すこやかふくよかインハイティーヴィー   作:かやちゃ

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第18局:迷家@少年が持ち帰る富貴のカケラ

『……』

 

 ふと。暗闇に沈んでいたはずの頭の中に光が灯る。

 意識が眠りの底から覚めたのだという認識はきちんと自分でも持っているつもりではあるものの、それでいて瞼を持ち上げられるほど甚大な決意はいまだ夢の中でアゲハ蝶よろしく彷徨っているらしく、自らの意思で光を取り入れるまでには到らない。

 有り体に言ってしまえば――すこぶる眠かった。中途半端に覚醒してしまった自分が憎く思えてしまう程度には。

 もう少しだけでもいいから、眠りに就いていたんだという確固たる証が欲しい。

 自分の体温で温もっている布団の、なんともいえない柔らかな春の日差しにも似た心地よさを満喫しつつ。そんなことを思いながら再び意識を手放すべく努力を試みる。

 

「……さい」

 

 うっすらと聞こえてくるのはお母さんの声だろうか?

 お仕事がお休みの日に昼過ぎまで寝過ごしてしまった私をいつも起こしてくれるのはお母さんだし、声の柔らかさもよく似ているような気がするし。たぶんそうだろう。

 でも、何かこう……どことなく違和感を覚えてしまうような……?

 

「……てください」

「んー……もうちょっとだけ寝させて……んっ、昨日遅くて……」

「――やべぇ、なんか色っぽ……っていやいや、さすがにまずい。起きてください――」

 

 ……うん? お母さん今何か言った?

 ふわふわとしている意識の中で、何かが隅っこのほうに引っかかったような気がする。えっと、なんだったっけ……?

 ……まぁいいか。とりあえずあと五分だけ。いや十分だけでいいから今はただ黙って眠らせて欲しい。

 

「って時間増えてんじゃないすか。はぁ……十分経ったらまた来ますからね?」

「うん……ありがとー……おかーさん……zzzz」

 

 いつもと比べてやけに物分りが良い気もするけれど。とにかくこれで眠りを妨げる者はいなくなったということだ。

 せめて許された十分間だけでも快適な眠りに身を委ねるため、私は即座に意識を闇の中へと放り投げた。

 

 

 二度寝というのはどうしてああ気持ちが良いんだろうね。

 たかが十分、されど十分。この差は如何ともし難い程のスッキリ具合を伴って、目覚め後の世界を受け入れやすくしてくれる。

 それが言い訳になるとは思っていないものの、十分後にきっちりとこーこちゃんによって叩き起こされた私は早々に着替えを済ませ、顔を洗ってから熊倉先生が手ずから用意してくれた朝ごはんを食べていた。

 

「ところでこーこちゃん。最初の時によく二度寝を許してくれたね?」

 

 私はてっきり問答無用で叩き起こされると思ってたんだけど。さすがに普段の行いを省みてのことなのか、多少の睡眠時間を確保してくれるくらいの仏心は持ち合わせていたということか。

 だけど、私がそう言うとこーこちゃんは何故かバツが悪そうに視線を逸らして苦笑した。

 

「いやー、最初に起こしに行ったのって私じゃなかったんだよねぇ」

「……うん? もしかして宮守の子達に頼んだの? じゃあれってエイちゃんだったのかな」

 

 そういえば寝ぼけ眼の向こう側にうっすらと見えたのは金色の髪だったような気もする。

 あれがエイスリンだったとしたら、懐いてくれている子に対してちょっと大人として情けない所を見せてしまったような、切ない気分に……。

 ……あれ、ちょっと待って。確かこのお家にはいま、もう一人金髪の子がいたような……?

 ギギギと錆付いた扉を開く時のような擬音を背景に、不安に彩られていく表情そのままこーこちゃんへと向き直る。

 

「ん。なんか暇そうだったからマリーちゃんに行ってもらっちった☆ えへ☆」

 

 ――ピシリ。音を立てて箸を持ったままの身体が綺麗に固まった。

 

 てことは何? 寝ぼけてるところも寝顔も寝相が乱れてるところも全部見られちゃったってこと……?

 え? 京太郎君に? ウソでしょ?

 

「まぁまぁ。いちおうウィッグ被って行ってもらったし、マリーちゃんの枠内でのことだからね。セーフセーフ」

「せっ、セセセセセセセーフなわけないじゃん!? 何考えてんの!? 馬鹿なの!?」

「どうどう、ちょっと落ち着きなってば。中学生じゃないんだから」

「これで落ち着いていられるなら彼氏いない歴イコール年齢なんてやってないよっ!」

「ちょ、すこやん。テンパリ過ぎて物凄いことカミングアウトしたからね、今」

 

 何その凄いことって――ハッ!?

