すこやかふくよかインハイティーヴィー   作:かやちゃ

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第12局:帰結@湯煙に霞む画龍は点睛を欠かず

 長かった……。

 何がって、いやそれはもちろんボウリングがね?

 途中で余計な企画が目白押しだったせいか、なんだか一ゲームしかプレイしていないはずなのに、実質三ゲームくらいぶっ通しで遊んでいたような疲労感がある。他のメンバーも必要以上に疲れた顔をしているようだし、軽い気持ちで彼女の口車に乗ってしまったことを今頃後悔しているに違いない。

 ……たぶん、一部の無駄に元気な子たちを除いて。

 

「結果はっぴょ~!」

 

 ディレクターさんから罰則ポイントのカウント数が書かれた紙を受け取ったこーこちゃんが戻ってきた。本題のCM枠に加えて、いよいよ英語禁止区間にみんなが稼いだ罰則ポイントの発表である。

 ボウリング自体に関していうと、私はなんと100を越えてトータルスコア『110』という素晴らしい結果を勝ち取った。中盤あれだけグダグダになっていたことを差し引いても、個人的にはこれまでにない好ゲームだったといっていいと思う。

 第二組の赤土&高鴨ペアは、トータルスコア『138』。これまた申し分ない結果だったといえるんじゃないだろうかという感じ。

 第三組の松実玄&新子ペアは、トータルスコア『123』。第二組と比べるとちょっと低いとはいえ、なかなかになかなかな結果といえる。

 で、最後の第四組、松実宥&鷺森ペアのトータルスコアは『144』。ストライクが取れずスペアばかりになってしまった関係で意外にも第二組と接戦になったようではあるけれど、やはりそこは貫禄の一位ということで、看板娘の面目躍如といったところであった。

 

 しかし――だ。今回の企画では最終的なスコアの差に意味などない。いよいよ本題となる部分が、司会進行役のこーこちゃんによって発表されようとしていた。

 

「それじゃまずは各自のCM枠の獲得ポイントから発表しましょう! まずは和菓子の老舗高鴨堂――プラス14ポイントで140秒獲得!」

 

 おおー、という声があちこちから上がった。

 

「続いて新子神社――結果はプラス9ポイントながら、ダブルアップチャンス成功でお見事180秒獲得!」

「うわぁ、最後のアレがあるのとないのとで天と地との差だったか。よかったね、憧」

「まぁね。でも冷静になって考えてみたら三分も神社のなにを紹介すりゃいいんだか……」

「分かんないならおじさんとか望に相談してみたらいいんじゃない? どうせ憧は年末年始と秋祭りにバイトするくらいしか運営に関わってないんでしょ?」

「そうなんだけどね……仕方ない。お姉ちゃんにでも話してみるか」

 

「続けていいかい? 続けるよー、続いて松実館――二人の平均がプラス21ポイントで、210秒獲得!」

「おー、これは思ってたよりもずっといい数字だよね? やったね、おねーちゃん」

「うん。足手まといにならなくてよかったぁ」

 

 満足げな姉妹の様子に、ほんわかとした空気になる。

 ちなみに内訳は第三組の松実(玄)さんがプラス18ポイントで、第四組の松実(宥)さんがプラス24ポイント。ポイントのほぼすべてにおいて鷺森さんの力があったおかげとはいえ、稼ぎに貢献しているのは圧倒的に姉のほうだったといえる。番組的に色々と美味しい場面を作り出したのは主に妹さんのほうだったように思うけども。

 

「最後に鷺森レーンだけど――プラス24ポイントの半分、12ポイント獲得で120秒、さらに三回のあらたそチャレンジのうちストライクを一回、スペアを一回取ったためここに+60秒を加えて合計180秒を獲得です!」

「ポイント半分にされてもダブルアップに成功した憧と同じ秒数かぁ。さすが灼さんは格が違った」

 

 そんな周囲の感想に、少しだけ得意げにサムズアップして応える鷺森さん。渋い、渋すぎる。

 

 

