黒崎民間警備会社に勤める千寿夏世の朝は早い。
朝零子よりも早く起きた夏世は、いつものように自室のカーテンを開けて夏の朝日を浴びる。
彼女はそのままテキパキと寝間着から私服に着替えると、歯を磨くために洗面台へ向かった。
途中リビングを通ったが零子はまだ眠っているため、起こさないように抜き足でゆっくりと進みながら洗面所へやってきた夏世は綺麗に歯を磨いた後、軽く顔も洗った。
冷たい水で寝ぼけ眼だった瞳も完全に覚醒すると、夏世はキッチンへ赴き朝食の準備を始めた。
今日の献立はスクランブルエッグにベーコン、そして食パンにサラダという至ってシンプルなものだった。
調理をしていると将監と組んでいた頃はこんな爽やかな朝はなかったな、などと思ってしまってついつい笑みがこぼれてしまう夏世だった。
そして十数分後、あっという間に完成した朝食をテーブルに並べていると昨晩も遅くまで仕事に明け暮れていた零子がぬぼーっとした様子で、ワイシャツ一枚とパンツだけを身にまとった状態のまま自室から現れた。
「おはようございます、零子さん」
「おはよう……おー、今日もまた美味しそうな朝御飯……毎日済まないな夏世ちゃん」
「お気になさらず、では食べる前に顔を洗ってきてはいかがですか? スッキリしますよ」
零子はそれにのろのろとした動きで頷くとふら付きながら洗面所に向かった。それに苦笑する夏世だったが、今日の天気を確認しようとテレビの電源を入れた。
ちょうど今日の天気をお天気お姉さんが伝えているところであり、東京エリアの天気を説明していた。
どうやら今日は終日晴れのようだ。続いて天気予報がエリア内の気温の情報に移り変わったが、ちょうどその時夏世の頭上で洗顔から戻ってきた零子がつぶやいた。
「今日も暑くなりそうだな」
「そうですね、今日も出来れば何事もなく終わって欲しいものです」
夏世の言葉に零子は肩を竦めると「暑い日は仕事をしたくないものな」などといいながら夏世の向かいに腰を下ろした。
「では、いただきます」
「いただきます」
二人は朝食を食べ始める。
この時二人は先ほど夏世が言ったように今日も何事もなくことが終わると思っていた。
しかし、朝食を食べ終えいつものように凛達が出社してきて少し経つと同時に、そんな平穏は音を立てて崩れ去ることになった。
「なるほど……貴女の話では約一週間後、東京エリアは壊滅すると。そういうことですか?」
暗幕が引かれ、真っ暗な事務所の室内で零子はやれやれと言った様子でため息をつくと目の前のモニタにの中の純白の少女、東京エリア国家元首である聖天子に聞き返した。
『はい、何も対策を取らなければ東京エリアは確実に消滅します。こちらを見てください』
聖天子が端末を操作するとモニタの脇に数枚の画像が表示された。そこには無人機が撮影したと思われる漆黒のモノリスがあったのだが、その壁に何か白いカビのような、汚れのようなものがこびりついているのが見て取れた。
さらに写真をスライドしていくと、その白い点はどんどんと広がってやがて点から面となっていく様が見て取れた。
『このような形でモノリスの白化は進んでいます。そして、このようなことが出来るガストレアは世界でただ一体……かつてゾディアックガストレア中最強の強さを誇った
その名に事務所内にいた全員が顔を強張らせた。
『先ほどお見せした写真の白いカビのようなものはアルデバランの能力である、バラニウム侵食液の影響を受けたものです。今はまだあの程度で済んでいますが、いずれ東京エリアの何処からでもモノリスの白化は見て取れるようになるでしょう』
「しかし妙です。私もアルデバランの話は聞いたことがありますが、あのガストレアはステージⅣです。モノリスはステージⅤのガストレアには耐えられませんが、ステージⅣまでであれば耐えられるはずです。それなのにどうやって……」
聖天子の話を聞いていた夏世が考え込むが、モニタの中の聖天子は残念そうにかぶりを振った。
彼女もまだそのあたりは把握できていないのだろう。
「最終的にアルデバランによって召集されたガストレアの総数はどれくらいになる予測が立っていますか?」
『観測上なので断定は出来ませんが……約二千体に上るかと』
凛の問いに答えた聖天子の言葉に一同は皆眉間に皺を寄せる。それもそうだ、二千体のガストレアなど今東京エリアにいる民警や自衛隊をかき集めたとしても対処できるかどうか……。
