すこやかふくよかインハイティーヴィー   作:かやちゃ

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第05話:天衣@鳴かない金糸雀、鳴く雲雀

「寝ちゃいましたね……」

「寝ちゃったね……」

 

 一夜明け、東京へ戻るためにと乗り込んだ東北新幹線はやぶさ14号の車内にて。

 奈良で使いすぎた予算の都合から三人がけの座席にこーこちゃん・私・京太郎君の順で座っているわけだけど、窓際の席を確保したことで一人ご満悦だったこーこちゃんは盛岡駅を出た直後に夢の中へと旅立っていった。

 まぁ、あれだけの企画をほぼ一晩ぶっ通しでやりきったんだし、寝不足になるのも分からなくはない。

 たださ、昨晩ほとんど寝ていないのはそれにまんまと巻き込まれてしまった私たちも同じなんだけどね。もっとも、同じような睡眠時間だったはずの京太郎君は何故かえらく元気なんだけど……これが若さか。

 とはいえ、まさか半ば無理やり同伴させた張本人たちが、被害者を無視して二人で眠りこけるなんて醜態を晒すわけにもいかない。

 先に眠りに落ちてしまった彼女のことを若干恨めしく思いつつも、限られた環境の中でやれることは何かないかな、と考えた末に取り出したのは一枚のDVD-ROMだった。

 

「ってことで、東京に着くまで中途半端に時間があるし、このDVDでも見てようか」

「これ、なんのDVDなんですか?」

「CSで牌のお姉さんがやってる麻雀番組なんだけど、ちょうど今の京太郎君に必要かなって回をやってたから先生に録画しといてもらったんだ。たぶんいい教材になるだろうと思って」

「マジすか。なんかすみません」

「いいのいいの。これでも師匠なんだし、それくらいはね」

 

 いつも持ち歩いているノートパソコンを取り出し、内臓のドライブにDVDをセットする。B5サイズのノートパソコンでDVDドライブが内蔵されているのは珍しいらしいんだけど、出先で使うことのほうが多いなら外付けは邪魔くさいし内蔵のほうが良いだろうと、こーこちゃんがわざわざ探してくれたのだった。

 

 しかし、だ。問題が一つあるとするならば、画面が小さいため二人で見ようとするとかなり寄り添っていなければならないこと。

 一応熊倉先生のお家を出る前にお風呂を借りてきたから匂いは大丈夫だと思うけど。それでもある程度は気になってしまうこの乙女心。

 ちらりと京太郎君の様子を伺ってみれば、その視線はディスプレイ上で元気に手を振っている牌のお姉さん(のとある部分)に釘付けになっていた。

 

 ……まぁ、そうなるよね。分かってたけどさ。

 ほっとしたような残念なような、少しだけ複雑な気分で私も視線をそちらへ向けた。

 

 

 流れ、運。

 勝負事の世界で、その二つは勝者と敗者の間を隔てる高く聳える壁の如くとても重要な要素を持っている。

 運が悪ければそれだけで理不尽なハンデを背負わされ、流れに見放されてしまえばどんなに腕の立つ人間だろうと不思議と状況は不利になっていくものだ。

 いくら厳格かつ明確なルールによって統制されているゲームだとしても、個々の持つそれらを外的要因を用いて排除したり、まったくの平坦にして無差別化するなんてことはできはしない。

 大切な試合の前には必ずゲンを担いでから勝負に臨む、なんて話を聞くこともあるだろう。それまでたくさんの経験を積み、修羅場を潜り抜けてきただろう元日本代表チームの男子エースだった某選手でさえも、タイトルのかかるような大きな大会の試合では必ずゲンを担いでいたという話はわりとよく聞く逸話である。

 それくらい、勝負の世界において『運気と流れ』というのはとかく重視されてしまいがちなものだといえる。

 

