そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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冷たい微笑

「……ので、天幕……都合し……ませんか?」

 

「ああ、構……い。好きに……といい。私の権限……可しよう」

 

作戦会議を行っていた天幕から出てしばらく歩いた時、いいこと閃いた、みたいな笑顔でランちゃんが再び天幕に入っていった。天幕に戻った以上、ノルデンフェルトさんに何かしら用事があるのだろう。

 

待ってて、と言われたため待っているのだが、ここからでは微かに声の欠片が拾えるだけで話している内容まではわからない。特別興味があるわけではないのだけど、中途半端に聞こえる会話というのは存外もどかしい。

 

「徹ちゃんっ!ちょっと手伝ってもらってもいいかしらん?」

 

一歩二歩と近づいたところで、光度を倍くらいに増した明るい笑顔でランちゃんが帰ってきた。その端整な顔とモデルそこのけのスタイルで純真な笑みというのは、もはやそれだけで女性を落とせそうな勢いだ。ランちゃんの個性を知らなければ、との注釈は必要だろうが。

 

何がそんなに嬉しいのかわからないが、手伝ってくれと言われて断る理由はない。そのお手伝いの内容も聞いていないが俺は頷いた。

 

「手伝うのはいいけど、なにをすりゃいいの?」

 

「天幕を張るのよ!」

 

「へー、天幕……。そんなら手すきの隊員がうちの部隊だけでもたくさんいるな。手伝ってもらおうぜ」

 

「それはいい考えねっ!どうせ暇してるでしょうし!後は水を用意しないといけないわね……このあたりに川とかってあったかしら?」

 

「水?水なら支給されてるのがあるけど?」

 

「そっちはだめなのよ。飲料用しか備蓄がないらしくて」

 

「飲料用しか、ってそれじゃいったい何に……おおう、なるほどな。任せとけ」

 

「調べてくれるの?」

 

「ああ。哨兵もないんじゃおちおち休めないだろ?だからサーチャーをいくつか放っておいたんだ。そのサーチャーをもっと遠くまで送って探らせてくる」

 

「わぁ、用意がいいわねぇ。それならお花畑のほうを念入りに探して頂戴?抽水植物を見かけた記憶があるから、もしかしたら水辺が近いのかも」

 

「了解」

 

野営地周辺を巡回させていたいくつかのサーチャーを、ランちゃんが指差す方向へと移動させていく。

 

もう日は完全に落ちているし、街の外のだだっ広いだけの空間に街灯なんてあるわけもなく、真っ暗で視程はそれほど確保できていないが、今日は月(かどうかは厳密にはわからないがそれらしきもの)がよく出ているのでなんとかサーチャーを活かすことができた。

 

「水を確保できれば、作れるな」

 

「ええ……っ」

 

ランちゃんはきりっとした目つきで、ニヒルに口角を上げる。

 

「念願のシャワーを……っ!」

 

 

ランちゃんがノルデンフェルトさんから使用の許可を頂いた天幕は小ぶりなサイズだった。使用人数はだいたい二人から三人を想定しているような大きさだ。動員された人員を全て合わせたらかなりの大所帯だというのに、このちっぽけなサイズの天幕は一体何に使おうと考えていたのか、さっぱり謎である。

 

ともあれ、今の俺たちにとっては都合がいいのであまり気にしないでおくとしよう。

 

俺たちの部隊は迂闊な隊長と真面目な隊員の二人が治療中のため、現在は八人だ。欠員が二人出てしまったが、これでもほかの部隊と比べると被害が抑えられたほうだった。

 

一番被害の大きかった部隊(何を隠そう、無精髭の人のところだ)は隊長代理と、軽傷で済んだ隊員さんの二人しかいないのだ。残りの隊長さんや隊員さんは、治療用天幕にいる。

 

つまり何が言いたいかというと。

 

「はぁぁ。シャワーを浴びれるってことがこんなに幸せだったなんてぇ……」

 

