すこやかふくよかインハイティーヴィー   作:かやちゃ

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第08局:継承@誰がために鐘は鳴ったか

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 前回大会優勝校にして絶対的王者を擁する白糸台高校。

 毎年圧倒的な強さで都大会を勝ち抜いてくる臨海女子高校。

 初出場の清澄高校と共に、阿知賀女子学院の立ち位置はそれら強豪校に挑む、いわゆる挑戦者の側にあった。

 Aブロックでの一位通過という実績があったとはいえ、戦前の下馬評は決して高いとはいえない状況で臨んだ最後の一戦。

 宮永照と辻垣内智葉という、前回大会個人戦の一位と三位を迎えての先鋒戦は、決勝卓の先行きを占うための試金石であった。

 完全なる先行逃げ切り型の白糸台と、状況に応じて臨機応変に戦い方を変えてくる臨海女子。トリッキーな打ち回しで場をかき乱す清澄という荒れ模様の布陣の中で、やはり阿知賀は最初から劣勢を強いられる展開となる。

 

 そんな苦しい状況の中で、唯一阿知賀が他の高校に勝っていた部分。

 それはおそらく団体戦メンバーの全選手が共通して胸に抱いていた気持ち、チームとしての勝利を願う強い『結束』だった。

 

 他校にまったくそれがなかったとは言わない。しかし、誰もがどこかで『個人』を捨てることが出来なかったこともまた事実である。

 だが阿知賀は違った。チームそのものが一人の人間であると言わんばかりに、個々の成績やプライドには拘らず、失点があれば全員でそれをカバー。道中がいかに険しかろうとも、傷だらけになろうとも、それを越えた先に目指す頂が見えればいいと。

 それはあたかも、一匹の龍が天に昇る風の通り道であるかの如く連なり、局を重ねると共に強く大きく束ねられていった。

 

 赤土晴絵という少女が残した伝説。

 教え子であった原村和のインターミドル優勝。

 信じて待ち続けた伏龍の献身と、それを支えた暖かな温もり。

 夢の欠片を受け継いだ少女たちの決意。

 そして、想いを託された小さな伝説の後継者。

 もしもその中の一つでも欠けていたとするならば、阿知賀女子学院麻雀部がこの夏に巻き起こした旋風は、荒れ狂う暴風の前にあっさりと飲み込まれ、そよ風にも満たないもので消え失せてしまっていただろう。

 

 そうして作られた道を、高鴨穏乃は全速力で駆け抜けた。

 天頂へ向けて、ただひたすらまっすぐに。

 

 結果的にその阿知賀女子学院こそが栄冠を勝ち取ったという事実は、この戦いが正しく『団体戦』であったことの証左となろう。

 少数精鋭だからこその見事な団結力でもぎ取ったものは、過去に刻まれた伝説と比べても遜色のない――いや、遥かに価値の高い、新たな伝説となるにふさわしい結果であった。

 

 

 そんな中、全国優勝という新たな伝説を刻んだメンバーの一人。

 人生の設計プランを覆してまで友人の誘いに応じて阿知賀を選んだ新子憧が当時の心境を語った。

 

「あの時は、絶対晩成に勝つなんて無理だと思ってた。だって皆、私以外は麻雀からすごく遠ざかってたし、そうじゃない私も県大会では散々だったワケだし。

 だから正直すごく迷ったんだけど――どうせ全国を目指して頑張るのは何処にいても同じ。だったら私が居たいと思った場所で頑張ろうって、そう思った」

 

 阿知賀には麻雀部が存在しない。

 だからこそ新子は強豪の晩成高校を目指し、入学して麻雀を続けて行くためのプランを予め立ててから動いていた。

 高鴨からの誘い――どちらかといえば無鉄砲なワガママ――は、本来であればそんな彼女の心を動かせるほどの説得力を有していなかったはずである。

 

「もちろん不安が無かったって言ったらウソになっちゃう。

 でも――やっぱりさ、楽しかったんだと思うんだ。あの頃一緒に卓を囲んで、一緒になって遊んだあの時間が――私、たまらなく好きだったんだって、しずの電話で思い出しちゃった」

 

 だから、と。

 晩成高校への進学よりも、失われた時間を取り戻すことを選んだ。そう語る彼女の瞳からは、後悔の色は欠片も読み取れはしなかった。

 この時新子がもし当初の予定通りに晩成への進学を選択していたとするならば、県大会で阿知賀が晩成を破り勝ち抜けるなどという結果はおそらく生まれなかっただろう。

 しかしそれ以上に、彼女自身もまた、今のように全国で名の知られた雀士になるのはまだ何年も先のことだったのではないだろうか。

 高校入学以前の新子の実力を知る中学時代の同級生は、かつて自分と同レベルでしかなかった新子が県大会で見せた別次元の強さに驚き、愕然としたという。

 

