そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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「鼠の足掻き方」

『それにしても煩わしい「雨」ですね。「雨」なら「傘」をささなければ。いつまでも主様に任せっきりにしてしまい、申し訳ありません』

 

 エリーは気負わず気楽に、簡単に言ってのけた。

 

 俺の視界に半透明の空色をした膜が広がり、半球状に正面へと展開される。

 

 なのはやフェイトたちが、というより一般的な魔導師が頻繁に使っているシールドタイプの防御魔法にちょうど外観は似ている。前方からの攻撃であれば身体のほぼ全体を覆える範囲の広い障壁なので利便性は高いのだが、いかんせん、俺の適性値では戦闘に使える水準のものを構築できないので、戦いの最中に使用したことはない。

 

『おお……まさしく、弾丸の雨を防ぐ、傘状の盾だな』

 

『主様と私が指を絡めて手を取り合えば、この程度お茶の子さいさいです』

 

『指を絡める、という余計な表現が挟まっていたけど、たしかにすごい……』

 

 エリーが主導で魔法を発動させるといえど、エリー単体では魔法を使えないので共有状態にある俺の身体を操って、()いては俺の脳を使って魔法を発動させることとなる。この場合、俺のしょぼい適性値で魔法を作らなければいけない羽目になるのでまともな障壁になっているのか憂慮していたが、どうやら杞憂に終わったようだ。

 

 マニュアル通りの防御魔法の術式に加えて俺の残念な適性値で構築された障壁だというのに、黒の彼女から斉射される砲弾を雨粒の如く容易く弾く。一般魔導師の平均を下回る防御魔法をこれほど頑強な盾に昇華させた要因は(ひとえ)に、エリーの持つ膨大な魔力に他ならない。

 

 溢れんばかりの豊潤な魔力。魔力量というこの一点突破により、普遍的な魔法でさえ他に類を見ない強度を生み出すことができていた。

 

『次はこの見窄(みすぼ)らしくなってしまったお召し物を着替えましょう』

 

『見窄らしいとは何事だ。俺の持ち出しを』

 

『違うんです、誤解です、主様。主様の衣服は口に含んでしまいたくなるほど高尚ですが彼奴の凶弾によって破損してしまっておりますので、このまま主様の珠のような素肌を露わにして、よもや傷をつけてなどしてしまっては三千世界にとって大いなる損失であるのは自明の理ですので恐れ多いとは存じつつも不肖私が主様のお召し物を都合しようかと考えた次第です。決して、主様を貶めようなどという愚かな考えは持ち合わせておりません』

 

『お、おお……。わ、わかってるぞ。エリーにそんなつもりがないことは、うん。まあ、あれだ……よろしく任せた』

 

『はいっ、任されました!』

 

 エリーは喜色に富んだ声で一言はきはきと応えると、興奮を抑えきれない隠しきれないというような勢いで、少々お待ちください、と括った。

 

 なにがトリガーになるのか未だに予想がつかないのだが、エリーは時折熱量のとても大きなパトスを心中に迸らせる時があるようだ。心を重ね合わせている今は特に顕著に、その熱い奔流を感じ取れてしまう。

 

 感情の波を浴びせかけられる度にひどく戸惑うが、それらは俺への信頼や情愛故なので、その想いの熱さに心地良くのぼせるのも悪くはないかなと思えた。ただ、たまに情愛の裏に情欲のようなものがちらりと見える気がすることが、目下、不安の種ではある。

 

『お召し物のプログラミングは完了致しました。主様のお身体へと反映させます。アジャストしますので、違和感があれば申し付けてください』

 

 エリーの行く末を考えていると心中穏やかではいられなかったが、俺の悩みとは無関係に時間は進む。作業していたエリーが、仕事を終わらせたことを報告した。

 

 全身が一瞬強い光を放ち、その輝きが収束した頃にはぱっと見るだけでも明らかに服装が変わっていた。

 

 これまでは身体強化以外に魔力を溢れ出させて威力の軽減もしていたが、今は溢れるような感覚がない。浪費していた魔力が衣服となって身を守り、服に覆われていない部分は魔力の膜でカバーしているようだ。

 

 全身を視認することはできないが、案外意匠を凝らしたつくりになっている。エリーが言った、少々、とは本当に少々だった。十秒経つか経たないかという極めて短い時間で、これだけのものを創り出すエリーの意外な分野の手腕に思わず驚いた。

