――己の特異な能力を持って、他人を支配下に置く。
そんなことがもしも許されるというならば、様々なジャンルの戦いにおいて、始まりはもっとシンプルに、終わりはあっさりと告げられてしまうことになるだろう。
例えば天江衣の持つ『他人の聴牌能力を殺ぐ力』なんかはまさにその典型的なモノであり、基本的に聴牌してからでないと和了の形へと導けないという確固たるルールが麻雀に存在する限り、対局者がそれに抗うことはほぼ許されないということでもある。
そんな理不尽が罷り通ってしまう、それほどに極めて凶悪な能力こそが、天江衣を高校生というカテゴリー内で全国トップクラスの打ち手であると判断するに足りる大きな要因となっているわけだけど。
それでも勝てない相手が存在すること、してしまうこと。
その全てを『相性』というありきたりな言葉で括ってしまうのはナンセンスなことかもしれないけれど――私はたまに、それを強く実感してしまう事がある。
全国大会団体戦決勝での大将戦しかり、私や咏ちゃんの能力相関に見る三つ巴的な関係性なんかももそう。
では、それとは逆に、支配力から何からまったく同じ系統の能力同士が真正面からぶつかり合った場合、果たしてそれはどちらのほうに軍配が上がることになるのだろうか?
オリジナルか、コピーか。
以前に宮永咲と行われた練習上での対局では、一局限定とはいえオリジナルがコピーに打ち負けたという興味深い結果が出ているらしい。
その原因を追究していくと――考えられる中で最も大きな要因らしきモノは『油断』であったというべきだろうか。
その存在は、自分以外にそんなことをできる人間が居るはずも無い、というオリジナル側のアイデンティティを真っ向から否定するものである。故に、本来であれば有り得ない状況を具現化することができる打ち手の存在は油断を誘い、その隙を穿つ。
複写された当人にとってはまさに悪夢のような、それでいてふざけた威力を有する
あるいは――それはただ単純に、コピーしているだけではないのかもしれないとすら思わされるほどの凶悪な
その戦いの推移を追っていくと、四人の対局者それぞれに見せ場が存在した事は事実だ。
但し、最も凶悪なインパクトを放ったのが誰であったのかという問いかけがなされたとするならば、その場に集っていた四人のプロ雀士はおそらく誰もが満場一致で彼女の名を挙げることになったに違いない。
――夢乃マホ。
彼女は実に天然自然のエンターテイナーであり、見る側からすれば波乱万丈、突っ込みポイントが満載の雀士であるといえるだろう。
……いい意味でも、悪い意味でも。
「――ツモ。リーチ一発自摸海底摸月ドラ2。3,000、6,000ですっ」
東三局一本場。
同じ場で、オリジナルですら為しえなかった所業、京太郎君の防御能力すらをもその一撃で軽くぶち抜きながら――その白の少女はどこか誇らしげに、満面の笑顔で高らかにそう宣言した。
というわけで、東一局から見ていくことにしようか。
配牌だけを見れば、開始直後に最も有利な立ち位置にいたのは、北家に座った夢乃さんだった。
断ヤオ平和一盃口聴牌まで二向聴という好配牌であり、天江衣が持つという強力な妨害能力がなければ、あるいは京太郎君が面子に加わっていなければ、おそらくこの局は彼女が早々に和了していたに違いないとさえ思わされるほどの厚遇っぷり。
開始直後に食していたタコスとこの好配牌との関係性を疑うに、おそらくは片岡優希の持つ東場における爆発力を模倣したその片鱗だったと思われる。
――だが。相手は全国きっての化け物と名高い天江衣。いくら東場、しかも東一局とはいえ全力で挑む彼女を出し抜いて和了へ向かうというのは本家本元のタコス神でさえそう容易いミッションではない。
事実、さほど間を置くことなく彼女の支配域に達した夢乃さんの手は明らかに鈍ってしまい、聴牌直前にも関わらず減速してしまった。
かつて見せていた、余裕という名の傲慢――序盤の様子見を一切行わない、初手からの全力行使。それが宮永咲との対局、果ての敗北によって天江衣が得た、新しい強さの根源でもある。
とはいえ中盤までに聴牌するところまでいったのは大したものといえるだろう。ただ、そこから和了にまで至れなかった時点で、結果的に彼女は天江さんや京太郎君との能力バトルに敗北したといえた。
「あれが本当に他人のオカルトをコピーできる類の能力だったとして――」
観客が無言のまま粛々と対局を見守っていた中で、ふと靖子ちゃんが小さく呟く。
独り言に近しいだろうそれをたまたま拾い上げてしまった私は、視線を卓に向けたまま、意識をそちらへと向けた。
「この面子、この場面でのその能力は明らかな選択ミス――だな」
「……え?」
おそらく聞こえていたのだろう。
反応したのは、靖子ちゃんを挟んで反対側に立っている彼女――室橋裕子さん。
夢乃マホに関しては私たちよりもよく実情を知っているであろう人物であり、その能力のコピー元である片岡優希の東場での強さをその身で嫌というほど理解している人物でもあった。
「あ、あのっ藤田プロ。東場に滅法強い片岡先輩の真似をするなら、できるだけ早く……それこそ東一局でするのがいいんじゃないかって、私は思うんですけど……それじゃダメなんでしょうか?」
「ダメとは言わないが、和了るのは難しいな。元々の打ち手同士の相性が悪い――とでもいうべきか」
「相性……ですか?」
「須賀に無警戒なのは、情報をほとんど持っていないだろうからこの場合は仕方がない。原村和はあの手の特異能力の影響を阻害できないタイプだから、これもまぁいいだろう。だが……」
鋭い視線を外さぬまま、小さく刻んだ顎の動きで卓の一角を指し示す。
この卓にはかの天江衣がいるのだから、と。
「あいつは良くも悪くも有名人だ。実際に君らもある程度衣についての情報は持っているんだろう?
