「ほーー……。これがエディンバラのオベリスクか」
「ええっと、何々……。高さは169メートルあって……。」
「見上げているだけで首が痛くなるよ」
目を醒ましてから5日目。ルルーシュはようやく自分の足だけで歩ける様になっていた。
無論、この常識外れの回復力はコードを保有する故にだが、ルルーシュ自身の努力の賜物でもあった。
嘗ての屈辱を決して忘れてはならぬと戒めの意味で建てられた『エディンバラのオベリスク』、皇居の南に位置するコロルド川に面して作られた公園の中心に建てられた観光名所。
そこを目標として、アリエス宮から約5キロある道のりを往復するという無茶をルルーシュは覚醒の3日目から行っていた。
その無茶の甲斐あってか、3日目は松葉杖で1日ががりを要したのが、4日目は杖が1本となり、5日目の今日はアーニャの補助を時たま必要とするが、杖も必要となくなり、この折り返し地点到着の時間も半分にまで短縮されていた。
「そもそも、エディンバラのオベリスクとはですね」
「お父さん、たっかいね!」
「これ、地震とか大丈夫なのかなー?」
今はベンチにて、一休み。ルルーシュはぐったりと背を深く持たれ、ベンチの背もたれ縁に後頭部を乗せて、疲労困憊。
荒い息を整えながら、夏の青空に流れて形をゆっくりと変えてゆく入道雲をぼんやりと眺めて、雑多溢れる観光客達の声を聞いていた。
ちなみに、付き添いのアーニャはアイスクリームが食べたいというルルーシュの要望に応えて、今は近くの屋台へ買い出し中。
「わわっ!? 見て、見て! 凄いよ!
この角度から見ると、本当に1ブリタニアポンド札の裏に描かれている奴だよ!」
「っ!?」
それは前触れもなく唐突な出来事だった。
観光客達が交わす数多の言葉。それ等の中から、その声色がはっきりとルルーシュの耳を打った。
その瞬間、ルルーシュは目をこれ以上なく見開き、身体を跳ね起こすと、その勢いのままベンチから勢い良く立ちあがった。
「もう恥ずかし過ぎ! そんな大声を出したら、田舎者だって、バレバレじゃない!」
「そうだけど……。実際、田舎者だし」
そして、その二度目となる声色の発生源を求めて、ルルーシュの目が捉える。二度と会えないと思っていた栗色の長い髪の後ろ姿を。
どうして、ここに居るのかなど、どうでも良かった。ルルーシュは即座に駆け出した。気が付いたら、その声色の女の子へ向けって全速力で駆け出していた。
「待ってくれ!」
「「キャっ!?」」
しかし、ルルーシュは驚き慌てるあまり、大きな失敗を犯す。
目標とする女の子の行く手の前へ回り込み、両手を左右に広げての通せんぼ。
当然、目標の女の子と一緒に歩いていた女の子の2人は驚き、悲鳴をあげながら思わず抱き合う。
「あっ!? い、いや……。そ、そのだな。え、ええっと……。」
その悲鳴に何事かと足を止めて、ルルーシュ達へ視線を向ける観光客達。
ルルーシュは思わぬ注目を浴びて焦り、辺りをキョロキョロと見渡しながらも、目標の女の子の容貌をチラリと盗み見る。
それは思った通り、ルルーシュが恋心を抱きながらも、自分の復讐劇に巻き込んでしまい、その中で命を散らした『シャーリー・フェネット』、その人だった。
もう二度と逢えない筈だった相手が目の前に立ち、こちらを見ているという現実に万感の思いが心に湧き、たまらずルルーシュは涙を瞳に溜めながら右手をシャーリーへと伸ばす。
「はうっ!?」
「「キャァァ~~~っ!?」」
だが、右手を持ち上げた瞬間。突然の全力疾走に耐えきれなかった両脚が悲鳴をあげ、ルルーシュの両膝がガクガクと震え始める。
慌ててルルーシュは踏ん張ろうと試みるが、その足自体が役に立たず、膝が折れたかと思ったら、下半身から力が一気に抜け、その場へ尻餅を付いた上に仰向けとなって倒れてしまう。
シャーリーと女の子はいきなり現れて、いきなり倒れ、いきなり下半身を痙攣させている男にビックリ仰天。先ほど以上の悲鳴をあげる。