 

「あ、あわわわわわ……」

「むぅ……可愛いけどあざとい。あざといけど可愛い。どうしてくれようかこのアラフォーめが」

 

 アラサーだよっ! といういつものツッコミを入れるのをついつい忘れてしまうほど、この時の私の脳みそはほぼパンク状態だったといっていい。

 なんとか落ち着きを取り戻してもそもそとご飯を食べ終わった頃には、まだ起きたばかりだというのに既に干乾びた老婆の如く疲れ果てていた。

 

 

 歯磨きを済ませ、シャワーを借りる許可を家主に求めるため熊倉先生がいるとの情報を元に台所に赴くと、そこに最大級の核地雷も一緒に置いてあった。

 

「おや健夜ちゃん。朝ご飯はもう食べ終わったの?」

「――あ。おはようございます、師匠」

「う゛え゛!? あ、う、うん……その、オハヨウゴザイマス……」

 

 さっきの今だとさすがにバツが悪すぎる。

 肩身をちぢ込ませてもじもじしていると、呆れ顔の熊倉先生がこれ見よがしにため息を一つ。

 

「まったく。貴方もいい年なんだから一回りも下の男の子に寝ているところを見られたくらいで動揺しすぎじゃないかねぇ。まぁ、あれだけ寝相が悪いと師匠としては格好が付かないってのは確かにそうかもしれないけど」

「うっ……」

「ほら。京太郎もなんとか言っておやり。そもそもの原因なんだから」

「ちょ――トシさん、そこで俺に振るのはやめてもらえませんかね!?」

 

 慌てている京太郎君の態度を見るにつけ、やっぱりよほど見苦しいものがあったんだろうと顔が青くなっていく。

 師匠としては当然のこと、大人の女性としてもそこは保っておきたい矜持というか威厳というか体面というか、そういうものがこれまでは紙一重で守られていたはずなのに……って、いつの間にかお互いに名前で呼び合ってるんだけど。この二人、いつの間にそんな親しい感じになったんだろう。

 昨晩までは確か普通に須賀くん熊倉先生と呼び合っていなかったっけ?

 

「おやおや、そんなポカンとした顔をするなんて珍しいね。京太郎は健夜ちゃんの弟子。なら私にとっては孫みたいなものでしょう」

「孫っすか」

 

 年齢的にはたしかに適齢かもしれないけど、孫っていうのはどうなんだろうか? それだと京太郎君は私の息子ということになると思うんだけど。戦国時代の頃ならともかく、現代において二十七歳の身空で高校一年生の息子を持てば妊娠した時点でニュースになること請け合いである。

 って、現実逃避をしていても仕方がないか。どちらにしろ失ったと思われる威厳や尊敬を挽回しておかなければ後の指導にも響きかねないし。

 弁明……にはならないにしても、きちんと話をしておかなければ。

 

「あ、あのね……ゴメンね、寝ぼけて変なところ見せちゃって……」

「こっちこそすみませんでした。福与アナにどうしてもって頼まれたとはいえ、女性の寝室に勝手に入るような真似を……」

「ううん。起こしに来てくれたんだから、それはいいよ。でも、出来れば前もって言っておいてもらえると……」

「そ、そうっすね。次からはそうします――って次なんてないっすよね! あは、あははははは……」

 

 お互いにからからと乾いた笑いを交わす。暗黙の了解というか、あれは無かったことにしようと二人の間で交渉が纏まった瞬間だった。

 

 

 お風呂から上がって身支度を整えてから居間の隣の大部屋へ向かうと、そこには宮守の子たちが群れを成して集まっていた。

 全員がテーブルを囲いつつ、一冊のノートを前にああだこうだと議論を戦わせているところのようだ。

 はて。全員揃って受験勉強でもやっているんだろうか?

 

「あ、小鍛治プロ。おはようございます」

「「「おはよーございます」」」

「オハヨウ、スコヤ」

「うん。みんなおはよう」

 

 きちんと挨拶ができる子ってやっぱりいいよね。うん。

 

「みんなで集まって勉強?」

「いえ、これは――あー、一応これって小鍛治プロに断っておいたほうが良いのかな?」

「師匠だし、そのほうがいいかも」

 

 こそこそと話しているようだけど、距離がさほど離れていないから会話の内容は丸聞こえだった。

 師匠という単語が聞こえてきたということは、京太郎君がらみの案件と考えて間違いは無いだろう。

 

「実は、昨日の対局で私たちが気づいた所とか思ったことをノートに纏めて須賀くんに渡してあげようかと思いまして。あと牌譜も」

「変な期待背負わせちゃったし、少しでも役に立てたらいいかなって!」

「餞別みたいなもの……かな」

「へぇ」

 

 そんな素敵なものをお土産に持たせてくれるというなら、願ってもない申し出である。

 いろいろな方面からの指摘は助かる部分も多い。もちろんきちんと書かれている情報を取捨選択して混乱を助長しないよう務める必要はあるだろうけど、彼女らの心遣いを受け取らない理由なんて何処にも無いのだし。

 熊倉先生にしてもそうだけど、なかなかどうして。彼は人に愛される才能でも持っているんだろうか?

