すこやかふくよかインハイティーヴィー   作:かやちゃ

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第四弾:西東京都代表・白糸台高校編
第19局:姉妹@少女が求めたその一片


「――小鍛治プロ」

 

 不意にそう呼び止められたのは、いつもの如くファミレスへと向かう途中のことだった。

 

 別番組の打ち合わせのため上京してきたのをどこで聞きつけたのか、仕事終わったらカラオケにでも行こうぜーと誘いをかけてきたこーこちゃん。

 週明け早々にこっちで宿泊したこともあり、私としては今回はこっちに泊まらずに実家へ戻るつもりだったんだけど、宿を貸してくれるというのでお言葉に甘えることにした。

 

 で、彼女の仕事は夕方にならないと終わらないとのことなので、二時間ほど暇を潰そうと行きつけのファミレスに向かうことにしたんだけど。

 声のしたほうを振り返ると、そこには長野辺りで見慣れてしまった彼女とよく似た、それでいて別の高校指定のブレザーを着ている少女が一人、立っていて。

 

「……宮永さん?」

「はい。白糸台高校三年、宮永照です」

 

 ――知っている。

 一昨年、去年と団体戦・個人戦と連覇を果たしていた白糸台高校の――いや、この世代における絶対的なエースといっても過言ではない存在、宮永照。

 

 彼女は東京在住なんだから、こうしてばったり会うというのは別に不思議なことでは無いと思われがちかもしれないけれど。白糸台高校といえば、東京の中でも地図的には中心だけど扱い的には西のほう――知らない人に分かり易く説明すると、いわゆる都心部と呼ばれる二十三区からは少し西側に外れた場所にあったはず。

 郊外と呼ぶほどには離れていない、だからといって何の用事もなしに訪れるようなことはほとんどない。そんな場所である。

 

 電車で一本乗り継げば新宿辺りに繋がっているため、その周辺で出没するというのはまぁ分からなくもない。ただ、高校生くらいの若者が平日の放課後にここ千代田区近辺にまで足を伸ばすというのは少し不思議というか、目的が見えてこないというか……まさかピンポイントで私に会いに来た、なんてことはこちらのスケジュールを把握している状況でも無ければ有り得ないだろうし、どういうことかと首を捻っていると。

 

「少しだけお時間宜しいでしょうか?」

「うん? えっと、時間は大丈夫だけど……どうしたの?」

「折り入って、小鍛治プロに相談――いえ、聞いて頂きたいことがあります」

「――?」

 

 じっとこちらを見つめる宮永さんの視線は、不思議なくらい淀んでいるように見える。

 それはあたかも進むべき道を見失ってしまった迷子が見せる心細さの象徴のようであり、それでいて決意という名の感情の発露を想起させるような、歪んだ力強さを感じさせるものでもあった。

 

 

 宮永照と宮永咲。同じ苗字を戴く血の繋がった姉妹にあって、その歴史と立場には大きな大きな隔たりがあった。

 その確執を生んだ直接の原因は六年以上前に遡るという話を何処かで聞いたことがあるものの、その中身というか、詳しい内容までを私は知らない。

 

 ただ、それからの二人はまるでお互いに姉妹の絆など無いように。姉は姉としての責務を放棄し、妹は成す術も無くただ状況に流され続けた。その結果、二人の間に開いてしまった溝はとても深いものになってしまっており、和解のための第一歩をお互いが踏み出した状況にあるとはいえ、一度の会話でそれらがすべて埋められるようなことは決してなかったという。

 

 かつては仲の良かった、血の繋がっている実の姉妹の中をそこまで拗らせる要因というのが何なのか。

 彼女はそれを明かさぬまま、淡々と現状だけを順序立てて説明してくれた。

 

「宮永さ……あ、妹さんのほうね。清澄の取材の時にあの子と話をしたけど、蟠りは無くなったんじゃなかったの?」

「……」

 

 肯定もせず、否定もせず。ただ能面のような表情で黙り込んだその姿をみるに、どうやら話はそう単純なものでもないらしい。

 方や一年生の頃から台頭し、一昨年・昨年と二連覇を果たした白糸台高校の不動のエースであり、誰もがその名を知っているであろう有名人。もう片方は高校一年生になるまでまったくの無名でありながら、誰もが歩みを止めることすら出来なかったその絶対王者(インハイチャンプ)を打ち倒してみせた新進気鋭の新王者。

 宮永姉妹といえば今では麻雀関係者の中に知らぬものはいないと言うほどの有名人だけど。その実、この素の表情を見たことのある人物がどれほどいるのだろうか?