「そういえば赤土先生はどうするんですか?」

「私は別に実家が家業を営んでるわけじゃないからさ。貰っても使い道がないもんで、別にいいかなって」

「じゃあいっそのこと自己アピールの時間にしてみるとかどうですかね? スカウトの人が見て興味を持ってくれるかも知れないですよ!」

「冗談でもやめて、福与アナが本気にしたらどうすんの」

 

 言いながらも笑いが堪えきれず、クスクスと笑いはじめる高鴨さん。一方の赤土さんは心底嫌そうな、げんなりとした表情で即座に否定する。

 地味にいい案なんじゃないか――なんて思う反面、自分の身に同じようなことが降りかかってきた時には一目散に逃亡するだろう確信があった。

 

「んじゃ本日のメインイベントっ! 罰ゲーム発表に行ってみようか~っ!」

 

 無駄に一人だけテンションが高いこーこちゃん。周囲の人間、特に可能性がすこぶる高いと思われる松実玄・新子憧・高鴨穏乃の三名は気が気ではない様子である。

 確実に罰ゲームを逃れていることが確定的な鷺森さんと、おそらく大丈夫だろう人たちにはなんてこともない時間だろうけど、最前線で戦い続けてきた彼女らにとってみればいわばここは天国と地獄の境目あたり。1ポイントに泣くことになるかも知れないシビアな状況に、戦々恐々としているのは間違いなかった。

 

「この場合はまず下からかな。見事な危機回避能力を見せてのゼロポイント達成は、鷺森灼! 続いて3ポイントで赤土晴絵、5ポイントで私こと福与恒子、6ポイントで松実宥と続きます! ほぼ自画自賛っぽくて申し訳ありませんがっ、このあたりのメンバーはさすがやり手ですね!」

「ちょっと待ってこーこちゃん。さすがにそれは異議ありだよ。どうして私をあえてそっちのカテゴリーから外したの?」

「え? いやだってすこやんは……」

 

 えっ? いやちょっと待ってよ。そんな悲しげな顔をされるほど私はポイント稼いでない……はず、だよね?

 少なくとも例の三強に並んでしまうほどに酷い成績を叩き出した覚えはない……と思う。

 

「微妙な物言いがつきましたが、とりあえず発表を再開しましょう! 猫耳メイドプロ雀士小鍛治健夜の獲得罰則ポイントは、なんと大台の10ポインツッ! ということで、二桁に乗せてしまった悲しきアラフォーは一桁の我々の仲間に入ることは叶いませんでしたとさ☆」

「アラサーだよ! ていうかなんで私の時だけそんなちょっと昔の深夜番組みたいなノリで点数発表するの!?」

「いやぁなんかそのほうが爽快感があって良いかなって。ほら、ポイント的にも順位的にもすこやん中途半端だし、それくらいはしないと美味しくないしさ」

「前から思ってたことだけどさ、こーこちゃんは私をお笑い芸人かなにかと勘違いしてる節があるよね?」

「最近はアイドルでも被り物コントをやらされるほど笑いに関して過敏で過酷な時代なんだよ、すこやん。出来が良いかどうかは別としてね」

「そういうのは素直に本職の人にお任せしようよ……やっぱり餅は餅屋のものだよ?」

「おもち!?」

「玄、もっとめんどくさいことになるからいちいち反応しなくて良いから。ていうかお願いだからするな」

「うう、ゴメン憧ちゃん……」

 

 松実(玄)さんが条件反射的に華麗にやってのけた会話のインターセプト。隣にいた新子さんに叱られてシュンとしてしまったものの、結果的に私とこーこちゃんの会話はそこで止まった。言い争いに発展するようなことはさすがにないと断言できるけれど、ヒートアップする前に出鼻を挫かれたのはよかったかもしれない。少しだけ松実さんのおもち狂いに感謝した。

 そもそも私としては美味しいとか美味しくないとか、そんなことはどうでもいいんだよね。ただちょっとした優しさとか気遣いとか愛情が欲しいな、というだけのことであって。

 

 これでも私は一時日本国内でトップに立っていたこともある、れっきとした麻雀プロだ。やはり私に似合うのはボウリング場ではなくて、テレビ局のスタジオでもなく、雀卓なんだろう。自分のやるべきことをきちんと把握して動ける仕事というものが、いかに働き易いのかということを強く噛み締めている今日この頃である。

