東方捨鴻天 【更新停止】   作:伝説のハロー

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大学を甘く見ていた作者です、長くなりました。

遂に来た、序章、最終話。
さりげなく二人はいちゃいちゃ。そして長い。
非情、残酷、無慈悲。その果てには何が待つ―――?




序章・第五羽「奈落へ」

……てくれ―――。

 

静で止まり、音もない。

そこは、草木の地獄絵図。

吹き荒れた突風が居住区から始まり、大地をも諸共穿ち、生い茂る緑を貫いていた。途中でその勢いがなくなって消えたのだろう、木々が全くない手前で、彼は制止している。

 

「ぉォアああ、ウあアァゥ……ッ」

 

言葉に成らぬ何かを吼え、もがくように暴れる。

突風を齎した張本人である木皿儀劫戈は、今にも倒れてしまいそうな前のめり体勢で留まっている。後ろから何かに引っ張られている状態だった。

 

「ああぁあ、アアあぁアあァ……ッ!! ぉォオおあぁあアぁ―――ッ!!」

 

非常に近付き難い、悲哀で染められた形相で再び吼える劫戈。

衣服がはだけ、襤褸切れになっている事も構わず、涙や吐息を激しく吐き散らす。突き出した腕が辺りの空を引っ掻き、風切り音が鳴ったと思うと、周囲の葉を切り裂いて舞わせてしまう。まさしく獣のよう、と形容されるものであった。

そんな危険極まりない事も相俟って、悍ましさすら感じ取れるだろう。

 

しかし、彼の胸中は、外面とは裏腹に異色だった。

 

助けてくれ―――と。

 

無念の果て、穿たれた心の臓が千切れてしまいそうな激痛に、彼は只々打ちひしがれていたのだ。

だと言うのに、彼を繋ぎ止める彼女だけは一切感じていなかった。

 

「劫戈……」

「―――!」

 

その優しげな呼びかけに、びくり、と彼の身体が止まる。風が止み、ゆっくりと時間が流れていく感覚が彼を包んだ。

劫戈は虚ろな眼を見開き、己がどうなっているのかをようやく把握する。

 

背から回された、細い華奢な腕とふわふわとした心地良い常闇のような羽根。

 

既知の温かさ―――と、彼は気付き、正気を取り戻す。

 

視線を下に向ければ、予想通りのそれがあった。

 

「な、なんで……光躬……?」

 

唖然と呟いた劫戈の眼に小さな光が灯る。

しかし、それは弱々しく、今にも崩れてしまいそうなものだった。

 

「光躬……どうして……俺を―――」

 

訊こうとして、劫戈は言葉を切った。

彼は背から伝わってくる微かなそれに驚愕し、困惑しながら立ち尽くす。

 

「―――っ……」

 

―――嗚咽。

 

“彼の陽”は泣いていた。

声を噛み殺して泣いている。震えを押し殺し、哭いているのがすぐに解った。

 

「…………」

 

劫戈は申し訳ない気持ちで眼を伏せ、その場に力なく座り込む。後ろに引っ付いている光躬への配慮は勿論忘れはしない。

ゆっくりと膝を折って、地に我が身を預けて落ち着かせた。

 

 

 

 

 

そよ風が頬を撫で、荒れ狂った思考が元に戻るべく冴えていくのを助長させる。

 

どれほど経っただろう―――と、空を見上げた。

 

日が傾いている今、橙色の光芒が間近に迫る。然程時間が経過しているとは思えないのだが、劫戈にとって、とても長く感じられた。

 

「なぁ……光躬」

 

不意に、劫戈が声を掛けると、光躬の頭が僅かに反応して動いた。

 

「…………なに?」

「俺を……俺を、追って来たのか?」

「うん」

 

劫戈の問いに、光躬はこくりと頷き、答えた。

彼女の顔は、劫戈からすれば窺い知れない向きであるが、しかし、悲しそうで辛そうな表情は見なくても手に取るように解った。

 

「そうか……」

 

