――……天使が舞い降りた。
「……」
言葉を失くし、立ち尽くす、私。
パチュリー・ノーレッジ(推定700歳)。
「……おはようございます」
不愛想な声で掛けられた目覚めの挨拶に。
つっかえつっかえ、返答する。
「お、おはよう……」
銀色の頭髪に、朝日が反射する。
細い顎を持ち上げて、こちらを見上げてくる、
立ち襟のフリルシャツを飾る、ふんわりとした黒いボウタイが揺れた。
上品さと愛らしさを同居させた、紺地にレジメストライプのミニ丈ワンピース。
その裾を縁取るフリルの下から覗く、真っ白な太腿――……一瞬目が釘付けになり、慌てて落とした視線の先には。
フワッとした白いファーとこげ茶のリボンで飾られた、ショート丈の黒い革ブーツ。
……足先まで可愛いとか、どういうことなの?
「……服」
かけられた声に、ハッとして顔を上げる。
咲夜が、抑揚のない声で、言葉を続けた。
「……貴女も、普段とは、違いますね」
「え……ああ、うん、そうね」
自分の身体を見下ろす。
「まあ、人間の街に行くのだから、周囲に合わせないと、浮いてしまうしね」
今日の、私の服装。
お気に入りのナイトキャップや、ビクトリア朝パジャマはお留守番。
我ながら長すぎる髪は、邪魔にならない様に、ハーフアップにまとめて。
まだ少し肌寒いので、ゆったりとした黒のニットセーターを着込み。
首元には、白いレースのあしらわれたストールを巻いた。
実年齢的に、足を見せるのは、少しばかり抵抗があるので。
薄紫のマキシスカートで、踝まで隠して。
歩きやすい、黒のスエードブーツを履いている。
――……うん、完璧。
至って普通の、現代人女性に見えるはずだ。
「……」
無言で。
じぃっ、と。
こちらを見詰めてくる、咲夜。
「……さ、さくや?」
恐る恐る、声を掛けると。
一瞬だけ、ハッと目を丸くして。
少し、バツが悪そうに、視線を逸らした。
「ど、どうしたの?」
「いえ、別に」
「え? ……もしかして」
もう一度、自分の恰好を確かめる。
不安になって、言葉を漏らす。
「に、似合ってない? もしかして……ダサい?」
一応、私も女だ。
それに、今日は、咲夜と二人でお出掛けだ。
つまり――……デートだ。
咲夜が、どう思っていたとしても。
私にとっては、デートなのだ。
もし、今の自分の恰好が、見るに堪えない物だとしたら――……。
それは、正直、かなりショックだ。
「……」
目頭が、じんわり熱くなってくる。
この子に相対した時の私は、情緒不安定にも程がある。
自覚はあるのだ。
でも、治せる気はしない。
ハァ、と。
溜息が、鼓膜を揺らした。
「……そんなこと、一言も言ってません」
そう言って。
私の左手を握る、咲夜。
「行きましょうか」
胸が、じんわり熱くなってくる。
この子に相対した時の私は、情緒不安定にも程がある。
自覚はあるのだ。
でも、治せる気はしない。
「……うん」
頬が緩む。
治す必要も、ないと思った。
「咲夜――……今日も、可愛いわね」
「……そうですか」
拠点のシギショアラから首都ブカレストまで、通常の移動手段では、片道5時間程度かかる。
その為、魔法で移動することにした。
転移魔法は、得意な魔法のひとつだし、事前に下準備も済ませていたので、簡単だった。
「わあ……」
いきなり変わった景色に、咲夜が小さく声を漏らす。
可愛い。
「咲夜」
「なんですか?」
指をパチン、と鳴らすと。
私達ふたりの頭上から、キラキラとした光の粒子が降り注ぐ。
「……っ!?」
息を呑み、驚いている咲夜。
可愛い。
「な、なにをしたんですか?」
問い掛けに、微笑みながら答える。
「ちょっとした、認識疎外の魔法をかけたのよ。私と貴女の髪色は、目立つから」
なんせ、紫色と銀色だ。
ルーマニア人の一般的な髪色は、黒か茶色である。
金髪でさえ、少ないのだ。
