そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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執事(見習い)

 

五月三十一日、土曜日。

 

俺はバニングス家のお屋敷の一室にいた。

 

なぜここにいるのかというと、先日のアリサちゃんの命令に起因する。以前の貸しを返してもらう、というあれだ。

 

朝から来るようにと言われてきたのだが、あのお嬢様からどんな『お願い』をされるかは聞かされていない。正直、気が気でない。とても不安だ。

 

「徹っ!おはよう!」

 

「お、おお……おはよう」

 

しばらく応接室で、やけに美味しいお茶とお茶請けに舌鼓(したつづみ)を打っていると、俺をここに通した鮫島さんと一緒に、いつもとは雰囲気の違うルームウェアでアリサちゃんが登場した。

 

にこにこ笑顔で勢いよく扉を開け放ったアリサちゃんは、迷いの一切ない足取りで俺のすぐ隣に座った。純真無垢というか、天真爛漫というか、直視すると邪悪な生物は浄化されてしまいそうなくらいに純度の高い眩しいスマイルに、若干気後れする。

 

このお嬢様が、これほどにテンションが上がるなんて相当なものだ。いったい、俺は何をさせられるのだろう。

 

「ふふっ、徹っ!今日は徹にプレゼントがあるの!」

 

「え……え?なんでプレゼント?アリサちゃんのお願いを聞くためにきたのに」

 

「いいから受け取りなさい!鮫島、持ってきて」

 

「かしこまりました、お嬢様」

 

アリサちゃんに元気よく指示された鮫島さんは、俺の目の前にあるローテーブルに丁重に箱を置いた。持ってきて、と言われたわりに、部屋を出ることもなく、どこからともなく取り出したのだがどういう仕掛けなのか。

 

「これ、って?」

 

箱を開けて中身を確かめる。衣服のように見受けられる。

 

意味がわからず鮫島さんを見上げるが、穏やかに微笑むばかり。

 

隣に座るアリサちゃんに視線をやるが、優雅にティーカップを傾けるばかり。

 

あれ、鮫島さんはいったいいつの間にアリサちゃんのぶんのお茶を用意したのだろう。

 

「……えっと、そんじゃ、とりあえず……」

 

誰も何も言ってくれないので、服を持ち上げてよく見てみる。

 

まず、どんな服か確かめるより先に思ったのが、手から伝わる感触だ。手触りからして、俺の持っている私服なんかとは質が違う。

 

この時点で既に手が震えてきているが、一度持ち上げてしまった以上、もう戻せない。不用意に戻してしまえば皺が残ってしまう。

 

手汗すら気にし始めながら服を広げて、わかった。これはスーツだ。俺が今手にしているのはジャケットなのだが、着てみずともわかる。これはとても、とっても、お高いやつだ。

 

「こ、ここ、これ……どういう……」

 

緊張で舌がうまく回らないが、どうにか質問する。どちらに聞けばいいのかわからないので、視線は手元のジャケットに突き刺さっている。

 

「ふふんっ、それは徹の制服よ!もちろんうちからの支給品だから気にせず自由に着ていいわ!」

 

「いやいやいや!だからってこんな高価なもの受け取れな……制服って?」

 

「そうっ、制服!徹はうちの執事になるのよ!」

 

「……へ?」

 

 

 

 

 

 

「つまり、纏めるとこういうこと?今日と明日の二日間、アリサちゃんの執事として仕えることが以前の借りの返済になる、と……」

 

「そういうこと!私服じゃ締まらないし、それにこういうことは形からって言うし、スーツを頼んでおいたのよ!わたしはせっかくだから燕尾服にしようって言ったのに、パパにも鮫島にも反対されたの。残念だわ……。あ、徹、そのままで」

 

「お、おう……」

 

「燕尾服は少々目を引きますので」

 

「燕尾服着てる執事がいたら相当悪目立ちするよな。執事がいるってだけでも注目を浴びるだろうに」

 

フィクションの世界では一種のキャラ付けとして燕尾服を着ていたりするが、実際は目立ちすぎるということもあって、そういった格好は控えられているらしい。お金持ちだと喧伝するようなもので、かえって仕えるべき主人を危険に晒してしまうことになりかねないのだとか。パーティなどでは喋らなくても身分を示すことができるので重宝するが、逆にそういった場所以外、外出する時などではそのような格好はしないとのこと。

 