「アサレアちゃん、湯加減はどう?」

 

我が隊は、他部隊と比較して豊かな人手を総動員し、シャワー室の設営を完了したのだった。

 

天幕を広げたり、手近にある雑貨を組み合わせて海の家にあるような簡易シャワーっぽく作ることはすぐにできたが、いい具合に水を温めることは難しい。

 

火の調整をしながら、天幕越しに利用者に伺う。

 

「あー……いーかんじー……きもちぃー……」

 

「大丈夫か?起きてるか?」

 

「だぃじょーぶー……ねてなーい……」

 

「……脳みそ溶けてないか?」

 

「とけてなーい……」

 

どうやら念願だったシャワーを浴びることができて、アサレアちゃんは至福のひとときらしい。少々知能指数が下がっているご様子だ。

 

現在時刻はまず間違えようがないくらい夜で、そしてこのあたりに光源はほとんどない。薄ぼんやりと月光が照らしてくれているだけだ。

 

天幕の中など暗くて手元すら見えない。なので天幕内部にはランタン(ガソリンもガスも電池も使わず、魔力的な動力で光を放っているらしい)が置かれている。

 

置かれているのだが、これが問題の種だった。

 

「……俺たちの天幕が端っこに追いやられていてよかったなあ……」

 

天幕の生地の加減なのか、それとも俺たちの設営の仕方が間違っていたのか、それはもうめちゃくちゃシルエットが浮き上がっている。

 

幸か不幸か、研修生やら嘱託やらの若いのが集められた俺たちの部隊は、ほかの天幕からいやに、というか嫌がらせのように離れているので他の誰かに見られることはないが、それでも女の子は嫌と感じるだろう。これが男ならば、まったく気にも留めないのだけれど。なんなら男の場合、服なんて全部脱いでそのまま直接水をかぶるくらいだけれど。

 

「それで、会議はどうなったの?明日のわたしたちの役目はー?」

 

違う事を考えて天幕の中(シャワー室)から意識を外していると、アサレアちゃんに声をかけられた。いつも通りのはきはきつんつんとした声音なので、どうやら知能指数は戻ったようだ。どことなく、機嫌の良さそうな声である。

 

「最初は他の部隊と横並びになって街から敵勢力を炙り出す作戦に参加することになってた」

 

「ふーん。……ん?最初は?なってた?」

 

「そう。最初はその作戦に俺たちの部隊も参加するはずだったんだけど、今日得られた情報から紐解いていくうちにコルティノーヴィスさんの周辺が怪しいってことになって、結局俺たちは他の部隊とは別行動してコルティノーヴィスさんの周りを調査することになった」

 

「えっと……それって、つまり……」

 

震えるようなアサレアちゃんの声。

 

今日と同様、危険なお仕事になることを言いたくはないけれど、言っても言わなくてもどうせ結果は変わらないのだから言葉を濁すだけ無駄だろう。

 

意を決して口にする。

 

「ああ、そうだよ。指揮官代理から直々に下された特別任務とはいえ、明日も今日と同じく味方部隊から突出して動く危ないお仕事になる」

 

「あんた……」

 

また怒られそうだ。

 

俺は今、単独で動いているわけではない。部隊の人間の命を預かっている。そういう立場に(なし崩し的にとはいえ)なったのだから、やはりこのようなリスクの高い任務は拒否するべきだったのかもしれない。直接命じられた任務を拒否できるのかはわからないけれど。

 

「わ、悪い……やっぱり断っといたほうがよかっ……」

 

「そんな大役をもぎ取るなんて、なかなかやるじゃない!」

 

「お、おお……?」

 

図らずも、あの気難しいアサレアちゃんからお褒めの言葉をいただいた。

 

「今日みたいに戦闘になる可能性が高いんだけど……今回受けた任務はアサレアちゃん的にアリだったの?」

 

