咲-Saki- 天元の雀士   作:古葉鍵

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東場 第一局 十三本場

episode of side-S

 

 

 

思わぬ成り行きで始まった東風戦3回目の勝負。

その流れを作ったのは私の目の前に座っている男性――秀麗な容貌をした同級生、発中白兎君。

彼が部室に現れ、その姿を初めて見たとき、男子生徒の制服を着てるにも関わらず美人な女の子が来たなぁと素で思い込んでしまい、つい見呆けてしまった。

男装の麗人かとも一瞬考えたけれど、原村さんや本人の言動で男の人だと確信する。

それにしても先に打った二局で、私の麻雀が原村さんをどこか傷つけてしまったのか、涙を見せて部室から飛び出していったときはびっくりした。

そして、扉を開けた先で待ち構えていたかのように優しく原村さんを受け止めた人がいたことに更に驚いた。

あまりにもタイミングの良い登場だったので、映画かドラマのワンシーンみたいだなって思ってしまったくらいだ。

二人寄り添いながら仲睦まじく声をかわしているその光景は、控えめに言っても親密な関係のそれで、恋人同士なのかなと邪推をしてしまう。

駆けてゆく原村さんの涙を見たとき胸がチクリと痛んだが、発中君に向けている切なげな表情を見たときもズキッと胸が痛んだ。

原村さんから深い信頼と好意を得ている発中君が羨ましく、彼に初めて声をかけられたとき、つい素っ気無い態度を見せてしまった。

今日の私は少しおかしい。初めて麻雀で勝利する喜びを知って高揚したかと思えば、原村さんが私以外の誰かと親しくするのを目の当たりにして昏い感情を抱いてしまう。

まるで原村さんに恋をして、発中君に嫉妬しているようではないか。

原村さんの涙、発中君の存在。もうこの場にいるのはいたたまれないと思いはじめた私はそろそろお暇しようと考えていた。

だけど、原村さんの真摯なお願いと発中君の熱意にほだされ、つい3回目の勝負を請け負ってしまったのだ。

そんな心の葛藤と経緯があり――今、私はここにいる。

 

「お手柔らかにね」

 

僅かな時間、短い回顧に浸っていた私だったが、ふとかけられた声で我に返り、手元の配牌へと俯けていた視線を上げると対面に座っている発中君と目が合ってしまった。

発中君がにっこり、と屈託のない笑顔を向けてくる。

私は気恥ずかしさを覚えて直視できず、思わず視線を横へと逸らす。すると今度は右隣に座っている原村さんと目が合った。

無表情な原村さんの視線にはどこか険が含まれている気がして、私は少し怯んでしまった。

でもそれは、原村さんに嫌われているという私の思い込みのせいかもしれない。

いけない、今は麻雀に集中しよう。私は原村さんからも視線を外し、手元の牌に目を向ける。

発中君は麻雀部で最も強いと皆が口にしているし、部長である竹井先輩も昨日から自信ありげな言動をしていたしで、どちらとも油断のできる相手ではない。

原村さんに関しては言うに及ばずだ。

麻雀で勝つ楽しさを覚えた途端、勝利に貪欲になっている自分に気付き、我ながら現金なものだと可笑しくなる。

そんな私の手元に並んでいる牌の編成は、字牌と数牌がバランスよく入り混じった四向聴。

 

【手牌】二五六②③③④⑨南南白発  ドラ指標牌:①

 

