そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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「絶対に俺が、幸せにするから」

 

 

「はぁっ……はぁっ……っ」

 

「今回はこのくらいにしておくか」

 

「うっぷ……。はっ、どうも……」

 

「まったく、この程度で動けなくなるとは情けない」

 

「げっほ、けほっ……。クロノも三時間ぶっ続けで撃ち続けられてみろ……絶対こんな感じになるから……」

 

クロノに投げつけられたタオルで汗を拭いながら、持ってきておいたスポーツドリンクを口に含む。

 

クロノを先生としたとても激しい教練のおかげで、俺の足はぷるぷる震えて立っていることすらままならない。アースラの訓練室の床に座り込んでいた。

 

先生はお忙しい身なので、あまり時間は大きく取れないのだ。なので直接見てもらえる時間中は大概休みなく訓練が行われる。おかげで体力的にも精神的にも魔力的にも疲労困憊だ。

 

今にも痙攣(けいれん)しそうな足をマッサージしていると、訓練内容が書かれている紙を眺めながらクロノが口を開く。

 

「徹はもう聞いたか?プレシア・テスタロッサの娘……アリシア、だったか。アリシアの体調が良くなってきたそうだ。会話もできるようになってきていて、食事も普通に摂れるようになってきていると」

 

「そうなのか?!元気になってきているんだな……よかった。……人伝てに聞いたって感じだな。クロノは見舞いに行ってないのか?」

 

「管理局側の人間、しかも見知らぬ男が行っては向こうも緊張するだろう。なので控えておいた。アリシアの様子は僕に代わって艦長に見に行っていただいた」

 

「リンディさんなら喜んで行きそうだな」

 

「ああ。仕事は他にもたくさんあったがそれらを置いて見舞いに行ったほどだ」

 

「想像通りだけど、ほかのお仕事……。なんか手伝えることがあったら気兼ねなく言ってくれよ?」

 

「ならまずは、嘱託魔導師になることが先決だな」

 

うぐ、と言葉が詰まる。なんとも真面目で切れ味鋭いリターンエースだ。

 

「はっ、言ってくれるぜ……。アリシアの体調が良くなったっていうのは、プレシアさんには?」

 

「そちらも艦長から既に伝わっているはずだ」

 

「そらそうだよな。リンディさんも子を持つ親なんだから、そのあたり抜かりはないか」

 

「ただ……問題が一つあってな」

 

クロノが渋面を作る。表現を選ぶというか、言葉に迷うそぶりだった。

 

「な、なんだよ、アリシアになにかあったのか……」

 

ぞくり、と身体の奥から冷たくなるような感覚。もしかしてアリシアの身に何か良くないことがあったのだろうかと、悪い想像を働かせてしまう。

 

(にわ)かに顔色を悪くした俺に、焦った様子でクロノが説明する。

 

「いや、徹が考えているような深刻な問題ではないんだ。まあ、深刻といえば深刻なのかもしれないが……。アリシアが、母親に会いたいと言っているらしくてな……」

 

クロノが口にした『問題』とは、身体面ではなかった。命にかかわる話ではなくて一安心だが、しかし、これはこれで困った問題だ。

 

「……会わせられないか、やっぱり」

 

アリシアがプレシアさんに対して(いだ)いている感情は伏せて、クロノに尋ねた。

 

「……まだ、厳しいな。誤解しないでほしいんだが、僕たちの心情としては会わせてやりたいんだ」

 

「……わかってる。たしか、まだ判決は出てないんだもんな」

 

「ああ。三つの主な罪についてはかたがついた。しかし小さい罪に関してはまだ裁判は終わっていない。さすがに留置場代わりの部屋から出すのは、面倒な相手に露見した際に問題になる。僕の責任でできればいいが、残念だがその権限が僕にはない。艦長の責任となってしまう」

 

「そいつは……だめだな」

 

「艦長はそれを理解した上で許可を出してしまいそうだが……」

 

「リンディさんがそういう提案をしてきたら断っとくわ。……判決が出て、これからの身の振りかたで無罪放免になるか執行猶予になるかすれば、大手を振って会えるんだ。すこしの、辛抱だ。……ほんのすこしの我慢だ」

 

ここで無理を押して不安の種を残す必要はない。

 

そうは理解していても、(わだかま)りが残る。

 