 

「渡してあげても良いですか?」

「そういうことなら。うん、ぜひ渡してあげて」

「ありがとうございますっ! 須賀くん喜んでくれるといいなー」

 

 心配しなくても、喜ばないわけが無いと思う。昨日初めて顔を合わせた、全国大会で敵同士だったはずの子たちが、自分のためにまさかそこまでしてくれるなんて彼はきっと思ってもいないだろうから。

 

「あ、そうだ。実はそれとは別件で小鍛治プロに聞いてみたい事が一つあったんですけど、いまお時間大丈夫ですか?」

「――うん? 時間は特に問題ないけど……なにかな?」

 

 エイスリンから差し出された座布団に座って、半円を描くように集まった全員に向けて承諾の意を返す。

 代表で話をはじめた臼沢さんの言うところでは、

 

 このメンバーの中で、あるいは今すぐにでもプロ入りして活躍できる子はいるのか否か?

 

 つまりこういうことらしい。

 もちろん正直に話してあげたほうが良いんだろうけど……何かしらこうポキッと折れたりはしないだろうか。それだけが心配だ。

 

「うーん……難しい質問だね。答える前に聞いておきたいんだけど、みんなの中にプロ志望の子はいるの?」

「私と胡桃は大学進学組ですね。シロはまだ進学か就職かで悩んでる最中で、トヨネとエイスリンは――」

「私は大学に行ってみたいかなー、って思ってて。村からの返事次第なところがあるんですけど」

「エイちゃんは?」

『私は……どっちにしろ一度年内にあっちに帰らないといけないと思うし。みんなと離れ離れになるのは寂しいけど、パパもママも心配してるだろうから。でも地元とこっちとどっちの大学も受けておこうかなって思ってるの。サエたちと一緒にキャンパスライフっていうのもとっても楽しそうだものね』

「なるほど。いちおう全員進学が前提でプロ入りはほとんど考えてないってことなのね」

 

 ふむ、それならばまぁある程度真実を語ってあげても大丈夫か。

 半ば好奇心的な感情に突き動かされているであろう五人の受験生を前に、一プロ雀士としての見解を示すのであればとこちらはきちんと姿勢を正す。

 

「高校卒業後にドラフトにかかって即プロ入りできる程の子って、一年に五人いるかいないかくらいだと思ってもらって構わないよ。今年の三年生で言えば、文句なしなのは白糸台の宮永さんと臨海女子の辻垣内さん。あとは――新道寺女子の白水さん、将来性を買うって意味だと千里山女子の園城寺さんあたりになるかな? でも園城寺さんはメディカルチェックで引っかかりそうだから今年は無理かもしれないけど」

 

 という前置きをしておいて。

 その中に名前が挙がらなかった面々に関しては、当然ながら一部リーグで上位指名される程の実力を有する選手はいないということになる。

 

 もちろん例外もいるから必ずしもこの限りではないけれども。

 例えば地元密着型の花形選手としてそこそこの活躍が期待できる姫松の愛宕さんだとか千里山の江口さんなんかはその一例で、マスコット的な意味で広島の佐々野さんあたりはチーム方針に則って指名を受ける場合もあるだろう。地元出身の選手はやっぱり愛され方が違うから、抱えておいて損は無いという事情もある。

 

 ――で、本題の宮守女子の子たちに限って言えば。三年生時のみの出場に留まり、かつ二回戦敗退だったこと等から全体的に評価を下すための情報が少なすぎるという点がある。熊倉先生のコネを使うというのでもなければ、よほど付き抜けた評価を得られるだけの下地でも無いと即お呼びがかかるというのは難しい側面もあるんじゃないかな。

 

 個別で見ていくと、臼沢さんと鹿倉さんは、本人たちの望んでいる通り大学に入ってまずはインカレを目指して腕を磨くべきだと思う。即戦力というには基礎の部分が少し弱いところがあるし、こう言っては何だけどプレイに関しても決して華があるタイプではないから余計に目に付き辛いということもある。