 麻雀という競技で考えていくと、運というのはいわば、最初のスタート位置を決めるための下地といえるだろう。

 というのも、麻雀は最初にサイコロを振るところから始まっており、その段階で既に運の良し悪しが入り込んでくる余地があるからだ。

 全員が同じ位置から揃ってよーいどん!で始まるのは、表示されている点数のみだと思ったほうがいい。誰が一番トップに近い位置から始められるかというのは、最初に振られるサイコロの出目、つまり運の良し悪しでまったく違ってくるものなのだから。一見平等に始まったように見せかけて、まったくもって平等ではない。それが麻雀というものである。

 

 では、流れというのはどうなんだろうか。

 球技なんかで一つのファインプレーから一気に流れが傾くなんて場面が度々見られるように、麻雀にもその卓その卓で流れというものがある。例えば配牌の良さが運によるものであったとするならば、無駄の少ないツモの効率の良さなんかは、流れによって齎されているものと考えていいと思う。

 

 実際の川や海なんかを見てもらえれば分かると思うけど、流れというのは常に一定とは限らない。障害物でせき止められることもあれば、向きが強引に変えられることもある。ちょっとしたことで大きな変化が引き起こされたり、衝突して発生したうねりが色々なものを飲み込んでいく光景、というのを見たことのある人も多いんじゃないかな。

 逆に言えば、流れは自分の行動如何で引き寄せたり変化させたりすることもできるということだ。この点は、最初に保有している総量で結果がほぼ決まってしまう運とは異なる部分といえるだろう。

 

 雀士の中で流れを掴むことに長けている者たちが得意にしている戦法。それが亜空間殺法とも呼ばれている、いわゆる『鳴き』である。

 鳴きと呼ばれるものは、カン、ポン、チーの三種類。上家からしか宣言できないチーはともかく、カンやポンは宣言したプレイヤーの配置によってはツモ番が飛ばされたりすることからも、多用する相手のことは苦手(あまり好かない)という人も昔はわりと多かった。

 用法用量を守って正しくお使いください、というのがこれらの特徴で、実際にプロの中でもこの『鳴きが上手い』というジャンルにカテゴライズされる人というのはそれほど多くない印象がある。

 

 そんな中で名前が出てくるプロというと、やっぱり牌のお姉さんこと瑞原はやりは外せない。ただ、彼女は流れを操るタイプなので鳴くタイミングもかなり上手いほうだと思う反面、彼女自身はあまり鳴きを多用したりはしない。あえていうなら能力の副産物のようなものであって、鳴きの特化型というわけではないからだ。

 なので、私が知っている現プロ勢の中からあえて『鳴き麻雀』というものの第一人者の名前を挙げるとするならば、彼女ではなく別人の名を挙げることになるだろうか。

 

「あれ? このゲストの人って、たしかBブロックの準決勝で解説やってたプロの人ですよね?」

「うん、そうだよ。よく覚えてたね」

「いやまぁ、なんというか受け答えが個性的な人でしたから……」

「あー」

 

 直接オンエアを見ていたわけではないんだけど、その話は決勝前に卓を囲んだ時にはやりちゃんたちから聞いた。

 なんでもアナウンサーの子に注目すべき点を聞かれて、迷って咄嗟に出した答えが「制服!」だったとか。そのへんは実に口下手な彼女らしいエピソードだと思う。

 

「師匠はこの人たちとも戦ったことがあるんですか?」

「うん、まぁね。最近は公式戦じゃご無沙汰だけど――対局した時のことは、ちょっと忘れられないかな」

 

 その人物の名は――野依(のより)理沙(りさ)

 赤土晴絵・瑞原はやりと並び立つ、私にとって因縁深い十年前の準決勝卓の相手であり、現在も第一線で活躍を続けているトッププロの一人である。

 

 

 防御と鳴きは相性が悪い、というのが一般的な見解だと言ってしまってもそう間違いではないだろう。

 鳴けば場に晒される面子が増え、そのぶん手牌が減ってしまう。それはつまり安牌として計算できる枠が減るということでもあり、攻め切れなかった場合に他家に振り込む危険性が増すということでもある。

