ぐったりとした様子の店長からの指示を受け、入り口の扉に『本日貸切』の札を掛けた。本格的に四校合同パーティーとやらの開幕を告げる狼煙であるかの如く、それは誇らしげに揺れている。
既に太陽は天頂を越えて久しく、山の向こう側へと傾こうとしているというのに。店内を陣取る彼女らの勢いは増すばかりで……。
清澄の三人から始まり、風越女子、鶴賀学園、そして龍門渕高校と。お店のスタッフ側も含めれば長野県大会の決勝団体戦メンバーの全員が、ここに終結したことになる。
意図的でない、と判断する理由こそないだろう。
鶴賀学園の合流は半分くらい私自身とも関わり合いがあるとはいえ、加治木さんとの会話中に東横さんが漏らした科白、『例のあの人に誘われていた』というあれが妙に引っかかる。
風越の福路さんが竹井さんと顔を合わせた時、なんて言った? 『せっかくお声がかかったんだし』と言わなかったか。
龍門渕のお嬢様は、いったいどこでこの三校が集まっているとの情報を得る事ができたのか。
全ての情報を掌握しつつ意図的に必要な場所にのみ流出する、決して表に出てこなかった存在。そんなものがもしいるとしたら、それはもしや――。
「やぁやぁすこやん、御勤め頑張っているかい?」
「やっぱりお前か、こーこちゃんっ!」
これ以上ないタイミングで姿を見せたこの女しかいないだろうと直感が告げていた。
「って、あれ? 靖子ちゃんと、久保さん?」
「お久しぶりです、小鍛治プロ。先日は突然のメール、失礼しました」
「どうも。こちらは昨日ぶり、で……ぶふっ……っだ、ダメだこれ! 無理無理耐えらんないって、なんですかその格好! 猫耳て!?」
「靖子ちゃんェ……」
同僚の遠慮の無い笑っぷりに私の心は崩壊寸前。対照的に久保さんは表情一つ変えずに挨拶してくれてどうもありがとう。
「ていうか、みんな揃ってなんなの? 生徒は生徒で集まってるし、保護者まで出てくるなんて」
「くっ、くくく……」
「いい加減笑い止まないとあとで酷い目に遭うことになるよ? 主に雀卓でだけど」
「――っと、それはそれで興味がなくはありませんが。私は貴子とは違って別に久の保護者でも何でもありませんよ」
「そーかな? けっこう目を掛けてあげてるみたいだけど?」
「藤田プロの場合、どちらかというと保護対象なのは天江衣のほうなのでは?」
「あー、いいね。久と違って衣はたしかに保護してやりたい衝動に駆られるわ」
「あの見た目だしね」
「麻雀打ってない時は可愛いよねー、あの子」
思わず頷いてしまう私とこーこちゃん。
「分かってないねぇ福与アナ。全部を含めて衣は可愛いんだよ。海底で和了った時のあのドヤ顔とか、あれはもう天使といっても過言じゃないね」
「うわぁ、靖子ちゃんそれは溺愛しすぎてて怖いよ」
「今の小鍛治プロの猫耳姿ほど怖いわけじゃありませんて、失礼な」
「」
「おっとここで藤田プロの投げたナチュラルな言葉が小鍛治プロの硝子のハートにクリティカルヒットォ!」
「その実況的な言い回しは止めて! あとお店の迷惑になるから三人とも早く中に入ろうか!」
店の前でいい大人が揃って何をやっているんだ、という話である。
いくら貸切とはいえ、今の状態はあまり宜しくない。一従業員としては早急になんとかするべきだろう。
「さて、んじゃ私らは店内に入りますかぁ。藤田プロと久保さんはお客様だから、すこやんはそのつもりで対応してあげてね?」
「……どうしてだろう、笑い転げてる靖子ちゃんの姿しか見えない」
「できるだけ抑えますよ。出来るかどうかは別として」
「小鍛治プロ、大丈夫です。お似合いですから、年齢に似合わず」
「うう、これだけの人数が揃ってて私の味方が須賀君と妹尾さんだけって、いったいどういうことだろうね」
「聞きたい?」
「……止めとく」
こーこちゃんの問いかけに首を横に振ったことは、我ながら賢明な判断といえた。
カランコロンカラン――とカウベルが鳴るのとほぼ同時だっただろうか。
店の中、雀卓のあるスペースのほうから『にぎゃー! あたしの役満がそんなゴミ手でぇぇぇっ!』という、猫でも縊り殺したかといわんばかりの悲鳴が聞こえてきたのは。
いったい何事かと確認に向かおうとする私よりも先に久保さんが動いた。
「うるせぇぞ池田ァ! 店の中でなに騒いでんだお前!」
とお前のほうがうるさいよと言われそうなくらいの大声で叫んだ時、
「ひぃ!? く、久保コーチ!? なんでこんなところにいるんだし!?」
という、瀕死の猫――もとい、池田さんの声が返ってきたのである。
ガヤガヤと賑やかだったはずの飲食スペースも一瞬で静まり返り、こちらに注目しているようだ。
もしやこれは、私がこの空気をなんとかしなければならないのだろうか、と思っていたのも束の間。
「……なんだ、風越の。いつものことね」
竹井さんの発したその一言で、示し合わせていたかのように即座に賑やかさを取り戻す四校混合麻雀部の皆様がいた。
やっぱりコントでもやっているんだろう君ら。
靖子ちゃんと久保さん、こーこちゃんの三人はそのまま飲食スペースに行くことなく、卓を囲んでいる面子のほうへと向かう。
どうやら思春期の高校生達が集う女子会中のあちら側よりも、こちらのほうが居心地がいいと感じたのだろう。それには私も同感だ。
全六卓あるスペースにおいて、現在使われているのは池田さんたちが使用中の第三自動卓と、龍門渕さんや天江さんたちが使っている第一自動卓だけである。
「ついでだからこーこちゃんもやる? 靖子ちゃんたちはやる気なんだよね?」
「それはもちろん、せっかくですからね。小鍛治プロに入ってもらえるならやりがいもありますし」
「えっ? ねぇすこやん、小鍛治プロ? 私がこの面子に囲まれて一局持つと本気で思ってる? 思ってないよね? いじめ? いじめはよくないよ?」
「いつも私に無茶振りばかりしてるこーこちゃんが言っても説得力ないよね」
「ひどっ! すこやんの鬼! 悪魔! ちひろ!」
「ちひろって誰!?」
「最近こういうのがなんかトレンドなんだって。ちなみに私も誰かは知らないんだけど、噂だと業界内でもけっこうな権力を持った怖いおねーさんらしいよ」
「……実在するんだ」
それはそれで怒られるんじゃないだろうか、色々な人たちに。
そんなやりとりをしつつふと気が付けば、久保さんが真剣な表情で吉留さんたちの動向を見守っていた。
先ほどまでのそれとは明らかに違う、コーチとしての横顔である。
ちなみにその向こう側では海底撈月で跳ね満をツモ和了した天江さんにちょっかいを出している某プロの姿もあるのだが、そちらはあえて見て見ぬふりをしようと思う。
「ふぅむ……」
こちらの卓は開始が早かった割に進み具合はそうでもないようだ。
東三局三本場、現在のトップは池田さんの33200点、連荘で追い上げる原村さん(親)の点数は31900点、三位が宮永さんでラスが吉留さんとなっている。
さすがにこの面子の中で稼ごうとしても、極端な速度や火力、あるいは必殺技を持たない吉留さんでは追い上げるのも厳しいかもしれないが、さて。
「――リーチ」
中盤辺りに差し掛かったこの一局、最初に動いたのは宮永さんだった。
{七萬}{七萬}{八萬}{八萬}{九萬}{九萬}{二筒}{二筒}{二筒}{四筒}{西}{西}{西}
この手牌を見るに、相変わらず対子手で形を作るのが好きな子だなという印象を受ける。
今回のリーチはおそらく西の暗刻を次の一手で暗槓しつつ、当たり牌を持ってきて和了する算段なのだろう。
だが、彼女が得意としている嶺上開花の存在を知る面々が素直にそれを許してくれるのだろうか?