以前、とある邸宅の瀟洒(しょうしゃ)なメイドさんに教えてもらったことがある。

 

「それに、このお戯れが終わった後、燕尾服をもらっても徹くんは困ってしまうだけでしょうから」

 

「たしかに燕尾服があってもこんな機会以外で、どこで着ればいいかわからな……」

 

スーツならともかく燕尾服もらっても確かに扱いに困るだろうな。そう思って、口の動きが止まる。

 

鮫島さんの言い方だと、まるで。

 

「……まるで、今日と明日の執事の真似事が終わったら、このスーツを頂いてもいいみたいに、聞こえるんだけど……」

 

「ええ。その通りですよ」

 

「……仮に今日と明日の時間を仕事として見なしたとしても、二日間のお給料とこのスーツじゃ、どう考えても釣り合ってないんだけど……。そもそもこれ仕事じゃないし……借りを返しにきてるだけだし……」

 

「徹くんに合わせてオーダーメイドで仕立てました。徹くん以外の誰かではサイズが合いませんよ」

 

「あわわわ……」

 

「ふっふ」

 

泡を食う俺に、鮫島さんは品良く穏やかに微笑んだ。

 

「貸しと言いましても、私のさせて頂いたことは徹くんのご友人をご自宅まで送り届けたことくらいです」

 

「いや、あの時はすごい助かったし……あと不届き者どもの始末もしてくれたし……」

 

「そのようなこともあったでしょうか?なにぶんこの歳ですので、忘れてしまいました」

 

「まだまだ現役のくせしてよく言う……」

 

「それに、こちらとしては貸し以上に借りのほうが大きいのですよ。お嬢様を救って頂いた際の借りを、まだ返せていませんので」

 

「あの時の話、まだ憶えてたかあ……。それじゃこのスーツは……」

 

アリサちゃんが誘拐されそうになったのを防いだ。そのお礼をさせてほしいと強く言われていたが、俺は固辞した。謝礼欲しさにアリサちゃんを助けたわけではなかったからだ。

 

俺はその日に振舞ってもらった豪華な昼食を礼代わりにすると言ったのだが、彼らには聞き入れてもらえず、結局お礼の話は保留とした。

 

つまりこのスーツはその時のお礼、ということなのだろう。

 

「その通りです。今回のお嬢様のお戯れ……いえ、お願いのための制服であると同時に、以前のお礼の利子代わりということです」

 

「そっかー、いやお礼代わりとしても高価すぎるけどそれならまあ……ん?利子?」

 

俺の予想通りかと思ったが、最後によくわからない情報が差し込まれた。

 

「はい。未だにお礼を返さないままこれほど日にちが経過してしまったので、そのお詫びをスーツという形で代えさせて頂こうと」

 

「いやいやいや……おかしい、おかしいって。あの時保留にしたお礼は俺が思いついたらお願いするっていう形だったのに。しかもお礼に利子なんてつかないって。つけなくていいって」

 

「そう遠慮するだろうとは思っておりました」

 

「わかってるんならなんでやったの……」

 

「ですので、表現を改めさせていただきたく思います。……これらは徹くんへの、親愛なる友人への贈り物です。受け取っていただけると嬉しいのですが」

 

「うぐっ……」

 

すべての逃げ道は(あらかじ)め塞がれていたようだ。しかも、このスーツはオーダーメイド。いつどうやって採寸をしたのかはまるでわからないが、尻込みしてしまうほどサイズが俺にぴったりなのだ。

 

俺が意固地になって断っても、このスーツは誰も着ることなく、クローゼットの肥やしとなってしまうのだろう。このような高価な礼服を使い捨てにするなんて、あまりにも勿体ない。

 

なにより、親愛なる友人への贈り物、とまで言われたのに頑なに意地を張って断るのは、相手に申し訳が立たない。

 

「そ、それじゃあ……ありがたくもらうことにしよう、かな……」

 

「ふふ、そうですか。ありがとうございます」

 

「ありがとうはこっちのセリフなんだけどなあ……」

 

「…………んー……ま、こんなもんでいいかしら。もういいわよ、徹」

 

鮫島さんとの押し問答、ならぬ駆け引きが終わったのを見計らうようにアリサちゃんから許可が出た。

 

実を言うと、さっきからちょくちょく気にはなっていたのだ。

 

「……あのさ、アリサちゃん」

 

