そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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俺の中心で、なにかが弾けた

 薄い茶色をした魔力がリニスさんを中軸として同心円状に広がり、俺を包み込み、やがて倉庫全体を覆った。

 

他者からの干渉や、一般人が不慮に巻き込まれないようにするリニスさんの結界だ。

 

 邪魔立てが入らないようにという考えはあるかもしれないが、一般人に被害が及ばないようにという配慮があるかどうかは、もう俺にはわからない。

 

「徹、まさか勝てるつもりでいるのですか?」

 

「リニスさんは絶対に負けないとでも思ってんのか? 自分でも言ってたじゃねぇか、『強者は、いつまでも強者足り得るとでも思っているのか』って。そいつはな、油断って言うんだぜ」

 

「いえ、徹と私の力量を先入観なしに、公正に比較した結果です。理屈と根拠に基づいた計測値と言えます」

 

「俺には不可思議な力があるっつってたろ。それはどうやって計算したんだ?」

 

「……口が減りませんね。いいでしょう。徹は言葉で説明されるより、身体に教えてもらうほうが好みのようですから」

 

 リニスさんはどこからともなく杖を取り出し、俺へと向けた。

 

 黒い棒の先端には金色に輝く台座、その上部には同じく金色の球体がくっついている。

 

 フェイトのデバイス――バルディッシュを彷彿とさせるのは、配色がバルディッシュと似通っているからだろうか。

 

「大怪我をしてからじっくり後悔することですね」

 

 俺が拳を握り、一歩踏み込んだ矢先に射撃魔法が飛来する。

 

 数は六つ。充分多い数ではあるが、彼女の魔力や技術を思えばこの程度は牽制(けんせい)のジャブどころか、立ち回りのステップみたいなものだ。

 

試合前の握手、もしくは水泳の前の水浴びとかと同義。

 

 出方を伺うのと同時に、俺の出鼻を挫くという役割を果たしている。

 

俺の動きを高感度センサーより精密に察知して放ってくるあたり、百戦錬磨の雰囲気が漂う。

 

「リニスさんが怪我した時は俺が治してやるよ。だから安心して怪我してくれていいぜ」

 

 床を蹴り、接近する魔法弾の群れを掠めるように退避する。

 

右斜め前方へと進み、身を屈めてやり過ごしたり、身体を傾けて躱す。

 

 威力は大変恐ろしいものがあるのだろうが、そんなものは結局当たらなければ意味がない。

 

速度に欠ける射撃魔法など、戦闘になれば必ず魔力弾の驟雨(しゅうう)に打たれてきた俺にとっては恐るるに足らない。

 

 リニスさんには威勢のいいことを叫んではみたが、もちろん勝てる見込みなど皆無に等しいことはわかっている。

 

大言壮語も甚だしいが、だからといって黙って彼女の命令に従うことも俺にはできなかった。

 

 リニスさんにもなにか事情があるのだろうとは予想がつくが、俺の大事なものを侮辱したことだけは絶対に許せない。

 

 俺に勝機があるとすれば、近づいての近接格闘のみだ。

 

勝利を手繰り寄せるのも一矢報いるのも、まずは接近してからである。

 

「舐めないでくださいね」

 

 呟くような小さいリニスさんの声だったのに、まるで耳元で囁かれたみたいにはっきりと聞こえた。

 

 背筋に寒気が走る。

 

嫌な予感、このまま進めば喰い殺されるかもしれない、そんな悪寒が俺の身体を貫く。

 

 回り込んで『襲歩』の範囲内に入れば即座に使って接近戦に持ち込もう、という目論見を自ら放棄し、急減速する。

 

 減速したのに身体を駆け巡る悪寒は止まらない。見えない死神の鎌から逃げるように、俺は一歩飛び退いた。

 

 その瞬間に視界が閃光で埋め尽くされる。

 

俺が取るはずだった道を焼き払ったのは薄茶色の砲撃、リニスさんの魔法だ。

 

 あのまま進んでいれば間違いなく砲撃魔法に全身を焼き貫かれていた。

 

 リニスさんの魔法術式は構築からして出鱈目(でたらめ)に早すぎる。

 

展開されたかと思えばすでに発動済みという風に、あっという間に終わっている。

 

 魔法は無論のこと、リニスさんの動きにだって言うまでもなく警戒は怠らなかったのに、それでも意表を突かれた。

 

 こんなの無理ゲーだ、初手から詰んでいる。

 

ゲームバランス狂ってるぞ、どうなってんだよ。

 

 弱気になりそうな自分の心を叱咤して集中力を繋ぎ止めながら、リニスさんを注視する。

 

