「来たね凛くん」
焦げ茶色の髪に汚さのない無精髭をはやした捜査一課の警部、金本明隆警部が現場である建設途中のビルの前で凛を出迎えた。
「現場はどんな感じですか?」
「うん、まぁそれは上に行きながら話すよ。……摩那ちゃんからはまだ連絡がないのかい?」
「ええ。ですがあの子なら大丈夫です。強いですから」
凛が自信に満ちた顔で言うと、金本も思い出したように「そうだね」と頷き、二人は階段を上がっていった。
「被害者は一人ってことになってる。何せ死体がなくてね。ただ多くの弾痕と大量の血痕、あとはこれかな」
金本は懐から数枚の写真を取り出し凛に手渡した。それを受け取った凛は眉間に皺を寄せて下唇を噛んだ。
そこに写っていたのは肉片と骨片、そして大量の血液だった。
「……ひどいですね」
「ああ。暑さのせいもあってハエがたかっていたよ。あと少し妙でね」
「妙?」
凛が聞くと同時に大量の血痕が残されていた六階に辿り着いたようで、一際警察官や鑑識官と見られる人たちがせわしなく動いていた。
「被害者は四方向から同時に撃たれていたんだ」
金本は現場であるビルの右と左、正面と斜め右上のビルを指差した。凛もそれを見ながら見比べてみると、屋上には鑑識官が見て取れた。
「やっぱりあそこに銃があったんですか?」
「そうだね。ただ、証拠を隠滅するためなのか銃器は全てプラスチック爆弾で爆破されていたよ。細かいところは司馬重工に調べてもらっているところさ。あと銃器の製造番号は削り取られていたし、たださっきチラッと見ただけだから断定は出来ないんだけど、銃器には見られない装置の様な物も取り付けられていたようなんだ」
「なるほど……。被害者は藍原延珠ちゃんで断定しているんですか?」
「いいや、まだ断定は出来ていない。DNA鑑定が終わってからだね」
金本は一際弾痕が多く残されているほうを一瞥した。凛もそちらを見やると、そこには拳をきつく握り締めた状態で俯いている蓮太郎と、金本と同じく警部と見られるエラが張った顔をした男性がいた。
「彼が里見くんだったね」
「ええ。延珠ちゃんのプロモーターで僕の友人です」
「彼が一番辛いだろうね……。さっき多田島と話しているのを聞いたけど写真にその子が着ていた服の切れ端と彼女のスマートフォンが叩き割られていたらしい」
すると蓮太郎は今にも転んでしまいそうな足取りで踵を返し、凛にも気が付かずに現場から立ち去っていった。
その後姿を見ながら金本が凛の肩をたたいて聞いた。
「声をかけなくてもいいのかい?」
「……僕が声をかけても、彼の心に空いた穴は埋めることは出来ません。それに、今回の事件は僕のミスでもあります」
悔しげに拳を握り締めた凛の手には血が滲んでおり、それを見た金本は静かに頷いた。
「おう、金本。そっちがもう一人の方か?」
後ろから掛けられた低い声に凛と金本は振り向いた。そこには先ほど蓮太郎と話していた多田島が眉間に皺を寄せた状態で難しげな表情をしてたっていた。
「ああ。前話しただろ。黒崎民間警備会社の断風凛くんだ」
「そうかい。俺は多田島茂徳だ。コイツとは同期で同じく警部だ」
「初めまして多田島警部。断風凛です」
凛は頭を下げたが多田島はその姿を見て怪訝な表情をすると凛に問うた。
「お前さんもアイツと同じようにイニシエーターの生存がわからねぇんだろ? ずいぶんとおちついてるじゃあねぇか」
「多田島それは……」
金本が多田島を制しようとするが、凛はそれに首を横に振ると多田島を見据えて言い放った。
「確かに不謹慎かもしれませんね。ですが、あの子はとても強いです。どんな状況であっても摩那は決してあきらめないし死にません。だから僕はあの子を信じて待つつもりです。悲しみにくれていても何も始まりませんから」
凛はそういいきると多田島と金本に軽く頭を下げて現場を後にした。
去っていく凛の背中を見ながら多田島は頭をガリガリと掻きながらため息をついた。
「あのガキ、なんて目してやがる。本当に自分のイニシエーターが生きてるって信じてやがる。それに、もう一人のほうも生きてるって思ってるみてぇだ」
「彼と行方不明の摩那ちゃんは固い絆で結ばれているようだからね。きっとその絆がそうさせているんだろうさ」