「ルルーシュ様っ!?」
その悲鳴を聞き付け、ベンチへ戻ってくる途中だったアーニャは両手に持っているアイスクリームを投げ捨てると、即座にルルーシュの元へ駆け出した。
「つまり、アランさんはシャーリーを知り合いと間違えて追いかけてきた、と?」
「……そうだ」
大騒ぎとなった場を何とか収めて、シャーリーと連れの女の子を誘い、場所をベンチへ変えての事情説明。
名前を正直に明かしたら、その姓で皇族とバレてしまう為、ルルーシュは『アラン・スペイサー』と言う偽名を目の前に立つ2人へ名乗ったが、それはお世辞にも上手くいっているとは言い難かった。
なにしろ、この偽名は外出前に決めたモノだったが、よっぽど先ほどの一件で肝を冷やしたか、アーニャがルルーシュの名前を既に何度も呼んでしまっていた。
使い慣れた『ルルーシュ・ランペルージ』の偽名を使おうかとも考えたがシャーリーが相手だけにナナリーとの接点が有るやも知れず、今のモノを選択した。
余談だが、ルルーシュは既にマリアンヌから聞き及び、ナナリーの所在地を知っている。
「ふ~~~ん……。そうですか」
「ちょ、ちょっとっ!?」
女の子は不審そうな態度を隠さず、ルルーシュへ視線を上から下へと、下から上へと向けての値踏み。
その不躾な態度に驚き、慌ててシャーリーが窘めようとするが、女の子はシャーリーの手を引っ張ると、ルルーシュから少し離れて、背を向けながら密談をし始めた。
「どうする?」
「どうするって……。何が?」
「ナンパだよ! ナンパ! チャンスだよ! チャンス!」
「えっ!? ナンパは解るけど……。チャンスって?」
但し、興奮しているせいか、密談が密談になっておらず、丸聞こえとまではいかないにしろ、十分すぎるほどにルルーシュへ届いていた。
ルルーシュは顔を引きつらせる。まさか、ナンパだと思われているとは考えもしなかった。
今すぐ、この場から逃げ出したい気分になってくるが、足の感覚が未だ戻っていない。
そのポンコツな足を左隣に座るアーニャが懸命にマッサージ中。ルルーシュは汗を垂らしているその姿にただただ感謝して、切ない心を慰める。
「だって、あの娘がさっき呼んでいた名前と違うしさ」
「だよね。さっき『ルルーシュ様』って呼んでたよね」
「そう、それよ! 様よ! 様!
もしかしたら、貴族……。いや、この場所を考えたら、大貴族か、皇族って可能性も!」
「ええっ!? まっさかぁ~~!」
ところが、更なるショックがルルーシュを襲う。
こちらをこっそりと盗み見たシャーリーの目はルルーシュが知るものでは無かった。
そう、それは完全に初対面の者へ向けられたもの。その視線を受けた時、ルルーシュは笑顔を辛うじて保てたが、上手く笑えていたかまでは自信が無かった。
そして、この世界が自分の育った世界では無いと認識してはいたが、その認識がまだまだ甘かった事を知る。
自分の知っている者が自分を全く知らないという事実がこれほど辛いものだとは思いもしなかった。ルルーシュは思わず胸を右手で押さえ、締め付けられる様なキリキリとした痛みに耐える。
『王の力はお前を孤独にする』
今一度、ルルーシュは諦めきれない思いからシャーリーへ視線を向けるが、やはり向けられた視線は変わらない。
この世界では自分がたった一人の異邦人である事を思い知らされ、ふと今の自分に相応しいC.Cの言葉を思い出す。
意識を内側へと向ければ、すぐにでも繋がるCの世界。もう戻れない自分の世界での記憶の数々が瞼の裏に瞬きほどの一瞬で蘇り、目の前のシャーリーと重ねてしまい、切なさが込み上げてくる。
「まあ、貴族でないとしても、かなりのイケメンよ?」
「そ、そうかも知れないけどさ。わ、私には……。」
「だよねーー……。シャーリーには熱々の彼氏が居るもんね」
「あ、熱々って! そ、そんなんじゃ!」
「何、言ってるのよ!