 砲撃を、余裕は一欠片もなかったがかろうじて紙一重とはいえ避けたのだから、なんらかのリアクションがあるかと思ったが、リニスさんの表情は冷静なままだ。

 

 握る杖も微動だにせず……いや、かすかに先端が揺れているように見える。

 

今の光景に重なる記憶が俺にはあった。

 

工場跡でクロノが見せた動きに、確かこのような挙動があったように思う。

 

その時は……そう、背後から――

 

「まっすぐ飛んで来ていたからといって、誘導弾である可能性を排除するのは早計ですよ」

 

 ――誘導弾が迫っていたのだ。

 

 俺の背後、真後ろから、避けたはずの射撃魔法が追尾して来ている。

 

左右にぶれたりしていなかったために、完全に直射型だと思い込んでしまっていた。

 

眼前の景色を覆った砲撃に気を取られたせいで感じ取れなかったのだ。

 

 かなりの接近を許してしまい、リニスさんの射撃魔法はすでに一メートルを割っている。

 

これでは回避は間に合わない、防御するより手はない。

 

 振り向きざまに手を(かざ)し、防御魔法を行使する。

 

「ぐっ……ぉっ!」

 

 一秒を切った猶予で展開を許されたのは、密度変更型障壁三枚が限度だった。

 

 統制がなされた六つの球状の兵隊は、俺が張った急造品の盾をその身をもって突き崩す。

 

最後の一弾が俺の脇腹に突き刺さった。

 

 動きを止めてはいけない、すぐに追撃が来る。

 

そう頭ではわかっているのに、腹にめり込んだ魔力弾が内臓の位置を強制的に変えたことによる途轍もない気持ち悪さと苦痛で、どうしても足が言うことを聞かない。

 

 障壁の破砕音に重なるように、身体にがきっ、という音が響いた。

 

肋骨が折れたか、もしくはひびでも入った可能性もある。

 

 臓器を傷つけては命と継戦能力に関わるので、ユーノ直伝の治癒魔法を使っておく。

 

すぐには治らなくても痛みの緩和くらいにはなるだろう。

 

「私に怪我をさせるのではなかったのですか? 自分が先に傷を負ってはどうしようもありませんね」

 

 目の焦点が正常に戻る数瞬、その寸毫(すんごう)の間で、リニスさんはさらに畳み掛けてくる。

 

 視界を覆い尽くす光の奔流、二度(にたび)の砲撃。

 

回避するだけの時間もなく、『襲歩』を使えるほどには足にも力は戻っていない。

 

使いたくはなかったが、『魚鱗』を使うしかない。

 

 密度変更型障壁を重ね合わせた多重障壁群『魚鱗』は、あのなのはのディバインバスターを防ぎ、暴走状態にあったエリーの魔力粒子の嵐から俺の身を守ったほどの強力な盾だ。

 

消費魔力にさえ目を(つぶ)れば、かなり優秀な魔法である。

 

 リニスさんの砲撃はほぼ溜め時間ゼロという驚異的な性能だが、やはり威力という点で見ればなのはの砲撃には及ばない。

 

それでも俺を(ほふ)るには充分すぎる破壊力だが。

 

「よしっ、これで……」

 

「防戦一方でどうやって私に勝つというのですか?」

 

 砲撃を凌ぎ切り、ここから反撃に打って出てやると意気込んだ俺だったが、リニスさんのラッシュはまだ終わっていなかった。

 

砲撃に身を隠していたのは先ほどと同じ誘導弾。

 

それが左右から挟み撃ちにするように迫っている。

 

 悔しいが、このままではリニスさんの言う通りに防戦一方、攻勢に出ることはできない。

 

左右から狙われている以上横に回避することはできないし、振り切るように前方へ駆けてもリニスさんが俺のアクションに応じて射撃なり砲撃なりすることだろう。

 

後方に退いてはさらに攻撃へのチャンスが遠くなるし、防御しようとすれば足を止めることになり、手を緩めることのないリニスさんの砲火に再び晒されることとなる。

 

 戦局はリニスさんが主導し、俺は袋小路に迷い込んだ。

 

「必要最低限の力で相手を封殺する。これが賢い戦い方というものです」

 

 なのはやフェイトは圧倒的な力で圧し潰すが、リニスさんの場合ぎりぎり敵わないくらいの攻撃で俺を追い込んでいる。

 

見栄えはなのはたちのほうが良いのかもしれないが、見る角度を変えれば――効率的な運用という見地から言えば、必要以上に魔力を消費しているとも言える。

 

 どちらがより正しく、より賢いかなどとは俺には評価できようはずもないが、そういうスマートなやり方もあるということだろう。

 

節約できるところは節約する、削れる部分は削る。吝嗇(りんしょく)家の俺には合致しそうな思想だ。

 

