私はパチュリー・ノーレッジ。
動かない大図書館と呼ばれる魔女である。
――……しかしながら。
「み な ご ろ し に し て や る っ っ ッ ! ! ! !」
うん、動かないと『死』ぬ。
間違いなく、『殺』される。
ここは、大好きなあの娘に倣い、電光石火で、
「逃げるわよ!」
早口で叫びながら。
奥方様の血と肉片で真っ赤な妹様を、身に纏っていた上掛けで包んだ。
……ああ、お気に入りだったのに。
「はいっ!」
美鈴の行動は、迅速だった。
窓枠に掛けられた暗幕の様なカーテンを引き千切り。
それでレミィを包み込むようにして抱き上げると。
次の瞬間。
「せいやぁっ!!」
窓を蹴り砕き、飛び出した。
部屋に差し込む日光。
奥方様の遺体にも、それは降り注ぎ。
「ああっ!」
立ち昇る、白い煙を目にして。
お館様が、短い悲鳴を上げた。
――……その隙を突き。
私も、妹様をしっかりと胸に抱いて、飛び出した。
「……」
首だけで、後ろを振り返ると。
シーツや自分の上着で、必死に奥方様の遺体を守ろうとするお館様が目に入った。
「……ああ」
彼は、確かに。
彼女を、愛していたのだ。
縋りつくようなその姿に。
かつての自分自身を幻視して。
こめかみが、酷く疼いた。
少し走った先。
あらかじめ用意しておいた、逃走用の魔法陣。
「早くっ!」
美鈴の声に応え、素早く飛び乗った。
――キュイイィィイイイイイン……!
高音が空間を引き裂く。
徐々に発光する魔法陣。
「 逃 が す か ぁ ! ! 」
追いかけてくる怒鳴り声。
「水符『プリンセスウンディネ』!」
水の力を纏った光弾を牽制に放つ。
「ふんっ!」
裂帛の気合と共に突き出された拳。
スカーレット卿は、その拳圧で周りの木々を薙ぎ倒しながら、光弾を掻き消した。
「さすが、レミィの父親……無茶苦茶ね」
強い。
単純に、強すぎるのだ。
時を重ねた今の私でも、殺し合いで勝つのは難しいだろう。
「だけど……今回は、私の勝ち」
これは、撤退戦なのだから。
魔法陣が、一際強く発光する。
「 く そ が あ あ ぁ ぁ あ あ あ あ ! ! ! ! 」
スカーレット卿の血の滲む様な怒りの咆哮が、耳に飛び込み、鼓膜を焼く。
次の瞬間――……私達は、空間を飛び越えた。
転移先に設定していた場所は、そう距離の離れていない山中だった。
早く移動しなければ、すぐにでも追いつかれるだろう。
なんせ吸血鬼は、鬼の腕力と天狗の速力を持つ種族なのだし……そろそろ、日も暮れる。
夜の王の舞台に上がるのは、御免被りたい。
「……仕方ないわね」
溜息を吐く。
色々な意味で、選びたくない選択肢だったが、背に腹は代えられない。
「お母さん?」
顔を覗き込んでくる美鈴を払い除け、新たな魔法陣を描く。
「ぱちぇ、どうするの?」
不安そうに眉を垂らしているレミィの頭を、片手で撫でながら。
「……私の実家に逃げるわよ。あそこなら、早々追っては来れないでしょう」
我が親友『レミィ』と、その妹である『妹様』に、両親が存在したように。
私だって、木の股から産まれたわけではない。
空間の歪に隠され、決まった手順を踏まなければ、辿り着くことが出来ない場所。
古すぎて、風化しそうになっていた記憶の通りに。
私の生家は、確かに存在した。
「ここが、お母さんの実家……ということは、この中に、外公(おじいさん)と外婆(おばあさん)が……?」
美鈴の呟きに、眉を顰める。
「さあ? どうかしらね。それに、いたとしても……」
『両親』は、私に憶えはないだろう。
なんせ、本来であれば、未だ産まれてさえいない存在なのだ。
「……」
思い出す。
記憶の中の彼等は、学者然とした人達だった。
外界と遮断された空間で。
本の山を所蔵する、図書館のような家に籠って。
ひたすら、研究に没頭する。
家族、とは呼べなかった。
私のことも、研究対象のひとつに過ぎなかったのだろう。
だからこそ。
お互いの利害関係さえ一致すれば、協力はしてくれるはずだ。
私には、この時代には確立されていなかった技術や、知識がある。
それを交渉材料に、匿って貰うことは可能だろう。
そう考えて。
実家のドアノブに手を掛けた。
――……結果。
白骨化した母の遺体と対面した。
その母の膝の上に置かれていた日記で。
実験に失敗して、父も数年前に亡くなっていたことを知った。
「ぱちぇ……」
ついさっき、母親を亡くし、父親と決別したばかりの幼子が、気遣うように声を掛けてくる。
「……」
私は、それに返事を返せなかった。
深く。
深く、深く。
墓穴を掘った。
「……私のせい、なのかもしれない」
独り、呟いた。
XがY無しに生じ得ず、YがX無しに生じ得ない場合、最初に生じたのはどちらだろうか?
私、パチュリー・ノーレッジは、到底認めることの出来ない悲劇をなかったことにする為に、過去へと遡った。
その為、居る筈のない時代に、私という存在が生じたのだ。
もし、両親が健在であれば――……彼等は、本来の歴史通りに、私を産んだのではないか。
そうすると、『パチュリー・ノーレッジが同時に二人存在する』という矛盾が発生する。
その矛盾を正すために、『世界の修正力』とでも呼ぶべき力が働いたのだとしたら?
私は、常々、今居るこの世界が、元の世界と同一ではないと感じていたが。
それが、私がここに存在することで引き起こされた歪みなのだとしたら――……。
「父と、母を……殺したのは、私だ」
元居た世界では。
思い出すことさえなかった両親だが。
「……」
言語化できない想いと共に。
丁重に、埋葬した。
墓前に花を一輪添えて。
額に流れる汗を手の甲で拭い。
ふぅ、と溜息を吐いてから。
これから暮らすこととなる家を見上げて、気を入れ直す。
……さて。
苛烈な子育ての始まりだ。