 まさかこんなことで雀卓が恋しくなるとは思わなかったよ。わりと本気で。

 ああ、いまなら誰が来ようと本気度百パーセントでお相手してあげるのに。次のリーグ戦の対戦相手はどこの子達だったかな……。

 

 ――なんて現実逃避をしていても仕方がない。なにはともあれ最下位で罰ゲームは免れたわけだし、あとはトップスリーの行く末を見守るだけの簡単なお仕事だ。宿に戻れば温泉が待っているんだし、もうちょっとだけ頑張ろう、私。

 

「さてさて、いよいよ発表も佳境ということで。残ったのは松実玄、新子憧、そして高鴨穏乃! いやぁ、区間中から圧倒的優勝候補と目されていた三名が順当に残りましたねぇ。お三方、今のお気持ちは!?」

「うーん、あんまり負けてる気はしないんだけど……」

「ぐぬぬ……私がこの面子と一緒に残ることになるなんて……っ」

「罰ゲームかぁ。どんなことさせられるのかなぁ」

 

 不思議と自信満々な松実(玄)さんと、見るからに悔しそうな新子さん、そして危機感の欠片も感じさせない高鴨さん。そのコメントは三者三様ではあるけれど、泣いても笑ってもこの中に罰ゲームをさせられる子が必ず一人存在する。あと新子さんに関してはほぼ自滅で稼いだポイントなので、文句を言いに行く場所はどこにもない。実にご愁傷様である。

 

 

「では、ついに運命の罰則ポイント獲得トップスリーの発表をしたいと思います! が――」

 

 残された三人が自分の命運を別つことになる発表の時を、どこか緊張した面持ちで待っている場面。しかし、そんな彼女らの意に反してこーこちゃんはカウントが書かれているメモ用紙を見つめたままなかなか発表に踏み切ろうとはしなかった。

 不思議に思って見ていると、こーこちゃんの一番近くにいた赤土さんが呼ばれ、何気なくメモを渡されたのが見えた。それを確認したと思われる赤土さんもまた、感心したような表情を覗かせはしたものの順位を口に出すようなことはせず。次にその隣にいた鷺森さん、そして松実(宥)さんへと渡されていき、それを確認した二人ともが驚いたような顔で三人のほうを見た。

 

「な、なによ……?」

 

 何か問題でも発生したんだろうか? と思いつつその光景を眺めていた私を、こーこちゃんが手招きして呼び寄せる。松実(宥)さんからメモ用紙を渡された私はそれに目を通した瞬間、文字通り目が点になった。

 

 いやいや。そんなバカな。この幼なじみたちは一体どこまで仲良しなんだか。

 字面だけ見れば微笑ましい感じはするものの、実物たちを見ると苦笑しか浮かんでこないのは何故だろう?

 メモ用紙に書かれている順位。それはなんと、それぞれ獲得した罰則ポイントの☆が18個で並んでいることを示すものだった。さすがに全員が同率一位になるなんてことは誰も想定していなかったというのに……この場合罰ゲームの対象はどうなるのかと、自然と待ちぼうけをくらっている三人を除くその他全員の視線が、点数の発表をするこーこちゃんに集まっていく。

 腕組みをして考え込んでいた(フリをしていた)こーこちゃんがおもむろに閉じていた瞳を開き、

 

「――なんと三人ともが18ポイントで同率一位っ! てことで三人とも罰ゲーム決定~っ!」

 

 いい笑顔でサムズアップする姿と、それに反応して揃って声を上げるトップスリーの面々。

 

「「「そんなオカルトありえませんっ!」」」

 

 皮肉にも、英語禁止区間中には言いたくても言えなかった原村さんの決め台詞が、その場にいた三人の心情を代弁してくれていた。

 

 

☆最終的な個人成績☆

 松実玄(松実館) [CM時間:180秒 罰則PT:☆×18] 罰ゲーム決定

 新子憧(新子神社)[CM時間:180秒 罰則PT:☆×18] 罰ゲーム決定

 高鴨穏乃(高鴨堂)[CM時間:140秒 罰則PT:☆×18] 罰ゲーム決定

 小鍛治健夜(プロ)[CM時間:---秒 罰則PT:☆×10]