 角度を変える、削れる部分は削る……なにか閃きそうな感覚が頭を巡った。

 

かちり、かちり、と思考のギアが段階的に上がっていくのがわかる。

 

 一度身を以て味わったのだ、リニスさんの射撃魔法の威力は把握した。

 

防ぐために使わなければいけない障壁の数、注ぎ込む魔力の概量も算出できる。

 

 躱そうとすれば手痛い反撃を受けるか、攻撃の機会が遠ざかる。

 

かといって防御すれば現状の堂々巡り。

 

 ならば、防御しながら攻撃すればいい。

 

 俺にとっては膨大な量の魔力を消耗する『魚鱗』の直後に、脳に多大な負荷がかかる『超高速演算』に頼るというのは自分の首を真綿で絞めるようなものかもしれないが、他に有効な手立ては思いつかない。

 

なに、後のことは後になってどうにかすればいいのだ。

 

 雑音は遠ざかり、あたりは灰色に染まる。集中の極致が到来した。

 

 ここからは細やかな調節が必要になってくる、まずは軌道の把握から手をつける。

 

 

 通常障壁展開――弾道予測――障壁貫通――敵性弾数二――弾道特定

 

 

 次は角度(・・)を変えていく。

 

射撃魔法は俺を真横から挟むように放たれているのだから、変更する角度はたかだか九十度でいい。

 

 力尽くで曲げようとしてはいけない……柔らかく流れるように、緩やかに矛先をずらしていく。

 

 注意すべきはターゲットが二つあること。

 

針の穴を通すような魔力コントロールを必要とするが、不思議とできない気はしなかった。

 

 今回は意識を喰われることなく、思考を制御できている。

 

何度か繰り返したことで、この状態を使いこなせるようになっているようだ。

 

 

 各弾道上に密度変更型障壁を角度を変更し展開――弾道変化、成功――同様の工程を再度実行

 

 

 入射角が垂直に近ければ近いほど衝撃は伝わり、障壁は破壊されやすくなる。

 

障壁を破壊されて二つの牙に挟まれれば、喰い千切られるように地に伏すのは目に見えているので、魔力の消費量は(かさ)むが念を入れて三回に分けて角度をずらしていく。

 

 障壁の一枚目で三十度ずれ、二枚目で六十度捻じ曲がり、とうとう三枚目で九十度に至り、俺を左右から挟撃せんと迫っていた誘導弾は発動者の元へと帰投する。

 

「なっ……! 一体なにを……っ!」

 

「さあな。種も仕掛けもあるちゃちな手品みたいなもんだけど、ばれるまでなら手品だって魔法に早変わりだ。精々悩んでくれよ」

 

 冷静沈着そのものだったリニスさんの表情に、初めて驚きの色が浮かぶ。

 

 それはそうだろう。俺には魔力が通う感覚でどこにあるかがわかるが、その感覚がなければ俺の目にすら見えないのだ。

 

第三者には俺の魔法を視覚で捉えることは叶わない。

 

リニスさんの立場からしたら、自分の魔法が俺に直撃する寸前で方向転換して自分に向かってくるようなものなのだ。

 

 演算処理の負荷に脳は熱を帯びてきているし、消費した魔力も少なくはないが、防御と同時に攻撃に転じることはできた。

 

剣ヶ峰を乗り越えた今が絶好のタイミング、好機逸すべからずだ。ここに俺の全力をぶつける。

 

「この……っ、このような曲芸で差は縮まりませんし、溝は埋まりません」

 

 誘導弾の方向を変えたとはいえ、誘導弾としての機能を失わせたわけではない。

 

いくらなんでもそこまでは手が回らない。

 

 慌てるような様子を露わにしつつも、リニスさんは落ち着いて誘導弾をコントロールして自分に当たらないよう、左手に握る杖を横一線に振って逸らす。

 

 最初から、相手の射撃魔法でダメージを与えようなどとは毛頭考えていなかった。

 

リニスさんは自分が放った魔法に対処するためには、操作して逸らすか、障壁で防ぐか、回避するかしかない。

 

俺はリニスさんに攻撃以外の行動を取らせたかったのだ。

 

 これは攻め続けられていた状況を覆す起死回生の一手となる。

 

攻撃の手を止めざるを得ないこの一瞬、この空隙を待っていた。

 

 脇腹には疼痛が残っているが徐々に鎮まり、動作に支障を与えるほどではなくなっている。問題はなにもない。

 

 魔力付与をこれまでより強く身体に纏い、リニスさんへ急速に肉薄する。

 

 彼女の眼前で右腕を振りかぶる。

 

『襲歩』の加速でついた慣性や捻転力、筋肉から生み出される爆発力や魔法によるブースト。

 

