かつて私を導いてくれた師匠のような存在だった熊倉先生の教え子たちが対局相手となれば、この一戦は言うなれば師弟の弟子同士の対決ということになる。
私のほうからは当然京太郎君が、相手側からはまず麻雀暦の問題からウィッシュアートさんが固定の面子に選ばれて。その他の二人は厳正なるじゃんけんの結果、まず姉帯さんと鹿倉さんが加わって、この四人での半荘戦が行われることになった。
残った二人が牌譜係ということで。私たち師匠組はただ黙ってお互いの弟子の打ち方を見学することに徹する。
宮守の子たちの手で粛々と対局を行うための準備が行われている中。当然のようにそれを手伝おうとして、ほぼ全員からダメ出しを食らって待ちぼうけ状態だった彼を呼んだ。
「京太郎君。ちょっとこっちに来てもらえるかな?」
「あ、はい」
素直にこちらへとやってきた京太郎君だったけど、その表情は少しだけ硬い。
「緊張してる?」
「……正直、少し」
「大会本番でもないのに?」
「それは、その……」
「まぁ、仕方がないことなのかな。あそこにいる子たちは全員、君にとっての目標そのものだもんね」
「――はい。それにさっきかけてもらった言葉もありますし、不甲斐ないところは見せたくないってのが本音です。そう思ったらちょっと、こう」
「そっか」
全国大会で直接清澄と戦った相手との対局となれば、気負うなというほうが無理だとは思う。でも、気負いすぎて空回ってしまってはせっかくの申し出も水の泡になってしまうし、それでは受験前の貴重な時間を割いてくれる彼女たちに申し訳ない。
それに、今回の先方の提案自体が私個人としては渡りに船な展開で、結果がどう転ぼうとも収穫が得られるのが確定しているような状況とはいえ、やるからにはきちんと京太郎君自身の血肉として今後の糧になって欲しいと思うから。
ここは一応釘を刺しておくべきだろうとの判断を下して、師匠としての言葉を紡ぐ。
「そういうことだったら、今回の対局で一つだけ課題を出しておこうかな」
「課題……っすか? いつもの『できるだけ振り込まないように』ってのとはまた別の?」
「うん。それはもう当たり前のことだから、今回はもう一つおまけでね。もし勝負の結果が惨敗だったとしても、それができてたら多分あの子達を幻滅させるようなことにだけはならないはずだよ――っていっても別に絶対にそれをやれってわけじゃないから、できたらいいなくらいの心構えでいてくれていいんだけどね」
振り込まないように相手の手牌を読む打ち方というのは当然基本としてやるべきことだ。というか、そうしなければまず勝てないのだから頑張って実践して欲しい。
今回のそれは、京太郎君が持っている今の実力で、もう一つ上の舞台に上がる資格があるか否か――それを見極めるための課題でもある。
もちろんそんな裏の思惑を馬鹿正直に本人に伝えたりはしないけど。
「な、なんか難しそうなんですけど……できますかね、俺に?」
「大丈夫、そんな小難しいことは言わないよ。あのね、どんな時でもその時自分にできる精一杯をきちんとやり切ること。ただそれだけ」
「へっ? っていうかそれって当たり前のことじゃないんすかね?」
「そうだね。でも今回は相手が相手だし、その当たり前がどれだけ通用するのかな……」
京太郎君を含め、五人のうち誰が来ようと特殊な力を持った子ばかりが戦うことになるこの一戦は、対局中にいったいどんな展開が待っているのか、事前の段階だと想像がその先にまで及ばない。
但し、それでもはっきりとしているのは、京太郎君がかなりの劣勢に追い込まれることは間違いないだろうということだ。
彼にとっては格上の三人に囲まれる形になる上、相手は多種多様のオカルト使いたちである。ツモ和了を奪われた程度でその和了を完全に抑えきれるだろう相手は一人もおらず、きっと京太郎君から直接多くの点棒を奪っていくはずだ。
そんな状況だからこそ、彼に最も必要なもの――。
「大丈夫っすよ。自分の思い通りにいかないことなんて、普段の部活の時からもう慣れ切ってますんで」
「それはそれで切ないけど……まぁ、いいか。大丈夫だって言うんなら、その課題も楽勝だよね?」
「うっす。師匠の名を汚さないためにも頑張ります!」
「うん、頑張って」
その言葉は素直に嬉しいと思うけれども。
私の与えた課題の本質に気づいていないだろう彼の自信ありげな横顔を見て、こっそりとため息を一つ漏らすのだった。
準備が整い、全員が卓に着く。
本人たちにはそんな意図はまるでないんだろうけれど、構図的にはリベンジマッチとなる清澄高校VS宮守女子高校の第一戦。その起家となったのは、今回の面子の中ではおそらく一番の強敵となるだろう姉帯さんだった。
