終わりの続きに   作:桃kan

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変容

 「じゃぁ……少し出かけてくる」

 

 静けさに塗り込められた屋内に、少し沈んだ声が響く。この声に返す音はない。ただ俺の発した音が薄暗い部屋に消えていくだけ。踵を返し、暖かな光の指す 屋外へ俺は足を進める。だが、どこかその足取りは重い。やはり言葉を返してもらえなかったことが想像以上に自分にダメージを与えているのだろう。

しかしそんなことを思いあぐねいていても仕方がないのだ。一度深く嘆息し気持ちを切り替え、俺は風の吹く路地を商店街に向けて歩いていった。

 

 セイバーから不信を告げられてから二日が経過していた。

その間、やはりと言うべきだろうか。俺とセイバーの間では必要最低限の会話しかなされることはなく、これからの戦いの展望についても何も話し合われないままに時は過ぎていた。

そしておかしなことにここ数日の間、街で頻発していた怪事件が、まるで聞こえなくなっていた。ライダー陣営を打倒したのだから学校で事件が起こるはずもないだろう。

問題は街の方なのである。俺の記憶通りならばこの時期は柳洞寺を拠点にしていたキャスターが周囲から魔力を吸い上げていたはずだ。しかしその痕跡は全くと言っていいほどに見受けられない。

つまり今の状況が意味するのは、俺の記憶にある聖杯戦争とは全く違う様相を呈してきたということだろう。しかし瑣末事であるだろうとその時の俺は、簡単に切り捨てていた。

 歩を進める度、身にしみるほどの冷たい風が通り過ぎていく。

そして見上げればそこには、一点の曇りもないどこまでも広がる青の世界。どこまでも晴れやかに澄み渡る光景は、確かに俺を励ましてくれているはずなのに、素直に受け入れることが出来ない。それどころかどうしようもないほどの孤独に、心が冷え切っていくように感じられた。

 

「何を、バカなことを考えて……」

 途中で音にしそうになった言葉をせき止める。

この二日間、口に出るのは諦めの言葉ばかり。こんなことではいけないことは分かっているのだ。だからこそ意識して、その言葉を吐かないようにする。そして何もなかったように、形になりかけたモノはあっさりと冬の雑踏に消えていった。

 

 ものの十分も歩みを進めると、周囲は賑やかな話声に包まれていた

時間帯的には、おそらく学生も下校の時を迎えた辺りなのであろう。ちらほらとではあるが、学生服に身を包んだ姿も見受けることが出来た。その中にあって自分だけ私服であるということにどこか違和を感じもしたが、次第にそんな雰囲気にも慣れてくる。

俺は買い足さなくてはならない物品を、頭の中でピックアップしながら道沿いの商店を訪ねていった。無論、一軒一軒周っていく度に、手にする荷物は多くなっていく。そして全て買い終わった頃には、両手いっぱいに買い物袋を提げている状態になってしまった。

やはり一人では必要量を買い込んでしまうと、苦しいことになってしまうのだろう。さらに日が傾く度に身を裂く冷たさも増していき、徐々に苦痛になってい く。ここまで買い込む必要もなかったかと後悔しながら、帰路へつこうと顔を上げた時だった。良く見知った、赤いコートが視界に入ったのは。

いや、見付けたという言葉は不相応かもしれない。彼女はわざとそこに姿を現したのだろう。まるでそう告げるように、俺に向けられた視線は殺気を帯びている。

周囲はその殺気に気付く事はない。そこは彼女の上手いところなのだろう。一見すればやはりこの少女は、優雅な淑女なのだ。だからこそこんな街中で会った時、彼女にかける言葉はこれが一番ふさわしいと思うのだ。

「よぉ。こんな所でどうしたんだ、遠坂」

 彼女からすれば、こんな言葉が投げかけられるとは思いもしなかっただろう。言わずもがな、目の前の遠坂の表情は驚きを通り越し、呆れたモノになっている。

「……全く。不用心にも程があるわ」

 苦笑しながら彼女はそんな言葉を返し、サッと踵を返して歩きだした。

その後ろ姿はハッキリと俺について来るように告げている。確かに、こんなタイミングで出会ってしまったのだ。どうやっても逃げ遂せることなど不可能だろう。俺は先を歩く遠坂の後ろを、少し感覚を開けて歩いていった。