老頭牌(ロートウパイと読む。数牌の1と9の牌を指す)が少ないので、チャンタは狙いにくいし、字牌を切って基本のタンヤオピンフ前提で狙うべきか。

順子の構成に対子が混じっているので、上手くすればイーペーコーも乗せられる。

作るべき役の目算をしつつ、卓上の王牌(ワンパイと読む。ドラ指標牌やカン鳴き時にツモる牌=リンシャン牌が置いてある山のこと)へと視線を向ける。

…感じる。王牌に詰まれている牌の気配を。

どのような牌がそこにあるかを感じ取り、私の得意とする嶺上開花を和がるために何が必要かを把握する。

それさえ理解すれば、あとはその完成形目指して適切に打っていけばいいだけ。

私は幼い頃から麻雀に関してはこうした一種の超感覚、超常的とも言える能力を持ち合わせていた。

家庭の事情で今では疎遠になってしまった姉も、超常的という点では似たような、それでいて私とは全く違う不思議な能力を有していた。

家族以外とは麻雀を打たない私だったから、そういう能力を持っているのが普通のことだとある時期までは思っていた。

姉がそんな私の誤った認識を正し、みだりに口外しないよう注意してくれなければ、他人にとっては眉唾な、怪しい能力があると吹聴する痛い子になっていたかもしれない。

私の能力…それは、裏返って見えないはずの王牌が何であるかを正確に読み取ることができるという能力だ。

読み取るという言葉にすると抽象的だが、映像的な表現をするなら脳裏に牌の模様が浮かびあがるようなものだと考えてもらって差し支えない。

調子の良いときは王牌だけでなく、山(ヤマと読む。ツモする牌の列のことを指す)のどこにどんな牌があるかも感じ取れる場合もある。

ただそうした超常能力を発動させるにはそれなりの集中力が必要とされるため、精神的な消耗もわりあい大きかったりする。

ある意味ガンパイしているような状態なので、かつてはイカサマやインチキかもしれないという罪悪感に捉われないでもなかったが、麻雀に没頭すれば嫌が応でもそうした「本来見えない情報」が不可抗力で頭に入ってくるし、姉に「そんなことをいちいち気にしてちゃ麻雀なんてできないし、そもそもそれは立派な咲の才能なんだから遠慮なく使いなさい」と言われたこともあって今では気にせず能力の恩恵を活かした麻雀を打っている。

とはいえ家族麻雀では姉も私と同じかそれ以上のインチキ能力を使ってたし、そもそも楽しくもない麻雀を余所でやろうなんて考えもしなかったから自分の能力の特異性を意識する機会なんてこれまでほとんどなかったのだが。

そんな私の超感覚によって見えたリンシャン牌は「八萬」。

残念ながら最初の手牌から嶺上開花を狙うのは遠いというか難しいと考えざるを得ない。

幸い自風牌の「南」があるので、タンヤオやホンイツを視野に入れて組み立てつつ、「南」を早い段階でツモれればタンヤオを諦めてドラ含みの役牌安和がりを狙うか。

方針を決めた私は「発」を河に捨てる。

 

「ポンよ」

 

1巡目から早速、部長が鳴いてくる。

三元牌を捨てる際は常にポンをされる可能性が高い。

こればかりはしょうがないが、部長視点で言えばこれで和了の特急券を手に入れたと言える。

安手でもいいから親で連荘し得点を伸ばす目論見なのだろう。

今の時点でいきなりオリる必要はないだろうが、6巡目を超えたあたりからは警戒してかからないといけない。

9巡目までにテンパイできなかったらオリる判断がいるだろう。

先の展開を想定しながら勝負を続行する。

部長の初鳴き以後の序盤は特に大きな動きもなかったのだが、中盤に差し掛かった7巡目で原村さんが捨てた「9ソウ」を再び部長がポンする。

二副露(フーロと読む。○副露と表現し、○回鳴いたということ)、部長はこれでテンパイしたかもしれない。

2度も鳴くと捨て牌と合わさって手の内を読みやすい(読まれやすい)が、それでも鳴いてきたということは、和がれる確率を下げてでも早テンパイを狙ってきたと言えるし、待ちに自信がある=手広い待ち、という見方も成り立つ。