事実、宮永さんの対面に座る吉留さんは上家の原村さんが捨てた索子の2を即座に鳴き、一発を消すと同時に安牌の南を切ってツモ順をずらしてみせた。
吉留さんから見て下家の池田さんはそのまま引いてきた索子の9を捨て、宮永さんの順目である。
「――カン」
当たり前のように宣言し、ツモってきた西を含めた槓子を場に晒す宮永さん。ビクっと肩を揺らした吉留さんには申し訳ないが、その程度で止められるなら全国大会個人戦優勝など夢のまた夢だったろう。
そうして王牌から引いてきたのは、これまた当然のように当たり牌の筒子④。
「ツモ。リーチ門前清模和一盃口嶺上開花、三本場は2300、4300です」
大きく溜め息を吐き点棒を支払う吉留さんと、淡々とした様子のその他二人。
ちなみにマナー違反ではあるが、本来宮永さんがツモるはずだった次の牌を確認してみたら――案の定というべきか意外とでもいうべきか、筒子の③であった。
鳴きが成立しておらず、一発が付けば『リーチ一発門前清模和一盃口』となり、どちらにしろ満貫での和了だったことになる。
「相変わらず、あれは脅威ですね……普通にやっていても止められる気がしない」
隣に移動した私にしか聞こえない程度の小さな声で、久保さんが呟く。
でも今の場合は和了を防ぐ手立てがまったく無かったわけでもない。
池田さんの捨てた9、同じ牌の対子を所持していた原村さんであればポンすることができたはずで、そうすれば残り一枚だった西は別の人物に握られ、この順目での槓はできなくなっていた。
それでも③④のいずれかを山から自力でツモってこないと言い切れないあたり、宮永咲がチャンピオンたる所以ではあるのだが……。
たしかに原村さんがあの時点で9を鳴けば、オリるにしても安牌が減り、親の利点を活かして強気に押して行くにしても役なしとなって和了からは遠ざかる一手となったわけで、現実的に鳴きの判断をするのは難しかったと思われる。
宮永さんの嶺上開花に関していえば、リーチをかけることのほうが少ないというデータもある。また天江衣の海底のようにリーチ後のこの順目での和了が確定しているわけでもない。
戦いはまだ前半戦の最中である。ここから逆転する自信のある彼女にしてみれば、まだ慌てるほどの時間帯ではないということか。
事実、親っかぶりの原村さんからは動揺の色はまるで見られなかった。
「うーん、となるとあのリーチは撒き餌だったのかな……」
「今の。小鍛治プロが吉留の立場ならどうしましたか?」
「ケースにもよるだろうけど、今の場合リーチを掛けられた時点でほぼ和了られるのは確定だろうから、鳴こうが鳴くまいが個人で対処するのは難しかったと思うよ」
「小鍛治プロでもそうですか」
「全部の情報が出揃った今だから言えることだけど、三人が連携してまずは一発と槓を潰す。で、宮永さんが当たり牌の③か④を引いてくる前に安手の誰かに振り込んで止める、っていうのが理想的だったとは思うかな」
とはいえ麻雀はあくまで個人個人の戦いである。
たとえば全国大会Aブロック準決勝先鋒戦の後半戦、宮永照が遠慮なしに大暴れしすぎた結果、ほぼ三対一での戦いとなった最終局。
あの時のように是が非でも止めなければならないという展開の中、他家の思惑が完全に一致するような状況にでもならなければ、なかなか思惑通りに連携するという事態にはならないだろう。
そしてこの卓でそれは特に難しいはず。その理由が、吉留さんから見て上家に座る原村和の存在だ。
彼女は基本的に個人の裁量でたいていのことをやってのける絶対的な自信と、それによって起こりうるであろう結果を良し悪し関係なく黙って受け入れる、頑なな程強い覚悟を持つ人物。
他家と連携することはまるで考えないで自分の手を突き詰めて行くタイプの打ち手だから、そういう流れをあえて読まないといけない場面では連携プレーの足を引っ張る典型である。
以前それを「もう少し柔軟にしたほうが良いかもね」とやんわり諭したわけだけど。
今の一連の流れを見るに、今回の宮永さんの和了に関しては、あえて自分を曲げる必要のある重要な場面とは判断されなかったようだ。
もっとも、今の卓の状況から鑑みれば当然な成り行きではある。逆にアドバイスに流されて自分を見失う人間も多い中で、その胆力は流石というべきだろう。
ただ、この和了が最終順位を決める事実上の一撃だったと最後に結果として顕れたとしても、原村さんはこの時和了を止めなかったことに対して反省も後悔もしないのだろうな、と表情を変えず山から牌を取る彼女の姿を見て思わず呆れと感嘆がない交ぜになった溜め息を一つ吐いた。
「でも、王道だけどリーチ宣言された直後に王牌を潰すほうが対策としては楽なんだよね」
「それは……宮永に順目が回るより先に槓をするということですか? ですがそれは――」
「タイトルか何かが懸かってる試合ならともかく、こういう場での打ち回しの中でならなんとでもなるよ、それくらいは」
はっきりと言い切って見せた私に、久保さんはそれ以上の言葉を繋げずに小さく溜め息を吐く。
来年の参考にならなくてごめんね、と心の中で謝っておいた。
飲食スペースにいる子たちも、そろそろ麻雀がしたくなってきたのだろう。
第三自動卓が南入する頃にはカウンターに姿を見せる子が増えてきていた。
「小鍛治プロ、ちょっとこっち手伝って欲しいんだじぇ」
「あ、はい。今行きます」
片岡さんからの要請を受け、仕事に戻る。結局見ているだけで麻雀はできなかったものの、仕方が無いと割り切ろう。
カウンターで受付をしている片岡さんの周囲には結構な人数が束を成しており、まるで有名人の握手会に並んでいる人たちの如く周りを綺麗に取り囲んでいた。
「あらら、すごいね」
「助けて欲しいんだじょ、小鍛治プロ……」
すっかり萎びてしまっている片岡さんのやる気である。
彼女の代わりに受け付けに座り、片岡さんには厨房に行ってタコス分を補充してくるよう促しておいた。その分給料からは引かれるだろうけど、背に腹はかえられまい。
「えっと、まず誰と誰が卓を囲むの?」
「私と美穂子、ゆみと東横さんの四人で。全自動卓でなくても別に構わないですよ」
「いちおう第二自動卓は空いてるけど、手積みでいいなら第六卓でお願いできるかな?」
「了解。それじゃみんな、案内するから行きましょうか」
「あ、竹井さん待った。これも持っていかないと」
「おおっとそうだった。美穂子、よろしく」
「分かりました」
手積みならば牌のセットを持っていかなければ麻雀は打てないだろうに。
しれっと最後尾の福路さんにお願いをしつつ、竹井さんは残りの二人を連れてさっさと卓のある場所へと向かっていった。
「じゃこれね。竹井さんにだけは負けちゃダメだよ? 頑張ってね」
「ふふ、ありがとうございます。がんばります」
麻雀牌を受け取ると、丁寧に頭を下げてから彼女らの後を追う福路さん。
名門風越の元キャプテンというには腰が低すぎるような気がしないでもないけれど……実力の程は本物なんだよね、あの子。
「さて、じゃ次ね。次は誰かな?」
「はい! 私たちと深堀さん、それと部長――じゃない、蒲原先輩です!」
元気よく手を挙げたのは、カード収集コンビ。その後ろで存在感を主張する深堀さんと、隅っこでワハハと笑う元鶴賀の部長殿。同じ部長クラスなのに福路さんとのこの違いである。
「自動卓と手積みとどっちがいいのかな?」
「手積みでかまいません!」
「わかった。それじゃ牌はこれを使ってね。場所は第四卓――ああ片岡さんちょうどよかった、この子たちを四番卓に案内してあげてもらえるかな?」
「おお? わかったじぇ、みんな私に着いてくるといいじょ」
「がんばってね」
送り出す際の激励の言葉も忘れない。やたらとハイテンションになった例の二人がどうなるか、ちょっと気になるところだった。
目の前に集っていた女子高生の群れがようやく消えていなくなり、ほっと一息。
ちなみに今のところ卓の埋まり具合はこんな感じだ。
第一自動卓:龍門渕透華、天江衣、国広一、井上純(東風戦・オーラス)
第二自動卓:
第三自動卓:吉留美春、池田華菜、原村和、宮永咲(半荘戦・南二局)
第四卓:津山睦月、文堂星夏、深堀純代、蒲原智美(東風戦・開始前)
第五卓:
第六卓:竹井久、福路美穂子、加治木ゆみ、東横桃子(半荘戦・東一局)
あと打たずに残っているメンバーといえば、鶴賀の妹尾さん、龍門渕の沢村さんの二人だけか。染谷さんと片岡さんあたりを加えれば打てないこともないだろうけど、どうするかな?