「あたりまえでしょ?!特別任務よ!目立つ機会じゃない!ばしっ、と成功させれば、上の人たちへのアピールになるわ!」

 

「今日の任務は嫌がってたみたいだけど……」

 

「あれは使い捨ての消耗品みたいに扱うからよ。今回みたいに部隊の実力を認められて、その結果危険な任務が与えられるのなら、わたしはなにも思わないわ!」

 

燃えてくるわねっ、とアサレアちゃんは気概に溢れていた。天幕に映るシルエットも両手をぎゅっと握り締めるような形を作っていて、どうやら強がっているわけでもないらしい。

 

モチベーションが上がっているのは結構だが、アサレアちゃんの性格を鑑みるにそのやる気が空回りしないか心配である。

 

「……はあ、アサレアちゃんの意欲は尊重するよ。今日は見れなかったアサレアちゃんの勇姿を、明日は見られることを期待しとく」

 

張り切りすぎて軽はずみな行動をしないように、とここで忠告してもアサレアちゃんは反発するだけだろう。注意は当日の現場でするとしよう。

 

「ふふっ、任せなさい!明日はあんたがなにもできないくらい、わたしが活躍してあげるわっ!今日たくさん働いたぶん、あんたは後ろで指揮だけとってれば……っ!」

 

テンションが上がりっぱなしのアサレアちゃんだったが、いきなり黙り込んだ。

 

天幕を透して仄かに照らされていた俺の手元も、騒がしいアサレアちゃんが静かになったと同時に暗くなる。

 

どうしたのだろうと天幕を見やると、もうシルエットは映っていなかった。スイッチをオフにしたのか、燃料源がなくなったのか、それとも不具合なのか、原因はわからないがランタンの灯りが消えたらしい。俺たちを照らす光源は、再び月明かりのみとなった。

 

「おい、アサレアちゃん、ランタンのスイッチ切ったのか?おーい」

 

「きゃああぁっ?!な、なんで急にまっくらに……っ?!だれかぁっ、逢坂さんっ?!」

 

「アサレアちゃん?大丈夫か?ランタンが切れただけだろ?すぐに代わりを持ってくるから、ちょっと待っててくれ」

 

どうやらアサレアちゃんがランタンを灯りを落としたのではないらしい。ならばランタン自体の不具合だろう。

 

たしか部隊の人間が集められている天幕のほうにいくつか予備があったはずである。

 

立ち上がってランタンを借りに行こうとした時、ぱたばたっ、と背後で聞こえた。

 

「やだっ!行かないで!」

 

背中に感じる湿り気と温もり。俺の腹に回されている細い腕。その声はこれまで聞いていたものとはまるで違って弱々しいもので、記憶にある声とはあまりにかけ離れていたが、これはあのアサレアちゃんのようだ。

 

「うっおぉ……わ、わかった。どこにも行かないから、とりあえず手を離して……天幕の中に戻ったほうがいい」

 

「ど、どこか行くんでしょっ!?手をはなしたら行っちゃうんでしょ?!わたし、わかってるんだからっ」

 

「行かない、行かないから……。というか俺がどこか行くよりも、この状況を見られるほうがまずいと思うんだけど……」

 

「だめっ、だめ!」

 

「…………困った」

 

状況から考えて、天幕から着の身着のまま、どころか何も着ずに飛び出してきたようだ。

 

今日の昼間、街の中では、失礼なことに胸とお腹を間違えてしまったが、こうしてぴったりと密着しているとちゃんとある(・・)ことがわかってしまう。

 

「離れてなかったらいいんだよな?こうして近くにいれば……天幕に戻っても」

 

「っ……うぅぅぅっ」

 

俺がどう言おうとアザレアちゃんは離してくれそうにない。

 

この土地の気温はそこまで低くはないし風も穏やかだが、夜だと冷える。濡れた身体のままでは風邪をひいてしまうかもしれない。非常にどぎまぎしつつも一歩二歩と後退して、アサレアちゃんの身体が天幕に戻るようにする。