アレや大星淡のような対局相手の足を引っ張ることを前提としたタイプの打ち手に、片岡程度ではおそらくまともに通用しない。
絶対にしないと言い切れるほど互いに絶望的な性能差があるわけではないだろうが、それでも分が悪い賭けになってしまうのはどうしても避けられない」
片岡優希は決して『弱い』と切り捨てらてしまうほどの凡庸な雀士ではないが、とりたてて強いわけでもない。当人には申し訳ないけれども、それが私たちプロから見た際の共通認識である。
長野県大会個人予選での東風戦十戦における驚異的な稼ぎっぷりからすれば若干低い評価に思われるかもしれないけれど、能力特性を省いた素の打ち筋がわりと考えなしというか勢い任せというか……一言で現すと『おバカさん』であり、あまりにも脇が甘いというか隙が多すぎるという点。実際に自分が対峙することになっても脅威にはならない、というのが残念な評価の大部分を占めてしまうポイントともいえる。
まぁ国際の公式大会なんかになると東風フリースタイルなる形式もあるんだし、その『東場に滅法強い』という特性自体が持ち得る潜在的な付加価値そのものは、けっこう期待値も高いほうだと思うけど。
ただ、それを上手く活用できるレベルまで昇華するかどうかは今後の本人次第というか。
最低でも、せめて東場だけなら宮永照クラスをも普通に圧倒できる――といえる程度にならないことには、宝の持ち腐れ感が半端ない状態でユーティリティープレイヤーたちの波に埋もれて消えてしまうだろう。
「まぁ別に賭けに出ることそのものが悪いと言っているわけじゃない。
ただ、これは東風戦――つまり短期決戦だろう? 一局たりとも無駄にしたくないのなら、賭けに出るにしてもここは無駄になると分かっている片岡じゃない、別の一手を選ぶべきだったんじゃないか? とね」
「藤田プロの仰りたいことは何となくだけど分かりました。でもその、別の一手というのは……例えば?」
「ふっ、それは自分で色々と考えてみるといい。来年あの子たちと同じ舞台に上がって戦っていくつもりなら、それも君には必要なことだよ」
「は、はいっ。ご教授、ありがとうございましたっ」
ぺこりと頭を垂れてお礼を言う室橋さんの行儀のよさに、靖子ちゃんも思わず口の端を持ち上げて満足そうに頷いた。
そんな感じで会話を終えた二人を横目に、今度は私と咏ちゃんが口を開く番である。ただし、何故かあっちには聞こえないよう声を潜めての会話になったわけだけれども。
「藤田プロはああ言ってっけど、小鍛治さんだったらどーみる?」
「え? えーと、清澄の子たちしか真似できないっていうんなら、最適解ではないにしてもまぁ妥当なところじゃない? 逆にじゃあ片岡さんの使い所はどこが良いのかって考えたら、東一局が一番効率良いっていう意見になるのは当然だし」
「でもそれでアレを突破し切れるとは限らないっつーのは事実じゃね?」
「まぁね。そういう意味だと靖子ちゃんの言う通りじゃないかな。相性が悪いのは本当のことだし」
「ん~、じゃあさ。たとえば対象に全国の誰を選んでもいいよ~ってことにしたら、もし仮に小鍛治さんだったら誰を選んでる?」
「うーん……どっちみち分の悪い賭けになっちゃうのは避けられないけど、せっかくの北家なんだし裏鬼門あたりを真似てみるのも展開としては面白かったかも」
現状の片岡さんの特性で天江さんの支配を打ち破れる可能性を確率として算出するとしたら。
おそらく東一局でも5~10%程度あれば良い方、以降は局を重ねるごとに低下していくことになるだろうと私は見ている。
そして高々その程度の突破率に過ぎないのであれば、まだ上手く決まれば一撃でKOできてしまう薄墨さんの裏鬼門あたりのほうが浪漫があって面白そうかな、と思わなくも無い。
「でも正直なところ、まずはやっぱり『真似出来る限界』が分からないことにはさ、何語っても妄想の域を出ないよね」
「その辺はま~、やってる本人もさっぱり理解してないっぽいしねぃ」
模倣条件というのがもし仮にあったとして。
単純に初見でも一度見てしまえばコピーしてしまえるのか、あるいは行使する能力に関してある程度の知識や情報を仕入れていなければ再現できないのか。そのどちらなのかによって、この能力が生み出すであろう可能性はそれこそ天と地ほどの差が出てきてしまう。
そして、話に聞いたその時の状況から考えれば――おそらく前者なのだろうと私は推測する。
身近な例でいえば、宮永さん。彼女の場合は(発動の切欠として)カンをすれば(結果として)嶺上開花になる、といった風に、第三者的にも目に見えて分かりやすい『能力が発動するまでの流れ』と『発動したことで起きた結果』というものが存在する。
ここでの問題は、カンするまでに至る過程。
当然のことではあるけれど、それは偶然的にそうなったわけではなく、そうなるよう彼女自身が第一打から牌の取捨選択をした結果として意図的に作り上げられてきたものである。
後で牌譜を見た時に不自然さを感じてしまう原因の一つがまさにそれだ。
一見すれば理屈を全部すっ飛ばした状態で嶺上開花を成立させているように見えるかもしれないけど、実際に理屈が存在していないブラックボックスの部分は、カン材になる牌の見極め過程と、引っ張ってくる嶺上牌がどんな牌なのか予め分かっている節がある、という二点のみであり、それ以外の部分は意外にもきちんとしたプロセスに則って進められているといえる。
本来であれば、真似をするに当たって重要なのはそのプロセス部分をきちんと理解していることのはず。だけど、言ってしまえば、その前段階の準備を故意にではなく
そして、そこから推測できるのが――彼女は単純に
それはつまり、能力そのものの理や発動までのプロセスを本人が一切知らないままであったとしても、十全に使いこなすことができてしまう、ということでもある。
言うまでも無くこれはかなり脅威的なことだ。
全国の雀士の対局模様をテレビで見ただけであっても、切欠と結果さえ漠然と捉えておくだけで彼女はそれを行使することができてしまうかもしれないのだから。
もし仮に本当にそうなのであれば、映像で色々なタイプの雀士を確認すればしただけ、抱え込む手札は無限に増やせるということ。
これはもはや全国各地に散らばっている様々なタイプの雀士たちが持つアイデンティティを崩壊させてしまいかねない由々しき事態である。これを脅威と言わずして何を脅威と言えば良いのか?