それらを掛け合わせた俺の全身全霊の一撃。

 

 俺の失策は二つあった。

 

 一つは戦闘が開始してからたこ殴りにされていた状況から、やっとのことで攻めに転じることができたという焦りがあり、一撃でけりをつけなければという思いが強かったということ。

 

 もう一つは、アルフとの雑談を今更になって思い出してしまったことだ。

 

何気ない会話の中で話題に上った戦闘技術について、アルフは答えた。

 

『フェイトもあたしも、リニスに戦い方を教えてもらったんだ』と。

 

 自分の迂闊な行動を呪い、後悔したのは、リニスさんが俺の拳を下から跳ね上げるように弾いたその瞬間だった。

 

リニスさんは腰を落とし、力の流れに逆らうことなく、手のひらの底を俺の拳の下端に接触させ、渾身の打突を上方へと逸らす。

 

それだけに飽き足らず、リニスさんは小さく、されど鋭く踏み込み、肘を曲げて俺の鳩尾へと身体の中心を撃ち貫くようなカウンターを叩き込んだ。

 

 俺の意思には関係なく、くぐもった音が俺の喉から発せられる。

 

昼食をマーライオンしなかったのは俺の最後のプライドといえよう。

 

 貫通したかと危惧するほどの一撃に呼吸が止まる。

 

内臓にまでダメージが伝わったのか口には鉄臭い匂いが満ちた。

 

 苛烈な遠距離攻撃が可能で、近接格闘にまで精通しているのかよ。

 

俺の全力にして最速の攻撃に対処しつつ、反撃に繋げるなど生半可な腕ではない。

 

 なるほど、リニスさんが勝利を確信しているのもよくわかる。

 

力の差がこうまで歴然としているのだから、それは負ける気がしなかったことだろう。

 

 とはいえ、俺も容易く蹴散らされるつもりはない。どこまでも抵抗してみせる。

 

 敵の目の前で動きを停止させるなど愚行の極み、俺なら確実に追撃の手を緩めることはしない。

 

 追い討ちを避けるために、俺は混乱に陥った呼吸器系に鞭を打って身体を動かし、薙ぐように右の手刀で払う。

 

だが振り放った俺の刀は空を切った。

 

「慌てては動きが読まれやすくなりますよ、気をつけなければ。……この距離からの砲撃、防げますか?」

 

「ふっ、ざけんな……っ!」

 

 反撃の一閃を予期していたのか読みきっていたのか、リニスさんは彼女曰くの『必要最低限』の動きで、俺の間合いから退いた。

 

空いたスペースに自身の持つ杖を差し込み、丸くなっている先端を俺に突きつける。

 

すぐさま杖は淡い茶色に輝き、俺の視界を埋め尽くした。

 

 リニスさんは俺の攻撃圏内から外れている、今から砲撃を妨害することはできない。

 

ダメージの余韻が俺の身体の中軸を揺さぶり、足が脳からの命令を受領しないため回避することも不可能。

 

 現実的ではないが、防ぐほかには手立てがなかった。

 

「一応非殺傷設定にはしています。死にはしません。ご安心を」

 

「死なない、ってだけだよな。それ」

 

 寸時のチャージを経て、眼球を突き刺すような光が、俺と、俺の言葉を飲み込んだ。

 

 地を踏みしめていても、後方へ十数メートルも押し流される。

 

 急拵(きゅうごしら)えの障壁群で凌ぎ切れるなんて甘い考えは持ち合わせていない。

 

外側の障壁が一枚、二枚と剥がれ落ち、食い破られた障壁の穴からエネルギーが漏れ出す。

 

障壁を突き破った砲撃は、魔力付与を身体の前面に供給し、歯を食い縛って耐える。

 

今は耐え忍ぶことだけしか俺にはできない。

 

「ぁあっ、痛ぇなぁっ! でも、凌いだぞおら! …………?」

 

 展開した障壁群は見る影もないほどぼろぼろに損傷しており、砲撃の熱量と威力の凄まじさを物語っていたが、障壁群の中心は生き残っていた。

 

障壁の端は削り取られ、それに伴い俺の身体の末端部は焼き焦げていたが……まだ戦える。俺はまだ、戦える。

 

 ここからどうやってもう一度距離を詰めようか、と算段を立てていたが、左腕に違和感を覚えた。

 

 目をやれば、そこには薄茶色の鎖が幾重にも巻きついている。

 

 これも、似たようなものを見た記憶があった。

 

クロノに幾度となく使われた拘束魔法と同系だ。

 

それが今、いつの間にか、俺の左手に雁字搦(がんじがら)めに絡みついていた。

 

 ぐんっ、と強く引っ張られる。

 

