私の名前は、パチュリー・ノーレッジ。
義理の娘の手を借りて。
おっかない上司の妻子を攫い。
現在、逃亡中。
「行く宛はあるんですか、お母さん?」
娘(美鈴)の問いに、足を止めずに返答する。
「……秘密の拠点なら、複数用意してるわ」
そう。
備えあれば患いなし。
この数十年の間、喘息の体に無理を強いて、必死に働き。
コツコツと、貯蓄したお金。
それを使って、こっそりと。
目暗ましの為に、敵対者に発見されることが前提の拠点をふたつ。
予備の拠点をふたつ。
本命の拠点をひとつ、用意していたのだ。
「スカーレット卿を敵に回してしまったのだもの。
拠点四つについては、多少時間は稼げるでしょうけど、発見されると考えて行動した方がいい。
……本命の拠点はトランシルヴァニアにある。
足を止めている暇はない。強行軍と行くわよ」
辿り着いたトランシルヴァニア。
ブラン城のお膝元。
山中に丸く切り取った結界の中。
小さな赤い屋根の家。
「ここが、あたらしいおうちなの?」
レミィの言葉に、頷いて答える。
「ええ、そうよ。屋根しか赤くないけどね」
美鈴が、率先して中に入っていく。
家の中は埃だらけだろう。
早く掃除をしなければ、喘息の私は入室できない。
ああ、気の利く良い娘だ。
「……レミィ」
「なぁに? ぱちぇ」
小首を傾げながら見上げてくる幼子。
静かに、問いかける。
「私達と一緒に来てよかったの?」
「え?」
「ここは、立派な館ではないし、お父様にも、会えないわよ」
私の言葉に。
「……」
レミィは、少し黙り込んだ後。
ゆっくりと、口を開いた。
「おとうさまは、もともと、あんまりあえないし……あっても、おはなししてくれない。だから」
服の裾を、キュッ、と握られる。
吸血鬼の目は赤い。
でも、赤とはいっても、色んな赤がある。
レミィの赤は、深みがあって、美しい。
まるで、ピジョンブラッドのようだ。
その、美しい紅が、僅かに揺れた。
「おかあさまも、めーりんも……ぱちぇもいなくなるのだったら。
あそこにいても、ひとりぼっちだわ」
そう言って。
私のスカートに、顔を押し付けて。
気のせいみたいに、小さな声で。
ひとりにしないで、と。
続けられた、幼い願いは。
でも、確かに耳に届いたから。
「……私と貴女が離れることは、この先一生ありはしないわ」
やわらかな。
蒼い髪に、指を滑らせながら。
「だって、貴女は、産まれる前から――……私のかけがえのない親友なんだもの」
まるで。
愛の告白みたいに、そう告げて。
それが、我ながら、照れ臭くて。
ちいさく、笑った。
幾日か、経過して。
夜間。
「ひ、ぃ、っ、ぅ、ぅううあああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッッ!!!!」
奥方様の美しい唇が。
口裂け女のように広がって。
そこから、血と一緒に、獣染みた絶叫が撒き散らされる。
暴れて怪我をしない様に、美鈴が取り押さえて。
私が、沈静化の魔法をかける。
「おかあさま……っ」
悲痛なレミィの声。
それを受けて。
奥方様の、スペサタイトガーネットのような瞳に。
理性の色が、ゆっくりと戻っていく。
「れ、みりあ……」
「おかあさま、おかあさまッ!」
細い、その体に。
小さな体で。
必死に、すがりつくレミィ。
痛ましいその光景は、ここに隠れ住み始めてから、何度も繰り返されていて。
「……」
やりきれない思いに、拳を握りしめた。
考えなかったわけではない。
奥方様と、妹様を早期に切り離す方法。
『帝王切開』。
この時代、人間であれば帝王切開による妊婦の死亡率はおよそ75%を超えるが、奥方様は吸血鬼だ。
医療知識が書籍で齧った程度しかない私が腹を切開したとしても、死にはしないだろう。
奥方様にも、提案は行った。
しかし。
「ちゃんと最後までお腹で育んで、普通に産んであげたいの」
そう、奥方様は言った。
それに、無理に切開手術をした場合、妹様がどのような拒絶反応を示すかも気掛かりで、決行に踏み切れなかった。
……腹を開いた瞬間に、能力を使用されて内臓が爆発四散、という未来は、十分に有り得る。
結局のところ。
守る、なんて口した癖に。
――……私に出来たのは、魔法によって苦痛を緩和する程度の事だった。
「ぱちぇ」
奥方様の苦痛の声も止んで。
隠れ家の庭で、一息ついていると。
背中からレミィに声を掛けられた。
「どうしたの、レミィ」
振り返る。
視線は交わらなかった。
「……ぱちぇ、わたし、いもうとがうまれるの、たのしみだったの」
レミィは。
自らのスカートの裾をギュゥッ、と握りしめて。
俯いたまま、言葉を続ける。
「いいおねえさまに、なりたかったの」
私は。
その、震えて掠れる声に。
「めいりんに『やさしいおねえさま』だっていってもらえて、すごくうれしかったの」
ただ、黙って耳を傾けた。
「……でも」
黙って、耳を傾けることしか、出来なかった。
「おかあさまが、くるしがってるのをみてたら」
ああ、だって。
やっぱり、どうしたって。
「いもうとなんか、いらない、って」
産まれてさえいない、あの子のことを。
私は、確かに。
――……恨んでいるから。
「いなくなっちゃえばいいんだ、って」
だから。
その気持ちにも、覚えるのは『共感』で。
「わたし、やさしくなんてない」
違う。