対して私はそこそこ順調に手を進められたものの、今はまだ一向聴。1局目だし、ここは消極的にテンパイを狙いつつオリた方が良さそうだ。

部長の役として一番ありえそうなのはホンイツ、そして次にチャンタ。ホンロウやトイトイもありえる。

部長の河を見て危険牌を想像する。

ソウズが2個捨ててあるため、ホンイツの可能性はその分低いと言えるが、やはりソウズが一番の危険牌だ。

チャンタを想定して公九牌も捨てられない。

そして何より問題なのは、手元に現物がないことだ。

私は判断の手がかりを求めて部長だけでなく、原村さんと発中君の捨て牌も確認する。

1巡毎に対局者の捨て牌は頭に入れているが、現時点でもう一度、脳内でチェックを行う。

結果、私の手牌でもっとも危険が低いのは「二萬」だと判断した。

理由は既に場に2枚捨てられており、これで当たるようならカンチャン待ちか地獄単騎しかないということになる。

その場合、ホンイツはなくチャンタはありえるが、カンチャン待ちならトイトイはない。

これがリスクと可能性を考慮した最前の捨て牌であるはず。

完全な自信とは言えないまでも、いきなり当たるものでもないと楽観しながら「二萬」を河に置いた。

 

「ロン。トイトイ役牌ドラ1、親満で12000よ」

「え…」

 

【和了:竹井久】二⑧⑧⑧55() (ロン) 9(ポン)9 発発(ポン)

 

あうあう、いきなり初局から振り込んでしまった。

それにしても待ちが地獄単騎って… 捨て牌を見る限りではもっと手広い、可能性の高い待ちに出来ただろうに。

意表を付く狙いがあったのかもしれないが、独特の打ち方をする人なのかもしれない。

もしかしたら私のように何かが見えている可能性もある。

この人は、強い。実力者だということは事前に予想できてたことだけど、まだ心のどこかで甘く見ていたのかもしれない。

部長の肩書きは伊達じゃなかった。

とはいえまだほんの1回和がっただけ。たまたまという可能性もある。だけど、楽観するよりは警戒するべき。

私はしょぼん、と肩を落としながら部長に点棒を渡す。

 

「ありー♪」

 

私とは対照的にニコニコしながら右手で点棒を受け取る部長。

そのとき、点棒を受け渡した私の左手が部長の右手中指に触れる。…皮膚が硬い。これは相当打っている証拠だ。

ピアノ演奏者の爪が伸びにくくなるのと同じように、麻雀を日常的に打ってる人は牌に触れる指の皮膚が硬質化する傾向にある。

 

「部長、いきなり飛ばしますね」

「まあね。部長として威厳を示さないといけないし、やるからには勝利を目指さないと。何より、強敵と打つ麻雀は燃えるわ」

「ふふ、部長らしいです」

 

発中君の感想に、飄々とした表情で返事を返す部長。そこに原村さんも小さく微笑みながら追従する。

私も会話に加わろうかと刹那考えたが、結局は何も喋ることができなかった。

別に排他的な雰囲気というわけじゃなかったのだけど、一人部外者であるという疎外感が口を開くのを躊躇させたのだ。

 

「ま、勝負はこれからよ。次にいきましょう」

「「はい」」

 

短い会話を挟み、東場第一局一本場が始まる。

自動卓から牌の山が吐き出され、順次、皆が自分の牌を山から取ってゆく。

言い訳かもしれないが、先ほどは冒頭に物思いに耽っていたことが尾を引き、配牌の時点から最後まで集中力に欠けていたと思う。

いきなり大量に失ってしまった点数をリカバリし、勝利へと繋げてゆく為にも今度は最初から油断せず、全力で集中し勝負に臨もう。

良い配牌が来ますように。そう念じつつ取り終わった牌を確認し、理牌する。

 

【手牌】一二()六④⑥22245北北  ドラ指標牌:発

 

赤ドラ含みの二向聴。

良かった、かなり良い配牌に恵まれた。これならきっと、和がることができるはず。

王牌、そしてリンシャン牌を確認(リーディング)する。

…ソウズの6、かな。

超感覚で得た王牌の情報と手牌から作るべき役と手順を検討する。

ヤミテン維持して三色同順を狙いつつ、最序盤のツモ牌次第では「北」の対子を切ってタンヤオにし、カン後に嶺上開花で和がる。これが理想だ。

幸いにして手元にある2ソウの刻子をカンできる気がするので、経験上きっとこの局は上手くいく。

そしてその予想は幸いにして外れなかった。

順調に手が進み、5巡目でテンパイが完成した。

 