……ま、そうは言っても。
真似できるのが一局につき一回だったりするみたいだし、年齢や麻雀暦から考えても、その判断を適切に下すことができる程、場数を踏んでいる訳でもない。
今の状態をみれば、仮にそんな感じで彩とりどりのカードを手にすることが出来たとしても、彼女がきちんと適性を考えた上でそれらを活かしきれるかどうか、というのはまた能力云々とは別の問題というか。
「逆に聞きたいんだけど、たとえば咏ちゃんが夢乃さんの立場だったとしたら誰の手札をここで使ってた?」
「う~ん? まぁ……そだねぃ。
そう呟いて歪めた口元を扇子で隠しながら、その視界に捉えたのは――件のコピー少女から見て対面に座る、よほど機嫌がいいのかウサ耳を小刻みに揺らしつつ自信満々な幼女(※高校二年生)の姿。
目には目をということなのか。
頭にドが付くほどの精神的サディストっぽい咏ちゃんならではの発想というか、相手の出鼻を挫くという意味でも実にそれらしい選択といえるけどさ。
……まぁこんな風にね。
この底意地の悪さとでもいうべき悪辣さを彼女自身が手に入れられるのは、まだまだ先の話だろう。
「――リーチ!」
この局の進行そのものは、天江さんの一向聴地獄の影響を受けてか、親番の原村さんを含めた他三家にとってはどこか重苦しい状況が続いた。
手を伸ばそうにも伸びず、流れを変えようにも鳴けず、ただ山の牌だけが消費していくようなどん詰まり。
ここでまずプロ勢の注目を浴びることになった最大の要点が、流局直前のラスト一巡における場を支配下に置く異能力同士の攻防戦だったという時点で、いかに静かな場だったかというのが見て取れると思う。
その片翼を担ったのは、いうまでもなく私の弟子たる須賀京太郎君。
といっても、彼自身はこれといった特別な行動を特に起こしたわけでもなく。先にアクションを仕掛けた側は、京太郎君から見て上家に座った天江さんである。
ラスト一巡直前で、力強い宣言と共に河に曲げられる捨て牌。それは紛れもなく、天江衣が持つ必殺の和了パターンへと移行するためのいわば必勝宣言だった。
「さて――まずは御戸開きといこうか。須賀京太郎、その力とやら存分に見せてみるがいい」
「……」
ちらりと横目で私のほうを見る京太郎君。不安なのは分かるけど――その守りは姉帯豊音の必殺技をも耐え抜いて見せた程。満月の夜に万全の状態というのであればともかく、今の中途半端な状態の天江衣に破られるような薄っぺらなものではないはずだ。
天江衣と姉帯豊音。
どちらも全国上位クラスの特異能力者ではあるが、宮永咲と対した状況で比較してもこの二人、基礎的な部分の積み上げによる力量差なんかは別として、保有している能力の強弱そのものに関してはさほど差があるというわけでもない。
大丈夫だと小さく頷いて、その先に訪れるであろう光景を見守ることにする。
この局は最初から最後まで戦いの波にまったく乗り切れなかった京太郎君だけど、たとえば加治木さんや宮永さんのように特性やその思考力によって強引に流れを変える事は出来なくても――特異能力によって意図的に作り上げられるその結末を覆すことはできるのだから。
誰も鳴かないまま終盤まで進んでしまった東一局、その最後の牌を掴むのは――南家に座った、夜と海とを統べる王。
「終わりだ!」
天江さんが絶対の自信と確信を持って掬い上げた最後の一枚、海底牌。本来であれば和了へと向かう必殺の一撃である。
しかしそれは、彼女の思惑通りの結果を卓上に齎すような事はなく――虚しく河の底へと沈んでいく。
京太郎君と天江さん、双方の想定通りとでもいうか、結果は不発。東一局は流局で終えた。
「……成る程。満月どころか月も出ていないような生半可な状態では、その安閑恬静を齎す力は破れないというわけか」
天江さんはそう言ったものの、この局で聴牌しているのが彼女と夢乃さんの二人だけという事実は変わらない。
東一局での二人の直接対決は、能力的には京太郎君が。しかし点数的にいえばリーチ棒分を差し引いたプラス500点で天江さんの勝利ともいえる微妙な感じの結末になった。
とはいえ勝負はまだ序盤である。親の原村さんもノーテンだったため、罰符を1500点支払った状態で親流れ東二局一本場へと進んでいくことになる。
思わぬ強敵の出現に心底嬉しそうな、それでいてどこか壊れた暗い輝きを髣髴とさせる微笑を浮かべ、天江さんが言った。
「――だがその程度の実力では所詮宝の持ち腐れ。少なくとも、咲のように相手を貫き殺す程の鋭い牙を同時に持たないのなら、勝利など盲亀浮木――何れ唯海床へと沈むのみだ」
「分かってます。それでもっつーか、天江さんほどの人の必殺技を防げたってだけでも、実績も何も無い俺にとってはけっこうな自信になりますからね。
あー、もちろん最終的には勝負にも勝つつもりっすけど」
「勝負事ですからね。その意気です――と言いたい所ですが。その割には須賀君、自信のなさそうな顔をしていませんか?」
「それはまぁ、相手が相手なんだから仕方ねぇって」
その言葉はおそらく、天江さんにだけ向けられているわけではないだろう。
問いかけてきた張本人の原村さんだって、京太郎君にとってはものすごく高い壁だし、何より――。
「……それに、隠し玉もあるみたいだしな」
「――?」
意識せざるを得ない対象として、実力の程がさっぱり掴めない雲のような存在がもう一人、この場にはいるのだから。
ちらりと京太郎君の視線が夢乃さんへと向けられる。本人は分かっていないのかキョトンとしているみたいだけど、この場で彼が今一番警戒しているのはおそらく件の彼女だろう。
彼にとって、これまで実際に卓を囲んだことがある相手というのは原村さんだけである。
ただ、天江さんの場合は実質的に初対戦とはいえ、まだ県大会での決勝をリアルタイムで見ているぶんだけ打ち筋なんかや有り得ない強さであることもきちんと理解しているはず。この二人に関しては、確実に自分より格上であるという事が分かっているぶん、戦い方を弱者のそれへと切り替えることにもある程度は割り切れる余地がある。
しかしそこで問題になってくるのが、初対戦の上にさほど情報を有していないであろう相手、夢乃マホ。
彼女に関しては、宮永さんたちからの又聞きという形で仕入れたであろう、正確ではない歪な情報しか得られていない状況だ。
それに加えて面子の中で唯一の年下相手ともなれば、いくらなんでもそう簡単に負けてしまうわけにもいかないという自尊心的なものも多少は働くことだろう。
さらに付け加えれば、周囲には年上の怖いお姉さんたちが多数目をぎらつかせながら自分を見守っているという状況。明らかに自分ともう一人の少女に注目が集まっていることには当然気が付いているっぽいので、重圧もそこそこあるはず。