「九州からハルエが戻ってきたのがやっぱ大きかったと思うよ。宥姉や灼さんが一緒に頑張ってくれたのもあったけど。ま、ハルエにはけっこう無茶苦茶なこともやらされたりしたけどね。おかげで全国に出ても恥ずかしくないくらいには強くなれたと思ってる。

 後悔なんて絶対してやらないって、阿知賀に入ったあの時思ったけど……うん。やっぱり私、間違わなかったんだって。今はほっとしてる、かな」

 

 

 阿知賀女子学院麻雀部――そこに最後に加わった一人の少女がいる。

 それが二年生にして部長を務める副将の鷺森灼。伝説の担い手たちとは一線を画す、伝説の後継者と呼ばれるべき存在である。

 団体戦レギュラーメンバーのほとんどが大学時代の赤土に教えを受けていたという中で、彼女は松実宥と共にこども麻雀クラブに通うことのなかった珍しい人物といえる。

 それなのに何故彼女が伝説を継ぐ存在なのか――?

 その答えは、彼女が首に巻くネクタイにあった。

 

 今現在の阿知賀女子学院は、ブレザーにリボン型のタイという、わりとオーソドックスなスタイルの制服を採用しているため、本来であれば通常タイプのネクタイを巻くことはない。

 では何故彼女一人だけが、モデルチェンジ前のものを首に巻いて試合に出ていたのか。

 ――そう。鷺森こそがかつて赤土の心を救った、ネクタイを託されたあの小さな少女だったのである。

 当時から今現在に至るまで、彼女の熱烈なファンである彼女こそが唯一その雄姿を強く脳裏に焼き付けており、故にそのスタイルをも継ぐことが可能な存在なのだ。

 元々鷺森自身は別の場所で幼い頃から麻雀を打っており、決して門下生たちに実力で見劣りするようなことは無い。

 むしろデータの扱いを得意とする堅固な打ち手が多く据えられている副将戦において、常にプラス収支で団体戦を切り抜けたその実力は高く評価すべき点だろう。

 しかし、憧れの人がそうであったように、幼い彼女もまた敗北を経て変わってしまった憧れの人から目を背けるように、麻雀に対する情熱を失ってしまっていた。

 そんな彼女の心を揺り動かしたもの。

 それこそが、かつて赤土がこの地に蒔いて育んできた者たちによって用意された――阿知賀のレジェンドが再び輝きを取り戻すために必要な舞台へと続く、唯一無二の道であった。

 

「最初は名前を貸すだけのつもりで……。でも、全国に出ること、それが昔に見たあの人を取り戻すことになるのなら――」

 

 かつて夢を託された眠り姫が目覚めの時を迎えたことで、色褪せていたはずの全ての欠片が再び集い、阿知賀女子学院麻雀部はあるべき姿を取り戻す。

 

 これは、十年もの歳月を経て一人の英雄が伝説の担い手たちの力を借りて失われていた輝きを取り戻すための英雄譚。

 そして――数々の困難を打ち破り、可憐な五人の少女たちが新たな伝説を打ち立てるまでの、二つで一つの物語である。

 

 

 ここで、永世七冠でありグランドマスターの異名を持つプロ雀士『小鍛治健夜』に話を聞いた。

 阿知賀の快進撃を支えた人物を一人ピックアップして解説してほしい、というお願いに対して、渋い表情でVTRを見つめながら彼女は言う。

 

「うーん、こういっちゃなんだけど、阿知賀の子の中で突出して『強い!』って言える子っていないんだよね」

 

 白糸台といえば宮永照。清澄といえば宮永咲。

 といったように、その学校の代名詞となりうる活躍をした選手というのは、阿知賀には見当たらないと。

 

「チーム力で勝ったっていうのがホントよく分かるよ。それぞれが特徴的で、上手いこと平均的なバランスが取れてるっていうか。例えば――」

 

 火力と派手さで語るならばと前置きをしてから、先鋒の松実玄の名を挙げる。

 龍王の二つ名に相応しく彼女には自然とドラが集まるため、和了時の打点は恐るべきものを秘めている。

 もっとも、代わりにドラを切ることが出来ないという制約を負っているせいか、手が窮屈になって狙い撃ちの的になりやすいという弱点も存在するようで。

 格下相手には圧倒的な麻雀を見せるだろうが、格上相手になると途端に滅多打ちに会うことも珍しくないというように、安定感という言葉には程遠い。

 

 その安定感を評価の重点に置けば、副将の鷺森灼に軍配が上がると小鍛治プロは言う。

 彼女にも筒子の牌が極端に集まり易いという傾向があるものの、松実玄のようなきつい縛りがないだけ手は多方面にも伸びやすく、対策を講じようとしてもなかなか捕らえられないという嫌らしさがあった。