彼と同じ大学へ通う為に猛勉強して、バージニアまで来た癖に!」
「そ、それはそうだけどさぁ~~」
そんなルルーシュへ追い打ちをかける衝撃の事実。
当然の可能性だった。ルルーシュが今までシャーリーと出会っていない世界なのだから、シャーリーが別の男性へ恋をしていても不思議は無い。
しかも、2人の話を聞く限り、シャーリーが通っている大学はバージニア大学。世界100大学にランキングされる名門校である。
正直、ルルーシュが知るシャーリーでは入学受験を申し込むのも無謀と言える事実から、その件の彼氏へ対する熱い想いが伺えた。
それでも、ルルーシュにとって、シャーリーに彼氏が居るという事実はお互いに想いを一度は交わし遂げただけに大きなショックだった。
「……という事で、私はどうですか?
只今、彼氏を絶賛募集中ですよ! バージニアに通う社会学部の1年です!」
その隠しきれない傷心した様子をチャンスと見たのか、女の子が歩み寄り、両手を両膝に突きながらベンチに座るルルーシュの顔を覗き込む。
季節は夏、今日は晴天、第一ボタンが外された夏用のピンクのノースリーブブラウス。その体勢は女の子の豊かな胸元が必然的に強調され、ルルーシュが眼前へ晒されたソレに圧倒されて仰け反る。
「あはははは……。いぎっ!?」
しかし、心とは裏腹に目は正直にモノを言った為、唇を尖らせたアーニャに太股を抓られ、ルルーシュは身体を更に仰け反らせた。
******
「ルルーシュ様、お帰りなさいませ。
先ほど、お客様が有りました。今、マリアンヌ様と……。」
屋台のホットドックを昼食に食べて、ルルーシュとアーニャがアリエス宮へ帰ると、既に時計は午後3時を回っていた。
今や、皇帝の寵愛が薄れると共に廃れたアリエス宮は門と詰め所は有っても門番は居らず、入退のチェック機能が働いていないのだが、使用人の老人はルルーシュの帰宅を玄関ホールで待ち構えていた。
もしかしたら、心配させてしまっただろうか。ルルーシュがそう考えていると、玄関ホール2階の左手側から忘れもしない声が聞こえてきた。
「ルルーシュっ!?」
「ユフィっ!?」
ルルーシュが声の発生源へ視線を反射的に向けると、そこに居たのは赤毛のロングへーアーの女性。第3皇女『ユーフェミア・リ・ブリタニア』だった。
己の罪の証とも言えるシャーリーに続いて、ユーフェミアとの再会。心の準備無しにもたらされた運命の悪戯にルルーシュの鼓動が強い痛みと共にドクンと打ち鳴る。
「ああっ!? 本当にルルーシュなのね!
お母様から目を醒ましたと聞いて、すぐに飛んできたの!
良かった! 本当に良かった!
私、もう目を醒まさないんじゃないかって考えたりもして! でも、良かった! 嘘じゃないのよね!」
そのルルーシュの微妙な変化に気付かず、ユーフェミアは表情を歓喜に輝かせるばかり。玄関ホール階段を一段飛ばしで駆け下り、両手を大きく広げながらルルーシュへ飛び抱き付く。
もし、午前中にシャーリーと出会っていなければ、ルルーシュもここで両手を大きく広げて進み、ユーフェミアを何の気兼ねなく抱き迎えていただろう。
だが、ルルーシュは立ち止まって躊躇い、その隙を突いて、アーニャがルルーシュの前へ割り込み、ユーフェミアをキャッチ成功。勢いを余らせて、一歩、二歩、三歩と後ろへたたら踏む。
「……って、アーニャ? 何をしているの?」
「私はルルーシュ様の騎士。暴漢から、ルルーシュ様を守るのが役目」
「誰が暴漢ですか! 誰が!」
その上、アーニャは向けられたユーフェミアの白い目線に一歩も怯まず、ユーフェミアの背中へ回していた両腕を下げると、ユーフェミアが履いているミニスカートのウエスト口に両親指を射し込みながら腰を掴んで持ち、ルルーシュへ近づけまいと押しまくる。
ちなみに、ユーフェミアはルルーシュの記憶に良く残っているドレス姿ではなく、カジュアルな服装であり、散歩へ出かけていたルルーシュとアーニャもカジュアルな服装である。
「ユフィは解っていない。
ルルーシュ様は病み上がり。さっきの勢いで抱き付いたら絶対に転ぶ」
「そ、そうかも知れませんが……。
じゅ、10年ぶりですよ? ここは兄妹愛を確かめたくなるのも仕方ないでしょ?」