「よろしくおねがいしますっ」
「よろしく!」
「ヨロシクオネガイシマス」
「はい。よろしくお願いします」
サイコロが卓の中央部分でころころと音を立てて回転し、戦いが始まる――。
師匠がこんなことを言うのはダメだろうと思いつつも、断言しよう。まず間違い無く京太郎君は勝てないと。
個人戦第八位の姉帯さんは当然のことながら、聴牌気配を悟らせないことに定評のある鹿倉さん、さらに地区大会和了率全国一位のウィッシュアートさん。この面子を相手に一位が取れるようならば、それこそ今すぐ秋季大会の男子部で優勝することさえ夢物語じゃないだろう。
振り込まなければ負けない京太郎君とはいえ、無駄に相手の当たり牌を掴んでくる不運が失われているわけじゃない。特に聴牌の気配を悟らせず他家の振り込みを誘導するのが上手い鹿倉さんに関しては、今の京太郎君にとってはまさに天敵といっていい存在だ。
そのことを端的に示すようにして、卓上が動いたのは東一局の六巡目。配牌からいい感じで順子が出来上がっていた鹿倉さんが聴牌し、彼女の特徴を示すようにリーチはせずにダマで待つ展開となる。
鹿倉さんの雀士としての特徴としてまず真っ先に挙げるとしたら、それは非常に聴牌気配が読み辛いということに尽きる。
基本的な動作ではあるけれど、ツモってきた牌と面子を構成している牌が同じものだった場合にあえて手の内から牌を抜いて河に切ったり、同じケースであってもある時はそれをせずツモ即切りしてみたりと。他家が自分を観察しているだろうことを前提に、きちんと迷彩を張るようにして打ち回しをする。
それに彼女はどんな時でもまずリーチをかけるということをしない。その部分だけを見れば、ノリと勢いを重視して序盤から速攻を仕掛ける片岡さんとは真逆のタイプかな。
現代的な麻雀のセオリーがどちらかというと聴牌即リーチを推奨している節があるというのを考えれば、これは時代に逆行する打ち筋といえるかもしれない。
まさかとは思うけど、姉帯さんの追っかけリーチに対応するために自然とそうなったってわけじゃないだろうし……いつからそのスタイルなのか、どうしてそんな打ち方をするに至ったのか、個人的には非常に興味深い話だと思う。まぁ、理由のほうの推測はいくつか思い立つんだけどね。
それから五巡後、京太郎君がツモってきたのは索子の1。捨ててある牌からでは振込みの気配が一切読めないその牌は、鹿倉さんが待っている二面張のうちの一枚、しかも高めでの和了となる一気通貫のオマケがついた当たり牌だった。
京太郎君は何故だか一瞬躊躇するも、素直にそれを切ってしまう。結果、
「それロン! 満貫、8000点ね!」
「っはい」
そんな感じで最初に放銃したのは、案の定というか、彼女の打ち筋に一番慣れていないであろう京太郎君だった。
油断していたわけではないだろう。今のは単純に相手の迷彩が一枚上手だったというだけのことで、やっぱり警戒心を殺ぐようにして待ち受けるあのダマ聴は、デジタル寄りの麻雀を試行している今の彼の思考には抜群に相性が悪そうだ。
それにしても……自分の能力で自身もツモ和了できない京太郎君としては、初っ端から満貫直撃は点数的にも精神的にも痛いな。
「健夜ちゃんは胡桃のあれをどう思う?」
「あれっていうと……ああ、ダマ聴ですか? まだハッキリとは分かりませんけど、鹿倉さんの基本スタイルが防御重視型だからなのかなと思ってます」
「ふむ。胡桃の麻雀を防御型とする根拠は?」
「二回戦で竹井さんが調子を取り戻しかけたとき、すぐに永水の滝見さんの意図に気づいて差し込みましたよね? 勢いを殺いでおきたい場面できちんと動いたところを見るに、ダマ聴なのは他家の動きに対する対応力を求めてのことなんじゃないかなって」
常にダマで待つという行為に無理やり意味を持たせるなら、候補はいくつか挙げられる。
一つは単純に、聴牌した状態から手をさらに高めになるよう変えたいから。当然だけどリーチをかけたら手を変えることはできなくなるし、俗に
もう一つは、自分の手の内を相手に悟らせないようにするため。ダマで相手を誘い込み、油断を誘っておいて釣り上げるための撒き餌のようなものといえるだろうか。リーチをかけずとも十分な破壊力がある場合には、相手の警戒心を殺ぐという意味でダマ聴を選択するのもデジタル的にはセオリーの一つである。
だけど、鹿倉さんの場合は過去の牌譜を見る限り、上記の二つに当てはまるようで当てはまらない。
京太郎君のように門前であることで特殊な効力を発揮している能力があるのかどうかというのも、牌譜を見る限りでは分からない。
