私、パチュリー・ノーレッジは、己のことを優れた存在であると自負していた。
しかしながら――……思い知った。
私は、どうしようもない無能である、と。
その日は、良く晴れた日で。
奥方様が亡くなった日と、酷似していた。
「レミィッ!!」
――……そうだ、たかだか魔術布で、その能力を抑え込めるなら。
彼女は、地下に押し込められたりしなかった。
「ぁ、あ、ああ゛あ゛あ゛あ゛……っ」
嗚咽まじりの呻き声が、悲痛に響く。
穏やかな日々が崩れるのは、一瞬だった。
その日、どこから紛れ込んだのか、一匹の蛾が、部屋を舞った。
スカーレット姉妹は大騒ぎで、その後を追い駆けた。
そして、レミィの頭に、蛾が止まったのだ。
フランは、咄嗟に、魔術布で覆われた手を伸ばした。
その結果――……。
魔術布は弾け飛び、蛾は爆散し、レミィの頭から血が噴き出した。
美鈴の行動は、非常に迅速で。
次の瞬間には、手刀で断ち切られたフランの両腕が、血飛沫と共に宙を舞った。
平和な昼下がりが、一気に血の惨劇だ。
吐きそうだった。
「ふ、ら……」
床に転がったレミィが発した、細く、掠れたその声からは。
一切、負の感情など感じられなかった。
ただ、ただ。
「だい、じょうぶ……お姉様は、大丈夫、だか、ら……」
ただ、精一杯の愛情だけが、詰め込まれていた。
でも。
だからこそ。
「う゛うぅわぁあああ゛あ゛あ゛あ゛ あ゛ あ゛ あ゛ っ ッ ッ ! ! ! !」
繊細なフランの心を、決壊させた。
血の滲む様な声で叫び続けるフランを魔法で拘束し、レミィと引き離すために、地下室へと運んだ。
そう、この家にも、地下室がある。
私の両親が、研究資料を保管するのに使用していた部屋だ。
その間も、フランの両腕は再生を続けていた。
まだ幼い彼女だから、一瞬で再生する、なんて芸当は出来ないが。
それでも、10分もあれば、ピカピカの両腕が生え揃うだろう。
私は、急いで予備の魔術布を引っ張り出した。
この魔術布は、10年間の間に少しずつ私の魔力を染み込ませて強化した物だ。
ひとまず、これで抑えられるはず。
……ただの、応急処置にしか過ぎないだろうが。
「フラン、フラン……落ち着きなさい」
呼びかける。
呻くばかりで、返答はない。
「フラン!」
怒鳴りつける様に、もう一度。
すると、フランの肩が、ビクリッ、と跳ねて。
「……殺しちゃう」
小さな口から、そんな言葉が零れた。
「殺しちゃうよ、嫌だ、もう、嫌だよ……ッ」
フランの大きな両目から。
涙が、ボタボタと溢れ出す。
「お願い、パチェ……私を、殺して!」
その叫びに。
考える間もなく、言葉が飛び出した。
「出来るわけないでしょう!?」
ああ。
そんなこと、
そんなこと、もう。
「出来るわけが、ないじゃない……っ」
そうだ。
10年前なら、出来たかもしれない。
でも、今の私は、そんなことを考えるだけで――……眩暈がして、倒れそうだった。
「でも、それじゃ、また殺しちゃうっ!」
……、
…………え?
私は。
その言葉を、一瞬、理解できなかった。
いいや、本当は――……、
「お母様を、殺したように! みんなを、殺しちゃうよ!!」
――……理解、したくなかったのだろう。
「フ、ラン?」
「……あ」
フランは。
しまった、というふうに、目を見開いて。
顔から、サァッ、と、血の気を引かせた。
「フラン、貴女……」
私は。
同じく、青褪めているであろう顔で。
「貴女、産まれた日のこと、憶えているの……?」
ひくつく喉から、無理矢理、声を絞り出して。
そう、問いかけた。
「……ぜんぶ、じゃ、ないけど」
フランは。
繊細な心を持つ、子供は。
「私が、お母様を、『殺』してしまった、ってことだけは、知ってる」
そう答えて。
くしゃり、と顔を歪め。
泣きながら嗤って、叫んだ。
「でも、そんなの、認めたくなくて……知らないふりしてただけなのッ!!」
……ああ。
私、パチュリー・ノーレッジは、己のことを優れた存在であると自負していた。
しかしながら――……思い知った。
私は、どうしようもない無能である、と。
こんな、優しい子供の心ひとつ、守れない。
最低の、愚鈍だ。
その後。
独りにしてほしい、という彼女をその部屋に残し。
私は、逃げるように、レミィの治療に没頭した。
薄暗い地下室に、彼女独り。
ああ、なんにも変っていない。
妹様に、したように。
私は、また、『フランドール・スカーレット』を、切り捨てるのか――……。
「フラン!」
しかし。
前の世界とは異なる点が、確かに存在した。
「フラン! ここを開けなさい!」
レミィだ。
「この怪我を気にしているの?」
レミィは、地下室の扉の前で、大きな声で、言い募る。
「お姉様は強いのよっ、この程度の傷、屁でもないわ!」
嘘だ。
フランの能力でつけられた傷は、銀の攻撃に勝る。
事実、一昼夜経過した今も、レミィの傷は、完全に塞がっていない。
きっと、大きな声を出すたびに、ズクズクと疼いているだろう。
それでも、レミィは、扉越しの妹に言葉を掛け続けた。
「私が貴女にやられるはずがないじゃないっ! 姉より優れた妹なんて存在しないのよ!」
それは。
字面のみだと、高飛車な言葉だ。
しかし、その声は、ひたすら優しく響いた。
「私は、大丈夫! だから、フラン、貴女も大丈夫よ!」
小さな親友の。
その強さと。
その、優しさが。
育まれた一因が、私にもあったのだとしたら。
私は、自分のことを、ほんの少しだけ、見直してやれるかもしれない。
そんなことを考えて。
目頭が熱くなるのを感じていた、
次の瞬間。
ビキィッ!!
ヒビが走るような、大きな音がして。
ガッシャアアアアアアアアンッ!!!!
盛大に、世界が、割れた。
「……まさか、こんなタイミングで!?」
そう、それは。
この家を外界と分かつ見えない壁が、破壊された音だ。
「……ようやく、みつけたぞ」
男性的でありながらも、蠱惑的な声。
「ああ、やっとだ……やっと、貴様等を」
それが、徐々に罅割れていく。
そして。
「み な ご ろ し に で き る っ っ ッ ! ! ! !」
夜闇さえ、彼の者を恐れ、平伏すだろう。
現・夜の王――……スカーレット卿の御出座しだ。