 二人のことは個人的にはとても評価しているけれど、いざプロの舞台へ――となると、残念だけど成功している未来はまだ見えない。

 

 エイスリンは、麻雀の腕前としてはまだまだ未熟な部分がたくさんあるから、今後続けていくにしてももう少し熟成するための時間が必要となるだろう。そして、それを行うのはプロという舞台ではなくその下のカテゴリー、つまり大学リーグや実業団リーグが担うべき役割だ。

 あと、本人も言っている通り地元のニュージーランドへ戻ってから考えるべき事がたくさんあるだろうし、まだプロを意識する段階には及んですらいないという感じかな。

 

 結論としては、この三名に関しては即プロの門が叩けるかと問われればはっきりと無理と答えるしかないということになるか。

 そもそもプロ制度に登録人数の枠指定がある以上、選手の枠も使える予算も限られている昨今、どのチームであってもあれもこれもと人を増やして育成するだけの余裕はないのである。

 いやまぁ、胸を張っていうのは虚しくなるような切ない裏事情だけどさ。特にうちのような弱小チームになるとけっこう切実な問題なんだよね……。

 

 

「はぁ~、やっぱまだまだ実力不足か……分かってたことだけど」

「そうだね。でもさ、小鍛治プロが評価してくれてるっていうのは素直に嬉しいよね」

「うん。これが社交辞令とかそういう類のやつじゃなければ、だけど……違いますよね?」

「もちろん。っていうか私、こういう時はウソとか付けないんだ。だからばっさり斬り捨てちゃって涙目になる子も多いみたいで……嫌な気持ちにさせちゃってたらごめんね」

「あ、それは大丈夫です。熊倉先生からもすぐにプロっていうのはさすがに厳しいだろうとは言われてたし」

「ワタシモ。デモ、マージャンハツヅケルツモリ」

「私ももちろんそうだよ! ……で、名前がまだ挙がってないあとの二人は、もしかして!?」

 

 鹿倉さんがどこか期待に瞳を輝かせながら身を乗り出してくる。

 残りの二人といえば、個人戦上位組の小瀬川さんと姉帯さん。宮守女子の中でも特に異質な打ち手の二人だけに、そこにかかる期待も大きいのだろう。

 

 小瀬川さんについては、麻雀の腕前的にはもう一歩といったところか。ここ数年でプロになった同じような高卒ルーキーたちの中でならば及第点はあげられるけれど、中堅勢レベルのプロの中だと埋もれてしまう危険性もある。上で例に挙げた同期の二人、宮永照と辻垣内智葉と比べると高校時代の実績も圧倒的に少ない。

 ――なにより、プロの生活というのはわりと規律に縛られていたりして何かと面倒な事が多いもの。極度の面倒くさがりの彼女をして、それに耐えられるのかという懸念もあったりするのがね。

 

「あー……」

「ていうかさ、シロは一人暮らしでやっていけるの?」

「大丈夫でしょ。何処に行ったってコンビニくらいあるし、最近はネット通販もあるから」

「三食弁当買うの前提!?」

「ご飯作るのも食べた後で食器片付けるのもダルいし……」

「その気持ちは分からなくもないけどさ……」

「ブンメイノリキ!」

「エイスリンさん、それはちょっと違うかなー」

 

 本当の片田舎になれば最寄のコンビニまで車で三十分とか普通にあるんだけどね。

 まぁそんな環境にプロチームがあるかと言われたらまず無いから指摘するだけ無駄なんだけど。

 そんなことを思いつつ、最後に残された一人を見てみれば。

 

「ドキドキ……」

 

 自ら擬音を口ずさみながら、ちょこんと正座して私の言葉を待っている。

 どうしてこの子はこう、一つ一つの動作が妙に可愛らしいというか、思わず頭を撫でてあげたくなるのだろう?

 一人で勝手にそんな誘惑に抗いながら、コホンと咳払いをする。

 

「――で、姉帯さんだけど」

「はっ、はいっ!」

「本当はね。こんなことを勝手に私が言っていいわけがないんだけど……」

 

 ここまで言っておきながら、最後の科白が出てこない。

 だってそれは、彼女の今後の人生そのものを左右させてしまうかもしれないほどの重要なことだから。

 私個人の案件ならばともかく、チームが絡んでくることでもある。正式な手続きを踏むこともせずに、その場の勢いやノリのまま言ってしまっていいものか……。

 でも、ああ……この期待に満ちた瞳の輝きから逃れる術を私は持っていなかった。

 