であるならば、いっそのこと少しアプローチの方向を変えてリーチをかける際のメリットから考えてみるとしようか。
まず、飜数を最低一つ積み上げられること。役なしの状態からでも和了できるようになること。あとは裏ドラで点数が上がる可能性もあるかな。そのどれもが攻撃的な恩恵であることは一目瞭然だ。
逆にデメリットとしては、宣言後に身動きが取りづらくなる点。振り込む確率も上昇し、防御面ではリスクが高い。そして鹿倉さんのダマ聴に限っては、私はこっちに注目した。
彼女の持ち味はおそらく鋭い洞察力と推理力からくる変幻自在の打ち回しだろうと私は見る。攻撃に対しては有効な半面で、防御面では自分が自由に選択することが出来るはずの行動範囲を極端に狭めてしまうリーチ宣言は、まさに諸刃の剣といっても過言ではない。
だからこそ、不慮の事態に即対応できるように出来る限り自分は門前で自由に動くというスタンスであり、それを生かすためのあえてのダマ聴なんだろうという結論だ。
「自分で点数を稼ぐことが出来る子もいれば、敵の点数の上昇を限りなく小さく抑える役割の子だっているからね。そういう意味で胡桃はまさに
そうは言ってもそれ以上に勢いのあった姫松の主将を抑えるまでには至らなかったようだけどね、と熊倉先生は苦笑する。
でもそれは――と言いかけて、続きの言葉を飲み込んだ。先生の表情はどこか遠くを見るものであり、私に何の返答も求めていないと気づいたから。
「実際にその場に立つまで忘れていたというわけじゃないんだけどねぇ……インターハイって元々そういう場所だったのよね。自分たちが当たり前のように自信を持っていたはずの切り札がまるで通用しない場所。当たり前のように止められて、当たり前のように覆される」
「……」
魑魅魍魎たちの集う巣窟――それが全国大会、か。
宮守の子たちが必死になって戦いながら、半ばで潰えた夢の跡。あるいは清澄の子たちが頂点を目指し、駆け上っていったその軌跡。
置いてけぼりになってしまった京太郎君が、必死になって辿り着こうを手を伸ばし続けるその先の光景もまた、それらと等しくするものだ。
それはいつか、必ず乗り越えなければならない鉄の壁。
熊倉先生が対局に意識を向けられたのを確認して、密やかな声で小さく呟く。
「高い壁があるのは想定内。だから頑張れ――一回の振込みで縮こまっちゃダメだよ、京太郎君」
東二局、鹿倉さんの親番で始まったこの局は流局親流れ。ウィッシュアートさんの十巡目聴牌と、その後の姉帯さんのリーチで緊迫したムードに包まれる中、点数トップの鹿倉さんは無理をせずすぐさまオリに回り、京太郎君も鹿倉さんの動きを察して振込み回避に専念。結果、二人とも和了できず親がノーテンのため次の局へ移ることになった。
東三局一本場、ウィッシュアートさんの親番。
展開は東二局と似たり寄ったりな感じで進み、中盤までに聴牌したのはまたしても姉帯さんとウィッシュアートさんの二人だった。
これは全国で宮守女子の試合を見たことのある人間の中では常識だろうけど、姉帯さんが門前でいる限り他家は先んじてリーチをかけるわけにはいかない。追いかけられて刺されるからね。
そのためウィッシュアートさんは自然とダマで待つことになったわけだけど、それが上手い具合に手を育てることになり、終盤にはハネ満クラスにまで昇華されていた。
親のハネ満ともなれば自摸和了だろうとロン和了だろうと破壊力は侮れない。特に点数がいい感じに削られている京太郎君は、直撃を貰えばハコ割れで即終了してしまう。
その危険を感じ取ったらしい鹿倉さんは、自身の一向聴を崩してツモってきた牌を抱え込み、河には危険な八萬を切った。ウィッシュアートさんへの安牌であると同時にそれは姉帯さんの和了牌であり、
「ロン! 30符2翻で、一本場だから2300点だよー」
最低限の出費で逆転負けの危険を即座に摘み取ってみせる、実に遊撃手的な彼女らしい一打となる。
和了できなかったウィッシュアートさんは残念そうに手牌を伏せ、首を左右に振る動作を見せた。他家の安手で大きな和了を逃した時の切なさ、その気持ちはよく分かるよ。うん。
理想の牌譜を描くことができるというウィッシュアートさんの打ち筋は、本来であれば理想的な形で和了まで向かえるということらしい。
しかし、その理想を歪めることが出来る相手との相性は悪いようで、染谷さんほどではないにしろ、鹿倉さんの臨機応変な対応とは少し噛み合わない部分があるように見える。完全無欠というには少し無理がある、それでいて平均点以下には決して落ちることがないであろう優秀な力。
――では、理想的な形での和了とは、そもそもどういうものなんだろうか?