 

「えっと……それで、私に聞いてもらいたい話っていうのは、妹さんのことで良いのかな?」

「――いえ。実は私、いま進路のことで少し悩んでいて」

「進路? あれ、宮永さんってプロ入りするんじゃなかったっけ?」

「……ええ、まあ」

 

 これまでの態度がウソのように、歯切れが悪くなる。

 この態度を見るに、悩んでいるというのはもしかしてプロ入りするのを止めて大学に行きたい、ということなのかな。

 しかし、それならばまず最初に相談すべきは両親か、次いで白糸台の監督、どちらかにすべきだと思うんだけど……そこで何故私なのかという疑問が浮かんでくる。

 

 私と彼女の間に個人的な付き合いなど皆無であり、去年だったかに一度だけ雑誌で対談したことはあったけれど、それもお仕事上のもの。インタビューが終わればお疲れ様でしたとその場で別れ、特別な会話をするといったようなことも無かったように記憶している。

 当然といえば当然のことを疑問に思っていると、無言のままテーブルの上に差し出されたのは一枚の名刺。そこには覚えのある人物の名前が記されており、少しだけ懐かしい気分にさせてくれるものだった。

 

「これって恵比寿のスカウトの――」

「進路に迷っているのなら相談してみたらどうか、と。小鍛治プロの時も、私と似たような状態だったと伺いました」

「ああ、うん。そういうことなら、なるほどね……」

 

 たしかにここ数年では有り得なかった程の逸材であり、大学リーグ内を含めても確実に一番の注目株と目される宮永さんには、おそらく既に色々なチームから獲得オファーが来ているはず。その中にかつて私が所属していた恵比寿や、一部リーグでは屈指の強豪クラブとされる横浜の名が挙がることは、ほぼ間違いないだろう。

 元々の地元である長野の佐久あたりも獲得に前向きだったりするのかな。たぶん本人は選ばないだろうとは思うけど。

 

 現在どこかのクラブに所属している人間が、こういった際にオファーを出しているクラブの名前を聞くのはマナー違反という風潮があるから具体的な名称は分からない。ただ、似たような状況を味わったことのある私にしてみれば、大体のところは容易に想像できてしまうんだけど。

 

 ドラフトの一位指名が競合に競合を重ねてしまうと、その対象となった人物は対応がけっこう面倒くさかったり、言葉使い一つとっても非常に大変だったりするものだ。

 そのクラブへ入ります、というような確定的な意味に取られかねない返答はしてはいけない。暗に裏金や賄賂を渡そうとするような話に相手が持っていったとしても、決してそれを肯定するような返答をしてはいけない。他にも各クラブごとに出来るだけ対応が変わらないように務めなければならないとか色々とあるけれど、とにかくなにかと神経質にならざるを得ないのだ。

 だからこそというか、その状態から抜け出したいがためだけに、行く予定もない大学への進学という選択肢がちらりと頭を過ぎっていく、というのも普通にありうる状況なのである。

 

 いくら強くても所詮は高校生。大人のルールに雁字搦めになってまで行く先を急かされるのは、その心に大きな負担を抱える要因にもなってしまう。

 リフレッシュになるかどうかは分からないけれども、ここはきちんと話を聞いてあげるべき場面なのだと理解した。

 

「私の時はね、何処のクラブでも別に構わなかったっていうのもあって、競合したのは八クラブくらいだったかなぁ……かなり面倒だった覚えがあるよ。今は一部リーグのクラブ数もあの頃よりも増えてるし、もっと多いのかな?」

「いまの段階で具体的に条件を提示して貰っているのは、全部で五クラブです。名前は――言わないほうがいいんでしたか」

「うん。明確な規定違反ってわけじゃないけど、在りもしないことを色々と疑われるのも億劫だしね」

 

 ホットコーヒーを一口含み、口の中を潤す。

 

「小鍛治プロはどうして恵比寿を選んだんですか?」

「選んだっていうか、さっきも言ったけど別に何処でも構わなかったから。事前にどこのクラブが良いです、みたいなことは一切言わなかったの。くじ引きの結果に全部お任せして、たまたまアタリを引いたのが恵比寿だったってだけなんだよね」

「そう……ですか」

「すごくバカみたいに思えるかもしれないけど、明確にこれって基準がないんだったら運を天に任せるのも一つの方法じゃないかな。

 いくらこっちが入りたいチームの希望を事前に伝えておいたとしても、宮永さんクラスの子だったらたぶん強引に指名に踏み切る所がいくつも出てくると思うし。そうなると結局くじ引きだからね」

 

 ドラフト制度において、プロ入り志願の書類を提出した選手を『指名する権利』はどのクラブも平等に有している。これはルールに則って明確に定められた厳正なものであり、いくら当人が拒んでいたとしてもクラブ側が指名権を剥奪されるなんて事態には絶対にならない。

 事前に入団拒否宣言をされていても、くじを引けば交渉権は自分たちのみに与えられるわけで。だからこそ、強引に指名を強行するクラブは後を絶たないし、ドラフト制度がある限りそれは誰から非難されるいわれもない、とても正しい行為だと個人的には思う。

 

 もちろんそのせいでせっかくの一位指名枠をムダにしてしまうリスクをクラブ側は負うことになるし、あえて競合しそうな選手の指名を避ける形で独自路線の補強を目指すクラブが多いということもまた事実。

 そのあたりは各クラブの方向性でまちまちだから私にはよく分からない部分もあるけれど。少なくとも多少なりとも理解できている恵比寿というクラブの方針に関しては、確実に『競合しようが何しようが、狙った獲物は取りに行く』というスタンスであると断言できる。

 

「大学に進むことも視野に入れてるの?」

「一応は。でもやっぱりプロに進むのが一番……なのかな、と」

「高卒でプロ入りした私が言うのもなんだけど、きちんとやりたいことがあるなら私は大学進学も十分選択肢の一つに入ると思うけど」

「やりたいこと……」

「うん。なにもドラフト関係の煩雑さから逃げたいだけってわけじゃないんでしょ?」

「……」

 

 ……あれ? ここでは即答で頷くものだとばかり思っていたんだけど。もしかして、図星だったのかな?