 

『しかし、主様の処理速度の速さは素晴らしいものがありますね。並のデバイスなんぞ遊歩道の脇に生えている雑草に見えるほどの性能を有しています』

 

『その褒め方は嬉しいような、他の魔導師のデバイスに申し訳ないような……とにかく複雑な気持ちになるんだけど。お前、俺以外に対してはデフォで口が悪いんだな』

 

『私たち、相性いいですよね』

 

『ちょ、それどういう意味? 魔力の多いエリーと演算の早い俺で相性が良いって意味か? それともお互い性格が捻くれているっていう意味か?』

 

『お召し物に不備はないようですね。視界にAR(拡張現実)情報を映写します、確認お願いします』

 

『……ああ、わかったよ。ついでに相性が良いこととお前の耳が悪いこともわかったよ』

 

 雨あられとばかりに降り注ぐ魔力砲弾の雨に打たれ、半球状の障壁に小さな亀裂が幾つも入り始める。その光景と薄く重なるように、エリーの言った通り、データが挿し込まれた。

 

 お召し物、とエリーは言っていたし服自体に魔力の気配を感じることから、つまりはバリアジャケットの類いだ。そのバリアジャケットがどのような装いになっていて、どの部分がより堅牢でどの部分が他より守りが薄いかを確認するために、プログラムデータをこちらによこしたといったところだろう。

 

『ほう……。これはまた手の込んだ……ん?』

 

 視界の左側にバリアジャケットを着装している立ち姿、右側に簡単な解説や詳細な数値が映し出されている。

 

 理路整然と並んでいて大変理解しやすく作られているのだが、一つわからない部分が、というよりわかりたくない部分があった。それは視界の右側ではなく、左側。立ち姿の女性(・・)についてである。

 

 右側のスペックデータを参照するに、女性ながらに百七十センチある高身長。すらりと長い足に、細くくびれた腰。身体の線を乱さず、されど服の内側から押し上げて強く自己主張する双丘。しなやかさの中に強靭な筋肉を潜ませる腕。

 

 かすかに浮き上がる鎖骨と細い首を上れば、頬から顎にかけてのシャープなライン。小さな顔。つんと上を向いている通った鼻筋に淡く色づいた唇。そして、この部位だけ鏡で何度も見た覚えのある鋭い双眸。二つの瞳の虹彩も変色しており、髪と同じ澄み渡るような空色をしている。

 

 白刃のような近寄りがたい美しさを、腰よりも下に位置するふわりと軽そうでかつ艶やかなスカイブルーの髪が和らげていた。

 

 総評として、エリー人型モードとはまた違う方向に人間離れしている次元の別嬪(べっぴん)さんが、視界の左側でバリアジャケット着用済みという状態でポージングしていた。

 

 これはいったい誰だろう、とわかりきった現実から目を背けつつ、念のためにエリーへと尋ねる。

 

『なあ、エリー。この立ち姿のモデルになっているクールビューティー、誰?』

 

 答えは、訊く前から薄々感づいていた。

 

『主様に決まっています』

 

 ですよね。

 

『主様を差し置いて他の誰が、不肖この私自ら設計した衣装を身につけると言うのですか。ご安心ください。こんなことを言うと手前味噌になってしまいそうですが、大変お似合いです。私では到底及びません。主様だからこそ、です。主様の女性としてのお姿は、言葉に表せないほど麗しいものです。元の男性のお姿も心が張り裂けそうなほど素敵ですが、こちらでも私、いけます』

 

『いけますってなんだ。真面目なトーンで何言ってんだ。……鏡もないから自分の顔見れてなかったけど、俺……こんなことになってたのか……。俺がいきなりこんなに変わったのを見て、リニスさんはよく取り乱さなかったな……』

 

 初めて見たエリーと俺の一体化姿に壮絶なまでの衝撃を受けたが、いつまでも動揺していられない。そろそろエリーが張ってくれた障壁も耐久の限界が近い。チェックは早いところ済ませておくべきだ。

 

 自分の容姿は取り敢えず頭の隅に追いやり、本題に入る。

 

 バリアジャケットの色は、黒を基調として随所に空色が散りばめられていた。

 