 

 今年の全国大会をぱっと振り返ってみるに、上位入賞チームの中で鳴きを主戦法として積極的に取り入れていた選手というのは、白糸台の副将亦野誠子、阿知賀女子の中堅新子憧、この二人くらいだったと思う。上手い下手はともかくとして、彼女たちはきちんと自分なりの武器(スタイル)としてそれを確立しており、個々で違いがあったもののその意図は実に分かり易いものだった。

 

 新子さんが鳴く時、それは主に『和了までの速度を上げる』ためのスイッチとして用いていたということ。

 手牌の進みが遅い時、その局面を打破するためには相手の河から牌を掠め取ることのできる鳴きというのは確かに有効な手段であり、ツモの流れが変わるのをじっくり待つよりは遥かに手っ取り早い。

 おそらく事前の情報から、同卓していた他家の三人の中に一人、特殊なオカルト能力を持つ選手がいたことを予め知っていたのだろう。準決勝では特に、火力よりも速度を求める傾向がより顕著に現れていたように見えた。

 

 もう一人、亦野さんに関しては特殊な用例とでもいうか……手っ取り早く言ってしまえば彼女の鳴きは宮永さんのカンと似たようなものであって、独自の打ち筋としては成立するものの、初心者用の教材としてはぶっちぎりの落第点である。これは姉帯さんの友引にもいえることだけど。

 彼女にとってのそれは和了するための段階として必要な儀式のようなもの。たとえば三副露した後で数順以内に必ずツモ和了できるという人が他にもいるなら、まぁ参考にするのも良いかもしれないけど……あまりお奨めはしないかな。

 

 ああいった特殊な条件に縛られてそれに頼りきりになっている麻雀は、必ずどこかで壁にぶつかる。そしてその壁は、依存度と比例して高く分厚くなってしまうものなのだ。

 特化した一部だけを見ればプロと遜色のない実力を備えていた人たちが、その壁を乗り越えられずに消えていった現実を私はこれまで幾度も見てきた。

 私自身がそういう相手に引導を渡す役目を知らずのうちに担っていた――という側面がないわけでもないんだけど。

 

 

『ではここで野依プロに視聴者さんからの質問ですっ☆ 私はいま麻雀初心者から中級者になりかけです。先生からそろそろ鳴きを覚えたほうが良いと言われて取り組んでいるんですが、タイミングが上手く掴めずにどうしても裏目裏目に出てしまって困っています。どうすればのよりんのように鳴きが上手になりますか?』

『――勘!』

『はやっ!? そ、それじゃさすがに抽象的過ぎて分からないと思うよっ。こう、これに気をつけておけばっていうアドバイスが具体的に何かないかな?』

『……っ』

『そんな難しく考えなくてもいいんだよ? たとえば五順くらい自分のツモに有効牌が来なくて上家の河に欲しい牌が連続して出てきたらチーしてみるとか、最初はそういうのでも――』

 

 おおもう、ほとんど質問に答えてるのはやりちゃんじゃないか。

 そもそも理沙ちゃんはどちらかというと感覚派のタイプだから、具体的に理論立てて説明しろっていうのは番組の企画のほうにこそ無理があると思うんだけどね。

 自分で用意しておいてこんなこと言うのもあれだけどさ……これ、本当に役に立つのかな?