 

自分で代わりのランタンを取りに行くのは諦め、アサレアちゃんを落ち着かせることを優先しよう。

 

「ほら、座って。タオルは……近くにはないな。ちょっと探すから……」

 

「だめっ、行っちゃだめっ!」

 

「どこにも行かないって……天幕の中にいるんだから。タオルを探したいから腕を離してくれないか?」

 

「っ……ぅぅ」

 

アサレアちゃんの身体を見ないよう目線を上にあげて振り向き、がっちりとホールドしてくるアサレアちゃんの肩を持って腕を離すように言う。だが、溶接でもしたかのように彼女の腕は離れない。

 

それどころか振り向きながら腕を外そうとしていたので、いつのまにか体勢が変わってしまって俺の背中にくっついていたはずのアサレアちゃんが正面に移動してきていた。パニック状態のアサレアちゃんをどうにかしようとすると悪い方向に転がるようだ。まずはアサレアちゃんを宥め、そこから交渉するしかない。

 

「……わかった、このままでいいよ。……アサレアちゃんは暗いところが苦手だったんだな」

 

まずはなんでもいいので話しかける。解決の糸口が見つかるかもしれない。

 

するとアサレアちゃんは、唸り声やヒステリックな大声じゃなく、ちゃんと言葉で返事をしてくれた。

 

「苦手じゃない……きらいなだけ」

 

「どう違うんだろう……」

 

俺の服に顔を押し付けたままなのでこそばゆいが、それは些細な問題だ。

 

「……わたし、暗くて狭い部屋に閉じ込められたことがあるの……。なにも見えなくて、だれも助けてくれなくて……すっごく怖かった」

 

「…………」

 

何か聞いたことのある話だな、と思ったら、クレインくんがしてくれた話だ。アサレアちゃんの傍若無人にして傲岸不遜な振る舞いと、あと可愛らしい外見、加えて小憎たらしい性格が端緒となって同級生に物置小屋に閉じ込められたという、例の件。

 

その時の経験が、辛かった記憶が、少女の心にトラウマを刻み込んでいた。

 

「その時、わたし泣き疲れて、いつのまにか意識を失ってたんだけど……」

 

「そっか……そんなに怖かったんだな……」

 

月明かりがぼんやりと少女の顔を彩る。目元には、小さな宝石のような輝きがあった。

 

ここは暗くて狭い物置小屋ではない、安心していい。そう想いを込めて、アサレアちゃんの頭を撫でる。

 

アサレアちゃんは髪を編み込んで後頭部あたりでバレッタで留めていたが、ほどいている今は髪の先端が首や肩にまとわりついている。

 

目線が下がりかけて、心臓がどくんと強く鼓動した。再び頭を上げる。

 

ランちゃんとアサレアちゃんがどこかで繰り広げていた話ではないが、色気というのはシチュエーションが大きく影響していると思った。

 

「あっ、ち、ちがう!泣いてない!泣き疲れてなんてない!えっと……出口を探して、探し疲れて、それで寝ちゃってたの!ほんとよ!」

 

俺がべそをかいている子どもをあやすように撫でていたからか、アサレアちゃんは目元をこすって即座に前言撤回した。

 

なぜ今更強がるのだろうか。俺とアサレアちゃんの現状からして、もう既に強がっても無意味なほどの羞恥心は感じていると思うのだけれど。

 

ただ、アサレアちゃんは強がりはしても俺の手を振り払おうとはしなかった。口では強気に言うが、やはり内心では暗闇に不安を感じているのかもしれない。

 

「それで寝ている間にだれかが助けてくれたんだけど……それでもわたし、まだ暗いところはきらいなの」

 

「アサレアちゃん、助けてくれた人のこと憶えてないの?」

 