 松実宥(松実館) [CM時間:240秒 罰則PT:☆×6]

 福与恒子(アナ) [CM時間:---秒 罰則PT:☆×5]

 赤土晴絵(顧問) [CM時間:---秒 罰則PT:☆×3]

 鷺森灼(鷺森レーン)[CM時間:120秒+60秒 罰則PT:☆×0]

 

 

 

 罰ゲームの収録と内容の発表は後日ということになっているため、すべての予定が終わりを迎えようやく宿泊先の松実館へと辿り着いた一行。松実姉妹に見送られながら部屋へと戻ってきた私は、さっそく缶ビールを開け始めたこーこちゃんを部屋に残し、着替えを手に露天風呂があるとされる大浴場へと向かった。

 旅といえば旅館。旅館といえば温泉。温泉といえば露天風呂。この連想はもう日本人である限り抗いきれない誘惑であるといえる。

 

 昨日はお部屋に付いているほうのお風呂をのんびりと満喫させてもらったので、実はこちらの大浴場に入るのは今日が初めてということになる。他の宿泊客の人たちの姿はちらほら見えるものの、時間が少し遅めということもあってか混んでいるという程でもないようで少しだけほっとする。たとえ相手が同性といえども、裸を見られるのにいっさい抵抗がない、なんてことは決してないのだ。

 

 自意識過剰と言うなかれ。

 昔とった杵柄とでもいうべきか、わりと一般の人たちに顔が知られているらしいこの私。実際に声をかけてくる人はほとんどいないけど、こういった場所だとけっこうな頻度でじろじろ見られることがあったりするのもまた事実で。わりとよく出没しているファミレスあたりならばともかく、気を抜くことが前提の場所でひたすら注目を浴びるということは、逆に気疲れをしてしまうから大変だったりするものなのだ。

 あまり大っぴらに見せびらかせられるほど立派なスタイルというわけではないという理由もあって、見られるたびにコンプレックスを刺激してくるのもいただけない。温泉くらいゆっくり浸かりたいと思うのが人情であろう。

 

 ただ、私と似たような立場にいるはずの、新人とはいえ現役のアナウンサーであり、その注目度は今現在の私と比べると高いほうだと思われるこーこちゃんはといえば。そんなことはいっさい意に介さず、人が多い時間に大浴場に入ることも普通にこなす剛の者である。今日は部屋に備え付けになっているお風呂のほうを利用するつもりらしいので一緒に来てはいないけれども。

 彼女も私と似たり寄ったりのスタイルではあるものの、職業柄か視線を向けられることに関してはさほど抵抗はないという。羨ましい限りだ。

 但し、有名人というだけでじろじろと見られてしまうことはやっぱり多いみたいで、いかにも「自分のほうがスタイルがいいのか、フフン」という感じで嘲笑していくタイプの人もけっこういるらしく、それが素直にむかつくとは言っていた。外見を売りにしている女子アナウンサーという職業も何かと大変なんだろうなと思った瞬間だった。

 

「はぁ~……やっぱり温泉っていいなぁ」

 

 思わず漏れ出す心の声。

 見上げた夜空には満天の星空が広がっていて、立ち昇っていく湯気の隙間に揺らめいている光がちかちかと明滅するたびに自然とほぅとため息が漏れていく。

 

 そういえば、ここしばらくはこんな風にゆっくりとした時間を過ごすことも無かったような気がするなぁ。

 インターハイが始まって、色々な資質を持った未熟な若い雀士たちに少なからず刺激を受けて。そのうちあの子達ともプロの世界で卓を囲むことがあるんだろうか、なんて漠然と考えていたら。そこに現れたのが十年前、私と戦ったあの赤土晴絵率いる阿知賀女子学院。その阿知賀女子の優勝を見届けることになる試合の解説を担当したのが私という偶然の一致もあって、今年の大会は特に記憶に残るものだったといっていい。

 運命――というものを信じることも悪くはないかな、なんて乙女チックな感想を抱いたのは初めてだったかもしれない。

 