声を掛けて聞いてみるべきだろうと思い、席を立つ。
「沢村さんと妹尾さん、二人とも麻雀打ちたい? それともここでのんびりしておく?」
「私は別に――少しやることがあるから」
「私は初心者だから、こういった席だと見ている事のほうが多いんです。特に手積みだと足を引っ張っちゃうことも多くて」
「そっかぁ。もし打つ気があるなら言ってね? 自動卓もまだ空いてるし、面子揃えるのも大丈夫だから」
「ありがとうございます」
「すみません」
「いいって。それじゃごゆっくりどうぞ」
あまり乗り気ではなさそうなので、無理強いするのは止めておこう。
となると、あとは靖子ちゃんと久保さんコンビをどうするか、というところか。
常連さんと思わしきおじさんたちは、店内が女子高生に占領されてしまうより先に帰って行ってしまったし。最悪私が混ざればいいとして、もう一人が問題だ。
やはりここはこーこちゃんに座っておいてもらうのが一番か。スタッフさんの中の誰かでも別に構わないんだろうけど、絵的にどうかと思わなくもないわけで。
そんな感じでリストを片手に睨めっこしていると、事務室から染谷さんが出てきた。どうやら書類整理などの事務仕事が一段落したらしい。
「お疲れ様」
「おう、お疲れさん。しかしなんじゃ、小鍛治プロもそのメイド姿が板についてきたのう」
「あはは、それは良いことなのか悪いことなのか」
「ま、悪いことはないじゃろう。京太郎もべた褒めじゃったしな、猫耳込みで」
「うっ」
まさか、休憩時間にちょくちょく話をしていたのを見られていたのだろうか?
ニヤニヤしている表情からは全てお見通しであることが伺える。防犯カメラでも付いているのか、あるいは撮影用のカメラで全部筒抜けだったとか……。
「あ、染谷先輩! 私もそろそろ麻雀が打ちたいじぇ……」
「んー? そうじゃのう……ほんなら一旦メイドの仕事は置いとくか。貸し切りになってある意味身内しかおらんようになったことじゃし」
「さっすが染谷先輩、話が分かるじぇ!」
「っていっても今は手が空いてる人はいないよ? 飲食スペースに残ってる二人はあんまり乗り気じゃないみたいだし」
「ほうか。じゃあどうするか――」
「それなら私らと打つか? あ、その前にまこはカツ丼大盛り、大至急で」
「おお、カツ丼プロ! それと福与アナじゃないか!」
「お昼ぶりだねー片岡さん。元気だった?」
「うう、私だけ仲間はずれで正直しんどいじぇ……」
「こらこら、マスコミの人の前でなに人聞きの悪いことを言いよるんじゃ」
ああ、言われてみれば別に高校生同士で卓を囲まないといけない理由はなかったか。あれ、でもこの二人が戻ってきたということは。
「最後の最後で捲られた……」
「ふん、いつまでも年下にやられっぱなしのカナちゃんじゃないし!」
「それも吉留さんの身を削ったアシストがあってこそ、でしたけどね」
「上手くいってよかった……あれがなかったら私、終始座ってるだけで置物状態だったから」
「この面子で一位になったことは評価してやらんこともない。が、団体戦の本番では吉留の手助けはないということを忘れるなよ、池田」
「う……は、はいコーチ」
ガヤガヤとこちらに戻ってきたのは、最初に行動を起こした第三自動卓の面々と久保さんである。
最終順位はどうやら、一位が池田さん、二位が宮永さん、三位が原村さん、四位が吉留さんという感じになったようだ。
やっぱり正式な試合じゃないと驚異的な強さを終盤で発揮することは無いよね、宮永さんは。まぁ近くにあんな敵を射殺すような目で観戦している、怒鳴り声に定評のある他校のコーチがいたのであれば、それに慣れていない子が実力を出し切るのも難しい話ではあるんだろうけど。
それに続くようにして、第一自動卓で打っていた龍門渕勢が戻ってきた。
「ったく、藤田プロのおかげで後半衣が調子崩しまくりだったのに、おいしいとこは全部透華に持ってかれるとはなぁ」
「あれだけ盛大にお膳立てがされていれば当然のことですわ」
「純くんは慣れたボクたちからすれば分かりやすいからね。ま、ボクも人のことは言えないんだけどさ」
「うう、藤田のせいで衣が負けちゃったじゃないかぁ」
どうやらこちらも順当勝ちとはいかなかったようで。頭頂部のアンテナがうにょらうにょら蠢いているところからも分かるように、ご機嫌な龍門渕さんがトップで終わったようである。
宮永さんたちに触発されて打ちたいと駄々をこね始めた天江さんを抑えるために始めた一戦だったこともあり、東風戦にしておいたから早く終わったのだろう。
後ろのメイドさんたち(たぶん井上純と国広一)が明らかに打ち足りなさそうな、不完全燃焼ですと言わんばかりの表情を見せている。
「おっし、それじゃとりあえず面子を入れ替えてもう一戦やるか。今度は負けねーぞ」
「そうだね……ってあれ、ともきーは?」
「あっちでパソコン弄りながらなんかやってるな。ま、いいんじゃねーか? 部活ってワケでもないんだし、自由参加で」
「それもそうだね。あ、そこのメイドさん」
「えっ? わ、私?」
「そうそう、キミだよ。ちょっとのどが渇いちゃって、できれば何か飲み物を――って小鍛治プロ!?」
「何言ってんの国広君、そんな有名人がどこに――は?」
あ、今頃になって気づくんだ。
そういえば沢村さん以外の龍門渕の面々は初対面で華麗にスルーしてくれたんだったか。
「な、ななななな!?」
「なんでこんな所に小鍛治プロがいやがる――い、いや、いるんですか?」
「うん、ちょっとね。私もそれは詳しく知りたいところではあるんだけど」
じっとこーこちゃんのほうを見やる。さりげなく染谷さんの後ろに隠れる辺り、後ろめたさくらいは感じてくれているらしい。
よかった。無慈悲なアナウンサーなんていなかったんだね。
「今の私はしがない店員さんだから気にしないで。飲み物だっけ、ちょっと待ってね? 今メニュー持ってくるから」
「あああああ、いや、ちょっと待った! いいです、メニューくらいは自分たちで!」
言うや否や、飲食スペースに向けて突撃をかます井上さん。
テーブルの上に無造作に置かれていたメニュー一覧をひったくるようにして手に取ると、目を瞠る速度で戻ってきて国広さんに手渡した。
「じ、純くん、ありがとう……」
「いやいいって。さすがのオレも、あの小鍛治プロをあごで使おうと思えるほど破天荒じゃねーし……」
これは敬ってもらえているんだろうか。それとも単に恐れられているだけなんだろうか。
「注文が決まったら教えてね」
「は、はいっ」
「おいおい、どうするよ……」
「衣はオレンジジュースだ!」
「うわぁっ!? こ、衣……いきなり出てくるのは心臓に悪いから止めてよ」
「びびった、今のはマジびびった」
ひそひそと会話をしていた国広さんと井上さん。その真ん中ににゅるりと現れた天江さんの登場に、二人は大げさなほど身を反らして驚いた。
そんな二人の反応も何処吹く風で、天江さんはそのつぶらな瞳でじっと私のことを見つめている。
何かおかしな所があっただろうか?と考えて、今現在、何処もかしこも可笑しな所ばかりだったと思い返してげんなりしてしまう私である。
「……藤田など歯牙にもかけぬ程に奇奇怪怪な打ち手、か。小鍛治健夜といったか」
「うん?」
「万物流転――いずれ非想非非想天にて合間見えることになるであろう、この天江衣の名を魂魄にしかと刻んでおくが良い」
ひそ……なに?