レミィは、優しい。
それは、仕方のない感情だ。
そう言ってあげたかった。
「こんなの、おねえさまじゃないよ……」
それでも。
それは。
醜い自分自身さえ、肯定することに繋がりそうで。
「……っ」
結局。
私には、何も言えなかった。
その日は、良く晴れた日で。
奥方様が産気付いたのは、まだ陽も高い日中のことだった。
「ぎぃっ、や、あああ゛あ゛あ゛あ゛ッッッ!!」
絶叫。
無理もない。
ただでさえ、出産は強烈な痛みを伴う。
それに加え。断続的に上がる爆発音。
――……奥方様の下腹部は、血塗れだった。
「おかあさまッ!」
レミィは。
キッ、と目を吊り上げて、吠えた。
「……わたし、いもうとなんて、いらない!」
そして。
その手に輝く、紅い魔力光。
それは。
現在のレミィの体格相応の、紅い短槍へと姿を変えた。
「おかあさま、いたいとおもうけど、がまんしてね!」
そう言って。
その紅い短槍を振り上げた。
「駄目です!」
それを、美鈴が掴んで止めた。
「はなして!」
「なにをするつもりですか!」
「さすの! おかあさまのおなか!」
「どうして!」
「おかあさまは、これがささったくらいじゃしなない! でも、おなかのあかんぼうはしぬわ!」
「なっ、」
「おかあさまが、ころされるまえに! いもうとを、ころすの!」
「……ッ!」
美鈴が、息を詰まらせる。
その顔に、逡巡の色が浮かぶ。
そうだ、このままでは、奥方様の命が危うい。
……美鈴は、母親想いの、自慢の娘だ。
レミィの気持ちは、きっと痛い程わかっているはず。
レミィを押し留めている美鈴の手から、少しずつ力が抜けていくのが、見ていて分かった。
「……」
私は、やっぱりただ黙って、それを見ていた。
だけど。
「……れみ、りあ」
歯を食いしばりながら。
奥方様が、口を開いた。
「レミリア……ごめんね」
その声は。
震えて、掠れていたけれど。
「貴女と、もっと、一緒にいたかったわ……愛してる」
凛とした強さに、満ち溢れていた。
「でも――……私は、お父様のことも、お腹の中の、この子のことも、愛しているの」
レミィの体から、力が抜ける。
紅い短槍も、光の粒子になって、弾けて消えた。
「だから、レミリア……お願い。
お母様の我儘、許してね」
そして。
泣きながら、笑って。
懇願した。
「私の分まで――……可哀想なこの娘を、貴女の、たったひとりの妹を、愛してあげて」
次の瞬間。
――バンッ!!!!
奥方様の胸から下が、爆発して。
ミンチ肉になって、弾け飛んだ。
「おかあさまああぁぁあああッ!!」
レミィの悲鳴が、空気を引き裂いて。
「おぎゃあ! おぎゃぁああ!!」
赤子の産声が、それに追走した。
「くっ!」
私は。
細切れの肉の間に手を突っ込んで。
血溜まりの中から赤子を掬いあげると。
その小さな手が、これ以上何かを握り潰すことがないように。
この日の為に用意しておいた魔術布で、てのひらを開いた状態で固定する形で、ぐるぐる巻きにした。
「いや、そんな、おかあさま、おかあさまぁっ!」
レミィの呼び掛けに。
胸から上だけになった奥方様は。
口から血の泡を吐き出しながら。
それでも、微笑んで。
「ノーレッジさん……」
私のことを、呼んだ。
弱々しい、その声に。
「……はい」
私は、それにも負けるくらい、小さな声で、応答した。
「ありがとう……その子を、こちらへ」
その願いに。
腕に抱いた赤子を、奥方様の顔の前まで持って行った。
「ああ……」
奥方様は。
「私に、そっくりね」
そう言って、目を細めて。
「だから、貴女は、きっと幸せになるわ」
最後の最期まで、
「はじめまして。
そして、さよなら。
私の可愛い『フランドール』、
……愛してるわ」
愛だけ遺して、死んだ。
吸血鬼は、強い。
ちょっとやそっとでは、死なない。
それでも、限界はあった。
特殊な、霊体さえも破壊するような能力で、体の大半を消し飛ばされれば、それは致命傷に成り得る。
奥方様は、死んだ。
死んだのだ。
「……お嬢様!?」
美鈴の制止の声。
気が付いたら、レミィが妹様を覗き込んでいた。
妹様の瞳の色は、奥方様と同じ、スペサタイトガーネット。
レミィは、その瞳と視線を交わらせて。
静かな声で、口を開いた。
「……やくそくする」
妹様の、魔術布でぐるぐる巻きになった手に。
壊れ物に触れるように、指を伸ばして。
「まもるよ……あいしてみせる」
レミィは。
後の、夜の王は。
「だって、わたし」
震えて、掠れて。
それでも、凛と澄んだ、
敬愛する母親と、そっくりな声で。
「おねえさまだから!」
そう、宣言した。
――……ああ。
そうか。
それなら、私は。
「……妹様を愛する貴女を、守るわ」
なにもかも。
許せなくて。
ふっきれなくて。
結局、なんにも出来なかった。
そんな、情けなくて。
醜い、私だけど。
それだからこそ。
「このうえ、親友も守れないような女に、振り向いてくれるほど……あの娘は安い女じゃないもの」
ねえ?
――……咲夜。
ドガァアアアアアンッッ!!!!
感傷に浸る間もなく。
轟く轟音。
振り返る。
破壊された壁。
差し込む夕日。
骨の折れた蝙蝠傘。
そこには、まさに悪鬼羅刹といった風貌の――……、
「み な ご ろ し に し て や る っ っ ッ ! ! ! !」
現・夜の王――……スカーレット卿が仁王立ちしていた。