 そんな私の心の声が聞こえたというわけではないんだろうけど、牌のお姉さんとゲストに挟まれている生徒役の小学校高学年くらいの少女は、どこか気まずそうにおずおずと手を挙げた。

 

『あの、瑞原プロ。今のってどういうことなんですか?』

『んと。チーをすると当たり前だけどツモ順ってずれるよね? 本来自分がツモるはずだった牌は下家に、下家の牌が対面に、っていうふうにずれていったら、次に自分がツモることになる牌は本来誰が持っていくものだったことになるかな?』

『えーっと……上家、ですよね?』

『うん、正解☆ 自分のツモの流れが良くないって思ってて、それなのに上家からは自分が欲しいところの牌がよく出てくる。なら、いっそ上家のツモと自分のツモを入れ替えられたら都合が良いよねっ?』

『あ、なるほど。よく鳴いた次のツモ順で鳴いたのと同じ牌を持ってきてなんか損した気分になったりするんですけど、あれってそういうことなんですか……』

『はやや、流れの入れ替えが上手くハマればそういうことも起こるかもしれないね~☆』

 

 噛み砕いて教えるのはやっぱり上手いなぁ、はやりちゃん。

 私もあれくらい上手に説明できればいいんだけど。

 

「鳴くタイミングにもセオリーってのはやっぱありますよね?」

「セオリーっていうか、うん。三元牌とか自風牌がドラになってて手牌で対子になってたりすると巡目とか関係なく一枚目から鳴く人は多いね。あと分かり易いのは二~三向聴くらいで染め手がはっきり見えてる時とか、形聴のために終盤で鳴くとか」

「形式聴牌……うっ、頭が……」

 

 あっ。そういえば最初の指導の時にやらかしちゃったんだったっけ。

 あの時はなんでもないような素振りだったけど、やっぱり脳裏にダメージが蓄積されていたんだろうか?

 

「だ、大丈夫……?」

「あはは、まぁそれは冗談ですけどね。でも正直よく分からないんスよ、鳴いて良い場合と悪い場合の違いってのが」

「目的をはっきりさせとかないと迷うってこともあるから。たとえば鳴いて何が欲しいのかとかはきちんと理解しとかないとダメだよ」

「何が、っていうと……?」

「鳴きって一言で言っても用途はいっぱいあるからね。一位逃げ切りのためにとにかく聴牌までの速度が欲しい場合とかさ、あとはさっき牌のお姉さんが言ってたみたいにツモの流れを変えたい時とか。あとは他家の一発を消してしまいたい時とかもそうかな。その鳴きでどんな効果が得られるのか、あとは何を失っちゃうのかってのも大切なの」

 

 考えなければならないのは、その目的は一体何を犠牲にして生み出されるものなのか、ということ。

 火力であったり防御であったり速度であったり、あるいは流れであったり。それは目当ての牌の絵柄だけを見ていては決して掴めない。

 欲しいものと失われるもの、この二つを比べてなおメリットのほうが勝る場面。それをその場その場できちんと把握できてこそ、鳴きという手段が活きてくる。

 

「たとえば食い下がりで飜数が下がっちゃう場合とか、役そのものが成立しなくなっちゃってトップに点数が届かないって時は鳴きたくても鳴けないし。逆に1000点でもとにかく和了しちゃえば一位になれるって時は喰いタンとか役牌暗刻狙いで一枚目から鳴いていくのも戦略としては間違ってないよね」

「それは分かります。和なんかがよくやってますから」

「でもね、早い巡目からそれをやっちゃって、結果的にその後のツモの流れが悪くなっちゃうと本末転倒だったりもするんだよ。特に上家から欲しい牌がいっさい出て来なくなるとこっちの速度も減速しちゃうだろうし、手牌の面子との兼ね合いも考えて動かないとダメだったりするから。その時その時で発生するメリットとデメリット、どっちもきちんと把握しとかないとなかなか上手いタイミングっていうのは掴めないと思うんだ」

 

 ――だからこそ、鳴きの扱いは難しい。

 特に情報があまり表に出ていない序盤におけるそのあたりの判断は、牌効率を重視する原村さんといえども博打の域を出ない行為だろう。今の京太郎君の立ち位置からするとそこまでの理解を望むのはまだ無謀と言わざるを得なかった。

 