「徹、もう今日という日は始まっているのよ。呼ぶ時は、お嬢様、でしょう?」

 

「それじゃ、お嬢様。いろんな角度からスーツを着崩したところを撮影してたみたいだけど、あれを削除してもらいたいのですが……」

 

俺は先程からスーツを着ていたのだが、しかしそれは真っ当な着方ではなかった。アリサちゃんからの指示でポーズをとったり、目線を送ったり、ちゃんとスーツを着たのに部分的に脱いだりさせられていた。

 

それらを、アリサちゃんは携帯のカメラで撮影していたのだ。

 

アリサちゃんに言われるがまま従っていたが、そもそも写真を撮られることに慣れていない俺はそれだけでも恥ずかしいのに、追い討ちをかけるかのごとくポージングまでしていたのだ。このままでは俺の黒歴史がまた一つ産声を上げてしまう。

 

写真データを削除するようお願いするが、ご主人様(仮)であるアリサちゃんは一切意に介さず携帯の画面に目を落としていた。

 

「敬語はいらないわ。壁を感じるから。ちなみにデータは消さないからね。今度みんなに見せてあげないといけないもの」

 

お嬢様と呼ばせるわりに敬語は使わせない俺のご主人様だった。そのついでみたいにデータの削除要請は却下された。

 

「あんな自意識高い系みたいな頭が痛くなる姿が拡散してしまうのか……」

 

「ご愁傷様です、徹くん」

 

「鮫島さんも止めようとはしないもんね……」

 

「お嬢様が撮影したデータをSNS等にアップするつもりであれば、さすがに上申しましたよ」

 

「ばかじゃないんだからそんなことしないわ。ただ仲間内で楽しむってだけで」

 

「俺としてはそれだけでも充分恐ろしいよ……」

 

慣れないネクタイの結び方を先輩である鮫島さんに教えてもらいながら、はだけさせていたワイシャツのボタンをきっちり留めて、ベスト、ジャケットと着込む。

 

夏の背中も近づく五月三十一日はお日柄もよく、空調の効いた室内ならともかく屋外では多少暑そうだが、我慢である。

 

「完璧に着替え終わってから言うのも変な話だけど、なぜアリサちゃんは部屋にいっぱなしなの。ふつう、部屋出るものなんじゃ……」

 

「お嬢様」

 

「……アリサちゃ」

 

「おっ、嬢っ、様っ!」

 

アリサちゃんの中で、これは譲れないらしい。

 

「……お嬢様」

 

「よろしい。部屋を出たら徹が着替えてるとこ撮れないじゃない」

 

「隠し撮りする気満々じゃねえか」

 

「隠し撮りなんてしないわよ。堂々と撮るもの!」

 

「いっそ清々しいほどの笑顔でなんてこと言うんだ。……まあ、思いっきりフラッシュ焚いてたし、視線こっちーとか、ポーズこう、とか注文してたもんな」

 

「今日と明日はわたしの奴隷だからね。文句は言わせないわ」

 

「執事からだいぶ降格してる?!」

 

「冗談よ。……それより、ふふっ。似合ってるわ、スーツ姿」

 

くすくすと楽しそうにアリサちゃんが笑う。そんな顔で褒められても、あまり嬉しくはないのだが。

 

「徹くん、こちらへ」

 

鮫島さんに促されて姿鏡の前へ移動。

 

なるほど、アリサちゃんの言葉に偽りはなかった。

 

「……そうだな、似合ってる。まるで極道の下っ端だ」

 

「そ、そんなことっ……ぷふっ、ないってばっ」

 

「笑ってんじゃねえですかい、お嬢」

 

「その顔その服その喋り方でお嬢はやめてーっ!あははっ!」

 

「服と喋り方はともかく顔ってなんだ!顔はいつも通りだぞ」

 

「徹くん。私偶然、サングラスを持っているのですが」

 

「どんな偶然が重なれば、バリエーションごとにサングラスを三つも持っているなんて偶然が起こるんだ」

 

「グッジョブよ鮫島!あははっ、くふっ、ふふ……徹っ、徹っ、かけて!かけて!」

 

「恨むぜ鮫島さん」

 

笑いすぎて目元に涙まで浮かべているアリサちゃんのお願いを断れようはずもなく、嫌々ながら微かに目元が見える程度の透過率のサングラスを受け取り、装着。目つきの悪さと薄めのブラウンのサングラスが相まって、とっても堅気(かたぎ)には見えない。