「リーチ」

 

宣告し、千点棒を場に置く。

タンヤオドラ1は確保出来ているので確実を期すなら安手のヤミテン待ちが一般的には良いのかもしれないが、カンのツモ牌で三色を完成させ嶺上開花で和がるつもりの私にとってはリーチで役を厚くした方がいいという判断だ。

私のリーチ宣告に、皆は現物処理で対応してくる。

私の捨て牌を見て、高めだと判断したのだろう。3人全員からオリ気配を感じる。

例えそうでも、今の私には関係ない。

漲る自負を胸に、山へと手を伸ばす。

きた!

ツモ牌を掴み、盲牌でそれが私の待ち望んだ牌だと即座に判断した私は高らかに宣言する。

 

「カン!」

「「 ! 」」

 

カンの宣言を聞いて、原村さんと部長の二人が一瞬動揺し表情に表れたのが見えた。

私の打ち筋を知っているからだろう。反面、発中君は私の打ち筋を知らないゆえの無反応だ。

暗カン(門前で同じ牌を4つ集めカンした形のこと。鳴いてカンした場合は明カンという)の牌をオープンし、王牌へと手を伸ばす。

リンシャン牌を手に取り、事前に超感覚で「視た」牌であることを盲牌により確認する。

そしてそれは予想どおりソウズの6だった。

私はツモ和了を宣告し、右手で手元に和がり牌を置き、左手で裏ドラ指標牌をめくる。マンズの三だ。

 

「ツモ。嶺上開花、リーチタンヤオ三色ドラ2。倍満、4000・8000です」

 

【和了:宮永咲】二二四()六④⑤⑥45 (ツモ) 222(アンカン)

 

「ばっ、倍満!?」

「あらまぁ、やるわね」

「これはこれは…」

 

私の和了に対局者の3人が思わず、といった様子で感嘆を口にする。

原村さんは驚き、部長は警戒し、発中君は…いまいちよく判らない反応だ。

 

「おお!やるな咲!」

「また嶺上とかすごいじぇ」

「この面子相手にやるもんじゃのぅ」

 

高い手で和がった私を対局者の背後で勝負を観戦しているギャラリーの皆が口々に褒め称えてくれる。

やっぱりこんなふうに声をかけてもらえると素直に嬉しい。

まだ勝負の途中であからさまに喜色を表すわけにはいかないけれど、勝っても負けてもダメ、という制限を取り払われた麻雀はほんとに楽しいよ。

 

「たまたまだよ」

 

面映さではにかみながら返事をした私は、原村さんたちから点棒を受け取りつつ牌を崩して全自動卓の中央に開いた口中へ押し入れる。

よし、これで最初に失った点数は回復することができた。

高めだったとはいえ、まだたかだか1度和がっただけ。気を引き締めて次に臨もう。

次は東場第二局、私が親だ。

気合を入れなおした甲斐があったのか、再び良配牌に恵まれた私は安手ながら早和がりを決める。

6巡目からヤミテンで張っていた私に8巡目で原村さんが振り込んだのだ。

 

「ロン。場風牌・自風牌、4800です」

 

【和了:宮永咲】九九九⑥⑥⑦⑧⑨23東東東 (ロン)

 

「くっ…」

 

私に点棒を差し出しながら、少しだけ悔しそうに表情を歪める原村さんを見て、申し訳なさのような、罪悪感のような切ない感情が一時胸を苛む。

これは勝ち負けの遊戯、原村さんだってそれはわかってくれてるはず。

そう無理やり自分を納得させ、今は余計な感情に蓋をする。

 

東場第二局一本場。

二度あることは三度ある、ということなのか、またしても絶好の良配牌が手元に揃う。

最速のテンパイはリーチ前提での二向聴だ。

 

【手牌】二四五六七八③⑦⑧北北北中 九 ドラ指標牌:()

 

役作りの指針にするべく王牌に目を向け、リンシャン牌を視る。

脳裏に三萬の映像が浮かぶ。

これなら嶺上開花ができそうだ…!

