ブラック・ブレット『漆黒の剣』   作:炎狼

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第二話

 以前の事件より数ヶ月。季節は既に春になっていた。

 

 その中で凛達黒崎民間警備会社の面々は勾田公立大学付属の大学病院の一室に顔を揃えていた。

 

 ベッドの上には一人の少女がなんとも申し訳なさそうな顔をしている。

 

「やれやれ、人助けをして自分が怪我をしては元も子もないじゃない。杏夏ちゃん」

 

 呆れたような声を漏らすのは社長である零子だ。しかし、以前のような男性的な口調ではなく、柔和な女性らしい口調であり、目元もどこか以前とは違い柔らかさを感じる。

 

「いや~、アハハ……。まさかあそこで自転車と衝突するとは思ってなくって」

 

 頭をかきながら零子に説明する少女は、黒崎民間警備会社のもう一人のプロモーターである、春咲杏夏だ。彼女の腕と頭には包帯が巻かれており、痛々しさが現れている。

 

 すると、彼女の傍らに座っていた茶髪に少しロールがかった髪をしている少女が、彼女の足をひっぱたいた。

 

「まったくですわ!! 人助けをするのは構いませんが、もう少し自分を労って欲しいものです!」

 

 お嬢様口調で話すこの少女は杏夏の相棒である秋空美冬だ。彼女は腕を組みながら頬をプクッと膨らませ、怒っていることを表現していた。

 

「まぁまぁ美冬ちゃん。杏夏ちゃんもそこまで大きな怪我じゃなかったんだからいいじゃないか」

 

「それはそうですけど……。杏夏はお人よし過ぎるんですのよ、さっきも言いましたがもう少し自分を優先で考えてもいいと思います」

 

「だよねー。凛も大概のお人よしだけど杏夏は重度のお人よしだもん。もう病気ってレベルだよ?」

 

 ケタケタと笑いながら言う摩那だが、杏夏は怒ることはせ相変わらず申し訳なさそうな笑みを浮かべたままだ。

 

「けど……困ってる人がいたら助けたくなっちゃうよ。民警になったのだってそれが理由だし」

 

 笑みを浮かべたままの杏夏だが、その言葉を聴いた皆は大きく溜息をつくが、「まぁしょうがないか」といった表情をしたまま肩を竦めた。

 

「さて、それじゃあそろそろ面会時刻も終わりだから私達は帰りましょう。明日には退院できるんでしょう?」

 

「あ、はい! お医者さんも今日だけ安静にしていれば問題ないって言ってました。ただ、包帯は取れませんけど」

 

「まぁそれは仕方ないわね。それじゃあまた明日ね。皆行くわよ」

 

 零子が言うと凛達は頷きそれぞれ病室を後にする。

 

「凛先輩」

 

 しかし、凛が出て行こうとすると、杏夏が彼を呼び止めた。

 

「なんだい?」

 

「えっと……美冬のこと今晩よろしくお願いします。あの子一人だとお料理とか出来ないんで」

 

「了解。杏夏ちゃんもなるべく早く寝るようにね。それじゃ」

 

 凛はそう告げると病室を後にし先に行った零子たちと合流した。

 

 出口に差し掛かったところで零子が立ち止まる。それに皆が怪訝な表情を浮かべるが、零子は三人に告げる。

 

「私は野暮用があるからあなた達はもう帰りなさい。凛くん、摩那ちゃんと美冬ちゃんの面倒ちゃんと見るのよ?」

 

「わかってますよ。じゃあ、また明日」

 

「ええ。おやすみー」

 

 彼女は軽めに手を振ると、踵を返し、病院の奥へと消えていった。

 

 零子と分かれた凛達は、病院から出るといつも買い物をしているデパートへ向けて歩き出す。道中、凛は二人で仲良く手をつなぎながら歩く摩那と美冬に問う。

 

「二人は今日の晩御飯何が食べたい?」

 

「カレー!」

 

「カレーはこの前食べたじゃないか。また食べたいの?」

 

「うん! だって凛のカレー美味しいし」

 

 快活に答える摩那に対し小さく笑みを浮かべながらも、摩那の隣で悩んでいる美冬に聞いた。

 

「美冬ちゃんは何か食べたいものとかある?」

 

「いえ、わたくしはお世話になる身ですのでリクエストなどとおこがましいことは」

 

「それぐらいのこと気にしなくても良いよ。一人増えたぐらいはどうってことないし」

 

