「くっ……まだ、まだ負けてはいませんっ!」
「徹より諦めが悪いな。ここまでされてまだ続けるつもりか?」
割りとよく食らいついていたと思うが、やはりというべきかなんというべきか、エリー対クロノの対決はクロノに軍配が上がった。
射撃魔法の弾道を正確に推測できる左目はあっても、クロノの手札を完全に潰すとまではいかなかった。単発でなら、エリーの反射神経の鋭さもあいまって賞賛すべきことに百パーセントの回避率を叩き出したのだが、ほかの魔法との連携には対応しきれなかった。逃げ場を潰されたり体勢を崩されて回避できなくされたことが敗因だ。
クロノは飛行魔法で飛び回ってエリーが放つ魔力流を回避し、複数の拘束魔法で機動を奪ってから砲撃。近接戦闘中にわずかに距離が開いたその隙に射撃魔法を放ってくるなど、バリエーションに富んだ攻め方だった。
エリーはエリーで、俺の予想を超える反応速度と、俺のものとは毛色の違う近接格闘術、巧みな立ち回りを見せてくれたが、さすがに魔力流の放射以外の遠距離攻撃がないとなると難しいものがあった。
「主様お一人ならっ……この程度の薄っぺらい
そう、クロノが言っていた通り、そしてエリーが口にした通りに、今この身体はクロノによって床に組み敷かれていた。両手の手首には捕縛輪が回っていて、その両手を振りまわされないようにクロノが押さえ込んでいる。足蹴にされないように身体の上に乗っかる徹底ぶりだ。
相手は俺(と、エリー)だとはいえ、なぜ生物学上は女性に分類されるこの身体にクロノがここまでできるかというと、この状況が既に二度目だからである。
一度似たような事態に陥ったが、
「言っていることは正しいな。徹の対拘束魔法への処理速度は目を見張る……どころか使うだけ無駄と思わせてくれるほど度肝を抜かれるものがある。その点、貴様は……ああ、エリー、と言ったか?」
「あなたのようなちびっこ執務官にっ、主様から頂いたありがたい名前を呼ばれたくはありません!」
「……持ち主の影響か、とても失礼だ」
「このちびっこ執務官っ!また主様を
相も変わらずエリーは排他的だ。俺と接する時の優しさと気遣いの十分の一でもいいから、周りに振りまいてほしい。というか、クロノからの悪口は身から出た錆では。なぜか俺も巻き込まれてるんだけど。
「……まあいい。とにかく貴様は徹とは比べるべくもないほど魔力を持ってはいるが、ただそれだけでしかないな。いくら出力を限定させているにしても、だ。これなら徹を相手取るほうがよっぽど苦労する」
「主様がお強くあられるのは確かです。ですが、主様に代わって立たせて頂いている以上、軽んじられるのは……少々癪に障りますっ!むっ、むっ!」
エリーがまたもぱたぱたと抵抗する。
早いとこ負けたことを認めさせて試合終了とするべきなのだろうが、しかし、こうしてエリーが元気よく動いているところを見られるのが嬉しくもあり、俺からは口を挟めずにいた。こうした衝突から常識やマナー、人との接し方を学んで欲しいなあという親心である。ただ『代わって立たせて頂いている』のではなく、エリーが勝手に前に出ただけであるという訂正だけはさせてもらおうか。
とはいえ結果的には、クロノのためにも俺の親心はしまい込んで置くべきだっただろう。暴れているエリーにも、それを押さえているクロノにも聞こえていなかったらしい聞き馴染みのある空気が抜けるような音を、俺は拾っていたのだし。
地獄の門が開いたことも知らずに、業を煮やしたクロノは語気を荒げる。
「このっ、いい加減おとなしくしろ!抵抗するな!」
「どきなさいっ!この身体に触れていいのは主様だけなのです!」
「あら、ナニをしているのかしら……クロノ?」
「何をって、こいつと練習試合を……あれ、母さん?なぜこんなとっーー」
爽やかな風と
ちょうどクロノと入れ替わって現れたのはリンディさん。ここから結構距離のある扉から、
リンディさんの髪に隠された背中からは、明るい緑色をした、まるで蝶の