すると、聖天子が凛に対し張りのある声で告げた。
『凛さん、貴方との約束は最低限守るつもりです。しかし、もしもの場合はすぐさま体内のアレの機能を停止し、貴方の力を引き出してもらいますがよろしいですね?』
「はい。聖天子様の仰るとおりに僕は従いましょう」
凛の言葉に聖天子は深く頷くと今度はその場にいる全員に言い放った。
『ではこの場であなた方にお伝えします。今作戦はアジュバント・システムを用いての作戦となります。アジュバントの説明については……不要のようですね。
最後に一つ、代替モノリスの到着には最低でも後九日かかります。そしてその三日間民警の皆さんには三十二号モノリスの倒壊ラインからエリアに侵入してくるガストレアを一体も逃さずに撃破、および殲滅をしてください。
まことに勝手で無慈悲なまでの物言いとは十分承知していますが、どうかお願いします。東京エリアを救ってください』
聖天子は椅子から立ち上がると凛達に向かって深々と頭を下げた。その肩はモニタ越しでも分かるぐらいに震えており、彼女も相当辛いのだということが見て取れた。
零子はそれに小さく頷いた後社員達の顔を見やった。すると皆それに真剣な面持ちのまま静かに頷く。
それは零子の隣にいる夏世も同様であり、零子もそれに頷き返すと聖天子に告げた。
「お顔を上げてください聖天子様」
零子に言われ聖天子は顔を上げた。そして零子は彼女に覚悟の籠った決意の言葉を口にした。
「その依頼、我が会社全員で受けさせていただきます。そして、確実に代替モノリスの完成までこの東京エリアを守り抜いて見せましょう」
零子の言葉に聖天子は一瞬身を震わせると、安堵したように肩の力を抜き小さくつぶやいた。
『有り難うございます、皆さん……』
その後、聖天子との回線を切った零子は凛に暗幕をあけるように促した。
暗幕をあけると夏の凄まじい陽光が目に痛いほど差し込んでくる。窓の外に広がる世界は平和そのもので、今まさに東京エリアが消滅に危機に陥っているなど誰も思っていない。
「さて……随分とまずいことになったな」
零子は取り乱す様子もなくアイスコーヒーを飲んでいた。すると、零子の隣に控えていた夏世が零子に頼んだ。
「社長、今回の作戦に私も参加させてください」
その発言に凛や杏夏が止めようとするが、零子は凛達を制すると夏世を真っ直ぐと見つめて優しく告げた。
「わかった……君を作戦には出そう。だが、絶対に無理はするな。そして今からなまった体を私と鍛えなおすぞ」
「……はい!」
「いい返事だ。よし、そうと決まれば皆、司馬重工に行くぞ」
零子はいうとスマホを取り出して未織に連絡を取って迎えの車を依頼した。それはあっという間に取り付けられたようで、電話してから三十分後には事務所の前に黒塗りのリムジンが到着した。
そして黒崎民間警備会社の面々はリムジンへと乗り込むが、そこで彼らを迎えるように柔和な関西弁が聞こえた。
「いやー、いろいろ大変になっとるみたいやなぁ」
車内にいたのは司馬重工の令嬢の未織本人だった。
彼女も恐らくモノリスのことを聞いているのだろうが、全く動じた様子はなくその瞳はいつものように妖艶な光を持っていた。
「悪いわね未織ちゃん。急なお願い聞いてくれて」
「なに言うとんの、零子さんとこはウチのお得意様やしこれぐらいは力貸すで~。で、アジュバントの方は凛さんペアと、杏夏ペア、そして零子さんペアできまっとるん?」
「そうね、だけど出来ればもう一組入れたいところね。蓮太郎くんのところを入れるとオーバーしちゃいそうだからあと一組……凛くんに杏夏ちゃんはあてとかある?」
「いえ、私はないです」
杏夏はかぶりを振って零子と共に凛のほうを見る。すると彼は小さく頷くと未織を見つめた。
「未織ちゃん、彼らは今いるかい?」
「彼らって言うと……あぁ、あの子らね。なるほどなぁ、確かにあの子らなら凛さん達とでも引けを取らんな」
未織は口元に鉄扇を当ててクスクスと笑ったが、杏夏はまだ合点がいっていないらしく首をかしげていた。
凛の隣では摩那が「彼らってあの二人?」などと言っていたが、杏夏にはさっぱりだった。
すると彼女の傍らで零子が凛と未織のいっている『彼ら』を理解できたのか納得したように頷いている。
「零子さん、彼らって?」
「あぁ、そういえば杏夏ちゃんはまだ初めてだったわね。まぁ行けばわかるから期待していなさいな」