 染め手に寄りやすいことで火力もまずまず、待ちを切り替える際の状況判断も悪くない。攻撃と防御のバランスが良いタイプではあるものの、打ち回しに若干派手さが足りないためインパクトの面で印象に残りづらい。外見は別として。

 

 意外性やドラマ性という点においては、大将の高鴨穏乃が抜きん出ている。

 彼女は他のメンバーに比べると基礎も弱く、打ち回しに関してはこれといって突出した特徴も見当たらない。普通に打っているぶんにおいては、おそらく彼女が一番弱い。

 それでいて、未知なる部分に補って余りあるほどの可能性を有していることは事実である。決勝戦における幻惑の魔手には売り出し中の同学年エースたちも悉く迷いの森へと誘われた程。

 メンタルの強さも申し分ないし、各校のエース級とぶつかってもなお前を向き続けられるその性質は好ましい。野生の直感に加えてもう少しでも地力が身に付けば、いずれはエースとしての風格も備わるかもしれない、といったところか。

 

 理論における試合巧者という意味でならば、中堅の新子憧が阿知賀の中では分がある。

 唯一オカルトではなくデジタル思考で勝負するタイプの打ち手であり、きちんとした基礎技術が下地にあるので単純な部分での打ち回しの巧みさは他メンバーと比べると目を瞠るものがあった。

 特に和了に向かうまでの聴牌速度は一年生にして各校準エースクラスと比べても引けを取らない。

 ただ、やはりデジタルにありがちな特定パターンに嵌まり易いという欠点もあり、もし発展力が伴ってくればあるいは一皮剥けるかも、といった評価に落ち着くためエースというには一歩足りないという印象。

 

「それでも総合力で一人を挙げるとするなら、やっぱり彼女だね」

 

 ――次鋒、松実宥。

 妹と同じく特定の牌を集め易い傾向があるものの、その変幻自在で掴み所のない打ち筋は、他家を圧倒する力強さも秘めていた。

 

「この局がいちばん分かりやすいかな?」

 

 映像で示されているのは、全国大会団体戦Aブロック準決勝次鋒戦、前半戦の南二局。

 親番であるこの局で、一向聴の状態からツモで6索を引いてきた松実宥は、⑥筒を河に切れば⑤⑦筒の両面待ち平和ドラ3で30符4飜の手を聴牌、となる状況にあった。

 しかし、対面に座る白糸台次鋒の弘世菫もまた、この時点でまさにその⑥筒を嵌張で待つダマ聴の真っ最中。

 彼女はシャープシューターというその二つ名の通り、自らの待ちを相手が捨てやすい牌に合わせる形で寄せていき、ピンポイントで狙った相手からの直撃を取ることを得意とする打ち手である。

 まさにこの時、松実宥をターゲットにして弓を構えている状態であったといえるだろう。

 だが、そんな弘世の意に反して松実宥が河に切った牌は――聴牌に取らず、雀頭を崩す形となる9索であった。

 

「うん、実況してたからよく覚えてる。この時、松実さんは自分が狙われている事を確実に察知してた節があるね。勘っていうのに頼るタイプの打ち手でもないし、彼女はたぶん弘世さんの癖かなにかを見破ってたんじゃないかな……それで、あえて回り道をしても先に進む事を選択した」

 

 単純に、相手の聴牌気配に対してオリにまわったというわけではない。

 親であり、圧倒的点差を誇る一位白糸台かつ二位攻防戦の相手となる千里山女子との点差を考えても、ここは攻めるべき場面であった。

 しかし、真っ直ぐに進むと撃ち落とされることが分かっているなら、道を変えて進むしかない。だからこそ『回り道』という表現になったのだろう。

 事実、相手の狙い撃ちを見事に回避した上で、松実宥はこの後、逆に弘世菫から親の満貫を直撃で奪うという離れ業をやってみせた。

 

「このあたりの柔軟性は流石だよね。副将の鷺森さんなんかもそうだけど、自分の持ってる特性へのメタっぽい対策に対してとっさに逆手に取る動きができる子は、やっぱり強くなれると思う」

 

 対応力、柔軟性、決断力、勝負勘。

 この時、松実宥はエースの称号を冠するに相応しい実力をまざまざと見せ付けた。

 県大会・全国大会を通じてすべての対局において、彼女が区間トップとなるプラスの収支で中堅へと襷を繋いでみせたことは、地味な部分でありながらも大きな結果となって現れている。

 故に、阿知賀の五人の中であえて殊勲賞の受賞者を一人挙げるとするならば、それは松実宥であると。

 小鍛治プロは結論を出し、今回の総括を締めくくった。

 