 

 それほど歩く事もなく、俺たちは目的の場所に到着していた。

もう身体のサイズには全く合わない小さなブランコと滑り台。チカチカと灯る街灯が少し目に痛い。ここは記憶の中にある、初めてあの少女と親父の話をした場所だ。

 

「さて、ここで良いでしょう」

 彼女はそう言いながら振り返る。表情は先までと同様に、冷酷な色に塗り込められている。そこから投げかけられる言葉が戦いに関することであろうと予測するのは容易だった。

 

「本当に、アンタは一体何を考えてるのよ」

「何がさ?別に遠坂に迷惑はかけていないはずだけど」

「サーヴァントを連れて歩かないなんて、殺してくれと言ってるようなものだって以前言ったわよね?」

「あぁ。間抜けなのかもしれないな」

 

 俺ののらりくらりとした回答に、ピクリと眉根を動かす遠坂。今にも不満が彼女の口からもれだすのではと思われた。

 

「――ホント、アンタにはずっと調子狂わされてばっかりだわ」

 しかし俺の予想と反し、遠坂からそれ以上の悪態を聞く事は出来なかった。むしろその表情は昨日までの困惑したものではなく、『魔術師』と呼べるモノに変わっていた。

 

「いいわ。本題に移るけどね……」

 そう。この言葉から、俺の知っていたはずの聖杯戦争は、その様を完全に変質させていくこととなる。

 

「柳洞寺に巣食っていた魔術師ね。殺されたみたいよ」

 

 

 

 

 遠坂が語った事実を、俺は驚くことなく飲み込むことが出来た。

そのことには薄々感づいてはいたのだ。街の平穏な様子を見れば、事件の起因となる者が活動出来なくなってしまったのか、それとも存在しなくなったかを疑うのが普通だろう。

しかし一つの勢力が敗退したくらいで、遠坂が俺に接触を試みるなどあろうはずがない。

 

「そうか。でも、それだけじゃないって顔してるな」

「そうね、じゃぁもう一つ……その柳洞寺だけどね、人っ子一人居なくなってるのよ」

 話が速いと言わんばかりに遠坂は公園のベンチに腰を降ろし、俺を見上げながら言葉を続ける。瑣末事であるかのように呟かれたその言葉は、俺たちの共通の友人がいなくなってしまったことを意味していた。

 

「つまりそれは……」

「アンタの想像通りよ」

「……そうか」

 この彼女の回答に、不思議と苛立つことはなかった。かつての自分ならば、人の生き死には敏感なはずだった。それが自分の知る人ならば尚更のはずであったのに。

遠回しであれ一成の死を知らされてしまったはずなのに、何も感じることが出来なかった。

 

「でもな遠坂。それは俺に何か関係のあることだったか?」

 そして口をついて出たのは、この台詞であった。

まるでこの寒空と自分の心が呼応しているようにすら思ってしまう。いや、事実そうあろうと努めているのだから、間違いではないはずだ。

「確かに。アンタに関係ない話ね。……でもね、アンタの耳に入れておかないといけないこともあるのよ」

 

こちらを見据える遠坂の瞳は鋭く、放たれる言葉はあまりに重い響きを湛えている。

おそらくこれから彼女の口にするのは重要なことなのだろう。それを確信させられるほどに、彼女の表情は真剣なものだった。

 

 青く澄んでいたはずの空は徐々に厚い雲に覆われ、重々しい様を露わにしていていた。その様子に言い知れぬ不安が頭を過っていく。

 

「柳洞寺が襲撃されたのは二度……一度目は三日前。派手な戦いだったんでしょうね。監督役の話じゃひどい有様だったみたいだけど、被害者はいなかったみたいね。そして二度目の襲撃は二日前の深夜だけど……何も壊されはしなかった。ここから先は、最初に言ったわね」

 必要以上にこちらに情報を漏らすことなく、ただ事実のみを伝える遠坂。さっぱりとした言い回しは、逆に柳洞寺で起こった事件の生々しさを感じさせた。それ以上に俺は内心困惑していたのだ。俺が経験してきた聖杯戦争の中で、このような事態は決して起こることはなかった。以前も感じてはいたが、確実にそして大きな変化が起こり始めているのだろう。