 

「きゃーっ、あははっ!すっごいっ、すっごい似合ってるっ!あはははっ!完全に、完全にヤクザっ!けほっ、こほっ、あははっ」

 

笑いすぎて、アリサちゃんがとうとうむせ始めた。

 

しかし、これどうすんの。

 

「今の俺とアリサちゃんが並んだら、どこからどう見ても組長の娘と舎弟のヤクザだな……」

 

「はぁ、はぁ……くふふっ。朝から疲れさせないでほしいわね」

 

鏡越しに俺を見ていたアリサちゃんが、目元を拭っていた。

 

無理にやらせて泣くまで勝手に笑っていたのはアリサちゃんなのだが。

 

「お嬢がやらせたんじゃねえですか」

 

「ぷふっ!も、もうっ!お嬢はやめなさいってば!まったく……そろそろ出る準備しないといけないんだから、いい加減にしなさいよね」

 

なぜか俺が悪いような口振りで、アリサちゃんが俺の目の前まで近寄った。

 

すぐ間近まできて俺をきょとん顔で見上げて、にわかに表情を険しくした。

 

「屈みなさい!」

 

「気難しいなあ」

 

どうやら気を利かせて姿勢を低くしなかったことにご立腹したらしい。

 

中腰になって目線を合わせた。

 

「さすがに威圧感がすごすぎるわね、サングラスは外しときましょ」

 

「結局外すのか……」

 

「なに?つけときたいの?」

 

「いえ、外しときたいです」

 

「なら文句言わないの」

 

言ってくれれば自分で外すのに、わざわざアリサちゃんは自分の手で俺からサングラスを取った。

 

鮫島さんに返すのかと思いきや、黄金色の御髪(おぐし)に乗っけた。鏡で見て、満足げに頷く。

 

「徹が笑わせてきたせいで時間が押してるわ。さ、はやく着替えなきゃね」

 

スキップしそうなほど足取りの軽やかなアリサちゃんを追って、スーツに着替えるために訪れた衣装部屋を出る。

 

どうやら外出する予定らしいが、俺は何をしたらいいのだろう。車の免許はないので送り迎えはできないし。

 

鮫島さんに仕事を教えてもらおうと姿を探すが、いない。いったいどのタイミングでいなくなっていたのだろうと首をひねって、アリサちゃんの背中を追う。

 

アリサちゃんの部屋の前で、鮫島さんが立っていた。どうやって先回りしたの。

 

「まだこちらにいらしたのですね」

 

「鮫島さん、どこ行ってたの?」

 

「車を回してきました。すぐに出られます」

 

「仕事はやっ」

 

いつのまにか姿を消していたのは、アリサちゃんを送る車の準備のためだったようだ。

 

「それじゃ着替えて……」

 

部屋の扉を開けたまではよかったが、途中で急停止した。

 

どうしたのかと思って俺が声をかける前に、アリサちゃんはふわりと髪をひるがえした。

 

「徹、前にお姉さんがやってくれたみたいに髪いじれる?」

 

「ん?そうだな、姉ちゃんにやらされたことあるから、ある程度は」

 

「そう。それならお願いするわね」

 

「……え?」

 

「時間が差し迫ってまいりましたので、お早めに」

 

「わかったわ」

 

「ちょ……」

 

鮫島さんに端的に返すと、アリサちゃんは狼狽(うろた)える俺の手を引いて部屋の中に入ってしまう。今から着替えるんじゃないんですか。

 

「いつもは気にしてなかったんだけど、お姉さんに髪まとめてもらったら楽だったのよ。首元があいてるっていいわね」

 

「まあ……それはいいことだな。姉ちゃんにそう言ったら、きっと鬱陶しいくらいに喜ぶと思うよ」

 

「ええ、お姉さんにはよろしく伝えておいてね。今日はこれからヴァイオリンの習い事があるから、アップにしてちょうだい。その間にわたしは着替えるから」

 

「……俺一緒に部屋にいるわけだけど、着替えるの?」

 

「え?わたしはかまわないわよ?」

 

アリサちゃんは首を(かし)げながら、着ていた服を床に落とす。

 

が、床につくその前に拾い上げる。高級そうなパジャマなのに、床にぽーんと放るなんてとんでもない、と思ってのことだ。

 

そしてそれはどうやら正解だ。まず第一に、触り心地がおかしい。軽くて、肌に吸いつくようなさらさらしっとりとした質感。

 