「あのね、たぶん姉帯さんにはどこかのチームからオファーが来ると思うんだ。もしかしたらもう来てて、熊倉先生が村のほうと交渉をしてるのかもしれない。そのあたりは私にはちょっとよく分からないんだけど、それは間違いないと思うの」

 

 姉帯さんには、おそらくここ二・三年を目処に強化を目指す、いわば育成枠で獲得を打診するチームが必ず一つはあるはずだ。特異能力を有する打ち手は注目を浴びる場合が多いというのを差し引いても、彼女が持っている六つもの異なる性質を有する特異能力というのは、実はかなり珍しい。

 

 故に、その将来性を買う形で比較的資金に余裕のある横浜だとか、あるいは高齢な打ち手の多い名古屋あたりも獲得に動いていそうなチームの候補に入ると思われる。

 特に横浜には咏ちゃんがいる。あの試合をテレビででも見ていたら、特異能力に関してある程度の知識を持つ彼女に目を付けられていても何ら不思議ではないだろう。

 

 どちらにしても、郷里の岩手を離れることになるのは確実で。だからこそ熊倉先生は話を持ってくるのも慎重になっているはず。

 私がここでこんな期待を持たせる様な事を言ってしまうのは反則かもしれないけれど、そうしたいと思うだけの理由も、確かに私の中には存在していた。たとえその先に続く科白をここで紡ぐ事が出来なかったとしても。

 

「私がプロに……?」

「おお……さすがトヨネ。お墨付きだ」

「やったねトヨネ!」

「う、うん。でも実感が沸かないっていうかー……わ、私なんかで本当にプロになれますかっ!?」

「なれるよ。それは私が保証する。もちろん、この先もきちんと勉強と努力を欠かさないことは前提で。将来的には日本代表も視野に入れられるようになるかもしれないね」

「にっ……!? あ、あう」

 

 まぁそれはその時の監督とか環境次第な所もあるんだけど――と付け足して言う前に。ぶわっと、一気に溢れ出した大粒の涙が瞼を覆う。

 あああ、そんなになるなんて思わなかったから言っちゃったけど……まぁ、嬉し涙ならそれも構わないか。状況判断力に少々未熟な部分を感じるのは確かだけれども、将来性を秘めているのは事実だしね。

 

 大泣きし始めた姉帯さんを囲む宮守女子の面々を横目に、席を立つ。

 たとえ敵同士としてでも。いつかこの子たちが同じ舞台でまた戦えるようになると良いな――と。言うのはとても照れくさいので心の中でだけ呟いてから、こっそりと私はその場を後にした。

 

 

「おやまぁ。豊音を泣かすなんていけない子だね」

「――先生」

 

 そろそろ帰り支度と荷物の整理をしようと廊下に出たところで、熊倉先生と鉢合わせた。

 言葉とは裏腹に表情は笑顔。ということはおそらく、現時点で彼女に来ているオファーもなかなかに好条件ということなのか。それとも何か別に思惑があってのことなのか。

 

「でも、あれでいいのかい? 健夜ちゃんが豊音に言いたかったのはもっと別のことだったように思っていたけど?」

「あー……まぁ、いまの私にそんな権限なんて無いですから。話すにしても、一度は社長と条件を詰めてからでないと――ウチのチームは貧乏なので」

「男関係だけじゃなくてこんなところでまで奥手なのねぇ」

「放っておいてください!」

 

 冗談だと分かっているから良いものの、いつも一言多いんだから。

 

「って、相手とチームの両方に筋を通さないのはスカウトとして失格だって仰ったの、若い頃の先生ですよね?」

「ふふ、なんだ。覚えてたの」

「いくらなんでもそう簡単には忘れませんよ」

「筋を通すのはたしかに大切なことだけど。それで機を逃すようじゃスカウトとしては落第ね。臨機応変、時には我を押し通す強引さも必要なのよ」

 

 今回に限らず、男の子を落としたい時も同様にね――なんて言いながら、熊倉先生は去っていく。

 

「……それができれば私だってとっくの昔に結婚してると思うんだけどな。はぁ……」

 

 

 私の所属しているつくばのチームは、現在二部での戦いを強いられている。

 それは他所と比べると比較的歴史の浅いチームであることや、同県に一部の強豪チームが存在していることも関係しているかもしれない。

 資金繰りも厳しくて、つい数年前には潰れてしまう可能性すら浮上していた程である。

 私が入団したことでスポンサーもある程度付いてくれて、今でこそ何とか経営も持ち直しかけているところではあるけれど。実際に一部に昇格したとして、そこできっちりと成績を残せるだけの基盤があるかと問われると、正直心許ないと答えることしか出来ない。

 