「でもその場合だとあれじゃないスか。俺は鳴けば能力が解除されちゃうってトシさんが言ってましたよね? ってことは実戦だと鳴かない方がいいってことになると思うんですけど、それでも鳴きは覚えといたほうがいいんでしょうか?」

「京太郎君の能力的に必要か必要でないかっていうと、必要じゃないってことになるかもしれないけど……あのね、自分が知らないものを対処するってことは意外と難しいんだ。京太郎君自身は鳴くことはないかもしれない、でも他の子達もそれに付き合ってくれるわけじゃない。これは分かるよね?」

「はい」

「そんな時に対応の仕方が分からない、っていうのがどれだけ自分の立場を弱くするのか……京太郎君はそれを宮守の子たちとの対局で嫌って言うほど味わったと思うの。違うかな?」

「……はい、そうでした」

 

 能力を前提に考えれば、京太郎君が対局中に鳴くことは防御の要を捨て去ることと同義である。

 他の子たちよりも鳴きという行為に対してデメリットのほうが大きくなる状況下で彼が鳴けるのかというと、やはり難しいだろうとも思うんだけど。

 でも――それはそれ、これはこれ。理解が及ばない状況に対応するのは、たとえプロと呼ばれる人たちであってもとても難しい。半面、きちんと仕組みを分かっていれば、あるいは対処することもできるようになるかもしれない。この差は僅かなものかもしれないけれど、しかし確実に雀士としての成長速度の根幹部分に深く関わってくる差でもある。

 

 それに、使わないなら学ばなくてもいいという結論に達するのは、麻雀の技術云々に関わらず非常に危険な発想だと私は思うんだよね。

 よく勉強なんかでも、将来使わないから別に覚えなくていい、というような負け惜しみにも似た意見を聞く事があるけれど。

 確かに学校で習う中には、将来の仕事によっては一切使わない知識というのも多いかもしれない。でも、大人になってみれば自然と気づくことだけど、それははっきりと違うと言える。

 知らないということは、例えばその知識を使えば危機を乗り越えられるという場面であってもその可能性にすら気づけないということだ。無知は罪なりと昔の人は言ったけれど、それが間違っているとは思わない。知識を有している人間には当たり前に見えている選択肢も、知らない人間には決して見る事が出来ないのだから。

 時にはチャンスをチャンスと認識することも出来ず、また時には誤りを誤りと捉えられることもないままに、ただただ同じ失敗を重ねるだけの人間。そういった人は頼りなくて周囲から見限られるのもあっけないほど早いもの。

 そしてそれは雀士としても同じことだ。

 

 知識として持っているだけで有利になる情報というのもある。防御における最初の一歩は相手をよく知ることから始まるとさえ言われる事があるほどに、情報というのは重要だ。

 もちろん鳴き麻雀(ソレ)をきっちり実践して使いこなしてみせろなんて無茶ぶりをするつもりは毛頭ない。防御寄りのスタイルがきちんと固まるよりも前に、色気を出して応用を求めて基礎の部分を崩してしまえば、途端に脆く弱くなってしまう危険性もあるわけで。

 なによりも運の細い彼と鳴きとの相性はすこぶる悪い。昨日の対局でその片鱗を見せていたが、鳴き後の流れの激変っぷりは後ろで見ていて唖然とした程だった。

 

 これは熊倉先生の推測だけど、あの鳴き後の流れの激変っぷりも京太郎君の持っている『奇稲田姫由来の能力』によるものではないかという。

 というのも、斐伊川を八岐大蛇に見立てた場合の伝承として、奇稲田姫はその川の氾濫を鎮めるために生贄とされた地元の民の巫女の一族だったのではないかと解釈されているからだ。

 封印を解いて河の流れを鎮める巫女の力が失われたその瞬間、八岐大蛇はここぞとばかりに暴れだし――その一族を食い破る。

 鳴いた後に他家の手を神話級の怪物に仕立て上げるのもまた、彼が持つ()()()()なのかもしれない、と。

 