ユーフェミアはアーニャのお説教に怯むが、10年ぶりの再会劇を邪魔された怒りはやはり大きかった。
負けじと同様にアーニャが履いているミニスカートのウエスト口に両親指を射し込みながら腰を掴んで持ち、ルルーシュへ一歩でも近づこうとアーニャを押しまくる。
「その歳で兄妹愛とか……。キモい」
「まあっ!? アーニャったら、酷いわ! 私の気持ち、知っている癖に!」
「知らない。私の頭はルルーシュ様の事で一杯だから」
突如、玄関ホールを土俵にして始まる女相撲。
そうは言っても、剣の鍛錬を日々重ねているアーニャと学校の体育の授業でしか運動を行わないユーフェミア。
勝負は最初から決まっている様なもの。ユーフェミアがアーニャに押されて、一歩、また一歩と階段へ戻って行く。
だが、ユーフェミアは頑張った。目をギュッと瞑りながら歯を食いしばって力み、顔を真っ赤っかに染めて、顎に梅干しの皺まで作って諦めなかった。
最早、それはメディアなどに公表され、ファンクラブまである深窓のお嬢様といった第3皇女の姿とはかけ離れ、見る者によっては哀れだったり、滑稽だったりする姿だった。
「ああ……。ユーフェミア皇女殿下も、アーニャ様も……。」
この女の戦いに困り果てたのは、使用人の老人。
なにせ、アーニャも、ユーフェミアも興奮しきって、自分達がミニスカートで相撲を行っているを忘れており、エキサイトすればするほどに酷い光景となっていた。
ミニスカートはとっくにずり上がり、パンツどころか、そのパンツが食い込み、お尻が丸見え状態。もし、ここで来客があったら、とんでもない事態となるのは必至。
しかし、相手は大貴族のご令嬢と皇女。老人がソレを諫めるのは手に余りすぎ、たまらずルルーシュへ救いの視線を向けると、ルルーシュは見るに耐えないと言わんばかりに目線を右手で覆っていた。
「いつも、こうなんですか?」
「いいえ、とんでも有りません。
普段はとても仲がよろしくて、それはもうユーフェミア皇女殿下の姉上様、コーネリア皇女殿下が自分より本当の姉妹の様だと焼き餅を焼くほどです」
「あのコーネリアが?」
「はい、それにユーフェミア皇女殿下はご訪問の度、ルルーシュ様のお世話を買って出て、アーニャ様へお休みを……。」
「なるほど……。」
ルルーシュは判断に迷っていた。本気なのか、じゃれ合いなのか、それによっては止め方が変わる。
それ故、老人へ日頃の2人についてを尋ねると、返ってきたのは驚きの答え。ルルーシュはアーニャからユーフェミアとの仲を聞いてはいたが、そこまでとは思っても見なかった。
コーネリアのユーフェミアへ対する溺愛を超えたシスコンぶりは、彼女を知る者なら誰もが知っている事実。そのコーネリアが妬くとなったら、それはもう親友の関係と言って過言でない。
その推察から、ルルーシュは目の前の醜い争いが単なるじゃれ合いであると判断。一拍の間隔を空けて、拍手を強く2回叩いた。
「ルルーシュ様?」
「ルルーシュ?」
一回目、身体をビクッと震わせて動きを止めるアーニャとユーフェミア。
二回目、ルルーシュが怒ったのかと勘違い。2人が息を揃えたかの様に恐る恐る顔を揃って振り向け、ルルーシュの様子を窺う。
「くっくっ……。さて、お茶をお願いします。喉がカラカラだ」
「あうっ……。待って下さい」
「ルルーシュってば!」
その戦々恐々とした表情2つに思わず吹き出すと、ルルーシュは一人部屋へと向かい、慌ててアーニャとユーフェミアはその後を追った。
「それでは失礼を致します」
「ありがとう御座いました」
落ちぶれたとは言え、アリエス宮はやはりブリタニア皇帝の寵姫だけが持てる専用宮。
用意された茶葉が贅沢なモノなら、それを煎れる使用人の老人の手並みも見事なモノであった。
ティーポットからティーカップへ注がれた途端、ダージリンの良い香りが漂い、それに誘われる様に飲んだ一口は程良い熱さ。
その美味さに思わず頷き、ルルーシュが視線を向けると、老人はニッコリと微笑みながら一礼をして、部屋を出て行く。
「さて、何から話すか……。」
「その前に良いかしら?」
「んっ!? 何だ?」
「この部屋、おかしくありません?