 それでも、二部で燻っているのと一部の下位で鎬を削っているのとでは、集客なんかに大きな影響を及ぼす。あと出場可能なカップ戦の賞金額も文字通り桁が違うし。

 ひいてはそれが経営面にも響いてくるわけだから、とにかく一部に昇格しておきたいと願う二部のチームは多いのだ。

 

 そんな中で、今季の成績でいえば私たちは一部に昇格できる上位二枠の圏内を常にキープしてきている。残る約一ヶ月間の死闘を制すれば、晴れて昇格という日の目をみることだってできるだろう。

 無事に昇格できればすぐにドラフトがある。

 それでなくとも来季は格段に試合数が増えることになるし、そのぶんチームの枠も拡大しておかなければならないというのに、弱小ともいえる二部からの昇格チームに好んで加入してくれるような物好きはそうそうおらず、強化部としても指名先の目処が立たなくて困っているらしかった。

 

 即戦力になりうる、しかし給料は抑えられ、強豪チームのドラフトにかかるほどではない、かつ他所の中堅どころとの競合になりそうにない相手。ついでにいえば強豪からの指名でないとプロにはならない、なんて無駄にプライドが高くない子。

 改めてこう並べ立ててみると明らかに厳しい条件だと思うけど……私にはその心当たりが一人、ここに来て出来てしまった。

 

 ――姉帯豊音。

 彼女は実績が少ないこともあって宮永照のように注目を浴びることも無く、かといってポテンシャルという面においても実力不足ということはない。鼻っ柱が強いタイプでもないし、唯一条件に当てはまらなさそうなのが、他チームとの競合がないという点くらいのもの。とはいえ、これ以上条件に合致しそうな子が見つかるかといえば、今年に限ってはまず有り得ないと結論付けることが容易に出来てしまう。

 できれば彼女にはつくばのチームに来て欲しい。でも、私にはそれを口に出す勇気は無かった。

 

 だって考えても見て欲しい。

 競合相手がいるとして、それがたとえ中堅どころのチームだったとしても一部リーグのチームであることに変わりはない。資金繰りが厳しいうちのチームと比べると、どうしても条件面では比べるべくもない差が出てきてしまうのは避けられないことだろう。

 うちの条件が真っ当な基準から露骨に外れるようなことはさすがにないだろうけど、他所と比べると魅力がとても薄いことは一所属選手としても認めざるを得ないところだ。

 

 そんな中でも、熊倉先生と懇意であるという事情もあって、もしかすると私が声をかけたらあるいは彼女はそのオファーを快く受けてくれるかもしれない。手前味噌で申し訳ないけれども、かつて日本代表として知らしめた『小鍛治健夜』という名前にも、ある程度そういった付加価値くらいはあるだろうと思うから。

 

 ……でも。それが本当に姉帯豊音という雀士にとって正しい道なのかどうか、と言われると……。

 姉帯さんの持つ将来性は疑うまでもない。それをコネを使って安く買い叩くことに抵抗を覚えてしまうのは、元々スカウト畑でもない私が同じ雀士として抱く感情としては、至極当然の帰結だと思うのだ。

 

 

 その一方で、かつて高校卒業を前にして色々なチームから獲得のオファーが来た時、熊倉先生に相談したことがあるんだけど。その時あの人が私に向けた言葉を忘れているわけじゃない。

 

「悩むのは当然でしょう。でもね、最後に決めるのは健夜ちゃん自身。スカウトの仕事は自分たちに用意できる限りの最高の条件を誠意を持って相手に提示することだけ。それをどう受け取ってどう判断するのかは、貴方自身に委ねられているの。自分の人生なんだから、きちんと自分で選ぶのよ」

 

 枝葉の如くたくさんに枝分かれした将来を望む分岐路の前で、決断を下すのはあくまで自分自身であるということ。それはいつの世だって変わらない、子供と大人の境界線。

 あの子がいま、そのどちら側に所属しているのか。私自身がそれを測りかねているから迷うのだろうか?