そして狙うべき役は一通とホンイツに決まりだろう。

鳴いてでも和がれれば、嶺上開花込みで4飜が確定するから十分だ。

無理に門前テンパイで高めを狙うより、親なのだから早めテンパイの連荘狙いで点を稼げばいい。

脳内で手早く目算を立て、勝負に臨む。

タン…タン…、と捨て牌を卓上に置く音がしばし部室を支配する。

配牌は良かったが、流石に染め手と一通狙いでは牌の集まりが遅く、七巡目でようやく一向聴までこぎつけることができた。

あとは鳴くか自力ツモでテンパイすれば最後はカンで嶺上開花にできる。

テンパイが射程に入ってきた安堵と、そろそろ中盤のため放銃を警戒しないといけないという相反した内心の感情を表情に出さないよう気をつけながら牌を捨てる。

私の次番である原村さんが牌をツモったところで、場が動いた。

 

「リーチ」

 

この東風戦が始まって初めてとなる原村さんのリーチ。

言うまでもなく当たり前のことだが、都合良く私だけが順調に手を進めているわけではない。

せっかく積み上げた点数を奪われたりはしないぞ、と気負いつつ原村さんの捨て牌を確認する。

公九牌が多めに捨てられていることから、タンヤオピンフという基本形を前提とした形だと推測できる。

デジタルな原村さんの打ち筋と、七巡目という早い段階でのリーチを鑑みれば、捨て牌で偽装した上での裏をかいた待ち、という可能性は低そうだ。

何にせよ、和がれれば高めの手と思われるだけに、振り込むのだけは避けなければいけない。

手元にある浮いた牌は8ピン、幸いにして原村さんに対する現物である。

これで次の手番は凌げるけれど、その次までにテンパイできないようであればツモ牌次第だがオリることを選ばねばならない。

そんな私の危惧は幸いにして実現しなかった。

原村さんのリーチを受けて発中君は現物を処理、部長は現物ではないがほぼ安全と思われる九萬を河に捨てた。

 

「チーです」

 

ある意味でこれを鳴くことができたのは原村さんのリーチのおかげだろう。

一通ホンイツ狙いのために私の捨て牌はピンズソウズの中張牌に偏っている。

ここから私の手の内を分析すればチャンタや染め手が容易に想起されてしまう。

であれば、一番の危険牌であるマンズの老頭牌など迂闊に捨てれたものではないからだ。

しかし、中盤に差し掛かったとはいえテンパイが不確定な私より、明らかに警戒すべきはリーチを宣言した原村さんの方なのだ。

私は内心で皮肉のつもりではない素直な感謝を原村さんに向けながら、部長の捨てた牌をいただいて卓の右端に副露牌を寄せる。

これで私もテンパイ、あとはカンすることができれば…!

ここまで来れば手を崩す必要はない。

部長や発中君の手の内も気になるところだけど、強気で押してもメリットデメリットの吊り合いは取れるだろう。

鳴いたことで警戒を強めたのか、右方向から原村さんの強い視線を感じる。

そちらを向けば目が合ってしまうかもしれず、そうすれば恐らく気まずい思いをしてしまうだろうな、などと考えた私は自制心を総動員して視線を正面に固定し、当初の予定通り8ピンを河に捨てる。

私の現物処理を果たして原村さんはどう思っただろうか。

鳴いた以上はオリたなどとは考えないだろう。

いずれにせよ、リーチした原村さんが私の出方を見て待ちを変えることはできないし、私も攻めの方針を変えるつもりはない。

そんなことを考えている私をよそに、次番の原村さんがツモ牌を手に取る。

直後、「ッ…!」と原村さんが小さく息を飲んだのが気配でわかった。

一瞬、原村さんが和がり牌を引いたのかと思い和了の宣言を予想したが、どうやらそうではなかったようだ。

リーチ状態ゆえに和がり牌でなくば即座に捨てるのみにも関わらず、どこか躊躇う様子でツモ牌をしばし見つめていた原村さんがようやく捨てた牌を見て、原村さんの心境が理解できてしまった。