 言うまでもなく、それは諸刃の剣と呼ぶにも禍々しすぎる副作用である。なので、ある程度スタイルが固まるまではしばらく公式戦での鳴きは禁止しておいたほうがいいだろう――というのが、私と熊倉先生双方共通の見解であった。

 

 それでもあえて鳴きを覚えさせようとしている理由はただ一つ。

 

「相手がどうしてこのタイミングで鳴きを入れてきたのか、それが何を目的としているのか。場に晒された牌の種類と並びから見えてくる情報がどんなものなのか。それを知っておくためにはやっぱり自分の使わない武器についてもきちんと理解しておかないと。京太郎君の場合、これは攻撃のための知識っていうよりも、防御のための知識なの。君の持っている防御力をさらに堅固にするための補強だね」

 

 例えば一般論程度のものでもいい。鳴きというものの性質をきちんと掴み、実際にそれを使ってくる対局者の心理を読み解くことができれば、それは必ずここぞという場面で武器になるはずだから。

 

「その知識がもし俺にあったら、昨日の姉帯さんの四副露目は防げたかもしれないってことですよね」

「そうだね。京太郎君の能力があの子の裸単騎に勝ってたから問題にこそならなかったけど……あの場面で鳴かせちゃうのは余計なリスクを招くことになるし、さすがにまずいかな」

「ですよね……はぁ~、麻雀ってやっぱ奥が深いっす」

 

 二人して深くため息を吐いた時。画面の向こう側では番組の終わりを迎え、こちらに向けて笑顔で手を振っている牌のお姉さんの姿があった。

 

 

 それからしばらくの間、ともすれば舟をこいでしまいそうになるのを必死に堪えつつ、宮守の子たちから別れ際に渡された、通称マヨヒガノートを元に話をしていた私たち。

 新幹線がちょうど郡山駅を通過した頃にやってきた車内販売のお姉さんからコーヒーを二つ買い、一息つくことにした。

 そういえば昨日、熊倉先生と話し終えた後で京太郎君に何かを話しておかないといけないと思ったはずなんだけど、あれってなんだったっけ……と一人で考えていると、ふと脳裏に煌くものがあり。

 

「ああ、そうだ。話はちょっと変わるんだけど、この前ね、地元の子供たちを集めて麻雀教室みたいなことをやった時のことなんだけど――」

 

 週末なんかに予め予定がないと分かっている場合、所属チームが主催となって小学生以下の子供たちを集めて麻雀教室を開くことがある。講師はもちろんつくばに所属しているプロ雀士で、実際に卓について打ちながら教える人もいれば、座学、つまり簡単な理論を黒板を用いて説明する教師役を任される人もいる。(ちなみに私は後者であることのほうが圧倒的に多い)

 先日行われたその麻雀教室で、奇妙な現象が起こっていたのを目の当たりにした。

 カン、カン、カン。どの卓にあっても聞こえてくるのは、その宣言ばかり。もちろん嶺上開花で和了する子は一人もおらず、無駄にドラが増えた状態でゲームが続行するだけという酷い対局ばかりが目についた。

 

「あー……もしかしてそれって咲の真似をしてるんですか?」

「そうみたいなんだよね。とりあえずチャンスがあったらまずはカン、みたいな流れになっちゃってて……明らかに鳴く意味がない場面でも深く考えずにカンしちゃう子が増てるみたいなの」

「インターハイの影響ですか。なんつーか、気持ちは分からなくもないんだけど、教えるほうは大変ですよね。そうなっちゃうと」

「うん。でもそれってヒーローに憧れてるようなものだし、憧れてるものに対して頭ごなしにダメって言うわけにもいかないじゃない? とにかく分かってもらうのに苦労してたみたいだったよ……」

 