……まぁ、咏ちゃんあたりに言わせると『年頃の男の子は色々と考える事が多くて大変だなぁ』って感じで軽く済まされてしまいそうなものだけど。
個人的にも頑張れとしか言いようのない状況ではあった。
「しかし、あれですね。これといったアクションを行うことなく、ただそこに居るだけで天江衣の海底一発をシャットアウトしますか……」
「ありゃ俗に言うパッシブスキルってヤツだねぃ。いろいろ制限が付いてるぶんだけ効果も高いんかな~」
「でも衣が言うようにそこから攻撃に転じられないんだったらジリ貧でしょう。出上がりが防げないなら、せめて信頼のおける攻撃手段の一つでもないとあのレベルの相手に勝ちを拾うのは難しいのでは?」
「それはもちろん本人も分かってると思うよ。ただ椅子に座って牌を並べ替えてるだけじゃどうにもならないってことくらいは――ね」
対局を観戦する第三者にとっては非常に見栄えのいい必殺技ともいえる『海底一発』だけど、天江衣の打ち筋というのは、それに拘らなければ勝てないというような底の浅いものでもない。
あの県大会決勝卓において風越女子の大将池田さんがどうやって点棒を毟り取られていったのかを考えれば、それはすぐに理解できることだろう。
特に25,000点から始まる通常ルールの対局においては、単純な高火力なだけの直撃を一度でも食らえば即座に瀕死状態に陥ってしまうという現実も、普段片岡さん相手に東場を戦っている彼にしてみれば身に染みて分かっているはず。
第一、モニター越しだったとはいえ、彼はその脅威を確実に目の当たりにしているのだから尚更だ。
ただ、そんな警戒心を抱きながら迎えた次の東二局一本場。潮はいまだ引く気配を見せず、ここは親番となった天江衣の独壇場となる。
「ふぅむ……ここまで見たところでの感想ですが。彼の特性は生粋のオカルト雀士、なのに打ち筋はどちらかというとデジタルに近いようですね」
「なぜか相手の有効牌を攫まされやすいっていう運の悪さもあるっぽいから、今はまだ防御を中心に基礎固めをしてる段階なの。それでもまったく反撃する余地がないってわけじゃないとは思うけど……」
「ま~今のままだと天江衣相手に一撃食らわすってのはちょいっとハードル高いだろうねぃ。最低限、原村クラスの超効率重視な打ち回しくらいできるようにならないとさ」
「最低限、で全国トップレベルの和先輩クラスになれってそんな軽く言われても……」
横で話を聞いていたのだろう室橋さんが、そうあっさり言い放った咏ちゃんに対して絶望的な顔を向けた。
昨年度の全中王者への憧憬を間近で抱く人物なだけに、今の彼女にとってそれはあまりにも高度すぎる要求なのかもしれない。
けど、正直なところ、全国大会で勝ち抜きたいならそれくらいはできて当然というか、できなければお話にならないレベルなのは紛れもない事実である。
室橋さんに軽く絶望を与えた本人はといえば、涼しげな表情のまま、ただ気を抜くとすぐにでも吊り上りそうになる口元をさりげなく扇子で隠しながら言う。
「そりゃ~今年はその上を行く化けモンがいたから地方大会の準優勝に甘んじてはいるけどさ、もともと天江衣だって全国トップレベルの実力者っしょ。そいつご自慢のオカルト防壁を真っ正面から相性の悪いデジタルタイプでぶち抜きたいっつーんなら、必然的に全国上位クラス以上の力量はとーぜん必要になるんじゃね? あの京太郎少年にそこまでの技術が習得できるかどーかは知らんけど」
「そ、それは確かに……でも、デジタル打ちってそんなにオカルトと相性が悪いものなんですか?」
「悪いというか、デジタル雀士がこつこつと積み上げてきた努力を一撃で粉砕できるのがオカルト雀士って奴なんだよ」
台詞の途中に気になるフレーズがあったのか、どうやら室橋さんの疑問はそちらに向いたらしい。
それに答えてあげたのは、話題を振った咏ちゃんではなくて彼女の隣にいた靖子ちゃんのほうだった。
外見はおっかない感じの彼女だけど、実は面倒見がいいんだよね。
「もともとデジタル雀士っていうのは一発勝負のトーナメント形式の大会にはあまり向かないんだ。特に今年の大会ルールは露骨なくらいオカルト持ちが有利だったようにも思えたしな」
「ルールについてはともかく、オカルト一点突破で対抗するタイプのほうが、天江衣のアレ相手に土をつけるのはイージーでしょうね。それこそあの嶺上モンスターのように」
特異能力を持つ打ち手が活躍の場を広げる昨今の麻雀界において、原村さんのようなデジタル打ちに特化した雀士が全国大会で上位に食い込むというのは珍しいことだといえる。
というのも、彼女らの真骨頂は何千何万局と対局を重ねていく中で発揮される、常にブレない安定した強さを見せるというところにあるから。
リーグ戦のように長期に渡って安定が求められる場合ならともかく、特に一発勝負に近いトーナメント形式の大会などではデジタル型の強みでもある平均的な〝負け難い強さ〟というのはあまり意味を成さない。
異能力特化型の人間が持つ爆発的な最大火力は一撃で彼女らの強みを覆してしまうほどの破壊力を持ち、例えば臼沢さんのように完全にソレを抑えきれる下地でも無い限り、必ずどこかで破綻してしまうことになるからだ。
「でも、和先輩は個人戦でもけっこう上位のほうでしたよね?」
「まぁ、それがあの子のある意味すごいところでもあるんだけど。とことんブレないっていうか、なんていうか……とはいっても、順位に関しては組み合わせの妙ってこともあるけどね」
私たちがそんな会話をしているうちに、東二局一本場は天江さんが京太郎君に狙い定めて見事満貫を直撃させ撃沈、二本場には夢乃さんから30符3翻の手をロン和了してみせた。
というわけで親の連荘中、現在は三本場の中盤まで進んでいたりするんだけど。
状況としては相も変わらず、一向聴地獄の支配下にあって天江さん以外の手がほとんど進まないという中で、ただこの局においてはそれまでとは若干風景が異なり、その影響を極力受けない形で手を進めていく人物が一人。
しばらく会ってもいなかった幼なじみ達にすらイコールで結び付けられるほどに浸透している『そんなオカルト有り得ません』というキャッチフレーズでおなじみの、原村和その人である。
配牌時点では四向聴で他家と比べると若干出遅れていたものの、天江さんの影響下で伸び悩む京太郎君たちを横目に彼女は実に見事な牌の取捨選択を見せて既に聴牌まで持ってきていた。
「なんだろう。天江さん自身もしっくりきてないのかな」
「まぁ……本人が言うに、衣の能力の効き具合は月の有無や満ち欠けによって左右されるらしいですから。月も出ていないような真っ昼間だとある程度隙ができるんでしょう」
