目の前に伏せた状態で置かれていく十四の牌。
普段のやりとりとは違って、それらは積み上げられた山の中から自分の手によってツモられるわけではなく、ただ機械的に親の手によって配られていく。
これは麻雀ではない。ギャンブルだ。
こう言っては何だけど……一見すれば運と運の勝負に見えるかもしれないが、実は親の意図や技術なんかが介入する余地が多分にあるゲームである。だからこそというか、胴元によるイカサマ行為すら露見しなければ許される部分も少なからずあるということ。
それが麻雀での配牌とこの手のギャンブルとの大きな違いだろう。
無論、純粋に勝負を楽しみたいだけの人間ならばそんな無粋なことはしないだろうけど、麻雀のような己の自尊心を賭けて行う真剣勝負ならばともかく、こういうお遊戯的な場面の時に彼女がどう動くかというのはいまいち読めない部分でもあった。
――で。実際に竹井さんの手によって各々に配られた牌を表に返して並べてみれば。
{①}{①}{⑥}{⑦}{⑨}{3}{4}{4}{白}{白}{白}{發}{發} {中}
良いのか悪いのか実に微妙な感じである。
普通に麻雀をやっている時にこの配牌なら悪くはないどころか優秀だろうと思うけれど、今回のこれはポーカーのようなものだということを忘れてはいけない。
ここから手を変えられる回数は一度のみで、しかも上限五枚まで。
鳴きで相手の牌を掻っ攫って来るという手段が使えない時点で、すべてを自力で集めなければならないという縛りもあるということだから、狙って刻子を作るのもわりと難易度が高そうだ。
……ふむ。そういった意味でいえば、能力ゆえに鳴けない京太郎君の打ち方とよく似たシチュエーションといえるのかもしれない。
ちょいちょい、と手を拱いて私の後ろに立っていた京太郎君を呼び寄せる。
「どうかしましたか?」
「例えばこれが普通の麻雀だったとするでしょ? 点数差とかを一切考えないで、最初の配牌からこの手牌だったとしたら京太郎君ならこの状況で何から切る?」
「え? えーと……これです」
他の面子に手の内を悟られないよう配慮をしてか、彼は人差し指で完全に浮いた状態の⑨筒を示した。
それぞれの難易度はともかくとしてこの配牌から形が見えてくる役といえば、役牌・全帯・三暗刻・対々和・小三元・混一色・大三元・四暗刻あたりかな。
但し、初手に⑨筒を切れば全帯と混一色の成立は難しくなる。現実的では無い全帯は仕方がないといえ、この時点で京太郎君の頭の中には染め手も無いということだ。
理由はなんとなく分かるけど。
どちらの役も成立するまで三向聴、とはいえ鳴きを積極的に取り入れることができない彼としては、やっぱり他と比べても採り辛い選択肢なんだろう。
{①}{①}{⑥}{⑦}{3}{4}{4}{白}{白}{白}{發}{發}{中} {裏}
無言のまま頷いて、交換することを告げるようにして指し示された⑨筒を卓上に引き倒しながら場に伏せる。これであと四枚。
「次の候補は?」
「ツモってきた牌が分からないからあれですけど、単純に牌効率でいうと、これかこれ……っすかね」
次に京太郎君が選んだのは、4索と中。思わず眉を顰めてしまう。
ここで中を切るのであれば、それは早々に小三元と大三元を見切ったということ。さらに4索を切るのであれば、それは三暗刻と四暗刻も見ていないということを示すものである。
どうやら京太郎君の目指す形というのは、⑥・⑦筒か3・4索の順子狙いからの両面待ち、あるいは①筒または發のシャボ待ち、ということのようだ。
しかしそれだと最悪和了時の役は白の刻子での役牌1飜のみ。高めでも發を加えた役牌2飜ということになるけれど……。
「小三元は見ないでいいの?」
「中が対子になってるか發が刻子になってればまだ狙えそうっすけど、俺の場合鳴かないのが前提ですし自力で二枚引いて来れるとも思えないんで……終盤でトップを追いかけてる展開ならたぶん狙っていきますけど、点数が関係ないならここではまず先に和了ることを目指すべきかなと」
「つまり速度重視なわけだ。それじゃ三暗刻も同じ理由で捨ててるのかな?」
「はい」
この配牌で小三元あるいは大三元を早々に見切るのは些か勿体ない気もするけれども。
鳴きを入れられない状況下で、それらをツモのみで成立させられるか否かといえば、まあ難しいだろうなというのも分からなくはない。