配牌やツモの流れから考えられる上で、限りなく速く高い手で和了すること。条件はいくつかあるだろうけど、それが理想的な形であると仮定してみよう。
となると当然、理想の上では自分でツモって和了するというのが最善手であることは疑いようがない。出来ればリーチもかけておきたいところだけど、今回のように手が変わって点数が跳ね上がる傾向が強いのであれば、あえてリーチによって自分の手に制限をかける必要はないだろう。
もちろん相手への直撃が必要な場面においては必ずしもそうとは限らないだろうけど、そういうのは玄人畑に片足以上突っ込んだ人間が考える理屈である。彼女や京太郎君のような半初心者にしてみれば、やっぱり自分で自摸って決めるのが麻雀で一番気持ちいい場面だし、理想的だろうと思うのだ。
彼女らは未だ知る由もないことではあるけれども――この卓には、特殊な能力を持って場を支配している人間がもう一人存在する。京太郎君の持つ『門前でいる限り自摸和了を封じる』能力は、理想的な和了における最大の要ともいえる『自摸和了』を完全に封殺するものでもある。
最後のピースを持ってこられない理想は中途半端な状態で終わりを迎える。
故に、強敵揃いの面子の中でもウィッシュアートさんだけは、今の実力でも打ち方次第で抑え込める下地があるほうだと私的には思っていたんだけど――。
一人を抑え込めたとしてもその隙に残りの二人が躍動するからあんまり意味がない、というのも当然といえば当然のこと。やっぱり早々上手くはいかないよね。
「ところで健夜ちゃん、彼のことなんだけど――」
「京太郎君ですか?」
「そう、あの清澄の生徒なのよね? 貴方の番組も見させてもらったんだけど、実際にこうして実物を前にするとよく分かるよ。どうも清澄は学校で行う部活動としてはあまりいい環境とはいえなさそうだねぇ」
「えっと、まぁ……」
そこに対して異論を挟む余地はない。熊倉先生のようなコーチまたは顧問がいたらまた話は違ったのかもしれないが、名門校と違って部のOBやOGが期待できない清澄でそれを望むのは酷というものだろう。
同じ初心者という括りで言えば、ウィッシュアートさんと京太郎君の麻雀暦はさほど変わらない。それでも彼女は全国大会出場チームの一角として地方大会で申し分ない成績を残しているし、全国大会一回戦でもその名に恥じない戦いぶりを見せていた。県大会の予選で敗退した京太郎君とは雲泥の差で、どちらがより伸びているかは比べるまでも無い結論といえる。
もちろん本人たちの素養の問題も無視してはいけないが。
清澄と阿知賀、あるいは清澄と宮守女子の違い。そこに指導者の存在を見出すことは容易であり、論議をする上で避けて通れない部分でもあった。
「はじめに弟子を取ったって聞いたときは、あの健夜ちゃんがねぇって思ったものだけど……もしかして、見兼ねたってことかい?」
「見かねたっていうのはちょっと違くて……なんていうか、自分でもちょっと不思議なんですけど……そうすることが彼のためだけじゃなくて、私のためでもあるんだろうって思ったからといいますか……」
いつものことながら、上手く説明できない自分がもどかしい。それでも先生は納得したように頷いているから、ある程度の意味は伝わったのかもしれないけど……。
「そうかい、それなら私から言うことは何も無いよ。でも――貴方、少し変わったわねぇ」
「そうでしょうか……?」
ええ、と微笑む熊倉先生。そのまま視線は再び対局を続ける京太郎君たちのほうへと向けられる。
自然と私もそちらを向けば、後は沈黙を保って勝負の行方を見守るだけとなった。
場はさらに一つ進んで――東四局、巡ってきた京太郎君の親番である。
東一局での満貫振り込み8000点、東二局ではノーテン流局による罰符1500点。東三局では蚊帳の外。全国クラスの打ち手たちに翻弄される形で地味に点数が減っていくような展開で、ようやくの親番ともなれば大きく挽回したいところであるけれど。
そんな彼にとっては懸念材料になりそうな案件が一つあった。
どうも京太郎君が何かしらの特殊な能力を持っていることを既に薄々感づいているらしい人物が一人。京太郎君から見て対面に座る鹿倉さんである。
探るようにして京太郎君をチラ見しているその眼光は鋭く尖ったものであり、顰められて皺が寄っている眉間の状態が彼女の現在の精神状態を如実に物語っているように思われた。
初見で、しかも数回場を回しただけで具体的な効果にまで考えが及ぶようなことはさしもの鹿倉さんをしてもさすがに有り得ないとは思うけど、微かとはいえ違和感を覚えるだけの理由が東三局までの間のどこかにあったのかな?