「徹の魔力で、あの近距離からの砲撃を耐えたのは感嘆に値しますが……それで気を抜いてしまっては」

 

 結界に包まれた倉庫に、リニスさんの声が冷たく乾いて響いた。

 

 服を大型機械に巻き込まれたかのような、想像を絶するほどの激甚な引力により地面から足が離れる。

 

「っこほ、げほっ……。こっの、怪力……」

 

「女性に対して使う表現ではありませんよ」

 

 俺の発言が逆鱗に触れたのか、リニスさんは俺を引き寄せながら射撃魔法まで撃ってきた。

 

 跳躍移動の為の足場すら生み出す暇もなく、もちろん放たれる魔法弾を躱すこともできず、右腕で頭などの人体の急所だけは守るように努める。

 

 ハッキングで腕の自由を奪っていた拘束魔法を破壊した時には、俺はリニスさんの眼前に身を乗り出すような形になっていた。

 

 綺麗な着地ができようはずもなく、倒れ込みこそしなかったが膝をついてしまう。

 

「たしかにその、魔法を内側から術式ごと破壊する珍妙な技術には驚嘆の念を抱きますが、それを次の自分の行動に活かせないのであれば、さほど脅威には成り得ません」

 

 リニスさんは、ちょうどいい高さに跪いている俺の腹部へ蹴り込んだ。

 

 俺の意に反旗を翻した発声器官が、踏み潰された蛙のような情けない声を形成した。

 

 その細いおみ足からどうすればこのような破壊力が(もたら)されるのか。

 

自然の摂理の理不尽さには呆れ果てるばかりだ。

 

 このように強がっておかなければ、胃の内容物が食道を遡上(そじょう)する不快感を紛らわせないし、痛みに抗えない。

 

やけくそでもなんでも気を張っておかなければ意識を手放してしまいそうだ。

 

いっそのこと意識を失ったほうが楽になれるのだろうが、俺のちっぽけな矜持がそれを許してはくれない。

 

見栄を張って、意地を張って、虚勢を張るのが俺の生き方で、理念だ。

 

 蹴り上げられて、またしても宙に浮いた俺の身体は浮遊感を味わい、重力に従いすぐに墜落するかと思われたがそうはならなかった。

 

 壊したはずの鎖状の拘束魔法が俺の身体を宙吊りにしている。

 

(かす)んでぶれる瞳で確認すれば、倉庫の(はり)を経由して薄茶色の鎖が俺の身体を捕らえ、吊るし上げていた。

 

 破壊される可能性を考慮しているのか、一本や二本なんて可愛い数ではなく、夥しい本数が俺の身体に巻きついている。まるで蜘蛛の巣のような様相だ。

 

 魔法で作られているとはいえ、鎖が肉に食い込んで地味に痛い。

 

「……縛り上げるのが、リニスさんの趣味なのか……」

 

「そう言う徹は殴られたり蹴られたりと、傷つけられるのが好みなのですか? 敵わないとわかっていながら殴りかかってくるなんて」

 

「そんな性癖……持ってるわけ、ねぇだろ。あんたのやり方は筋が通ってない。納得いかない、気に入らない。俺は絶対に、リニスさんの強行手段を認めはしない」

 

「……そうですか。別に構いませんが。達するべき地がある以上、私は実現させるために突き進むだけですから」

 

 かつ、かつ、と静かに床を踏み鳴らしながら、ゆっくりとリニスさんは俺に近づく。

 

 ハッキングを使って拘束魔法を引き千切っても、あまりに数が多すぎる。

 

処理スピードが追いつかないし、なにより過度な演算で、磨りガラス越しに物を見ているような、ぼんやりとした感覚が頭の回転を阻害する。

 

 宙に吊るし上げられた俺と目線を合わせるため、リニスさんは飛行魔法を発動させてふわりと浮かび上がり、さらに接近を果たす。

 

お互いの距離は五十センチを切っている。

 

「徹、協力してもらえませんか? 徹はジュエルシードの中身を不可思議な力で作り変えました。今のままのジュエルシードでは扱い辛く、成功率に不安が残るのです。私たちの願いを叶えるために、力を貸してもらえませんか……?」

 

 リニスさんは尚も近づき、俺の頬に右手を添えて、知ってか知らずでか妖艶な色香まで放ち、惑わすように懇願する。

 

 普段であれば――平時の俺であれば、リニスさんにここまでされれば一も二もなく首を縦に振っていたことと思う。

 

だが、今のリニスさんには前までの感情を抱けない。

 

ここまで顔を近づけられても、俺の心臓は跳ね上がるどころか静かに律動を刻むだけなのだ。

 