 

「ああ。いえ、違います。確かに面倒な事が多くて嫌にはなってますが、そっちではなくて……」

「そっちじゃない、っていうと?」

「……今週末、咲がこっちに来ます」

「妹さんが? ああ、交流戦か」

 

 私の言葉に、宮永さんは黙ったままコクリと肯いた。

 

 

 毎年プロ雀士とアマチュア雀士との交流を目的とした親善試合が行われているのはご存じだろうか。

 普通のアマチュア参加型のトーナメント戦とは違って、出場者側が大会側によって選別されることが大きな特徴となっているこの大会は、その名の通り『プロアマ交流戦』として十一月の中旬頃に開催される。

 

 アマチュア側で選ばれるのはだいたい夏の全国大会(インハイやインカレ)で活躍した選手だったり、麻雀協会がこれまでに開催したアマチュアトーナメントで入賞を果たした人たちだったりするんだけど。

 その中でも特別推薦枠というのがあって、その年の個人戦上位三名に関してはよほど都合が悪い場合でもない限り出場義務が発生する。上位陣ならばドラフトでプロ入りだろうから三年生でも問題ないとの判断なんだろうけど、開催時期といい、普通に大学を目指している受験生にとってはいい迷惑というか、わりときつい大会として有名でもある。

 今年の場合は、宮永咲、宮永照、辻垣内智葉の三名を筆頭に、学年に関わらず今年の夏の大会で活躍したいくつかの高校から選抜された子たちが出場選手として何人か登録されていたはず。具体的な名前はリストを見ないと分からないけど。

 

 逆に迎え撃つプロ側の出場者は、ライセンスを貰って三年以内の新人さんが参加する事が慣例となっていて、二部の選手である私はもちろんのこと、一部のトッププロ連中が参加するようなことはまずあり得ない。

 去年の大会は前年に活躍した靖子ちゃんがその一員として選ばれていたみたいだけど、今年はおそらく去年の新人賞を獲った良子ちゃんがプロ側の目玉選手として出場させられることになるだろう。若手のために用意されたステージ、いわば登竜門のような大会であり、プロとしてアマチュアに負ける事が許されないという重圧をきちんと跳ね返す事が出来るか否か――という試金石的な意味もある。

 

 逆に、高校生以外のアマチュア選手側にとってはドラフト前に自分の実力をアピールする絶好にして最後のチャンス。意気揚々と乗り込んでくる大人たちと義務で参加する高校生たちの間の温度差はけっこうなものがあり、たまに必死すぎて引くこともあるほどらしいけど……まぁ、自分より上のカテゴリーの相手と本気で戦うことを強く望む人にとっては有意義な大会といえるんじゃないかな。

 

「今年の個人一位になったあの子は、そのアマ側の選手の一人に選ばれた。そしてそれは私も同じ」

「うん。アマチュア選抜の選手同士がってのは珍しいけど、もし卓を囲むことになったら個人決勝卓の再戦ってことになるね」

「私は――気持ちの上できちんと咲とのことに区切りを付けておかない限り、ちゃんとプロとしてやっていくことができないような気がしています。どんな形になるにせよ……決着を」

「……ああ」

 

 節目となる時期にそういった区切りを欲する気持ちというのも分からなくはない。

 

 麻雀という競技に関わらず、大抵の競技で勝敗というのはその試合でのみ効果を発揮する。

 普通は一度負けたからといって常に同じ相手に負け続けるということには決してならないし、取り返せない敗北というのはあまりない。

 ただ、試合ごとの重要性というか、認識というのはまったく違う。一度奪われた絶対王者の肩書きはたとえ次のなんでもない試合で勝利しようと奪い返すことはできないし、練習試合(エキシビジョン)の一勝と公式戦決勝卓での一勝では、重みがまるで異なるというのも当たり前な話。それはきっと、数多の戦いを超えて王者に君臨し続けてきた彼女ならば理解している道理のはず。

 でありながら、彼女が漏らしたその心情を整理するならば。

 

 たとえ歩み寄るきっかけを得たとしても、ここまで拗らせているとしたらもはや当事者の二人だけでは解決できない問題になっている可能性もある。

 清澄側の宮永さんがわりとこの問題に関しては楽観的に構えているのに比べ、こちらがそうではないように、二人の間にはいまだ詰め切れていない感情の温度差があるようだし。

 第三者――できれば双方をよく知る人物か、逆にまったく把握すら出来ていない空気の読めない人間を間に挟むかしなければ、お互いに前に進めないということもあるのだろう。

 

 彼女に真実必要なのは、一度の勝利か、あるいは二回目となる敗北か。

 ただ一つ推測できることは、実際に欲しているものはそのどちらでもなく、妹へ対して抱いてしまった蟠りを解くための、小さな小さな一切欠――なのかもしれないということ。

 

「……」

 

 無表情の上に無感情にも映る紅玉色の瞳で、じっと私のことを見る宮永さん。

 まさかその役割を私に望むような無謀なことを考えているわけではないだろうに、いったい何を考えているんだろう?

