小さな生き物というのは、基本的に愛らしい物であると、私――パチュリー・ノーレッジは常日頃から考えている。
上述の理由により――……放っておけなかった。
「……しっかりしなさい」
あてがわれている自室にて。
拾って帰った幼子をベッドに寝かせて、その赤い前髪を指で払い、濡らした手拭いを額に乗せてやった。
青痣や、裂傷等の外傷は、治癒魔法で癒したが、医者ではないので、体内に異常が起きていた場合は、どう対処すれば良い物かわからない。
齢を重ねた妖怪ならば、放って置いても自然に回復するかもしれないが――おそらく、この子は見た目通りの年齢であると確信していた。
その為、非常に落ち着かない心持ちで見守っていたのだが……意識は未だに戻らないものの、呼吸は落ち着いてきたように思う。
その事実に多少安堵しながら、息を吐き出したところで――……。
「――ッ! ゲホッ、ゲホッ!」
……咳が、止まらなくなった。
おそらく、喘息の発作をおさえていた『魔法薬』の効果が、切れたのだ。
「くっ、かは……っ!」
死ぬ程の、苦痛。
しかし、私は魔女なので、この程度では決して死なないことは、今までの経験で理解している。
ただ、呼吸がままならなければ、意識を保つことが出来ないので、気を失うだろう。
「……あ」
私の上げた、咳の音と、呻き声に反応したのか。
やっと意識を取り戻した、赤い髪の幼子。
その見開かれた目と、視線が交わった。
綺麗な緑色からは、困惑が見て取れた。
――……呼吸がままならなければ、意識を保つことが出来ないので、気を失うだろう。
その間、に。
(その間に――……殺されなければ、いいのだけれど)
敵のアジトから、拾ってきたのだ。
寝首をかかれる可能性は、決して、低くはない。
しかし、まだ。
死ぬわけには、いかないのだ。
――……暗転。
意識は、闇に沈んだ。
「……大丈夫、ですか?」
目覚めにかけられた第一声に、自分が生き長らえたことを知った。
「大丈夫、みたいね――……おはよう」
返答を返しながら、己の額に手をやり、気付く。
濡れた手拭いが、額の上に置かれていた。
この部屋には、私と、目の前の赤い髪の幼子しか、存在しない。
「……」
無言で幼子の顔を見詰めると、幼子は、困ったような顔で、『笑った』。
どうやら、この幼子は――……『良い子』のようだ。
「……私の名前は、パチュリー・ノーレッジ。魔女よ」
自己の名前を名乗り、返答を待つ。
良い子ならば、答える筈だ。
「……私、は」
しばしの間を置いてから。
幼子は、困った顔のまま、言った。
「私には、名前がありません。ただの、雑種です」
名前が、ない。
その返答を聞いた瞬間――……脳裏に、銀色がフラッシュバックした。
拙い口調の幼子から、ゆっくりと話を聞いた。
彼女は、遠い国の生まれで、気が付いたら『独り』だったらしい。
それ自体は、珍しいことでもない。
人間でも、妖怪でも――……『捨て子』なんて、いくらでも存在する。
ただ、彼女には、いくつかの『不幸』があった。
「この、角は――……」
幼子の長い髪を掻き分けると、とても小さな『角』が生えていた。
その角が、牛等の物だったならば、問題ではなかったのだけれど。
「……『龍の角』だって、知らない妖怪が言っていました。混ざり物だけど、餌には十分だ、って」
角を触らせて貰いながら、魔法で解析をしてみたところ、幼い彼女の体の中には、雑多な妖怪の血と力が詰め込まれていて――……その中には、非常に希少価値の高い力も存在した。
下等で下劣な妖怪ほど、栄養価の高い餌を喰って、強くなることを望んでいる物だ。
成程、確かに彼女は『雑種』だが、上等の『餌』だろう。
「逃げていました。いつも。何故生きているかはわからなくても――……死にたくは、なかった」
それは、『本能』だ。
生きる物として、正しい『感情』だ。
「……そうしているうち、一人の人間と出会いました」
彼女の前に現れたその人間は、真っ白な髭をたくわえた老人だったそうだ。
「何か、優しい言葉をかけてくれたわけではなかったけれど。傍に居ても、怒らなかったし――……食べ物を、分けてくれました」