詳しいことは対局後にでも直接本人に聞いてみるとしても。一発逆転のためにはどんな形であれ親での和了が必要なこの場面で、一番厄介な相手に余計な警戒心を抱かれてしまったのは少々どころかかなり痛い。
ただ、実際に最初に動いたのは彼女ではなくて、京太郎君から見て下家に座っている姉帯さんだった。
「ポンッ!」
――っ来たか。
思わずそう思ってしまった、姉帯さんの鳴き宣言。これがおそらく六曜における友引(※裸単騎で和了確定)と呼ばれる能力の発動を意味するものであることは、私だけではなくて同輩の二人、そしてあの戦いを控え室で見続けていた京太郎君もすぐ気づいたに違いない。
開幕当初から私が密かに注目していた部分、それは姉帯さんとのマッチアップである。彼女が好んで使う裸単騎のような『条件が成立した時点で確定和了』という必殺能力に対して、京太郎君の持つ能力支配圏が上回れるのかどうか。そこに、この対局に向けている興味の大半部分が集結してしまっていると言い切っても決して過言ではない。
能力にも優位性というものがある。もっと分かり易く言い換えれば『相性』かな。
少なくとも宮永さんの嶺上開花は、一定の条件下で京太郎君の能力を上書きする形で有効らしいという話を聞いているから、京太郎君の能力は決してツモ和了に対して無敵というわけではないということになる。
その条件に関しては宮永さんが教えてくれない、と言っていたので詳細は不明とはいえ、おそらくは最上位と思われる点数調整能力を介した上でその調整の手段として嶺上開花を用いることで京太郎君の能力を上書きする――つまりオーラスのみ使える方法――といった感じなんだろう。
またもう一つの仮説としては、京太郎君の能力は強力なように思える反面、一点突破和了確定タイプの能力の下位に置かれている可能性。こーこちゃんがよくやるゲーム中の能力紹介なんかで例えると『門前である限り全員の自摸での和了を封殺する。※但し特殊和了系の能力には無効』といった感じかな。
本当にそうであるならば、とても“アイギスの盾”と呼べるような代物ではないし、本当に盾に穴が開いているならば、こちらもそれを利用することもできるかもしれない。その条件を知るためにも色々な打ち手と卓を囲まなければならず、そういった点でも今回の申し出は彼にとって実に有益なものであるといえた。
対局のほうは、姉帯さんがそこから更に二つ鳴き、場には実に三面子が晒された。
三副露までは順調に手を集めてきた彼女ではあったものの、これ以上鳴かれるのは他家にしてみれば「どうぞ和了してください」と言っている様なものである。できるだけそれを抑えるようにと宮守勢の二人が捨て牌の選択方法をがらりと変えてきたためか、そこからしばらくは卓上が膠着状態に陥った。
ウィッシュアートさんと鹿倉さんはその恐ろしさを骨身に染みて理解しているのだろう。姉帯さんの『友引』を潰すため、この局は早々に自身が和了することではなく他家の和了を確実に潰すための打ち方にシフトしたのだ。
しかし、親の京太郎君からしてみればその心境は複雑だろう。
なんとか一向聴までこぎつけた末のオリという判断は、ウィッシュアートさんや鹿倉さんはともかく、ダンラスで親の京太郎君にとっては断腸の思いのはず。
だけど、親を守るために攻めた結果大物手に振り込んでトビ終了、ではまったく意味が無いわけで。攻めを選ぶ場面か、守りを選ぶ場面か。その状況判断力がここで試されることになる。
悩んだ結果、河に切られた捨て牌が鹿倉さんらの誘導に乗っかる形で選ばれたものであることから、彼が防御を選択したことが伺えた。
東風戦ならともかく、半荘戦のこの戦いはここで焦らずともまだまだ続く。この場面できちんとその決断を下せたことは成長の顕れと思いたい。
――ただ。
そっちを選んじゃったかぁ、と私が思わず心の中で深いため息をついてしまったのは仕方が無いことだったと思う。
黙々とツモっては切り、ツモっては切りを繰り返す面々。
もしそこに座っていたのが全員宮守の部員であったなら、あるいは最後まで彼女の最後の鳴きを封殺できていたかもしれない。しかし、現在この卓に大きな穴が一つ空いていることを彼女らは自覚しつつも完全に塞ぐ術は見出せないでいた。
なりふり構わずに行われる鳴き麻雀に対応するのはけっこう難しい。そもそも姉帯さんに関しては対宮永さんとの対戦くらいしか頭の中に印象として残っていないだろう京太郎君をして、チームメイトの彼女らと同じように傾向を理解してすべてを塞げというのがまず無理な話ではあるんだけど……。
ここを凌げばなんとか流局に持ち込める――というところで。
その穴である、姉帯さんから見て上家に座った京太郎君が、彼なりに細心の注意を払って選んだはずの牌を河に切った瞬間。
「チー!」
待ってましたといわんばかりの宣言と共に、それは姉帯さんの手に渡ってしまう。これで四副露――裸単騎の状態が完成し、遂にあと一手あれば和了できるところまで来てしまった。京太郎君を含め、鹿倉さんやウィッシュアートさんにとっては痛恨のミスといっていい一打となって、明暗はくっきり分かれた形である。
さて、しかしこれでお膳立ては整った。