 しかし自身の困惑などよりも、今優先して考えるべきは遠坂の語った事件についてだ。襲撃された柳洞寺。そして忽然と姿を消してしまった多くの僧侶たちとそこに住む関係者。このことから推察できるのは、あまりにシンプルな答えだった。

 

「この戦いを、聖杯戦争を公にしようとしているのか……それとも単なる考えなしの行動なのか」

「いずれにしても私たちの戦いは秘匿しなければならない。それを二回目の襲撃者はそれを破って行動している。そんなこと、許していいことじゃないわ」

 おそらく俺の推察と遠坂の考えとは概ね食い違いはなかったのだろう。遠坂は俺の言葉に少し自らの考えを織り交ぜながら、言葉を紡いでいく。

おそらく彼女にとって魔術師の行為や戦いなどは、彼女が口にした通り秘匿されるべきものなのであろう。だからこそ迂闊な行動を起こした詳細の知れない敵を許すことが出来ないのだ。

 

「つまり、お前は……」

 そして無論、それは俺にとっても同様のことだ。戦いを公にされ、更に無関係な人々まで巻き込むことなどあっていいはずがない。

だからこそ、一度敵と認めたはずの俺のところにまで情報を持ってきたのだ。自分の信念を曲げる行為だと分かっていても。

 

「――これは忠告よ。アンタがそんな敵に倒されちゃ、本当に面白くないものそれにね、アンタを倒すのは私。他の誰でもない……この遠坂凛よ」

 フンと鼻を鳴らしながら少し照れくさそうに頬を赤らめる姿に、どこか以前の近しかった頃の感覚が蘇る。やはり彼女は何も変わってはいない。自らの信念を守り通すために行動するこの少女は真っ直ぐで、どうしようもないほどに愛おしい。変わってしまったとすればそれは俺自身。彼女の実直さに、自ら望みながらもこのようになってしまった自分にどこか苛立ちを感じてしまった。だからこそこの彼女の言葉に、俺は出来る限り素直な気持ちで言葉を返さなくてはならない。

覚悟を決め、口を開こうとした時だった。

鈴の鳴る様な響きが、俺たちの間に割り込んできたのは。

 

「――違うわ、リン。お兄ちゃんを殺すのは貴女じゃないわ」

 その声が発せられた先に視線を向ける。そこには最早見慣れてしまった銀の少女。

厚い雲に覆われていたはずの空はいつの間には晴れ間を覗かせ、燦々とした陽の光を少女に降り注いでいた。それが彼女の幻想的な様を更に際立て、語る言葉を失わせる。

それはおそらく遠坂も同様だったのだろう。見ず知らずの少女に名を呼ばれたにも関わらず、言葉を返すことも出来ないままただ不信感を露わにしていた。

 

「こんにちは、お兄ちゃん」

 しかし俺たちのことなどお構いなしなのだろう。銀の少女はゆったりとした足取りで俺たちの間に割って入り俺を見上げた。無理に俺たちの間に立ったからだろう。手を伸ばせば触れ合うことの出来るであろうその距離はどこか居心地が悪い。

 

「ちょっと! いきなり横から入ってきて、私は蚊帳の外ってどうゆうこと? それに貴女は一体何者なの?」

 少女の行為を、自分への侮辱と受け取ったのだろう。

遠坂は声を荒げながら、少女の肩に手を伸ばす。しかし少女は軽やかなステップで伸びてくる手を避ける。そして遠坂に視線を向け、意地悪な笑顔を見せる。

 

「淑女がそんなに声を荒げて……優雅には程遠いわね」

 ニヤリと皮肉を呟く少女はスカートの裾を少し上げ、絵本に出てくるお姫様のように可愛らしくお辞儀をして見せる。

 

「貴女と会うのは初めてね、リン。わたしはイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。貴女にはこれで十分じゃないかしら」

「ア……アインツベルン!? なんでこんなところに?」

「貴女に用はないの。わたしの目的はその人だから」

 瞬間、先程まで苛立ちを隠していなかったはずの遠坂の表情が凍りつく。彼女自身想像していなかったのだろう。こんな日の高い時間帯に聖杯戦争に参加している、しかも御三家の内の一人がその場に姿を現すなどとは。

 