 そんな私の抱いた心の内の疑問に答えを紡ぐべく、彼女はその重い口を自ら開く。

 

「小鍛治プロの目から見て……私は、今のあの子に勝てますか?」

 

 それは、かつて絶対王者と謳われた少女の口から洩れたとは到底思えないような、か細く、風に溶けて今にも消えてしまいそうなほど弱弱しいものだった。

 

 

 

 

 ――その数日前。

 

 高級グランドホテルの一室にて一泊した後、例の企画の打ち合わせと称して行われた雑談の中でこんな提案を受けた。

 

「ええと、つまりはどういうこと?」

「向こう側の要請でね。これまでの物語展開型の取材とはちょっと趣向を変えてみることになってるんだ」

「それが取材拒否とどう関わってくるの?」

「拒否ってわけじゃないんだってば。ただ、やるなら宮永照個人への密着取材にしてもらえませんかってだけの話でね」

「……むぅ」

 

 それって結局、細かい部分にまで突っ込まれるのがイヤだから適当にお茶を濁そうっていうのと何が違うんだろうか?

 そりゃ強豪と呼ばれるような高校にはそれぞれに、長い年月をかけて培ってきたノウハウというか専売的なやり方があるんだろうし、それをタダで公に大公開する内容の取材だと二の足を踏むこともあるだろうけれど。取材の許可を部活動を引退した宮永さん周辺に絞るというのはどうにも厄介払いの意図が透けて見えすぎじゃないかな。

 

 そんな感じで、少し反発を感じる部分も無いわけではない。

 その反面、ここ三年間で白糸台高校が達成してきた数々の栄光は、実質彼女――宮永照によって齎されたものだと言っても過言ではないわけで。そこに焦点を当てて取材をするというのは実に理に適っているともいえる。

 

「うーん、でもそういうことなら基本的に資料を見て批評するしかなくなるんだけど。それだとあっちにデメリットだらけな気もするけどなぁ」

「デメリット? なんで?」

「だってさ。これまでって実際にその子たちと顔をあわせてから話をする、ってスタンスだったじゃない? そうなるとやっぱり情も移るし、どこかで歯止めも利くんだけど……」

 

 選手個々の繋がりとでもいうか、背景みたいなものをまったくの慮外に追いやって、紙面上の情報だけを元に評価を下すというのは容易である。

 容易であるが故に、資料という無機質なものとにらめっこをした状態で話をし始めると、おそらく否定的な見解の部分に歯止めがかからなくなってしまって毒舌どころの騒ぎじゃなくなりそうな気がするのだ。

 

「……歯止め、利いてたっけ?」

「効いてたの! もう、こーこちゃんはすぐ茶化すんだから……それでね? そうなってくると褒められる要素ってたしかに宮永さんくらいしか無いんだけどさ……それって宮永さんが抜けちゃう白糸台に取ってはマイナスでしかないよね」

「ふんふん、なるほどなるほど。すこやんの言い分はだいたい理解したよ」

「よかった。だから、できればきちんと取材を受けてもらって、話を聞いたうえで番組を作った方がいいと思うんだけど」

「むむ、たしかにそれは一理ある。さすがはすこやん、いつでも仕事熱心で大人の鑑だね!」

「おかげさまでね……」

 

 その原因の半分以上は相方に問題があると思うんだけど、そこはやっぱり華麗にスルーなのだろうか。

 

「でもその前にさ、ちょっとその体でやってみようか? それからこの話のまま進めるか再考するかどうかを考えてみよう」

「やってみるって、ここで?」

「そそ。小鍛治プロに聞く『白糸台高校』とは? って感じで――ハイ!」

「はい、って……まぁいいけど」

 

 

 強豪とは、勝つことを義務付けられた存在のことをいう。

 故に勝てばさも当然のように扱われ、負ければボロ雑巾のように叩かれる。

 清澄、阿知賀、宮守女子といった所謂ダークホース的な存在が一つの試合を勝ち残るたびに賞賛を浴びるのと正反対に、これらの高校はどの段階であろうとも負けることが簡単に許されるなんてことはない。

 

 長野県大会における風越女子、奈良県大会における晩成高校。全国大会では二回戦で散っていったシード校の永水女子、準決勝で消えた新道寺女子、姫松、千里山女子。いずれも地元では強豪校と呼ばれる高校であったにもかかわらず、全国前あるいは決勝前に姿を消していて、大会後には少なからず関係者から非難の的にされたという。

 しかし、そういった意味で最も過激な論調で否定的に扱われた高校があるとするならば。それはおそらく戦前の予想で『史上最強』と謳われていた、かの高校ではなかったろうか。

 

 ――西東京都代表、白糸台高校。

 

 個人戦連覇中の宮永照を筆頭に、同校史上最強のメンバーを揃えた万全の状態で夏の全国大会三連覇へと挑む。そんなキャッチフレーズが紙面を賑わわせていたのも遥か遠い昔の出来事で。

 団体戦では三位止まり、個人戦においても絶対王者の宮永照が無名の一年生に破れるといった波乱もあり、結果無冠のまま大会を終えるという事前の予想からはかけ離れた成績だったという事実は、少なからず期待をしていた人々の心に、失望というマイナスのイメージを強く植えつけてしまった。