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「ところでさ、しずもん的には実際どれくらい勝算があったの? 部員とか規定数に達してもいなかったんでしょ?」

 

 あ、なんかまた知らないところでこーこちゃんが高鴨さんと妙なくらいフレンドリーになってる。

 なんだしずもんって。はじめて聞いたわ。

 

「えーっと、実際はまったく。とりあえず突っ走っとこうかな、みたいな。えへへ」

「えへへ、じゃないわよ。私がこっち来たからよかったようなものの……あんたは普段からもちっと計画的に動きなさいよね」

「結果オーライだからいいんだって! ね、玄さん!」

「うん、そうだね。あと私は、おねーちゃんはきっと協力してくれるだろうって分かってました!」

 

 そう言って渾身のドヤ顔を披露してくれる妹のほうの松実さん。

 正直どっちもどっちだよって言ってあげたかったけど……まぁ、本人は嬉しそうだからいいか。

 

「宥姉と灼さんが来てくれなかったらどうなってたか……今だからこそ笑い話で済むけどさ」

「まぁ、協力するのは別に吝かでもな……」

「玄ちゃんがお掃除とか一人で頑張ってたのは知ってたから、私に出来ることがあるんだったら頑張ろうかなって……」ブルブル

「いやー、行き当たりばったりにも程があるのによくあんな成績残せたね! 偉いぞみんな、さすが私の教え子たち!」

「他人事みたいに言ってんじゃないわよハルエ!」

「あれ、それって行き当たりばったりなのも赤土先生譲りってことですよね?」

「」

 

 あ、高鴨さんが思っていても言ってはいけない一言をポロっと言ってしまったようだ。天然って怖いね。

 こーこちゃんが向こうで脇腹抑えて引き笑いしてるほうがビジュアル的にはよほど怖いけど。

 あの笑い方見てるとこっちも笑ってしまうから、出来るだけ見ないようにしないと。

 ……あと、私も不意の発言には気をつけておこう。心当たりが有りすぎて胃が痛くなってくるから。

 

「あー、おかしかった。さて、んじゃそろそろ恒例の今後の展望について小鍛治プロのありがたいお言葉をちょうだいするとしますかねー」

「恒例って、まだ二回目じゃ……てかあれまたやるの?」

「当然でしょ! あのコーナー何気に人気高いんだから! 出演者側から視聴者側、果てには製作者側まで満遍なくね!」

「ウソだよぉ、染谷さんなんて終始死んだ魚みたいな目だったじゃない。赤土さんもいるんだし、なにもわざわざ部外者が口出さなくたって……」

「まぁ、いいんじゃないですか? 外部から見たほうが問題点は洗い出しやすいでしょうし」

「う……でもね、私って結構辛らつだから――」

「あ、私もあれ見ましたっ! たしかにちょっと名指しで言われるのはキツいかもだけど、和もすごくためになったって言ってましたよ!」

「あー、そう……?」

 

 ウンウン、と同時に頷く阿知賀女子麻雀部御一行様。

 本当にもう、どうしてこうマゾっ気の強い人間ばかりなんだろうか。

 特に赤土さん。貴方メンタル弱いじゃない。本当に大丈夫?

 

「じゃあ、言うけど……あ、清澄と同じで来年以降の阿知賀がどんな感じになるのか予測と展望、ってことでいいのかな?」

「それでお願いします!」

「わかったよ。じゃあ、まずは――そうだね」

 

 

 阿知賀の抱える問題もまた、本質的には清澄となんら変わらない。

 刹那的な強さである阿知賀では、晩成の積み上げてきた実績と歴史に立ち向かうにはやはり役者不足に過ぎるのだ。

 もっともここでは三年生の松実姉が抜けてしまうわけだが、メンタルや戦力的な意味では確かに痛いものの、清澄の竹井ほどに致命的な損失であるとは言いきれない。

 実際に阿知賀には、まだこれより下のカテゴリー(中学や小学校)に赤土さんの指導を受けていた麻雀教室出身の子が何人もいる。

 年齢的にも実力的にも来年には間に合わず、即戦力とまではいえないだろうが、自分たちと同じ流れを汲む代役が補充できる下地があるという点でそれは阿知賀の強みといえるだろう。

 むしろその場合問題になるのは、現顧問である赤土晴絵のほうだろうか。

 自らの地力を底上げするという段階において『師の教えどおりに強くなる』ことと、それを『独学でやる』ということでは難易度が遥かに異なるものだ。

 残る阿知賀のメンバーの中で、赤土さんという師を持たず、ある意味独学に等しい環境で麻雀を覚えた経験のある人間というのは鷺森さんだけ。

 経験の無いことをすぐに理解して実行に移す、というのは思っている以上に難しいのだ。手探りで先に進もうとすればそれだけ余計な時間もかかる。

 