 どうしてダメなのか、その理由をきちんと理論立てて教えなければいけないわけで。

 京太郎君ほどの年代ならともかく、小さい子からすれば退屈な話で煙に巻かれるようなものだろうし、興味が沸かなければ子供は一切覚えようとはしないものだ。そんなものよりも見ただけではっきり分かる宮永さんの麻雀が与える直感的なインパクトのほうが、子供たちには魅力的に映るというのも当たり前な話。それは確かにそうなんだけれども……やっぱり教える立場の人間からすれば、間違いは正したいというのが情である。

 

 私は座学担当であり、教え子たちはみんな年長組だったこともあってカンの有用性と危険性をある程度理解していたので、その様子を対岸の火事よろしく眺めている側の人間だったんだけど。その場をきっちりと治めて見せたのは、つくばのチームで二軍の監督をされている元プロ雀士の方だった。

 

 はじめから否定だけを押し付けるのは良くない、とその人は言った。とりあえずやらせてみて、それではまず和了できないということを身を以って分からせるべきなのだと。

 

 実際に教室が終わる頃その方が教えていたグループの子たちは、とりあえず四枚目の牌が見えたらカン宣言、ということは無くなっていた。自分が和了できない上に、手牌が薄くなったところで普通に打っていた他の子のリーチに振り込んでしまい、カン裏のドラまでが乗った手痛い一撃を喰らうことでさすがに割に合わないということを理解したのだと思われる。

 その手腕はさすが監督業を営む人だといわざるを得なかった。心を誘導する術に長けている、とでも言うのか。

 

 ただ、この場は上手く丸め込んだとはいえ、もしかすると此度のインターハイは全国各地に似たような子供たちを量産してしまったのではなかろうか、と懸念を覚えた瞬間でもある。

 人気が出てメディアなんかで取り上げるのは別に構わないと思うけれど、その先にある結果のことをもう少しだけ考えて欲しいとも思ってしまった。

 

「――で、実はここからが本題なんだけど。京太郎君はさ、『宮永さんの麻雀が自分にもできるかも』って思ったりすることってある?」

「え? いや、それは――正直、咲のアレは真似しようとしてできるもんじゃないッスよ。ずっと近くで見てきたからこそ、俺にはわかります。アイツは特別で、何かに許されてるからこそあんなことができるんだって」

「なるほど……」

 

 特別、か。たしかにそうだろう、あれはたぶん素人目に見ても豪華に着飾ったクリスマスツリーに勝るとも劣らないほどの特別感が溢れ出ているはずだ。まぁ、だからこそ子供たちがこぞって真似をしてしまうわけだしね。

 では、それを特別たらしめている理由――というのは何なのか。

 それは間違いなく『稀少価値』によるものだろうと思われる。

 誰にも真似が出来ないほどに特別な和了。だからこそ彼女の嶺上開花は人々を魅了し、憧れさえも植えつける。

 でも――本当にそれは、宮永さんだけが出来る固有のものであるのだろうか?

 

「あのね、私の能力が發だっていうのは昨日話したよね」

「はい。聞きました。なんかすげー特別なんですよね? なんでも日本には一人しかいないとか言ってましたけど……」

「うん、まぁ。でもさ、發はそうかもしれないけど、三元牌には残りの二つがあるじゃない?」

「中と白っすよね。師匠と同じくらいってことなら、やっぱそれを持ってるのも特別すげー人だったりするんでしょうか?」

「中のほうは心当たりが何人かいるんだけど、白のほうは聞いた事がないかなぁ……」

 

 でも、あれはいつだったか――。

 詳しくは覚えていないけど、何気ない世間話の中で靖子ちゃんからとある一人の中学生の噂を聞いた。

 

 それは全国大会の前に行われた長野県上位四校による合同合宿での出来事。靖子ちゃんも所用で参加していたらしいその会に、竹井さんの仲介で二人の中学生が招かれたという。

 原村和、片岡優希、あるいは花田煌の母校でもある高遠原中学校――その麻雀部に所属する三年生の室橋裕子と、二年生の夢乃マホ。

 どちらもインターミドルで活躍するような一線級の子達というわけではないらしいけど、その合宿時のエピソードをこと細かく聞いていくうちに、とある疑念を抱かざるを得なかった。