肩を竦めた金本に多田島は呆れた表情を浮かべた。
事務所に戻った凛は現場での状況を零子に報告した後、凛は菫のところへ顔を出していた。
「やぁ、凛くん。顔色は良さそうだね」
「ええ。それでティナちゃんについて何かわかりましたか?」
「ああ。まぁとりあえずこれを見たまえ」
菫はパソコンの画面を親指で差しながら凛に告げた。凛もそれを見るためにパソコンに近づくと、菫は表示されていた動画を再生した。
動画には目隠しをされた禿頭の男がおり、彼はジャケットのポケットから拳大のボール状の黒いビットを地面に放った。
ビットは地面に落ちるかと思ったが、それはフワッと重力を無視して浮き上がり男の頭上を旋回し始めた。
やがて男は腕を高く上げてビットに命じるように振り下ろした。同時にビットが目標に向かって突き進んだ。
男は拳銃を上に向かって三発弾丸を放った。
そしてカメラが切り替わったのか、今度は別角度からの映像に切り替わり、凛は目を見開いた。
なんと目標全てしかもど真ん中に銃弾が当たった形跡があるではないか。
「菫先生、これがティナちゃんが使っているものの正体ですか?」
「ああ、恐らくそうだろうな。これは思考駆動型インターフェイス『シェンフィールド』というシロモノでね。恐らくエインの奴はこれをティナという子に扱えるようにしたんだろうさ。……凛くん、君はブレイン・マシン・インターフェイスというものを聞いたことがあるかい?」
「確か手足が不自由な人の頭に電極をつけて扱うことの出来るものでしたっけ?」
「そうだ。略してBMIとも言うが、映像の男が使っているのはそれの発展機だな。脳に直接ニューロチップを埋め込んでただ念じるだけであのビットを操作することが出来るんだ。いわばアレは偵察機のようなものだな」
「じゃあ僕と蓮太郎くんが聞いた虫が飛ぶような音は……」
「恐らくコイツのモーター音だろう。さらにこのビットは対象地点から目標の位置座標、温度、湿度、角度、そして風速などあらゆる自然的要因を使用者の脳に直接送信することが出来る。今の映像で男が外さなかったのはそれが関係しているんだ。しかし、今回の相手、ティナ・スプラウトが施された手術はこれだけではないはずだ。
零子から聞いているかもしれないが、狙撃には指の震えすらも関係してくる。恐らく彼女の体内にはバランサーが仕込まれていて心臓の鼓動による震え、呼吸による運動さえも全てカットしているんだろう。この手術だけならば私やエインであれば簡単に施術することが出来る」
凛はその言葉を聞き眉間に皺を寄せていた。その『シェンフィールド』を扱わせるためにどれだけの少女達が犠牲になったのか。凛にとっては耐え難いまでの怒りだった。
……エイン・ランド。
その名を忘れないように胸に刻んだ凛は菫に問うた。
「菫先生。このビット、最大で扱えるのはどれくらいですか?」
「三つだ。それ以上行くと使用者の脳が焼き切れてしまうからな」
「なるほど……」
凛が口元に手を当てて考えていると、それを見た菫が彼を訝しげな表情で見据えながら問う。
「凛くん。君、まさかティナ・スプラウトを止めるつもりなのかい?」
「……ええ。そのつもりですよ」
「やめろ」
凛の返答を間髪いれず否定した菫だが、凛はそれに首を振った。だが菫も引き下がらずに彼に告げる。
「いいか凛くん。全盛期の君ならまだしも『アレ』を体に射ち込んでいる今の君では彼女には勝てない。行ったとしても犬死するだけだぞ!」
「零子さんから渡された資料を見たんですね菫先生」
「ああ、まさか『アレ』を射ち込んでいるものが本当にいるとは思っていなかったが……だとしたらその白髪も頷ける。それに君は肩を負傷しているじゃないか。
何度でも言うぞ凛くん。絶対にティナ・スプラウトと戦うんじゃない。序列百番超えの連中の強さは君も知っているだろう」
菫は凛を説得するように言うが、凛は小さく笑みを浮かべてそれを否定した。
「すみません菫先生。僕は聖天子様を守るための任務についているんです。だからあの人を殺させるわけにはいかない。それに、ティナちゃんをこれ以上苦しめるわけには行かないんですよ」
凛はそのまま踵を返すと地下室を出て行った。菫はその姿を見送りながらただただ悔しげに歯噛みした。