「うん。すっごく長い時間寝ちゃってて、起きた時には自分のベッドにいたわ。学校で閉じ込められたから、きっと教師かだれかが気づいたんでしょ。抱きかかえられて運ばれたのは夢うつつにおぼえているけど、顔までおぼえてないわ」

 

「そう、なのか…………」

 

アサレアちゃんを助けたのはアサレアちゃんの双子のお兄ちゃん、クレインくんだ。クレインくんが話してくれた出来事と類似点が多いし、まず間違いないだろう。

 

そこはいいのだ。妹の危機を察知して助けに行くなんて、お兄ちゃんの鑑だ。クレインくんのしたことは褒められて然るべきだ。

 

だが、だというのに、なぜクレインくんは名乗り出ないのか。いや黙って助けて、その上助けたことを誇らないなんて美徳だ。美徳なのだが、それとなくアサレアちゃんに知らせておけば、クレインくんとアサレアちゃんの仲はこうまでこじれることはなかっただろう。

 

助けてもらっておいて苛烈にして辛辣に接するほど、アサレアちゃんは恩知らずでも愚かでもない。表面的な態度はどうであれ、内面的な心境は変わったはずだ。

 

「……言って、なかったのか……クレインくんは……」

 

クレインくんは正しいことをしているが、部分的に間違ってもいる。

 

働いていないのに働いたと報告するのはもちろん間違っているが、働いたのに働いたと報告しないのも、やはり間違っているのだ。

 

クレインくんはアサレアちゃんの兄として、家族として、素晴らしい行いをしたのだから、よくやったと褒められるべきだったのだ。アサレアちゃんから、ありがとうの一言でもいい、感謝されるべきだったのだ。

 

アサレアちゃんの過剰な強がりや、クレインくんの善良すぎる心が、この兄妹の仲を難しくしてしまっている。兄も妹も、その個性が極端すぎたが故の不和だった。どちらかがどちらかに寄っていれば、ここまで複雑になることはなかったろうに。

 

「んー…………」

 

その物置小屋で助けてくれたのはアサレアちゃんのお兄ちゃんだよ、と教えるべきなのだろうか。

 

だが、俺から教えた場合、アサレアちゃんはなぜそんなことを知っているのだ、と思うことだろう。そうなってしまえば、クレインくんが俺に相談していたということをアサレアちゃんに知られてしまう。裏でこそこそしていたなどと邪推されてしまえば、さらに二人の仲が険悪になってしまう可能性もある。

 

俺から事情を説明するには、状況に分がない。

 

「ねぇ……なんでなにも言わないの?なんで黙ってるの?」

 

考え事をしていたせいで会話が疎かになっていた。抱きついた体勢から変わらぬまま、アサレアちゃんが俺を見上げる。

 

視線に気づいて顔を下げて、心臓が飛び跳ねた。

 

天幕越しにあたりを仄かに白く染める月光と、水を滴らせて輝くように自己主張する艶やかな明るい赤色の髪。その髪に負けないくらい紅潮した頬と、水を弾くきめ細やかな肌。濡れた服越しに感じる明確な柔らかさと弾力、熱い体温。

 

いろいろとまずい事態なのを忘れていた。学習しろよ、俺。理性を蹂躙する存在が、視界の下のほうにいるということを。

 

「ご、ごめん……ちょっと考え事してて……」

 

「……っ。あ、のね……。だ、だいじょうぶ……だったのよ?不安になって病院に検査も行ったけど……医者にもだいじょうぶって、言われたし……」

 

「……大丈夫だった?病院?いったいなんの話を……」

 

「ぁ、ぅ……。しょ……て、貞操……」

 

「ぶっ……」

 

あまりに突飛な発言で噴き出してしまったが、女の子にとってそれは重大な事、のはずだ。

 

真っ暗な物置小屋に閉じ込められ、意識を失い、気づいたら自分のベッドにいた。その間の記憶がないとなれば、何かされたのではないかと危機感を覚えるのは至極当然とも言える。

 

だが、なぜこのタイミングでアサレアちゃんは口に出した。

 