「……見た目は、変わらないんですね」
咲夜は、
普段と変わらず、美しい銀色が輝く。
「ええ、あくまで、他者からの認識をずらしただけよ」
本当は。
実際に、全く別の色に変えるくらい、簡単なのだけど。
「だって、もったいないじゃない」
「え?」
やわらかな前髪を、指ですく。
自然と、自分の目尻が下がっていくのが分かる。
「貴女の銀髪、とても綺麗だもの」
だから、ずっと見詰めていたい。
色を変えてしまうなんて、以ての外である。
「……」
「咲夜?」
俯いた、小さな頭。
なにか、おかしなことを言ってしまっただろうか。
よくわからなかったので。
「……なにするんですか」
ひとまず頭を撫でたら、振り払われた。
首都ブカレストは、『国民から愛されない都』である。
かつては東欧の小パリと称されるほど美しい街だったが、彼の独裁者の傲慢で愚かな都市計画によって、歴史的な建造物の多くが破壊されてしまった。
無機質な街を歩けば、物乞いに金を渡すことを禁止する看板が目に入る。
実は、先程掛けた認識疎外の魔法は、髪や目の色を隠すだけではない。
むしろ、メインは、『存在感を希薄にする効果』だ。
そうでもしなければ、物乞いの大群に集られて、デートどころではなくなる可能性があるからだ。
物乞いだけではない。
バスや電車に乗ればスリ、
タクシーに乗ればぼったくり、
道端では、ヤミ両替商と偽警官のタッグがお出迎え。
『ヨーロッパ一治安の悪い都市』の異名は、伊達ではない。
用心するに越したことはないのだ。
まあ、そんなに強い魔法ではない。
こちらから声を掛ければ、問題なく認識されるし。
私達と同じような超常の力を持つ存在には、効かない程度の効果だ。
最初に腹ごしらえ。
100年以上の歴史を持つ老舗のレストランで昼食を摂った。
ルーマニアは、紙幣価値が低い。
コース料理を楽しんだが、日本円で換算すると、一人当たりわずか1000円程度で済んだ。
味はかなりの物で、お得感満載だった。
咲夜は無言で、一生懸命もきゅもきゅしていた。
可愛い。
昼食後は、ショッピングをすることにした。
長年この国で暮らしてきたけれど、出不精なので、のんびり見て回ったことはなかった気がする。
人だかりをみつけて、足を止めた。
クルトゥース(バームクーヘンを揚げて砂糖をまぶしたようなお菓子)の屋台だった。
昼食からあまり間は空いていないけど、この程度であれば問題はない。
むしろ、デザートと考えよう。
「食べましょうか」
2つ買って、1つを咲夜に手渡した。
自分の分に齧り付く。
甘い。
安っぽいが、嫌いな味ではない。
隣を見る。
「咲夜?」
咲夜の視線の先に目をやる。
「……」
そこでは、気分の良くない光景が繰り広げられていた。
擦り切れて痛んだシャツを着た、素足の子供達。
彼等は、膝を地面につけて、手を合わせながら、周囲の人間に食べ物を恵んで欲しいと懇願していた。
しかし。
彼等に投げつけられる、罵声と石。
5歳程度の見た目の幼子の額から飛び散った血の赤は、妙に鮮やかだった。
「……ッ!」
思わず、跳び出しそうになった。
そんな私の腕を掴んで、止めたのは。
「……咲夜?」
咲夜は、静かに首を横に振った。
何も、言葉にしようとはしなかった。
――……唇を、噛みしめているのが、分かった。
「……」
私なんかより。
咲夜は、知っているのだ。
それこそ、骨身に沁みる程。
今、この瞬間。
私が彼等を助けたとして、何の意味もない。
最期まで、責任を負えないのなら。
手を出すべきではない、ということを。
「……行きましょうか」
咲夜の小さな手を握り、歩き出す。
齧ったクルトゥースの味は。
先程とは異なり、少しだけ、苦かった。
その後。
嫌な気分を振り切るように。
コヴァチ通りに軒を連ねる小さな店を冷かしながら、ふたりで歩いた。
実を言うと。