「……それが君の覚悟なのか『刀神』」
その日の深夜。
凛と蓮太郎に一通の連絡が入った。
凛はそれに胸をなでおろしつつ、信じていたという風に笑みを浮かべ。蓮太郎は泣いてしまいそうな顔で喜びをあらわにしていた。
摩那と延珠が見つかったのだ。
いや、見つかったのではなく摩那が延珠を背負って勾田大学の付属病院まで運んできたのだという。
凛と蓮太郎はすぐさま勾田大学病院に向かうと、共に病室へと駆け上がった。
「摩那!!」
「延珠!!」
二人が名を呼ぶと、それを咎める様に木更と零子が口の前で人差し指を立てて「しーっ」っと二人に言った。
病室を見ると、向かい合うようにベッドに寝かされた延珠と摩那の姿があった。二人の胸はしっかりと上下しており、生きていることが確信できた。
「摩那ちゃんが泥まみれになって運んできてくれたのよ。お医者さんの話じゃ二人とも命に別状はないって。ただ、延珠ちゃんは致死量の何倍もの麻酔を打たれて最低でも後二日は目が覚めないって」
木更の言葉に蓮太郎は摩那の方を見やり頭を下げた。そして彼は延珠のか弱い手をとって彼女の命を確かめるように握り締めた。
それを見た木更も泣き出しそうだったが、蓮太郎を後ろから抱きしめていた。二人とも精神的に限界だったのだろう。
「零子さん。摩那の容態は」
「摩那ちゃんは特に何もされていないわ。この子は昨日の夜から今の今まで東京を駆けずり回って延珠ちゃんの匂いをずっと追い続けていたみたいなの。今は疲れて眠っているだけ。ドクターの話じゃ明日の夕方には目が覚めるでしょうって。だけど経過を見るから退院するには少しかかるみたい」
「そうですか……よかった……」
凛も張り詰めていた心を和らげると、ベッドで寝息を立てる摩那の頭をやさしく撫でる。
「よくがんばったね……摩那……」
するとそれに答えるように摩那は寝顔のまま小さく笑みを浮かべてボソッとつぶやいた。
「……お肉たべたい……」
そのつぶやきにその場にいた皆が緊張の糸を切られてしまったかのようにずっこけてしまいそうになったが、皆先ほどまでの暗い顔が嘘のように笑みを浮かべていた。
延珠と摩那の詳しい容態を医師から聞き終えた凛と蓮太郎は木更と零子から第三回の会談の日時を聞かされた。
日時は明日の午後八時だそうだ。凛と蓮太郎は互いに顔を見合わせると頷き合って自分の社長達に「依頼を継続する」と告げた。
二人はその返答がわかっていたかのように頷くが、木更は鼻をつまんで蓮太郎を指差した。
「その前に里見くん。お風呂行ってきなさい! 男臭くてしょうがないわ!」
「え? そんなにか!?」
蓮太郎は自分で体の匂いをかいで見ると、確かになんともいえない男臭さがしていた。
「凛くん。貴方は別に臭くないけれど、ご飯食べてきなさい。ご飯!」
「ご飯ですか?」
「そう。なんなら蓮太郎くんと一緒に食べてきなさい。お金はあげるから!」
零子は財布から万札を二枚出すと凛に強制的に握らせた。凛はそれに申しわけなさそうに頭を下げるが、木更がそこで二人に告げた。
「ホラ、ダッシュ!! 明日のために英気を養いなさい二人とも!」
木更に背中を押され、二人は首をかしげながらも病院を出るとまず蓮太郎の体を洗うために銭湯に行くこととなり、二人は一旦着替えを取りに家に帰り、蓮太郎が住んでいるアパート近くの銭湯で体を温めた。
湯船に浸かっているとき蓮太郎は凛に感謝の言葉を述べた。
「凛さん。ありがとう。摩那がいてくれなかったら延珠は今頃どうなっていたことか……」
「それは摩那に言ってくれないかな。僕は何もしていないよ。だけどごめんね、僕が事務所の一件でティナちゃんを止めてさえいればこんなことにはならなかっただろうに」
「いや、アンタが気にすることじゃねぇ。俺が行かせちまったのも要因の一つだ」
蓮太郎はそういうと凛に質問を投げかけてきた。
「なぁ凛さん。延珠にかなりの量の麻酔が打たれてたってのは聞いてるよな。なんかそれっておかしくないか? 本気で延珠を殺す気ならティナは心臓や頭を打ち抜けばいいのにあえてそれをしなかった……なんかへんだよな?」