山には残りわずか四枚、このラスト一枚で和了牌をツモってくることができれば、彼女の勝ち。できなければ――点数上はともかくとして、能力的には――京太郎君の勝ちだ。
裸単騎成立後、最初で最後のチャンスとなるツモ番が姉帯さんに回ってきたのは、鹿倉さん、ウィッシュアートさん、京太郎君のツモ現物切りが三回続いた後のこと。
「ぼっちじゃないよー」
お決まりの科白と共に海底牌を山から引いてくる姉帯さん。ここで和了牌を引いてくるのが彼女の能力であり、半ばそこでの和了を確信しつつ手を伸ばし――しかし自分の思い描いていたものと違う牌の絵柄を見て、呆然としながらも可愛らしく首をかしげた。
「……あれ?」
「どしたの、トヨネ? ツモった?」
「あ、ううん。なんでもないけど……ぼっちになっちゃったよー……」
六曜における友引――成立せず。
ツモってきた牌をそのまま河に切ったことで姉帯さんの和了の可能性は完全に潰え、その時点で東四局の流局が確定した。
彼女の背後で牌符を取っていた臼沢さんが、驚愕の表情を見せる。そしてすぐさまその原因に辿り着いたのか、その視線は京太郎君のほうへと向けられた。
「君は――」
「塞、その先は対局が終わってからにして。まだ終わってないから!」
「あ、うん。ゴメン胡桃」
確信を得たであろう鹿倉さんの態度。大人しく引き下がった臼沢さんは、それでもまだ信じられないといった風に京太郎君を見つめている。
結局、東四局は姉帯さんの一人聴牌、親のノーテン流れで場は南一局一本場へと進む――。
途中にも色々あったけどここでは省略するとして。
最終南四局。中盤で膠着気味の展開となっていた場を動かすきっかけとなったのは、とある人物の鳴き宣言であった。
得点でトップに立っているのは姉帯さんと、それを2000点差で追いかける鹿倉さん。原点近くで停滞気味のウィッシュアートさんも十分逆転を狙える位置で踏ん張っているといっていい。京太郎君だけは一度も和了できないまま鹿倉さんへの振込みやノーテン罰符で地道に点数を削られていき、もはや風前の灯状態ではあるけれども。
そんなダントツ最下位に甘んじている京太郎君に対し、最後の最後で大きなチャンスが巡ってきたのは、配牌の時点で既に明らかだった。
ここに来て、平和断ヤオ一盃口三色同順にドラ2まで二向聴という好配牌。綺麗に決まって連荘できれば逆転トップすら可能という、まさに最大級のラストチャンスであった。
しかし、その配牌とは裏腹に八巡目を迎えてもなお有効牌が一つも引けないという有様で。あまりのツモの悪さに痺れを切らした京太郎君は、一発での大逆転を諦めて早和了で親の連荘を狙うべく、ついつい上家のウィッシュアートさんが河に切った有効牌の②筒に即座に食いついてしまった。
そして、そこからはまるでジェットコースターの如く展開が急加速していったのである。
京太郎君が鳴くということはつまり、全員のツモ和了が解禁になるということでもあり。宮守の子たちには理解すべくもない事実だろうが、その行為は玉砕覚悟で防御の要を捨て去ったということでもある。こうなってしまえばあとは可能な限り速度を上げて誰よりも早く和了を目指す以外に彼が勝つ方法は無い。
――が。
流れというのは本当に恐ろしいものだと実感するに余りある光景がそこにはあった。
たった一鳴き。それだけで、場の空気はがらりと変貌を遂げていた。伸び悩んでいたはずの他家がそこから息を吹き返し、あれよあれよという間に全員が成立すれば満貫以上確定の手となってしまったのだ。
姉帯さんが門前であることに加え、点数的にも元々リーチをかける必要のない場面。ダマで待つためそこからさらにツモるたびに有効牌を引くこともあり、そして成立する役が増え、際限なく手が膨らんでいくような状況である。
ただ、そんなフィーバー状態でも誰一人和了牌を引いてくることだけは出来ずに場が進むという、全員の手の内を見ているこちら側からすれば、実に摩訶不思議な光景が繰り広げられており、さらにはあの鳴きを行った京太郎君だけが、逆に一向聴のまま一人取り残される格好となっているのがまた殊更に卓上の光景を異様なものとして演出している一因にもなっていた。
まさに一触即発状態のまま、ともすれば麻雀ではなく黒ヒゲ危機一髪でもやっているんじゃないかというような緊張感抜群の捨牌選択を強いられながら対局が進み。
――結果として。
最終的にトップを取ってみせたのは、最後の最後にダメ元で奥の手を出してきた姉帯さんだった。
その勝負に決着が付くことになる少し前。京太郎君の苦闘の様子をどこか楽しげに眺めながら、熊倉先生は言った。
「……ふむ。なかなか面白い能力を持ってる子のようだねぇ。ベースになっているのは門前でいる限り誰もツモ和了できなくなる能力ってところかしら? 豊音の友引さえ防ぎきるなんて、塞でもなければできないと思っていたけど――健夜ちゃんも、なかなかの掘り出し物を見つけたものだわね」
「熊倉先生もやっぱりそう見ますか? 良子ちゃんが言うには出雲の須賀の血統で、奇稲田姫由来の能力っぽいって言ってましたけど……」
「奇稲田姫? ああ、なるほど。それで――」
まじまじと私の顔を見ながら、しきりに何度も頷いてみせる熊倉先生。一方の私はしたり顔の先生を見ながら頭の中は疑問符で一杯である。
「……? どういうことですか?」