不適に笑った零子は窓の外に見えてきた司馬重工の本社ビルを見据えた。すると、例の『彼ら』に連絡を取っていたであろう未織は柔和な笑みを浮かべた。
「うん、二人ともいるみたいや。凛さんの名前出したらトレーニングルームまで来るようにって言うとったよ」
未織はまたしてもクスッと笑うと傍らにあった刀を凛に放った。
「残念ながらまだ新武装は出来てなくてな、それは冥光のデータをベースに作ったバラニウム刀肆式や。強度は冥光よりも若干劣ってるけど大丈夫なはずや」
「わかった、ありがとう未織ちゃん」
凛はバラニウム刀を受け取るとそのまま腰に差す。
リムジンはいよいよ司馬重工本社ビルの正面までやってきた。
凛と摩那は地下にあるVRトレーニングルームとはまた別のトレーニングルームに向かっていた。
零子達は別室で様子を見るとのことで既に姿は見えない。また、凛は先ほど受け取ったバラニウム刀を腰に差していたが、摩那もまた腰にクローを携えていた。
「さて、彼らは素直にアジュバントに加わってくれるかな?」
「どーだろ、まぁなんとかなるでしょ」
摩那は楽観的に言うと凛もそれに肩を竦めた。
そして、二人はトレーニングルームの扉の前まで辿り着いた。扉は自動的に開くと、凛達を中に招き入れる。
室内は真っ白であり、遮蔽物はまるでない大型の体育館ぐらいはある広さだった。
そのちょうど真ん中に二人の人物が立っていた。
一人は蓮太郎と同い年ぐらいの青年であり、少し眺めの黒髪に若干のウェーブがかかっているのが特徴的で、瞳も気持ちすこし赤いように見える。彼の腰には凛と同じように一本の刀が差されていた。
もう一人は延珠や摩那と同じくらいの背丈の紺碧色といえる髪色をした少女で、彼女の腰にも刀が差されていた。また、彼女の手にはmk-5a5 と見られる銃が二丁握られていた。
すると、青年のほうが入ってきた凛に声をかけた。
「よう、久しぶりだな凛」
「そうだね澄刃くん、君も元気そうで何よりだ。香夜ちゃんもね」
「ええ、お久しぶりや凛さん。摩那も元気そやなぁ」
「もちろん! 私は年中元気だよん!」
香夜と呼ばれた少女の問いに摩那はブイサインを作って答えると、香夜も満足そうに頷いた。
彼ら
「話は未織から聞いたけどよ、俺はあんたらのアジュバントに入るとは言ってねぇからな」
「わかってるよ、そのためにここに呼び出したんだろう?」
凛が笑顔で言うと、澄刃もまたニヤッと笑って頷いた。
「あぁ、アンタが俺に勝てば俺達はアンタらの傘下に入る。俺が勝ったらアジュバントのリーダーは俺だ。いいな?」
「うん、いいよ。じゃあやろうか」
凛が笑顔を見せたままいうと、澄刃もニヤリと笑みを浮かべて隣の香夜を見やる。香夜もそれに頷くと、「いっくぞー」と言いながら屈伸運動をしている摩那を見据えた。
「んじゃ、行くぜ凛! 今日こそテメェに勝ってやる」
澄刃は言うと同時に刀を向き放ち凛へと駆ける。それと入れ替わるように摩那も香夜目掛けて突進する。
凛がそれを見送るとほぼ同時に澄刃は肉薄し、逆袈裟切りに斬りつける。しかし、凛はバックステップをして軽々と避けると自身もバラニウム刀肆式を抜いて澄刃の攻撃に備える。
……さて、以前からどれくらい強くなったかな。
そう思ったのも束の間、澄刃はすぐさまフロアを蹴ると刀を上段から振り下ろした。
凛も至って落ち着いた様子で刀を構えると、強烈な振り下ろしをいとも簡単に防いで見せた。
刀と刀がぶつかった衝撃で火花が煌くが凛と澄刃は気にした風もなく鍔迫り合う。
「やっぱこれぐらいは防ぐかよ!」
「そりゃあね。けど、随分強くなったじゃないか。さすが序列500位だね」
「ぬかせぇ!」
凛の物言いが気に食わなかったのか澄刃は刀を外して大きく後ろに飛び退き、刀を鞘に収めながらもう一度凛を見据えた。
それに答えるように凛もバラニウム刀を鞘に納めて態勢を低くした。
「こっからは殺すつもりで行くぞ!」
「じゃあ僕もそうさせてもらおうかな」
二人は言うと互いに抜刀の姿勢を取った。
はい、三巻に突入でございます。
東京会戦……やっとここまで来ましたw
今回の話の中で出てきた「黒霧澄刃」と「天月香夜」の二人は私が考えたものではなく、読者様のお一人から「自分の考えたキャラを使ってもらいたい」とのご要望があったので、それにお答えしてみましたw
その読者様が考えたものの初期設定と比べると少々弱体化しておりますが、とても魅力的なキャラですw
では感想などあればよろしくお願いします。