 俺の戦い方を考慮してか、バリアジャケットの印象は、なのはのような砲撃戦と防御の硬さを念頭に置いた全身重装備ではなく、フェイトのような完全回避を前提とした極端な近接特化の軽装でもなかった。打撃戦に重きを据えて機動力を重視しつつも、防御は薄くならないよう工夫が為されている。

 

 腕の駆動を阻害しないようにか、トップスは淡青色のノースリーブブラウスの上に、同じくノースリーブの、こちらは配色が黒の丈が長めのベストを羽織っている。肘の少し上あたりから手の第二関節までをサポーターのような伸び縮みする黒布で包み、拳の部分から手首には籠手に似た装具が備えられていた。

 

 ボトムスは動きの邪魔になり難そうなショートパンツ。そこから数センチほどは足がむき出しで、それより下からは薄地の布で覆われている。ちょうどオーバーニーソックスと見た目は同一だ。自分のものとは思えないほど細くて白い太腿が顔を覗かせていた。足元から膝下にかけてロングブーツのような脚甲を身につけている。

 

 暗色メインの衣服との対比で、殊更に肌が白く映えた。

 

『これは……あらゆる意味で俺にはもったいないな』

 

 確認して、よくわかった。エリーの潤沢な魔力を織り込んだバリアジャケットはエリーが呈示したスペックデータ通りの防御力と耐久性、モンスター級の堅固さを有している。バリアジャケットから感じる魔力の密度が、それを物語っている。

 

 並の攻撃手段では傷一つつかない。びくともしない。艦砲射撃を受けても怯まないのではと思えるほどの安心感。完全なる防壁。

 

 そしてどこで覚えてきたのか、機能的なだけではなく無駄に高いファッション性。脇がざっくりと開いていたり首元に随分余裕があったり、長い足を見せつけるかのようなデザインだったりと、いくらか扇情的ではあるけれど。

 

 思わずため息がこぼれるのも(むべ)なるかな、というものである。

 

『勿体ないなどとんでもないです。自賛のようで気は引けますが、主様にはこのくらいの性能は不可欠です。本当ならばもう少し突き詰めて練り上げたかったのですが、少々時間にゆとりがありませんでしたし望んだ基準値は満たせたのでこの程度で妥協しました』

 

『この程度って……どこまでブラッシュアップする気だったんだよ』

 

『それはもう、主様の御為となればどこまでも、です。際限などありません。急場凌ぎとはいえ、私が丹精と真心を込めて、心の底に(くすぶ)っていた本能のまま作り上げました。是非、お使いください』

 

 このバリアジャケットのデザインはエリーの趣味なのか。『燻っていた本能』の(くだり)がなければ快く受け取ることができたのに。

 

 エリーの好みが多分に含まれているとはいえ、以前から欲しいと焦がれていたバリアジャケットを手ずから作ってくれて、その上俺の戦闘スタイルにも充分気を配ってくれていて、しかも想定以上のクオリティの代物を(こしら)えてくれたのだ。ここまで手を尽くしてくれた相棒に文句を吐く口を、俺は持ち合わせていない。

 

『あ……ああ、エリーの熱心な扶翼(ふよく)に感謝するよ』

 

 言い淀んでしまった責任の所在は、俺の意識に反旗を翻した声帯にある。

 

『そんじゃ……行くぞ!』

 

『はい、主様』

 

 両の拳に装着されたガントレットを打ち鳴らし、闘志を再燃させる。良質な金属を思わせる打響音が、心は熱く(たぎ)らせながらも頭を冷静に冴え渡らせる。

 

 反撃の狼煙は上げられた。これを逆転劇にして救出劇の嚆矢(こうし)としたかったが、生憎戦況はこちらの主導で動かせない仕組みのようだ。

 

「あれ、魔力弾の連射が止まってる……」

 

 篠突く雨、と呼べるほど弾幕は厚くなかったが、それでも避けるのは困難だった斉射が、今は停止している。

 

 不審に思い、彼女に目を向ければ、斉射をやめた理由がわかった。

 

 杖を掲げ、身体の後方に反らしている。その杖の頭上には、黒く輝く巨大な槍。

 

 その圧倒的な破壊力(エネルギー)を秘めた槍は、神話に登場する聖槍を彷彿とさせた。ただ、その禍々しさだけは他の何にも形容し難かった。破壊と混沌の象徴とも思えた。

 

『なあ、エリー……あれって』

 

『何があっても、あれだけは必ず回避してください』

 