アリシアにとって終わりがないとも思えただろう長い眠りからようやく覚醒したというのに、プレシアさんにとって永遠に叶わないとも思えただろう願いがようやく成就したというのに、顔を合わせることも、言葉を交わすことも、手を取り触れることも許されない。仕方がないこととはいえ、もどかしい。

 

手伝うことも、助けることもできない自分が、情けない。

 

何か役に立てることはないかと思索していると、こつ、と軽い衝撃が足に走った。

 

クロノが、考え事をしていた俺の足を蹴ったのだ。

 

「なんて顔をしているんだ。徹がそう思い悩む必要はない」

 

「そうは言ってもな……」

 

「母さんが……艦長が言うには」

 

「俺しかいないんだから『母さん』でもいいだろ」

 

むっ、とした顔をしてクロノは斜を向いた。

 

俺は知っている。この表情とこの仕草は腹を立てているわけではなく、照れ隠しであることを。

 

「それとこれとは別だ。……それで、だ。艦長が言うにはアリシアは母親に会いたいとも言っていたが、プレシアの使い魔、リニスとも会いたいと言っていたそうだ」

 

「プレシアさんとリニスさん、か……。どっちも部屋から出せる状況じゃないからなあ……」

 

「おそらくだが、アリシアは人恋しく感じているというところもあるのではないか?アリシアの病室には、医務官以外あまり人が入らないんだ。アリシアの経緯を考えれば、あまり軽い気持ちで訪れることは憚られるのだろう」

 

「長いこと眠ってたわけだからな。様子を見に行こうにも気を使うってわけか」

 

「だから徹、見舞いに行ってやってくれ。アリシアの暇潰しも兼ねてな」

 

「あれ?行っていいのか?」

 

「アリシアに会わせられないのは、裁判中のプレシア・テスタロッサとその使い魔であるリニスだからな。その二人を部屋から出すのが問題になるのであって、アリシアに会うこと自体は問題ではない」

 

「それもそうか。お見舞いに行くってわかってたら、なにか果物とかお菓子とか持ってきたのにな」

 

「それなら食堂に寄っていくといい。食堂の連中に事情を話せば、(こころよ)く分けてくれるだろう」

 

「まじかよ。そんじゃちょっくら行ってくるわ」

 

足に手をついて立ち上がる。身体は重たいが、休む前よりかはだいぶ良くなった。なんせ、足がぷるぷるしていない。

 

飲み終わったボトルを持ってきていたバッグに投げ入れて、クロノに向く。

 

「クロノはアリシアに伝えとくことってあるか?」

 

「ん?いや、これといって特には……」

 

「時の庭園で裸を見たってこと以外に伝えとくことはないか?」

 

「……訓練の続きがしたいのならそう言え。戦闘訓練用の特注オートスフィアではなく、僕自らが杖を取って教練してやろう」

 

「ごめんなさい」

 

心胆寒からしめるクロノの瞳と赤く染まった頬を前に、俺は速やかに降伏した。

 

なのはにちょっかいをかけると可愛くていいが、クロノをいじるとスリルがあって楽しい。加減を間違えると本当に魔法が飛んできそうなところなんて、特に。

 

俺は逃げるように訓練室を出た。

 

出る間際にちらとクロノを見ると、時の庭園での光景を思い出したのか顔を赤らめて手で口を覆っていた。実にうぶな反応で、頬が緩んだ。

 

 

 

 

 

 

食堂で頂いた果物と籠を片手に持ち、ドアをノックする。

 

「はーい。どーぞー」

 

返事はわりと元気がよかった。これまで、具体的に何年かなどは把握していないけれど、ずいぶん長い間眠っていたとは思えないくらいに、はきはきとして明瞭(めいりょう)な声音。

 

扉越しに届く声質自体はフェイトと似ている。似ているのだが、それは表と裏のような、鏡合わせのような印象だった。

 

扉を開いてまず目につくのは、清潔そうなベッド。純白のシーツと布団。

 

足に布団をかぶせて座りながら、アリシアはオーバーテーブルに手を乗せてなにやら本を読んでいた。夢中になっているらしく、こちらを見ていない。

 

「きりのいいとこまで読んじゃうから、ちょっと待っててねー」

 

本に目を落としながらアリシアが言う。

 