力を抜いて、覇気のない様子で呟く。

漏らした吐息には無情が流れ出ているのが、光躬には露骨だった。

どうして、こんなにも感情を殺しているのか。と、光躬は怪訝に思う事だろうと推測出来てしまい、苦笑する。

劫戈には光躬の考え、疑問がすぐに浮かぶ。それを齎しているのが己だと知っているから。

 

(どうしてだよ……)

 

理由は、彼の声に乗って肥大化する感情で、夢が打ち砕かれた事で、今まで思えなかった事が露わとなる。

 

「なんでなんだよ―――」

 

声は震え、光躬の元へ直接届く。

突然変異とも言える感情の変化で、その声音は今までとは違っていた。

 

「―――なんで来たんだ! 光躬ぃ!」

 

劫戈の口から出て来たのは怒り。

それを向けられた光躬を困惑させるのに十分過ぎるもので、面を食らわせた。

しかし、光躬という娘はその程度で怯みはしない。

 

「な、なんで、って……貴方を失いたくないからに決まっているでしょう!?」

「本当にそうか……?」

 

何を言っているの、と突然の事に声を荒げる光躬に対し、疑心を抱いて冷淡に聞き返す劫戈。

唯一信頼を寄せる光躬へ疑う心などありはしない劫戈は、この時ばかりは彼女を疑っていた。

本来なら、あり得ない事だというのに。

 

「自分の為―――自分が良い位置に立ちたいから、そうしているんじゃないのか?」

「え……?」

 

光躬は唖然と、今にも泣きだしそうな顔を劫戈に向ける。

冷たく濁る眼。その眼だけを向ける劫戈に、光躬は視線を合わせ、必死に劫戈の心を知ろうと探り出す。劫戈の虚ろな灰色が光躬の千里眼を容易く冷たく阻み、見透かせまいと強く睨み付けた。

 

「う、ぁ……っ」

 

それと共に胸へ槍が突き刺さったような激しい痛みを受け、余計に宝玉のような紅い瞳を潤わせる光躬。

それでも彼女は止めない、彼の痛みを知っているからこその行動だった。

離れたくない一心で、探り出そうとして、多くの凍てる茨に阻まれる―――が、ようやく見抜いた。

 

劫戈がそんな態度を取ったのは、彼の勝手な思い込み。

唯一信じた輝きから裏切られてしまった―――と、思うあまり、他者への不信に陥っているのである。

 

群れの中で辛うじて生き延びている。

温情ある彼女だけに助けて貰っている。

 

孤立した劫戈の身としては、肩身が狭い思いだっただろう。

巳利の言葉で崩れ去った“夢”は、もう叶わないと劫戈は知った。打ち壊され、知ってしまった。

群れから捨てられ、彼女の隣にはいられない、共に歩めない。

そして何より、伝えられない―――溜め込んで来た儚い想いを。

 

故に、ここ最近の劫戈は簡単に揺らいでしまう程、心が摩耗していた。

その摩耗の抑止力となっていたのは光躬、ただ一人だったのである。

 

 

(―――俺はお荷物……俺は厄介者……都合の良い(あぶ)れ者……―――っ!)

 

 

だが、堰が崩れてしまった今、劫戈は彼女を信じる事を拒んでしまっている。

例えるなら、今まで大事だと思ったものが酷く汚れてしまって、思わず手放してしまうようなもの。思わず捨ててしまう、不信感。

まさしく疑心暗鬼。小さな疑いが、肥大化して大きく捉えてしまっていた。

 

「……!」

 

僅かに怯えるように震える劫戈の眼を、彼女は見逃さなかった。

 

今まで、劫戈を救おうと、手を伸ばして来た光躬。

だが、彼女には具体的な打開策など無く、感情の赴くままに流されて行動したに過ぎない、その場凌ぎ。それは周りの大人達の所為でそうなってしまって、無理もないと言えばそうなのだ。

それが知らず知らずの内に、想い人の心をすり減らしていた事と同時に己の浅はかさを知る。

 

―――光躬は全てを察した。

 