ただ、パジャマの質感や生地云々以前に、服に残った生々しい温もりのほうにこそ、男の理性を揺さぶる魔力があった。

 

キャッチしてしまったこの布をいったいどうするべきか真剣に悩む俺に、アリサちゃんは続けて言った。

 

「中にキャミ着てるし、徹ならべつにいいわよ」

 

「……ああ、そう。……なるほど?」

 

ゆったりした印象のワンピース風のパジャマの下は、おへそがちら見えするミニキャミソールと、ふとももが大胆に出ているショートパンツだ。透かし模様が施され、フリルが控えめに(あしら)われたそれは、可愛さと気品と色気を同居させていた。

 

そんな肌の露出も大きい薄着で、アリサちゃんはティーンズ誌のモデルのようにポーズを取る。

 

「ふふんっ、かわいいでしょ?」

 

まだまだ全体的にお子様だけれど。

 

「うん、可愛い可愛い」

 

「えへへ、そうでしょっ」

 

俺が素直に褒めると、謙遜することもなく、まるで撫でなさいと言わんばかりに胸を張った。

 

一瞬、胸を撫でるべきか頭を撫でるべきか二択で迷ったが、頭にしておいた。

 

「ん……徹は慣れてるわよね。加減をわかってる」

 

「喜んでもらえたんなら良かった」

 

気持ち良さげにアリサちゃんは目を細めた。頭で正解だったらしい。

 

「……もう、いいとこなのに……」

 

アリサちゃんの髪を手櫛で整えるように撫でていると、こんこん、と扉をノックする音。時間が迫っておりますよ、という鮫島さんの合図だ。気分を害するほど大きくもなく、気づかないほど小さくもない絶妙な音量のノックも執事の基本スキルなのか。

 

「しかたないわね。この続きは後にするわ」

 

「後には続きするのか」

 

「こっちよ」

 

アリサちゃんはすたすたと歩いて隣の部屋へ。

 

「……自分の部屋にいながら自分の部屋に移動するという違和感……」

 

隣の部屋の壁際、扉の前までくる。どうやらクローゼットの扉のようだ。

 

「徹も選ぶの手伝って。数と種類はあるから、わたしのイメージにあうものね」

 

「……ここだけで俺の部屋より広……いや、考えちゃだめだ……」

 

アリサちゃんが観音開きのクローゼットを開くと、そこには見慣れない奥行きがあった。当然のようにウォークインクローゼットだった。

 

進んで、ボトムスが並べられている付近で足が止まる。

 

「こっちとこっち、どっちがいい?」

 

そう言いながら指差したのは、華やかな黄色のミニ丈キュロットスカートと、落ち着いた紺色のイレギュラーヘム丈フレアスカート。どっちがいい、というのはつまり、どちらがアリサちゃんにより似合うか、と捉えていいのだろう。

 

それならば。

 

「キュロットだな。アリサちゃ……お嬢様はちょこまか動……躍動感あるし、動きやすいキュロットのほうがイメージを外さない。色味的にもしっくりくるし」

 

個人的には、紺色のフレアスカートでシックに落ち着いた装いのアリサちゃんも見てみたい。実に、見てみたいが。

 

「せっかく長くて綺麗な足をしてるんだから、自慢しないとな」

 

「ふふっ、徹は口がうまいわね!」

 

アリサちゃんは口元を抑えて控えめに笑った。お世辞だと思ったのかもしれない。本音だからここまで自然と口をついて出たのだが。

 

「それなら、トップスはなにがいい?」

 

なにやら期待を込められた眼差しをこちらに向けてくる。

 

これはアリサ審査委員長による執事試験か何かなのだろうか。ともあれ、試されるのなら応えるまでである。

 

「薄地のオフショルダーでインナーにチューブトップとかはまりそうだけど、そこまでやると年齢的に背伸びしてる感じが出そうだな……無難に白のシフォンブラウスとかのほうがいいかもな。同年代の子たちより頭一個ぶん飛び抜けてるけど、無理してるようには見えない。年相応の可愛さもある」

 

俺の見立てに、アリサちゃんは腕を組んで考え込む。頭の中で服装を組み立てているのかもしれない。

 

しばしの間があって、こくりと頷いた。

 

「うんっ、いいわね!」

 

「……ふぅ。お気に召したのならよかったよ、お嬢様」

 