「たしかにアレだねぃ。前に録画で見た県大会決勝の時に比べると迫力不足っつーか、明らかに詰めが甘い」
今宵は三日月――ああいや、まだ夕刻にも満たないのだから宵の刻には早すぎるけれども、月の恩恵をほとんど受けていない本日の彼女は、言ってみれば足枷をつけたまま戦っているような状態なのかもしれない。
それでも他家の手と流れをある程度支配することができる程に効果的なその能力は、ただただ素直に他家にとって脅威的だという他にないわけだけども。
とはいえ、そういうことならば京太郎君を含む他三人に反撃のチャンスがないわけでもない。
月の満ち欠けが海の満ち引きに深く関わってくるように。靖子ちゃんが指摘した通り、その影響を受ける天江衣の能力はバイオリズムのような満ちと引き、つまり底という名の隙がある。
例えば彼女の能力を潮の満ち引きで表現するならば、対局中に必ず一度は『引き潮』に相当する場面が訪れるはず。
要するに、その引き潮の場面を逃さず利用できるか否か。
他家の三人としてはその機を逸するようでは反撃の機運は永遠に訪れないだろうというくらいに、それはこの戦いを勝利へと導くためには大切な見極めとなるはずだ。
そして、そのチャンスを虎視眈々と狙い、確実に掴もうとしている人物が卓上に一人。
個人的には京太郎君にその役目を果たしてほしいところだったけど――それは、先ほどから話題に上っていた人物、一年目にして個人戦第七位という成績を残した原村さんだった。
「――ロン。三本場の8,000は、8,900です」
「は、はい」
振り込んだのは、原村さんから見て上家に座った夢乃さん。
二連続、それも高めの振り込みで彼女自身は涙目になっているけど……なにはともあれ、これで天江衣という凶悪な親の連荘からは脱出したことになる。
京太郎君はあからさまにホッとした表情をしているし、天江さんは天江さんで分かりやすいほどムッっとしているのが見て取れた。
「ふむ。今のをわざと振り込んだ……というわけでもなさそうですか」
疑問を呈する良子ちゃんだけど、すぐさまそれを却下する。
たしかに同じような差し込みは全国でも幾度か目にしたことはあるし、彼女がそれらの中の誰かを模倣しているのであれば、その可能性もあったろう……けど。
「わざとにしちゃ支払いの額がちと大きすぎんでしょ。打ち込む牌によっちゃ翻二つ分は点数下げられたんだしさ~」
「まぁ咏ちゃんの言う通りだろうし、あの子のあの顔を見てもそれはないだろうね。単純に原村さんのデジタル思考が天江さんの支配力を上回ったっぽいのかな」
デジタル特化型といっても過言ではない原村さんの場合、牌効率におけるセオリーを重視しがちなぶんだけ、効率を極端に削ぐタイプの能力との相性はすこぶる悪そうな印象を受けるけれども……意外にもわりと素直に対応できているように見える。
基本の軸はブレていない、それでも対応は可能というか。この辺りは夏頃の彼女と比べれば、明らかに目に見えて成長した部分ともいえるかもしれない。
とはいえ、全盛の天江さんの能力下ではどんな取捨選択をしても結果聴牌までは絶対に辿り着けない状況に陥ることもあるようだから、これは正しく支配力が緩んだ隙を突いた一撃ということになるだろう。
「衣の支配が弱まったタイミングで、相対的にあの娘たちの純粋な力量差が目に見える形で現れたのでは? しばらく前まで衣は能力に打たされているだけの雀士でしたし、純粋なスピード勝負だと原村の速度には適わんでしょう」
「それも然り。ですが、あるいは……もっと根本的な、別の理由があるのかもしれませんよ」
「っていうと?」
「原村和――メディアや皆さんの話では、彼女はいっさい
そんなことを言いながら、鋭い視線で原村さんの横顔を睨みつける良子ちゃん。
昨年度、インターミドル覇者として名を馳せていた彼女ではあるけれど、完全なデジタル打ちというには判断ミスなどの隙が多く取りこぼしの多い打ち筋、というのが関係者各位からの評価だった。
その時点で既に有力者達からは実力が懐疑的な目で見られていたにも関わらず、僅か一年足らずの間に成長を見せてあの成績を残せたという部分とその頑張りは、素直に賞賛すべきだろう。
しかし、全国という舞台で原村さんを見ていたであろう良子ちゃんは、常々その見解に一部疑問を抱いていたらしいのだ。彼女が成し得たその成績は、本当にデジタル打ちに拘って、ただそれだけの力で綱上を渡り続けた果てに得た栄光なのか――と。
「あの子は単なるポーズとしてオカルトなんて有り得ないと言い続けているわけではなくて、実際に心の底から頭の隅までそう信じきっているのでしょう。信じる者は救われる、とはどこかの宗教家の言葉でしたか」
「ええと、つまり……なんだ? オカルトを一切信じないからこそ、逆に自分に影響を及ぼすタイプの他人のオカルトを軽減することに繋がっている、とでも?」
「イグザクトリィ。神々への信仰を力に換えているのが神代の系譜だとするならば、彼女もまたオカルトなど有り得ないと信じる心を己の力に換えているのでは、ということです」
「ふんふむ。つまり、否定の心そのものが自分専用のバリア的な効果を生み出してるっつーことかね」
「あるいはこう考えてもいいかもしれません。あの子はデジタルに特化している――だからその身にデジタルの神様を宿すか、それに準じた何かに己を変化することで能力者たちと互角に戦っている、と」
何事も極めれば極めるだけ途轍もないパワーを生み出すものなんですよ、と良子ちゃんは言い切る。
「……うん? それって結局原村さんも神代さんと同じような能力の持ち主だってことにならない?」
「逆説的に考えるなら、そういうことになるでしょうね。
無意識のうちにできるだけオカルトの影響を受けないで済むような選択肢を選び、導くモノが彼女の中に存在しているとしましょうか。そのおかげで自身はオカルトの影響をさほど受けずにいられる訳ですね。
そしてその事実が、己の提唱する『そんなオカルト有り得ません』という思想と言葉に強い説得力を与えることになる。いわゆる言霊というヤツです。
故に、彼女の中の
「いやいや、そんなオカルトあるわけが……」
って思わず流れで彼女の科白が口を付いて出て行きそうになってしまった。
だってそうでしょ?
つまりそれって、肯定と否定、向かう方向は真逆でもやっている事は同じということになるのだから。
オカルトを真っ向から否定することで、特異能力と似たような状況を手に入れているというのであれば、それをこそオカルトと呼ばずして一体何を特異能力と呼べば良いというのだろうか。
「まぁ、これらはあくまで可能性として論ずれば、という話であって断定は出来ませんよ?