河に捨てられた牌は「北」。これまで1枚も場に出ていない生牌だ。

中盤まで来て字牌の生牌は普遍的に危険牌である。

まして、原村さんが恐らく一番警戒しているであろう私の打ち筋を鑑みれば、カンやポンをされかねない生牌などただでさえ捨てたくないだろうことは容易に想像できる。

リーチしてしまったがために捨てるしかなかったその牌を、原村さんはどんな気持ちで見つめていたのだろうか。

あまりにも私にとって都合良く、原村さんにとって裏目に出る展開に、同情心めいた感情が湧きあがるが、それはプライドの高い原村さんに対して抱いてはならない失礼で不遜な感情だろう。

心の葛藤を全て無視して、私は冷徹に宣言する。

 

「カン」

「………」

 

河からカン牌を取る際に見えた原村さんの顔からは表情が抜け落ちていた。

もはや結末を予感して脱力しているのかもしれない。

同情はいけないとわかっていながら、それでも原村さんにそんな表情をさせてしまったことが悲しく、お為ごかしだと理解しつつも、内心で原村さんに「ごめんなさい」と謝罪する。

王牌の端にあるリンシャン牌を手に取る。盲牌して間違いなくそれが三萬であることを確信した。

 

「ツモ。嶺上開花、一通ホンイツの一本場で4100オールです」

 

【和了:宮永咲】一二四五六中中 (ツモ) 北北北北(ミンカン) (チー)七八

 

四十符四飜、私の親満貫が成立する。

私が原村さんから点棒を受け取っている背後で京ちゃんたちが再び歓声を上げた。

 

「やっぱすげーな咲は!もしかしたら白兎にも勝っちゃうんじゃね?」

「高打点の三連続和了とか、まるで私みたいだじょ」

「しかし、のどかや白兎がこのまま負けっぱなしで終わるとも思えんがのぅ」

 

うう…褒めてもらえるのは嬉しいけど、原村さんの気持ちを斟酌すると聞こえよがしな賞賛は控えて欲しいかも…

後になって思えばそれは私の傲慢だったと思うが、このときの私はもう半分勝ったようなつもりに知らず知らず陥っていた。

点数は 私:46100 原村さん:12100 発中君:16900 部長:24900 という状況。

油断できるほど決定的なリードというわけではないが、東風戦という短い勝負で考えるなら、放銃さえ避ければ逃げ切れる点差とも言える。

親であるうちにもう一度か二度和がれればあとは守るだけで勝てるだろう。

心情的には苦い勝利になりそうだと思いつつも、筋道を過たぬようそんな皮算用を立てていると、

 

「もしかしたら宮永さんは…4人目かもしれないな」

 

かろうじて私に聞こえる程度の声量で、発中君がポツリと呟いた。

台詞の内容に心当たりがない私は、思わず聞き返す。

 

「あの…なんのことですか?」

「うん? …ああごめん、独り言。気にしないで」

「は、はぁ…」

 

片手で自動卓の牌回収口に手元の牌を押し入れながら、もう片方の手をぱたぱたと振ってなんでもないよと答える発中君。

気にしないで、と言われても、私の名前を絡ませた思わせぶりな発言を気にするな、というのは少々勝手な言い分だと思う。

とはいえこの場で問いただすほどのことでもなく、気にはなるが追求は後回しにするしかない。

 

「迂闊な発言だった、すまない宮永さん。これからの対応を考えててさ」

 

あからさまに納得してない私の反応を見て失言だと気付いたのか、発中君は即座に謝罪の言葉を口にする。

そして台詞の後半に、やはり私にとっては理解不能の、先ほどの発言と全く関連がなさそうな釈明を付け加える。

 

「これからの対応って、白兎さんもしかして…またですか?」

 