次に、4索を切っての3索残し。これは2・5索の両面待ちのほうが4索一枚で待つより確率としては高いという判断だろう。点差を考えないでいいという条件を先に提示してあるのだから、早和了を目指してのこの判断は、妥当とは言えないまでも理解できない程では無い。
とはいえ、その選択に及第点を上げられるかどうかといえばちょっと難しいかな。
ただ、今回の場合は提示した条件が曖昧すぎて最適解を見つけ辛かったということもあるだろう。これで落第というのはあまりにも無情すぎる。
そもそもこの質問で私が知りたかったのは、今現在、京太郎君の思考の天秤が攻撃力と効率のどちらにより傾いているのか、ということだった。
点数的な縛りが存在しない場面で、その時点での最大火力を狙っていくのか、あるいは火力を抑えて効率と速度を重視するのか。それを見極めるための質問だったわけだけども。
結論としては、速度を重視する傾向だということが分かったし、同時に問題点も浮上した。
防御を重点的に鍛えてきたせいで、ちょっと攻撃に対する意識を削ぎ落としすぎたかな――と思わなくもない。能力に縛られて鳴けないという面を考慮に入れた結果だとしても、対局全体のバランスを考えれば、ここは自力で揃える事が前提となる三暗刻くらいは目指しておくべき場面だった。
防御に対する意識はだいぶ向上してきたけれど、速度と火力との兼ね合いというか、そのあたりのバランス感覚はまだまだ甘いと言わざるを得ない。
防御がある程度形になってきたら、次はその辺りを重点的に教えていかないといけないかな。
「でも俺の場合がそうなだけで、師匠なら大三元とか普通に数巡で揃えてそうですよね」
「うーん……これが普通の麻雀だったらそうかもしれないけど、今回のルールだと牌の交換ってどうしても他人任せ運任せになっちゃうでしょ? さすがにそれで五枚のうちピンポイントで三枚も三元牌を引いてくるのは難しいかな」
まぁでもできないとは言わないけどね、と心の中でそんなことを呟きながら。
パタリと人差し指の圧力に屈して卓上に倒れ込む牌は、⑥・⑦筒と3索の三枚。⑨筒と合わせるとこれで四枚選んだことになり、残す牌と交換する牌の内訳はこんな感じになった。
「順子の両面待ちは全部捨てちゃうんすか?」
「この段階で何かしらの役が成立してるんならともかく、してないでしょ。ルール的にも飜数のほうが優先なんだから、順子はいらないよね」
手元には白の刻子があり、既に役が成立している以上、たとえ交換して役に絡んでこない順子が成立したところで何の得にもならないのだ。
であればこそ、ここは交換要員の牌の数を増やしてさらに飜数の上積みを狙っていくべき場面。リスクとリターンで考えてもこれは当然の采配である。
「いっそのこと四暗刻大三元のダブル役満でも狙ってみようかな」
「ははは……もしマジで成立したら俺さすがにちょっと引くかもしれませんけどね」
乾いた笑いが場を通り抜けていった。
特に声を潜めていたわけでもないため、会話の内容は他家の面々にも丸聞こえだったらしく、明らかにこちらに懐疑的な視線を向けてくる天江さんと竹井さん。
そんな中で唯一人、いっさい表情を崩すことなく扇子をパタパタさせながら、さも当然のように咏ちゃんが言う。
「須賀少年や。そんなことでいちいちドン引きなんてしてたらこの先身が持たねーと思うぜ?」
「は、はぁ……いや、でもですね? さすがに交換した四枚全部が有効牌になるなんてそんなオカルト……」
「――有り得ないってか?」
ギロリと鋭い視線を向けられ、思わず続きの言葉を飲み込んで素直に頷く京太郎君。
喉の奥で笑い声を転がすように漏れる声をかみ殺しながら、流れるように閉じた扇子で咏ちゃんは自分の手のひらを数回軽く叩いた。
「ありえないなんて事はありえない、って昔誰かが言ってたなぁ~……誰だったのかはわかんねーけど。私はこれまで、そのありえねーことを何度もこの目で目の当たりにしてきたんだよねぃ」
他ならぬその人に、と扇子の先っぽをこちらへと向けてくる。
いやまぁ確かに状況的には似たようなことがあったかもしれないけどさ、貴方もどっちかといえばこっち側で、大概似たような感想を対戦相手からは抱かれているはずだよね?