老人は、武道の道に生きる人間だったようで、彼女の見ている前で、日々、修行に励んだ。
滝に打たれ、木に拳を打ち付け、座禅を組んで、瞑想に耽る。
彼女は、それを見様見真似で『真似』し始めた。
「師父、と呼んだら、睨まれましたけど」
そして――……傍らに置いていた、幼い彼女には不釣り合いに大きな帽子を胸に抱いて、笑う。
それは、泣き出しそうな『笑顔』だった。
「最期に、この帽子を、頭に被せてくれて――……『世界は、広いんだぞ』って」
ああ。
やっぱり。
彼女は『良い子』だ。
「確かに、『世界』は、広かったですよ」
でも――……『良い子』に対して、この『世界』は優しくないのだ。
「不思議ですね。広い筈の、この世界は――どうして、こんなに窮屈なんでしょう?」
それは。
不思議でも、何でもない。
だって、この『世界』に住む人々の『心』は。
とてもとても、『狭い』のだから。
「……何故」
口を開く。
疑問が零れ落ちた。
「何故、私にその『角』を見せたの。……何故、貴女の『弱み』を曝したの」
しかし、本当は。
聞かずとも、答えなど知っているのだ。
「……きっと」
幼い彼女は、小さな肩をすくめながら。
また『笑った』。
「きっと――……寂しかったんですよ」
銀色が、フラッシュバックする。
出会った当初のあの子は、決して、笑えなかったけれど。
「……っぐ!?」
唐突に。
目の前の幼子が、息を詰まらせながら、背中を丸めた。
「く、ぅうっ、あっ!」
人間でも、妖怪でも――……『捨て子』なんて、いくらでも存在するのだ。
ただ、彼女には、いくつかの『不幸』があって、そのひとつめは、『種族』だ。
そしてふたつめの不幸も、大元は同じだった。
幼い彼女の体の中には、雑多な妖怪の血と力が詰め込まれていているけれど――……それに、彼女自身が、振り回されている。
「……っ!」
苦痛に歪んだ幼い顔を見て、胸が締め付けられた。
小さな生き物というのは、基本的に愛らしい物であると、私――パチュリー・ノーレッジは常日頃から考えていた。
放っておける、わけがない。
「……大丈夫」
震える小さな体を、そっと抱きしめた。
私の見立てでは。
彼女は、生きた龍脈であり、龍穴である。
それならば。
東洋魔術の五大元素に加え、日と月まで極めた私が、御しきれないわけ、ないだろう。
「世界が、広くても。狭い心に、追い立てられても」
貴女は、もう『独り』じゃない。
「私が――……『七曜の魔女』が、ついてる」
そして。
幼かった彼女は『成長』し。
『気を使う程度の能力』を手に入れたのだった。
「只今戻りました!」
任務に出ていた彼女は、帰ってくるなり私の部屋へと尋ねてきた。
扉を開けた途端飛びついて来た彼女を、非力な私が受け止めきれるわけもなく、尻餅をつく。
怒鳴ってやろうかと思ったが、向けてくる満面の笑顔に、大型犬を幻視したので、その気力も萎えた。
「貴女に早く会いたくて、急いで帰ってきたんですよ――……『お母さん』」
自分が『母』と呼ばれることなど、想像したことすらなかったが。
その呼び掛けを否定することも、今となっては、出来はしない。
しかし。
「おかえり――……『美鈴』」
全力で叫びたい。
どうしてこうなった。
成長した『彼女』は。
長身に見合う豊満な肉体と、真っ赤な長髪と、深緑の目を持つ『美女』で。
『気を使う程度の能力』を有していた。
つまりは、私の親友の従者となる筈の妖怪、『紅美鈴』である!
以前の世界では、彼女にその名前を与えたのは、親友だったが。
この世界では、未だ産まれてさえいない親友の代わりに、私がその名前を与えることになった。
彼女は――……美鈴は、言う。
『この名前は、お母さんに与えていただいた、大切な宝物ですよ』と。
「大好きです、お母さん」
私は。
笑顔で甘えてくる可愛い『娘』の頭を、溜息を吐きながら、ゆっくりと撫でた。
本当に――……どうして、こうなった。
仕事が忙しかったり、熱が39度出たりで更新が遅くなりましたが、今後も亀更新が予想されます。
のんびりお付き合いくださると幸いです。