 見縊(みくび)っているつもりはないんだけれど、思慮の結果としてそうなっているのなら……やっぱりどこか、私は傲慢なのかもしれない。

 そもそもオファーを受けてもらえるとは限らないんだし、熊倉先生の言う通り、希望を伝えるくらいはしておいてもいいのかな、うん……。

 

 荷物の整理を終えた頃になって、私はもう一度彼女たちが集まっている部屋へと向かう。ちょうど顔を覗かせたエイスリンを掴まえて、伝言を頼んでおいた。

 

「あ、エイちゃん。姉帯さんを呼んできてもらえない? うん、ちょっと話しておきたい事があってね――十分後くらいに。私の部屋で待ってるから、って」

 

 

 

 トントン、と。しばらくして扉を叩く音が聞こえてきて、私は手に持っていた携帯電話をポーチバッグの中に仕舞い込み、それを成した人物を部屋の中に迎え入れた。

 一応の承諾は得たし、準備は万端。後は仕上げを御覧じろといったところだろうか。

 

「あのー、お話っていうのは……」

「うん、ちょっとした交渉をね。座って」

 

 おずおすと入ってくるのは黒ずくめの少女。彼女は用意しておいた座布団に正座し、身を整えてから私と向かい合うようにして姿勢を正した。

 見るからに緊張している面持ちであって、向かい合っているだけで泣き出してしまうんじゃないかと思えるほどである。

 ……ああ、もしかして私自身も緊張しているのだろうか? 麻雀を打つ際に出るといういつもの不穏な雰囲気を纏っているのかもしれないと思い、肩の力を抜いてみた。

 

「さっきのプロ入りの話なんだけど。姉帯さんは、どこかここに入りたいっていう希望のチームみたいなのはあるのかな?」

「いえ、特にはないですっ」

「そ、そう。それじゃ――うん、単刀直入に言うね。姉帯豊音さん、来季から私たちのチームに入ってプロになるつもりはありませんか?」

「――っ! あの、あの、それって――」

「私はね、できれば貴方につくばに来てもらいたいって思ってるの。実力、将来性、スター性、あと人柄もかな。私が貴方を評価している部分を挙げたら限がないけど、そのどれを取っても一角の雀士になれる素養が貴方にはあると思う」

 

 大きく肩を震わせながら目を瞠る彼女の様子から、なんとなく理解する。この子はこの部屋に入ってきたその時からその科白を待っていたんだろう、と。

 期待と不安がない交ぜになった梅雨の空模様みたいだった表情が一転して、晴れ渡った秋の空のように澄み渡って行ったことがそれを如実に物語っていた。

 

「私でっ……私でも小鍛治プロのようになれますか!? みんながちょー凄いって思ってくれるようなプロ選手にっ!」

「かつての私と同じくらい活躍できる選手にってことなら、それは貴方の努力次第って答えることしかできないけど――姉帯さんが私をテレビで見た時に感じてくれたような思いを、また別の子供たちに与えられるようなスター選手になれるかどうかっていうことなら、約束する。貴方はそれだけの実力と魅力がある打ち手だって」

 

 プロというのは、当然のことながら実力至上主義であると同時に、スポンサーとの兼ね合いや協会の意向もあってエンターテイメントとしての部分がどうしても切り離せないものでもある。

 各チームの看板を背負う子たちを見てみれば分かると思うけど、だから選手にはある種の華やかさが必要だし、応援してくれている人たちに愛されるキャラクター性というのもけっこう大切になってくる。

 たった一日足らずの交流期間だったとはいえ、その間の動向を見るに姉帯さんはきっと誰もが愛さずにはいられない、そんなキャラになれる素養を持った子だと思った。

 それこそ見た目と言動のギャップが周囲のハートを鷲掴みで、私なんかよりもずっと愛される雀士になれるはず。

 

「ただ……他のチームからも声がかかってると思うし、条件面を考慮に入れてきちんと考えておいて欲しいんだ。ウチのチームは資金的にも余裕はなくて、来季は一部リーグに昇格できると思うんだけど、それもまだ確定しているわけじゃない。条件面で競えば私たちのチームは他所の足元にも及ばないと思うから……」

「は、はいっ」

「その上で、私たちつくばブリージングチキンズは正式に貴方に獲得の意思を伝えようと思います。条件はまた向こうに戻って詰める事になるから、あとで熊倉先生を通じて連絡をすることになると思うけど――って、ああ、泣かないで」

 

 ぽろぽろとこぼれ出した涙を拭おうともせず、ただ笑顔を浮かべ続ける彼女を前にして、本当にこれでよかったのかと疑問が胸の内を掠めていくように思えたものの。

 賽を振ったのは私自身。その結果がどう出るにせよ、その責任だけはきちんと受け止めなければならない。

 ハンカチで彼女の涙を拭いながら、できるだけのことはしようと心の中に決意を刻む。社長とやりあうのも久しぶりだけど、これもチームの未来のためなればとまぁなんとか押し切ろう。競合でくじ引きになったら私が引けばいいだけの話だしね。

 

 姉帯さんには、ドラフトまでの一ヵ月半ちょっとの時間できちんと考えて欲しいと伝えておいた。当初彼女が望んでいたように、大学への進学も含めて彼女には色々な選択肢がある。その場の勢いだけで決めてしまうには重い内容なわけだし、即断することだけはしないで欲しいと。