 それを聞いた美冬は少し気恥ずかしくなったのか頬を染め、指をいじりながら凛にリクエストをしてみた。

 

「では、ハンバーグを……」

 

「ハンバーグかぁ……暫く食べてなかったから良いかもしれない」

 

 彼は頷きながら言うが、ふと思いついたのか指を鳴らした。

 

「じゃあ、カレーとハンバーグをあわせてハンバーグカレーでも作ろうか。二人とも好きなものが食べられるし、どうかな?」

 

 凛が問うと、二人は顔を見合わせ満足げな表情を浮かべたまま大きく頷いた。凛もそれを確認すると頷き、三人はデパートの食品コーナーを目指した。

 

 

 

 

 

 

 零子は病院内の北側へ足を向けていた。

 

 元々時間帯も時間帯だからか人は少なかったが、そちらに行くにつれて看護師や医師の姿さえもなくなり、さらには人の気配が完全になくなっている。

 

 病院でこんな空間があれば恐ろしいことこの上ないが、零子は特に気にも留めずに廊下を進んでいく。そして、突き当たりに行き着いた。

 

 その突き当りには四角く落とし穴のような穴が開いているが、よく目を凝らしてみると、そこは急な階段だということがわかる。

 

 彼女はそれに若干溜息をつきながらヒールの音を鳴らしながら階段を下りていく。

 

 階段を降り切ると、そこには仰々しい悪魔のバストアップが描かれた扉が現れた。その扉を見てもう一度大きな溜息をつきながらも、零子はそれを開けた。

 

 中に入ると、室内には鼻にツンと来るような芳香剤の香りが漂っている。室内は薄暗いものの、広さはそれなりだ。床は緑色のタイルで固められ、なんとも不気味である。

 

 しかし、室内には脱ぎ捨てられた下着と、空になった弁当箱が乱雑に置かれていた。

 

 だが、それでも一番目を引くのは部屋の真ん中の手術台のような場所におかれた男の死体だ。何故死体かとわかるかと言えば簡単なことである。キツイ芳香剤の香りに混じって死体が早く腐るのを避けるための防腐剤の臭いが僅かながら漂ってるからである。

 

 それに顔をしかめながらも、零子は部屋の主が眠っている椅子に近づく。彼女は近場にあったハードカバーの小説なのか何かの辞典なのか分からない本を振りかぶり、そのまま眠っている部屋の主の顔に振り下ろした。

 

 バシッと渇いた音が部屋に響くと、部屋の主が唸りながらその本をどけた。

 

「うー……。何をするー」

 

「何をするー、じゃないでしょ菫。そっちから呼んどいて」

 

 菫と呼ばれた女性は半眼を開けながら零子の顔を見ると、椅子から気だるそうに起き上がった。

 

 彼女の名は室戸菫。この地下室の主であり、ガストレア研究者であり、法医学の室長でもある。零子とは学生時代の腐れ縁と言ったところの関係だ。

 

「そうだったな、すまないな零子。なにぶん、今日はそこの彼とお楽しみだったのでね」

 

 大あくびをしながら手術台に寝かされている男性の死体を指差しながら告げる菫に零子は肩を竦めた。

 

「死体とお楽しみって……。一体どんな楽しみ方が出来るのか知りたいくらいなんだけれど?」

 

「おや、知りたいかい? だったら十時間ほどかけてゆっくりじっくり、まったりねっとりと君の脳髄に刻み込むように説明してあげよう」

 

「遠慮するわ。死体フェチにはなりたくないし」

 

 菫の提案を一蹴した零子だが、菫は「なんだよくそー」などといいながらも、来客である零子をもてなす為なのか、研究用と見られるビーカーにコーヒーを注いでいる。

 

 彼女、室戸菫は人間とは関わらない性格をしている。但し、それは生きた人間であり、死んだ人間であれば話は別だ。死んだ人間、すなわち死体を目の前にした彼女はかなり生き生きとする。

 

 そんな彼女と零子が何故ここまで親しくできているかと言うと、零子と菫は小さい頃からの付き合いなのだ。幼稚園だったか保育園だったかの頃から常に零子と菫は一緒にいた。

 

 菫の性格で彼女が爪弾き物にされていても、零子だけはいつも傍らに寄り添っていた。零子自身、菫のことはそれなりに理解しているつもりではあるし、菫もまた零子のことを心から信用している。

 

「ホラ。とりあえず飲みたまえ」

 

「ん、ありがと」

 