 今大会、純粋な戦力差という点では、同じ少数精鋭チームとして出場した阿知賀と清澄とを比べた場合、明らかに清澄のほうが一枚上手だったと思う。その差を独学で埋める事が果たしてできるのだろうか?という懸念が一つ。

 そして、そんな阿知賀が優勝できた要因、唯一清澄に勝っていた部分があるとするならば、まちがいなく環境を整える事のできる大人の存在だったといえるだろう。

 それは単純に力の底上げをする上での的確な指導であったり、練習試合を組んだりする外部との折衝という面でもそうだし、選手間のメンタル調整というのもそう。

 赤土さんの持つ『阿知賀のレジェンド』という、地元では水戸光圀でいうところの葵の御紋に匹敵するほどの肩書きは、周囲の理解、後援会のサポートなどにも大きく効果を上げていたに違いない。

 しかしそんな彼女は来期からプロへと転向予定であり、阿知賀を抜けてしまうことは確実。この点は致命的ともいえる程のマイナスポイントである。

 

 加えて。

 今大会、彼女らはノーマークだったのだ。大会開催中に即興で対策を講じられることはままあっただろうが、他の強豪校がそうされていたようにどの高校からも事前のしっかりした調査を受け、それによる徹底したマークを受けるということはなかった。

 これは阿知賀が自分達より著名な相手の中で戦わざるを得なかったこと、名が知れ渡った高校同士にお互いの注意力が向けられていたが故のある意味棚ぼたといっていいものだ。

 当たり前だが、前年度優勝校という肩書きを持つ来年は違う。

 まぐれで優勝したと穿った見方をしている人間も中にはいるかもしれないが、少なくとも赤土さんと同レベルかそれ以上の指導者がいる強豪校がそんな日和見で手を拱いているわけがない。

 より厳しくそれぞれの特性を封じ込めるような対策が取られることはほぼ確実であろう。

 そんな中、各々が持つ特徴に対して対策を講じられた状況下でどれだけ臨機応変に立ち回れるか――今大会の内容を見るに、それが自主的に行えそうなのは松実姉の抜けた後ではやはり部長の鷺森さんくらいのものである。

 この点も、来年に向けて一抹の不安が残る懸念材料といえた。

 

「そっか、赤土先生来年はいなくなっちゃうんだった……」

 

 ズーンと重たげな空気を背負って項垂れる高鴨さん。

 その向こうでは、松実姉妹が抱き合っている。

 意外にもけろりとしているのは赤土さんフリークのはずの鷺森さんと、こちらは意外でも何でもない新子さん。

 

「ま、それまでに教えられることは教えてあげるさ。来年もまたあんたたちが優勝カップを掲げてる姿を私も見たいからね」

「……ん、頑張ります!」

「ああ、それなんだけど――一つ、いいかな?」

「え?」

 

 良い話の流れに傾きつつあった会話を華麗にインターセプトする私。

 阿知賀にはもう一つ来年に向けての懸念材料があったりするわけだから、ついでに言っておいたほうがいいだろうと思うしね。

 

「来年全国を目指す上で、何か目標みたいなものってあるの?」

「え、目標……ですか?」

 

 今年度の最初、阿知賀の掲げていた目標は『全国の舞台でもう一度和と遊ぶ』というものだった。

 あるいは赤土さんの残してきたものをもう一度取りに行く、という鷺森さん個人の思いもあったのかもしれないが。

 これは高鴨穏乃の思い付きともいっていい、目標と呼ぶのも戸惑ってしまうほど行き当たりばったりなものである。そもそも原村さんが全国出場できなかったらどうする気だったんだ、と。

 信じていたといえば聞こえは良いが、事実は多分その辺りについては何も考えていなかったに違いない。

 結果、全国の舞台に立てた事は賞賛に値するとは思うものの、指針となる部分がやや曖昧にすぎるのではないかとも思う。

 

 今年はまぁ、それでよかった。結果も残せて目標も達成。それについて部外者がどうこう言うのはただただ無粋であるからして。

 では来年は? この子たちはいったい何を目標にして全国を目指すのだろうか?