『……だよな』

 

『はい』

 

 戦艦の重要防御区画(ヴァイタルパート)よりも堅固な障壁とバリアジャケットを有していてなお、選択肢が回避以外に存在しない。どれだけ距離が空こうが、回避以外に選べない。そう思わせるに足るだけのプレッシャーが、闇色の大槍から放たれていた。

 

 彼女はスフィアから射出される魔力砲弾では防壁を破れないと判断して、壁を突き破るだけの威力がある魔法にシフトさせたのだ。

 

 俺は失念していた。同じように多数の発射体を展開してなのはに一斉射を浴びせたフェイトも、残った発射体を集めて槍を生成していたというのに。

 

 俺とエリーがバリアジャケットについて相談している間に準備を進めていたのだろう。彼女の腕が動く。黒色の輝きを放つ大槍が投擲(とうてき)される。

 

『全力で回避する!』

 

『全力で補助します』

 

 足元の障壁を踏み締め、『襲歩』の要領で跳躍、速やかに離脱。掛け値なしの俺の最高速。

 

 大槍が投げられた瞬間に大きく移動すれば、それで影響はないと考えていた。

 

 いくら威力があろうと、躱してしまえば泡沫に帰する。いくら速度があろうと、今の俺とエリーなら着弾する前に現空間点を離れるのは容易いと考えていた。

 

 巨大な槍といえど、直径は最大でも四十センチあるかないか。一直線にしか進まない直径四十センチの弾道から身体を逸らすだけ。

 

 そんな愚かで浅はかな見立ては、儚くも打ち砕かれた。

 

『ッ! 障壁展開!』

 

『了解しました』

 

『焼け石に水でもいい、僅かでもいい。進行速度を落としてくれ!』

 

『……っ、善処します』

 

 珍しく、エリーがファジーな言い回しで返答した。

 

 目の前の光景を見たら、挑戦してくれるだけでもありがたいと言える。

 

 黒の彼女の統制から離脱した大槍は檻から解き放たれた飢えた獣のように、俺とエリーに牙を剥いた。

 

 杖から離れた大槍の周囲が、ぐらぐらと揺らめく。陽炎などではない。もっと別の、次元の境目にすら干渉しているような、そんな危うい揺らめき。

 

 闇色の大槍の異変を網膜が捉えると、思考を差し挟む間もなく、悟った。直径四十センチ。あの大槍が影響を与える範囲は、当初の予想の直径四十センチを遥かに超える。十倍か、それ以上か。厳密な範囲は測りようがないが、大槍本体に触れるのはもちろん、数メートルの範囲に近づくだけでも危険だ。継戦能力に支障を来す。

 

 俺は脳髄が走らせる警戒信号に疑うことなく付き従う。生存本能のままに足を、全身を動かした。

 

 エリーは俺の要請を受け、魔力のブーストを受けた障壁を、黒の彼女の魔力で成る砲弾を浴び続けてもしばらく耐えた強固な盾を幾重にも重ねる。

 

 だが。

 

『ふ、ふざけてる……』

 

『まさか、これほどとは……』

 

 それでも大槍の侵攻は止まらない。

 

 もはや障壁を穿孔(せんこう)するなどという状況ですらない。接近しただけで障壁が蒸発した。大槍の本体の部分は、先端も触れてはいない。輻射熱のように大槍から滲んでいる魔力だけで、頑強なはずの障壁が和三盆を使用した高級砂糖菓子のように融解していく。

 

 エリーと協力して数多くの、それこそ自分たちでも展開した数を把握できぬ程、無数に展開する。

 

 その甲斐あってか、ほんの少しではあるが大槍のスピードが低下した。寸瞬生まれた間隙に縋りつくように、予測した弾道から距離を取る。決死の努力により、大槍本体の軌道からおよそ四メートルから五メートルほど離れることができた。

 

 エリーがいたからなんとかなったし余力はまだまだあるが、使用した魔力量の概算を出すと頭がくらくらしそうだ。普段の俺、およそ五~六人分くらいの魔力を防御魔法だけに費やした。

 

『くっ、はぁっ……っ、あとは「魚鱗」で通過時の、余波を防ぐ……』

 

『主様、大丈夫ですか? お身体は……』

 

『今の身体はタフだからな、継続自体に問題ない。ただ、さすがにちょっと……張り切りすぎただけだ』

 