「断る。ジュエルシードを使う……しかも複数個を同時に発動させるってことだろ。人間が有する魔力なんて砂粒ほどに思えるほど莫大な魔力が解き放たれるんだ。次元震が起きないと断言することはできないし、次元断層が誘発される可能性だってある。それらが引き起こされた場合、この世界……俺がいるこの世界なんていともあっさりと消し炭になっちまう。この世界には守りたい人が何人もいるんだ。ここまでするんだから、リニスさんたちにとっては大事なことなんだろうとは思うが、やらせるわけにはいかない。申し訳ないとは思わないぞ。俺にとっても大事なことなんだからな」

 

 俺は向けられる視線を真っ直ぐに返し、言った。

 

信念に基づいた行動と、忌憚のない考えを口に出したのだ。後悔はない。

 

 リニスさんは悲痛に耐えるように目を伏せ、俺の頬から手を離した。同時に一歩分後ろへ下がる。

 

「決裂……ですね。こればかりは致し方ありません。願いが違えば道を(たが)える、そういうことですね」

 

 この瞬間だけは、リニスさんの敵意に溢れた威風が鳴りを潜め、声音はひたすら純粋に心を痛めた様子だった。

 

 その変化が、俺は気になった。

 

「……リニスさん、あなたは……」

 

 『あなたはいったい何を隠しているんだ』と、そう尋ねようとして、リニスさんが被さるように声を重ねる。

 

「力を貸して頂けないのなら自ら研究するしかないですね。このジュエルシードが私たち(・・)の未来を……命運を左右するかもしれません。研究材料として頂いておきます」

 

 悲痛な瞳や沈痛な声色が見間違いや聞き間違いだったのかと思うほどに、威圧感がいや増した雰囲気を醸し出して、リニスさんは言う。

 

 リニスさんは俺の首にかかっているネックレス、その台座に鎮座するエリーに目をつけ、手を伸ばした。

 

 戦闘(という名の一方的な蹂躙)中に激しく暴れまわったせいで、服の内にしまっていたのが外へ飛び出てしまったのか。

 

仮に外へ飛び出していなくとも、リニスさんなら俺の服を引き裂いてジュエルシードを確認していたことだろうから、あまり結果は変わらない。

 

 リニスさんの指先がエリーに触れる寸前で、空気が破裂する音とともに青白いスパークが発されてリニスさんの手を弾いた。

 

エリーの暴走状態を解除して封印した後、誰にも触れられたくないかのようにフェイトたちを拒絶していたあの反応と同じものだ。

 

いや、今回の方が幾分手荒くなっている気もする。

 

前回よりも破裂音が倍近く大きくなっているし、弾く時の光もここまで眩しいものではなかった。

 

 リニスさんは不遜で身勝手なことを二度に渡り口走ったのだから、エリーの怒りを買うには充分すぎると言えよう。

 

「くく……はっは。……どうするんだ、リニスさん。こいつはリニスさんのことが気に食わないらしいぞ」

 

 エリーは絶対にリニスさんの言うことを受け容れようとはしないだろう。

 

街中で封印した時でさえ、俺以外の人間を拒否していたのだ。

 

 なのに、事もあろうに、エリーを実験の材料とする、などと目の前で公言した。

 

エリーは拒否から拒絶へと警戒の段階をシフトさせている。

 

リニスさんへの対応が苛烈になったのがその表れだ。

 

「そうですね、それではこうしましょう」

 

 そんな状態のエリーに対してどうやって命令させるのか、と高みの見物のような気分になっていた俺の腹部へ、リニスさんの手があてがわれる。

 

 唐突に、凄絶な衝撃が俺の腹を貫いた。

 

「があぁっ! はっ……ぐぅぶ……っ」

 

 零距離で撃ち込まれたリニスさんの射撃魔法は、数拍俺の腹のど真ん中に食い込んで消失した。

 

 苦痛に視界は歪み、頭の中は疑問符でいっぱいになる。

 

口からは逆流した血が溢れるが、拘束されているせいで拭うこともできなければ、激痛の余波を残している腹部を押さえることすらできない。

 

 なぜだ、なぜいきなりリニスさんは俺を攻撃してきたのだ。

 

「簡単な話ですよ。これは脅しです」

 

 俺が疑問に思ったのを察したのか、リニスさんが説明する。

 

もしかすると俺だけにではなく、エリーにも向けられているのかもしれない。

 

「私のささやかなお願いを聞き入れてもらえないのなら、徹に攻撃を加えていく、というものです」

 

「な、んで……。そんな……こと……無駄、だろうが……」

 

 身体を駆け回る不快感と神経に走る痛みに俺は息も絶え絶えだが、声を掠らせつつ、口の端から一筋血の流れを刻みながらも、リニスさんへ言い返す。

 