そのとんでもない発言をすることに羞恥がないというわけでもないようだ。俺の服に顔を(うず)めるほど恥ずかしがっているのだから。

 

と、ここまで考えて、爆弾発言の経緯を思い出す。俺が『考え事をしてた』と言ってから、アサレアちゃんが例の発言をした。

 

ということは、つまり。

 

「俺……貞操がどうとかって考えてたわけじゃないんだけど……」

 

「〜〜っ!っっ!」

 

あの閉じ込められたという話を聞いて、貞操がどうのとか純潔がこうのとか、砕いて言ってしまえば処女かどうかなんてことを真剣に考えているとアサレアちゃんに思われていたのが、なかなかにショックである。

 

勘違いしていたことに加えてとんでもないことを宣言してしまったアサレアちゃんは、怒りなのか恥ずかしさなのか原因のわからない感情に責め立てられて、声にならない声をあげながら頭をぐりぐりと俺の腹部に押しつける。なのはの突進で慣れているので痛みというほどの痛みは感じないが、俺の服が背中に続いて正面も濡れつつあることだけは気がかりだ。

 

「ご、ごめんって……。でもそういう品性のないことを真っ先に考えるって思われてるのは心外だしさ、ちゃんと分かっておいてもらわないとって思ってな」

 

「……男なんて、全員……え、えっちなこと、ばっかり考えてるもんだと思ってた。……同級生の男はみんな、目つきがいやらしいし……」

 

基本的な考え方はそれで正しいから反応に困る。年の頃を勘定に含めれば、仕方ないと言えてしまうのが、もうどうしようもない。本当に男というものは哀れな生き物だ。

 

「そういう考えの奴もいれば、ちゃんとした倫理観を持ってる奴もいるってことだ。ただ一つ言っとくけど、他の男に『こんなこと』したら絶対に押し倒されるから気をつけるように」

 

なんなら俺も理性が揺らいでいるが、現実的な諸事情を考えれば迂闊な行動を取れないことは明白なので、なんとか踏み(とど)まっている。

 

「ほ、ほかの男にこんなことするわけないでしょっ……ていうか、仮に天幕越しっていっても、信用してない男のすぐ隣でシャワーとか浴びるわけ……ないじゃない」

 

「俺のことは信用してくれてるんだな。その言葉は嬉しいよ」

 

「っ……ね、ねぇ、……あ、あんたってさ……」

 

アサレアちゃんが小声で囁いた。

 

もぞもぞとアサレアちゃんが動く。目を下に向けられないので何をしているのか具体的にはわからないが、俺のウエスト回りの圧力がなくなっているので、おそらく腰に回していた腕を自分の身体の正面に持ってきたのだろう。

 

「あぅ……あ、あの……」

 

ようやく離れてくれるのかな、と思いきや、片手で俺の服を掴んだ。

 

口は開いたり閉じたりと、目線は右へ左へと、落ち着かない様子だ。

 

俺はアサレアちゃんが何を言おうとしているのか聞き届けようと耳を傾けていた。だから、気づくことができなかった。

 

外から聞こえる足音に。

 

「あっ……あんた、か、彼女とかって……」

 

アサレアちゃんが見上げて俺の目を見つめて、口を開いた、その瞬間だった。

 

 

 

「と・お・る、ちゃーん……なーにしてるのかしらーん……」

 

 

 

突然投げかけられた言葉に肩を跳ねあげながら振り返ると、とても冷たい微笑を湛えたランちゃんが立っていた。

 

「いや……ランちゃん、違うんだ。誤解するのは仕方ないとは思うけど、そういうのでは決してないんだ……」

 

「いくらお嬢ちゃんがちょろそうだからって、食べちゃおうとするのはどうかと思うわぁ」

 

「こ、これには拠所(よんどころ)ない事情が……あ、アサレアちゃんからもなにか言ってやってくれっ」

 