 期待が高ければ高いほど、それが裏切られた時の失望感は強く高く積み上げられてしまう。

 

 さすがに選手たち個々を標的とした中傷は少なく、むしろ大会直後は健闘を称える声が多く聞こえてきた。それでも学校そのものに対しての地元マスメディアの論調は、手のひらをくるりと翻したかのように些か厳しいものが多かったように思う。

 

 ただ間違えてはいけないのは、白糸台高校はたしかに各地に遍く存在する強豪校の一つではあるが、決して全国大会の常連校ではないということ。

 十年以上もの間連続出場を果たしている同じ東京都の東側代表である臨海女子や北大阪の千里山あたりとは比べるべくもない、強豪校の中でもぱっとしない、所謂中堅レベルに留まる程度の実績しかないという事実をきちんと認識しておくべきだ。

 

 それこそそういった点においては今年は破れてしまったとはいえ、長野の風越女子や奈良の晩成高校のほうが遥かに多くの経験を積み、ノウハウを蓄積しているだろう。

 同校が目に見える形で台頭してきたのはここ三年の話であり、その事実が示しているのはそれらの栄光がすべて……とはいわないまでも、ほぼ『宮永照』という一人の少女の存在によって勝ち得た薄っぺらいものでしかないという現実。

 一人の超高校級の選手におんぶに抱っこの状態で勝ち続けて得た実績は、免許を取ってから十年まったく車に乗っていない運転免許取得者(ペーパードライバー)にゴールド免許をドヤ顔で見せられた時と同じくらいの参考程度にしかならない。

 

 故にかどうかは知らないけれど、監督の采配、選手の選抜方法などの根本的な部分がすごく甘いのは見ていて思う。

 もっとも、それらの科白は私が高校二~三年生だった頃の土浦女子にそっくりそのままブーメランで戻ってきてしまうので、あまり大きな声では言えないんだけど。

 

「おおう……すこやん白糸台に関してけっこう辛辣だね。何か直接的に恨みでも?」

「ないよっ! でも、準決・決勝と強敵揃いだったとは言っても宮永照っていう規格外の選手がいたんだから白糸台が圧倒的に有利だったのは間違いないと思うんだよね。それでも勝てなかったのは選手の問題ももちろんあるけど、大元は監督の問題なんじゃないかなって」

「あー、前に取材した他のプロも似たようなこと言ったわ、そういえば」

「それだけみんな白糸台には三連覇を期待してたってことだと思うよ。失望は期待の裏返しっていうしね」

 

 

 特に今年の成績に関していえば、宮永さんがいなければ準決勝敗退は確実だったと断言できる。

 事前の評判では史上最強の呼び声すら高かった『チーム虎姫』とは、一体なんだったのか。阿知賀や清澄と言ったダークホースの健闘を称える声がある一方で、白糸台がふがいなさ過ぎ、あるいは拍子抜けしたという旨の発言を漏らす関係者も決して少なくはない。

 

 蓋を開けてみれば二回戦以降は先鋒戦を除き常に後塵を拝する結果となっているのだから、そう言われてしまうのも仕方が無い部分はあるのも事実であり。正直なところ、それは実際に戦った選手がどうこうというよりは、レギュラーメンバーに件の五人を選抜した監督の手腕にこそ問題があったんだろうと私なんかは思ってしまう。

 

 聞けば、白糸台ではどうやら単純に部内の実力トップ五に入る選手をレギュラーに選ぶのではなくて、異なるコンセプトを持たせたいくつかのチームを形成し、それを戦わせた上で最も成績の良かったチームをそのままそっくりレギュラーチームとして採用する、なんて手法が採られているという。

 

 いやまぁ、それが白糸台高校における伝統的な選抜方法であるならば私が口出しするようなことではないのかもしれないけど……。

 思うにそれって、どのチームにあってもたった一つの要素『宮永照』が加わった時点でそこがレギュラーチームになるということではないのかな? 公平性なんてどこにも存在しない、とても馬鹿げた選び方だと思うのは私が部外者だからだろうか。

 そもそも他のチームの子達はそれで実力不足で敗れたと納得できているのか否か。宮永照を除いた四人が他のチームに大差で無双できるならばともかく、夏の大会を見る限りでは穴だらけでとてもそうとは思えない。所々で不協和音を奏でていそうな部内の様子が純粋に気になる部分でもある。

 

 それを含めて、白糸台高校の戦略ははっきり言って稚拙に過ぎたと断言せざるを得ないだろう。

 

 準決勝・決勝での戦いを見てみると分かるけど、今年度の白糸台の基本的なゲームプランは、宮永さんを大将から先鋒に配置転換した時点で何を置いても『先行逃げ切り』、これに尽きるはずだった。

 先鋒の宮永照が稼いだ膨大なアドヴァンテージを、後ろの四人で守り抜く。

 抜きん出た選手を抱えるチームのコンセプトとしては至極当然な流れであり、たぶんほとんどの人間がそこに文句をつけるようなことはしないだろう。

 問題は、後ろの四人がそのコンセプトを正しく理解していたのかどうか? という点。

 

 いやそもそも、監督自身が理解していたかどうか? と問うほうが正しいのか。

 

 二軍ですら全国クラスと称される白糸台にあって、伝統的なチーム選びの前提を慮外に置いて考えた時、この五人でなければならない理由が何処にあったのか?