本人が意識して切り替えられないというか、自覚症状なんかはまるで無いと思いますし。
そもそも認めてしまえば効力が失われてしまう類のものなのですから、たとえそれが真実であっても彼女自身は真っ向から否定するしかないわけで」
「うーん、理屈は分からなくも無いけど……ややこしいってレベルじゃないんだけど」
「ノーウェイ、とんでも能力の持ち主なんてそれこそ今更じゃないですか?」
「う……」
それを言われちゃったらその筆頭っぽい位置にいる私としては、もう黙るしかないんだけどさ。
それにしても、八百万神――だっけか。
古来から様々なものに神様が宿ってきた日本ならではの発想とでもいうべきなのか。デジタルな世界に特化している神様が新しく何処かで誕生していたとしても何も不思議は無いのかもしれないけれども。
ああ、そうか。既に
原村さんの和了によって、舞台は東三局へ。
月の姫の支配が緩んだその間隙を突いて、チャンスは更に続く。
デジタルの化身となった原村さんが序盤から遠慮なく鳴いて手を進めていくことで、場の流れに歪みができてしまったのか。
本来ならば、彼女の下家に座っている天江さんこそがその影響を受けて手が進んでいてもおかしくはないんだけど、何故かその恩恵を受けて最も手を伸ばしているのは対面に座っている京太郎君だった。
たまたま山の配列的に噛み合わせが良かったんだろうとは思うけど。
原村さんが動けば動くほど、面白いように彼の手牌が充実していくというか……コンビ打ちでもやっているのかと疑いたくなるくらい、流れが完全にハマっていた。
「――ッそれ、ロンです! 40符2翻で、えっと……親だから3,900か。へへ、やったぜ」
そして、想定通りに手が進まないことにイライラしていたのか、ちょっと雑な感じで牌を切った天江さんから京太郎君が和了る。
集中力を保っていれば防げた失点なんだけど、トップをひた走る彼女にとってみればそれも詮無きことだった。
事実、天江さんとしては渡す点棒のことよりも京太郎君の無邪気なまでに嬉しそうな態度のほうがよほど気になったらしく、こてんと可愛らしく首を傾げながら呟く。
「ずいぶんと嬉しそうだけど、まだ負けてるよ?」
「え? そりゃ分かってますけど、それよか俺があの天江さんから和了れたんですよ? そんなの嬉しいに決まってるじゃないスか。
ウチの一年生連中とやってもボロクソにやられて負けが込むことのほうが圧倒的に多いですけど、こういう瞬間があるからこそ、やっぱ麻雀ってやってて楽しいっていうか」
「……それって、衣と麻雀を打ってて、楽しい……ってこと?」
「ええ、もちろん楽しいです。天江さんの言うとおり今はまだ負けてますし、こっからマクって勝てればもっと楽しいんでしょうけどね。
――ってことで一本場、行きましょうか!」
「そっか……ふふっ、でも衣も最年長のおねーさんとして簡単には負けてやれないな。乾坤一擲、かかってくるがいい、きょーたろー」
「望むところです、衣さん」
さっきまでの不機嫌が何処へやら。ニコニコ顔の天江さんとやる気満々の京太郎君。
なにやら二人の間に友情が芽生えたらしい瞬間である。若いっていいなぁ。
「ああ、やっぱり衣は可愛いなぁ……」
「靖子ちゃん、そればっか言ってる気がするんだけど」
「意外と子煩悩なんですね、藤田プロ」
「そんなに子供が好きならさ~、他人の子供に懸想してないでさっさと自分で産みゃ~いいのにねぃ」
「三尋木プロ、ブーメランになって別の人の頭に突き刺さり兼ねませんからそれ以上はダウトです」
「別の人って誰のことを言ってるのか、非常に気になるね……ねぇ良子ちゃん?」
「うっ……ノー、ノープロブレム!」
「いや問題だらけだから。動揺しすぎっしょ」
「元凶が他人事でケラケラ笑いながら語ってる場合じゃないでしょうに」
凄む私。動揺する良子ちゃん。他人事で笑いっぱなしの咏ちゃん。そして呆れ顔の靖子ちゃんと。
初々しい若者と比べてみれば、擦れきった大人の友達付き合いなんてこんなもんですよ。所詮はね。
なにはともあれ、そんな大人たちを置き去りにしたまま、舞台は問題となる東三局一本場へと移っていくのだが――その局はまず、静寂と共に幕を開けた。
「……むっ」
最初から異変に気が付いていたのは、その場で唯一天江さんだけだった。
後で聞いた話によると、この時、本来であれば得られるはずの場を支配しているような感覚が、まったく感じられなくなってしまったのだという。
いや。より正確にいうと、自身のものよりも更に強力な支配力によってそれが抑え込まれてしまった、と。
思えばこの時から、既に始まっていたのだろう。
――この場における最大の鬼札、夢乃マホによる
「(なんだこれは……場が、重い……二向聴から一切手が進まない。これ……まさか……?)」
「(うは、また天江さんの支配が強まったか。くそっ、最初っからバラバラすぎてどうしようもねぇ……)」
「(流れが来ませんね。となれば、できれば鳴いて手を進めたいところですが……さて)」
誰も鳴かない。聴牌しない。
いや、誰も鳴けない。聴牌できない。
卓を囲む誰しもにそう感じさせるだけの重苦しさを伴って、一打ごとにどんどんどんどん、世界は海の底へと近づいていく。
親が京太郎君である以上、誰も鳴かず、そのまま場が進んでいったとすれば――海底牌を掴むことになるのは、当然ながらその下家に座っている――。
「(くっ、このままでは海底牌を持っていかれてしまう……っ!)」
彼女が何をやろうとしているのか、今自分に降りかかっているものが何なのか。
確信を抱いた様子で、天江さんは対面に座る夢乃さんを見やる。
自身の能力を完全に被せてくる相手と戦うことなんて、早々あることじゃない。動揺するなというほうが無理だろう。
しかも、自分のそれと比べても、相手から発せられているそれのほうが遥かに強力なのは効果が上書きされていることからみても明らかだった。
「(……いや待て。たとえそうであったとしても、きょーたろーの能力で防げる……かな?)
何かしら考えている表情で、天江さんがちらりと京太郎君の様子を伺う。
彼も手牌の散々っぷりに頭を悩ませているようだけれど、おそらく最後にやってくるであろう海底ツモに関しては自分が面前であれば防ぎきれると理解しているが故に、彼女ほど焦っている様子はなかった。
そこで少し安堵したのだろうか。
冷静さを幾分か取り戻し、そのまま場は最後の一巡へと向かう――その直前。
「――リーチ、っ!」
ゾクリ、と。その場にいた全員の背筋を凍らせるほどの雰囲気を纏い、宣言と同時に瞳をギラリと光らせながら、夢乃さんは牌を曲げて河に置いた。
天江さんのお株を奪うラスト一巡前ツモ切りリーチ。
とはいえ、東一局で本家がそうであったように、模倣されたそれも京太郎君の能力に阻まれて不発するだろうと誰もが思った。
……だけど。結果は想像とは異なっていたのである。
「――ツモ。リーチ一発自摸海底摸月ドラ2。3,000、6,000ですっ」
「「「――!?」」」
びっくりしたのは京太郎君だけではなかっただろう。
私も、良子ちゃんも、天江さんも。