姉ちゃんのショッピングに付き合わされた時、のべつまくなしに一方的に叩きつけられた会話がまさかこんな形で役に立つとは思わなかった。

 

ありがとう、姉ちゃん。俺があの時無駄にした時間は無駄じゃなかったよ。でもどうせなら、レディースばかり回るんじゃなくメンズの店にも足を運んでくれていたらよかったのに。女性向けのファッション情報ばかり溜まって、残念ながら自分の服選びにはなんら使い所がない。

 

「はやくしないと遅れちゃいそうね。……さすがに下はちょっと恥ずかしいから、あっち向いてて」

 

「はいよ」

 

自分よりだいぶ下のほうから衣擦れの音がする。ショートパンツを脱いでいるようだ。

 

ちゃんとアリサちゃんの中に羞恥心が存在していることを確認できて安心したが、それでも恥ずかしいのはちょっとだけなのか。

 

着替え終わったアリサちゃんには椅子に座ってもらい、髪を整え始める。

 

「どんな形にするの?」

 

「ポニテにするつもりだ」

 

「えー、ふつー」

 

つまらなさそうに、アリサちゃんは鏡ごしに唇を尖らせた。

 

アリサちゃんは前泊まりにきた時、姉ちゃんにかなり手の込んだアレンジをしてもらっていたので、ただのポニーテールでは不服だろうことは予想していた。

 

「任せてくれ。もちろん多少はアレンジする」

 

かなり前に姉ちゃんの髪でやった記憶を頼りに手を動かす。

 

まずはサイドと頭の上のほうの髪を後ろへ集めてヘアゴムでまとめる。これだとまだ普通のハーフアップだ。アリサちゃんの希望にも添っていないので、ここから手を加える。

 

下に流したままの髪を左右二つに分けて、最初にまとめたポニテよりも上に持ってくる。

 

持ち上げた髪の右側をさらに二つに分けて、三つの髪束にしたら、これで三つ編みを作る。ぱぱっと三つ編みを作れれば、ちょこちょこっとほぐしてふんわりとしたラフ感を演出する。

 

このふんわり三つ編みを、最初に作ったポニテのヘアゴムあたりでくるりと丸まらせてヘアピンで留めれば。

 

「はい、フラワーポニテの完成だ」

 

「もうできたの?」

 

ふんわり三つ編みがまるで花のように見えるし、これのおかげでポニテを纏めた時に使ったヘアゴムを隠せる。

 

仕上がりこそ複雑そうで難しそうに見えるが、やっていることは普通のポニテに三つ編みを巻いただけである。

 

「首元はすっきりするし、見た目は華やかだ。どうかな、お嬢様?」

 

大きな鏡はあるが、頭の真後ろはなかなかに確認しづらい。なのでアリサちゃんの後ろで手鏡を携え、感想を聞く。

 

アリサちゃんはキラキラした瞳で鏡の奥を見つめ、指先で三つ編み部分を優しく触れていた。

 

「いいわね!動きやすいし、なんだか大人っぽい!徹もいい仕事するわねっ!」

 

「そ、そうか、ありがとう……」

 

俺の初仕事はヘアセッティングになってしまったのだが、執事(見習い)としていいのだろうか。アリサちゃんが楽しそうだからまあいいか。

 

「あ」

 

ちらとアリサちゃんが時計に目をやって呟いた。

 

「すずかを迎えに行かなきゃいけないのに、間に合うかな」

 

「もう少し早くそれを聞きたかった!」

 

俺が髪をいじっている間に着替え終わっていたアリサちゃんを抱きかかえて走り出す。無作法だが緊急事態だ、許してもらおう。

 

「これ、返してもらうわね!」

 

ヘアアレンジの邪魔になるので預かって胸ポッケに差していたサングラスをするりと抜き取ると、アリサちゃんは抱えられて揺れる最中、器用に頭にかけた。

 

「ふふっ、これで完成ねっ」

 

そのサングラスのなにがそこまでアリサちゃんの興味を惹くのか知らないが、満足げにくすくすと微笑んだ。不思議なことに、アリサちゃんがかけると途端にワンランク上のお洒落に見えてくる。

 

「はあ……怒ってなきゃいいけど……」

 

俺はというと、先輩執事(鮫島さん)にアリサちゃんを甘やかし過ぎていると怒られそうで戦々恐々だった。

 


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