 魔法の発動数は両手両足の指を合わせても数え切れるものではない。術式の演算を短時間に繰り返し行ったため、思考速度が向上している今の状態でもやはり負担が重くのしかかってきた。頭がじんわりと熱くなり、疼痛が走る。

 

 痛みに耐えながら、少し離れた空間、大槍が通る方向に向けて障壁群『魚鱗』を展開した。

 

 距離を取って直撃コースを避けたとはいえ、あれは近づいてくるだけで暴威を振るう。気を緩めず防備を固めておくべきだ。

 

 俺の四メートルか五メートルほど先を、漆黒の大槍が駆け抜けた。大槍はまるで尻尾を垂らしていくかのように、突き進んだ空間に薄暗い一本の線を残す。

 

『空間……歪んでるぞ……。暗くなってる……』

 

『巨大すぎるエネルギーが空間中にあった物質を排除しつつ、高速で移動したのでしょう。光の屈折が重なり、部分的に暗くなっただけ……だと思いたいです』

 

『願望かよ……』

 

『ひとりの人間の力によって、しかも魔法の副産物的に空間を歪曲させるだなんてそんなこと、私は信じたくはありません。それはもう、ヒトの形をした違うナニカです。化け物、と呼べるでしょう』

 

『…………』

 

 エリーの言い分は、至極もっともなものなのだろう。元は(本質的には今も変わらずであるが)エネルギー結晶体であったエリーをしてこうまで言い切らせるのだから、その魔力たるや異常なんて言葉ではもう表しきれていない。

 

 だが、黒の彼女を化け物と言ってしまうのであれば、彼女と干戈(かんか)を交えている俺も、きっと化け物なのだ。

 

 かたや空間を歪ませるほどの魔法を繰り出し、かたや一秒に満たない時間を作り出すために数十に及ぶ魔法を展開する。互いに尋常ではない量の魔力を消費する戦い。第三者から見れば、どちらも人の道から足を踏み外していて、どちらも人外の化け物にしか見えないことだろう。

 

 両者ともに化け物じみているが、そこにも度合いの強弱がある。言うまでもなく、度合いの『強』が向こうの化け物だ。

 

 まさしく、馬鹿げているエネルギー量と密度。こんな規模の魔法、受ける方は当然のこと、行使する側だってただでは済まない。

 

 放つ寸前までは大槍の近くにきても影響はなかったとしても、投げ放った時から大槍の周囲およそ四メートルに、可視できるレベルの魔力波が放出されている。

 

 放った瞬間は、行使者当人もその範囲に含まれている。投げたと同時に行使者が消し飛んでもおかしくはない威力、自損技に等しい魔法だ。

 

 にもかかわらず、時間が経つごとに深みを増していく黒色の魔力を纏う『リニスさんだったモノ』は、相変わらず二本の足で立ち、酷く冷たい無機質な瞳で俺を(にら)み据えている。少し強い風に煽られた程度気にしない、とでも言うように、長く伸びた髪を押さえもせず無造作にはためかせていた。

 

「どうすれば……いいんだろうな……」

 

 生き延びることを優先すれば、さほど難しいことではない。化け物じみた、否、化け物そのものの魔力を有した彼女を打倒することも、戦略と奮戦次第で可能だろう。

 

 しかし、俺の目的は時間を稼いで誰かの助けを待つことではない。地に伏せさせて勝利を収めることでもなくなっている。

 

 『リニスさん』を助けることだ。明らかに通常の状態から大きく逸脱している黒の彼女から、優しいリニスさんを取り戻すこと。それがこの場での最優先事項だ。

 

 リニスさんを取り戻す。その方法論の土台さえないことが、俺の心を焦らせていた。

 

 彼女の身体を、暗闇が覆い被さるように包み込んでいる。最初は薄暗いだけだった黒色はどんどん濁りを深め、色を濃くする。

 

 根拠なんてなにもない。ないけれど、無駄に時間を使いすぎればリニスさんの魂や存在などといったとても大切なものまで、あの黒色の魔力に塗り潰されてしまうような、そんな気がしてならない。猶予はあまり残されていないように思うのだ。

 

 タイムリミットを示す砂漏の砂は、刻一刻と下に落ちていく。そんな感覚がしているのに、リニスさんを取り戻す具体的な案はなにもない。焦燥の念が集中力をじりじりと焼きつかせる。