没入しているところを邪魔することもないので、俺はベッド脇におかれていた椅子を引き寄せて座る。黙って待っていることとしよう。

 

「…………」

 

暇なのでアリシアをぼうっと眺める。

 

外見は、本当にフェイトと瓜二つだ。金色の長い髪、整った顔立ち。大きくてまるい瞳、通った鼻筋、形も色もよく柔らかそうな唇。

 

外見は似ているが、どことなく身に帯びる雰囲気がフェイトとは異なる。フェイトが儚げな月明かりだとすれば、アリシアは麗らかな陽の光だ。どちらがより優れているというわけではない。フェイトはフェイトの、アリシアはアリシアの魅力がある。

 

眺めていると、アリシアは時折驚いたように目を見開いたり、かと思えば緊張したように唇を閉じたりする。アリシアが読んでいる本は、なんとも波瀾万丈で刺激的なようだ。

 

細かい文字を読んでいるのだから目のほうもちゃんと機能しているようだし、内容を理解しているのだから頭もはっきりと働いているのだろう。顔色も良いし、肌艶も乱れていない。これほどまでに早く体力が戻っているのは、アリシア自身の強さと、アリシアを診てくれた医務官さんの尽力の賜物(たまもの)だ。

 

「ふー……。待たせてごめんねー。もういいよ。今日って健康診断あったっけ?」

 

(しおり)を挟み、ぱたん、と本が閉じられる。アリシアの言っていたきりのいいところまで読み進めたのだろう。

 

ようやくこちらへ視線を向けたアリシアへ、持たせてもらってきていたいろんな種類のフルーツ詰め合わせの(かご)を掲げ見せる。

 

「健診じゃなくて、お見舞いにきたんだ」

 

「あっ……ああっ……っ!」

 

「元気か?アリシア」

 

「ぱ……パパ……っ、パパぁ!」

 

果物が詰め込まれた籠には目もくれず、アリシアは時の庭園でハッキングした時と同様に俺のことを『パパ』と呼んだ。

 

『パパ』発言について言及する暇もなく、アリシアはオーバーテーブルをベッドの端に押しやって、あたたかそうな布団を惜しまず跳ね除けてベッドに立つと、そこからジャンプした。もちろん目掛ける先は言うまでもなく俺である。

 

「ちょっ?!アリシア危なぶっ……」

 

いかなることがあっても避けるなどありえない。頭から突っ込んでくるアリシアを抱きとめようとするが、いっそ称賛したくなるほどの思い切りの良さで飛び込んできたアリシアの勢いを相殺することができず、盛大に椅子から転げ落ちた。

 

こんな状況でもアリシアが床にぶつからないように抱え、厚意で頂いたフルーツをだめにしないよう留意した無意識下の俺を褒めてやりたい。おかげで俺は受け身を取ることもできずに背中を(したた)かに打ちつけたけれど。

 

「アリシアっ……危ないだろ。怪我したらどうす……」

 

「パパっ……パパっ!会いたかったっ……わたし、さみしかったんだからっ……」

 

「いや俺、パパじゃ……もういいか……」

 

床に寝転がった俺に乗っかり、アリシアは顔を俺の胸に押しつける。そんなアリシアに、潤んだ声と震える身体でパパ、パパと連呼するアリシアに、俺は『パパ』じゃないなどとは言えなかった。落ち着いた頃を見計らって訂正するとしよう。

 

「顔見にくるのが遅れて悪かったな。体力が戻ってからのほうがいいと思ったんだ」

 

「いつでもいいの。パパならいつきたっていいの。わたしが寝てる時でも起こしてくれてよかったくらいなのに」

 

「寝てるところを起こせるわけないだろ……ったく」

 

ひっしとくっつくアリシアを抱きつつ、頭を撫でる。そうするとアリシアは、くすぐったそうに、それでいて喜色を滲ませながら笑った。

 

「にへへ、あははっ!ふふっ、んー」

 

何が楽しいのか、きゃっきゃきゃっきゃと嬉しそうにはしゃいでいる。無論、未だに俺の上に乗っかって、顔を押しつけてもぞもぞと動いている。それ自体が輝いているようなアリシアの金の御髪(おぐし)が顔や首元を撫でてきていて、大変こそばゆい。

 

「くすぐったい、アリシアくすぐったい」

 

