がそれにうんうんと頷いた。
「そうだよー、お見合いって言うのは結構時間がかかるもんなの。凍姉のときもそうだったし」
「あれ? 焔さんのお姉さんは結婚しているんですか?」
「ううんしてないよ。ただ、凍姉にも結構お見合いの話とか多くてさ、私も何度か付添い人としてついていったんだけど……もう長いのなんのって」
焔はヤレヤレとため息をついていたが、摩那と翠はまだその大変さがわからないのか揃って小首をかしげていた。
「さて、そんなことよりも兄さんが戻ってくる前に夕飯の準備をしておこうかな。あ、そうだ二人はお風呂見てきてくれる? もうそろそろいっぱいになった頃だと思うから」
焔の指示に二人は頷くとタタッとお風呂の様子を見に行った。
その後姿を微笑んで見ていた焔は少しするとまぶたを開けた。しかし、彼女の瞳には光が灯っていなかった。
「さてと……兄さんのカレーを準備しなくちゃ」
彼女は皿にご飯を盛り付けると、その上にカレーをかける。普通ならこれで終わりのはずだが、焔は不適に笑うと包丁を手にとった。
「これで私と兄さんはいつでも一緒……」
彼女は虚ろな目のまま包丁の刃を自分の指に押し当てて少しだけ切ろうと動かした。だが、
「焔ちゃん」
「ひゃい!?」
急に名を呼ばれて焔は飛び上がったが、幸いにも先ほどの行動は見られていないようだった。
「な、なんでしょうか?」
「あぁうん、ビックリさせちゃったみたいでごめんね。実はね、ちょっと話があるから摩那と翠ちゃんが眠ったらリビングに来てくれるかな?」
「あ、はい。わかりましたー……痛ッ」
答えた瞬間、焔の指先に鋭い痛みが走った。見ると指先から僅かに出血していた。凛は焔の様子に気がついたのか駆け寄ってくる。
「包丁で切っちゃったみたいだね。ごめん、僕が声をかけたから……」
「あ、いえいえ! いいんです! それにこんなの舐めておけば治りますから」
彼女はそういうと傷口を舐めようとしたが、それを凛が止めた。
「待って、ただ舐めただけだと黴菌が入るからちゃんと処置しよう。救急箱取ってくるから椅子に座って待ってて」
彼は言うと戸棚から救急箱を取り出して中から絆創膏とガーゼを取り出した。
「ちょっと沁みるけど我慢してね」
「はい」
焔が伸ばす指先の傷口を流水で洗ったあと、傷口を清潔なタオルで拭うと、その上からガーゼを当てて絆創膏を貼り付けた。
「これでよし。それじゃあ焔ちゃんが用意してくれたカレーを準備しようか」
凛が言うと焔は頷いて皿にご飯を盛り付けた。
その後、戻ってきた二人と共に四人は夕食をとった。
午後九時。
いつもはまだ起きているはずの摩那と翠も今日はどういうことか早く眠ってしまった。
しかし、凛にとっては好都合だった。
「二人にはまだ早すぎる話だからね」
ひとりごちると、廊下から寝間着姿の焔がやってきた。
「ごめんね、休みたいところを無理言って」
「全然平気ですよー、それでお話ってなんですか?」
「うん……焔ちゃんに調べて欲しいことがあるんだ。この人のことなんだけど」
凛は言うとスマホを出して画像を開いた。そこには櫃間の画像があった。
「この男は?」
「名前は櫃間篤郎。警視総監、櫃間正の息子で今は警視をやってる。今日のお見合いで木更ちゃんの相手だった人だよ。昔は許婚って関係だったらしいけどね」
「なるほど……。それでどうしてこの人のことを?」
焔が問うと、凛は真剣な眼差しのまま彼女に告げる。その雰囲気から焔もただ事ではないことを感じたのか自然と背筋を伸ばした。
「ちょっと引っかかることがあってね」
「というと?」
「元許婚だったのに五年間一回も連絡すらしなかった、けれど今になって急にお見合いだなんてさ……変だと思わない?
それに木更ちゃんから聞いた話だとこの人は木更ちゃんのことを愛しているらしいんだ。でもそれなら何で五年間連絡の一つもよこさなかったんだろうね」
「確かに言われてみればそうですね。愛していたのなら多少なりコンタクトを取ってくるはず……それなのに一回もないのは妙です」
彼女も合点がいったのか顎に指を当てながら考え込む。確かに今回の木更の見合いの話には妙な点があるのは事実だった。
「それともう一人、この人は調べられればでいいけどね。名前は紫垣仙一、元天童の執事で今は木更ちゃんたちの事務所の書類上の経営者。今回の見合いの話を木更ちゃんに持ちかけた人物でもある」
凛は画面をフリックして次の画像を表示した。
「この人はどこか怪しいところがあるんですか?」
「ちょっと疑問に思った程度なんだけどね。この人天童の執事を辞めた途端にバラニウム鉱山を掘り当てて財を築き上げたんだ。普通こんなにうまく行くかな? 確かに運が味方したって言えばそれだけなんだろうけど、僕にはどうにもきな臭くてならないんだ。
ただこの人の邸宅は東京エリアの一等地にあるからね。潜入するのは難しいかもしれない。もし無理そうだったらやめてもいいよ」
凛が言うと焔は小さく笑みを浮かべて自慢げに言いはなった。
「ふっふっふー。兄さん、露木隠密術をなめてもらっては困りますよ。露木の忍はどんな場所にも溶け込み、そして絶対にばれません。無論私も例外ではありませんから安心してください。それにこれでも私、凍姉よりも隠密術は得意なんですよ」
焔はふふんと胸を張ると、櫃間と紫垣二人の男の写真を凛に送ってもらった。
「では、調べておきますね。翠には……一応後で言っておきますね。心配かけたくないんで」
「うん、わかったよ。焔ちゃん……ありがとう」
凛が感謝の言葉を述べると、焔はニコッと笑ったあと自室に戻っていた。
それに続いて凛も部屋に戻ろうかと思ったとき、彼のスマホがなった。
「もし――」
『凛兄様!』
凛が言い切るよりも早く電話の相手だった木更が声を発した。
「どうしたの、そんなに慌てて。何かあったの?」
『里見くんが……里見くんが……!』
「蓮太郎くんが?」
木更の尋常ではない焦り方に凛は疑問をいただきつつ彼女に問う。だが、次の言葉は凛が予想していなかったものだった。
『里見くんが……殺人事件の容疑者として警察に捕まってしまいました……!』
「蓮太郎くんが……殺人?」
はい、では今回は木更さんのお見合いでしたね
凛さんわりとやりたい放題w
そして凛の驚異的な洞察力半端ねー
櫃間はおろか紫垣まで範囲とは……すごいね!
焔のヤンデレが加速しましたが、まぁこれぐらいはかわいい方でしょう
次回からはいよいよ逃亡編のほ本番開始です
では感想などございましたらよろしくお願いいたします