 

『……? これ、は……?』

 

『エリー? どうし……つっ?!』

 

 苛立ち始めた頃、エリーが心中で微かに声を発した。

 

 どうしたのか尋ねようとした時、左腕に痛みが走る。目を向ければ、地獄から這い出た亡者の手のように真っ黒な鎖が腕に食い込んでいた。

 

『は?! ど、どこから!』

 

 いくら考え事に(ふけ)っていたといっても、塔に空いた風穴の近くに立つ彼女からは目も注意も逸らしていない。そこまで愚かではない。

 

 断言できる。彼女は動いていなかった。

 

 ならば新手かと危惧したが、敵対しているのはプレシアさんと目の前の『リニスさんだったもの』の二人のみ。ほかの戦闘要員に傀儡兵がいるが、それらは射砲撃は使ってきても、拘束魔法までは一回たりとも使っていない。

 

 そもそもこの鎖は黒色だ。目の前の彼女が展開したものに違いはないはずだ。

 

 それならば、どうやっているのだ。

 

 彼女から鎖は伸長されていない。どこから来ているのか辿れば、塔の外壁を擦るように、塔の反対側に鎖が伸びていた。

 

『主様、どうか冷静に。鎖は塔の裏を回っています。おそらく彼奴は拘束魔法をもう一方に空いている大穴から外に出し、そのまま塔の外壁をぐるりと回り込むことで主様の死角を突いたのです』

 

『っ、そうか……。すぅ……はぁ。迂遠なやり方だな』

 

『正攻法では墜とせないと判断し、搦め手に出たのやもしれません』

 

 慌てることはありません、と落ち着き払った声でエリーは続けた。おかげで熱された思考が冷却される。

 

 生命線でもある機動力を封じられるのは王手をかけられるのと同義だが、冷静に考えればそれほど大きな問題でもない。

 

 拘束魔法を掛けられたら、破壊すればいいだけ。俺は何回も捕縛を経験してきたが、その度に脱出してきた。今回も同じだ。

 

 左腕に噛みついて、絡みついて離れない鎖へ魔力を送り込む。

 

「あ……れ?」

 

 俺の魔力は、一雫たりとも鎖に浸入しなかった。

 

 動きを止めた俺に、抜け目なく彼女は追撃する。鎖をもう一条展開し、逃げられないことをわかっているからか今度は真正面から伸ばした。

 

 空を這う黒蛇のように、時折蛇行しながら俺へと向かってきた鎖は、絞殺でも試みるつもりなのか首元に巻きついた。間一髪で首と鎖の間に右手を挟み込んで気道を確保するが、鎖自体に意思があるようにぎりぎりと締めつけてくる。

 

 やはり、新しく展開された鎖にも魔力は浸透しなかった。

 

 右手に魔力を集めて、そこでやっとハッキングができなくなっている原因に気づいた。ほぼ同じタイミングでエリーも勘づいたようだ。

 

『主様の魔力が……透明じゃなくなったから……』

 

『たぶ……ん、そう、だろうな……っ。ま、こればっかりは……っんぐ、仕方ない……っ』

 

 右手に魔力を集中させた時、右手が透明感のある空色に輝いた。

 

 エリーの一体化している今の俺は、心も身体も重なっていて、リンカーコアさえ共有している。そのおかげで身体能力は向上して、エリーの膨大な魔力を貸してもらえてるわけだ。

 

 だが結果として、俺本来の魔力色は変化している。色が関係しているのかどうかの確証はないが、一つ明らかなことは、他人の魔力に入り込んでも抵抗されないという俺の魔力の特性はエリーの魔力が加わったことで消失したということだ。

 

『あ……主様っ、申し訳……』

 

『申し訳ありません、とか言うなよ。お前がいなけりゃ俺はとっくに死んでるんだから』

 

 ハッキングは、俺が強敵と(まみ)える時は必ず使用して、いつも頼りにしていた強力な武器だ。

 

 ハッキングというあてが潰れたのは痛手だが、だからといって今の状況でアンサンブルを解けばそっちの方が悲惨なことになる。

 

 現状、俺のハッキングとエリーの魔力のどちらがより重要かなど、天秤にかけずともすぐにわかる。

 