ジト目の私も何処吹く風といわんばかりに彼女の向けた矛先は別の方向へと向かう。
「ところで小鍛治さん。さっき面白いこと言ってたね」
「……うん? 何か言ったっけ、私?」
「他人任せ運任せだから三元牌を揃えるのは難しい、みたいな?」
「あー、うん。言ったね」
どうも会話のおかげでこっちの手の内が全部バレてしまったっぽい。
とはいっても、相手の動向如何によってこっちの手が封じられるということも無いゲームだから別に問題は無いはずだけど。
「それってさ~、牌の交換に自分の意思が介在すればきちんと役を揃えられるっつ~ことだよねぃ?」
「だいぶ穿った感じになってるけど、まぁそういうことになるかな」
「ふぅん……それじゃぁさ、そこな清澄の元部長――竹井っつったっけか。ちょい~っとルールを変更してみる気はない?」
という咏ちゃんの提案で、このゲーム中に限りルールが一部改定されることになった。
ポーカーを模しているゲームである以上、ルールもそれに準じていると考えてもらって構わない。
子は交換するだけの枚数を親に向かって宣言し、親の竹井さんが手元の余りの牌から同じ数だけ相手に渡す。これが本来のルールである。
当然そこには親の技術(すり替えなんかのイカサマ含め)と子の運以外の要素が作用する余地は無いのだから、いかな私であっても役を揃えるのは運任せで難しい、というのが先の発言の真意だった。
さて。変更後のルールを簡単に説明すると、だ。
牌の交換を親に頼るのではなく、神経衰弱の要領で伏せて置かれている残った牌の中から、交換する枚数と同じだけの牌を任意で選んでオープンしていく、というもの。
どちらにしろ運の要素が強いという事実は変わらないものの、本来のルールに比べると親の技術の介入を完全に排除する形になり、自己責任の色がより顕著になる形式といえるだろうか。
ちなみに、天江さんと竹井さん、更には新ルール提唱者の咏ちゃんまでもが従来どおりのスタンスを選んだため、まず私を除く他三名が先に牌の交換を済ませ、手をオープンすることになった。つまり、ここまでは従来のルールに則って進行するということだ。
残された私はといえば。
名目上が私の発言から派生したルールである以上、状況的にも新ルールを適用するしかなくなっていた。
他の人が乗ってこなかった時点でそれを受け入れる理由もなかったんだけど……徐々に集まってきていた周囲の観客のことも考えれば、多少のエンターテイメント性は必要だろうと咏ちゃんが嘯くので、受け入れざるを得なくなったというほうが正しいか。
咏ちゃんが何かを企んでいる事は間違いない。
けれどそれが何かを私が把握する前に、既にゲームは進行してしまっていた。
「まずは衣からだ」
{五}{五}{五}{六}{七}{②}{③}{③}{④}{④}{⑦}{⑦}{⑦} {⑥}
オープンされた手牌。一見すると役なしに見えるものの、その中には一枚もヤオ九牌がない。
平和や断ヤオあたりの手牌全体で作らなければいけない役の場合、最終形で聴牌あるいは和了していないと無効になるというルールがある。
つまり逆に言えば、余りの⑥筒抜きで聴牌しているこの形は役として成立していることになるはずだ。
「竹井先輩。この場合は断ヤオで1飜扱いってことでいいんですかね?」
「ええ。最終形で聴牌してるからその解釈で構わないわ。で、次は私の番かしらね」
{一}{二}{三}{四}{六}{七}{八}{九}{6}{9}{北}{北}{北} {九}
「む、一気通貫未遂か。しかし実際には順子が二面子に刻子が一面子。衣より下だな」
「なんだか変な響きね、その言い回し……うーん、でも役が成立しなかった時点でこれでまた最下位っぽいかしら」
「まあ大三元狙うっつーくらいだから小鍛治さんは手元に役牌揃えてんだろうしねぃ。知らんけどさ」
言いながら、咏ちゃんが開いた手牌の並び。それを見て、ほとんどの人間が驚きの声を上げたせいか、周辺が異様にざわめいた。
{1}{1}{1}{2}{3}{4}{赤5}{6}{7}{8}{8}{8}{中} {中}
ここに来て、4索が一枚に中が二枚使われてしまったことに思わず眉を顰めてしまう私。
しかもこの短い間に混一色をきちんと和了まで持って行くところなんて、さすがは高火力を謳い文句にしている三尋木咏だけのことはあるとでもいうべきか。
「うっわ、何気に
「これが現日本代表不動のエースの実力、か……」
「ちなみに中二枚と四索一枚は交換の時に持ってきたヤツだったんだよねぃ」
