井之頭五郎は、空腹だった。商談で訪れた秋葉原。食の気配が希薄とも思えるこの街で、今日も彼は空腹を満たすために、店を探す。――という名目の、ただ食べるだけの孤独のグルメの二次小説。

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東京都千代田区秋葉原の牛皿(ご飯付)

 秋葉原は「世界最大の電気街」なんても言われている。だがその方面に疎い人間としてはあまり縁がない、とここに来る度に思ってしまう。ジャンク品だのパーツ品だの、そういったものを見るたびに何に使うのだろうかと思い、頭が痛くなってくる。

 それにしてもこの街も昔と比べて変わったと思う。駅を出ればメイドのコスプレをした姉ちゃんがチラシを配り、中央通りを歩けば平面に描かれた姉ちゃんがこちらを誘惑してくる。今やなんでもありの「サブカルのメッカ」とでもなってしまったわけだ。

 

 そんな話はさておき、今日はひたすらに暑い。取引先は電気街口から末広町方面へ徒歩で10分の裏通りの一角、着いた頃にはもう汗だくだった。幸い商談先の部屋の中はクーラーが利いていて涼しかったが、これからまたこの暑い中を歩いて駅まで戻らなくてはいけない。憂鬱だ。

 そして商談の最中から思っていたが、俺――井之頭五郎は腹が減っていた。こう暑いと体が参ってしまいかねない。なにかスタミナがつくようなものでも腹に入れたいところだ。

 

 ……と思ったが、来た時にどうにもどうにも魅かれる店がなかったと思い出す。以前感じたことでもあるのだが、この街からは「食欲」という欲が失われているのではないかという考えが頭をよぎってしまう。いや、確かに以前と比べたら食事を摂れる場所は増えたとは思うが、大抵そういうところは並んでいる。だったら年季の入っているような、知る人ぞ知るという「いかにも」な店のほうが並ばないイメージがある。そういうのは裏通りに多いと踏み、帰りは来た時に通った中央通りではなく裏通りを歩いていたのだが……。

 目に入るのは「パーツ」「ジャンク品」という看板ばかり。メイドや漫画の姉ちゃんのおかげですっかり忘れていたが、ここは電気街だった。これじゃ食事など到底期待できない。暑さが空腹に追い討ちをかけてこのままじゃ行き倒れをしかねない。仕方ない、あらぬ期待を捨てて少し歩くことになるが無難なカツサンドを買いに橋を渡りに行くか、と裏通りから中央通りへ出ようとしたところだった。

 

 でかい肉の塊が目に入った。それをそぎ落とすように切り分けているのはいかにも外国人な風貌の兄ちゃん。「イラーシャイマセー!」と片言の日本語で客を呼び込んでいる。思わずメニューに目が留まる。なるほど、ケバブか。カツサンドと思っていたがこれでもいいかもしれないな。

 ……なんて思った俺はメニューを見てたところで度肝を抜かれた。「ケバブ丼」。そんな馬鹿な、丼にしちゃうのか。いや、でも肉にご飯だ、合うかもしれないぞ。オリエントと和の出会い、意外にいいかもしれない。

 店は基本テイクアウト専門、ケバブ丼はイートインなので裏に回る必要があるらしい。じゃあ()いてたら今日の昼はここにするかと裏に回ろうとして――そこで足を止めた。

 

 その裏通りで目に入ったのは嫌でも目を引くような看板だった。色は黄色、そりゃ目に留まる色だと思う。街中を黄色い服を着た姉ちゃんが歩いていたら否が応でも目に留まるだろう。それが美人ならそこから目で追いかけるかもしれない。いや、後半は色は関係なくなってしまった。

 とにかく黄色という色は目を引く。信号にしたってそうだ。青は進め、黄色は注意、赤は止まれ。後ろ2つは警戒を呼びかけるという意味で目に付きやすい色じゃないかと思う。

 信号か、そう思えば信号かもしれない。今目の前にある看板はまさに信号の色そのものだ。青で書かれた店名、その前についた単語が赤で書かれた「牛丼専門」。それらが黄の地にはっきりと書かれている。この電気街の裏通りにおいて、異様に人目を惹きつける看板。だがそれが「パーツ」でも「ジャンク品」でもなく「牛丼専門」と来た。この「牛丼」という王道にして日本人の興味を引く丼の前に、「ケバブ丼」という意外性の塊である丼の存在はあっさりと俺の頭の中から消え去ってしまっていた。

 

 見るからに古い。まるでこの街をずっと見続けてきたようなこの佇まい。一体ここはどんな店なんだ……?