 エリーの魔力による能力の底上げがあるから、黒の彼女相手でも善戦できている。今だってそうだ。仮にアンサンブルを解けばハッキングで鎖を壊す前に、凧糸で粘土を切るよりも簡単に鎖が俺の腕と首を捻じ切るだろう。

 

 ハッキングが使えないという損失はある。しかしエリーと一緒に戦えるというのは、その損失を大幅に補って、上回ってあまりあるのだ。

 

 エリーが謝る理由など、見当たらない。

 

「っ……ぐぅっ……」

 

 首に巻きつく鎖が万力のように喉を締め上げる。右手一本では抵抗のしようがない。両手なら、全力で力を込めて一瞬だけ鎖を(たゆ)ませ、その隙に脱け出ることもできるが、さりとて片方の左腕にはもう一条の蛇が牙を突き立てている。

 

 動きを止められたこの窮地を脱するに、一つ手があった。

 

「いい、加減……鬱陶しい! 神無流奥義……『発破』ッ!」

 

 静から刹那の急激な動を経て生み出した爆発的な威力を一極集中で撃ち放つ、俺の近接打撃技の奥の手。

 

 左腕で『発破』を使う。俺に動きを取らせなくさせるために張り詰めさせていた鎖は、木っ端微塵に弾け飛んだ。

 

 自由を取り返した左手で、今度は首元に絡みつく鎖を掴んで引き千切る、なんてことはさすがにできそうにないので両手合わせて引っ張って逃げようとするが、わずかに彼女の方がアクションが早かった。

 

 ぐん、と頸椎(けいつい)の骨が外れそうになるほどの力で引っ張られる。

 

「ぐぉっぶっ……」

 

『彼奴は接近戦に持ち込むつもりです』

 

『それは……わかっ、てんだけど……』

 

 スペースにゆとりがあって回避されやすい塔の外を嫌い、また塔の内部に引き()り戻すつもりなのだろう。あわよくば鎖で引き戻したタイミングで一撃を入れて仕留める、という魂胆も見える。

 

 しかし、抵抗はささやかなものに落ち着いてしまいそうだ。

 

 首根っこをひっ捕まえられたみたいに上半身から引っ張られたおかげで踏ん張りは効かないし、それ以前に力が強すぎる。真っ向からの力勝負では勝機はない。

 

 遠かった彼女の姿がどんどん近くなり、俺がぶち開けた壁の穴も同様にどんどん大きくなってくる。これといった対策もできず、彼女と再接近した。

 

 交錯のタイミングで、彼女は魔力でコーティングされた拳を振るう。

 

 首元の鎖を掴んでいる右手はどうしようにも動かせなかったので、魔力を纏わせた左手でガードする。インパクトの際、みしっ、と不気味な音が耳に飛び込んできた。

 

「うっ……おあっ?!」

 

 引っ張られていた慣性と彼女のカウンター気味の打撃により、俺は塔の内部に回帰した。弾かれた彼女の拳が鎖に触れ、俺の首輪は爆散した。

 

一回二回と床を転がったが、三回目は手をついて体勢を戻したのでそれ以上自分の身体を使ったホールの掃除はせずに済んだ。

 

 着地してからは距離を取りつつ、彼女の攻撃により、みしっ、と不安な音を奏でた左手を確認する。じんじんとした衝撃こそありはするものの痛みはなく、関節の動きにも支障はない。

 

 なぜこんなにも損傷が軽微なのだろうと不思議に思ったが、答えはすぐに見つかった。

 

『すまん、エリー。せっかく作ってもらったのに、さっそく左の籠手にひびが入った』

 

『骨に、ではなくて良かったです』

 

 左手の拳から前腕の中程までを覆うエリーお手製の籠手。その籠手の手首のあたりが大きくへこんでしまっていて、幾筋も(ひび)が走っていた。

 

 バリアジャケットの装具がダメージの肩代わりをしてくれたおかげで、骨や筋を痛めずに済んだ。

 

 接近時の被撃が大した傷にならなかったのは望外としか言いようがないのだが、今はそれ以上に気懸(きがか)りがあった。近づいた時、魔力の衣の下の身体がちらりと見えたのだ。

 

 着ていた服は焼け焦げて布地を減らし、肌の傷の数は増えていた。出血量も当然、傷の箇所に比例して増加の一途を辿っているだろう。

 

 身体は弱り続けていくはずだし、パフォーマンスも維持できるわけがない。なのに、彼女の華奢な体躯から迸る魔力は時を刻むごとに強さを増す。

 

