「どうなのだ、エミヤシロウ。最早我が問いに答えることが出来ないなどとは言うまいな!」
月の光に照らされるその瞳は鋭く、ただ明確な意志を告げる。身体が強ばり、胸を打つ鼓動は速度を上げながら俺を追い立て続けていた。
彼女の言葉通り、俺はもうはぐらかす事は出来ないのだろう。
「いつ、一体いつ気付いたんだ?」
それでも身勝手なこの口はその追求から逃れようと言葉を吐き出す。
「疑い始めたのは貴方がアーチャーと相対していた時だ」
俺の態度に嘆息しながら虚ろに空へと視線を移し、彼女は語る。
夢に見た、剣突き立つ荒野を歩く一人の男、そして聖杯に刃を振り下ろした後、幸福に満たされた表情を浮かべていた自らのことを。
その荒野を歩く男を、彼女は羨ましいと言った。
確かに荒野に並び立つ剣は総て贋作、その創造主でさえ偽物だと言わんばかりに存在感を示していた。しかし彼が歩く道には何の偽りもなかった。彼自身の心から顕われた願いではなく、他者から受け継がれたものではあったが、その道を歩き切ったその男は誉め称えるべきだと彼女は言った。
そして聖剣を振り下ろした夢の中の彼女自身について。
それは今の彼女にとっては理解の出来ないものだったのだろう。
騎士として、それは恥ずべき行為であると彼女は語った。
それは俺の記憶の中にある、彼女の最期の柔らかな笑顔だった。俺が守りたいと思った、きっとかつての俺がこの道を歩み始める切欠となった笑顔だったのだ。
そう。知らないうちに、俺の根幹となる情景をセイバーは夢を通して垣間みていたのだろう。かつての俺が目にしたように、偽る事の出来ない夢の中で。
「そして、それが確証に変わったのはバーサーカーとの戦いで貴方が創ってみせた、失われたはずの我が剣を目にした時だ」
「そこまで気付いてるのか」
それらの情報だけでこの結論に達した彼女の洞察力は、やはり凄まじいの一言だった。
「えぇ、だからこそ貴方の口から聞かねばならない。貴方が何を為す為に行動しようとしているのかを」
努めて冷静に言葉を吐き出しながら、しかし瞳は冷ややかなままにセイバーは俺に詰め寄る。何度俺に対する不審を口にしながらも、やはり騎士として剣を捧げた相手に対する最後の義理がそこにはあるのだろう。
「そこまで気付いてるのなら……」
答えを見つけながら最後は語らせようとするその態度が俺を苛つかせた。美徳であるはずの、俺が惹かれたはずのその実直さが、俺をどうしようもなく駆り立てるのだ。
「俺が語る言葉に、意味はあるのか」
そう。これも口にしてはならない言葉だ。
「ーー意味、だと?」
刹那、セイバーの表情はより深い怒りに染まりながら、先程から戦慄いていたその手が俺の胸ぐらを掴み上げる。
「貴方……いや、貴様は一体何を見ているのだ? 何を為したいのだ? 貴様の判断が、貴様の総てがこの状況を招いていると何故分からないのだ!」
辛辣な言葉を吐きかけながら、徐々に俺の胸ぐらを掴む力は強さを増していく。それほど俺の言葉は、態度は彼女を苛立たせていたのだろう。
しかし苛立っているのは、俺も同様だった。
「じゃぁお前に何が分かる!」
「分かるはずもないだろう! 何も語らず、信頼せよと一方的に押し付ける貴様の何を理解せよというのだ!」
胸ぐらを掴む彼女の手を振り払い、数歩セイバーとの距離を取る。
本能のままに言葉をぶつけ合い、互いに抱える憎悪すらも曝け出していく。
そうだ。決して綺麗なままで互いを認め合う事などできない。負の部分を見せつけ合い、許容出来る部分を見つける事が最も大事なことであったのだ。
そう。彼女の振りかざす刃物に似た言葉に俺は気付かされた。
俺が見ていたのは、記憶の中にあるセイバーだったのだと。
何を語らずとも十分に絆を結ぶ事が出来ていると思っていたのは、俺の身勝手な妄想に他ならなかった。当たり前だ。彼女の言う通り、この聖杯戦争でセイバーと出会ってから、俺は彼女に対して何の真実も語ってこなかったのだから。そんな彼女に信頼してくれなど、あまりに烏滸がまし過ぎる。
「お前に……ただ俺はお前を……」
彼女を睨みつけていたはずの瞳は自分でも分かるほどに弱々しくなり、逆に真っ直ぐにこちらを見つめる彼女の視線があまりに痛い。彼女から視線を足下へと落としながらポツリと呟く。
刹那、視界の隅に月明かりに照らされた白の軌跡が目に入る。
それに気付いた時に、パンと乾いた音に続いてジンジンと弱々しくはあるが確かな衝撃は俺の頬を走っていく。痛みはさほど鋭いものではない。ただ叩かれた衝撃が身体全体に広がっていくような奇妙な感覚があった。
叩かれた。普段の彼女からは想像も出来ないほどに弱々しい力で、ただ頬に手を当てられた程度の衝撃。
その弱々しさと予想もしていなかった事に、逸らしていた視線を思わずセイバーへと戻す。
視線の先には勿論セイバーの冷えきった表情。しかしその瞳は冷ややかという言葉だけでは言い表す事が出来ない。
ただその瞳の色を、俺はかつて何度も目にした事がある。
「シロウ、いつまで目を背けるのだ」
そうだ。何度も目にしてきたではないか。
俺に正義の意味を教えてくれた人が最期に向けてくれた笑顔と、あの悲し気な瞳の色と同じではないか。
「目を、背けている?」
そうだ。疾っくに気付いていたのだ。
それは式さんが、俺の弱さをありありと示した時に瞳に宿していた狂気の裏に隠されたいたものと同じではないか。
「えぇ、貴方は確かに強いのだろう。そして私が知らぬ経験をしてきたのだろう。しかし貴方には絶望的なまでに揺らいでいるものがある」
どの場面でも、俺は“それ”が足りなかった。
恩人に、式さんと幹也さんに気付かされたというのに、再びこの泥沼とも言える状態へと足を踏み入れてしまっている。
そう。俺の中で揺らぎ続けているもの、それは……。
「それは『貴方自身の思い』だ」
「俺の、思い? それこそ、お前に何が分かるんだよ」
「分かりはしない。しかし私は……いえ、私自身も揺らいでいた。妄信とも呼べるものに取り憑かれていたのだから」
淡々とした口調でセイバーは語りながら、虚空に目をやり遠い記憶に思いを馳せるようであった。彼女の思惑を計る事は出来ない。しかしつい先程までの怒りに満ちた表情が不思議とその色を隠し、どこか優し気なものへと変わっていた。
いや、そんな事があるがはずがない。彼女が俺に慈しみの感情を抱く事など、もう決してないはずなのだ。
「だからこそ、私には分かるのだ。貴方と私は似ているのだと。あまりに滑稽に願いを胸に秘め、未だにその理想に到達出来ていない。過去を変える事が出来ないと知りながら、足掻かずにはいられない道化なのだから」
そんなセイバーの、彼女が言うはずもない言葉を聞いたからだろうか。
もう見る事が出来ないと思っていたはずのその表情を目にしたからだろうか。自然と、俺の口からはその言葉が零れていた。
この戦いに臨む者、誰しもが認める事をしないその事実と、俺がこの繰り返しの聖杯戦争を何を思って戦ってきたのかを。
「俺はかつて、サーヴァントとして聖杯戦争に参加していた……なんて言ったらお前はどう思う?」