少なくとも彼の能力の強力さを直接的に知る面々は、それでいてなおその防御をぶち抜いていった彼女の非常識っぷりに、完全に面食らってしまっていた。
「わぁ! マホ、やっと和了れました!」
もっとも、それを成した当の本人はそんな感じでぽやぽやと喜んでいるだけだったけど。
その対称的な温度差の中で、ただ一人平常心を保ち続けていた原村さんは眉を潜めて夢乃さんのほうに向き直る。
「マホちゃん。今のはたまたま上手く行きましたけど、そもそもあのタイミングでリーチをかけるのはどうかと思いますよ」
「はうっ!? ご、ごめんなさい。でも、ああしたら県大会の決勝戦の天江先輩みたいに格好よくアガれそうな気がして……」
「そんなオカルトあり得ませんから。いま和了れたのも偶然です」
「は、はい……」
ハネ満を和了した直後だというのに、先輩から愛のある(?)ダメ出しを受けてシュンとなる夢乃さん。
なんというか、微笑ましいんだか空気が読めてないんだか、よく分からない空間になってしまっている二人はともかく……いま問題なのは最も衝撃を受けたであろう、私の弟子のほうである。
明らかに動揺しているのが丸分かりの表情で、捨てられた子犬のようにこちらを見上げる京太郎君。
あ、なんかこの角度ちょっとヤバいかも……。
そのまま拾ってお持ち帰りしたくなる衝動を抑えつつ、邪魔にならない程度に近づいていく。
「師匠、今のって……?」
「あー、ゴメン。すぐ原因の究明はできそうにないから、詳しいことは対局終わってからでいいかな。まだ勝敗決まってないし」
「あ、はい。すんません」
「動揺しちゃう気持ちはよく分かるけど、そこで平常心崩しちゃうほうが良くないんだ。海外とかの試合だと予定外のことが起こるなんて当たり前だし、そこは特に気をつけて欲しいの」
「う、うっす……」
そんなこんなで東三局一本場が終了し、場は最終局へ。親の夢乃さんがサイコロを振り、対局は静かに始まった。
最終局、先ほどの一撃から未だに動揺が治まっていない天江さんの調子が崩れてしまったことで、他家は有効牌を掴みやすい状況になっているらしい。
京太郎君は現状最下位に沈んでおり、逆転するためにはかなり大物手を作り上げなければならないため、初手から一か八かの取捨選択を繰り返しているせいか一向に伸びていかない。
冷静に考えたらもうちょっとやりようはあるはずなんだけど……まぁ、あれだけ綺麗に貫通されたら動揺するなってほうが無理か。
そんな中、最速で聴牌したのは――前局の勢いをそのままに持ち込んだ夢乃さんだった。
ラス親ということもあってイケイケ状態になっているのか、迷わずリーチをかけていく。
{二}{三}{四}{③}{③}{③}{④}{④}{赤⑤}{⑥}{白}{白}{白}
聴牌の形は②④⑤⑦筒待ちの綺麗な四面張。ただしこの場合、初っ端に何故か⑤筒を捨ててしまっているのが完全なネックになりそうな感じだけど……さて。
「ふむ……?」
私と一緒に夢乃さんの後ろでその打ち方をじっと見ていた良子ちゃんが、何を思ったか小さく首を傾げて呟いた。
「どうかしたの?」
「いえ。何というか……非常にエキセントリックというか、ミステリーな子ですね、彼女は」
「まぁ今の初っ端⑤筒切りといい、さっきの一撃といい、十分すぎるほどミステリーなんだけどさ」
「ああ、さっきのあれですか。
あの後の彼女自身の何気ない発言からすると、思い描いた天江衣の姿は県大会決勝戦の頃のものだったと。それはイコール満月が昇りほぼ全盛期状態の天江衣――ということになりませんか?」
「あ、それってもしかして……?」
「イエス。彼女がコピーするのはオリジナルのコンディションに左右されることのない状態、常に最大限効果を発揮している際のものである、と考えられます」
「なるほど……それならまぁ、京太郎君のガードが抜かれちゃっても不思議はない、か」
常に全速全力状態の力を模倣することができるのなら、要所要所で本家のオリジナルより効果が上回るというのも理解できる。
それと同時に、やっぱり全力状態の天江さんの力は京太郎君では抑えきれない、ということも思い知らされてしまったわけだ。
――で、それはそうと何を以って良子ちゃんは夢乃さんのことをエキセントリックだと感じたんだろう?
そんな疑問を抱いている最中、天江さんが河に切ったのは⑦筒。当然それも当たり牌ではあるけれど、夢乃さんとしてはスルーするしかない現状――って。
「あっ! それロンですっ!」
「「「「あ……」」」」
止める暇もあればこそ。
夢乃さんが和了宣言をして手を開いた時、その光景を見守っていたプロ雀士の全員が同じ単語を脳裏に思い浮かべていたに違いない。即ちそれは――。
「ああああああっマホ、このバカ! ⑤筒捨ててるのにその待ちでロン宣言なんてしたらどう足掻いたってフリテンになるに決まってるだろ!」
「ええっ!? ……あっ、ホントです!」
「マホちゃん、さすがにそれは有り得ません」
「あ、あう。ごめんなさい和先輩……」
――フリテンでのロン宣言。牌を既に卓に倒してしまった以上、チョンボ扱いは免れないだろう。
形としては、阿知賀の鷺森さんを髣髴とさせるピンズ多面張からの先制リーチ。
上手い具合にトップの天江さんから見事な直撃――というところまでは良かったんだけどね。残念ながら狙いどころはそこではなかった。
ここまでの手の進み方から考えると、本命は他家の捨て牌は完全スルーしてからの、そのうちツモって来るだろう白をカンして嶺上開花――的なシナリオだったんじゃないかと。
当の本人が自分の待ちの形をきちんと把握できていなかったところで、この勝負は既に決着が付いていたということなんだろう。
たとえばネット麻雀なんかだとフリテンの場合にはロンできないよう、予めシステムがそう作られている事がほとんどなので初心者でも間違える事は無い。だけど、実際に卓を囲んで打つ場合にはその待ちの形を自分で判断しなければならず、見落としたりして間違えるということは往々にしてあることだ。
通常のルールに則れば、夢乃さんだけアガリ放棄のツモ切り状態で最後まで進めていくわけだけど。
現在二位の原村さんは夢乃さんのリーチ宣言の際に一つ面子を崩していて、残りの巡目で再び和了へと向かうのは少々厳しい状態だ。
京太郎君は天江さんの能力をまともに受けている影響で一向聴のまま手を動かすことも出来ずにいるし、その天江さんはこのまま終わりまで何もしなくても一位をキープできてしまうという状況。
「うーむ、小鍛治さんさぁ。ありゃ~なんつーか、特異能力云々以前の問題っぽいんだけど……私の気のせいかねぇ?」
「えっと、まぁ、うん……そう、みたいだね……」
先ほどまでの独特な対局中の張り詰めていた空気は一気に霧散してしまい、当人以外の卓上の面子も外野で見守る人たちも、揃って小さくため息を吐く。
そのまま弛緩した状態で東四局は天江さん一人聴牌の流局で終了。
結局この勝負は、そのまま天江さんが一位、原村さんが二位、京太郎君が三位、そして直前にチョンボの罰符12000点を支払った夢乃さんが最下位に沈む形で終了したのだった。