「パパ、いい匂いする……。ママとは違う匂い……。わたし、結構好きかも……」

 

クロノとの特訓のあと、一応タオルで汗は拭ったが替えの服を持ってきていなかったのでシャワーも浴びていないし、着替えてもいない。訓練を受けた時の服のままである。

 

そもそも、アリシアの見舞いをするという予定は当初なかったのだ。元の予定ではクロノに訓練に付き合ってもらって、終わればすぐに帰るつもりだった。教練の後に初めて教えられたので準備も何もできていなかったのだ。

 

あらかじめ聞いていれば、シャワー室を借りて身を清め、清潔な衣服に着替え、加えてアリシアへの見舞いの品を持参してきたのに。

 

「やめろやめろ、匂いを嗅ぐな。だいぶハードに運動した後だから汗くさいだろ?」

 

「んーん、そんなことないよ?なんだろー?男の人って感じ……いい匂い」

 

多少なり汗を含んでいるだろう服なので不潔だしくさいかもしれないので、胸元ですんすんしないようアリシアに注意するが、当の本人はまるで気にするそぶりがない。それどころか勢いが増していくくらいだった。

 

もうここまできたら運動の後とかそんなこと関係なしに、ただ単純に恥ずかしい。

 

「はい終わり!もう終了!アリシアはベッドに戻る!」

 

「えー、なんでー。わたしはパパともっとおしゃべりしたいー!」

 

「お喋りならベッドでもできるだろ?」

 

「むー、むー」

 

「むくれない、うならない。ほら」

 

上半身を起き上がらせてベッドに戻るよう促すが、アリシアは俺の上から動かない。俺の上に乗ったまま、まっすぐ見つめて腕を伸ばす。

 

「だっこ」

 

「この甘えんぼめ」

 

「だいじょーぶ、パパにだけだよ」

 

「そこを気にしてるわけじゃないんだよ」

 

動きそうになかったアリシアの背中に腕を回して引き寄せ、抱き上げる。

 

「んーっ、えへへっ」

 

こういうところ、甘え慣れている感じがする。

 

嬉しそうな声を出して、アリシアは俺の首に手を回した。

 

果物籠を床に置くのは抵抗があるので、アリシアに突撃されて転げたままだった椅子を立て、一時避難としてそこに置く。

 

「いよっ、と」

 

間違ってもアリシアを落っことさないよう、しっかり抱きしめて立ち上がる。

 

だっこして再確認できたが、やはりアリシアはフェイトよりも一回りくらい小さい。身体も小さいが、体重もそうだ。比較してしまうと女の子に対して失礼にあたるかもだが、なのはやフェイトよりも一段と軽い。もちろんなのはもフェイトも軽いのだが。

 

この歳の子なら大抵軽いのかもしれないが、一因にはやはり病み上がり(と、表現していいのかはわからないが)ということもあるのかもしれない。

 

「あははっ!パパーっ!」

 

「ちょ、暴れるな、危ないだろ」

 

アリシアが首に回した手を引き寄せ、くっつく。

 

俺の顔のすぐ隣にアリシアの顔がある。というか頬をくっつけてきている。

 

柔らかく、妙に甘い香り。そして、俺よりも高い体温。

 

「ほれ、降ろすぞ」

 

「やーっ」

 

「わがまま言わない」

 

ぽかぽかするアリシアは少々名残惜しいが、おくびにも出さずにベッドに戻させる。

 

アリシアがジャンプしたせいで乱れたシーツやら布団を綺麗に足元付近に畳んでおいた。

 

「パパつめたいっ、ひどいっ」

 

「冷たくないしひどくもない。まだ目覚めてからそう日にちは経ってないんだ。これで体調崩しでもしたら大変だろ?」

 

「お医者さんとおなじこと言う。もうだいじょーぶなのに」

 

どうやら医務官さんも俺と同じ見解のようだ。ここの医務官さんは多少心配性ではあるものの優秀な方なので、あの人がそう判断したのなら間違いはないだろう。

 

「みんなアリシアのことが心配なんだよ。経過観察でなにもなかったら動き回ってもいいって許可ももらえるだろうから、それまで我慢してくれ」

 

「ちぇー……。あっ、いいこと思いついた!パパがもうだいじょーぶって言ってくれたら、きっとあのお医者さんも許してくれるよ」

 