「え!? そ、それって……!?」
「順番通りにやってたら、本当なら三枚とも小鍛治さんが持ってった牌だったってこったね~」
「――っ、そういうこと」
ケラケラと笑う発言者の愉快そうな態度とは裏腹に、周囲の学生たちは全員ひきつった表情を見せていた。
中二枚と四索が一枚こちらの手元にあれば、小三元と三暗刻が同時に成立していたということになるのだから、騒ぐ気持ちも分からなくはない。
こちらの手を潰しつつ、自分は混一色を和了するところまで手を持っていける。
同じトッププロ扱いの雀士であっても、鳴きを前提に戦う理沙ちゃんや火力より速度を重視するはやりちゃんではおそらく到達できない境地――といえるだろうか。
そして同時に、何故咏ちゃんが唐突にルールの改定を申し出たのか。その理由が腑に落ちてしまう私がいた。
「やってくれたね、咏ちゃん。何かおかしいと思ってたんだ」
「フフフ、何もしなかったら負けてたからねぃ。弱者の最後の悪あがきだと思って、ここは諦めて欲しいな~」
「まぁ、受け入れた時点で文句をいうのはお門違いか。しょうがない」
「って師匠、そんな呑気な……」
「ここで焦っても仕方がないからね。もう賽は振られちゃった後なんだし、切り替えないと」
どんなに不利な状況に追い込まれようとも、過ぎてしまったことは仕方がないと割り切るしかない。勝負においての鉄則というか、思考の切り替えは最も重要となる要素の一つであるのだから。
ちょっと簡単に今の状況を確認してみようか。
まず、この時点で残った牌の中に眠っている有効牌は都合六枚。内訳としては、①筒が二枚に4索が一枚、發が二枚と中が一枚。
確率にすると絶望的だからあえて数字にはしないことにしておこうかな、うん……。
ここから三暗刻を成立させるためには、既に対子になっている三種の牌残り五枚の中から二種類を一枚ずつ引いてくる必要がある。
小三元を目指す場合は、残った三枚の中から發と中を一枚ずつ引いてこなければならない。
大三元はもはや成立が不可能であり、慮外に置いても問題は無いだろう。
咏ちゃんの手、混一色は3飜役。私が逆転するために必要なのは合計で4飜以上。
既に白の刻子で1飜が確定しているため、負けないためには最低でもここから三暗刻、勝つためには發の刻子を前提にしていずれかの2飜役を成立させて初めてその条件を達成することができるということだ。
「さて、んじゃ久しぶりに間近で
「はぁ……仕方ないか」
「師匠――」
「ま~ま~、状況的に不安なのはわかるけど。今はお前の出番じゃねーから黙って見てな」
「う……はい」
手を伏せておく理由は既に無いため、観客にも分かり易いように全てを倒して場に晒す。
――一枚目。
伏せられた状態で目の前に無造作に置かれた牌の群れ。その中から引き抜いてきた一つ、それは従来の順番通りであれば四枚目の交換で私が引いてきていたはずの牌である。
ゆっくりと裏返す。
その瞬間、背後にいた京太郎君がゴクリと息を飲む音がはっきりと聞こえてきた。
「發……!」
「もし交換した牌が中、中、四索、發に変わってたら……宣言どおり、四暗刻と大三元のダブル役満だったってことになるわね……」
「――っ」
もちろん今となってはそれは単なる幻に過ぎない。けれど、もしもの可能性の一つとして浮かび上がってきたモノのあまりの非常識さに、周囲の観客のほとんどは二の句が継げぬ状態になってしまった。
そんな中であっけらかんとしているのはそんな光景は見慣れているだろう咏ちゃんと、天江さんの後ろで戦況をジッと見つめている靖子ちゃんくらいのものである。
もっとも、先行きが明るいように見えて実は暗雲が立ち込めているどころの騒ぎじゃないことに気が付いている人間は二人の他にもいるはずで。おそらくその一人だろう竹井さんは、どこか諦めたような、呆れ返ったような表情を浮かべたまま状況を見守っていた。
あまり結末までを引っ張っても仕方が無いし、さっさと終わらせようかな――と、二枚目の目標に向けて手を伸ばした時。視界の隅っこに映っていた
ていうかそれって咏ちゃんじゃなくて猫耳を付けている竹井さんの役どころなんじゃないの? とつい思考の狭間でツッコミを入れてしまう私。これも一種の職業病だろうか。
それは集中力を途切れさせる一瞬の隙間となり、ふと耳に届いてきたのは聴き慣れた機械音のメロディ。その音源を辿っていけば、自分が肩からかけているショルダーバッグに辿り着いた。
……あれ?