言葉の意味はよく分からないものの、真剣な眼差しから察するに彼女なりの宣戦布告、なのだろうか。
この見た目で難しい台詞回しをされてもあまり迫力はないなと心の中で呟きながら、とりあえずご希望通りその名前だけでも覚えておくことにすればいいだろうと素直に頷いておいた。
「……そっか。その日を楽しみにしてるよ、天江さん」
「うむ!」
「天江さんがオレンジジュースで、そっちの二人は決まった?」
「えっ、あ、はい。じゃボクも同じもので」
「オレも同じでいいです、はい」
「えっと、龍門渕さんはどうするの?」
「私のことはお気になさらず。――ハギヨシ!」
パチリと鳴らした指先の音とほぼ同時に、龍門渕さんの後ろに優雅に一礼をする執事服姿の男の人が現れる。
って、なに今の!? え、どこから現れたの!?
「どうぞ、透華お嬢様」
「ありがとう、ハギヨシ」
唐突に用意された椅子と、そこに腰掛けてハギヨシさん?とやらに差し出されたカップを手に取り、口に運ぶ龍門渕さん。
ぽかーんとそのやり取りを見ていた私は、ふとある疑問にぶち当たった。
「……染谷さん、このお店って飲食物の持ち込みは可なんだっけ?」
「残念じゃが、あの人らに限ってはこっちの常識は通用せんのじゃ……放っとくしかないわ」
「そ、そう」
疲れ果てた染谷さんの背中を見ると、それ以上この話題を引っ張るのはよくないだろうと思わざるを得なかった。
気を取り直して、三人分のオレンジジュースの用意に取り掛かる。その間、染谷さん主導で次の対局者決めが行われることとなった。
公平なくじ引きの結果、卓の使用状況は以下の通り、それぞれ振り分けられた。
第一自動卓:天江衣、原村和、片岡優希、池田華菜(半荘戦・開始前)
第二自動卓:宮永咲、藤田靖子、龍門渕透華、井上純(半荘戦・開始前)
第三自動卓:染谷まこ、久保貴子、国広一、吉留美春(半荘戦・開始前)
第四卓:津山睦月、文堂星夏、深堀純代、蒲原智美(東風戦・東二局)
第五卓:
第六卓:竹井久、福路美穂子、加治木ゆみ、東横桃子(半荘戦・東三局)
ん、私? 私はパス、というかそもそも面子にすら加えてもらえなかった。撮影スタッフによるダメ出しがその主な原因である。
なんでも私には別件でやってもらいたいことがある、とか何とか。
また無茶ぶりか……と落胆の溜め息を付く私に対してこーこちゃんが見せたのは、やたらと爽やかな微笑みで。
その表情がむしろ逆に不安を煽ってくるのは気のせいだろうか?
全員を見送り、ただ一人ぽつんとカウンターに取り残された私の元に、件の人物がやってきた。
「ありゃりゃ、寂しそうな顔しちゃってぇ」
「……私だって雀士の端くれだからね。自分だけ打てないっていう状況には思うところもあるの」
思わず頬が膨らんでしまう。理沙ちゃんじゃないんだから似合わないだろうと思いつつも、止められない。
「なら麻雀打ったらいいじゃない!」
「ちょ――ダメって言ったのこーこちゃんたちだよね!?」
「うん、あの人たちと打つのはダメとは言ったけどね。他の人と打っちゃダメとは残念ながら言ってないんだなぁ、これが」
「……どういうこと?」
「わっかんないかな~? 今このお店の中に、麻雀を打っていない人物が撮影班を除いて果たして何人いるでしょうか?」
「えっと、私でしょ、こーこちゃん、飲食スペースにいる沢村さんと妹尾さん、あと厨房にいる――あっ」
そういえば。初心者とはいえあの子もまた、麻雀部の一員だった。
「んふふ、気がついたみたいだね! そう、これからすこやんには須賀君に特別レッスンしてもらおう!ってことで各方面には話が通してあるんだ」
「と、特別レッスン……?」
「って、すこやん分かってる? 麻雀のことだからね? いきなりカメラの前で激写しちゃいけないようなことをおっぱじめたりしないでよ!?」
「分かってるよ! こーこちゃんは一体私を何だと思ってるの!?」
「そりゃむっつりアラフォ――」
「やっぱ言わなくて良い! あとアラサーだからね! 勘違いしないでよね!」
焦りすぎて思わずツンデレ気味に突っ込みを入れてしまった。
私のキャラそんなんじゃないのに。不覚すぎる。
なんというか、ダメなんだよね。下ネタ系は特に、正面から来られると経験があるかないかは別としても苦手な意識が先に立つ。
潜在的なコンプレックスだからなのだろうか? いや、でもむしろ昨今の若者のそういった方向に明け透けで恥じらいのなさっぷりこそがどうかと思うし。
それを素直に言ってしまえれば良いのかも知れないけど、年寄りくさいだのなんだのと即座にからかわれるのが目に見えていた。ぐぬぬ。
「とまぁ、そういうわけだからヨロシクねー」
「ちょっとこーこちゃん、またどこか行くの?」
「私はちょっち別件で準備しときたいことがあるんだ。だからあんまりすこやんには構ってあげられないのだ、めんご☆」
「……もしかして、こーこちゃんこそアラフォーなんじゃ? ダメだよ、年齢詐称してテレビに出ちゃ……」
「おおう、まさかのカウンター……腕をあげたね、すこやん」
「そんなところ褒められたって嬉しくはないなぁ」
本気で何処からネタを仕入れてくるのか不思議でたまらない。
どうしてこう変なところで勉強熱心なんだろう、この子は。
その勤勉さをもう少し別のところに費やそうとしないのか。ああいや、そうなったらもっと被害が広がりそうだしやっぱこのままでいてもらおう、主に私の平穏のために。
「実際のところ、すこやん須賀くんのこと気にしてたっしょ? ほら、前に飲んでた時『私も付っきりで麻雀教えてあげたい、竹井さんずるい!』って言ってたじゃん」
「はうぁっ!? こ、ここここーこちゃんそんな大声でっ!」
まさか竹井さんに聞こえてないよね?
……うん、大丈夫っぽい。あの子のことだ、もし聞こえてたら遠く離れた雀卓にいても何かしらのアクションを起こしていたに違いない。
でも動きが見られない以上はきっと聞こえてなかったんだろう。
よかった、余計話がこんがらがるところだったよ。
「慌てすぎだってば。それじゃ須賀くんになにか特別な感情抱いてますって周囲に自分から告げてるようなもんよ。そうでなくてもバレっバレだけどさ」
「うっ……で、でも。こーこちゃんが言ってるようなのとはちょっと違うと思うんだけど」
ここだけの話、彼自身の人好きのする柔らかな人柄に惹かれている自分がいることは認めよう。背が高いし、格好良いし、さりげないところで気が利くし、声もなんだか癖になりそうな程いい感じだし。
それは誤魔化すつもりもなければ、年甲斐も無いなんて恥じるようなことでもないと思う。年齢差はちょっと開き直るには微妙なラインかもしれないけれども。
しかしそれ以上に、彼が抱えている歪な環境というものに強く興味をそそられるのもまた本当のことだ。
もっと突き詰めれば、今の環境に置かれておきながらそこから逃げることを欠片も考えていない須賀君の精神構造ってどうなってるんだろう?と。
「ふぅん、まぁそうだったとしてもこれってチャンスなんじゃない? ずっと愛弟子いなかったんだし、傍に置いてじっくり考えてみれば」
「ま、愛弟子?」
「そ。だってほら、すこやんくらいの大御所になったら若いツバメを囲うくらい常識だろって、かの大沼プロも言ってそうだし!」
「言ってそうって時点で言ってないよね!? 捏造を勢いで誤魔化そうったってそうはいかないよ!」
「ちっ、ダメか……」
「ついに舌打ちしちゃったよ、この子……。
もうホントやめて、大沼プロとお会いした時にお説教されるの私なんだから」
でも、こーこちゃんの言っていることはたしかに事実が一部含まれているため、その提案自体はあまり強く拒否出来ない私がいる。
……若いツバメうんたらとかいう戯言はこの際ゴミ箱にでもほっぽっとけばいいんだけど。
たしかに私には愛弟子と呼べる存在はいない。いたこともない。地元で子供たちにちょっと麻雀の基礎を教えることはままあれど、直々にそういう関係を結ぶような子はいなかった。
地元で面倒を見てきた少年少女たちは、みんな私を慕ってくれていながら、同時にどこかで恐れてもいる。それが分かってしまうから、手を差し伸べるには至らない。
才能だけで言ってしまえば、現段階で須賀君よりも有能な小学生や中学生なんて何人もいた。
けれどそんな子達に関して言えば、何も私が関わらなくとも芽が出て勝手に伸びて行くだろうし、別の指導者の元できちんと上達するのであればそれで構わないのだ。
そんな考えの元、私は弟子を取ろうなんて考えたことも無かったわけだけど。
では、どうして今になってそんなことを考えるようになったのかと言うと――やっぱり、間近にそれを見せつけられて、羨ましかったというのが大きいのかもしれない。
あの日、勝者となった私には手に入れられなかった、けれど敗者となった彼女は手に入れた、そんな宝物のような存在が。
「ま、実際にどうするかはすこやんにおっ任せ~。私は別の仕事に行って来るから、あとは頼んだ!」
ひらひらと手を振りながらお店から出て行く彼女の後姿を見送って、コホンと一つ咳払いをする。
――さて、と。難しいことは後で考えよう。今は仕事をしなければ。
それは所謂問題の先送りと呼ばれる類のものであった。
厨房にいた須賀君を飲食スペースに呼び寄せ、ガラガラになっているテーブルを一つ占拠すると差し向かいで座る。
予め用意しておいたコーヒーカップを差し出して、一息つくよう促すと、彼は素直に頭を垂れてからゆっくりと飲み干してホッと小さく息を吐いた。
「ずっと立ちっぱなしだったの?」
「いや、さすがにそんなことはないですよ? まぁでも、注文が続いて似たようなものではありましたけど」
「ご苦労さま。あっちが半荘終わるまではゆっくりしてていいからね」
「すみません、小鍛治プロも色々と大変なのに気を使っていただいて……ふぅ。あー、やっと人心地って感じがします」
片岡さんが普段から熱心に取り組んでいる布教のおかげか、タコスの注文が引っ切り無しだったということもあるのだろう。
……風越以降の注文はだいたい私のせいと言えなくも無いけれども。
しかし、これだけ人数が集まっていても麻雀部の男の子が彼一人で他は全部女の子というこの状況、この子はどう考えているんだろうか?