 その姿は、己の命を削って燃える蝋燭(ろうそく)のように見えた。

 

蝋燭はその身をエネルギーに変換し、光を灯す。

 

 黒の彼女の周りに夥しい数の射撃魔法が展開された。無数の待機弾が重なって、まるで天の川のようだ。

 

『くそ、防ぐだけじゃジリ貧だ。こっちも迎え撃つ』

 

『…………やはり、どこか……おかしい?』

 

『……エリー?』

 

 相棒に声をかけるが返答がない。どうやら考え事に没頭しているらしい。

 

 エリーが俺をほったらかしにして意識を傾けるほどなのだから、相当重要な案件なのだろう。ならば、邪魔をするのはかえって損になる。

 

 ここは俺だけでやってやる。

 

「自惚れかもしれないけどな……人より器用であるという自負はあるんだ」

 

 彼女に張り合うように、俺も射撃魔法を展開する。

 

 魔力が心許なかったために、リニスさんとの戦いでは誘導弾などの射撃魔法は多用していなかった(もしくは多用できなかった)が、今はエリーがいる。魔力に余裕があれば、接触によって誘爆させる程度の威力を引き出すことだってできるし、弾速だって徒歩から競歩くらいには押し上げることもできるだろう。

 

 なによりも、展開数が違う。十や二十ではきかない数が、ずらりと前面に並んだ。

 

「物量だけで押し切れる、なんてのは甘い考えだぜ……」

 

 彼女が展開している無数の射撃魔法、もはや黒い魔力弾の壁となっているそれを睨みつけながら、俺は威勢よく啖呵を切った。

 

 いかな彼女といえど、無数に展開した魔力弾の全てをコントロールするなどできはしないだろう。推察するに、あれは誘導型ではなく直射型。

 

 対して、俺が用意したのは誘導型の射撃魔法。俺が統制をとれる上限の数、五十が手勢となる。

 

 数の上だけで見れば圧倒的不利は火を見るより明らかだが、もとから正々堂々正面からの戦運びなんぞ考察の埒外だ。(から)め手だろうが(こす)っからかろうが、俺のやり方を貫くまでである。

 

「…………」

 

「さあ来い、猫。鼠の足掻き方を教えてやる」

 

 彼女の杖が前方に、俺に差し向けられる。

 

 ぴしり、という音がした。とても小さい音。

 

 彼女の杖の先端、球状になっている部分の光の反射角度が少し変わった気がした。

 

 それらの小さな変化を視覚からも聴覚からも塗り潰すように、彼女が展開する大軍勢は進軍を開始した。

 

「ああ、そうだろうな。そう来ると思ってた」

 

 空中を無数に漂う魔力弾のうち、射出されたのはほんの一部。一部、と単純に表したが、その一部分だけであっても俺の誘導弾の数を超えている。

 

 待機状態の射撃魔法を一度に全部撃ち放つような真似はしないと予想していた。何回かに分けて波状攻撃の構えを取るだろうことは、果然と予期できていた。

 

 波状攻撃の第一波は、俺の誘導弾など目もくれず、ただ一直線に俺へと突き進む。

 

 それはそうだろう。大した効果は期待できない俺の魔力弾なんて恐れる理由がないし、波状攻撃の際の流れ弾で勝手に破壊されるだろうと彼女は考えているのだ。それだけ彼女の守りは防衛的魔法を抜きにしても堅いし、魔力弾の総数の三分の二が俺の身体を外したとしても充分に過ぎるほど多い。

 

「だから、対抗策を用意した」

 

 突くのならば、その自信と慢心だ。

 

 俺が展開した誘導弾を、彼女の魔力弾の弾道上から離脱させる。撃ち落とされる軌道だったものも、そうじゃないものも、まとめて全部散開させる。

 

 相手の弾丸は、こちらの誘導弾だけで相殺できる量を超えているのだ。端から、誘導弾をぶつけて誘爆させて防ぐ、なんて戦法は考えてはいない。

 

 誘導弾はあくまで攻撃的な手段。防御に関しては防御の為の魔法を使う。海を渡る為の船で、山を登るなんて非効率的なことをする必要はない。

 

 眼前に迫る黒い弾丸へ腕を突き出し、魔法を発動させる。

 

「対弾幕防御結界……『浮鏡』」


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