発中君の台詞を拾って、隣から原村さんがどこか呆れたような口調で口を挟む。

 

「原村さん、またって何です?」

「それは…」

 

私が聞くと、原村さんは顔をやや俯かせてで言い淀む。

単に私が嫌いで言いたくないのか、それとも余人には話せないような機密に関わることなのか。

答えてもらえないことに酷く落胆したところで、意外な方向からの回答があった。

 

「それはね、白兎君が”また”昼行灯してるんじゃないかってことよ。ね、白兎君?」

「否定はしませんが」

 

からかうような部長の言葉と視線に、苦笑して答える発中君。

普段の生活においてあまり耳にすることはない、昼行灯という表現が使われたことで、その真意を咄嗟に測り損ねた私は、つい部長に聞き返してしまう。

 

「えっと…どういう意味ですか?」

「…手を抜いてるってことですよ、宮永さん」

 

はぁ、とはっきりとしたため息をつきながら、部長へ向けたはずの質問に答えてくれたのは原村さんだった。

良かった、嫌われているわけじゃないんだ… 原村さんの態度に少しほっとしつつ、台詞の内容を吟味する。

発中君が手を抜いている…その意図はどうあれ、つい最近までプラマイゼロを徹底してきた私がその行為の良し悪しを語る資格はない。

問題は、手を抜かなければどれほどの麻雀を打つのか、という一点だろう。

 

「どうせ打ち筋を良く見たいからとかそういう理由でしょうけれど…あまり露骨なのは宮永さんに失礼ですよ、白兎さん」

 

半眼で発中君を見据えながら嗜める原村さんに、

 

「はい、のどかさんの仰るとおりです」

 

どこかユーモラスな仕草でしょぼん、と身を縮めて答える発中君。なんだか可愛い。

くすっ、という含み笑いが聞こえてそちらを向けば、雀卓に両腕で頬杖をついている部長が楽しげな表情で発中君に視線を注いでいる。

少々行儀が悪いが、大人びた雰囲気を持つ部長がそういうポーズを取っていると実に様になっていると思う。

 

「でもこれで宮永さんの打ち筋は理解できたでしょ? そろそろ白兎君の回答を見てみたいわ、私」

「…いいんですか(・・・・・・)?」

「対策くらい考えてあるわよ。まぁ、事後のフォローまで面倒見てくれるならそれが一番ありがたいけどね」

「…ご期待に添えるよう、善処しますよ」

 

部外者の私にはよくわからない内容のことを、なかなかのツーカーっぷりで打ち合わせる部長と発中君の二人。

私の名前が出た以上、私と今の麻雀に関係したことだろうとは想像はつくが、それ以上のことはさっぱりだ。

発中君は何かを諦めたような表情ではぁ、と小さくため息をつくと、表情を微笑に改めて対面の私へと視線を向ける。

 

「そういうわけだから、少しだけ(・・・・)お手柔らかにいくね」

「はぁ…」

 

要するにこれから本気を出す、とでも言いたいのだろうか。

ハッタリや挑発で言ってるようには見えないし…

真意を測りかねた私が困惑していると、おもむろに発中君は椅子に深くもたれかかって目を閉じた。

ギッ、という椅子の軋む音が不自然に大きく響いた気がした。

そして、五つ数えられるほどの僅かな間を経て、ゆっくりと瞼を開いた発中君の双眸と目が合った。

 

ゾクッ!

 

背筋に悪寒が走る。あまりのことに、私は目を疑った。なぜなら…

彼の瞳が高山で見上げた澄んだ空の色のように――

深い蒼に染まっていたから。

 




咲無双章。咲との初対局、話が長くなったので前後に分けます。
白兎の影がちょーうすい(笑)。
ちなみに咲がのどかの捨て牌をカンして和がった件ですが、
大会ルールである責任払いは適用していません。
原作でも語られていますが、割とローカルなルールなので。

いよいよ白兎のギフト、天理浄眼が周囲に初お目見えと相成りました。
次話での白兎vs咲戦をどうぞご期待ください。

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