「そうだね。これは憶測だけど、ティナちゃんは暗殺のリストに載っていない人物は極力殺したくはないんじゃないかな。ホラ、この前警察官が重症で発見されてパトカーだけがボロボロにされた事件があったじゃないか。もしそれもティナちゃんの仕業であれば、彼女は殺しのリストに載っていない人物は殺そうとはしないんじゃないかな」
「じゃあティナは延珠や摩那が目覚める前に聖天子の暗殺を完了させて東京から立ち去るつもりってことか!」
「それが濃厚だろうね。延珠ちゃんや摩那がいなくなった今、イニシエーターである彼女に対抗できる戦力はないに等しいと言ってもいいからね」
すると二人は湯船から上がると脱衣所へ行き体を拭くと新しい着替えに袖を通した。
「だったら、もうやることは一つってことか」
「うん。明日の夜に決着をつけるしかない」
二人は銭湯から出ると、互いに拳をぶつけ合った。
銭湯に入った後適当なファミレスで食事を済ませた二人はそのまま病院へ戻ろうとしていた。
しかし、蓮太郎が喉が渇いたとのことで高架下の自動販売機で飲み物を買うことになり、蓮太郎は炭酸飲料を凛はお茶を買ってそれぞれ一気に飲み干した。
そして歩き出そうとしたところで凛が後ろを振り向きながら告げた。
「コソコソつけてきて一体何のつもりですか。保脇さん」
その名を聞くと同時に蓮太郎も後ろを振り向くと、そこには黒塗りのベンツに乗りこちらに嫌味な笑みを向けている保脇と護衛官達の姿があった。
「ククッ。ずいぶんと散々な目にあったらしいじゃないか。貴様らのイニシエーター共は。一人は例の狙撃手に、もう一人は東京中を走り回って疲労困憊だとか……これで貴様らの頼みの綱であるガキ共も動けなくなって貴様らにはこれは不要だろう?」
保脇はホチキスで止めてある資料のようなものを二人に見せびらかすように見せ付けてきた。
凛と蓮太郎にはそれが第三回の警護計画書であることがすぐにわかった。
蓮太郎はすぐさまそれを保脇からひったくると、取られてしまわないうちに頭の中に護衛経路をインプットする。
すると案の定保脇が車から降りて計画書を奪い返すと、もう見えないように計画書を踏みつけた。
「何のつもりだ里見蓮太郎! 貴様護衛を降りないというのか!?」
保脇の声に蓮太郎は彼を睨みつけると低い声で言い放った。
「ああ、降りねぇよ! テメェらみてぇな無能な護衛官どもに任せていたら聖天子様は絶対に殺されちまうからな!」
「貴様ぁ……! 僕達が無能だと!? なめた口をきくとその頭吹き飛ばすぞ!!」
保脇は懐のホルスターからルガーP-08拳銃を抜き放ち蓮太郎の眉間に突きつけるが、蓮太郎もXD拳銃を抜いて保脇の眉間に押し当てた。
ほかの護衛官達も加勢しようと車から降りてくるが、彼らの前には笑顔で漆黒の刀を抜き放つ凛が立ちはだかりやさしい声音で告げた。
「今彼に手を出させるわけにはいきません。もし手を出したいのであれば僕を倒してからどうぞ?」
凛は軽々しく言うものの、護衛官達は凛から発せられる研ぎ澄まされた刀のような殺意に動けずにいた。
「おい、保脇。アンタ本当にこんな計画書でいくつもりか? また経路がばれるぞ?」
「だからそれは貴様らが情報を漏らしたからだろう!!」
「ふざけんなッ! 誰がんなことするかってんだ!!」
「貴様らの名は既に内部調査で疑わしい人物のトップに出ているんだよ!」
「だったらその情報リーク容疑者全員に偽の情報を流すんだな!!」
その言葉が保脇の癇に障ったのか、彼はついにヒステリックな声を上げて銃の引き金に添えていた指に力をこめた。
「僕に指図するなぁぁぁぁぁぁ!!!!」
その声と共に彼は引き金を思い切り引こうとしたが、蓮太郎が彼の腕を払い、さらに足払いの要領で彼を転ばせた後、ひざで押しつぶすと、保脇はカエルの潰れるような声をもらした。
「いいか! 何回だって言ってやるよ! 情報リーク者全員に偽の計画書を流せ! 後のことは俺と凛さんで蹴りをつけてやる!! わかったかこのボケナス!!」
連投してみました……w
とりあえずは二巻の内容が終わるまで恐らくあと三話~四話と言った所でしょうかね。
段々と凛くんの秘密も明らかになってきましたし、これからさらに面白くできればと思っております。
では感想などあればよろしくお願いします。