 大会が終わりを告げると共に、そうこうしているうちにすぐこの企画が始まって……まずは因果という名の怪物を抱く少女と会い、戦った。その結果としてあの子が私と同等かそれ以上の怪物に育つ可能性を感じることもできたし、彼女ならば麻雀でない麻雀を作り上げるためだけの機械にはならないだろうと確信を持てたことは、日本麻雀界の未来においては大いなる損失かもしれないが、私個人としては納得の行く結果だったと思う。

 そんな中で私の弟子になってくれた子もいる。普段はとても礼儀正しい、けれど大きなものをおもちの美人さんにはめっぽう弱い。ちょっとだけ困ったそんな子ではあるけれど、私の手を取ってくれたことに関しては素直に嬉しいと言える出来事だった。

 

 色々とあったし、長かった――ように思えるこれまでの道のりだけど、でもまだこの企画が始まってから時間にすると一ヶ月とちょっとしか経っていないんだよね。

 恐ろしいのが、訪問予定にある上位八校+二校のうちまだ清澄と阿知賀にしか取材に訪れていないという現実……この企画、きちんと現三年生が卒業する前に終われるのか否か。これから本格的な受験シーズンの到来ということもあって、不安は募るばかりである。

 ……でもまぁ、それを考えるのは後でいいかな。今はこの心地よい環境に身を任せて、せっかくの旅行気分を満喫することにしよう――。

 

 

 バシャン、と近くで鳴った水音にふと閉じていた瞼を上げた。というか、少しうとうとしていたので、その音で目が醒めたといったほうが正しいかもしれない。

 気が付けば、近くに誰かが立っていた。膝上まで湯船に浸かった状態で、タオルを湯に浸けないようギリギリのところで前を隠しながらこちらを向いているその女性。長い髪をアップにしているせいで印象が少し異なるものの、その顔には見覚えがあった。

 

「……あれ? 松実さん?」

「あ、お邪魔してごめんなさい、小鍛治プロ。お隣、構いませんでしょうか?」

「うん、どうぞ」

「では失礼して――」

 

 丁寧にタオルを畳み、それを近くの岩場にかけてからゆっくりと湯船に浸かっていく松実(玄)さん。

 途中で見えた大きな果実については言及しない方向で。背丈に似合わずかなりのボリュームだったから思わず凝視してしまったけれど、意地でもツッコミなんて入れてやらないんだからね。それこそお雑煮に投入されたおもちの如くのびるまで湯船から上がれなくなるなんてのは勘弁してもらいたいし。

 

「松実さんたちはいつもこの温泉に入ってるの?」

「いえいえ。裏手の母屋のほうにちゃんとお風呂は付いてるんです。だから普段はそっちで入ることのほうが多いですよ」

「へぇ、そうなんだ。せっかくこんな気持ちの良い露天風呂があるんだから、普段もこっちに入ればいいと思うんだけど。やっぱりそういうわけにはいかないものなの?」

「そうですね~。お客様のご利用時間に従業員が入るのは、本当ならちょっとマナー違反っていうか、そんな感じがありますもん。それにあっちのお風呂も元はここと同じお湯だから、ほとんど変わらないっていうのもありますけど」

 

 ふぅん、なるほど。温泉旅館が実家というのもお得な面と面倒な面があるということかな。

 

「――ってことは、松実さんは私に何か聞きたいことがあってわざわざマナー違反を承知でやって来た、ってこと?」

「ええと、はい。実はそうなのです。っていっても、お父さんにはきちんと許可を貰ってますけど」

 

 滅多にないこと、という前置きをしてから松実さんは色々と話をしてくれた。

 こんな風にその時間内に『お客様待遇』で温泉に入ることを許されることがある時というのは、大抵知り合いが泊まっていく時なんだそうで、阿知賀女子のメンバーで強化合宿を行った際も松実館を利用したという。

 それにしても強化合宿かぁ。その響きだけでもう懐かしいな。

 

「それで、ですね。小鍛治プロ」

「――うん?」

「来年なんですけど……私、どうしたらいいのでしょうか……?」

「え?」

 

 あまりにも抽象的過ぎる質問に、思わず素直に聞き返してしまった。

 来年どうしたら良いのか、というのはどういう意味だろう?