何と言えば良いのか。このソファーも……。上手く言えませんが……。」
そして、ドアが閉まり、ルルーシュが紅茶をもう一口飲み、話を切り出そうとするが、それに先んじて、ユーフェミアが待ったをかける。
その理由はこの部屋の殺風景さ。つい先日までの事を考えたら、当然なのだが、少ないながらも増えている家具に疑問があった。
部屋中央に置かれたベットは元のままだが、追加された家具はTVと自分達が今座っている応接用のソファーセットのみ。
ベット後方に配置されたTVはいかにも間に合わせで作った木の骨組みだけのテーブルに置かれており、そのTVから伸びているケーブルも剥き出しとなって部屋を渡り、コンセントへと繋がれて、それで良しとする様が見え、隠そうとする意思が見えない。
また、応接セットもベランダ窓の傍に置かれて、外側を向いており、外の景観を見るに適してはいるが、座る為にはわざわざグルリと遠回りしなければならない奇妙な配置。
普通、人というモノは防衛本能から隅を好み、壁を背にしたがる傾向があり、そう言ったものは家具の配置にも自然と表れる。
ところが、この部屋はソレが無い。強いて言うなら、寝泊まりをする日常空間と言うよりは、一時の為に機能を追求した場という印象を受けた。
「ああ、良いんだ。来週にはここを出て行くからな」
「えっ!? ……出て行くって、何処へ?」
「まずはエリア11だな。その後は……。」
「そんな! 目を醒ましたばかりじゃない!」
それ等の疑問をサラリと軽く流すルルーシュだったが、ユーフェミアはそういかなかった。
当然である。この約10年間、待ちに待ちかねた再会だったというにも関わらず、再会した途端に別れが待っていたのだから納得が出来る筈が無い。
ユーフェミアはソファーを勢い良く立ち上がり、ルルーシュを見下ろしながら抗議を叫んだ。
「それなら、問題は無い。アーニャが一緒に付いてきてくれる」
「ふっ……。」
だが、ルルーシュはそれすらも軽く受け流すと、アーニャへ微笑みを向けた。
その微笑みは優しさと信頼に溢れており、アーニャは嬉しそうに微笑み返した後、ティーカップを傾けながら勝ち誇り、ユーフェミアへニヤリと笑う。
「な゛っ!? な゛な゛な゛……。
だ、だったら……。だ、だったら、マリアンヌ様は! マ、マリアンヌ様は何と仰っているの!」
ユーフェミアは絶句して思わず右足を退くが、頭を必死に巡らせて、ルルーシュの旅立ちを引き留める理由を見つけると、右足を勇み進めた。
ちなみに、3人の座り位置はソファーセットが『コ』の字に列び、それぞれが座れる様に3つのソファーが有るにも関わらず、全員が真ん中の4人掛けにわざわざ座り、ルルーシュを真ん中にして、左にアーニャ、右にユーフェミアが座っている状態。
「もちろん、了承済みだ。
……で、話というのは他でもない。
今すぐは無理でも……。ユフィ、お前も一緒に来ないか?」
「「えっ!?」」
ここで唐突に質問の攻守が逆転。ルルーシュが空席となった右隣を叩き、ユーフェミアへ座る様に促す。
しかし、ユーフェミアはいきなりの提案に驚いて座れず、アーニャも初耳な話に目をパチパチと瞬きさせて驚く。
「実を言うと、寄宿舎から今日帰ってくるのをアーニャから聞いていた。
だから、お前が来なければ、こちらからジェミニ宮へ足を運び、この話をしようと考えていたんだ」
「そうなの? でも、一緒に来ないかって……。」
「ユフィ……。お前、自分の将来をどう考えている?