 逃げ切る事が大前提のチーム編成において、後ろの全員が火力特化の防御無視タイプであったことについて、まずはそこから否定的な見解をしてしまう部分は確かにある。

 

 たとえば中堅の渋谷さん。彼女は永水女子の薄墨さんと似ている『特殊なレシピによって成立する一発の役満で収支をひっくり返す』タイプの超火力特化型である。だけど全国準決勝クラスの相手ともなればそう易々と狙い通りに展開が進むということにはまずならない。

 実際に準決勝では役満を和了してはいるものの、それまでのマイナスが大きすぎてほとんど意味無く終わってしまっていたし、その上決勝では三校の徹底的な場の早流しによってそもそも役満なんて聴牌させて貰えてもいない。

 

 中堅の役割は、状況判断をきちんとすること。リードをしている場面においてはリスクを最低限減らす打ち回しで副将へと繋ぎ、他校の背中を追いかける試合展開であればその差を極力縮めるためにある程度勝負をかけるという判断も必要になる。しかし前のめりになりすぎてはいけない。

 故にここは試合巧者が配される事の多い位置であり、火力特化型を置くことのリスクは思っているよりも高いのだ。判断力、攻撃力、防御力と総合的な能力を加味した上で、メンバーを例の五人から一切変更しないというのであれば、せめてここには安定した強さを有す弘世さんを配置すべきではなかったか。

 

「じゃあすこやんはさ、もし弘世さんが中堅だったら準決勝も白糸台が一位抜けだったと思う?」

「ううん、これはそんな単純な話じゃなくて……当たり前だけど、麻雀って自分たちだけでやってるわけじゃないからね。セオリーを無視することもある程度は必要だろうけど、メリットよりもデメリットが大きくなるような奇策は止めとこうよって話」

「ふーむ……ここまで聞いてる限りだと、采配に批判が集中してる感じ?」

「そうだね。選手個々の問題点と、戦略とか戦術部分の欠陥はきちんと分けて考えるべきかなと思ってる」

 

 まぁ任された仕事の内容をきちんと把握できていないのは選手側の問題なんだけど。

 

 出来る限り好意的に解釈をするならば、あるいは「守りきれれば途中経過は問わない」という確固たる信念の元で行われた采配である可能性は捨てきれない。防御を固めて失点を極力抑える打ち手であろうと、それまでの失点を最終局(オーラス)一発の役満で回復してみせる打ち手であろうと。選んだ選手がどちらであっても、最終的な収支結果が同じになるのであればさして問題はないという乱暴な見解もできるのだから。

 

 しかし、それは先行逃げ切りを目指すにしてもあまりにもハイリスクすぎる考え方だ。三連覇を目指す絶対王者として参戦する程の高校が、そんなギャンブルにも似た選手選考をする理由こそが見当たらない。

 

 また大将についても同じで、先行逃げ切りを目指すためにもきちんとクローザーとして試合を締められるタイプを配置すべきだった。

 けど実際にその座に座っていた大星さんは、どちらかというと点数の調整を考えずに自分の思うがまま打ちたいように打つタイプであって、戦術との適正でいえば真逆の打ち手であったといえる。もっとも、他に適材がいたかどうかと問われれば……まぁ、代案はあれど代役はいない、というところだけど。

 

 その大星さんに関してちょっと触れるとすれば、攻撃面に関しての才能にはたしかに一目置ける部分もあった。ただ、彼女もまた能力依存度が極端に高いためか、圧倒的に状況判断能力が足りていない。

 不測の事態を考えれば大将にある程度の火力を持った人物を配置しておくというのは決して間違っているわけでは無いんだけど……それを差し引いても、点数が均衡している接戦の状態でムダなリーチをかけて「点棒くらいくれてやる」的な迂闊な態度はちょっとどころかかなり拙い。

 一年生で即レギュラー入りというのは将来頼もしい存在だとは思う反面、終わってみれば経験不足の面が顕著に現れた成績だったことを考えると、一年生の頃から圧倒的な強さを誇っていた宮永照の後継者というにはちょっと物足りなさを感じてしまうというのが正直な感想だった。

 

 

 ――というように、いちいち配置に問題点が浮上してくるのはもはや采配ミス以前の根本的な方針とその方向性の問題だろう。選手個々の特徴をきちんと把握していたかどうかも怪しいものだ。

 都大会クラスの相手ならば問題なく蹂躙できるのかもしれないが、今回の采配はもはや全国各地から精鋭が集う場を舐めすぎであるとしか言いようがない。

 

 攻撃は最大の防御を地でいくようなオーダーといい、強力な武器を持つが故の落とし穴といえば言い訳にはちょうどいいかもしれない。ただ、二連覇を達成しているという慢心からくるものだと思うけど、仕事もしない監督に存在意義などありはしない。

 

 逆に新道寺女子の監督はそういう意味で実に良い仕事をしていた。先鋒にあえて防御特化型(すてごま)の選手を送り込み、ダブルエースを後半で並べて投入する。宮永照個人の規格外すぎた傍若無人っぷりや、当初は眼中になかったであろう阿知賀の存在が最後まで響いたこともあり、紙一重で圏内に届きこそしなかったが、その意図である『対白糸台用戦術的オーダー』というものがはっきりと見ているこちらにも伝わってきた。