 

「今年はおねーちゃんがいてくれたから、私がみんなの足を引っ張っちゃっても取り返してくれましたけど……来年はいなくなっちゃうから……」

「ああ、そういうことかぁ」

 

 今年のことで自信を失ってしまっているのか。しょぼくれた表情で俯いた彼女の背後に、どんよりと暗雲が立ち込めているような錯覚を覚える。

 

 はっきりいって、今年は相手が悪すぎたと思う。

 特に準決勝は、個人戦連覇中の宮永照に、二回戦でコテンパンにやられた千里山のエース園城寺怜。新道寺女子の花田煌――は実力的には松実さん以下だろうけど、攻撃面で頼るものがないということが逆に功を奏し、臨機応変に対処する術に関しては完全に格上の様相だった。

 おそらくは阿知賀の他の誰が出てもあの結果は覆らなかったに違いない。それどころか、ドラを抱え込んで離さない彼女の打ち筋は打点を上げるよう面子を組み立てなければならない宮永照を抑え込むのに十分すぎる効果を果たしていたわけで。それがなければ最終的な点差がどうなっていたか……下手をすると先鋒戦の時点で勝負そのものが決していてもおかしくはなかった。

 

 団体戦の結果は優勝というこの上ないものを得たわけだが、彼女自身にとってはきっと負け続けた記憶しか残っていないのだろう。

 二回戦・準決勝、そして決勝と。そのすべてで明らかにおかしい面子(※良い意味で)に囲まれていたため、今の自分の実力がどの程度の位置にあるのか、それすら分からなくなる程に揺らいでしまったのかも知れない。

 

「松実さんが望んでるような具体的な話はしてあげられないかもしれないけど……あのね、どんな分野でも共通して言える事だと思うんだけど。想像力って大切なんだよね」

「想像力、ですか?」

「うん。今の松実さんにはそれがちょっとだけ足りないっていうか……はっきり言っちゃうと、能力に打たされてるとでもいうのかな」

 

 ドラゴンロード、即ち龍の王。

 王様というからには、そのすべてを統べる王でなければならない。決断を要する場面できちんとそれを下し、勝手気ままに暴れ回る部下がいればそれらをきちんと統制する。

 それができていない彼女は今“Lord(統率者)”ではなく、龍が勝手に駆け抜けていくだけの“Road(道)”に佇む交通整備員になってしまっているのだ。

 甘やかすだけでは王にはなれない。時には厳しさを持ってそれらを抑え込むことも善しとしなければ、行き着く先は裸の王様ルートまっしぐらである。

 

「自分の弱点はもう分かってるよね?」

「……はい。ドラが捨てられなくて、そのぶん相手に読まれやすくなっちゃうのです」

「松実さんのそれはね、初見の人相手だと恐ろしい破壊力を持ってると思うの。でもそれって、逆に言っちゃえば対策を練ってから挑んでくる相手にはとことん弱いってことでもあるんだ」

 

 もし晩成高校に新子憧が入学していたとするならば、その上で団体戦に出場できるだけのメンバーを確保できていたとしても、この時点で阿知賀は詰んでいたはずである。

 晩成高校の先鋒だった小走やえ。個人戦で上位に食い込んでみせた彼女は全国に出てきた他校の先鋒たちと比較してみても決して弱くはない。事前に松実さんの打ち筋の特徴を掴んでいれば、おそらく奈良県大会一回戦先鋒戦での収支は逆転していたと思う。

 

「でも、私にはその打ち方くらいしか……」

「ううん、能力を活かしたままで別の打ち方もちゃんとできると思うよ?」

「えっ?」

 

 あまりにあっさりと断言してしまったせいか、俯いたままだったはずの顔をこちらへ向ける松実さん。キョトンとしているのが少し可愛い。

 しかし、そう思っていたのも一瞬のことだった。

 よほど切羽詰っていたのか、言葉の意味を理解した瞬間に身を乗り出して迫ってくる。主に胸が。

 

「ど、どどどどど!?」

「ちょ、落ち着いて。お願いだから押し付けないで! なんかとっても虚しくなるから!」

 