光躬だから出来た芸当。ならば、と言わんばかりに、劫戈を抑え込む細い腕に優しい力を込めた。天賦の如き才能の持ち主たる彼女は、想う人の為にそれをやって見せる。

母が我が子に見せる慈愛の笑みを向け、安らぎと清い慕情が一つ、劫戈を包み込む。

 

「―――大丈夫。大丈夫だから」

「また……そう言って―――っ!?」

 

力なく冷たく振る舞う彼は言葉を失う。

 

劫戈は感じた、太陽の抱擁を。

 

包んでくれる光躬を突き動かした、単純で一番大事なものを、感じた。

 

劫戈は理解した、光躬の想いを。

 

助けたい、救いたい、一緒にいたい―――といった想いを、理解した。

 

光躬の全てが、劫戈に流れ込む。

熱く燃え上がるような、確かな“それ”が伝わって来た。

 

それでも、それでも―――と、ひしひしと温もりが教えてくれる。

 

しかし―――

 

「―――っ! ……止めろよっ! もう……放って置いてくれ―――」

「駄目っ。そんなことはしない」

 

劫戈は泣きそうに顔を歪め、振り解こうとする。

悲しみではない、悔しさでもない。今の彼には、別の感情があったから。

 

「結局……おまえ……も……そう、なんだろ……?」

「……?」

「お前も……俺を影で嗤っているんだろ!?」

「こ……劫戈っ―――?」

 

今抱く疑問と疑心が、光躬に叩き付けられた。

彼の濁った感情が暴発し、光躬の入る隙を与えず攻め立てる。

 

「そうなんだろっ!? 天才って言われている癖に、無能な俺にいつも構って……そんなに凄い優しい奴だって言われたいのか!? 俺を餌にして、評価されたいんだろう!?」

「ち、違う! そんな事ないっ! 私は―――」

「俺を憐れんだか!? 俺を踏み台にして楽しいか!?」

「違う!! 劫戈、私は貴方が―――」

 

 

「俺を惨めにするなぁっ! 俺をそんな眼で見るなぁぁあああぁあぁあっ!!」

 

 

遂に、劫戈は錯乱する。

悲痛に声を張り上げる彼は光躬の腕の中で、苦しむように両の手で黒い髪を掻き毟ろうとして―――

 

「私は……私は貴方が―――」

 

そんな中、穏やかで小さな声。はっきりとした制止の腕が入り込んだ。

がっちり掴んだ劫戈の腕は微動する事もなく、光躬の白魚のような指で止められている。

それだけでなく、いつの間にか、後ろから抱きついていた体勢から、光躬は正面へと移っていた。

瞬きの速度で行われた行動に、劫戈が気付く事はない。

心乱れた彼にそんな余裕はないし、ましてや動揺しようものなら光躬が行動し終わってからになるのだから。

 

何も映さない灰色の眼を愛おしそうに見つめる光躬は、ゆっくりと顔を近づけて口を開いた。

 

「―――好き、だから」

 

劫戈は―――劫戈という烏は止まった。

 

「……!」

 

告げられた言葉が、劫戈の胸で炸裂する。

穿たれたような衝撃に、痛みなどありはしない。寧ろ、若干の驚きと嬉しさとが劫戈を満たしていく。

狂気が入り掛けて荒野となった心に、それらが打ち勝った。

数瞬何も考えられなくなる劫戈は、光躬に全ての意識を取られることで、正気を得るに成功する。

 

「好きだよ、劫戈」

「……っ!!」

 

もう一度。

今まで露骨でも隠して来た彼女への想いが蘇り、彼の心に巣食っていた黒い靄を吹き飛ばしたのだ。

濁った眼が光を得、鉄を思わせる光沢を宿した。待ちに待った、本来の燈火を。

 

「―――み……光躬、お、俺は……」

「やっと……戻ってくれた」

「っ……ごめん、ごめんっ! 俺は、俺はお前を……」

「いいの、気にしないで。劫戈の所為じゃないよ」

「…………」

 