 俺が拷問もどきを受けたところでエリーの意志が折れるとは思えない。

 

そんなことやっても意味はない、と俺は言いたかったのだ。

 

 だが、リニスさんはそうは思っていないらしい。

 

「どうやらこのジュエルシードは徹に心酔しているようですからね。自分が拒むせいで徹が傷つくと分かれば、(かたく)なな態度も覆るでしょう」

 

「やめろ……こいつを追い詰めるなっ」

 

 俺のことなど歯牙にも掛けず、リニスさんは再度エリーへ触手を伸ばした。

 

 迷うように戸惑うように、不安定な光量で明滅するエリーは、やはりリニスさんの手を弾く。

 

だが、かなり威力が低下していた。

 

一回目は高出力に設定されたスタンガンのような耳を(つんざ)く音と目を刺す強い光で拒絶したが、今回はまるで静電気だ。

 

話し声程度でも掻き消されるくらいの破裂音、光に至ってはリニスさんの指先に小さく瞬いたのみ。

 

 そんなエリーの微かな抵抗でも、リニスさんは拒絶と捉えたようだ。

 

 杖の照準を俺の左肩に合わせる。

 

「拒むのであれば、こうするしかありません。本当のところ、私もしたくはないのですが」

 

 撤回するようにエリーが数度強く輝いたが、エリーの青白い光はリニスさんの薄茶色の閃光に塗りつぶされた。

 

 ふたたび放たれた射撃魔法は一寸の狂いもなく、狙いを定めた俺の左肩へと直撃した。

 

 がぎっ、という鈍い音が、耳からではなく骨を伝導して俺に届く。

 

遅れて、神経を焼くような激甚な痛みが到来した。

 

獣の咆哮じみた悲鳴が、俺の意思とは無関係に喉を裂きながら飛び出す。

 

 しかも痛いだけではなく、左肩から先を動かすこともできなくなっている。

 

これは拘束されているからという理由だけではない、肩の骨が脱臼したのだろう。

 

稽古中に受身を失敗して関節が外れたことはあったが、故意に外されたのは初めての経験だ。

 

普通に殴られるよりも精神的なダメージが大きいことを知った。

 

「このジュエルシードには明確な、それこそ意思とすら呼べるような知性があるのでしょう? それなら私の言葉を理解することもできますよね? わかりますか? あなたのせいですよ、これは」

 

「やめ、ろよ……エリーには、問われるべき罪などない……」

 

 リニスさんは血の通っていない冷たい瞳で見下すように、エリーに語りかける。

 

「あなたのせいで、徹は耐え難い苦痛に苛まれているのです。あなたが強情を張って私の言う通りにしないから、その度に徹は傷ついているのですよ。ジュエルシードという災厄を撒き散らすだけの役立たずの重荷を背負っているせいで、徹は受けなくてもいい痛みを受けているのです。そんな理不尽が有り得ていいのでしょうか」

 

 こんなでたらめを真に受ける必要はない、そうエリーに言葉をかけようとしたが、不穏な気配を察知したのかリニスさんは俺の首にまで鎖を巻きつけた。

 

喉を絞められ、気道を圧迫されたことで発声することができない。

 

 一定のリズムで光を放っていたエリーは、リニスさんから言い詰められる度にその輝きを弱めていく。

 

嘆き悲しむような、見ていて心が引き裂かれそうになる――切ない光。

 

「ですが、災禍しか与えないあなたのようなジュエルシードでも、できることが一つだけあります。徹の側から離れることです。遠ざかることでやっと、徹は苦痛から解放される。私に従ってください。それが徹の痛みを取り除く唯一の手段です」

 

 好き勝手言ってんじゃねぇよ。こいつがいつ、俺に迷惑をかけたんだ。

 

 市街地でエリーを封印した時はたしかに苦労はしたが、元を辿ればエリーが暴走した所以(ゆえん)だって、なのはとフェイトから同時に強い魔力を浴びせられて励起したからに過ぎない。

 

暴走が深刻なものになってしまったのも、遠い過去に内部プログラムの改悪を何者かに施されていたからだ。

 

 迷惑どころか、エリーはジュエルシード探索時に協力すらしてくれた。

 

工場跡では渋ってはいたが、最終的には青白い輝線で在り処を教えてくれたし、今日だってこの倉庫にジュエルシードがあることを示してくれた。

 

俺の力になってくれていたのだ。

 

 エリーには間然する所などありはしない。

 

エリーが負わなければいけない責など、一つもない。

 

自分勝手な都合と解釈を並べ立てて、エリーを追い詰めるな。

 

 そう叫びたいのに、俺の声帯が空気を振動させることはない。

 