 

 牛丼。ああ、それだ。俺が真に食べたかったのはそれだ。カツサンドもいいしケバブも悪くないしケバブ丼でもよかった。だが牛丼が出てきたら今は間違いなくそれだ。

 俺はガラス越しに店内を窺う。幸い席は数箇所空いているらしい。よし、決めた。ここにしよう。意を決して店内に足を踏み入れる。

 

 店の中は外の方がマシじゃないかという灼熱地獄だった。冷房が効いてるのか怪しい。それでも今の俺には牛丼だ。俺の体が牛を欲している。

 壁にはメニューがあった。それによると牛丼、みそ汁、玉子という牛丼屋定番のメニューの他に「牛皿(ご飯付)」がある。それはまだわかる、要するに具をご飯の上に乗せずに別な皿に分けて提供するのだろう。だが「お皿(ご飯付)」という見慣れないものがあった。お皿? なんだそりゃ、と思ったところで食券販売機の存在に気づく。最初からこちらを見ていればよかった、ここに参考の写真が張ってあったのだ。

 お皿というのは牛丼の具とご飯を別々にしたもの、つまり一般的に言うところの牛皿らしい。それでここの牛皿はお皿の大盛り。更によく見ると牛丼には入っていない具である白滝と豆腐が確認できる。なぜ牛皿の小盛りがお皿なのかネーミングの謎はともかく、これは豆腐と白滝もあったほうがなんだかお得じゃないか。

 そうと決まれば牛丼より牛皿だ。あとはみそ汁と玉子をどうするか……。えーい、両方つけてしまえ。牛丼にみそ汁はお約束だ。あ、牛皿だった。ともかくお約束だ。それに玉子は困ったらご飯にかけてしまえばいい。玉子かけご飯の牛皿、TKG牛皿なんてのもなかなかいいんじゃないか。

 よし、牛皿玉子みそ汁つきだ。これで750円。なんて安いんだろうか。野口さんを投入して目的のボタンを押し、食券とおつりを受け取る。そのまま空いている席へと腰掛けたところでマダム、という言葉が似合いそうな店員のおばちゃんがお茶を持ってきてくれた。

 

「牛皿とみそ汁と玉子ね」

 

 食券を受け取って厨房の方へ注文を口にし、去ろうとする。そこで思わず俺は「あの」と声をかけていた。

 

「何でしょ?」

「なんでお皿って名前なんです?」

「……さあ、なんでだったかねえ」

 

 答えをはぐらかされた。なんだか釈然としない。本当に知らないのか、単に忘れたのか、面倒なのか。ともかく真相は闇の中となってしまった牛皿を待つ間、暑さを紛らわせようと出されたお茶の湯飲みを手にして――危うく落としかけた。

 熱い。このお茶はホットだ。そんな馬鹿な、ただでさえ店内灼熱地獄なのにお茶も熱いのか。ここで食べてる連中はこれに対して文句のひとつも覚えないのか、と思って辺りを見渡すが誰もそんなことは全く気にしてない様子で、ひたすら目の前の丼か皿を食らっている。よく見ると壁には「携帯電話使用禁止」という張り紙もあった。

 俺は基本的にそういった殺伐とした雰囲気は嫌いだ。だが――「安い、早い、うまい」がモットーの牛丼屋においてはこの雰囲気こそが正解だと思う。ここで飯を頬張るひとりひとりが、己の空腹を満たすという欲求にのみ従ってただただ食べる。悪くない。「食事」という行為のみを提供するこの空間が、なぜか俺は嫌いになれなかった。

 

「はい、牛皿とみそ汁と玉子ね」

 

 ややあって、俺の前に注文の品が揃う。

 

 

  牛皿(ご飯付) 650円 味が染みてそう。肉が多く、豆腐と白滝が下に隠れている。ご飯は別の丼。

  みそ汁 50円 具はワカメと揚げと豆腐。この値段でこの具材の量、言うなれば家庭的みそ汁。

  玉子 50円 割られた状態で出てくる。まさに玉子。

 

 

 これは驚いた。写真が嘘じゃないかというほど肉の量が半端じゃない。皿からはみ出しそうだ。あまりの肉の量に豆腐やら白滝やらは下にせざるを得ない状況。TKGは後にしてまずはこの肉の味わいを確かめつつ、ご飯をかき込むとするか。

 

「いただきます」

 

 肉を頬張る。うまい! まさに牛、甘じょっぱいタレがよく染み渡ったこの牛こそまさに牛丼の牛肉だ。おそらく肉の質もいい。脂が乗りすぎているでもなく、いい具合に引き締まった肉だ。次いで飯。これもうまい。ああ、牛丼で一緒にかき込むのもよかったかもな。

 

 もぐもぐもぐ。

 