来年はどうするつもりなんだ? 大学へ進むのか? 仮に大学へ進んだとして、卒業した後は?」
「それは……。」
ユーフェミアにとって、それは耳が痛い話だった。
今年、ユーフェミアは18歳。ハイスクールの第12学年生であり、当然の事ながら、その進路は話題となっていた。母親や姉のコーネリアからも進路に関してを問われたのは一度や二度ではない。
だが、ユーフェミア自身、自分がどんな人間なのかが解っておらず、進路をずっと先伸ばしていた。大学へ進学する学力は十分に持っていたが、これと言って専攻したい分野はなく、皇族として政治の場へ出るにしても、これも得意とする分野が解らなかった。
只一つだけ解っているのは、姉のコーネリアの様に戦場で活躍する軍人にだけは全く向いていないと言う事のみ。
「俺達は皇族。ましてや、お前は女だ。
コーネリア姉上の様に自身で身を立てなければ、いずれは大貴族との政略結婚になるのは間違いない。
いや、今まで婚約者が居なかった方がおかしい。
なにせ、寝ていただけの俺にでさえ居るのだからな。
だから、恐らくはコーネリア姉上が後ろで手を回していたと考えるべきだろう。可能な限り、お前が自由で居られる様に……。」
ユーフェミアは脱力する様にソファーへ座り、一言も言い返せずに視線を伏せる。
そんなユーフェミアを心配そうに見つめた後、アーニャが我知らず顔をしながらも手加減しろとルルーシュを肘で軽く叩くが、ルルーシュは手を緩めなかった。
「しかし、それも限界に近い筈だ。
お前は18歳。世間一般ではまだ早いが、貴族社会では適齢期。
さぞや、大貴族共はお前を手に入れようと、あの手、この手で争っているに違いない」
「解っています! そんな事は!
でも、私にはまだ……。まだ、その何かが……。」
たまらずユーフェミアが激昂する。今にも泣き出しそうな顔を勢い良く上げて叫ぶと、すぐに顔を再び伏して、膝の上に置いた両手を力強くギュッと握り締めた。
その様子に息を飲み、慌ててアーニャが今度は強く2回叩いて非難するが、やはりルルーシュは手を緩めない。
「だったら、俺と来い! ユフィ、俺がお前の居場所を作ってやる!」
「えっ!? そ、それって……。」
それどころか、ルルーシュは座ったまま上半身をユーフェミアへ振り向けると、その肩を掴んで揺すり、泣き顔を強引に上げさせた。
ユーフェミアは驚愕のあまり涙を拭うのを忘れ、丸くさせた目から涙をホロリと零した後、投げかけられた言葉の意味を理解して、本気なのかとルルーシュの瞳を覗き込む。
「今すぐ、結論を出す必要は無い。学校の事もあるからな。
だがな、これだけは憶えておけ! チャンスは待つモノじゃない! 自分で作るモノだ!」
「で、でも……。ル、ルルーシュ?
きょ、兄妹でってのは……。や、やっぱり、まずいんじゃないかしら?」
「何がまずい! 大事なのは本人の意思だ!
俺が望み、お前が決断するば、それで十分じゃないか!」
ルルーシュの目は真っ直ぐにユーフェミアの瞳を捉えて、何処までも本気だった。
それは目だけでは無い。ユーフェミアは力強く掴まれた肩が痛かったが、その痛みがルルーシュの本気さを物語っていた。
嬉しくて、嬉しくて堪らなかった。ソレをずっと望んではいたが、前へ突き進む勇気が持てなかったのを引っ張ってくれるルルーシュの強引さが嬉しかった。
ユーフェミアは目を輝かせながら胸の前で拍手を打ち、掌を合わせたまま決意して考える。これから、自分が前へ進む為にどうしたら良いのかを。
「そうよね! 本人達次第よね!
過去にだって、例は幾らでも有ったんだし……。いざとなったら、私が何処かの養女になれば良いのよね!」
「養女? ……待て、何の話だ?」
ルルーシュは少しづつ乗り気になってくるユーフェミアの様子に手応えを感じていた。
ところが、いきなり意味不明な事を言い始めたユーフェミアに戸惑い、眉を怪訝そうに寄せた次の瞬間だった。
「……って、ほげきょっ!?」
「キャっ!?」
突如、紅茶を太股の上へかけられて、その熱さにソファーから仰け反り跳び上がるルルーシュ。
ソファーの背もたれを越えて、背後へ落下。床を陸揚げされたエビの様にのたうち回りながら必死にズボンを脱ぎ捨てて、やっと一安心。
その紫のビキニパンツ姿に悲鳴をあげ、ユーフェミアが顔をルルーシュから背けて、恥ずかしそうに両手で覆い隠す。
もっとも、ユーフェミアはルルーシュの介護を何度も行った事があり、ビキニパンツ姿どころか、その中身を実は十分すぎるほどに知っているのだが、これが乙女の作法というもの。
そうとは知らず、慌ててルルーシュは顔を紅く染めながらベットから剥ぎ取ったシーツを腰へ巻き付けて下半身を隠すと、度を超えた悪戯の実行者を怒鳴り付けた。
「な、何をするっ!? ア、アーニャっ!?」
「ルルーシュ様……。ユフィと結婚するの?」
「ユフィと結婚? 何を言ってる?」
だが、返ってきたのは、逆にルルーシュを責め立てるアーニャの涙目。
ユーフェミアに続き、アーニャまでもが意味不明な事を言い始め、ルルーシュは烈火の如く燃え上がった怒りを一気に鎮火させて戸惑いまくり。
「「だって、プロポーズを今……。」」
そんなルルーシュの疑問に声を揃えて応えるユーフェミアとアーニャ。
1秒、2秒、3秒と過ぎてゆき、10秒ほど経った頃、ようやくルルーシュは理解。自分の発言を思い返して、そう取れなくもないと気付く。
「えっ!? ……あっ!?