 菫が持ってきたコーヒーを受け取りながら零子は適当な椅子に腰を下ろした。

 

「それで? 私を呼び出した理由は何かあったの?」

 

 コーヒーを飲みながら自分専用の椅子に座る菫に聞く零子に菫はゆっくりと頷いた。

 

「実はね、今日君と同じく民警の少年である里見蓮太郎くんと言う子が訪ねてきたんだよ。知ってるだろう?」

 

「確か天童民間警備会社の社員の子だったかしらね。その子がどうしたの?」

 

「うん。彼は今日ステージⅠのガストレアを駆除してきたんだよ。一応ガストレアの死体があるので持って来るか。ちょっと待っていてくれ」

 

 菫はまたしても立ち上がり、今度は部屋の奥のほうまで行くと、それなりの大きさがあるトレイを持ってきた。

 

 それには数本の足と、大きく膨れた虫の臀部のようなものが乗せられていた。

 

「なんのガストレアだと思う?」

 

 なぞなぞをかけるように聞いてきた菫に零子はガストレアの残骸を見やりながら嘆息気味に告げた

 

「形からすれば蜘蛛……かしらね。お尻が大きいし」

 

「ご名答だ。相変わらず鋭い洞察力だなホームズ」

 

「それはどうもワトソンくん。それでこれがどうかしたの?」

 

 菫のノリにノリで返しながら零子は菫に問う。

 

 それに菫は頷くと、椅子に座り机に頬杖をつきながら解説を始めた。

 

「先ほども言ったとおり、それは今日蓮太郎君が駆除したガストレアでね。しかし、感染源ではないんだよ。それは感染源ガストレアに体液を注入され、ガストレアとなってしまった人間の成れの果てと言うわけだ」

 

「可哀想にね」

 

「全くだ、これは流石に不幸な事故としか言いようがないかな。まぁそんなことはさておきだ。その感染源ガストレアは未だに見つかっていないようでね。蓮太郎君も駆除を目指しているんだがどうにも面倒な能力を得ている可能性があるんだよ。そのガストレアは」

 

 肩を竦めながら告げた菫だが、なにやら手持ち無沙汰になったのか、胸ポケットにしまってあったペンを器用にクルクルと回し始めた。

 

「普通ガストレアがその辺にほっつき歩いていたら民警やら警察やらが発見するはずだ。それでも未だに発見されていないことを考えるとどこかに身を潜めているか……何か身を隠す能力を有していると考えられるだろう」

 

「身を潜める能力っていうと、カメレオンみたいな擬態って言葉が当てはまるかしらね」

 

「だろうな。蓮太郎君は最初光学迷彩などと言っていたが、流石にそれはない」

 

「もしそんなガストレアがいれば、明日中には東京エリアにガストレアが溢れかえるでしょうね」

 

 椅子の背もたれに背を預け薄暗い天井を仰ぎながら零子は大きく息をついた。

 

「けど、なんだって急に私にそんなことを教えてくれたわけ?」

 

「なぁに、一応友人だからな。これくらいは教えておいて損はないと思っただけさ。それに、君の部下の断風凛くんに教えておけばうまくやるかもしれんだろう?」

 

「そういうことね。まぁ確かに凛くんなら何とかできるかもね。なんと言ってもあの断風流剣術の免許皆伝者だからね」

 

 肩を竦めながら軽く笑みを浮かべた状態で言う零子に対し、菫は首を傾げると彼女に問うた。

 

「断風流とはそんなに名が通っているのか?」

 

「いいえ。世間的にはそこまでではないわ。ただ、剣術をしている者には知っている人は多かったらしいわ。剣術だけで言うならあの天童にも匹敵するほどだったらしいわ」

 

「ほう、そうなのか……出来れば今度凛くんもここに招待したいね。または彼が駆除したガストレアを見てみたい」

 

 凛に対し興味がわいたのか、若干興奮した様子で語る菫を見ながら零子は苦笑いを浮かべた。確かに菫は人間嫌いだ。しかし、時にそれは変わるのだ。生きている人間でも興味が湧けば話をしてみたくなることが稀にあるのだ。

 

「まぁ次にあの子がガストレアを狩ったらその死骸を貴女のところに持ってくるように言っておくわ」

 

「ああ。次はよろしく頼むよ」

 

 零子は頷くとコーヒーが空になったビーカーを菫に返しながら彼女に告げた。

 

「じゃあ私はそろそろ帰るわね。あんまり引きこもりすぎないで偶には外に出なさいよ?」

 