 原村さんとの再会は成った。今後は連絡を欠かさず取っていれば、わざわざ織姫と彦星よろしく一年おきに再会を約束する必要など無い。

 赤土さんは見事に忘れ物を取り返し、念願だったプロの舞台へと返り咲く。誰かのためにと一丸となったあの時の輝きは既にない。

 今年の阿知賀の強さは、云うなれば、皆が共有している根幹部分に開いていた穴を埋めようとした結果、全てが上手く絡み合って強い絆が生まれたというもの。

 最後の戦いにおいては目標が『原村さんと全国で遊ぶ』の条件の中でさらに練り込まれ、これまで頑張ってきたモノの集大成として自分達が勝つ、というふうに転換されていた。

 その結果、今回優勝したことで目標として定めていた全てのものを達成し、今それはきちんと隙間なく埋められてしまった状態である。

 物語でいえば、エピローグ。ここで大団円となっても不思議ではない状況だ。

 

 さて、それならばこれからモチベーションをどうやって保つのか――というのが、現段階で彼女らに見受けられる一番の課題。

 あるいは連覇を目標にするという手もあるか。

 全国大会を望む全ての高校の中で唯一それを目標に出来るのだから、それを狙うのも決して間違いではない。間違いではないんだろうけど……。

 ――何故だろう? その目標ではこの阿知賀女子麻雀部の面々は本来の強さを発揮できなくなってしまいそうな気がするのは。

 絶対王者と目されていた白糸台でさえ、そこにある危うさにまんまと飲み込まれてしまったように。

 このまま何となくで来年度を迎えたら、あるいは来年の奈良県代表校に名を連ねるのは――もしかすると絶対的エースだった小走やえが抜け、リベンジを強く誓う晩成高校になるかもしれない、と。

 そんな気がしているのもまた事実であった。

 

 

「……そういえば、和の話なんですけど」

 

 主だった問題点をあらかた言い終えたところで、唐突に新子さんが一歩前に出て私の前に立った。

 先ほどの対局前にも見せていた、真っ直ぐに私を見つめるその眼差しに先刻までは無かった怒りの色が少しだけ顔を覗かせているせいか、つい怯んでしまう。

 

「団体戦清澄を倒して私たちが優勝したことで、和が転校して麻雀をやめることになるかもしれないって話。あれって本当のことなんですか?」

「えっ?」

 

 あ、あー……言われてみれば、そうだった。

 あの話は結局色々とあってお流れになりそうらしいんだけど、本人の了承も取っておらず、それを放送するわけにもいかないまま、世間的には宙に浮いた状態になっていたんだっけ。

 

「あれね。優勝できなかったら転校して麻雀を辞める、そういう約束がお父さんとの間で成立してたのは本当の話みたいだよ。でも、うーん……さっき原村さんと話してたときに経過を聞かなかったの?」

「……聞けるわけ無いじゃないですか」

 

 それもそうか。

 実際はまったくこの子たちには過失のない話ではあるのだが、その相手が友人である以上、気を使って聞けないというのは阿知賀側の人間からしてみればよく考えなくとも当然のことだった。

 ここですぐに本当のことを話してあげたら安心させてあげられるんだろうけど。

 そうは問屋が卸さない、という流れになってしまうところが私の面倒くさい部分の一つなんだろうなと自覚をしつつも止められない。でも悪癖なんてそんなものかな。

 

「そうだなぁ。その質問に答える前に、逆に二つくらい質問をしても良いかな?」

「……なんですか?」

「もし原村さんが結果的に転校しなくちゃいけなくなって、麻雀も辞めないといけなくなったとして。君は――ううん、君たちは。だね」

 

 ぐるりと、新子さんを基点に後ろに並ぶ阿知賀のメンバーに視線を送る。

 幼少期を共に阿知賀こども麻雀クラブで過ごした松実玄、新子憧、そして高鴨穏乃。その目を見れば、三人の思いはきっと同じものだろうと推測できる。

 だからこそ、私は眼前の新子さんに視線を向けて言葉を紡いだ。

 

「今回の大会の結果に、後悔したりするのかな?」

「するわけないでしょう!?」

「わ、即答?」

 

 まぁ、聞くまでもなくそう言うだろうとは思っていたけれどね。

 

「勝負は勝負。私たちが勝ったことは私たちの目標でもあったことだし、そのことを後悔なんてするはずが無い。けど……」

「友達のことだし、そう簡単に割り切れないってことかな。じゃあもう一つ、その約束が現実になったら君たちは原村さんに謝るの? 私たちのせいで麻雀止めることになってしまってごめんなさい、って?」

「……っ! それ、は……」

「松実さんはどう?」

「え……そ、それは、その」

「――高鴨さんは?」

「謝りません!」

「ちょ――しず、あんた!?」

「穏乃ちゃん!?」

 

 誰よりも強い言葉で否定をしたのは、高鴨穏乃ただ一人。

 じっとこちらを見つめる瞳の力強さは本物である。どうやら彼女だけはきちんと分かっているらしかった。

 

「そっか。やっぱり君は精神が強いね。それに優しい」

「どういうこと、ですか……?」

「しずっ、だって和はあんなに麻雀の事が……っ」

「憧、玄さん。私たちにだって譲れないものがあるよね? 和にだってそうなんだよ。私たちが今回のことで謝ったりなんかしたら、それはきっと和をもっと傷つけることになる」