「あら、戒能さんからは聞いていないのかい?」
聞いていないの?って問われても。何のことだか分からないです、としか答えようが無いわけで。
首を傾げる私に、熊倉先生はお茶目なウィンクを披露しながら言ったのだ。
「奇稲田姫命はね、逸話の関係上どうしても夫である素戔嗚尊と一緒に祀られることが多いのよ。でも、中には奇稲田姫命だけを単体で主祭神として祀っている神社があって――名前を稲田神社というのだけどね。その所在地が健夜ちゃんの故郷――茨城県にあるらしいんだよ」
「えっ!?」
思わず反射的に反応してしまう。
島根と茨城なんて、地理的にも歴史的にも何の繋がりもない場所のはず。そもそも、そんな話を聞いたような覚えもないし……。
「合縁奇縁。人の縁っていうのはやっぱりどこかで繋がっているものなのかしらねぇ……」
「ツモッ! 倍満4000、8000で逃げ切ったよーっ!」
ぽそりと呟いた先生の言葉。それに重なるようにして、ちょうどその時、姉帯さんの勝利宣言が聞こえてきて。熊倉先生の意味深な科白の真意は掴めないまま、弟子同士の対局はある意味どちらの弟子でもない第三者の勝利という形で終局を迎えたのだった。
対局が終わり、最初に動いたのは臼沢さんだった。
惨敗といっていい結果に終わり落ち込んでいる京太郎君に詰め寄って興奮気味にまくし立てるその姿は、恋する乙女もかくやといわんばかりの迫力があり、京太郎君さえも若干引き気味であった程である。
もっとも、その口から飛び出してきた科白はロマンティックなものでもなんでもなくて、ただシンプルに一言で言い表すのならば。
「――っ君も私と同じ能力を持ってるの!?」
これに尽きる。
姉帯さんの友引を封じる程の能力――先ほど熊倉先生も仰っていたように、臼沢さんにはそれを実行することのできる特殊なチカラがある。そして自分と同類か、あるいはそれ以上かもしれない京太郎君を前にして、キャラ崩壊をしてしまうほど興奮してしまったのだろう。
「塞、落ち着きなって」
取り成したのは小瀬川さん。心底ダルそうな、ボーっとした表情だけど、彼女もまた臼沢さんと似たような疑問を抱いていることは間違いなさそうだ。
というか、オカルト能力を駆使した麻雀が当たり前な環境で育ったこの子たちは、その全員が京太郎君の持つ不可思議な能力に多大な疑問と、それと同じだけの興味を抱いているらしい。
「そういえば、鹿倉さんはだいぶ早いうちから京太郎君に何かあるって見抜いてたよね? あれってどうしてだったの?」
「東二局でトヨネとエイちゃんが聴牌してたのに和了できなかったから、っていうか。普段ならどっちかが必ず和了できるはずなのにどうしてできなかったんだろう、っていう違和感があったので観察してました!」
「ああ、なるほど。京太郎君の動きから気づいたんじゃなくて、よく知ってる二人の特徴と食い違ってたからってことかぁ……」
彼自身の挙動で知らせているようなら改善しなければと思っていたけど、そっち側から見破られたのならば仕方が無いかな。
「あっ。小鍛治プロがそう言うってことは、やっぱり何かしらの能力を持ってるってことですよね!? さあっ、キリキリ吐いたほうが身のためよ、須賀くん!」
「ええと、そのですね――なんて説明すればいいのやら……」
「みんなの気持ちは分からなくもないんだけど。熊倉先生から説明して頂いたほうが早そうだから、今の対局で何かしらの疑問を覚えた子はこっちに注目してくれる?」
収拾が付かなくなりそうなので、助け舟を出す私。
案の定、その場にいた京太郎君を含めた全員が、私と、その隣でホワイトボードに何かを書き記している熊倉先生のほうに注目してくれた。私もたまに地元の子供たちに麻雀教室で教鞭を振るうことがあるけれど、気分はまさにそんな感じである。
「さて。結論からいうと、須賀くんの能力は塞のそれとは明らかに違う能力だと言って構わないだろうね」
「そうなんですか? でも先生、トヨネの友引を不発させたのは間違いなく須賀くんでしたよね!?」
「ええ。それは間違いなくね」
おおっ、とざわめきが広がる。
「あっ! あれって須賀くんだったの? さえ以外にそんなことされたことないからちょーびっくりしたよー」
「ワタシモ、フシギナカンジダッタ」
「エイスリンの和了も防がれてた。どういう理屈かは分からないんだけど、後ろで見ててなんかそんな感じがしたし」
「ヤッパリソーナノ?」
「たぶんだけどね。どういうことなのか説明してもらえるんでしょ?」
「そうだねぇ。とりあえず、これを見てもらえるかい?」
指し示されたのは、ホワイトボードに描かれた数種類の牌とその絵柄。それを見て、思わず懐かしさが込み上げてくる。
たぶん以前に私が聞いたのと同じような能力のカテゴリー分けを説明するのだろう。
先生の隣のスペースに京太郎君が用意してくれた椅子にちょこんと腰掛けながら、ノスタルジックな気分に浸りつつも私もみんなと一緒に先生の話に耳を傾けることにした。
「――つまり、塞の能力はここ。相手を妨害する系の能力だから南に当たるわけだね。で、須賀くんの能力はおそらくこっち側――場を支配して対局者全員に影響を及ぼすタイプの能力だから、西ということになる」