一般的に魔導師は体表付近にも魔力光を漂わせているものだが、それと比べるとリンディさんは周囲に浮遊させている魔力が少なすぎるので、もしかするとあの『翅』は外に漏れ出ている余分な魔力を集めたものなのかもしれない。
とりあえず外見上の変化や纏っている雰囲気が、いつものリンディさんと大幅に違うとだけはわかった。
これまでで憶えがないほど冷たい目をしたリンディさんを床に仰向けになったまま眺めていると、耳が『どん、どさっ、ずざさささー』と床を削るような音を捉えた。首を回せば、クロノらしき塊が遠くで転がっていた。
吹っ飛ばされた衝撃で魔法を維持できなくなったのだろう。捕縛輪は露と消え、両腕には自由が戻った。
遠くのほうで丸まっているクロノだった物体から、リンディさんの視線がこちらに移った。
「ごめんなさいね、うちのばか息子が……。怪我はない?それにしてもあなた、どちら様かしら?こんなに綺麗な子、一度見たら忘れないと思うのだけど」
「……こ、これは、なんと表せばよいか……」
リンディさんからの
今メインとなって表に出ている自分が名乗るべきなのか、身体の持ち主である俺の名前を挙げるべきかで迷っているのだろう。エリーには難しい判断だ。
「っと、ああ……俺、です。逢坂です」
身体の主導権を移してもらい、リンディさんの問いには俺が答えた。
エリーの抵抗(という名の悪あがき)によってクロノが
「女の子なのに、俺……?逢……坂……?」
リンディさんの全身全霊のきょとん顔だ。次第に首が傾いて思案顔となる。
しかし『あっ!』と数秒後に大きな声を出した。
ずいぶん時間がかかったなあ、とも感じるが、こればかりは仕方ないかと諦めもついている。俺の本来の原型からあまりにかけ離れすぎているのだ、イメージが結びつかないのも無理はない。一応リニスさんの報告書も読んでいるだろうが、実物は本当にもう、この世の摂理から真っ向と逆らっているのだ。そもそも男から女になるという現象からして理解に苦しむというものである。
「えっと……話は聞いて、ますよね。あはは……」
アンサンブルをすること自体には慣れていても、女性体になることについては未だに全然慣れていないため、若干の気恥ずかしさを覚える。というか慣れちゃだめな気がする。
愛想笑いで照れ隠しをしながら、リンディさんの言葉を待つ。
「ええ!お話は伺っていたわ!実際に直接顔を合わせてお話しなければと思っていたの!誰かが呼んでくれていたのかしら?それにしても、あまり似ていないのね?髪の色も違うもの。でも、見た目より気さくな方のようで良かったわ!」
「…………ん?」
俺の期待していた返答じゃない。そしてリンディさんが言っている意味もよくわからない。おもしろいくらいに話が噛み合っていない。
「それにしても本当にごめんなさいね、うちの息子が……。あなたがあまりに綺麗なものだから、若い衝動をコントロールできなくなったみたいで……」
「あの、リンディさん。俺が誰だが、わかってる?」
これ以上はクロノの尊厳のためにも続けさせることはできないと思い、急いでリンディさんのセリフを遮った。それと同時に、最終確認を行う。
ある意味で、リンディさんの答えは予想がついていた。
「徹君のお姉さんの、真守さん、よね?」
「ってやっぱ違うし!俺、逢坂徹です!この格好じゃ信頼性も説得力も皆無だと思うけどっ!」
リンディさんの肩がびくんっ、と跳ねた。
やっぱり盛大に考え違いをしていたようだ。
だがそれにしたって姉ちゃんと間違うってのは無理がある。普段の俺と、今の状態とでは血の繋がりなんてまるで感じられないだろうに。いや、姉ちゃんと俺には血の繋がりはないけれども。
「ええっ?!と、徹君?本当に?!」
「そうだよ。時の庭園でも使ったエリーとの一体化、
「あぁ、あのレポートが……」
「渡されてるじゃん」
俺がそう言うと、リンディさんは恥ずかしそうに顔を背けた。
「テスタロッサさんたちへの処罰の減刑をはかってもらえるように書類を作ったり、