自責の念故か、沈痛に俯く劫戈。

そこには今までのような繕う嘲笑はなく、本気で思いつめる顔が出ていた。

己が何を口走ったのか、想う彼女にどんな罵倒を浴びせたのか。後悔で精一杯な劫戈は光躬を直視出来ず、真下を向いて誤魔化すしかなかった。

 

「―――劫戈っ。こっち向いてっ?」

 

そこで光躬は劫戈の両頬に手を回すと、じぃっ、と恍惚とした笑みを向ける。

対して若干戸惑う劫戈は、雄の本能として顔が熱くなるのを感じた。

 

そして、眼を閉じた彼女は程なくして―――劫戈と重なった。

 

「み、みつ……―――っ!?」

「んっ―――」

 

啄むようで深い接吻が、空かさず唇を奪い取る。

 

(え―――ちょっ―――)

 

次いで、いつの間にか首に腕を回された事に気付いた劫火は、体勢的に動く事が叶わない。眼をこれでもかと見開いた彼は、頓狂な表情を出したかと思うと激しく狼狽し出し、いきなりの行為に問いただそうとする。

 

(な……っ!?)

 

だが、口が上手く動かない上に、息も続け難い。

それも当然。光躬の舌が口の中へと入り込み、覆うように口内を舐め回され、己の下を引き出される始末。

 

「ぷはっ……お、おまっ……いきなり何を―――っ!?」

「ちゅっ……んぅっ―――」

 

一層力を込めて無理矢理引き、問う瞬間に再開される。

 

驚きで引っ込んだ舌が連れ戻され、何度も絡め合わさる。淫猥な水音が、重ねる都度に唇の間で漏れ、光躬の甘い吐息やら臭いやらが頭をぼんやりとさせ、理性を掻っ攫って行く。

欲しいと言わんばかりなその執拗な行為で、劫戈の頭の中で火花が散る。

 

しかし、それは束の間。

 

「ぷ、はぁ……はぁっ、はぁっ」

 

ゆっくりと身を引いて、息を整える光躬。

 

「ぅっ…………」

 

噎せ返りたくなる深く甘い吐息が劫戈の頬を打ち、銀色の糸が口から零れて地に沈む。

紅眼を己から逸らさない妖艶な姿を晒す光躬をついつい官能的に捉えてしまう劫戈は、しかし、強引な手段で確実に我へと返っていた。

 

(―――本当に……狡いな、こいつ……)

 

内心で、困ったように感服する。

表では顔を真っ赤に染めているだろうが、互いは全く気にしていなかった。

 

「あー……さっきは、ごめんな、光躬。―――俺も……」

 

腰の括れに手を回して抱き寄せ、静まった頭で再度謝意を込める。

 

「―――お前が好きだ」

「……っ」

「好きなんだ」

「っ!!」

 

先の光躬の想いを聞いて、秘めていた想いが溢れた。

振り切ったように想いを伝え、壊れ物を扱うように優しく撫でる。次いで、感極まった光躬を腕で閉じ込め、離さないと言わんばかりに抱き締めた。

 

「劫戈ぁ……」

「……光躬」

 

劫戈としては、過去の約束も成功の先への執着も、今はどうでも良くなっていた。

 

沸き立つ想いが、止まらない。

これ以上は無理でも相手を己へと抱き寄せる。一つになろうとするほどに腕で包み込む。

もう、言葉は要らなかった。

 

そして、自然と、瞼から嬉しさが流れ出た。

 

 

片や凡愚、片や天才。

追放された劫戈、期待された光躬。

 

誰も望まれはしないだろう、二人の結び。

 

 

離れるものか―――と、艶ある髪が鼻を擽る。

離れない―――と、厚い胸に埋もれる。

 

 

二人は望む、誰が何と言おうとも。否定する者がいれば、悉く断ってしまうだろう、熱い想い。

 

しかし、それは幻想。浸っていたい妄想。

 

 

だからこそ、二人は気付けなかった―――。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「―――夢見る時間は終わりです、光躬嬢」

 

入り込んだのは鑓の風、その声。

二人の烏が抱き合っているその時に、小さなそれが入り込んだ。

 