これってもしかして……いや、もしかしなくても社長か三木さんからかかってきた時の着信音じゃないだろうか。
「あ~、鳴ってるの小鍛治さんのケータイじゃね? 知らんけど」
「そうみたい。ちょっとごめんね」
慌てて中から端末を引っ張り出して、液晶部分に浮き出ている相手の名前を確認する。
予想の通り、そこには『つくば 三木さん』と書かれていた。
あの人から私宛に直々に電話がかかってくるなんてことは普段滅多にないことで、だからこそ逆に不安が募る。もしかすると任せっきりになっている姉帯さんの件で何かしら問題が浮上したのかもしれないと。
「ちょっと電話してくるから、えーと……」
「あ。戻ってくるまで待てっつーのはナシで。後ろもつっかえてんだし、サクッとこっち終わらせてかけ直したほうがいいんじゃね? 知らんけど」
「……だよね」
たしかに、周囲には観客が多数いるものの、ゲームの順番を待っているお客さんらしき人も何人もいる。
案件次第によっては長期化するかもしれない私の電話が終わるまで、この勝負の決着を宙ぶらりんにしたままというわけにはいかないだろう。
観客として楽しんでくれている雰囲気は伝わってくるけれど、だからといってその人たちをこれ以上待たせるというのもあれだから……仕方が無い、一旦電話の事は忘れてさっさとこっちを終わらせよう。
本来掴もうとしていた牌とあと一つ、近くに置いてあった牌を適当に掴んで両方ともを手元に伏せて置く。
二枚目と三枚目、ひっくり返した牌の絵柄は――白と發。まったくの不要牌というわけでもなく、それでいて必要かと問われたら首を傾げざるを得ない、二枚ともがそんな微妙な牌だった。
うーん、集中して吟味できなかったぶん選別の詰めが甘かったかな、これは……。
「槓子が二つできちゃったけど。これってカン宣言して追加ドローは出来ないんだよね?」
「ええと、はい。残念ながら」
「そっか。カンできたら三槓子も見えてきてたんだけど、しょうがないかな。でも、あとは対子のどれを引いてきても飜数の差で私の勝ちだね、咏ちゃん」
「余裕綽々ってか。でも、引けなければ私の勝ち。そのまま最後まで上手く行けばいいけどねぃ」
「小鍛治プロ、完全に遊んでますね……その二枚を引いてくる必要なんて無かったでしょうに」
今回の場合は別に引きたくて引いてきたわけでも無いんだけどね。
さてと、それじゃ最後の一枚を――というところで、一度途切れていたはずの呼び出し音が再度鳴り始めた。これはいよいよ、よほど緊急の呼び出しということかもしれない。
気が急いてしまうものの、ここで勝負を投げ出すわけにもいかず。
「……須賀少年、ちょっとこっちへ来てみ?」
「はい? なんでしょうか」
「あのさ――」
そんな中、咏ちゃんが私の背後で勝負の行方を見守っていた京太郎君を呼び寄せて、こちらには聞こえない程度の小さな声で何かを囁いた。
ああもう、電話もだけどそっちも気になるじゃないかっ。
私の弟子に一体どんなデタラメを吹聴しようとしているのか――でも三木さんからの電話の件もあるし、いちいちあの子の行動につっこみを入れて回っていては埒が明かないのもまた事実。
ええい、こうなったらもう一気にケリをつけてやる!
この場合は第六感とでもいうのか……感覚で『当たり』だと思う牌はまだ四枚ほど散らばっている。その中の一つを選んで、その場でひっくり返した。
真っ白な背景の中央に浮かび上がる、一際大きな丸い模様――即ち、①筒。
それは三暗刻を成立させるために必要な牌の一つであり、結果、合計4飜となった私の勝利が確定した瞬間でもあった。
{①}{①}{4}{4}{白}{白}{白}{白}{發}{發}{發}{發}{中} {①}
「や~れやれ、やっぱこうなるのかって感じだねぃ……な? 私が言ったとおりだったっしょ」
「す、すげぇ……もしかして師匠、マジで牌が全部透けて見えてるんですか……?」
「いやいや、そんなことあるわけないよ……って咏ちゃん、分かってて有り得ないようなウソ言ってるでしょ!」
「いや~、ぜんぜんわかんね~し。小鍛治さんだもん、どんなことやってても誰も驚かないって。現に弟子だって信じてんじゃん」
もはや他人事といわんばかりにケラケラと笑う姿に若干イラっときてしまった。
なんとなく当たりの牌か外れの牌かが分かる程度というのが本当のところであって、咏ちゃんが言うような透視能力なんて私には一切無い。当然だ、私は人間なんだから。
原理を上手く説明してあげる事は難しいんだけど……あくまで感覚的な話として、例えば周囲が暗闇に包まれている状態だとしようか。なんとなく私には、その時に必要だと思われる牌がその暗闇の中で光を浮かび上がらせているように見えてしまう。
そして、それを適当に掬い取れば大抵の場面で当たり牌になっている、と。その程度のことだと思ってもらって構わない。