妹であるフェイトとはまさに対極な、燦々(さんさん)と輝く太陽のような笑顔で提案してきた。

 

「いや、俺にはそんな権限はないし……」

 

「パパはからだの中見れるんでしょ?」

 

「それは……まあできるけど。ハッキングつってな、魔力を送り込んで……

「ならパパがわたしが健康だってことをたしかめて!」

 

ほらっ、と言って、病院服の襟元をがばっと開いた。

 

うっすらと浮き出た鎖骨と、真っ白で真っ平らな胸元を俺に見せつける。

 

なんとも大胆なことをする。これで相手がリニスさんなら心臓が爆発していたおそれがある。

 

「こら、女の子がそんなはしたないことしたらだめだろ」

 

「だってパパだもん。だいじょーぶ、お医者さんも女の人だったし、それにほかの人にこんなことしないよ?安心してね」

 

ずいぶんとこちらの言いたいことを先読みし、先回りしてくる。これで案外頭の回転がいい。

 

おかげで俺が後手に回っている。

 

断る建前を考えながら口を動かす。

 

「いや、えっと、確かめるだけなら別に服をはだけさせなくてもいいってことをだな……」

 

「でも服のうちがわから手を入れてるほうがえっちに見えない?そっちのほうがいいならそっちでもいいけど」

 

アリシアは襟元から手を離し、服の裾のほうをつまんでするすると引っ張り上げる。つややかで柔らかそうなおみ足が徐々に姿を現わす。

 

大人用ならばともかく、子ども用の着替えがないからだろう。アリシアが着用しているのはワンピースのような病衣だ。そんな病院服の内側から手を入れようとすると(まく)り上げないといけないので、余計にいかがわしい。アリシアの言う通り襟元のほうがまだましだ。

 

アリシアの細い手首を優しく掴んで、それ以上たくし上げないようにする。病室の光を返すほどに白いうちももが眩しい。

 

「わ、わかった!そんじゃ、襟元のほうからにしよう。そうしよう」

 

「うんっ!」

 

アリシアは手を止めて、裾から襟元に手を運ぶ。俺はその隙に足を晒しまくっている裾を元に戻した。

 

「はい、どーぞ」

 

無垢な笑みで胸元をはだけさせて差し出してくる。なんだか悪いことをしているような気がしてきた。

 

おかしいな、なぜアリシアのリンカーコアを確かめることになったのだろう。リンカーコアの調子を魔力で調べることができるということを説明しようとしていただけのはずなのに。確かめるなんて約束した覚えはないのに。

 

首をひねりながら、そろりそろりと手を伸ばす。

 

指先が、アリシアの肌に触れた。

 

「ひゃんっ」

 

悲鳴と喘ぎ声の中間のような、か細くて愛らしい声をもらした。

 

「へ、変な声出すなよ!」

 

「だってー、パパの手つめたかったんだもん」

 

「アリシアの体温が高すぎるんだ!」

 

「でももうつめたいってわかったから、だいじょーぶだよ。はい、もーいっかいっ!」

 

「なんで指示されてるんだろうか……」

 

疑問を抱きつつ、もう一度触れる。

 

「んっ……」

 

「だからその声やめろって……」

 

「だってー、パパがわたしにさわってるんだもん、声もでちゃうよ」

 

「どういう意味だ、どういう……」

 

「んー……?あれ?あの時みたいな感じがしないよ?」

 

あの時というのは、時の庭園で治療した時のことだろう。ちゃんとあの時もハッキングの感覚はあったようだ。

 

「まだやってないからな。今から始めるぞ。変な感じが、むず痒いような感じがあるかもしれないけど、耐えてくれ」

 

「だいじょーぶだよ。パパのがわたしの中に入ってきたとき、ほんとはじんじんしてちょっと苦しかったけど、なれてきたらとってもあったかくて、パパのがわたしを満たしてるのが感じれて、きもちよかったから」

 

「……そうか、うん、それなら……いいや」

 

一応確認だが、ハッキングした時の感想である。他に俺はアリシアになにもしていない。アリシアのリンカーコアに魔力を流しただけだ。満たした云々というのも魔力で満たしたというだけのことである。

 

「じゃあ、いくぞ」

 

「うん。きて、パパ」

 