青春真っ盛りのお年頃な男の子だし、女の子に囲まれて嬉しいものなのだろうか。それとも逆に居心地が悪くて居た堪れなかったりするものだろうか?
私が同じ立場の場合、男の人ばかりに囲まれているということになるけれど……うん、想像しただけで裸足で逃げ出したくなること請け合いだった。
そう考えると途端に今の須賀君の状況が心配になってくるのは、母性本能と呼ぶべきものなのか。
心に浮かんできた疑問を素直に投げかけてみると、彼は少し困ったような表情でどちらとも取れる曖昧な笑みを浮かべた。
「最初は優越感ってか、ただ嬉しかったってのも間違いじゃないんスよね。麻雀部に入ろうとしたきっかけも――あー、和とお近づきになりたかった、って邪な気持ちだったっていうのもあって」
「原村さんかぁ。たしかにあの子は可愛いもんね」
男の子にウケが良さそうな、程よい感じに童顔で。さらにあの、同姓から見ても凶器としか映らないモノをお持ちなのだから手に負えない。
学生時代、はやりちゃんと出会った時もかなりの衝撃だったけど、原村さんも大概である。永水あたりにはもっととんでもないのが潜んでいた気もするが、一定以上を超えてしまえばどれも同じだ。ちくしょうめ。
でも見た感じ、須賀君は原村さんよりは片岡さんに好かれていそうなんだよね。
幼馴染でそれなりに好意を向けられているだろう宮永さんにしてもそうだし、私もまぁどちらかというとそっち寄りだし……人生とはままならないものだなぁと他人事ながら思ってしまう。
「部長とかもそうですけど、かっこいい女性っていうんですか? 性別とか関係なくかっこいいって思える人にこの夏だけで結構会いましたし、そういうすげぇ人たちの中に混ざってる気まずさっていうのが今はけっこうあったりもするんです。普段の部活だけならともかく、こういう場では特に」
「男とか女とか関係なく、すごい人かぁ。たしかにあの中にはいっぱいいそうだなぁ」
「そうなんですよね。ただ単純に、あの人たちの中に自分がいることは違和感でしかないっていうか。
それでも可愛い人が多いんで、嫌な気持ちってワケでもないという……ははは、なんか複雑すぎてよくわかんねぇや」
「うーん、そっかぁ。ゴメンね、変なこと聞いちゃって」
女の子としてみたら、どの子も可愛くて一緒にいるのは楽しいけれど、なまじ雀士としての彼女らを間近で見てきたが故に、弱い自分がそこに加わることに違和感を覚える。そんなところだろうか。
男心って難しい。だからって女心に精通してるのかと問われれば否と答えるしかない私ではあるが。
このケースの場合、少なくとも麻雀の腕が一定以上、それこそ全国大会に出場できる程度まで上がったら、少なくとも違和感を覚えるようなことはなくなるんじゃないかとは思うけど。
あるいはもういっそのこと女の子になるとか? そうなったらなったで逆に影が薄くなりすぎて消滅してしまいそうな気もするな。
「竹井さんから指導は受けてるんだよね?」
「はい。おかげさまで、なんかインターハイ前がウソみたいに熱心に教えてくれてます。細かい雑用の数も減りましたんで」
「ならそのうち強くなれるだろうし、そういった劣等感みたいなのは無くなって来るんじゃないかな」
「そう、ですかね……たとえ腕が上がったとしても俺、今の団体戦メンバーには誰一人として勝てる気がしないんですけど」
「うーん、片岡さんと染谷さんもなんだかんだいって全国クラスであることに間違いは無いからねぇ……」
「優希は南場で失速するって弱点があるんでまだあれッスけど、染谷先輩も部長も特殊っぽいし、咲や和はもはや次元が違うというか……追いつける気がまるでしないんスよね」
ははは、と乾いた笑いをあげる須賀君。諦観――というか、達観というべきか。
目指す頂が確かに目の届かないような遥か上にあっては、そこを目指す前に心が折れてしまうのも仕方が無いことなのだろうけれど。
三合目辺りまで登って満足するなら、まぁそれでもいい。
でも、それでもあくまで頂点を目指して登って行きたいという意思が彼にあるのであれば――私も、ちょっと覚悟を決めてみようかな、なんて。
ゴクリと唾を飲み込む音が聞こえていないことを祈りつつ。
「そっか。だったら、もし須賀君さえ良かったら……なんだけど、せっかく知り合ったんだし、私も定期的に麻雀見てあげようかなって思ってるんだけど、どうかな?」
「え? お、俺のッスか? 小鍛治プロが?」
「そんな驚くようなことだった?」
「そりゃそうですよ、だって小鍛治プロは国内無敗のトッププロなんスよ!? それが俺みたいな初心者相手に――」
言いかけた言葉を遮るようにして、すっと人差し指を彼の目の前に持って行く。
その動作に注意を引かれた須賀君は思惑通りに言葉を切り、その指先の行方を注視している。そのまま指先で軽くコツンとおでこをつっついて、首を横に振ってみせた。
さすがに唇を塞ぐのは敷居が高すぎる。今はこれで勘弁してもらおう。
「後進の育成は先達の務め。それがね、私が高校生だった頃にお世話になったプロの方に言われた言葉なんだ。あの頃とは立場が逆になっちゃったけど、今、もう一度だけ私は素直にその言葉に従ってみようかなって思ってる」
ジッと彼の瞳を見つめる。表も裏も無い、ただひたすら真っ直ぐに。
「ねえ――須賀君は、今の自分で満足してる? 今のままでこれからも楽しくやっていけるって、本気で思ってる?」
「……っ」
「格好悪いなんて思う必要なんてない。君の中にある本当の気持ちを、私に教えてくれないかな」
「俺、は――」
少しだけ言葉を詰まらせて、それでも彼は意を決したように想いを紡ぐ。
「この夏の大会で、咲も和も優希も、部長も染谷先輩もあんなふうにすごい舞台で戦ってて、それがめちゃくちゃ格好良くて……正直、すげぇ羨ましかったんです。でも同じくらい悔しかった。自分だけがあそこにいる資格が無い、それが分かってましたから」
「うん」
「初心者だからそんなもんだって、それも分かってて、でも――あの場所から見える風景ってどんなんだろうなって考えれば考えるほど、あいつらと自分の立ち位置の違いっていうか、距離の遠さっていうか……なんて言うんだろ、俺はここにいていいのかなって思ったことも一度や二度じゃありません」
「……それでも君は、逃げなかったんだね」
「はは、もし他にもっと好きなものが出来てたら、麻雀部なんてさっさと辞めてそっちに行ってたかもしれません。でも、やっぱ俺麻雀が好きだから――」
見詰め合う視線、逸らせない。
透き通るほど真っ直ぐで、真摯な輝きを持つそれが、まるで瞳の奥にまで突き刺さるかのような鋭い光を宿していて。
「だから俺、もっと麻雀強くなりたいんス! 俺も清澄高校の麻雀部員なんだぞって、胸を張って言えるくらいには!」
「――っ、うん」
その迷いの無い答えこそが、あれこれと悩む必要の無いことを教えてくれた。
それでこそ、こちらも教え甲斐があるというものである。
その直情的な目の輝きを見るに、それが揺るがない想いであろうことはすぐに察せられた。
この半年間余りの経験は、燻っていたものを燃焼させるために必要不可欠な要素として、今、彼の中で真っ赤に盛る炎を灯したのだ。
それはまさしく男の子であり、眩しいくらいに真剣な表情は、正しく男の人でもあった。
「ならこんな機会は逃しちゃダメだよ。貪欲に喰らいついて離さない、くらいじゃないと――宮永さんたちにはきっと追いつけない。大丈夫、須賀君が強くなりたいって本気で願ってる以上、来年以降の夏の大会で君が望んだ場所で戦えるように私が手助けしてあげる」