「ごめんなさい。お仕事お疲れ様です」
マッハで頭を下げた。リンディさんの確認不足じゃん、とか一瞬でも思った数秒前の俺を殴り飛ばしたい。
フェイトやプレシアさんのために手を尽くしていろいろ動いて、忙しくて報告書に目を通す時間がなかっただけだったようだ。ならば俺とエリーのアンサンブルも、この姿も知らなくて当然だ。
『いいのよ、私が自分の仕事を全うしてなかっただけなんだから』と、ほわほわ笑いながら俺に頭を上げるよう、リンディさんが言う。
こほん、と咳払いして続ける。
「それにしても、ずいぶんと、その……変わってしまったわね。はたしてこの表現が適切かどうかわからないけど、とても綺麗よ」
「うーん……男に使うべき褒め言葉じゃないから、たしかに適切じゃないかもね」
「うん、そうよね……。とても綺麗でスタイルも良くて……だからこそ問題というか、複雑というか……」
ほわほわ笑顔に苦みが含まれた。
「それで……本題なんだけど、その……クロノと徹君以外に人が一人もいないこの場所で、徹君は綺麗な女の子の姿になって、しかもクロノに押し倒されていたように私には見えたのだけど……。二人っきりで、なにを、していたのかしら……?」
この人にしては珍しく、ふらふらと目を泳がせて、腫れ物に触るような恐る恐るといった様子である。むしろ女の子かと思った人間が俺だと判明した後の方が、リンディさんは困惑しているようだ。困惑するのも当然といえば当然なのだけれど。
しかし、なにを、とは、それこそ何について尋ねているのだろうか。今度は俺が首を傾げるターンだった。
『……申し訳ありません、主様……』
頭の中を疑問符でいっぱいにしていると、俺がメインに上がったことで身体の操作権的にサブに回っているエリーから、体内の魔力を通して声が届いた。
『なにについて謝ってんの?クロノに負けて、それを素直に認めなかったことについてならもういいぞ。エリー自身技術が及ばなかったことはさすがに自覚してるだろ?』
『い、いえ、そちらもなのですが……先程の主様への謝罪は、目の前にいる
『おう……うん?』
御仁、とはリンディさんのことだろう。リンディさんのスペックの高さを察しているのか、それとも俺の立場を
そちらを突っ込もうとしたのだが、エリーがその直後に気になることを言っていた。リンディさんに与えてしまった誤解、と。
『大変申し上げにくいことなのですが……おそらくこちらの御仁は、
『ああ……わかっちまったよ……』
とても言いづらそうにするエリーの声音で、だいたいのところを勘づいてしまった。本当にとんでもない誤解である。
つまりリンディさんは、俺が女性体になれたことをいいことに、あれだ。行為に及ぼうとでもしてるのではないかと、そう
少し考えただけで寒気やら怖気やら吐き気やらいろいろ襲ってきた。
いや、リンディさんは悪くないのだ。というか被害者とすら言える。可愛い一人息子が
非があるのは、すぐに止めなかった俺と、明らかに負けがわかっているのに認めずに試合を長引かせたエリーなのだ。
『エリー』
『は、はひっ。にゃっ、なんでごじゃいましょうっ』
『家に帰ったらオシオキな』
『ひぅ……。あ、あみゃ……甘んじて……お受けいたします』
『あと当分お手入れもなしだから』
『そっ、そんなっ!?ご無体なっ!あ、主様っ、にゃにとぞっ……
『なし』
『わあぁぁああんっ!』
一際大きな悲鳴のあと、エリーの反応がぷつんと途絶えてしまった。人でいう気絶みたいなものだろう。
エリーの意識がなくてもアンサンブルは続けられるんだなあ、なんて漠然と思っていたが、困ったことになった。リンディさんへの弁解と釈明のためにアンサンブルを解こうとしたのだが、解けない。片方が気絶していてもアンサンブルを続けられるのは新発見だが、反面片方が意識を失うと解除ができないとは厄介な。
「安心して、リンディさん。リンディさんが考えているようなことは一切ないから。この訓練室に来たのは、この部屋の名前の通り訓練のためだよ。なくなった適性の代わりを担う魔法のお披露目をしてたんだ」