「原村さんのことはあまり知らないけど、私もそう思……」

 

 コクコクと同意する鷺森さんと松実さん(姉)の二人。

 この二人に関しては原村さんとの幼少期の思い出がないぶんより冷静に、正しく客観的な立場で物事を判断できるのだろう。

 

「逆の立場で考えたらよく分かるんじゃないかな? 新子さんや松実さんがもし原村さんの立場に追いやられたとして、その原因を優勝校の人たちに背負わせるような真似をする?」

「そんなことしませんっ!」

「そ、そうですよ! それは、負けちゃった私たちが悪いだけで、相手の人たちはなにも悪く――悪く、なんて……」

「そういうことだね」

 

 何も悪くない相手を謝らせてしまった、そう感じた原村さんが自分を責めないとも限らない。

 あの子はそういう子だろうと数回しか会っていない私をして理解出来るほどなのだから、阿知賀の子達がそれに気づかないわけはない。

 だからこそ私はここで、彼女たちが無意識のうちに抱え込んでいる不必要な罪悪感は取り除いておきたかった。

 間接的にとはいえそれを抱くに至ったであろう原因がこちらにある以上、余計なお世話な上に荒療治だけど、今後に向けてやっぱり必要なことだろうと。

 

「そもそも原村さんは約束のことを一人で抱えたままで、チームメイトにも友達にも話さないつもりだったみたいだし。その理由だって今のあなたたちには分かるよね?」

「……私たちが、感じる必要のない余計な罪悪感を覚えなくてもいいように……?」

「きっとそうだよ。和は優しくて、ちょっと頑固だからね」

 

 高鴨さんの言葉に、彼女の共通の友人二人が頷く。ここでもやはりそういう認識なんだな、原村さんは。

 

「そう、だね。和ちゃんはたとえ自分が麻雀を捨てるようなことになったとしても、きっと全部の事情を飲み込んで、笑顔で優勝おめでとうって言ってくれる子だから……」

「私たちは今までどおり、和と接すれば良いだけ! そういうことよね、しず?」

「うん。それが一番だと思うんだ」

 

 涙を浮かべて笑顔を見せる松実(妹)さん。このままで終われば、あるいは「良い話だったね」で終わっても許されたんじゃないかと思うのに。

 

「あ、ついでに言っておくとあの約束は白紙に戻ったみたいだよ。よかったね、三人とも」

『っはぁぁぁぁぁぁぁ~っ!?』

 

 ぽそりと何気なく付け加えた赤土さんのそんな科白に、今後こそ全員一致で声を上げる阿知賀女子学院麻雀部の面々であった。

 

 

 

「本日はどうもありがとうございました」

 

 代表で頭を下げるのは、部長の鷺森さん。

 初対面時のあの凍てつくような鋭い眼光からはとても考えられないほど柔らかい、それでいて真剣な表情で私を見つめてくる。

 

「こちらこそ、色々とご迷惑をおかけして……主にこーこちゃんが」

「おっとすこやん、そこで他人に責任を擦り付けるのはいい大人のすることじゃないぞっ☆」

「いつもの収録の二倍疲れたのは絶対こーこちゃんのあの企画のせいだから」

 

 あとなんで最近そんなにはやりちゃん推しなんだろう?

 似てないけど、あれと同い年だというのを思い出すたびに地味に精神にクるから止めて欲しい。

 

「おーい、車の用意が出来たからこっちおいでー」

 

 と、ついでだから旅館まで乗せて行ってあげるよと申し出てくれた赤土さんが正門のところまで車を回してくれたらしい。

 呼びかけの声に、私は小さく右手を挙げて応えて見せた。

 

「それじゃ鷺森さん。これから色々と大変だろうけど、頑張ってね」

「はい。そちらこそ、一部リーグの試合でハルちゃんに負けて泣かないよう頑張ってください」

 

 

 

「へぇ、じゃあ小鍛治さんたちは松実館の例の部屋で宿泊してるんだ」

「そう。あの部屋ってすごいよね。露天風呂が個別で付いてるのもそうだし、お部屋の広さとかも案内された瞬間に一瞬唖然としちゃったよ」

 

 宿泊地として松実館の中でも最高級グレードの部屋を用意されていたという事実には、流石に私も唖然とした。普通の部屋の予約が取れないからってずいぶんと無茶をしたものだ。

 ちなみにスタッフ陣は別の安宿で宿泊しているため、撮影のない今日に関しては同行しない。

 なので、今こうして車に乗っているのは運転手の赤土さん、助手席の私、そして乗り込むやいなや後部座席でお昼寝をはじめた福与恒子嬢だけである。

 