い、いやいや、いや! ち、違う! ち、違うぞ! そ、そう言う意味では無くてだな!」
その後、ルルーシュはユーフェミアの事をどう思っているのかを左右から責め立てられて、困り果てた挙げ句、腹が急に痛くなったとうそぶき、個室へと戦略的撤退を決め込んで約30分ほど籠もりきった。
******
『ねえ、ルルーシュ……。
どうして、ルルーシュはそんなに私の事を気にかけてくれるの?』
帰り間際、その言葉をユーフェミアから投げられた時、ルルーシュは言葉に詰まった。応える言葉を持たなかった。
暫く黙り込んでいると、プロポーズ騒動があったからだろう。ユーフェミアは背伸びをして、一瞬触れるのだけの軽いキスをルルーシュへした後、頬を紅く染めながら上目遣いにこう重ねて問いてきた。
『期待しても……。良いんですよね?』
それが何を指すのか、さすがの朴念仁でも解り、ルルーシュは辛さのあまり胸が張り裂けそうになった。
ルルーシュにとって、ユーフェミアは初恋の相手。そう言われたら嬉しいに決まっているが、その資格が自分に果たして有るのかとどうしても考えてしまう。
自分が育った世界の親友たるスザクの事を考えたら、自分も人並みの幸せを得てはならない。そう戒めざるを得なかった。
まず間違いなく、最初の問いに対する答えは『贖罪』と言う言葉が最も適しているだろうが、この世界のユーフェミアにとったら全く関係の無い話。
だが、昼間に出会ったシャーリーもそうだったが、どうしても自分が知るシャリー、ユーフェミアと重ねてしまい、それがルルーシュは辛かった。
その点、ルルーシュはアーニャの存在に随分と助けられていた。元々、自分が育った世界のアーニャとは接点が薄く、友達以前の知己程度の関係だった為、この世界のアーニャと親交を深めてゆくのに違和感を覚えなかった。
もし、この最も身近な立場がアーニャではなく、ナナリーだった場合、どうなっていたか。ルルーシュは気が狂っていたかも知れないと恐怖する。
何故ならば、この世界のナナリーは障害を持っていない為か、マリアンヌの話を聞く限り、剣術を嗜み、最近は二輪車を乗り始めたとか、明らかにルルーシュが持っているナナリー像とはかけ離れていた。
その反面、なるほどと納得する部分もあった。元々、ナナリーは活発でお転婆だった。性格が内向的で大人しくなったのは障害を負ってからであり、それを考えたら喜ぶべき事実。そうなって欲しいと常々思っていたのだから。
しかし、今日の経験が無かったら、確実に暴言を吐き、ナナリーを傷つけていたに違いない。
いざ本人を目の前にすると、頭で理解しているつもりになっていても、自分が知っている認識との差異感に感情が揺れてしまうのを今日の経験から知った。
今後もこういった事は多々有るに違いない。この後の予定として、ルルーシュはまずエリア11へ行こうと考えているが、その前に心構えを作っておく必要性が有ると考える。
「さよなら……。シャーリー……。」
こちら側から積極的に探して赴かなければ、二度と交差しなかった筈のこの世界のシャーリーとの出会い。
その運命の引き合わせに感謝しながら、ルルーシュは自室のベランダ前の庭に一人佇み、夜空に浮かぶ満月を見上げて二度目の別れを告げた。