「は、はい! よろしくお願いします小鍛治プロ! 俺頑張ります!」
「うん。頑張ろう、京太郎君。今日から私は君の師匠だよ」
差し出した手をがっちりと握り締めてくる須賀君、もとい京太郎君。
こうして私は、彼と師弟の契りを結ぶに至ったのである。
とまぁ、そんな熱血展開はさておいて。
「妹尾さんは今私が所属してるつくばのチーム、知ってる?」
「えっと、智美ちゃんから聞きました。茨城のプロチームですよね? つくばブリージングチキンズ、たしか一部じゃなくて二部の……」
「そう。しばらく前にね、経営難とかで潰れそうになったんだけど……私が入ってなんとか立て直して、今一部昇格を目指して戦ってるところなんだ。今のところは昇格圏内ギリギリのところにいるけど、ここを耐え切れたら来年は一部に上がれそうかな」
「そうだったんですか……」
「まぁそのおかげで私もタイトル絡みの試合にあまり出なくなって、ランキングもぐっと下がっちゃったんだけど。そのぶん時間は結構取れると思うんだよね」
現在行われているのは、面接である。
というか面接と言う名の雑談である。
何故さっきの展開からすぐ様このようなまったりのんびりとした光景に移り変わってしまったのかといえば、あのやりとりを近くで見ていた沢村さんから協力をしたいとの申し出を受けたことによるものであった。
ノートパソコン持参でやってきた沢村さんには、どうやら京太郎君が長野県大会個人戦第一次予選で戦った時の牌譜を入手する手立てがあるらしい。
世の中の進歩っていうか、こういうところは素直にすごいと思う部分だ。
まずはそれを見てから方針を立てるべし、ということで、今はその出力待ちをしているところだったりする。
ちなみに私の隣には沢村さんが、京太郎君の隣には妹尾さんがそれぞれ座っているわけだけど。
沢村さんと私、あるいは京太郎君と妹尾さん。髪の色とか雰囲気だけ見ればお互いが姉妹とか兄妹っぽい感じの絵面になっているせいか、じつにほのぼのとした空間がそこには出来上がっていた。
……一人だけ保護者枠? そんな事実はゴミ箱にでも捨ててしまえばいいと思う。
「小鍛治プロ、これ」
「ありがとう沢村さん。どれどれ――」
総数に結構な違いはあれども、個人戦のレギュレーションは男子も女子もそうは変わらない。
まず一次予選として東風戦20局を出場者同士でランダムに戦い、その中で総合得点の多い上位者数十名(この辺りは都道府県により異なる)が決勝ラウンドとなる本選へと進む。
日を変えて、その上位者同士がさらに半荘戦を10局。組み合わせは抽選でランダムに決定され、その中で総合得点の多い上位三名が入賞、県の代表として全国大会へと出場することになるのだ。
男子部はとにかく競技人口は多いけど、実力的には今一歩女子部に劣るという勝手なイメージがある。世界戦とかでもそんな感じだし、全国大会でもやっぱりそう。
話を聞くにどうも京太郎君は一日目で敗退したらしいので、最初の一次予選を勝ち抜けできる順位に入ることができなかったということなのだろう。
十分な指導を受けていない初心者ということであれば、いくらヌルい……じゃなくて、裾野が広い男子部でもそう簡単にはいかなかったに違いない。
「総合得点は-72。参加者人数からしたら順位は下から数えたほうが早い、か」
「う……不甲斐ない成績ですみません」
「ううん、初めての大会なんだし、それは別にいいんだけど」
点数の上では特筆すべきところは特に無い。もちろん良くも無ければ東風戦20局での合計収支と考えれば、そう極端に突き抜けて低すぎるというわけでも無い。
最下位あたりの得点は-300を超えていたり、もはや結果を見るだけで切なくなるレベルである。そうでなかっただけ安心した、といえば京太郎君に怒られるだろうか?
「……ふぅん」
一つ、また一つと牌譜をチェックして行く。そのほとんどで二位~四位の間を行ったり来たりを繰り返しているようで、一位を取ったのは一度だけ。
捨て牌の選択がまだ甘いな。状況判断もできていない。相手の河から容易に当たり牌の目星が付きそうな染め手系のリーチにさえ振り込み、余計な失点をしているのはさすがに勿体ないを超えて博愛主義者すぎる。
ただ、その何れにおいても不思議なほど京太郎君が振り込みを選ぶように誘導された感じの流れであるという点が、この牌譜における一番の気持ち悪い点であった。
対戦相手を変えても同じ現象が発生しているのであれば、この原因が相手側ではなく彼自身にあると考えるほうが自然だ。
十四枚目のそれを確認し終えた時点で、私は居心地悪そうにもぞもぞしている京太郎君へと向き直る。
「京太郎君は過去誰かに、不思議な能力を持ってるねとかって言われたことは無い?」
「……は?」
「この感じは、南なのかな……んーでも突き詰めていったら西っぽくなる気もするし」
「あの、小鍛治プロ?」
「――っと、ああごめんね沢村さん。あのね京太郎君。まだちょっとはっきりとは分からないんだけど、君にも宮永さんみたいなちょっと変わったオカルト能力があるのかもしれないかなって」
「咲みたいなオカルト能力、ッスか? 俺が?」
「そう。原村さんに聞かれたら大変だけど、これを見る限りはそんな感じがするね。さすがにあそこまで強力ってことはなさそうだけど、うーん……でも複合ってこともあるし、どうなんだろ」
持っていた手帳に気が付いたことを記してみる。この手帳はいっそのことタイトルを京太郎君成長記とでもして専用にしておこうかな。
まず考えられそうなのは、相手の当たり牌を掴んでくる和了妨害系の能力だろうか。
どう考えても不自然なくらい、リーチを掛けた相手の和了牌が京太郎君の手元にやってくる確率がやたらと高いこと。
厄介なのが、それがほぼ彼の手にとっては無駄ヅモにしかならない点。これによって振り込みなさいとお膳立てをされているような、負の流れが出来上がるわけだ。
初っ端の打ち回しの時点からもう少し牌効率を高めていけば、この辺りはそのうち解消されそうな気がしなくもない。要勉強かな。
相手の手を読み切ることができ、それを抱え込みつつ自身を聴牌まで持っていき、なおかつ追いかけて刺せる。これが理想か。
イメージは宮守女子の大将・姉帯豊音選手が用いていた、六曜における先負。使い勝手は圧倒的にあちらのほうが上だけど、こちらの能力だった場合はまずはそこまで持って行くのが最初の目標になりそうだ。
もう一つ、可能性があるとするならば――対局者にツモ和了をさせなくする、場の支配系能力あたりか。
ツモ和了できない→当たり牌が他家に流れる→一番運の悪い子が掴まされる→放銃、という流れが組まれている可能性。
これは九州の雄と呼ばれる大沼秋一郎プロの防御における特性によく似ていて、攻撃にはあまり向かないが、それこそ防御に対しては凄まじい効力を発揮する。
ノーテン罰符は別にしても、自摸られない以上こちらが振らない限り点数が減らないのだから当然だ。但し、きちんとした防御の下地があって初めて意味を持つ能力でもあるけれど。
この牌譜を見る限りでは京太郎君の座った卓ではロン和了ばかりで、面白いくらいにツモ和了が発生していないことが分かる。
ただ、前述の通り京太郎君の振り込み率がわりと高めのため、はっきり所持しているとは言い切れない。