「しかしまぁ、番組スタッフもずいぶんと太っ腹なことで。普通じゃ泊まれないよ、あの部屋」

「たしかに、そのあたり私もよく分からないんだ。上との折衝とかは全部こーこちゃん辺りに任せちゃってて」

「それってヤバくない? 大丈夫なの?」

「う、うん。そこはほら、信頼?してるから」

「……心からの信頼は向けていないってのはよく分かった」

「まぁ、こーこちゃんだから、そこはね」

 

 とはいえ、もし自腹でお願いしますと言われたとしても普通に払える程度の貯えはある。むしろ増え続けているくらいだから、その心配は要らない。

 逆にお金を払ってでも泊まりたいとすら思わせてくれる宿というのは、ある意味貴重だと思うし。

 仲居さんたちのおもてなしもそうだけど、料理もそう、部屋の雰囲気もそう。

 日本全国津々浦々、果ては異国の大都市まで。色々なところを仕事で回っているけど、これほどまでに心安らぐ宿というのはなかなかお目にかかった事がない。

 その点でも松実館は評価をするに値する宿であるといえる。上から目線で申し訳ないけども。

 

「そういえば、はやりちゃんから聞いた? あの話」

「うん? ああ、年末の例の集まりの話? でもいいのかな、私が行っても」

「いいんじゃないかな? 赤土さんも来年には同じ舞台に上がってくるんだし……上がってくる、よね?」

「同じ舞台――ね」

 

 ふいに、遠くを見つめる赤土さん。その眼差しが捉えているのは、一体――。

 ――いや運転中なんだからちゃんと前見てよ。事故でお亡くなりになるのは嫌過ぎるから。

 

「十年、か。小鍛治さんにあんな風にこてんぱんにされて……私さ、牌握れなくなっちゃったんだよね」

「――……」

「ああ、心配しなくて良いよ。そのことで小鍛治さんにどうこう言ったりするつもりはないんだ。そんな資格も私にはないしね」

 

 資格、というのは……なんのことだろう?

 

「今回の大会を見て、自分のメンタルがいかに豆腐並に柔らかかったのかを思い知らされたよ。たかだか一度、そりゃ酷い負け方だったかもしれないけど……それでも、一度だ」

 

 確かに、彼女の教え子たる今大会の阿知賀勢は劣勢を強いられる展開がとても多かった。

 特に妹のほうの松実さんは、先鋒という位置に座るエースとしては当然避けがたい強敵との対局が連続していたこともあり、特に辛い目にあった子だろうと思う。

 二回戦は千里山のエース園城寺怜による集中砲火を浴びせられ、準決勝・決勝とあの大魔王とすら云われた宮永照と二度も同卓しなければならなかったり。

 大会の収支ランキングで松実さんの収支がマイナス方面に突き抜けていたのも、その七割ほどが旧チャンプの手によるものである。

 それでも決勝卓での彼女は決して勝つことそのものを諦めなかった。結果こそオーラスで宮永照から直撃を取るに至ったものの、途中で縮こまりがちだった準決勝の時とは明らかに違う、最初から最後まで途切れることなく戦う決意に満ち溢れていたように思う。

 そしてなにより、チームとしての戦いにおいて、阿知賀は全国における闘いのそのほぼ全てで逆転勝利を収めている点。

 これは先鋒だった松実玄の失点数の多さによるものが大きいとはいえ、逆転勝利と言われるためには大将は常に下位からスタートするということでもある。

 その逆境を跳ね除けて、勝ち進んでみせる力強さ。それは確かに、当時の赤土さんにはなかったもの――精神的な強さ、といえるかもしれない。

 

「しずも玄も、あれだけの相手と戦って退く事もせずにやり遂げた。それなのに、私だけが十年前のあの時のまま歩き出せないっていうのは、さ――。

 ――なんていうか、情けなさ過ぎるじゃない。あいつらが憧れてくれた阿知賀のレジェンドとして、いつまでもそんな姿ばかり見せているわけにはいかない。だから」

 

 信号待ちで車が止まり。そして、彼女の顔がこちらを向いて視線が交わる。

 私も目を逸らさない。ここは、真っ向から受けて立つべき場面なのだから。

 

「――だからこそ、私は必ずプロになるよ。プロになって、今度こそあんたをぶっ倒してみせる」

「私はあの時からずっと、国内で一度たりとも負けてないんだ。その私に小さな傷をつけてくれた貴方には――期待してるよ」

 




ここまで一応火曜日定期更新を心がけてきたのですが、次話はちょっと間に合うか微妙なところ。
次回『第09局:遊戯@あまり意味のない勝利と敗北』。ご期待くださいませ

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