お館様からとんでもない命令を受けて。
すでに、4年の歳月が経過した。
この私、『パチュリー・ノーレッジ』にとって、その4年間は――……、
「ぱちぇーっ!」
「ぐえっ!?」
背後から衝撃。
耐え切れずにスッ転んで、床で額を強打。
あまりの痛みに、俯せに倒れたまま、ぷるぷる震える私。
そんな私の様子には、構いもせず。
背中によじ登ってくる、『幼い悪魔』。
涙目で見上げると、満面の笑み。
小さな牙が、キラリと輝く。
「ぱちぇ! あそびなさい!」
舌ったらずな声。
でも、命令口調。
「……はあ」
思わず、溜息を吐いて。
次の瞬間。
「きゃあ!?」
思いっきり、横に転がってやった。
私の背中から、勢いよく転がり落ちる、小さな身体。
ゴチンッ! と、痛そうな音が、鈍く響く。
「いたい……」
後頭部をおさえて呻く、幼子に。
「私だって、痛かったわ……レミィ」
真っ赤であろう己の額を見せつけながら、そう返した。
――……4年前。
「レミリアの、教育係を任せたい」
その命令を受けた私は。
正直なところ。
心底、混乱した。
「……えー」
だって、レミィは。
レミィは、私の。
「……」
でも。
自分の立場を考えたら。
断る、などという選択肢が。
あるはずも、なくて。
「……承りました」
そう、返すよりほかに、なかった。
しかし。
その後、1年間。
私とレミィが関わることはなかった。
まあ、当たり前である。
乳幼児の仕事は、
1. 母親の乳にしゃぶりつき、
2. オムツを臭くして泣き、
3. ぐっすりと、眠ることだ。
……教育係が教えることなど、ない。
と、いうか。
4歳か5歳くらいまでは、私の出番はない。
そう、思っていた。
の、だが。
「はぁあああ……」
色んな感情を、抑え込むために。
ゆっくりと、長く、溜息を吐いた。
「……お館様は」
溜息くらい、吐いていないと。
やってられない。
「教育係と、ベビーシッターを、混同しているのかしら……」
「う?」
無垢な声。
腕の中に視線を落とせば。
紅い瞳が、キラキラ輝いている。
「あー!」
小さな口から。
幼子特有の、聞き取り辛い、高い声。
「……はあ」
もう一度、溜息を吐くと。
その吐息で、幼子の前髪が、フワッと浮いた。
それの何が楽しかったのか、幼子は――『レミィ』は。
あどけない顔で、キャッキャッ、と、笑いだす。
幼い頃の吸血鬼の成長速度は、人間と変わらない。
一般的に、5歳くらいから、その速度は緩やかなものとなる。
※500年後のレミィの外見年齢は、10歳程度だった。
世話の仕方も、人間と一緒だ。
お乳を飲みながら、すくすく育っていく。
奥方様は、乳母を雇うことを拒否して。
ご自分のお乳を、レミィに与えたいと望んだ。
お館様は、奥方様に優しい。
だから、奥方様の好きなようにさせていた。
しかし。
レミィの、初めての誕生日。
お館様は、レミィの小さな口に、自分の指を突っ込んで。
そこに、とても小さな牙が生えているのを確認すると。
「乳離れの時期だ」
そう言って、奥方様とレミィを――……引き離した。
お館様は、奥方様に優しい。
奥方様にだけ、優しい。
奥方様だけを、愛しているのだ。
だから。
我慢の限界、だったのだろう。
あの男は、あろうことか。
自分の娘に、嫉妬したのだ。
「……」
キョロキョロと。
何かを――……誰かを、探すように。
忙しなく動き回る、紅い瞳。
「……レミィ」
その、やわらかな頬に手を添えて。
「レミィ、私は『パチェ』よ」
笑って、告げる。
「貴女の『親友』なの」
世界が変わっても。
出会いが変わっても。
絶対に、変わらないこと。
「末永く、よろしくね」
きゃあ! と。
幼い声が、応えるように弾けた。
この4年を振り返る。
……うん。
私、頑張った。
めっちゃ! 頑張った!
「ぱちぇー?」
ぱたぱた。
ちっちゃな羽根をはばたかせて。
立ち尽くした私の背中に、ふわりと飛びついたレミィ。
「ねえ、ぱちぇ」
その声が。
なんだか、いつもと違ったので。
「なあに、レミィ」
ことさら優しく聞いてやる。
世界が変わっても。
出会いが変わっても。
私と彼女は、親友だけど。
それは、絶対に、変わらないけれど。
やっぱり、この世界では、私の方が『年長者』だから。
接し方が変わるのは、仕方のないことだ。
「あのね」
「うん」
「あの、あしたね」
「うん」
「わたしの、おたんじょうび、でしょう?」
「ええ、そうね」
「だから、だからね?」
「うん」
つっかえながらも。
幼いなりに、一生懸命。
とても真剣に、話そうとしているから。
急かすことなく、耳を傾けた。
そして、レミィは。
「だから……おかあさまと、おはなしできるのよね?」
そう言って、私の肩に置いた小さな拳を、ぎゅぅっ、と握り締めた。
「……」
私は。
その拳に、そっと手を重ねて。
「ええ、そうね……いっぱい、お話しするといいわ」
そう答えてやった。
すると、
「……うん!」
レミィは。
本当に嬉しそうに、笑った。
「……」
小さな生き物というのは、基本的に愛らしい物であると。
私――パチュリー・ノーレッジは、常日頃から考えている。
そして、愛らしい物は、大切にされてしかるべきだ。
「……あの、糞男め」
小さな。
誰の耳にも、届かない声で。
抑えきれない感情を、吐き出した。
翌日。
レミィの、4歳の誕生日。
「それでね、おかあさま! そのとき、ぱちぇったらねっ」
母娘の語らい。
丸テーブルを囲んで座り、紅茶を飲みながら。
楽し気に、毎日のくだらない日常を語るレミィ(9割方、私の話だ)。
「……ふふっ」
それに相槌を打ちながら、時折小さく笑う、奥方様。
毎年、この日だけは、一日中、二人一緒だ。
この時間は、お館様からレミィへの、誕生日プレゼントなのだろう。
(……まあ、普通は、母娘が共に過ごすのは、当たり前のことだけども)
そして私は、毎年それをレミィの隣に座って眺めている。
もちろん、邪魔をしてはいけないと、遠慮しようとしたこともある。
しかし。
立ち去ろうとした私の袖を。
レミィは、ギュゥッ、と引いて、引き留めた。
そして、
「ぱちぇは、わたしのとなり!」
――って、偉そうに、椅子を指差した。
だから、私は彼女の隣。
いつだって、隣にいるのだ。
「……ねえ、レミリア」
奥方様が。
あらたまった調子で、口を開いた。
「なあに、おかあさま?」
「あのね、貴女に、プレゼントがあるの」
「え? うん、さっきもらったわ。ありがとう!」
レミィの膝の上。
愛らしい、クマのぬいぐるみ。
しかし、奥方様は首を横に振った。
「いいえ、それとは別に」
その言葉に。
レミィは、楽し気に身を乗り出した。
「えっ、なになに!?」
奥方様は。
レミィの小さな手をとって。
自分の腹に、そっと触れさせた。
「……あ」
私は。
2個目のプレゼントの正体に、気が付いた。
「ほら、レミリア……ここにね」
ドクリと。
心臓が、嫌な音をたてた。
「妹が入っているの。貴女は、お姉様になるのよ」
――……ああ。
来るべき時が、来た。
おひさしぶりです。
また少しずつ書いていきますので、よろしくお願いいたします。