「づぁっ!?」

「きゃぁ……っ!?」

 

無防備な二人はそれ(・・)に叩き付けられ、軽々吹き飛ばされる。

異様でいて、どこか当然とも言える不可思議な、乱れ飛ぶ妖風。噴き抜いた乱れ風は、黒い色が混じっていた。

容易く飛ばされ、抉れた地面に叩き付けられる二人は、衣服に付いた土を舞わせながら、転がるように突っ伏した。

 

二人は―――いや、劫戈に直撃したそれは、余波だけで、文字通り光躬の動きを止めた(・・・)

 

「うぅ……っ!?」

 

突如襲った黒き妖しい風に、呻く光躬は己に起きた事態を、混乱した頭で把握する。

 

「物分かりの無い貴女様への御仕置きです。いくら貴女様でも、私の“痺れ風”は防ぐなど出来はせんでしょう」

「あ、あ……なたは……っ!?」

 

ここで闖入した者が羽音を聞かせて光躬の目の前に降り立った。

その人物を目にして、光躬は瞠目する。と、同時に戦慄が身体を貫いた。

 

(そんな……そんなのって……)

 

その人物は―――鎗だった。

どことなく、劫戈に似ている男性。明らかに不機嫌そうな表情を隠す事無く向け、見下しているような態度。群れの誰もが知っている男―――“鎗”と比喩される強者。

精鋭中の精鋭、木皿儀日方。己の父親に次ぐ、烏天狗等の長たる津雲の腹心。

 

「集落に被害を出すとは……やはり、役立たずは役立たずのまま、寧ろ悪化するか」

「……ち、父上……! づぅぁっ……!?」

 

日方からの侮蔑が、劫戈へと疾風と共に飛来し、言葉を掻き消す。

襲来した風の柔撫でが、劫戈の背に破裂音を巻き起こした為だ。背の衣服に血が滲み始め、痛々しい傷跡が覗かせ、彼を苦しめる。

 

動作無しで、この制圧能力。

更に身体が痺れ、微動する程度しか動けない二人では、どうする事も出来はしなかった。

 

「ひ、日方様……。私を……連れ戻しに、来たんですか?」

「無論。そして他にもある」

「……ほ、かに?」

「貴女様は馬鹿ではない。追放されたこやつを引き連れて戻るような事は、まずない。かといって、二人で逃げ果せるとも思ってもいない。私は先達ですよ、娘子の行動くらい読めぬもので精鋭が務まりましょうか。故に、此処に来た事も推察出来ましょう」

「……ま、さか……っ」

 

光躬はその答えに至り、我が身を震わせた。

 

嘘でしょう―――と。

 

同時に、全身のしびれを凌駕する鈍痛が、光躬の頭を打った。血の気が引き、衝動に駆られて暴れたくなる。

 

知りたくない、思いたくもない―――と、頭の中がぐちゃぐちゃに掻き回される感覚。

 

「……貴女様がいつまでもこの凡愚を引き摺らぬようにする」

 

一方で、日方は無情にも言葉を紡いでいく。

 

「頭が痛いものだよ、全く。まあ、私の独断ではあるが、今後の憂いを払えるのなら、問題ないだろう」

「っ……」

 

冷めた眼で、ぎろり、と睨まれた劫戈は息を呑む。

光躬はそんな彼が心配で、視線を行ったり来たりさせて焦燥に襲われて行く。

 

「私も妻も、何故このような者が生まれたのか甚だ疑問だ。……どこで間違えたのだろうな。そもそも、間違いはなかったのか……? ―――どちらにしろ、私の責任なのだがなぁ」

 

独白に近く、感傷に浸る日方は瞑目しながらゆっくりと二人の元へ近付いて行く。

 

「足手纏いなど不要。強者の脚を引く邪魔でしかない使えぬ愚か者を、いた事を忘れるように始末するのだ。群れの皆も、意見などあるまいて」

「ち、父上……まさか俺を―――!?」

 

劫戈が見上げた先には、静かな憤怒があった。

 