 気を緩めれば意識を失うほどに首を絞めつける鎖のせいで、言葉が喉から出てこない。出てくるのは(しゃが)れた呻き声だけだ。

 

 エリーの小さな身体に灯る青白い光は、絶望と諦観の波に呑み込まれたかのように、失われた。

 

 かちり、という微かな金属音が鳴る。

 

ネックレスの台座からエリーが離れた音だ。

 

 エリーはふわふわと、リニスさんの正面に浮かび上がる。

 

ちょうど俺とリニスさんの中間、それはまるで俺を庇うような位置だった。

 

「わかればいいのです。これが最善の選択ですよ。わたしにとっても、徹にとっても、もちろんあなたにとっても」

 

 浮遊するエリーをリニスさんは乱暴に握り締め、自身の魔力で押さえつけた(・・・・・・・・・・・・)

 

「何かの切っ掛けで暴走などされると困りますからね。徹から離れたことで強気になって、また抵抗されるのも面倒です。今のうちに機能停止にでもしておきましょう。この程度で壊れるほどロストロギアは脆弱ではないでしょうし、研究には支障はないでしょう」

 

 エリーを握るリニスさんの手を中心に、半径二十センチほどの淡い茶色の魔力で構成された球体が生み出された。

 

 リニスさんの指の隙間から、苦痛にもだえるように青白色の光の粒子が零れ落ちる。

 

 それは不遇な運命に対する悲鳴とも、無慈悲な結末に対する嘆きとも取れた。

 

なによりも、哀しみに暮れるエリーの涙に、俺は見えた。

 

 力を振り絞って腕や足へ懸命に力を込めても、俺を縛る鎖はびくともしない。

 

酸素と血液が充分に送られていない頭ではハッキングも満足に行えない。

 

 意識は薄れ、視界の端は黒く沈み、エリーの光が遠くなっていくように感じられた。

 

 俺はただ、見ていることしかできないのか。

 

俺に力がないから、エリーが苦しめられるのか。

 

俺に力がないから、大事な存在を奪われなければいけないのか。

 

 俺はまた(・・)、大切なものを失うのか。

 

 

 

 

 

 ロストロギア、ジュエルシード。

 

 元は人々の願いを叶えるという純粋な思いから生み出され、作り出された願望器。

 

しかし二十一個のジュエルシードは、その機構を悪意によって歪められ、不幸と悲しみを吐き出すだけの存在となった。

 

 偶然とはいえ、二十一個のジュエルシードのうちの一つであるエリーは、その呪縛から解放された。

 

本当に思いがけない僥倖ではあったにしろ、エリーは本来の機能と役目を取り戻すことができたのだ。

 

 なのに、その矢先だ。次はその力を無理矢理使われようとしている。

 

強制的に、力尽くで、無理強いされようとしている。

 

そんなこと、認められるわけがなかった。

 

 リニスさんがしようとしていることは、すべてを犠牲にしてでもやり遂げなければいけないほどに重要で、大切なことなのだろう。

 

今日のリニスさんは横柄で不遜な振る舞いを取ってはいたが、会話の端々で本来の彼女がちらちらと垣間見えていた。

 

優しい彼女の顔が、所々透けて見えていた。

 

偽善ならぬ偽悪だ。

 

そうしなければいけないなにかが、今の彼女にはあるのだろう。

 

 しかし、それだけでここまでの行いを正当化することはできない。

 

 どのような大義名分があれば、人を傷つけることをよしとすることができるのだ。

 

どのような自分を騙す口実を掲げれば、こいつを苦しめてもいい理由になるのだ。

 

 リニスさんの行為は決して許せない。看過できない。

 

 エリーにはこれ以上苦しんでほしくない。

 

悲しませたくない。

 

辛い思いをしてほしくない。

 

 市街地でエリーの中へ入った時、頭に流れ込んできた思い。

 

凍えるほど冷たく、泣きたくなるほど暗い檻にたった一人、孤独の中封じられたエリーの姿は、未だに(まぶた)に焼きついている。

 

助けを求めて、腕を伸ばしていたエリーを、俺は憶えている。

 

 助けたい、助けなければいけないのに……なぜ俺の身体はこんなに大事な時に動かないのだ。

 

なぜ、身体に絡み、巻きつく鎖如きを引き千切ることができないのだ。

 

あいつが泣いているのに、なぜ、俺はこんなに……無力なんだ。

 

 力、力、力……力さえあればあいつを助けることができるのに、力さえあればこんな鎖なんて千切って捨てることができるのに、力さえあれば大切なものを奪われずに済むのに。

 

 

 

 

 

 ――力さえ、あれば――

 

 

 

 

 

 俺の中心で、なにかが弾けた。

 


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