ランちゃんから凍えそうなほどの眼差しを受けて、俺はアサレアちゃんからも弁解するように願うが。

 

「……ぅぅっ……っ」

 

俺の服にしっかとしがみついて呻くだけであった。

 

髪の隙間からのぞく耳は真っ赤だし、アサレアちゃんが顔を埋めている俺の腹部あたりは彼女の熱が伝導してとても熱い。

 

半端ではないくらい恥ずかしがっているようだ。ランちゃんからの随分な物言いに反論すらしないのだから。

 

「真っ暗な天幕、片方は裸で、お互いに密着していて、通常この場所は人が近づかない。……言い訳のしようがないほど証拠が揃っているわねぇ」

 

「ち、違うんだって……いや、俺だって同じ光景を逆の立場で目撃すれば絶対にそう思うだろうけど、本当に違うんだよ……」

 

急にランタンが消え、暗いところが嫌いなアサレアちゃんがパニックになり抱きついてきた。外だと誰かに見られてしまうかもしれないし濡れたままだと風邪をひくかもしれないため、やむなく俺も一緒に天幕に入った。

 

という旨を、それはもう懸命に伝えた。

 

今も絶えず俺に引っ付いているアサレアちゃんを見ながらでは説得力など皆無に等しいだろうが、それでも必死さだけはどうにか伝わったのか、ランちゃんは大きく一度頷いた。

 

「ランタンって、私の名前を『たん』呼びしているみたいでなんだか可愛いわね」

 

「なんの話してんだよ」

 

「冗談よ、ちゃんと聞いていたわ。とどのつまり、お嬢ちゃんがトラブルの発端だった、ってことでしょう?」

 

要点のみをかいつまんでしまうと遺憾ながらそうなってしまうのだが、暗所恐怖症のもともとの原因は以前に閉じ込められたせいである。つまりはアサレアちゃん自身に責任はないので、ランちゃんの突き放したような言い方では少々かわいそうだ。

 

これが、実行犯がアサレアちゃんの行状に怒って、物置小屋に閉じ込めたのであればひとつまみほどはアサレアちゃんにも責はあるだろう。だが、クレインくんの話では、男子からの人気が高いアサレアちゃんに同級生の女子が嫉妬して物置小屋への幽閉事件が発生したのだ。

 

暗所恐怖症については、アサレアちゃんは悪くない。

 

「まあ、ランちゃん……アサレアちゃんだって好きで暗所恐怖症になったんじゃないんだから……」

 

「それはそうでしょうねぇ。だとしても、いつだって任務先が明るいわけではないし、いつだってクレインちゃんや徹ちゃんいるわけではないのよ?」

 

「その辺りは追い追い克服していけばいいんだからさ、今回はここらで勘弁してくれ」

 

ぷるぷる震えだしたアサレアちゃんに代わり、俺がランちゃんに容赦を願い出る。

 

ランちゃんはまだ言い足りなかったようだが、しぶしぶ引いてくれた。

 

「ところで、ランちゃんはどうしてここに?もうシャワーは浴びたはずだよな?」

 

そう尋ねると、ランちゃんはこちらに手を差し出す。薄暗いせいでよく見えなかったが、大判のタオルだった。

 

「お嬢ちゃんがタオルを忘れていたから届けにきたのよ」

 

「そうだったのか、ありがとう。ほら、アサレアちゃん」

 

「ぁ……っ、ぁりがと……」

 

「どういたしまして」

 

アサレアちゃんは蚊の鳴くような声で礼を述べて、俺の身体で身を隠しながらランちゃんからタオルを受け取った。

 

用件は済ませたとばかりに、ランちゃんは俺の襟首を掴む。

 

「はい、徹ちゃん、戻るわよ」

 

「いや、ランタンが壊れてるからアサレアちゃんまだダメなんじゃ」

 

「そう……ちょっと見てみるわぁ」

 