 持つものと持たざるものの落差は、双方が抱いている認識以上にズレが激しいものである。見せつけられた上に押し付けられるとか、もう悔しいのを通り越して虚しくなってくるじゃないか。

 ええい、姉妹揃って忌々しいなもうっ。

 ……あれ、待てよ? 姉妹が揃って巨乳というならば、その秘密は遺伝子かもしくは育成環境に依存しているはず。遺伝子はどうにもならないかもしれないけど……もしこの温泉に豊胸の成分でも含まれているとしたら、どうだろうか。

 

「……ねぇ、松実さん。このお湯、飲んでも平気かな……?」

「え!? なんでいきなり!? さすがにそれは止めたほうが――あっ、喉が渇いたなら樽酒があそこに置いてありますから!」

「や、別に喉が渇いてるわけじゃなくて……ゴメン、今の忘れて」

 

 思わず錯乱してしまった。なんもかんもこの豊満なおもちが悪いんだ、えいえい。なんて言いながら胸元をつっついて遊んでる場合でもないんだったっけ。やってないけど。

 

「ええと、話を元に戻そうか。あのね、とても単純なことだと思うんだよ。松実さんがもし本当にドラを手放せないんだとしても、相手にそれを悟らせなければいいの」

「で、でも……たぶんもう私がドラを捨てられないってテレビを見てた人たちは全員知ってますよね……?」

「そうだね。なんといっても団体戦優勝校の先鋒なんだし。でもさ、だからこそ来年はとても厳しく警戒されちゃうと思うんだ。それこそ小さな対局のデータも残らず集められちゃうくらいにね」

 

 先入観を植え付けるというのは、実はけっこう有効な手段である。

 つまり、相手にドラを捨てないと思い込ませておいて、あえてその逆を衝く。かつて準決勝の先鋒戦で宮永照に突き刺したあの一撃、他家のアシストがあってこその結果とはいえ、あれも根本的には植えつけられていた先入観による油断から生じた被弾だったといえるだろう。

 ――ならば、その逆も然り。

 今年の松実玄は、展開次第で普通にドラを捨てることがある――と印象付けておくだけで、相手は勝手に想像力を働かせてくれる。迷ってくれる。

 情報戦。相手の真理を逆手に取るというのは、勝負における定石である。

 

「ハッタリっていうと言葉が悪いかもだけど……ある程度は必要なことだと思う。それに、ドラを捨てた後のデメリットも力が戻ってくる間隔さえきちんと自分で掴めておけば逆に武器にできるんだよね」

「武器にできる、のですか……?」

「そう。その状態を逆に利用して相手を霍乱する方法もあるってこと。たとえばだけど、対局の途中で能力が戻ってくるように調整しておいて、前半はドラが使えないって相手に思わせておいてから、後半怒涛のドラ爆撃で突き放すことだってできちゃうだろうし……まぁ、どっちの状態も使い様ってことかな」

 

 能力に頼りがちな子というのは大抵自分の手牌に精一杯というか、己のスタイルを過信しすぎるきらいがある。だから相手のことをほとんど見ていないし、自分の流れの上でしか戦えない。

 そもそもドラを捨てるとしばらくドラが手元に来ないというデメリットも、はっきり言えばデメリットではないんだよね。だってそれって、普段の松実さんと一緒に打っている他家の状態と何も変わらないのだから。

 ある程度はドラに固執しない打ち方を覚えることも必要だろうし、それができないはずはない。普通に打っていてドラが一枚も来ない展開なんて腐るほどあるわけで、逆転するための点数的にドラが必要なんて縛りでもない限り困りもしないし、ドラを含まない和了なんてそれこそ掃いて捨てるほど存在する。冷静に考えればそれで泣き言を漏らすほうがおかしいのだ。

 

「考え方を変えてみればいいんだよ。ドラが集まってくるって分かってる状態も、ドラが絶対に入ってこないって分かってる状態も、松実さんにとってどっちも情報としては同じだけの価値があるんだよ。あとは託された主人がそれをどう扱うか、ただそれだけのことなの」

「……」

「少し考えてみたらどうかな。松実さんがこれから長い間ドラ麻雀と付き合っていく上で、それとどう向き合うべきなのか。来年の春の大会までにもまだ時間があ――る……」

 

 ふらり、と。一瞬視界が揺れたような気がした。

 あれ?