「代わりの魔法を……こんな短期間でよく探し出したわね。そちらについてはまたあとでお茶でも飲みながらゆっくり詳しく聞かせてもらうとして……魔法のお披露目なら、なぜ徹君はその姿に?」
「リニスさんから聴き取りした報告書にエリーと、つまりジュエルシードと一体化したっていう記述があったから、それの説明のため。口で言うより実際見てもらったほうが早いし」
「そ、そう、だったのね……。あぁ……なんだかごめんなさいね。ここに入って早々に飛び込んできた光景が衝撃的すぎて、私もちょっと冷静じゃなかったみたい」
「う、うん……まあ衝撃的だよな……」
「でも私の勘違いで良かったわ。徹君が女の子の姿を気に入っちゃって……その、えっちなことでもしようとしてるのかと変に勘繰っちゃったわ」
「あのね……一応俺だってこの姿にはまだ戸惑いはあるんだけど?エリーの気持ちが強くあったから身体が女性側に偏った、っていう経緯があるから、この格好を気に入ってないとまでは言わないけど」
「……偏ってたのは気持ちだけじゃなくて魔力もだと思うのだけど……」
「俺がわざわざ濁した部分をあえて浮き彫りにしたなっ!」
俺が半泣きになりながら突っ込めば、リンディさんは口元に手を当ててお上品に笑った。内容は上品とはかけ離れたものだったが。
「それよりもさ、リンディさんはなんでここに来たの?なんか理由があって来たんじゃないの?」
「あら、つい忘れていたわ。私、徹君を探していたのよ。道中会った人たちに尋ねていったらここだって」
「それはそれは。で、ご用件は?」
「今回の一件の顛末を纏めた報告書がようやく仕上がりそうなの。それを提出して担当者の疑問や質問に答えたら、それでようやく書面上でも解決となるわけね」
プレシアさんたちの裁判まだ続いているけど、とリンディさんが注釈を加える。
相槌を打ちながら、俺は先を促した。
「そこでなんだけど、今回の件には徹君たちも深く絡んでいたから報告書にも省いて書くことはできなかったのよ。だからもしかしたら、捜査に協力してくれたグループのリーダーを担っていた徹君には、本局の人間から説明を求められるかもしれないわ、ってことを伝えておきたかったの」
ふむふむ、と二度三度頷く。
当時の状況を事細かく把握しようとすれば、実際にジュエルシードの確保を行ったり戦闘行動をした俺たちに聞きたいこともあるかもしれない。
やはりこういった裏付け的な作業も必要なんだな。『事件解決!おしまい!やったー!』で、すべて片付かないのが現実か。
「わかったよ。話に矛盾が出てこないように、
「こういった方面でのことなら、徹君にはあまり心配はいらないとは思うけど……なるべく正直にね?本当に本局に召喚されるかはまだわからないけど」
「
「ええ、よろしくね」
伝えたいと言っていた案件は済んだのだが、リンディさんはなかなか戻ろうとしない。
手をあごにやって、じぃっと俺の顔をのぞき込んでくる。
「な、なに?まだなにか用事があったの?」
瞳に妖しげな色が滲んできたリンディさんから距離を取ろうとするが、俺が離れたぶんだけ彼女は近づいてくる。
口を
「……やっぱり女の子もいいわね……」
「シリアスな雰囲気出して吐いたセリフがそれかよ」
「やっぱり母親としては、女の子もほしいなぁって思うものなのよ。ねぇ、徹君?しばらくの間その姿でいるっていうのはどうかしら?」
「エリーが目を覚まし次第、速やかにアンサンブルを解除することを約束するよ」
そのあとは、リンディさんの執拗なお願いのことごとくを知らんぷりして、ダウンしているクロノのもとへと向かった。身体を揺すって起こしたクロノは、どれほどの衝撃にやられたのか視線が定まっておらず、返事もうつろ。
グロッキー状態のクロノに、必死に謝る俺とリンディさんであった。
今回は短めでした。
次話は少々ストーリーが動いてくるかと思います。