もし仮にそういった能力だったとしても、牌譜を見る限りでは普通に突破できた人間もいる。能力の発動か維持に何かしらの条件設定が成されているのかもしれないし、もう少し検証を積み重ねないことには具体的な答えは出ないだろう。
もっとも、どちらにしろ基礎がきちんとできていない現時点ではさっぱり自身の役に立っていないあたり、哀しいものがあるのだが。
「ちょっと試しに打ってみようか? それでたぶん、大体のことは理解できると思うから」
沢村さんと妹尾さんも東風戦ちょっと付き合ってね、と声を掛けると何故か二人ともびくりと肩を震わせて、機械のように停止した。
すぐに終わってもらっても困るため、持ち点を団体戦ルールと同じ10万点から始めてみたはいいけれど。
「……あれは仕方がない。透華でもきっと回避不能だから……元気出して?」
「」
チーン。
そんな文字が背景に浮かんでいそうなほど、京太郎君は心身ともにその場で燃え尽きていた。
序盤見事な振り込みマシーンと化した彼、何とか立て直しつつ最終局の終わり直前で見せた鳴き――それが私の待っていた役満手を完成させる決め手となり、対局が終了。ゲームオーバーである。
ちなみに京太郎君から見えたであろう一連の流れはこんな感じだろうか。
○東一局(親:妹尾)、見事に出会い頭っぽい満貫の一撃(四暗刻崩れの対々三暗刻)を妹尾さんから貰う。一本場、流局。親一人だけがノーテンだったため親流れ。
○東二局(親:沢村)、リーチがかかっていた沢村さんの混一に振り込み。三本場、四本場といずれも安手に振り込み続け、五本場でなんとか妹尾さんから満貫を取り返すことに成功。
○東三局(親:小鍛治)、妹尾さんが沢村さんにハネ満を直撃。本人の申告は七対子だったけど、実際は平和純全帯二盃口だったというオチがついて沢村さんが涙目に。
○東四局(親:須賀)、ごらんのありさまだよ。
この対局で私はほぼ全般において様子見のスタイルだった。
彼の能力の底を見極めることが前提にあるため早々に手を仕上げるわけにもいかず、また揃っても極力ロンでは和了しないように他家からの出アガリを全スルーしていたわけだけど。
――最終東四局。配牌からして三向聴、ある程度順目は進んで、私の手牌はこんな感じ。
{一萬}{一萬}{一萬}{二萬}{三萬}{四萬}{五萬}{六萬}{七萬}{八萬}{九萬}{九萬}{九萬}
純正九連宝燈、聴牌。表情には出さないけれど、ちょっとびっくりだ。
待ちの広さに定評のある役の一つということもあり、これ幸いと一旦自分の能力を抑えこみつつ、想定のうちの一つ『ツモ和了できなくする能力』に対しての実地検証を行うことにしたのである。
例によって他家から時折出てくる萬子は一切無視して、ダマ聴のまま自分の自摸を待っていた。
結果――萬子すべてにおいて待ちが取れる純正九連宝燈をして、聴牌後からはいっさい萬子をツモってこれなくなってしまい、結局最後の一歩手前のツモ番までそれは続く。
リーチを掛けていない状況でこれなら本命はこっちかな?と確信めいたものを感じ取った時、京太郎君は私がツモ切りした筒子の⑦を悩みに悩んだ結果としてチーすることを選択し、手牌の中から九萬を切った。
この時の京太郎君の手はこちら。
{二萬}{二萬}{二萬}{六萬}{七萬}{八萬}{三索}{四索}{中}{中} {横七筒}{五筒}{六筒} 捨て牌 {九萬}
こちらの河に萬子が一枚も切れていないことで、混一あたりへの警戒は当然持っていたはず。それでも、この局面では明らかに危険な萬子を捨てることになるだろう鳴きを選択させた理由はいくつかあった。
まず、私が他家から出た牌を悉く見送ってきたことで、萬子に対する危険意識が殺がれていたこと。
もう一つ、親なので流局を見越して形式聴牌を取ろうとしたこと。短期決戦において最下位からの逆転を諦めていないのであればこれは当然か。
但し、結果捨てた九萬はど真ん中ストライクの危険すぎる当たり牌。
状況によっては、下手をすると最後の最後で役満に振り込んだ上でのぐうの音も出ないほどの敗北という、目も当てられない結果になった可能性もあったワケだ。
ともあれゲームはそのまま続行し、北家の私にとっては最後の一巡。
妹尾さんは手を見るに一向聴っぽいし(門前だけど並べ方でだいたい分かる)、沢村さんはこちらの役満聴牌を察してか半ばからほぼオリていた。
で、特に何事もなく私の番が回ってきたので最後のツモとなる牌を山から取ってきた時、軽く衝撃が走った。正直なところ頭の中には野鳥の会の会員でさえ数え切れないほど大量の『?』マークが浮かんでいたに違いない。
ツモってきた牌は――萬子の五。役満成立となる正真正銘の当たり牌である。
彼の能力によってツモ和了できないはずの場で、最後の最後に萬子を引いてくる。検証結果が間違っていたのかな、という疑念も生まれた。
とはいえ、見極めがほぼ終了した後だということに加え、自摸ってきた以上は和了しない理由もない、ということもあってそのまま自摸宣言。現在に至るというわけだ。
あるいは二位で終了かという結果も想定済みだったのに、いざ目の前に勝つ目が出てきたら迷わず拾いに行ってしまう、雀士の哀しい性である。
最終的には私がトップ、二位が妹尾さんで三位が沢村さん。言うまでもなく出来たばかりの弟子は役満親っかぶりの果てに最下位に沈んだが、これはほぼ想定内の出来事なので特に問題は無いだろう。
……大丈夫だよね?
結果、分かったこと。
オカルト云々以前に京太郎君はとにかく危険牌の察知が下手で、その上運が悪い。少なくともこの面子で打つために必要な運量があったとして、その最低ラインにまるで足りていないと思われる。
そして能力に関して私の出した暫定的な結論は次のようなものであった。
①自摸られない能力は持っているものの、何かしらの発動条件あり(鳴き後の即自摸をみるに、たぶん自分が門前であること?)
②リーチした他家の当たり牌を掴む能力に関しては、前述の能力と生来の運の悪さが組み合わさって起こる自然発生的な現象である可能性が高い
とはいえ、私は本来こういった能力の見極めには向かない性質だ。いつか機会があれば、いっそのこと熊倉先生に視ていただくことも考慮に入れておくべきなのかもしれない。
場所は再び、飲食スペースへと移る。
というのも、あちらで麻雀をしている人たちがざわ……ざわ……としていて、とても五月蝿いから。目の前で純正九連宝燈が飛び出したのがよほど珍しかったらしい。
文堂さんや津山さんあたりからは、しきりにこちらの身の危険を心配するような言葉をかけられたりもした。
そのたびに原村さんが「そんな迷信(オカルト)ありえません」とばっさり切って捨てていたけれども。
あの迷信というか都市伝説というか、これから先の若い世代にも着実に受け継がれていくのだろうか? 誰かがどこかで止めてあげて欲しいと切に願う所存である。
「――ハッ! な、なんだかすごく悪い夢を見ていた気がする……」
そんな思いを人知れず心の中で綴っていたら、ようやく京太郎君がこちらの世界に戻ってきた。
でも哀しいけど、それって現実なのよね。
「だ、大丈夫……?」
「ああ、妹尾さん。すみません、大丈夫です」
「これ、お水」
「ありがとうございます、沢村さん。いただきます」
用意されていた水を受け取って、一気に飲み干す。
その傍らでこちらを怯えた目つきで見ている二人はともかくとして。水を飲み終えた京太郎君はグラスをテーブルの上に置き、いつもとなんら変わらない表情で私のほうを見た。
……直前に起こった出来事の記憶を失くしてしまったんだろうか?