 その上で、色よい返事が貰えるならば私たちは貴方の加入を歓迎しますと。押しが弱いと言われてしまうかもしれないけれど、今の私に出来る精一杯の勧誘がそれだった。

 

 

 その後はまぁ、色々とあったんだけども。

 襖の向こう側で盗み聞きしていた宮守の子たちが乱入してきてお祭り騒ぎになってみたり、熊倉先生にさんざん冷やかされてみたりと。

 そんなことがありつつも、時計の針が九時を回り帰京への出発の時が近づいて、全員が玄関付近に集まり始める。

 

 時間にすればたった一日足らずのこの取材旅行だったけど、内容はけっこう充実したものだったと思う。それはもちろん私やこーこちゃんの取材陣にとってというだけではなくて、良い経験を得る事が出来た京太郎君についても言える事だ。

 なんだかんだで全員と仲良くなっているし。片岡さんから聞いた入部当初の下心満載な京太郎君だったらこうはいかなかったんだろうなぁと思うと、人と人との巡り合せというのはよく出来ていると感心してしまう程である。

 

 一通り別れの挨拶を済ませ、じゃあそろそろ――というところで、鹿倉さんが声を上げる。

 

「ちょっと待った! 須賀くん、これを持っていって」

「あれ? 鹿倉さん、それなんすか?」

「ふふ、よくぞ聞いてくれました! これはね――」

「――マヨヒガノート」

「……え?」

 

 鹿倉さんの言葉を遮ってぽそりと小瀬川さんが呟き、それを聞いた京太郎君が首をかしげる。それを少し離れた場所で聞いていた私も似たような行動を取ってしまった。

 確かいま彼女、マヨヒガノートって言ったよね?

 

「シロ?」

「昨日の夜に話したと思うけど、遠野物語に出てくる迷家の話。そこを訪れた人は、帰る時にその家のものを一つだけ何か持ち帰る事が出来るから」

「ああ、なるほど。それでマヨヒガノートか。面白いこと言うじゃん、シロ」

「ここは白望山じゃないけど、遠野地方であることは間違いないからねー。さすがシロ、ちょーピッタリな名前だと思うよっ」

「センスイイネ!」

 

 わいわいと賑やかす宮守女子ご一行様。でも、湿りきったお別れよりはこっちのほうがいいよね。

 

 落ち着いた頃を見計らって、全員の代表として鹿倉さんが一歩前に出た。

 こうして京太郎君と並ぶと背丈の違いが明白というか、とても彼女のほうが二歳年上だなんて思わないようなそんな差があるけれど。いま彼の前に立っている彼女はお姉さんらしくとてもいい表情をしている。

 

「はいこれ。シロ命名のマヨヒガノート。受け取ってくれるでしょ?」

「もちろんです! ありがとうございます、皆さん!」

「一年後……はちょっと厳しいかもだから、二年後かな? 須賀くんが全国大会で優勝できるように。その時に私たちはバラバラになって別の場所にいるかもしれないけど、みんな何処にいても君のことを応援してる。それはその証だと思ってその時まで大切にすること! いいね!」

「鹿倉さん……はいっ!」

 

 激励の言葉と共に手渡された、迷い家(マヨヒガ)に迷い込んだ無欲な人間だけが持ち帰ることを許される、富貴の証。

 京太郎君は宝物を扱うようにしてそれを腕の中に抱きながら。こうして私たち三人の宮守女子高校取材の旅行記は、一幕の終わりを迎えたのだった。

 

 

 宮守駅でホームにやって来た花巻方面行きの電車に乗り込む際、京太郎君は遠い岩手の山々を仰ぎながら、小さな声で呟いた。

 ここに連れて来てくれて――どうもありがとうございました、と。

 それがこーこちゃんに向けられていたものなのか、あるいは提案をしたという熊倉先生に向けられていたものなのか。それは分からなかったけれど。

 彼が向いているその方角には、言い伝えを残したかの白望山が聳え立つ。

 

 こうして一つ、成長のための糧を得た弟子の背中を少しだけ頼もしく思いながら見守りつつ。私も一つだけ富貴のカケラを手土産にして、古き伝承が多々残る遠野の里を後にした。




健夜さんがつくばでチーム“百鬼夜行”を結成すると聞いて。
まぁ今の所それは冗談ですが、何はともあれこれで宮守編は終了。次回からは白糸台編へと突入します。
次回、『第19局:姉妹@少女が求めたその一片(予定)』。ご期待くださいませ

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