「お待たせ。準備出来たよ」

「あぁ。待っていたよ、イリヤ……決着、つけるか?」

「うん。わたしのヘラクレスで……殺してあげる、お兄ちゃんを」

「言っただろう? 俺は殺されないってさ」

 困惑する遠坂を後目に、俺たちは以前した約束を果たすために言葉を交わしていく。しかし彼女の方から姿を現すなど、遠坂同様俺も考えもしなかった。来るべき時、俺の方からアインツベルンの森に赴こうとすら考えていたのだ。

おそらく、それだけイリヤがイリヤ自身でいられる時間に限りが見え始めてきたということだろう。この戦いの中で、少なくとも二つの英霊の魂が彼女の中にあるはず。自律機能を失いつつあるということは明白なのだ。

 だからこそ自分が自分でなくなる前に、せめて俺との決着だけはつけてしまいたいのだろう。その悲しい決意を、俺は何故だか愛おしく思えてしまった。イリヤは、この処女は倒すべき敵であるはずなのに。

 

「ちょっと待ちなさいよ!」

 会話を続ける俺とイリヤの間に、ようやく正気を取り戻した遠坂が声を荒げる。しかしイリヤの存在感にどこか遠慮してしまっているのか、彼女の態度は未だ彼女らしからぬものであった。

 

「遠坂、これは俺たち二人の戦いなんだ」

「アンタ正気なの? アインツベルンと一対一って……しかもあの子、ヘラクレスって!?」

 やはり困惑しながらも、重要なことは聞き逃してはいないようだ。ギリシャ最大の英霊の名を口にしながら、彼女は纏まらない考えを必死に纏めようとしている。

そんな彼女の姿を虚ろな瞳で見つめながら、イリヤはゆっくりとした口調で呟く。それは明らかに挑発の意を含んだ響きだった。

 

「――リン、少し待っていなさい。次は貴女の番だから」

 くすくすと笑いながら一歩、また一歩と俺と遠坂から離れていくイリヤ。凍りついていた空気は彼女が離れていくのとともに薄れ、ようやく遠坂も落ち着きを取り戻した様子だった。

 ゆっくりとしたテンポで公園の入口まで歩を進めたイリヤは再びこちらに顔を向け、最初に見せた妖精とすら錯覚してしまうほどの、儚げな笑顔を見せてこう呟く。

 

「じゃぁね、お兄ちゃん。夜に……また迎えに来るから」

 

 その言葉を最後に、銀の少女は陽の光の中に消えていった。ほんの数分の会話だっただろう。だが俺にとってはあまりに長く、どうしようもないほどに大事な時間のように感じた。

「本当にバカね。アンタ、絶対に死んだわよ」

「まだ……分からないだろ」

 イリヤの去っていった方を見つめる俺に、遠坂が呟く。咄嗟に彼女に視線を戻す。目に入ってきたのは引きつった笑顔。そんな不安そうな彼女に俺が出来るのは、きっと俺らしい言葉をかけるだけだ。だから俺も返そう。俺の……エミヤシロウの、遠坂凛に対する思いを籠めた言葉を。

 

「それにお前、言っていたじゃないか」

「何よ、また皮肉?」

「俺を、エミヤシロウを倒すのは……遠坂凛なんだろう」

「――ッ! 何言ってるのよ!? 当たり前じゃない!」

 サッと顔を背ける遠坂。一瞬、頬が赤らんだようにも見えたが、そんなことを追求しても、彼女は何も答えないだろう。

だからこそ、俺たち二人はこれで良い。きっとこれがエミヤシロウと遠坂凛の適切な距離感なのだ。

 

 そして自然に俺の足は公園の外へと、進もうとしていた。下手をすれば、もう遠坂と会うこともないかもしれない。しかし不思議と心残りもないまま、その場を立ち去ることを受け入れることが出来た。すると俺の背中に再び声が投げかけられる。

 

「……まぁ無様な死に方をしないように祈っておいてあげるわ。またね衛宮くん」

「あぁ。ありがたく受け取っておくよ。じゃぁな、遠坂」

皮肉にも聞こえるそれは、彼女のなりの優しさを湛えた響きだったのだろう。そして俺も、笑顔にまま不安を隠したまま彼女に別れを告げることが出来た。

 

 

 そう。俺にとっても、イリヤとの戦いはどのような結果になるのか全く見通しのつかないモノだったのだ。

 

 

 


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