そう疑ってしまうほどには、彼の瞳は通常通りの色を灯している。
「まさかあんなぶっ飛んだアガり方ができるなんてやっぱ師匠はすげーんですね」
「あれ、ちゃんと覚えてるんだ」
「そりゃもちろん。食らった直後は魂飛んでっちゃってましたけど、ちゃんと何があったかは覚えてますよ。あれがトッププロの実力ってことですよね……いやマジですげぇわ」
「そ、そうかな?」
ニカっと笑うその表情からは、十年前に見た彼女の浮かべた翳りのようなものは欠片も見当たらない。ちょっと、どころかかなり安心した。
これは思った以上に精神力が強いということなのだろうか。
伊達に普段から宮永さんの凶悪麻雀の相手や竹井さんの対処をしていたわけではないのかもしれない。精神の図太さだけでいえば、ある意味魔物クラスである。
と、そんなことを思っていた私とは裏腹に、その京太郎君の言葉を否定するかのように首を左右に振る人物がいた。
あの卓で唯一、確かな理論と実力を伴った相手であった沢村さんである。
「――あれが実力? 違う……そんな生易しいものじゃなかった」
「えっ? 沢村さん?」
「小鍛治プロは実力を出すどころか、最後以外の全部の局でわざと和了を見逃してた。君の力を見極めるため――それでも最後の一枚で勝てる。次元が違う」
もしかして、怒ってる?
こちらに向けられる視線に怯えが含まれている以上に、淡々と紡がれる言葉の端々にはどこか悔しさにも似た感情が読み取れた。
彼女ももしかすると原村さんと同じタイプで、感情を余り表に出さない割に負けず嫌いだったりするんだろうか。だとしたら付き合わせたのは少しまずかったかもしれない、と思いつつも。
沢村さんのそれは私に直接向けられているというよりは、不思議なことに、どこかまったく別の場所へと向けられているようにも感じられた。
「だからあえて聞きたい。それでも、小鍛治プロに師事するつもり? 君があそこまでになれるなんて、私にはとても思えない。耐え切る前に潰されかねない」
「……」
「あ、あの。沢村さん」
「妹尾さんは少し黙っててほしい。これは、ここで聞いておかなければいけないこと」
真剣な表情できっぱりと言い切る沢村さん。
京太郎君のことを心配しているというのがはっきりと窺い知れる、そんな毅然とした態度である。
なるほど。そういうことであるならば、当事者ではあるけれど私もここで口を挟まないほうがいいのだろう。事態がややこしくなりそうだ。
「答えて、須賀君」
「心配してくれてるんスよね、沢村さんは。ありがとうございます。でも俺、そんなヤワじゃないんで――大丈夫ッスよ」
混じり合う視線と視線。
どれくらい見詰め合っていたのだろうか。固唾を呑んで見守る私と妹尾さんの心配をよそに、二人は実に二人だけの世界を作り上げていた。
しばらくの沈黙を経て、やがて、先に折れたのは沢村さんのほうで。
私は密かに安堵の溜め息を漏らす。
「……そう。なら、私は応援する。いつか貴方の名前が全国区で知られるようになる時を、待ってる」
「はい。期待を裏切らないように頑張ります!」
……あれ? これって沢村さんのほうがよほど師匠っぽくない? という衝撃の事実に気が付いたのは二人の仲が縮まった後のこと。
先が思い遣られるとはこのことか。
心のメモ帳に、指導中に手加減する時は最後までやりきろうと書き記しつつ、一人反省する私であった。
○おまけ@メイド雀荘事件から一週間後、師弟のやりとり
「それでね、これからの方針なんだけど……」
京太郎君は長野在住、そして私は茨城在住。
仕事や学校の関係もあり、どちらも易々と動くわけにはいかないので、指導をするとなると遠距離同士でコミュニケーションを円滑に図る必要性が出てくる。
そこで沢村さんが薦めてくれたのが、大手ネット麻雀サイトのアドレスと、WEBカメラがあればテレビ電話のような感覚でやりとりができるというアプリケーションソフトだった。
京太郎君は自室にデスクトップパソコンを持っているらしいし、私はパソコンとか持っていなかったんだけど、外にいる場合でも対応できるようこの機にノート型のやつを買ってしまった。
あの仕事の後でこーこちゃんに相談したら、よく働いた御褒美ってことでよさそうなのを見繕ってくれたのだ。(ご褒美のわりに自腹だったけど)
なんでも彼女とお揃いらしい桜色の可愛いやつである。
問答無用で茶色とか灰色のやつが選ばれそうだったのは、二人の間におけるお約束というやつだったけど……なんとか拳で思い留まらせた。あれは厳しい戦いだったと云わざるを得ない。
――で、だ。
本題に戻ると、これから京太郎君を指導する上で目指すべき部分、というのを予め明確にしておかなければならない。
というわけで、あらかじめ電話で時間を決めておいた予定時刻になった今、初めての顔合わせがパソコン上で行われているのだった。
「まずは防御をなんとかしないとね。京太郎君の場合、高確率で当たり牌を引き当てちゃうから、相手の手を読めるようにならないとキツいと思うんだ」
『筋読みとかですよね? 部長や和からも甘いってよく言われます』
「そこはまぁ、基本だね。牌効率とかも高めないといけないんだろうけど、まずは相手に振り込まないこと、下りるタイミングなんかを念頭に入れて手を回せるようにならないと」
『オカルト能力ってあるだけでこう、ズガーンっと勝てるようになるイメージだったんスけど……やっぱそんな甘くないか』
「宮永さんとかを間近で見てると、そうなっちゃうのも分からなくはないけどね。
京太郎君のやつは今のままだとデメリットにしかなってないし……せめてツモらされた当たり牌を有効活用できるようにならないと、コンスタントに勝てるようにはならないかなぁ」
『う……』
初心者は防御を御座なりにする傾向がある。たしかに攻撃一辺倒で勝てるレベルなら、そっちのほうがプレイしていても楽しいっていうのは分かるんだけど。
そういう癖が最初についてしまうと後々で堅実な打ち手になるにしても、いざという時に守れない、無謀な賭けを選択してしまうようになりがちだったりするものだ。
幸いというか、彼自身の打ち筋には変な癖は付いていない。矯正が効く今のうちに直しておくべきだろう。
「ま、そのためにも基礎っていうのはやっぱり大事なんだよ。今のうちにきちんと覚えて、能力に振り回されない打ち手になろうね」
『はい、頑張ります』
「いい返事だね。それじゃちょっと例のネト麻サイトで打ってみようか。私はギャラリーで見てるから、まずはトップになれなくても良いから振り込まないことを念頭に。がんばって」
『了解です』
画面の向こう側で牌が捨てられて行く光景を眺めつつ、考えるのは京太郎君が歩むことになるであろうこれからの道についてである。
彼の持つオカルト能力を活かすためには、原村さんまでとはいわなくてもかなり高度なデジタル思考での打ち回しが出来るようになる必要があるだろう。
それは振り込まなければ負けないというアイギスの盾。けれど、トップを取るという意味で本当に勝つためには必ずどこかで和了が必要、それは能力云々ではなく彼自身が流れの中で掴み取らなければならない。
目標としては――少しハードルが高い気がしなくもないけれど、おそらく今年のドラフトで各チームから一位指名で争奪戦になるだろう、白糸台の宮永照あたりが理想だろうか。
といっても別に高校二年生から全国デビューして圧倒的な力を以って二連覇を達成しろ、なんて無茶苦茶なことを言っているわけではなくて。参考にすべきはその勤勉さのほうである。
彼女はたしかに持っている能力も強力ではあるけれど、それ以上に下地になる基礎部分がかなりしっかり出来ている。自身の力を遍く活かすための研究と研鑽をおそらく三年間怠ったりしなかったのだろう。
京太郎君にも彼女のように自身の能力に溺れるのではなくて、隅っこまできちんと理解し把握して手綱を握った状態で利用できるタイプの打ち手になって欲しいものだ。
そのためにはまぁ、まずは防御なんだけど。
『ロン』
『うが……』
目の前のパソコンのスピーカーから聞こえてきた他家のロン宣言と蛙の呻き声っぽい何かを聞きながら、私は深く大きな溜め息を吐いた。
メイド雀荘パートが終わらないのはなんもかんも政治が悪い