 このあたりは『追う立場』と『追われる立場』としての違いが明確に出ている部分ともいえるけど。副将、あるいは大将戦における両校の戦いぶりをみてみれば、戦術としてどちらが優位だったのかは明白だ。

 

 それでも面白いのが、きちんとした対策を講じて念入りにプランを立てていたであろう側の新道寺が破れ、白糸台が決勝へと進んだという事実。中盤以降の展開は王者が力でねじ伏せたと言うには圧倒的に迫力不足に過ぎるとはいえ、結果を残した時点で白糸台は新道寺よりも〝優れている〟と言われてしまうのが、勝負の世界の常であり、無情なところでもある。

 

 

 以上の点から、今年の白糸台の成績に関しては、単純に絶対王者という戦術兵器の上に胡坐をかいた采配における、実に妥当な結果が出ただけだと私は思っている。

 だから普通の論調で三位という成績がいかにもその実力に見合っていない拍子抜けしたものであるかのように取りざたされたりするけれど、そんなことはない。実に妥当な結果であると。

 大事なことだからあえて二回言ってみたけれども。

 それどころか、最終順位で臨海女子を上回った時点でよくやったと褒めるべき内容だったと言っていいんじゃないかな。

 

 

「――っていう感じになるけど、どうかな?」

「オッケー、わかったみなまで言うな。ここは責任を持って私がきちんと取材できるよう相手側と交渉してみるよ。だから本番ではもうちょっとマイルドにお願いします、小鍛治プロ。どうかこの通り」

「……えー」

 

 珍しく心底疲れたような深いため息を吐きながら、こーこちゃんが言う。

 そんなに厳しめなことを言っただろうか? と首を傾げる私とは実に対照的な光景で。

 いったいどんな手品を用いたのか。それからしばらくした後に『旧・チーム虎姫』ごとの取材許可が下りて、無事取材に向かうことになったんだけど。

 

 

 結局取材のために白糸台高校へと訪れたのは、交流戦が行われる前日のこと。取材班を待ち受けるようにして正門前で佇んでいた生徒たちに声をかけた。

 宮永照と弘世菫。まさかのチーム虎姫最上級生二人によるお出迎えである。

 

「宮永さん直々にお迎えなんだ。弘世さんも、わざわざありがとう」

「はい。先日はお世話になりました」

「こちらこそ、高名な小鍛治プロにご足労頂きまして、光栄の至りです。福与アナも、ようこそ白糸台へ」

「ほへぇ……白糸台ってなんかすごいね。敷地広すぎ」

 

 ポカンと背後の校舎を眺めるこーこちゃん。挨拶くらいはきちんとしようよと心の中で突っ込むものの、その感想には同感だ。

 

「初めて来られた方はそう言います。校舎の中もけっこう広いので、迷子にならないよう気をつけてください。では、部室棟のほうへ行きましょう」

 

 何故か迷子に云々のところでちらりと宮永さんのほうを向く弘世さん。視線を向けられた当人は特にこれといったリアクションを返すことも無く、その後ろについていく。

 ……そういえば、長野の宮永さんも迷子スキルを所得していると言っていたっけ。

 もしかしてこの姉妹、実は凄く似たもの同士なんじゃないの……?

 そんな疑念がむくむくと私の中で膨れ上がってきた頃、「ああ、そういえば」と言いながら先頭を歩いていた弘世さんが振り返り言った。

 

「ウチには、ちょっと礼儀を弁えていない後輩が一人いるので……先に謝っておきます。失礼なことを言ったりすると思いますが、すみません。バカなので大目に見てやっていただけると助かります」

「あ、わかった。それって大将だった大星さんでしょ? あの子けっこう愛すべきおバカ系だってインタビューした同僚からも聞いてるし、大丈夫だよん」

「さすが福与アナ、よくご存知で」

 

 即答するこーこちゃんもだけど、弘世さんもそこは少しは躊躇おうよ。はっきりとバカって言っちゃったし。

 でも、それを聞いて密かに気になるのは、清澄の片岡さんみたいな子犬系なのか、阿知賀の松実さんみたいな天然系なのか。いったいどっちの系統なのかということだ。

 前者だと餌付けで何とかなりそうだけど、後者はなぁ……。

 

「淡は空気読まないけど言動は可愛い。菫はあの子に厳しすぎる」

「そうか? 身内の中でならまぁ許されることでも、部外者の、しかも目上の人たちに無礼を働くのはさすがに看過できないだろう。釘を刺しておいたとはいえ、都合の悪いことに関しての記憶力は鳥並みだからな……」

「私が何とかするから平気。任せて」

「む……わかった。だが一緒になって暴走だけはしてくれるなよ。いくら私でもそうなるとさすがに手に負えなくなるからな」

「付き合いも長いのに菫は私を何だと思ってるの?」

「三年間見てきたからこそその可能性を危惧しているんだろう。特にお前はお菓子絡みだとすぐ暴走するじゃないか」

「……」

 