「せめてと思った慈悲などないし、光栄になど思うなよ、反吐が出る。出来損ないがァ……―――私自ら引導を渡してくれるッ」

 

これが親のすることか―――と、光躬の腹の中は悲嘆で渦巻いていた。

 

酷く冷たくて、凍えてしまう錯覚。望まれない息子の劫戈があまりに不憫で、胸が痛んだ。

対し、親からの死の宣告を受けた息子はというと―――

 

「ひ―――……日方ぁぁあああああああああっ!!」

 

感情の咆哮。

それは初めて生まれて、肉親に対して抱いた憤怒だった。

鬼のような形相で声を張り上げ、自分の父親を激しく睨み付ける。普段大人しい光躬が、ここまで激情を露わにしたのは光躬としては初めて見たのだった。

 

「はん―――……お前に何が出来るというのだ」

 

その変わり様を見た日方は、逆に嗤った。

その態度に、遂に光躬も怒りの形相を向け、劫戈と共に睨んだ。

 

手を差し伸べなった男が何を言うか―――と、嘲笑うかのように見下す男へ憤りを誕生させた。

 

「愚か……実に愚かだ」

 

麻痺して動けない子供二人に大層な扱いである。

 

「がぁっ―――!?」

 

劫戈の頭部が、勢いよく踏み付けられる。

実力的に敵わぬ事は自明の理であり、更に麻痺で自由を奪っているのだから、どうしようもないのだ。

群れの全面子に負けている彼では、精々罵倒が精一杯。ましてや傷を負わせる事は不可能。何度やっても同じだろう。

 

―――悔しい。

 

今の劫戈の表情から読み取れる感情は、光躬にとっても今抱いている感情だった。

 

「これ以上、光躬嬢を落とすな、誑かすな。劣等の分際で、烏滸がましいのだよ!」

「―――ぐっ、がぁっ!?」

 

首根っこを力強く掴まれ、日方の前に掲げられる劫戈。

締まる音が響き、激痛に顔を歪める彼は抵抗らしい抵抗も出来ず、呻く事しか出来ない。

 

「劫戈ぁっ!!」

「……ふぅむ。よほど毒されたと見える。ならば、確実に終わらせよう」

 

光躬を軽く見やった日方は黒い笑みを見せ、劫戈を掴む手とは違う手を劫戈に向け加えた。

 

その光景に光躬は戦慄し、思考が止まった。

 

 

止めろ、やめろ、ヤメロ―――。

 

 

顔面蒼白に成り掛ける彼女の思考は、ただ一点を見て繰り返す。

何度も何度も頭が身体へ命令を飛ばす。が、それは日方の“痺れ風”に阻まれてしまっている。

 

 

劫戈を助け為に、劫戈の為に―――と。

自分はどうなってもいいから、彼だけは―――と。

 

 

だが、冷酷にも、それは訪れてしまった。

 

「……黄泉に、逝くがいい!!」

 

日方の手から噴き出た―――竜巻が劫戈を襲う。

 

「……み―――」

 

荒れ狂う特大の暴風。

劫戈の突風が赤子と思えるほどの凶器。光躬の烈風に匹敵する黒い(つむじかぜ)

 

その中、呟かれたのは―――

 

 

 

「―――つみ……。ごめん―――」

 

 

 

悲しそうな謝罪だった。

 

光躬の時間が止まる。

彼女の眼に映るのは、貫くような風の渦が右眼に吸い込まれ、捻じ込まれる残酷な構図。眼を穿たれ、鮮血を撒き散らす想い人。

放り出された宙を、操り人形のように彼方へと飛んでいく。

 

その行き先は、光躬が劫戈を失わんと止めた理由。

 

腕から肉が擦れる音を無視して、咄嗟に手を伸ばす。

 

―――が、そこは虚空でしかなく、己は倒れ伏している。

無意味な行為で終わってしまう。腕など在っても意味はなかった。

 

 

 

「―――いやぁぁぁああああああああああああああああああっ!!」

 

 

 

絶叫が響いた。

無論、光躬の悲鳴。

 