……ただ、その的中確率がほぼ百パーセントであるというのが周囲の人間をして私が勝負事においては豪運の持ち主であると言われる所以でもあるわけだけど。
まぁそれでも同じようなシチュエーションだったとしても、トランプを用いた神経衰弱なんかだとこの感覚は一切発動しないんだよね、不思議なことに。
「……っと。電話かけ直してくるからちょっと席を外すね。あと京太郎君は咏ちゃんの戯言にはあんまり耳を貸さないように。いい?」
「うっす」
「いってらっしゃ~い」
廊下を抜けて校舎から外へ出るための出入り口付近で、すれ違いざまに入ってきた二人の女の子を横に避けて外に出る。そのまま静かな場所まで行こうとして――。
ゾクリ、と。
背筋を走った悪寒に、反射的に振り返っている私がいた。
人ごみの中に消えていくその後姿。かろうじで視界に捉えられたのは、側頭部に咲き誇る大きなリボンの揺れる様だけ。
間違いないと確信した。今すれ違ったあの子こそが――白の能力を有するだろう怪物候補、その一人なのだと。
▽
電話の内容が想像どおり姉帯さんの案件だったこともあり、話がきちんと纏まるまでに少しだけ時間を取られてしまった。
なんでも、もし彼女が茨城に出てくることになった際に、未成年である彼女の身元引受人を熊倉先生から別の身近な人物に委託する必要があるとかないとか。
で、その第一候補に見事私が選ばれたという話だったので、一度熊倉先生に連絡をして相談をしつつ。
声をかけたのも私なんだから、お前が適任だろうと言われてしまえばその通り。それくらいの面倒は見るべきだろうと了承の返答を返し、通話状態を解除した時に後ろから声をかけられた。
「グッドアフタヌーン、小鍛治プロ」
「……あれ? 良子ちゃんだ、こんにちは。もしかしていま来たの?」
「ええ、アクシデントのせいで少し遅れてしまいましたね。ところで三尋木プロはどうしました?」
「咏ちゃんなら麻雀部の子たちの出し物のところにいるはずだよ。行く?」
「ぜひ。噂の稲田の姫君にも興味がありますしね」
稲田の姫君……やっぱりこの子も京太郎君目当てか。
小鍛治健夜の弟子なんていう肩書きさえなければここまで人寄せパンダ的な扱いを受けることも無かったんだろうに……と思うと、少しだけ罪悪感が募るけれども。
当の本人が苦言を呈しているわけではないのでまぁいいか。有名どころのプロと直接顔を会わせる機会なんて、本来であればそうあることではないんだしね。
「あんまり京太郎君たちに迷惑はかけないでね」
「その科白は私ではなく、もう一人のトッププロに向けて言うべきなのでは?」
「あはは。あっちの子にはもう何回も言ってるんだけど効果が薄くてね……さて、それじゃ案内するよ」
「お願いします」
良子ちゃんを伴って例のアリス部屋へと戻ってきたら、珍妙な場面に出くわした。
右側に咏ちゃん、中央には天江さん、左側には先ほどすれ違ったと思わしき大きなリボンの小さな子。背後を除く三方向を三人の少女(?)に固められ、詰め寄られているのは――うん、言うまでも無いと思うけれど、京太郎君である。
「……なんでしょうね、あの雰囲気は」
「修羅場、なのかなぁ?」
咏ちゃんは明らかに苛立っている風に扇子を手のひらに何度も打ちつけ、天江さんは憮然とした表情のまま仁王立ち、例のリボンの子はといえば、頬を膨らませたまま上目遣いで京太郎君を見上げている。
一体何がどうなってああなっているのかがさっぱり分からないため、誰かに状況を聞きたいな……と思っていたら、都合よくアリスの格好をした原村さんが近づいてきた。
「ああ小鍛治プロ、ちょうどいいところに」
「原村さん。あれはいったい何事なの?」
「実に馬鹿馬鹿しいというか、あの人たちのプライドの問題とでもいうのでしょうか。あそこにゆーきが加わらなかっただけ良かったと言うべきか……と、後ろにおられるのは戒能プロですか? はじめまして、清澄高校麻雀部一年の原村和です」
「これはご丁寧に。戒能良子、イタコではなく一応プロ雀士をやっています」
知っています、と良子ちゃんのちょっとしたお茶目を至極真面目な顔で受け流す原村さん。この子にその手の冗談はあんまり通用しないんだよなぁ。
「で、プライドがどうとかちょっと意味が良く分からないんだけど」
「なんと説明すれば良いのでしょうか……噛み砕いて言えば、どちらのほうがより大人に見えるか、と須賀くんに詰め寄っている場面なんですが」
「……は?」
原村さんからの説明を聞くに、始まりは些細なこと。どうやら出会い頭で咏ちゃんとあの子――夢乃さんが衝突事故を起こしてしまったことに端を発するらしい。
その際に咏ちゃんが夢乃さんを小学生扱いしてしまい、それに気を害した夢乃さんが自分も人の事は言えないだろうと咏ちゃんを煽り返し――挙句、傍観者を気取っていたはずの天江さんまでもを巻き込んで、誰がより大人びて見えるかというどんぐりの背比べも真っ青な難題を京太郎君に突きつけて今に至る、というのが事の真相のようだった。