「なるほど。まったくの別物っていうのはそういうことなのね……それにしても、何もしなくても門前でいるだけで全員のツモ和了を封じる能力なんて、一緒に打ってるほうはたまったもんじゃないって」
「しかもトヨネの友引を封じられるくらい強力な、ね……相手にしたらダルそうだ」
臼沢さんと小瀬川さんが、揃って深くため息をつく。
「はい、ついでに質問です! トヨネの場合はどこになるんですか?」
「豊音は複合系だね。場を支配する西の能力も持っているし、自分の和了確率を上げる東の能力も持っているから。ついでにいうと、須賀くんのところの清澄の大将も同じよ」
「うわっ……まぁそうなるよね」
「やっぱり咲はとんでもないんだな……あ、熊倉先生。そういうことなら俺も質問していいですかね?」
「なんだい?」
「師匠――小鍛治プロは、その組み分けだとどこになるんですか? やっぱり複合系すか?」
「……ふむ。それに関しては本人に聞いてみたらどうだい?」
「え? 私?」
「せっかく弟子が興味を持ってくれているんだから、きちんと説明してあげなさいな」
「……絶対面倒くさいだけだよね」
「何か言ったかい?」
「いいえ、何も」
う、相変わらず地獄耳なんだから。
しかも何故か京太郎君だけではなくて、全員の視線がこちらに集まっているし。
仕方が無いので椅子から立ち上がり、ホワイトボードへと向き直る私。空いた椅子にはすかさず熊倉先生が座り、見事に退路は絶たれてしまった。
一通り講義を終え、メンバーを変えた二回目の半荘戦が終わった頃にふと部室に備え付けの時計を見てみれば。なんと既に夕方近いではないですか。
収録の部分は粗方取り終えていたとはいえ、少し長居をしてしまったかもしれない。宮守の子達にも予定があるだろうし、これ以上時間を割いてもらうわけにもいかないだろうということで。
話しかけるタイミングを見計らっていたらしいこーこちゃんがやってきた。
「あのね、すこやん。残念なニュースがあって……ちょっといいかな? あ、須賀くんも」
珍しくしおらしいその姿に、思わず眉を顰めてしまう。
怪訝な表情を隠しきれないまま彼女の話を聞いていくうちに、眉間に寄ってしまっている皺がさらに深く濃くなっていくのが自分でも分かるほどだった。
「……つまり、今日泊まる予定だった宿が無くなっちゃったってこと?」
「うん。そういうことになるね。他のホテルもどこも満室で取れそうにないって、さっきスタッフが」
「ちょ、マジすか」
「大マジ」
いやいや、ちょっと待って。じゃあなに? 揃って野宿か、これから急いで撤収準備を終えて日帰りで東京に戻るはめになるってこと?
この肌寒い風が吹き荒ぶ中で野宿するくらいなら、どんなに窮屈なスケジュールになったとしても日帰りになったほうがまだマシだろう。付き合わされた京太郎君には申し訳ないけれど、それもやむなしか……。
「ちょっと話を聞いていたけど、なにか大変みたいだねぇ。健夜ちゃんたちがよければ私の家に泊まるかい? 老人の一人暮らしの割に大きな家を借りてあるから、かまわないよ」
「本当ですか!? いやー、さすがはすこやんのお師匠様! 懐が広いっ!」
「ちょ、こーこちゃん!? 今までのしおらしさはどこへ!?」
「ふっ。このチャンスを逃すほどこの福与恒子、耄碌しているわけではないっ!」
「だったらまず確実に宿の手配をしておいて欲しかったよ」
思わず心の底から漏れ出した私のご最もな意見も何のその。すぐさま条件を詰めるべくすごい勢いで熊倉先生と話をするその後姿には、少しだけ狂気を感じてしまった。
ちなみに、スタッフさんたちは新幹線で東京まで戻ることになったらしい。
「……あのー、師匠。俺はどうすれば?」
「えっと……い、一緒に先生のおうちに泊まる、でいいんじゃないかな」
「……マジすか」
「うん。さっきの対局の反省会もしておきたいし……いや、かな? 嫌だったらスタッフさんたちに頼んで一緒に――」
「嫌じゃないっす! というか師匠たちこそ別々の部屋とはいえ、嫌じゃないんすか?」
「う、うん。別に私は……」
「いやー、なんか田舎に泊まろうみたいで逆にテンション上がってきたよ私はさ! って、どったの二人とも? なんだか微妙な顔しちゃってさ」
「あ、いえ。なんでもないっす」
「……こーこちゃんが楽しそうで何よりだよ、私は」
ハプニングを楽しめる貴女の性格が今日ほど羨ましいと思ったことはないかもしれない。
「健夜ちゃん、私はまだ仕事が少し残ってるから晩御飯の買い物はお願いしてもいい?」
「あっ、はい。それはもちろん、お世話になるんですから――なにがいいですか?」
「せっかく人数が多いんだし、今日は鍋にでもしようかねぇ」
「荷物持ちなら須賀くんにお任せを!」
「そりゃ当然持ちますよ? 持ちますけど……福与アナ、竹井先輩じゃないんですから……」
こうして最大の危機は去り、何とかその日の宿を確保した私たちは、麻雀卓の後片付けを手伝いながら撤収準備に取り掛かった。
しかし私は気づくべきだったのだ。
こーこちゃんの視線と熊倉先生の視線が交差した時、意味ありげに双方の眼がキラリと輝いていたことに。
書いていて思ったのですが、簡易とはいえ麻雀の描写するのちょー久しぶりだよねー。
次回、『第16局:仮装@されど天使は逢魔に舞踊る』。ご期待くださいませ