私は、店の商品よりも。
「……うん?」
ずぅっ、と見詰めていたので。
表情の変化には、すぐに気が付いた。
咲夜の視線の先を追う。
「時計?」
ショーウインドウ越しに輝く、銀色。
そこに飾られていたのは、美しい『銀の懐中時計』だった。
だけれど、その輝きよりも目を惹いたのは。
「夕暮れ時の空色――……タンザナイト、かしら」
文字盤を飾る、青い宝石。
それは、快晴の青ではなく。
夕暮れ時の空を映し出したような――……。
「貴女の瞳と、同じ色ね」
店のドアノブに手を掛ける。
チリン、とドアベルが鳴った。
買い与えた時計を、咲夜がジッと見詰めていた。
そんな咲夜を、私も見詰めた。
しばらくして、咲夜がこちらを振り向いた。
視線が交わる。
――……タンザナイト。
夕暮れ時の空を映し出したような、美しい宝石。
ダイヤモンドより1000倍希少だとも言われる希少性を持つ。
石言葉は、『冷静』、『神秘』そして――……『誇り高き人』。
まさに、彼女にふさわしい。
だけど、それと同時に。
「……なんですか」
その小さな頭に手を置いて、撫でる。
ゆっくりと、精一杯の優しさを込めて。
タンザナイトは、美しいけれど。
モース硬度は、6~7しかない。
とても、傷付きやすいのだ。
だから。
大切にしなければならない。
「貴女は、私が守るから」
そう。
何があっても。
それこそ、時間さえ逆行して。
「愛しているわ」
返答は、ない。
「……」
でも、触れた手は、振り払われなかった。
今は、それで十分。
ああ。
「……可愛い」
夕暮れ時。
カラスがなくから、帰りましょう。
色々あったけれど。
概ね、今日は良い日だった。
「あ、でも、帰る前にレミィ達にお土産を買わないと――……!?」
背筋に寒気が走る。
これは、殺気だ。
「スプリングウィンド!」
自分と咲夜を包むように、周囲に風を巻き起こす。
弾かれて飛んでいったのは――……銀のナイフ。
「教会か!」
周囲に注意を向ける。
5、6……全部で、7人。
囲まれていた。
「今日が、お前達の最期だ」
教会の手下であろう男が、一人。
前に進み出て、朗々とした声で言う。
「七曜の魔女と――……薄汚い、裏切り者め」
――……その、瞬間。
「……今、なんて言ったの?」
己の血管が『ブチィッ!』と切れる音を聞いた、気がした。
「咲夜が、汚い……?」
私の身体から噴き出す、魔力。
石畳が『ベキィッ!』と音をたてて、割れる。
「その腐った目玉ごと、燃やし尽くしてあげるわ」
世界で一番綺麗で可愛らしい、
彼女は、私が守るのだ。
帰宅後。
「――……そんなわけで。とにかく、大変だったのよ」
無事、咲夜と共に無傷の生還を果たした私は。
その日の出来事を、
「ふむふむ……やっぱり、あれかね」
レミィは、プリンをつつきながら言った。
「この前、教会を襲撃して咲夜を連れ去ったじゃん? あれが、宣戦布告ととられたんだろうねえ」
その言葉に、溜息を吐く。
「ああ、やっぱり? でも、それにしては遅かったわね」
あれから、すでに数カ月経過している。
それこそ、私が咲夜をデートに誘えるようになるほどの時間だ。
「まあ、教会も一枚岩ではなかった、ってことでしょ」
でも、と。
レミィは、スプーンの上でプリンを躍らせながら、言葉を続けた。
「もう、全面戦争は、避けられないかもねえ」
――……私も、同意見だ。
このままでは、近い将来、血の雨が降るだろう。
天井のシャンデリアを見上げながら、しばし黙考。
「……うん」
私は、レミィと視線を合わせながら、口を開く。
「レミィ――……引越そうか」
そんな、私の提案を。
「はははっ!」
レミィは、笑って。
プリンと一緒に、呑み込んだ。
今回の話は、資料集めにすごく時間がかかりました……(´・ω・`)
でも、書くのはとても楽しかったです(*´ω`*)