実に馬鹿馬鹿しい、という原村さんの第一声に無条件で同意してしまいそうになる私である。
「子供に混じって大人が一人、一体なにをやってるんだか……」
「アレも一種の同属嫌悪というやつでしょうか。しかし天江衣はともかくとして、あっちのリボンの子は三尋木プロに真正面からケンカを売るなんて、なかなかに将来有望な子ですね」
「ああ……そういえば良子ちゃんにはきちんと名前を伝えてなかったっけ。三竦みの最後の一人」
「――っ!? ということは、あの子が……!?」
その見た目からは到底信じられないような事実ではあるけれど。
三元牌の〝白〟の能力をその内に秘め、牌に畏怖されるものの一角たる資格を有しながらもいまだ開花することなく固く閉じている蕾。
――夢乃マホ。
その初対面がまさかこんな形になるなんて……弟子の災難も放置したまま、さすがの私も少しだけ呆れ返らざるを得なかった。
世の中の評論家というかコラムニストとでもいうか、そういった中にはたまにこんな仮説を提唱する人がいる。魔物と呼ばれるほどにまでオカルト能力に特化された人間は、その代償として肉体の成長が著しく阻害されているのではないか――と。
根拠のほとんどがこじつけだから馬鹿馬鹿しいと頭から取り合わない人間のほうが多いだろうと思うけれど、実際に見てみると「強ち間違っていないんじゃないの?」と言いたくなる程度には心当たりがあったりするのもまた事実。
三尋木咏という大人に見えない大人の筆頭候補をはじめとして、天江衣や高鴨穏乃あたりはまさにこの仮説に信憑性を齎している存在だといえるかもしれない。
またとある一部分だけをみれば私もそうだし、宮永姉妹もそこに該当しているといえる。阿知賀の松実姉妹は胸こそ驚異的な成長を遂げているといえるものの、身長を見てみれば同年代の平均と比べてもかなり低いほうだろう。
逆に姉帯さんは松実姉妹とは逆に背の高さは平均を大きく上回っているものの、胸囲のほうはさほどでも無いというか……うん、まぁ成長を阻害されている部分に個人差があるのは確かだと思う。
そういった意味でいえば、咏ちゃんほどではないにしろ年齢不相応な印象を受ける夢乃さんは、正しく『魔物』扱いされるべき立場の人間なのかもしれない。
「良子ちゃんはあの子のことどう思った?」
「ぱっと見ただけではインスピレーションは受けられませんね。小鍛治プロや三尋木プロとの初対面の時のように直接的にこう、こちらに遠慮なく突進して来るようなインパクトもほとんどありませんし」
「そうなの? でも白って能力的には霧島の流れを汲んでるはずじゃなかったっけ。良子ちゃんが一番感知しやすい類の能力だと思ってたけど」
「あちらの姫様ほど強大で分かりやすければそうですが……疑うわけではありませんが、本当にあの子が該当者なんですか?」
「靖子ちゃんたちの話を聞く限りだと間違いないと思うよ。一瞬だったけど、私もそれっぽい力を感じてるし」
私の能力が対局者の性能を著しく低下させる、いわゆる『南』の流れを汲むデバフ系能力の頂点だったとするならば、咏ちゃんの能力は己の性能を極端に尖らせる、いわゆる『東』の流れを汲むバフ系能力の頂点である。
そして、おそらく彼女が持っている白の能力というのは、己以外の何かしらの力を行使するといわれている『北』の流れを汲む、霧島神境の巫女さんたちが得意としている憑依系能力の頂点。その流れを血筋に持つ戒能良子が最も敏感に察知できる能力のはずだ。
「なら、実際に打って試してみるのが一番でしょうか」
「うん。ただ、プロの私たちが総出で中学生を囲むのはさすがに大人気ないからね。天江さんもいることだし、ここは私の弟子に任せてもらえないかな?」
「なるほど、それは確かに……それに稲田の姫君の能力も直に見られるというのであれば、わざわざノーと言う必要もありません」
「決まりだね」
学園祭が行われている今現在、麻雀部の部室は誰にも使われていないらしく、対局をするならば貸してくれるという竹井さんの好意に素直に甘えることにする。
お互いに自己紹介を終え、私たちプロ勢と天江さん、高遠原からやってきた夢乃さんと室橋さん。さすがに部外者ばかりで部室を使用するのは如何なものかということで、立会人として京太郎君と休憩中の原村さんが加わって、合計九名にまで膨れ上がった一行は学園祭の賑わいからは隔離されたその一角へと集うことになった。
「あ、あの。和先輩……あいつ、マホがプロの人たちと打って本当に大丈夫でしょうか? 今でも日に一回は何かしらのチョンボをするような実力なのに……」
「大丈夫。小鍛治プロにも何か考えがあるんでしょうから、心配は要りませんよ」
自分の名前が聞こえてきたようなので、つい後ろを振り返ってしまう。すると、目が合った原村さんがにこりと微笑んだ。
……なんだろう。もしかして私って、あの子にすごく信頼されているのかもしれない?