アリシアに触れている手を通じて魔力を流す。抵抗も何もなく、すっと滑り込んでいく。

 

「んっ……えへへ、わかるよ……。パパのが、入ってきてる……はぁっ、んくっ……奥までっ、届いてるよ……っ」

 

「狙ってそんな言い回ししてるんじゃないだろうな……」

 

「あはは、そんなことないよー」

 

俺の魔力がアリシアのリンカーコアにまで到達した。ただそれだけである。それ以外の行為は断じてしていない。

 

「どう?わたしの中、おかしくない?」

 

甚だしく集中力を削られているが、幸いなことにリンカーコアをも含めたハッキングに習熟しつつある俺にとって、この程度ならまったく問題なかった。

 

「異状という異状は……ないな」

 

魔力の精製量が極端に少ないが、気分を悪くするほど少ないわけではないので日常生活を送る上では支障はない。きっと長期間休眠状態に近かったので、リンカーコアの精製がまだ覚束ないのだろう。しばらくすれば精製量は増えてくるだろうし、それまでの間も魔法など魔力を使わなければ体調を崩すことはない。

 

医務官さんを信用していないわけではもちろんないが、こうして自分でアリシアの健康を確認できて安心した。

 

「ほら、だいじょーぶでしょ?みんな心配しすぎなんだからー」

 

アリシアの胸元から手を離すと、どや顔みたいな表情でない胸を張っていた。襟元を掴んだままなものだから更にあらわになってしまっている。

 

殊更小さなアリシアのおててを包んで服から離させる。

 

そっと病衣の乱れをなおして、言う。

 

「念には念だ。専門家の言うことは聞いといたほうがいい」

 

「えーっ!パパからあのお医者さんに伝えてよー!あのお医者さん、パパのことほめてたよ?すごい技術を持ってるって言ってた。パパがもうだいじょーぶって言えば、お医者さんも納得してくれるはずなのにー」

 

「そうは言ってもな……アリシアはそんなに部屋から出たいのか?」

 

「あっ!話そらそうとしてる!」

 

なかなか鋭い。

 

「ちがうって。そこまで医務官さん……お医者さんから許可をもらって外に出たいのかなって思っただけだ。この部屋は退屈か?」

 

「ときどき女の人が本を持ってきてくれるから退屈ってわけじゃないよ。ただ、ママはお部屋から出られないんでしょ?だったらわたしがままのお部屋にいけばいいやって」

 

「あのな、アリシア。それはできな……あれ?できないのか?」

 

クロノの口振りから察するに、プレシアさんやリニスさんは小さい罪状についての裁判絡みで拘留所代わりの部屋から出ることは許されない。俺がリニスさんの部屋に入ったのだって、聴取という名目でクロノがうまくこじつけてくれたのだ。

 

だが、アリシアについては何の(しがらみ)もない。病室を出てどこに行こうが(もちろん管理局及びアースラの機密に関わるところはだめだろうけれど)原則としては構わないはずだ。法的に拘束できない。アリシアが何がしかの法を犯したわけではないのだから。

 

アリシアがこの病室から出てはいけないことになっているのは、アリシアの体調を(おもんぱか)ってのことである。長い間、仮死状態にいたから身体に負担をかけないようにとの配慮だ。

 

ならば、いけるのではないだろうか。誰か管理局員がアリシアに付き添って(名目上はアリシアが管理局員に付き添うという形で)やれば、アリシアとプレシアさんを再び会わせてあげることも。

 

「もしかしたら……できないこともないのかもしれない」

 

「えっ?!ほんとに?!」

 

もちろん俺が決められる話ではない。なんといっても、法の網をかいくぐるようなやり方なのだ。リンディさんとクロノに事情を話して、条文を確認して、協力してもらわないといけない。

 

でも、一考の価値はあると思う。試すだけの価値は、あると思うのだ。言うだけならタダだ。リンディさんたちに、この方法ならどうだろうとお願いしてみるだけしてみてもいいだろう。

 

「まだ会えるって決まったわけじゃないからな?ひとまず、この(ふね)の艦長さんに頼んでみる」

 

「やったーっ!パパありがとーっ!だいすきっ!」

 

「だから決まったわけじゃ……危ないからベッドの上に立っ……飛びつくな!」

 