ランちゃんがシャワー室と化した天幕の中へと堂々と入ってくる。アサレアちゃんがびくっと身体を震わせてさらに俺にくっついたが、ランちゃんはアサレアちゃんに見向きもせずにランタンへと直進する。

 

「ああ……これねぇ。こんなガラクタを未だに置いてるなんて、やっぱり『陸』は予算が少ないのかしらねぇ」

 

ランちゃんはランタンを引っ掴んで持ち上げる。

 

「このメーカーのこの型番は、初期不良が相次いだせいで、もう製造中止されてるのよねぇ。部品の耐久度不足だとか、接触不良だとか、魔力伝導が不安定だとかって。それなのに、癒着かどうかまでは知らないけれど『陸』が採用しちゃったものだから……」

 

ランタンをいろんな角度から眺めて、ランちゃんがぼやく。ランタンを上端と下端で持つと、力を込めて押した。

 

すると、沈黙していたランタンが明滅しだし、次第に光が安定し始め、徐々に光度を増す。天幕内部はランタンが壊れる前の明るさに回帰した。

 

よかった。これで一安心。

 

と思っていた。

 

「あかるい……。はふぅ……よかった」

 

アサレアちゃんが安堵のため息をついた。緊張感が抜け、表情も緩んでる。

 

そう、これが問題だった。

 

明るくなったおかげで色々と、微細に繊細に詳細に、事細かく委細漏らさず見えてしまっているのである。

 

髪の毛の端から垂れて首筋を伝い鎖骨を流れる水滴だったり、掴んだら壊れてしまいそうなほど華奢な肩だったり、肉付きの薄いすらりとした腕だったり、細くくびれた腰だったり、しなやかかつ健康そうに伸びる足だったりと。右目が俺の意思を離れて勝手に情報を集めてしまうのも、仕方がないと言えるのではなかろうか。

 

「徹ちゃぁん?紳士なら目をつぶっていましょうねぇ?それとも私が瞼を閉じさせてあげましょうかぁ?」

 

だめだったようだ。ランちゃんに見咎められた。

 

「……オーケー。目をつぶる。反転する。そのまま天幕を出る。それでオーケー」

 

「よろしい」

 

「ね、ねぇっ!あ、あんたはシャワー浴びなくていいの?」

 

両手を上げて目をつぶり、そのままランちゃんに言ったように退室しようかとしたのだが、アサレアちゃんに呼び止められた。というか服をまだ掴まれていた。

 

「んー……ほかの人たちはもうシャワー浴びしたし……残ったクレインくんとユーノが入る時にお湯温めてからになるから……ん。俺は最後に水かぶるくらいでいいや」

 

「な、なら、あんたが入る時、わたしがお湯の番を……」

 

「お嬢ちゃーん?……いい加減にしておかないと……ねぇ?」

 

「ひぅ……わ、わかったわよっ……」

 

ランちゃんに窘められ、というか有り体に叱られて、アサレアちゃんはおずおずと引き下がった。

 

二人の明確な力関係に苦笑しつつ、俺は最後にアサレアちゃんに確認を取る。もちろん、ランちゃんに強制的に瞑目させられたくないので瞳を閉じて、念には念を入れて上を向いている。

 

「そんじゃ俺たちは天幕に戻ってるけど、もう大丈夫か?」

 

「だだいだい大丈夫よっ。ありがとっ!」

 

くっついていたアサレアちゃんが、そろそろっと離れたので、俺は目をつぶって上を向いたままその場で方向転換。天幕の外へ出ていく。

次いでランちゃんも退室して、出入口を閉じた。

 

『ああぁぁ……っ、なにやってんのよわたしいぃぃっ……』

 

天幕(シャワー室)から離れていく際、アサレアちゃんの悶えるような声が聞こえた気がしたが、俺は聞こえなかったふりをした。

 

隣に並んで歩くランちゃんのにやけたような、それでいてじっとりとした視線は実に居心地が悪かった。


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