そういえば、同じ恩師を持ちながら、それを害した私への態度も初期の頃から良くも悪くもフラットだったように思う。阿知賀の子たちと比べると思考がドライとでもいうか、きちんとその辺りを割り切って考えられる程度には大人っぽい面があるのかな。
それもこれも例の転校話がお流れになった件からの印象の変化なんだろうけど、冷静に見えて熱血だったりと、実は情に厚いタイプで人情の人なのかもしれない。
「とりあえず東風戦でいいよね? 面子は天江さんと京太郎君、夢乃さんと、あと一人は……室橋さんか原村さん、入ってもらえる?」
「わ、私ですか!? この卓に私が入るのはちょっと……」
「衣さんと須賀くんですか。マホちゃんも調子が良い時は手強いですし、相手にとって不足はありませんね」
「え~、私でいいじゃん」
「咏ちゃんはさっき私に負けたでしょ。それに親番で空気読まずに連荘終了しちゃいそうだから、却下」
「出来ないとは言わないけど、やらないって。あと小鍛治さんに空気がどうとか言われたくないっつーの」
失敬な。私だって空気くらい読め……ると思うよ、最近は。たぶん。
ただ、それを差し引いてもここは実力差がありすぎる相手を選ぶ必要はない。咏ちゃんだと天江さんの抑えになるどころか、そのまま終わらせてしまいそうな気がするし。
良子ちゃんの場合は、彼女の検分に徹してもらいたいという事情もあって選択肢にも入らない。
靖子ちゃんならいい感じに調整してくれそうだけど、当の本人があえて同年代の子たちを押しのけてまで余りの席に座るつもりもないようだ。
「衣が指名してもいいならば、最後の一人はののかがいいな。そっちのほうが思う存分力を振るえそうだ」
「……ってことだけど。原村さん、いい?」
「構いません」
はっきりと頷く原村さん。戦闘態勢に入っているっぽい彼女の腕の中には、既にエトピリカになりたかったペンギン、略してエトペンが抱えられていた。
なんだかんだ言ってやる気満々なのはいいことだ。あとは――。
「そうだ、夢乃さん」
「はっ、はいっ!」
私の呼びかけに、勢いよく手を挙げて存在を主張してくれるその子。
こうして真正面からじっくりと向かいあって見ると、特にそう感じてしまうけれども……咏ちゃんも大概だけど、この子もずいぶんと幼い印象を受けてしまう。
なるほど。事前に京太郎君から聞かされていた特徴と示し合わせるまでもなく、そうと断定できそうなほど特徴的な容姿とでもいうか、なんというか。
とてもじゃないが、ものすごい能力を秘めている打ち手には見えないというのが本音だった。
「君は色んな人の打ち方を真似できるって聞いてるんだけど、それ本当なのかな? 宮永さんみたいな打ち方もできるとか」
「はいっ、本当です! マホ、和先輩たちみたいになりたいのでいつも頑張ってますから!」
「そっか。それじゃ――この対局でそれを見せてもらいたいんだ。できるかな?」
「が、がんばってみるですっ!」
本質を見極めるためには、手を抜かれては元も子もなくなってしまうからね。
こうして、卓についている者、観客に回った者、それぞれの大小様々な思惑を乗せたまま自動卓の中央でサイコロが舞う。
――起家は原村和。
この場で唯一そうではない、けれどデジタルの化身とまで称される彼女の最初の一打が、壮絶な異能力バトルの始まりを告げる合図となった。
ちょっと照に関して情報収集中につき、本編は投稿待機中でございます。
代わりにオリジナル要素だけで進行できる番外編を進めて行きますので、それまではこちらでお楽しみください。