 

 曰く、片岡優希さながらの東場での爆発力を有し。

 

 曰く、原村和の機械的なデジタル麻雀を完璧なまでに模倣し。

 

 曰く、宮永咲の嶺上開花(ひっさつわざ)をもいとも簡単にコピーして見せたほどの人物。

 

「それでね。実は京太郎君に一つお願いがあるんだけど、いい?」

「師匠が俺にですか? もちろん、福与アナみたいなよっぽどの無茶振りじゃなければいいですよ。なんです?」

「あのね。もしかしたら原村さんたちの後輩の子が清澄に遊びに来る事があるかもしれないから、その時はモニター越しでも構わないから彼女を私に会わせてもらえないかな?」

「和と優希の後輩って……あー、長野県大会の時にも応援に来てましたね。たしか、室橋さんと夢乃さんだったか。でもどうしてその二人を?」

「二人ってわけじゃなくて、夢乃さんのほうだけなんだけど。もし、京太郎君の身近なところに『宮永咲を完全にコピーできる人物』がいたとしたら――その子のことをどう思う?」

「咲を――ですか? いたとしたらそりゃ素直にすげぇと思いますけど、まさかそんなことできるようなヤツが身近に……あ、いや。待てよ、たしか優希のやつが全国の時に同じようなことを話してたような……」

 

 ――やっぱり。

 合同合宿時にお留守番だった京太郎君は直接それを見たわけではなさそうだけど、そういったことがあったというのはどうやら事実のようだ。

 

「って、まさかあの子が師匠並みの実力者ってことすか……?」

「うーん……そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないの。だから確かめるためにも実際に見てみたいんだけど、これからしばらく忙しいから長野には行けそうになくてね……それで、お願いなんだけど」

「はぁ、まぁ、その時があれば問題はないと思います。でも、あの子がなぁ……」

 

 あんなほんわかしたちっさい子がまさかそんな。いやいやでも龍門渕の天江さんだってあのナリであれだけの実力を……。

 ――なんてことを一人でぶつぶつ呟いている京太郎君。見た目は関係ないと思うよ、見た目は。

 

 京太郎君の得ている印象が朗らかな子というものなのであれば、それが即ち彼女がまだその闇に囚われていない証左でもある。私の時のように、今すぐに周囲との軋轢がどうこうというような深刻な事態ではなさそうだということは、僥倖と言ってもいいかもしれない。

 そこに関しては安心した反面、いつまでも無垢なままでいられるとも限らないわけだけど……。

 だからこそ、その存在を知ってしまった今、同じ道を歩まざるを得なかった一人の先人として知っておかなければならないと思った。

 その『白』の能力を有するだろう怪物たる資格を持つ少女の――根源を。

 

 

「でも、けっこう細かいチョンボが多い子だって和は言ってたしなぁ……あれ、師匠? 小鍛治プロ?」

「……がとう、京太郎くん……」

 

 こてん、と。

 一つの懸念が取り払われたことで気が抜けたせいか知らないけれど、私の意識はそのままゆっくりと闇の中へ沈んでいく。

 夢の中でくらいはこの束の間の幸せに浸っていても良いよね――と。頬に柔らかな温もりを感じながら、その心地よい誘いに身を任せることにした。

 

 

 ……ただ、終着を迎えて目を覚ました後、ここぞとばかりにからかわれる羽目になるその運命を、この時の私はまだ知らない。




……あ、あれ? 今回のメインのはずだった野依さんは何処行った……?
ま、まぁそのうち番外編が進んでいけばご本人様が出てきてくれるはず。次の予定は咏ちゃん(二周目)ですけども。
カツ丼さん? 本編の清澄編で出てたし、別に良いよね?

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