ベッドの上で立ち上がるや、きゃっきゃと欣喜雀躍を身体で表現し、それでも表現しきれなかったようで再び俺目掛けて飛び込んできた。

 

今度ばかりはベッドで立った時点で予測していたので、倒れることなくアリシアをキャッチする。こやつ、もしや飛びつきたいだけではあるまいな。

 

「やっぱりパパはパパだーっ!」

 

「言葉がよくわからないことになってるぞ……」

 

とにかく喜んでいるようなので良かった。これはリンディさんたちには誠心誠意全身全霊でお願いしなければ。アリシアのこのお日様のような明るい笑顔を、曇らせたくはない。

 

だが、その前に俺にはアリシアに聞いておきたいことがあった。クロノからアリシアの話を聞いた時にも一瞬頭をよぎった事柄だ。

 

「なあ……アリシア」

 

「なーに?パパ」

 

「アリシアは、プレシアさんと……お母さんとちゃんと話そうって、ちゃんと話さないといけないって、そう思ったんだよな?」

 

俺にしがみついているアリシアに、そう(たず)ねる。首元付近にある金髪の頭に口づけするような形で、静かに。

 

時の庭園で長く深い眠りから呼び覚まそうとした時に、アリシアが吐露していたこと。このことを俺は、確認しておきたかった。

 

アリシアが抱いていた、プレシアさんへの、いや、プレシアさんたち(・・)への気兼ね。自分がいたら綺麗な丸になっている家族の団欒(・・・・・)が歪んでしまうという的外れな遠慮。自分に対する視線が怖いと、弾んでいた会話を遮ってしまうのが怖いと、そう言っていた。そんな家族の邪魔をするくらいならこのまま助からないほうがいいと思ってしまうまで、悩みを抱えていた。重い悩みを抱えていた。

 

そのアリシアが、プレシアさんに会いたいと自ら口にしたのだ。気にしないほうが難しい。

 

「……うん。だって、あの時……パパが深い眠りの中からわたしの手を引いて、引っ張り上げてくれたから。暗い闇の底から、わたしを救い出してくれたから。パパが勇気をくれたから、だから……前を向かないとね。ママと、お話ししなきゃ前に進めないもんね。お話しして、わたしの気持ちをちゃんと伝えて、ママの気持ちをしっかりと聞かないとね」

 

わたし、がんばるよ。

 

俺の首元に顔を押しつけたアリシアは、かすかに震える声で、されどはっきりと、そう言った。

 

「強いよ……やっぱり」

 

時の庭園でも感じて、この病室で喋っていてもそう感じていた。アリシアはこの小さな(なり)なのに、大人びた印象が会話の隙間隙間に介在している。甘える仕草と操る言葉とが、どこかちぐはぐだった。

 

アリシア曰く、幽体離脱みたいな現象があったそうだ。カプセルの中に入っていた時にも意識はあった。目も開かず、口もきけず、心臓すら動いていなかったというのに、意識はあった。

 

浮遊し、揺蕩(たゆた)うだけの存在だった期間、身体は成長せずとも心は成長していたのかもしれない。見た目以上の精神が、その小さな身には内包されている。

 

「やっぱりアリシアは、強い子だ」

 

だとしても、見た目以上に精神が育っていたとしても、これまでの経緯を考えれば面と向かってプレシアさんと話し合うことには覚悟が必要だったろう。受け入れて、迎え入れてくれるかどうか不安だったろう。

 

その覚悟を持ち、不安を乗り越えてプレシアさんと話し合うことを決めたアリシアは、疑いようもなく強い。時の庭園で交わした念話では、自身のことを強くないなどと自虐的な言い方をしていたが、とんでもないことだ。

 

強くなくては、できないことなのだから。

 

アリシアの決心が嬉しくて、思わず腕に力が入る。金色の髪に顔を寄せる。

 

「えへへ、パパに褒められたー、わーい!」

 

きつく抱きしめられて息苦しいだろうに、明るく元気に振舞っていた。

 

俺の真似なのか、アリシアもひときわ強く抱きついてくる。そんな甘えん坊な反応が、表現のしようがないほどに愛おしい。慕ってくれるその仕草が、筆舌に尽くしがたいほどに愛くるしい。

 

「お前のことは……絶対に俺が、幸せにするから」

 

アリシアに聞こえないよう、決意とともに口の中でそう(つむ)いだ。

 

 


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