 おかしい、のぼせたかな――と思った瞬間には既に目の前は暗くなっていて。

 薄れていく意識の中でかろうじで理解できたものはといえば、耳元で聞こえる自分を呼ぶ声と、頬に伝わる柔らかな二つの膨らみの感触くらいのものだった。

 

 

「……ん」

 

 ゆっくりと瞼を開けてみると、いきなり目の前に大きな影が差し込んだ。

 寝起きのせいか少しだけボーっとしている頭を回転させて、この状況を考えてみる。

 ええと、さっきまで何してたんだっけ。たしか部屋に戻ってから温泉に行って……ああ、露天風呂で入浴中に松実さんと話をしてたんだっけ。それでいきなり眩暈がして――って、ちょっと待って! 倒れたのがお風呂ってことは私今裸なんじゃ――!?

 慌てて飛び起きようとして、ガツンとおでこを殴られたような衝撃が走る。ていうか思いっきり殴られていた。膝枕をしてくれていたと思わしきこーこちゃんの肘で、自主的に。

 

「あう……」

「なにやってんだか、大人のくせに」

「いつつ……あれ? ここって、部屋……?」

「色々あって戻ってきたけど、倒れたのは露天風呂だよ。覚えてる?」

「うん、なんとなくは……松実さんは?」

「一緒に応急処置してくれてたんだけど、時間が時間だったから戻らせたよ。心配そうにしてたけど、あとは私が引き継ぐからって」

「そっか、悪いことしちゃったな……」

「ま、無事で何より。すこやんがなかなか戻ってこないから大浴場まで行ってみたらさ、くろちゃーが涙目ですこやん抱え込んでるじゃない? いやぁ、正直びっくりしたよ――」

「う……ごめん」

「――てっきり更年期障害で倒れたのかと」

「……」

 

 軽口に応える元気もないよ、私はさ。

 こーこちゃんが言うには初期の湯あたりだったらしい。松実さんの献身的な介護で顔色が元に戻ってからも、昼間の収録とボウリングで疲れが溜まっていたこともあってなかなか目を覚まさなかったそうな。

 で、このまま脱衣場に寝転ばせたままでは逆に湯冷めして風邪を引いてしまうだろうと、浴衣を着せて部屋まで担架で運んできてくれたのは仲居さんとこーこちゃんだったそうだ。

 ああもう、いろいろな人に迷惑をかけてしまったっぽいのが申し訳ないやら情けないやら……。

 

「ああ、そうそう。くろちゃーから二つほど伝言があるよん」

「……伝言?」

「そそ。なんだっけか……たしか『小鍛治プロの言うとおり、きちんと考えてみます』ってさ」

「……そっか」

 

 あの子がもう一つ上のステージで戦うために必要なもの。それは知ることだと思う。自分自身の考え方一つで自由に選択肢を作れるのだと。

 私に言われたからといって無条件でその通りにするのであれば、能力に頼りきりだった今までとそう変わりはしない。目の前にある色々な選択肢に対して自分がどう考えて、どれを選択するのか。

 考えることだ。考えることは時に停滞を引き起こすこともあるけれど、今の彼女にはそれも必要な時間だと思うから。

 

「ああ、あともう一つ」

「……なに?」

「おもちでないかもしれないけど、元気を出してください――だって。これくらい大きければ私だって京太郎くんにスルーされなくなるのに――的なことを寝言で言ってたみたいだよ?」

「――はっ?」

「あと、ここの温泉の成分に豊胸の効能はないって。残念だったね」

「」

 

 最後の最後でどれだけの醜態を晒したというの、私。

 ああもう――いっそ殺して。




というわけで阿知賀編はいったん区切り、次回からは別の高校へ訪れることになります。CM撮影の様子とか三人の罰ゲームの模様はいずれおまけとして投稿する予定。
次回、『第13局:交錯@勝者と敗者の狭間にて、我想ふ』。ご期待くださいませ

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