彼女の視線が辿った先は、大地がない空―――即ち、崖。

 

山の頂上から平地の底辺。

落ちたら、まず助かりはしない。

だが、それは人間か小動物の話で、妖怪はあまり問題視されない。

 

 

されど、弱小妖怪に扱われる劫戈は果たして―――言うまでもない。

夕空を貫く嵐の如き黒い旋風は、劫戈を連れて彼方へと遠退いて行く。

 

「この高さと私の風に依る勢い……ふっ―――死んだな」

 

努めて平常を装っている日方は、心底嬉しそうに口元を吊り上げた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

今まで感じた事のない勢いのある浮遊感の後、身体が何かを貫いたり潰れたりする音が木霊する。更に水っぽい何かが滴り落ちる音も響いた。

重苦しい鉄の臭いと共に、痺れが余計に加速していき、あちこちの肉が重くなった。

 

 

 

天を恨むのは、非遇な日を除いて他はない。

 

幸な事に、身体の感覚はなかった。寧ろ、それで良かったのだろう。

死歿、逝く寸前の今際、右側は真っ赤で何も解らない。何より、それで良かったのだろう。

 

何も感じないなら、苦しむ事はない―――と、安堵した。

 

死んでしまおう、己は疲れてしまった。もういいよね。

 

落ち着いた諦観が彼を満たしていく―――

 

 

 

―――と、そこへ白い何かが入り込んだ。

 

「おやおや、子供がこんなところで死に瀕しているとは……息はあるようだがのう―――」

 

餓えている、そんな白い牙が見える。

 

劫戈が最期に見たのは、年老いた白い人狼だった。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

打ち穿った愚か者を視界から消えた事を確認する、鎗な男。

 

己の風を消し去りながら、飛ばした彼方を一瞥し、光躬に悠然と近付く日方は、不思議なものを見たと言わんばかりに瞠目する。が、それは一瞬の事で、面白くない顔をありありと晒す。

 

「……―――」

「さて……光躬嬢」

 

俯き、眼を見開いて放心する光躬を呆れながらに、声を掛けた。

 

「……日方様―――」

 

反応してか、光躬は逆に日方に呼び掛け、顔を向けた。

 

「……? なんでしょう―――か……っ」

 

「日方…………貴方は、私に初めて―――憎悪を抱かせたわ」

 

とても、とても、血走った紅い眼で。

 

 

とても、とても、憎悪に満ちた濁る眼で。

 

 

底なし沼、解らぬ深淵。妖怪ですら踏み入れぬ未踏の地。

それの如き感情が、光躬から溢れ出す。そっと静かに流れ出るそれ(・・)は、霧あるいは靄のようで、彼女の抱く感情に従って蠢いた。

 

「な、なんだっ!? ……これは―――」

 

遍くように現れた黒に包まれていく日方は、身体を微動する事も叶わない。

 

 

憎い―――。

 

 

憎い、憎い、憎い―――。

 

 

憎いぞ、お前のような俗物は―――と、黒い感情が支配する。

 

 

駆け抜ける、迸る。内に秘めた憎悪は、決して外には出て来ない。

それは深く、深く、光躬を染めていく。彼女を異形の何かへと変えていくように。

 

「私は絶対に、何を言われても、何を言われようと―――彼を踏み躙ったお前(・・)を、決して許さない。未来永劫、彼が受けた苦しみを味わうといいわ」

 

表情すら変えず、ただ静かに言葉を羅列する様は、悪鬼よりも恐ろしい。餓鬼などと比較するに値しないくらい、光躬は黒い何かへと変貌していた。

 

「―――」

 

勿論、日方は話す事も出来ない。

光躬が呼び込んだそれ(・・)が日方を柔らかに包んでいった。

 




序章、了。
次回は第一章へ突入。劫戈の未来は、どうなるのか―――。

推測された方(友人)がいらしたので、次代設定を一部解放します。この物語における序章時点の天狗ですが、各種族に割り振られた役割がまだ生まれていない時期、鬼と邂逅していない時代という事で御理解下さい。

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