私、パチュリー・ノーレッジは、200歳を越えた「ババァ」である。
(※見た目は多めに見積もっても十代後半)
しかしながら、婚姻や出産の経験がある筈もなく。
産まれたての赤子の世話など、初めてのことだった。
レミィを1歳から世話していたので、甘く見ていた部分があったのだが。
首も座っていない赤子の世話が、どれだけ大変か。
身を以って、思い知った。
「ふぎゃあ、ふんぎゃぁああっ!」
夜毎、響き渡る泣き声。
まさしく、ギャン泣きである。
「……はぁ」
溜息を吐きながら、小さな赤子を抱き上げる。
魔女で良かったと、心から思う。
夜泣きに睡眠を妨げられ、体調を崩すなんて事態を避けられたから。
それでも……ストレスは溜まる。
「おしめは代えた。お乳もあげた……なにが不満なの?」
もしかして味か。
仕方ないではないか。
母乳は、望むべくもない。
貴女の母は、貴女自身が『殺』してしまったのだから。
羊の乳でも、ないよりマシでしょう?
――……なんて。
そんな、残酷なことを考えていたら。
「へっぷしゅっ!」
客観的に見て、愛らしいくしゃみ。
そして、飛び散る鼻水。
「……」
顔面に付着したソレ。
紫の前髪から、ポトポト滴り落ちる。
「……はぁ」
溜息と共に、日々を重ねていった。
「フラン、フーラーン、貴女はフランよっ」
8ヵ月ほど経過して。
しっかり言葉を発音出来るようになったレミィ。
彼女は、妹の小さな顔を覗き込みながら、言葉を教えようと躍起になった。
「フラン、私はお姉様! お姉様よ、言いなさい!」
はたから見れば、愛らしい光景なのだけど。
小さな赤子からしたら、恐怖を感じたのだろう。
「ふぇ……っ」
あ、泣くな、コレは。
そう思ったので。
「レミィ、貸しなさい」
そう言って、赤子を抱き上げた。
泣かれると面倒だ、と。
そう考えただけ、だったのだけど。
「あーっ」
赤子は、安堵したように声を上げて。
にぱぁっ、と、笑った。
「……」
息を呑む。
それは、予期していなかった、心理的攻撃で。
完全なる、不意打ちだった。
「あ、パチェずるいっ!」
レミィの拗ねたような抗議の声。
「……ぱー?」
小さな彼女は、それを聞いて。
さらに苛烈な攻撃を繰り出した。
「ぱーてー!」
満面の、笑顔で。
私を、真っ直ぐに見据えて。
不完全では、あったけど。
「あ! 今、パチェって言った!」
レミィが叫ぶ。
そう、それは。
彼女が……フランドール・スカーレットが、産まれて初めて発した言葉だった。
「……ッ!」
その瞬間。
私の中に凝り固まった偏見が。
どかーん、と。
破壊された気がした。
……だから、私は。
「ぱーてー、では、なくて。パチェよ……『フラン』」
彼女のことを。
『妹様』ではなくて。
『フラン』と呼ぶことに決めた。
思い返す。
そう、きっと。
私は、『彼女』を見ていなかったのだ。
最初から、ずっと。
幼子の泣き声が、痛切に響く。
「おてて、やだー! わたしも、おえかきしたいー!」
4歳になったフラン。
彼女は、未だに一人では何も出来ない。
それは、決して彼女が人より劣っているからではない。
むしろ、非常に優秀な娘だ。
ただ、そんな彼女を妨げる物がある。
それは。
「やだよぅ、これ、ほどいてよー!」
彼女の両手をグルグル巻きに縛り上げる、魔術布だ。
「……それは出来ないわ、フラン」
ドラ○もんや、アン○ンマンではないのだ。
グルグル巻きの丸っこい手では、何も出来はしない。
痒い所を掻くことも、自分で食事を取ることも、用を足した後、尻を拭くことも。
お絵かきや、積み木で遊ぶことだって。
なんにも、出来やしないのだ。
泣き叫んだって、仕方ない。
しかし。
「……どうしたの、今まで、そんなこと一度も言ったことなかったじゃない」
そう。
フランは今まで、ただの一度も、その拘束を拒まなかった。
それは、幼くも聡い彼女が、それは必要なことなのだと、察したからだ。
なのに、何故、今になって?
視線をあわせるために、床に膝を着く。
涙に潤んだ赤い瞳が、こちらを見ている。
レミィもフランも、綺麗な赤い目をしているが、色合いが異なる。
レミィの瞳の色は、ピジョン・ブラッド。濃色の赤で、高貴な光を放つ。
フランの瞳の色は、スペサタイトガーネット。
スペサタイトガーネットは、色域の広い石ではあるが、フランのそれは赤が強く、光の加減でオレンジが灯る。
それは、夜闇の静寂を慰める焚火のように温かくて、優しい色だ。
「だって……」
フランが視線を横に滑らせる。
そこには、気まずそうに佇むレミィの姿があった。
「おねえさまが、おねえさまがぁ……っ」
声を震わせるフラン。
「……レミィ、どういうこと?」
私の問い掛けに。
レミィは、1枚の紙を突き出した。
「ん」
「え、なに?」
「んっ!」
……お前はト○ロのカ○タか。
そんなことを思いつつ、その紙を受け取って。
「……」
言葉を失くす。
「わっ、可愛い! よく描けてますねっ!」
後ろから覗き込んできた美鈴が、歓声を上げた。
その紙には。
紫色の髪を生やした、目付きの悪い女が描かれていた。
「おねえさまが、ぱちぇのえを、かいててっ! ぱ、ぱちぇに、あげるんだー、って!」
しゃくりあげながら、言葉を重ねるフラン。
「ず、ずるいよっ!」
鼻水まで垂らして。
ああ、鼻の頭が真っ赤だ。
「わたしも、ぱちぇのえ、かいてあげたいのにっ!」
……気が付いたら、私は。
「なんでわらうのおっ!?」
だって、笑うしかないじゃない。
ごめん、ごめんね。
謝るわ。
本当に、ごめんなさい、フラン――……。
意外なほどに。
穏やかな日々が続いて。
さらに六年が経過した。
「レミィッ!!」
崩れるのは、一瞬だった。
最終話までのプロットが完成しました。
後は書くだけなので、休みの日は出来るだけ投稿します。
仕事のある日は無理です。夜9時から朝9時までの長時間勤務なので。
(通勤時間等含めると睡眠時間の確保で精一杯)
気長にお付き合いください。