対局終了後にひと段落してから、みんなで『アリスの不思議なタコス屋』へと戻ってきた時。
煌びやかな衣装を纏った宮永さんが、部屋の隅っこで涙目になっている事実に気がついた。
よくよく話を聞いてみれば、どうやらこの後、ステージの催し物としてインハイチャンプによる麻雀独演講習会をやることになっているらしい。
しかもこれ、清澄高校学生議会の主犯……もとい主催らしく、そうなってくると誰の差し金なのかは火を見るよりも明らかだ。
こうやって公の場で啓蒙活動をすることによって、来年の人員確保をと目論んでいるのだろう。
そのために選ばれた人員の適正というか是非はともかくとして、やろうとしていることは分からなくもない。
「竹井さんが企んでた本命は、こっちのほうかぁ……うん。宮永さんも大変だ」
完全な他人事ではあるけれど、何故かそう思えないということもあって同情を禁じえないわけだけども。
しかし、だからといって基本内気なこの私、ほいほいと手を差し伸べてあげられるほど積極性を持ち合わせているわけではないのだ。
戻ってきた京太郎君に縋って救いを求めるその哀れな姿を背に残しつつ、私たちプロ連中は揃ってここでお暇することになった。
チームに合流して別の遠征先に飛ぶ良子ちゃんと、そのまま天江さんを自宅に送っていくらしい靖子ちゃんとはその場でお別れして。
遠征も終わって関東圏に戻ることになる残った二人は、別々に帰る理由も特にないので同じ新幹線で帰宅することになった。
道中の話題はほとんどが麻雀のことではあったけど、特に花が咲いたのはやっぱり例の対局のことだろう。まさに採れたて新鮮な話題の上に、一局一局を見てみてもネタになる部分は山ほどあったしね。
「いやぁだけどまさかまさか、直前の海底ツモからあんな結末になるとはさすがに思わなかったねぃ」
「あ、あはは……初心者だって話は聞いてたんだけど、さすがにあれはちょっとビックリしちゃったね」
「ま~潜在的な能力はこの目でしっかり確認できたし、今日のところはいいもん見せてもらったっつーことで。私としては大満足ってところかな~」
「そうだね。室橋さんだっけ? あの子との関係性を見ても、今すぐどうこうなるって感じじゃなさそうだったし、ちょっと安心かな」
凶悪な力を持つものが陥り易い、周囲との温度差による軋轢……という感じは今のところなかった。
夢乃さん自身の性格もあんな感じなら、増長して高飛車になるようなこともないだろう。
「ああ、そうそう。それと気になることがあともう一個あんだけど~」
「うん? どうかしたの、咏ちゃん」
「あの須賀少年だけど――ちょい気負い過ぎじゃね? わっかんね~けどさ、アレ相当猫被ってるっしょ」
猫を被ってるのは咏ちゃんのほうじゃないの? という突っ込みは、彼女の殊更に真剣な表情を見て引っ込めざるを得なかった。
「そうかな?」
「目上に対して敬う態度ってのは常識の範疇かもしれんけど……なんつーか、こう。あいつの立ち居振る舞いに余裕ってのがあんま感じられんのよね」
「余裕……それは咏ちゃんから見てって事だよね? でも初対面じゃなかったっけ。それでそういうことが分かるものなの?」
「やれやれ。人間観察が足りて無いねぃ、小鍛治さんは。それとも当事者だから気づかないだけか」
そりゃ確かにその手の分野には疎かったりするけどさ。自覚もしているし、その科白自体は否定できない事実でもある。
それでも数ヶ月交流を続けてきた私よりも今日出会ったばかりの咏ちゃんのほうが、京太郎君についてきちんと理解しているという旨の発言を許容することはできない。
普段温厚な私がちょっとだけイラっとしてしまったのも仕方が無いことだと思うんだ。
「咏ちゃんは京太郎君の何が分かってるっていうの?」
「そうだねぇ。詳しいことまではわかんねーし、見当違いかも知れんけど。たぶん小鍛治さんの持ってる国内無敗って肩書きに余計なプレッシャーを感じてるってことだけは事実だと思うよ」
「……え?」
「もちろんあいつ自身が言われてるわけじゃない。でもさ~、仮にもしさっきみたいに『あの小鍛治健夜の弟子の癖に』なんて言われちゃったら弟子としてはどうよ? 須賀少年の内面まではさすがによくわかんね~けど、自分のことならともかく、自分を助けてくれる相手を悪く言われて黙っていられるようなヤツじゃないんじゃないの?」
「それは……そう、かも」
さっきの天江さんとのやり取りなんてその典型だったわけだし。そういえば岩手で宮守の子達と対局する前に話をした時にもそれっぽいことを言ってくれていたっけ。
片岡さんのタコスや清澄の麻雀部に対してもそうだし、あの子はたぶん情が深いタイプなんだと思う。期待には応えなければ、という考えが基本的概念として精神の中枢に根付いているのだろう。
私はそういうところも、まぁ、うん。けっこう好きだけど……。
「でも、別にそんなこと気にしなくても――」
「小鍛治さんはもちろんそうだろうけどねぃ。つーかあんたは自分の肩書きに無頓着すぎ。もちっと、せめてどれくらいの重みがあるのかくらいは自覚したほうがいいと思うよ? 知らんけどさ」
「うっ」
自覚が無い、わけじゃないと思う。それでもまだ足りていないと言われてしまえば、そうなのかもしれないけれど。
でも、それを京太郎君が背負う必要なんて何処にも無いということだけは確かだろう。
例えばこの先で私があの子の師匠である事が世間に知れ渡ったとしても、あの子の敗北が即私のそれまでの功績に傷をつけるなんてことにはならないんだから。
「でもさ~、それでも背負っちまうのが弟子なんじゃね? 師匠が思ってるよりあっちは重く考えてるかもしれんしょ。少しでも尊敬してくれてるんなら尚更にさ」
「そう、なのかなぁ……」
「もしかしたらアレがあいつの素なのかも知れんけど、普段の生活からムダに肩肘張って生きてくのって正直すげーダルいよね。私はそんなこと頼まれたってしたくないけどな」
「そうだね、それは私も同感」
でも、もし本当に咏ちゃんが言う通りなんだとすると……私が師匠としてあの子にできることって、一体なんだろう?
重く考えなくてもいいよって言葉で伝えた程度で何かが変わるくらいなら、そもそも咏ちゃんが気にするほどのことにはなっていないだろうし……。
いっそのこと目に見える形で天秤にでも掛けられたら、私の中でその肩書きがどの程度の重さなのかを相手にすぱっと伝えられるだろうに。
それっきり咏ちゃんは京太郎君の話題には触れようともしなかったけれど。
心に芽生えた一抹の不安を抱えつつ、新幹線は終点の東京駅へ向けて順調に進んでいくのだった。
健夜さんの麻雀暦が高三からだったという衝撃の事実を知った今となっては、もはや独自の路線をノンストップで突っ走るしかなくなった感のある番外編シリーズなのですが。
前からとっくにそうだったじゃんと言う話もあったりするのでまぁいいかと思わなくもない今日この頃。
今後の展開もオリジナル設定だらけっぽいと割り切って見て頂ければ幸いでございます。
次回タイトルは未定ですが、たぶん京はや交錯編その①となります。ご期待くださいませ。