 おっと、ここでご飯を流し込むにはみそ汁だ。汁碗に手を伸ばす。

 

 ズズズゥ。

 

 だしが利いてる。懐かしい味、それでいて具沢山。これで50円とは、頼まなきゃ損だ。しかし豆腐が牛皿と被ってしまったな……。

 机の上には牛丼屋の定番、紅生姜と七味唐辛子があった。添えて、かけて、肉と共に口に運ぶ。ああ、これもピリリとしていいアクセントだ。うまい。

 玉ねぎもすばらしい。甘みがよく出てる。これが出てきただけでもご飯は進むだろう。

 

 もぐもぐもぐ。

 

 さて、ご飯も減ってきたしそろそろTKG、と思ったところで、豆腐と白滝をまだ頂いてないと思い出した。いかんいかん、肉に完全に気を取られていた。俺はお前たちを食べるために丼じゃなくて皿にしたんだったよな。

 と、そこでふと閃く。待てよ、肉に玉ねぎに豆腐に白滝……。こりゃ完全にすき焼きじゃないか! おあつらえ向きに玉子まである。

 よし、TKGはやめだ。今からこの牛皿はすき焼き定食にしてしまおう。

 

 玉子を溶く。そこに肉をくぐらせてご飯と一緒に一口。

 

 もぐ。

 

 ああ、この肉に玉子が絡むあの感覚! いいぞいいぞ、俺は今すき焼きを食べている! おっとお待たせ豆腐、さらには白滝。

 

 むしゃむしゃむぐもぐ。

 

 いい、これはいい。まさに牛丼の文明開化、ペリーもびっくりだ。真夏のこの灼熱地獄で食うすき焼きも悪くない。俺は流れ落ちる汗も気にならず、夢中で目の前の飯を食べ進める。

 

 もぐもぐもぐもぐ。

 

 気がつけばあれだけあった肉の山が綺麗に消え去り、丼のご飯も空になっていた。最後に残っていたみそ汁を飲み干し、ひとつ息を吐く。

 うまかった。まさに空腹を満たしてくれるための飯。店内が暑いだのお茶が熱いだの、最初は不信感を抱いたがうまい昼飯だった。ようやくぬるくなってきたお茶を流し込む。

 

 ごくごく。

 

「ふう」

 

 いやはや満腹だ。ゆっくりしたいところだが、そういう空気とも少し違うのがこの店のようだ。俺は席を立つ。

 

「ごちそうさまでした」

 

 外は涼しかった。いや、涼しいはずはないんだが、涼しかった。それにしても食ったな……。750円であの量か。いい食事をした。さて、帰ろうか。

 

 そんなことを思っていると、どうやら夏休みの学生と思しき2人が店に入ろうとしている。

 

「ここだよ、伝説の牛丼屋」

「伝説?」

「そう。噂によると携帯禁止、私語禁止、ヘッドホン禁止。つゆだくとかねぎだくなんて注文も禁止。でも味は文句なし。なんでもすっげえ昔からやってて、やってる時間も定休日もはっきりしないらしいぜ。やってて空いてたらラッキーぐらいの感覚だとか。あのBSE問題で牛丼チェーン店が軒並み牛丼の提供をやめた時も、ここでは変わらず同じ値段同じ質で牛丼を食べることが出来て行列が出来たほどだとかって」

「マジかよ!? すげえ、入ろうぜ!」

 

 そんな会話を交わし、2人は店内へと入っていく。

 ああ、学生達よ、その判断は正解だ。この店の牛丼はうまい。だが、惜しむらくは君たちには少し早かったかもしれないということだ。

 

 だってここの牛丼を食べてしまったら、しばらくチェーン店の牛丼じゃもう満足できないだろうから。

 




孤独のグルメのドラマ2期決定と聞き、ちょっと書いてみようかと思って勢いで書いた物になります。
出来るだけ原作の空気を出そうと頑張ったのですが、やはりあのえも言われぬ雰囲気を出すのは非常に難しく、稚拙な自分ではどこまで描ききれているのか、そもそもそれっぽくなってすらいるか不安です。
「もっと原作はこういう空気だ」とか「ここはこうした方がいい」という批評がありましたらお待ちしております。
実際書くかはわかりませんがもしまた孤独のグルメで書こうと思ったときに参考にしたいと思いますので。

なお、モデルにしたお店は言わずと知れた秋葉原のあの牛丼屋さんになります。
割と書いたことはまことしやかにささやかれていることでして、携帯禁止の張り紙とかは本当に存在します。
興味があったら訪問してみるのもいいかもしれません。味は本文で書いたとおりで保証します、うまいです。
ただ、牛皿の量はかなりのものなので体調を整えてから食べることをお勧めします。


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