「えー……。日の光は私には毒なんだよ、でられるわけないだろ。私はこの地下の城が一番落ち着くんだよ」

 

 子供のように駄々をこねる菫に呆れた顔を見せながらも、零子は扉に手をかける。しかし、彼女の去り際菫が右目を指しながら彼女に問う。

 

「零子、目の調子は大丈夫か?」

 

「……ええ。まぁね」

 

 零子は眼帯の下の右目を押さえながら告げると、地下室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 都内の凛と摩那が住まう賃貸マンションで、三人は食卓を囲みながら話し込んでいた。因みに夕食は凛が言ったとおり、カレーとハンバーグをあわせたハンバーグカレーだ。

 

「それにしても、社長って本当に事務所にいる時と外にいる時で性格違うよねぇ」

 

「そうですわね。もはやあれは二重人格と言うものなんでしょうか?」

 

「コラコラ二人とも、そんなこといっちゃダメ。確かに零子さんの性格の違いは凄いけど……」

 

 二人の素朴な疑問を苦笑いで受け止めながら凛は二人に説明を始めた。

 

「二人はまだ零子さんから直接は聞いてないんだよね。じゃあ話しちゃっても良いかな……。えっとね、零子さんのあれは自分でけじめをつけてるんだよ」

 

「けじめ?」

 

「そう。事務所にいる時の零子さんは仕事を淡々とこなす人あとはヘビースモーカー。外にいるときは人柄がよくて品行方正な人、この時はタバコは全く吸わないんだ。それ以外にも依頼の電話とかに出るときも後者を使うときが多いんだよ。ようは、外に出てるときは仕事の顔、事務所にいるときは気が抜けた顔って感じ。……まぁもっと平たく言っちゃえば凄くよく出来た猫かぶりって所かな」

 

 凛が説明してみるものの、二人はまだ理解できていないのか首をかしげている。それを見た凛は二人の頭をなでた。

 

「そんなに深く考えなくてもいいと思うよ。どっちも零子さんであることには変わりはないし、それに、あの人はどっちも合わせて零子さんだしね。ほら、早く食べないと冷めるよ?」

 

 指摘された二人は思い出したようにカレーを食べ始めた。

 

 その二人の様子を見ながら凛もまたカレーを食べた。

 

 

 

 

 

 

 その日の深夜、凛は二人が眠ったのを確認すると、自室の一角に置かれている日本刀。冥光を取り出し、マンションの屋上へ上がった。

 

 どうやら今夜は満月であるようで、夜だというのに影が出来るほど明るかった。眼下にはネオンやオフィス街の光、車のテールランプなどが見える。

 

 その光景の逆を見ると、人類を守る巨大な漆黒の壁、モノリスが月明かりに照らされて鈍く光っているように見えた。

 

 凛はそれらを一頻り眺めた後、もって来た刀、冥光を鞘から抜き放った。

 

 抜き放たれた冥光の刀身は黒く、バラニウムを連想させる。だが、それもそのはず、この冥光はバラニウムと刀の原料である玉鋼を混成して作られた日本刀なのだ。

 

 若干、バラニウムが多いため刀身は黒く染まっているが、その刀身は日本刀らしく濡れたような輝きがあり、月明かりに照らされたそれは幻想的に見える。

 

 また、この冥光の切れ味は凄まじいものであり、ガストレアの強靭で堅固な筋肉や骨も易々と裁断することができ、なおかつ、刃こぼれも見られないのだ。

 

 凛は冥光の重さを再確認するように軽く振るう。

 

「よし……いい感じだ。そろそろバラニウム刀だと限界あるし、明日は試しでこれを持って行ってみるかな」

 

 冥光を鞘に納めながら小さく溜息をつく凛は、いつも出撃の際に持って行っているバラニウム刀を思い返す。

 

 ……やっぱり摩那を守るためにもバラニウム刀だけじゃなくて冥光を持って行こう。それに――――。

 

「――――最近ガストレアが妙に強くなっている気がするし」

 

 凛は鋭い眼光でモノリスの外側に住まう大量のバケモノ。ガストレアを睨みつけるように見た後、屋上を降り、自室へと戻っていった。




今回は前回予告したとおり数ヶ月跳んで蓮太郎くんが影胤にあった日の事を書いてみました。

零子さんと菫先生は同い年ってことにしてますが、これは作者の勝手な解釈ですので
特に気になさらないでくれてもいいです。

感想などありましたらよろしくおねがいします。

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