 あ、そこは否定しないんだね。宮永さんが大のお菓子好きという情報は本当だったのか。

 

 しかし、私と話している時とは真逆のぞんざいな態度で宮永さんが弘世さんと話をしているのを聞いて、不思議に思うことがあった。

 あの不安定に見えた、相談を受けた時の『宮永照』は、本当にこの子だったのだろうか? と。

 いま見る限りでは、特に変わった様子は見受けられない。カメラの前で屈託のない笑顔を見せる『いつも通りのチャンピオン』とは印象が少し違うものの、落ち着いているその姿からは不安の二文字を読み取ることなど出来ない。

 であるならば、あの時に見せていた揺らぎは一体――。

 

「すこやん? てるてるの背中をジッと見つめちゃったりなんかして、どったの?」

「ん、別になんでもな――てるてる?」

「可愛いっしょ」

「……なんか窓際に吊るしておけばゲリラ豪雨の積乱雲でもきっちり吹き飛ばしてくれそうな感じがするのは気のせいなのかな」

「噂のトルネードツモとかいうやつで? あの子なら普通に出来そうだから困るよねー」

「将来気象庁に就職する以外道はないよね、そうなると」

 

 実際にそんなことが出来ようものならきっと引く手数多だろうけどね。

 

 それにしてもまたメンバー全員に変なニックネーム付けていくつもりか、この子は。もしかして私が知らないところでそういったのを考えるコミュニティみたいなのがあるんだろうか? 謎は深まるばかりである。

 

「まー冗談はそのくらいにしてさ。さっき、何か考えてたっしょ?」

「ああ、うん、まぁ……でも本当、たいしたことでは無いから」

 

 言葉を濁しながら会話を切ると、こーこちゃんはそれ以上追求してくることはしなかった。

 

 

 

 宮永さんとファミレスで話をしてから白糸台高校へ訪問することになるまでの数日間、考えていたことがある。

 これまで多くの対局者の敗北と屈辱を引き替えにして積み上げられてきた勝利と名声は、本当に彼女が心底欲していたものだったのか?

 いくら負け慣れていないからといっても、たった一度限りの敗北でそこまで簡単に精神がブレるような弱い子だとは思えなかった。実際に、たぶん別の人物に敗北を喫したとしても彼女はそれを勝負の常と飲み込んで、ほとんど気にしたりしないはず。

 

 文字通りたった一度の敗北が精神的なダメージを負わせている要因。

 ただ、それをやってのけたのが彼女の高く積み上げられた自信も自尊心も根本からへし折ってしまえるこの世でたった一人しかいない、唯一の相手だった……というのは皮肉に過ぎる巡り合わせとでもいうべきか。

 抱えていた確執のこともあるし、姉という立場もある。

 宮永照がおそらくこの世で唯一絶対に麻雀で負けたくなかったであろう相手、それがきっと妹の宮永咲だったに違いない。

 

 これまでに培ってきた技術と実績が、たった一つの目的の為……つまり、その妹に負けないための意地や自尊心をかけた頑張りの果ての副産物だったとしたら。連覇を果たし、王者の称号を手に入れてもなお打ち消せない幼い頃に植え付けられた妹の残像が心の中に巣くってしまっているとしたら。

 あろうことかそれが実体を伴って、半年程度の経験でそれまで自分が必死に築き上げてきた壁をあっさりと乗り越えてきたとしたら――。

 

 ――なるほど。

 宮永照のアキレス腱、自分よりも遙かに()()妹に対するその潜在的な劣等感が解消されなければ。彼女にとっての麻雀そのものが『妹から逃げるための手段』でしかない限り、たしかにその部分に決着をつけないままでプロ入りしたとしても、クラブが望むほどの成績はたぶん残せないだろう。

 

 

 あと、この問題で特に厄介なのが、相手側にまったく敵対意思が見られないことだ。

 妹のほうの宮永さんは、姉に和解するための対話を望むべく牌を手に取ったと聞いている。敵対相手どころか友好を強く望んでいる立場であって、麻雀をその媒介に選んでしまっただけのこと。まぁ、ある意味ピンポイントで姉に的確にダメージを与えられる対話形式を選んでしまったわけだけども。

 お互いの認識のギャップというか、構って欲しくてじゃれついている子犬に対して、じゃれつかれている相手は犬好きだけどアレルギー持ちでできれば近寄って欲しくない。そんな関係のように見えてしまう。

 

 まずは妹さんのほうの認識を改めないとダメっぽいなぁ。何でもかんでも麻雀に頼るのは別に構わないけれど、今回ばかりは吉と出るか凶と出るかさっぱり分からない。

 夫婦喧嘩は犬も食わぬというけれど、姉妹喧嘩の場合は誰かがきちんと処理してくれるんだろうか?

 

 なんだか既に余計な手荷物をいくつも持たされてしまった感が拭えないまま、後に『口は災いの元』との謗りを免れる事が出来ない状況が待ち受けている、この二日間が始まった。




照の無双っぷりと阿知賀の決勝進出という、二つの展開上の都合を一身に背負わされてしまった後ろの四人にはもはや悲哀しか感じられぬ……でもたかみーはとても可愛いと思います。
次回、『第20局:斜陽@〝偶像〟と〝英雄〟の境界線』。ご期待くださいませ

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